意志−葵−



 休み明けの学校は体が疲れる。
前にクラスの子がそう話しているのを聞きました。
でも私はそうは思いません。
だって一日の始まりって、とっても気持ちがいいから。
晴れていればなおさらです。
でも、今日は違いました。
なんだか、朝から体がだるくていけません。
大会が近いっていうのに・・・。

 長かった授業が終わり、私がもっとも自分らしくいられる時間が来ました。
教室を出ると、琴音ちゃんが待っていてくれました。
「ここって、いつもホームルーム長いね」
「うん。先生が教室に来るのが遅いの」
「そうなんだ」
「あ、この前言ってた絵って、もう出来上がったの?」
「ううん、あともう少しなの。憶えててくれたんだ」
「だって早く見たいんだもん」
「ありがとう」
そんな話をしているうちに、神社に着きました。
青々としていた木の葉が赤や黄色に染まっています。
「それじゃ、準備するからね」
そう言って琴音ちゃんは、お堂の下にあるサンドバックに向き直りました。
そして両手を前に出すと、念じ始めました。
するとサンドバックが静かに浮き上がり、そのままふわふわと一番大きな木の根元まで移動しました。
横になっていたサンドバックがゆっくりと起き上がり、上昇を始めました。
ここからはより多くの能力が必要らしく、琴音ちゃんが一瞬息を止めました。
太い枝の少し下まで来たサンドバックは静止し、上部のチェーンが枝に巻きついていきます。
「ふう、これでいいかな」
「やっぱりいつ見てもすごいよ」
目の前で起こったことに、私は何度も感心させられました。
「ここまで出来るようになるのに、ずいぶんかかっちゃったけどね」
そう言って琴音ちゃんは小さく笑いました。
「それより、葵ちゃん。大丈夫なの?」
「えっ、何が?」
「なんだか顔が赤いけど・・・」
「そう? べつになんともないよ」
「それならいいけど・・・」
琴音ちゃんは何か言いたそうでしたが、私はそれを制止しました。
 10分ほどして、私は練習を始めました。
実戦に近い練習はできませんが、それでもサンドバックでの練習はかなり有効です。
自分の得意なラッシュを徹底的に鍛えることができますから。
「はあっ!!」
私のハイキックに、サンドバックがひときわ大きく揺れました。
右のハイキックは試合での切り札として積極的に練習しています。
左のジャブ、右のストレート・・・。
1発1発を正確に叩き込みます。
「残り30秒!」
後ろで時間を計っている琴音ちゃんの声が聞こえました。
その瞬間、私は宙を舞っているような奇妙な感覚に襲われました。
それに体も重い・・・。
フィニッシュを決めようと右腕を大きく振り上げたところで、私の目の前は真っ暗になりました。

 あれ・・・?
ここ、どこ・・・?
目が覚めると、いつもと違う風景が飛び込んできました。目の前には真っ白な天井が見えます。
しばらくして、ようやくここが保健室だと分かりました。
何度か利用したことはありますが、自分がそこのベッドに寝ているのが分かると、見慣れた保健室も
どこか知らない空間のように見えます。
「ん・・・・・・」
私は声にならない声をあげていました。
ちょっと頭が痛いかな・・・。
それに寝てるのにふらふらするような・・・。
「良かった・・・気がついたんだ」
声をかけられて、はじめて琴音ちゃんが横にいるのに気付きました。
「琴音ちゃん・・・私、どうして・・・?」
「練習中に倒れたところを、この子がここまで運んできてくれたのよ」
そう言いながら、校医の先生が保健室に入ってきました。
「ずいぶん無理したわね。ダメじゃない、そんな高熱で運動しちゃ」
「え・・・? 高熱って・・・」
「さっき測ったら40℃ちかくあったわよ」
「そんなに・・・?」
朝から体がだるいとは思っていましたが、まさかそんなに熱があるとは思いませんでした。
「急に倒れるんだもん。びっくりしちゃった」
「ごめんね、迷惑かけちゃって・・・」
「ううん」
少しぼやける視界に壁にかけてある時計が見えました。
「あ、もうこんな時間・・・」
私のつぶやきに琴音ちゃんも先生も同じように時計を見ました。
「ほんとだ」
「困ったわね、そろそろ保健室も施錠しないといけないんだけど・・・。姫川さんのお家って松原さんの
お家から遠いのかしら?」
「いえ、それほど遠くはありませんよ。葵ちゃんなら私が付き添って帰りますから大丈夫です」
「そんな、悪いよ。私1人で帰れるから・・・」
「先生も姫川さんに付き添ってもらったほうがいいと思うわ」
「でも・・・」
「でも、じゃないでしょ。途中で倒れたりしたらどうするの?」
「う、うん・・・」
琴音ちゃんに怒られるように言われて、私は素直に従うことにしました。
 ベッドから降りた途端に足元がふらつき、私はあわててベッドの縁につかまりました。
それを見ていた琴音ちゃんがすぐに私の体を支えてくれました。
「あ、ごめん・・・」
「やっぱり私が付いてたほうがいいみたい」
「うん・・・」
「それじゃ、先生。私たちはこれで失礼します」
「気をつけて帰るのよ」
「はい、さようなら」

薄暗い廊下を通って、私たちは学校を出ました。
学校から家までは歩いて15分くらいの距離です。普段ならなんでもない道のりも、熱がある時は一歩が
とても重く感じます。
「急に寒くなったからかな」
「え・・・?」
「葵ちゃんが体調崩しちゃったの」
「うん・・・」
たしかにここ数日、急に寒くなったような感じはしていました。
でも、このくらいのことで調子を崩していたら、秋のエクストリーム大会に万全の姿勢で挑むことが
できないかも知れません。
そのことが私を焦らせていました。
「あ、着いたよ」
考え事をしていたせいで、自分の家に着いたことに気付きませんでした。
「今日はほんとにありがとう」
「ううん、早く治してね。それじゃ、私はここで・・・」
「あ、待って。せっかくだから上がっていって」
「え、でも・・・」
「いいから。ね?」
「うん、それじゃ・・・」
ここまで付き添ってもらっておいて、そのまま帰すなんて私にはとてもできません。
「お母さん、ただいま」
玄関を開けると、温かい風が吹き込んできました。
「おかえり」
すぐに奥からお母さんが出てきました。
「あら、お友だち?」
「おじゃまします」
「寒かったでしょう。さあ、上がって」
「失礼します」
お母さんは琴音ちゃんを居間まで連れて行くと、私に言いました。
「どうしたの、葵? 顔が赤いわよ?」
「うん、ちょっと熱出しちゃって・・・」
「大丈夫なの?」
「うん、なんとか・・・」
「居間で休んでなさい。温かい飲み物でも入れてくるから」
「ありがと」
お母さんに促されて、私も居間のソファにもたれかかりました。
「葵ちゃんの家ってはじめて」
「そういえばそうだったね」
「熱はどう?」
「ちょっと楽になったかな」
5分もしないうちに、お母さんが飲み物を持ってきてくれました。
「はい。熱いから気をつけて」
「ありがとう」
「いただきます」
熱いココアが私の喉を潤しました。
「あなたが姫川さん?」
「え? あ、はい。はじめまして、姫川琴音といいます」
「葵から聞いてるわ。いつも葵を手伝ってくれてるんだってね。ありがとうね」
「いえ、そんな・・・たいしたことしてませんから・・・」
「葵が今もエクストリームを続けられるのは、あなたがいてくれたからこそだと思うわ。この子、こう
見えても寂しがり屋だから」
「お、お母さん・・・」
「さあ、葵は部屋で寝てなさい。いつまでたっても治らないわよ」
「うん、そうするよ・・・」
私はまだ少しふらつく足を引きずるようにして、自分の部屋に向かいました。
カバンを置くと、私は倒れるようにベッドに転がり込みました。
そのまま意識は遠のいて・・・・・・。

「葵、具合はどう?」
お母さんの声に私は目を覚ましました。
体が軽いような気がします。
めまいも感じません。
「うん、もう治ったみたい」
「そう、よかったわ」
お母さんもようやく安心したようです。
「姫川さん、ちょっと前に帰ったわよ。葵に無理しないように、って」
「うん・・・」
「優しいわね、あの子。いまどき珍しいくらいよ」
「琴音ちゃんにはいつも助けてもらってばかりだから・・・」
「いつかお返ししないとね」
「うん」
「明日も無理だと思ったら休みなさいよ」
「うん、ありがとう。でも、もう大丈夫だよ」
「どうする? 晩ご飯食べられる?」
「食べられるよ」
「じゃあ、お母さん、下で用意しとくから葵も後で降りてきなさい」
「わかった」
そう言ってお母さんは、部屋を出ていきました。
私もベッドから身を起こして部屋を出ます。
うん、大丈夫。体も軽いし、熱もないみたい。
体調を取り戻したことで、焦りや不安もなくなったような気がしました。
今、熱が出たくらいで寝込んでられない。
そのことだけが、今の私を奮い立たせています。
あと2週間あまり・・・。
それまでに私はやれるだけやろうと思っています。





   後書き

 葵ちゃんが病気で倒れる。
これを思いつくまで「意志」は書けませんでした。
最終的にエクストリーム大会のことが書ければ、それで第3部の主旨は達成したことになるのですが、
そこに至るまでの描写がどうしても必要でした。
タイトルの「意志」はケガをしようとも病に倒れようとも、ひとつの目標にひたすらに進みつづけると
いう意味を込めています。
かっこいい生き方ですね。
僕も真似したいと思います。
でもそんな考え方が、いつしか自分の視野を狭めていることもあるかも知れません。
それでは琴音ちゃん編も合わせてお楽しみください。



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