綾香−琴音−
こんなにも早く、優勝者の戦いを観られるとは思っていませんでした。
リングに立っているのは、まさに覇者と呼ぶに相応しい風格の女性。
『来栖川綾香選手、藍沢涼子選手、前へ』
対戦相手の藍沢さんと比べると、綾香さんの自信に満ちた表情は初めから勝つことを約束されている
かのように見えます。
「あの人・・・」
「え・・・？」
隣りで何か葵ちゃんが言ったような気がしました。
一瞬、虚ろな目をしてたような・・・。
私が声をかけようとすると、気がついたようにまた視線をリングに戻しました。
『始めッ！！』
２人の動き方は、さっきの葵ちゃんと矢追さんの動きと同じでした。
リングをまわるようにして距離をとる２人。
先にしかけたのは藍沢さんでした。
まるで全ての動きを知っているように、綾香さんは姿勢を下げて藍沢さんの懐にもぐりこみました。
たじろいだ藍沢さんに綾香さんは連打を叩き込みます。
最後のストレートで大きくバランスを崩した藍沢さんは一度離れ、再び猛攻を開始しようと綾香さんに
飛びかかりました。
今度は敢えて防御するようです。
十分反撃できるハズの綾香さんは防戦に徹しています。
「さすが綾香ね」
「はい。え・・・？」
「坂下さん！？」
後ろから声をかけてきたのは好恵さんでした。
「好恵さん、どうしてここに・・・？」
「ライバルの戦い方を偵察に来たのよ」
「そうだったんですか」
「それより綾香、余裕ね。あの程度の連打じゃ効果がないってことかしら」
坂下さんの言うとおり、綾香さんの表情には余裕がありました。
遊んでいるような・・・純粋にエクストリームを楽しんでいるような、そんな目です。
「あれが綾香の弱点ね」
呟くように坂下さんが言ったのを、私は聞き逃しませんでした。
「えっ？」
「どこがですか？」
「よく見てみなさい。ガードしている綾香の両腕。かなり上にあるわ」
「ええ、たしかにそうですね。でも坂下さん、それがどうして弱点なんですか？」
バランスを崩さないように上に意識を集中している、としか思えません。
「あれじゃ、腹部に攻撃して下さいって言ってるようなものよ。下もそう。綾香の意識はすっかり
上の方ばかりにいってるわ」
「なるほど・・・」
上段への防御が下段へのゆるみにつながっているとは考えていませんでした。
さすがに空手の有段者である坂下さんは、綾香さんの弱点を見逃していません。
「姫川さん、セコンドなのよね？」
「はい」
「綾香のセコンドは手強いわよ。格闘技のデータがたっぷり詰まってるからね」
「はい・・・」
それじゃ、同じセコンドして私に勝ち目はない・・・。
仮に的確なアドバイスを葵ちゃんにしたところで、それもデータのうちだったら・・・。
「でも、それは大きな欠点だわ」
「え・・・？ でも相手は完璧なんですよ？」
完璧なデータの前に、素人の私が突けるような弱点があるとは思えませんでした。
でも、私が見抜けなかった綾香さんの防御の欠点を指摘したのも坂下さん。
もしかしたら何か重大なカギを握っているのかも知れません。
「それはデータがあるからよ」
「・・・？」
「知っていることには強いけど、知らないことには弱い。それがロボットなの」
「・・・・・・」
「あの・・・坂下さん・・・？」
「葵はあと２回勝てば綾香と闘えるわ。だけど、それまでに自分のスタイルを全て出し切ってはダメ。
綾香との闘いはデータにない闘い方で臨むのよ」
そう言ってから坂下さんの視線の先、セリオさんがリングの中央を見つめたまま動かないことに
気がつきました。
「・・・！」
「どっちか片方だけが頑張ってできるものじゃないわ。葵と姫川さん。２人が息を合わせなければ
絶対に成功しない」
「好恵さん・・・」
「分かりました。坂下さん・・・今の言葉、忘れません」
『第１ラウンド終了です！ 両者、下がってください！』
前半戦の終了が審判に宣言されました。
さっきの試合は綾香さんの闘い方よりも、セコンドのセリオさんに意識が向いていました。
「坂下さん、教えて下さい」
葵ちゃんと付き合いの長い坂下さんなら、きっと的確に答えてくれる。
そう思いました。
「その人の闘い方は、相手によって全然違うものなんですか？」
「そうね・・・。どっちかって訊かれたら、もちろん相手によって変わるわ。というより、変えないと
自分の動きを見破られてしまうものね」
「そう・・・ですよね・・・」
「だけど、全部が全部バラバラ、というわけではないわ」
「どういうことですか？」
『第２ラウンドを開始します！ 両者、前へ！』
審判が後半戦の開始を告げました。
「今日みたいに選手が他の選手の闘いを観戦できるような場合、リングに上がっている選手は目の前に
いる相手よりも、むしろ次の対戦者と闘っているわ」
「次の対戦者・・・ですか？」
「ええ。ここにいる選手の数はそう多くない。全員分の闘い方と行動の癖ぐらいは覚えられるわ。
そうして選手は次の対戦者に向けた対策を練る。つまり後になればなるほど、自分のスタイルが通用
しなくなってくるのよ」
「なるほど・・・。それはどんな小さなこともですか？」
「もちろんよ。自分の弱点や癖を知っている人なら、逆に他人の弱点や癖を見抜くことも簡単よ」
「難しいですね・・・」
「葵の一回戦、葵は自分の得意なスタイルで闘ってたのかしら？」
急に険しい表情を見せる坂下さん。
「はい。自分の試合ができた、って葵ちゃんも言ってました。ただ、最後にハイキックを決めようと
してたので、直前に止めたんです。その時は後のこととかあまり考えてなかったんですけど・・・」
「あなたの判断は正しかったわ。特にハイキックは動きが大きい分、見破られやすいのよ。
素質のある人なら、たった一回見ただけでもハイキックを避けられるようになるわね」
そこまで聞いて、あの時止めておいて本当に良かったと思いました。
「葵に得意な技がいくつかあるのは私も知ってるわ。最低２つは綾香戦のために残しておきなさい。
私は１ラウンドと２ラウンドで一回ずつ、確実に決まるところで使うのが効果的だと思うけど。
２ラウンド目の後半に一気に叩き込むという手もあるわ。葵の力を信じればね。だけど・・・・・・」
リング隅に藍沢さんを追い詰めた綾香さんが大きく振りかぶるのが見えました。
「最後にそれを決めるのは・・・・・・あなたよ」
「・・・はい」
『勝者、来栖川綾香！！』
審判の宣言に、両手を高く上げてアピールする綾香さん。
勝者にふさわしい威厳に満ちた姿でした。
「やるわね。それじゃ姫川さん、さっき言ったこと、忘れないでね」
戦いを見届けた好恵さんは、席を立ちました。
「あの・・・どちらへ？」
「自分のところに戻るだけよ。本当はここ、私の席じゃないのよね」
「そうだったんですか」
「ええ。あなたたちの姿が見えたものだからね」
反対側の観客席に向かう途中、
「２人とも、頑張ってね」
私たちに笑顔を見せてくれました。
後書き
実際の試合って、自分の番が終わってから次の番が回ってくるまでどのくらいの時間なのでしょうか。
そのあたりが曖昧で観戦する時間も長からず短からずの半端な点をとらざるをえません。
今回の話は好恵を登場させるためだけに書きました。
前々回でエクストリームの件でさんざん好恵を出していたので、登場の場を作る必要がありました。
観戦中に入ってくる、というのはありがちな展開ですが、セコンドもいるこの大会では妥当な出会い
ではないでしょうか。
ところで、次の回では時間を一気に飛ばして綾香さんとの決勝戦を考えています。
あと２回も似たような闘いの模様を書いても仕方がないし、その闘いでの秘密も好恵がアドバイスして
しまっているので、先の読める展開になってしまいます。
というわけで、次は何があっても対綾香戦を書きます。
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