明光−葵−
どんな手で攻めてくるのか。
それを相手よりも早く正確につかむ事が、綾香さんに勝つためには必要不可欠です。
最初はあまり攻めずに。
第2ラウンド開始前に琴音ちゃんから受けたアドバイスでした。
相手が焦ったスキを突いて一気に勝負を決める。
格闘技を始めてそこそこ経ちますが、琴音ちゃんのように相手に合わせた具体的な戦術を立てるのは苦手です。
実際に相手を前にして闘っているわけじゃないのに、そこまで細かい作戦が立てられる琴音ちゃんを、私は
本当に尊敬しています。
「さあ、いくわよ!」
飛び込んできた綾香さんはわずかに右肩を下げた体勢。
上段回し蹴りだ!
それも単発じゃない。
思ったとおり、私の半歩前で綾香さんは目にも止まらないほどの速さで回し蹴りを繰り出してきました。
この動きは読めていたので、私は首だけを反らせてそれを避わします。
さらに上段蹴りのニ連撃。
これも予測していた行動です。
片手で軽く払いのけることができました。
「ふふ・・・・・・さすがは葵ね・・・・・・なんだか急に強くなった感じよ」
「綾香さんのおかげです・・・」
「あら、嬉しいこと言ってくれるじゃない」
綾香さんが再び構えました。
今度は打撃を中心に攻めてくるのでしょう。
「・・・・・・!」
一気に間合いを詰めてきた綾香さんの右腕が伸びました。
見える!
今まではこちらも何とか反撃しなきゃという焦りがあったために相手の攻撃が見えないこともありましたが、
冷静にさえなれれば避わせない攻撃はありません。
突き出された拳を自分の左腕を交差させるようにして押さえ込むと、私は右腕を思いっきり振り上げました。
予想外の反撃だったのか、大きく振り上げた腕はそのまま綾香さんの首筋に直撃しました。
「くっ・・・・・・」
よろけた綾香さんに得意のハイキックを放ちます。
しかし背を反らせた綾香さんには有効打にはなりませんでした。
でも、直撃こそしませんでしたが、かなりのプレッシャーを与えたハズです。
今のでかなり焦ったのか、十分な体勢を立てずに飛びかかってきました。
数歩分はなれたところから、綾香さんはひたすら連打を繰り返して私を圧倒しようとしてきました。
私はそれを紙一重で見切って避わします。
開始当初と違って、ヘンな緊張感や恐怖はありませんでした。
私は綾香さんに勝ちたい。
その想いだけでいっぱいでした。
琴音ちゃんの言うとおり、自分の攻撃がまったく当たらないことに焦りを感じているのか、次第に綾香さんの
攻撃は大振りになってきました。
このまま避けつづければ、痺れを切らして大きな隙を見せるかもしれない。
そう思いましたが、それを待っていては判定負けになってしまいます。
「どうしたの? 避けてるだけじゃ勝負にならないわよ?」
できるだけ早く、相手の隙を作るには――。
この方法しかない!
私はなおも連撃を繰り出す綾香さんを跳ねのけると、バックステップで距離を取りました。
そしてわざと。
格闘技の初心者でも分かるような派手なモーションで右腕を思いっきり前へ。
自分でもかなり大振りのパンチを繰り出したつもりです。
「葵ちゃんッ!?」
後ろで琴音ちゃんの驚いた声が聞こえました。
なんて無謀なことを・・・・・・琴音ちゃんはそう言っているに違いありません。
でも私にはこれしか思いつきませんでした。
私の右腕を綾香さんは片腕でブロックしました。
「く・・・・・・」
綾香さんの表情がわずかに険しくなりました。
モーションの大きい打撃は空振りしやすい反面、当たれば威力はかなりのものです。
そしてどういうわけか、綾香さんはそれを避けずに受け止めました。
私はもう一度、大振りの一撃を・・・・・・。
放とうとしたところで、綾香さんが懐に飛び込んできました。
「もらったわ!」
綾香さんの目は不敵に笑いましたが、次の瞬間には驚愕に変わっていました。
私は渾身の力を込めた右の一撃をわざとはずし、その勢いのまま背を向けました。
そしてさらに体を反転させ、裏拳を放ちます。
たしかな手ごたえがありました。
見ると、綾香さんはこめかみを押さえてジリジリと後退をはじめています。
「信じられない強さよ、葵・・・・・・どんな練習をしたのか知りたくなってきたわ。でも・・・・・・」
綾香さんが拳を握りなおしたのが見えました。
「本番はこれからよっ!!」
言ったと同時に飛び込んできた綾香さんは、いままでとは比べ物にならないくらいのスピードでした。
一直線に突き出された拳を避け、それを外側へ払いのけます。
その瞬間、視界から綾香さんの頭が消えました。
代わりに飛び込んできたのは、すらりと伸びた右足。
「うっ・・・・・・」
かろうじて直撃は免れましたが、まったく予想できなかった動きです。
極端に前屈みの姿勢から軸足を伸ばしながら、蹴り足を弧を描くように振り出す・・・・・・。
スコーピオンキックなんて初めて見た・・・・・・。
「かはっ・・・・・・!」
視覚よりも痛みが先に来ました。
真っ直ぐに伸びた腕が、私の腹部に突き刺さっていました。
私はかろうじてジャブの連打で追い討ちを避けることができましたが、さっき受けたブローがかなりの痛手に
なっていました。
こうなったら・・・・・・。
最初に琴音ちゃんが言ったとおり、攻撃をかわして活路を見出すしかない!
私は右に重心を傾け構えました。
綾香さんの打撃がきます。
一発一発は目で捉え切れないほどの速さです。
ほとんどは上半身を反らせるだけで避わせますが、避けきれない時はジャブで牽制してしのぎます。
自分では精一杯防いでいるつもりだけど・・・・・・。
でも明らかにさっきよりも動きが鈍っていることは分かっていました。
腹部からくる激痛が、私の動きを妨げていました。
何とか距離をとらないと・・・・・・。
「はぁっ!!」
私は意を決して、連撃を繰り出す綾香さんに回し蹴りを放ちました。
うまくいけば、攻撃の勢いを逆手にとることができるハズです。
「・・・・・・!!」
威力もスピードも全然足りませんでした。
綾香さんは怯むどころか、まったく攻撃の手を休めませんでした。
一瞬、視界が真っ暗になるのを感じました。
気のせいではありません。
ブロックしていたハズの腕がいつの間にか下がっていました。
手に、腕に、足に。
まったく力が入らなくなりました。
段々とぼやけてくる視界に、綾香さんが遠くに見えました。
もう・・・・・・からだがうごかない・・・・・・。
わたし、負けちゃうのかな・・・・・・。
そうなんだ。
私なんかが綾香さんに勝つなんて・・・思い上がりだったんだ・・・・・・。
綾香さんは天才だけど、わたしは違う。
私には才能がないんだから、どんなに努力しても負けて当然なんだ・・・・・・。
そんな風に考えると、なんだかすごく気持ちが楽になりました。
負けて当然。
負けて・・・・・・。
・
・
・
・
・
・・・・・・違う!
負けるんじゃない。
負けるためにここまで来たんじゃないんだ!
綾香さんの攻撃の手はまだ止まらない。
意識もほとんどなくなってきたけど・・・・・・。
だけど、わたしは綾香さんに勝ちたい!
そう思った時、全身に響くような衝撃の連続がとたんに途切れました。
綾香さんが遠ざかっていくのが見えます。
おそらくフィニッシュを決めるために、距離をとっているのでしょう。
満身創痍の私にはもう打開策はありませんでした。
何も考えることができなくなっていたのです。
「あおいちゃーーーーんッッ!!」
誰かが私を呼ぶ声が聞こえました。
気がつくと、私は別世界にいるようでした。
でもリングも審判も、見えるものは何も変わっていません。
前から琴音ちゃんが走ってきました。
「やったよ! 葵ちゃん、やったよ!!」
体にかかる重みに、琴音ちゃんが抱きついていることが分かりました。
やったって・・・・・・何を・・・・・・?
そう思った時でした。
リングの向こうに見えたもの・・・。
私は背伸びするような恰好で、琴音ちゃんの肩から覗き込みました。
綾香さんでした。
綾香さんが倒れているのが、ハッキリと見えました。
「勝ったんだよ! 葵ちゃん! 勝ったの!」
琴音ちゃんが私を抱きしめる両腕に力を込めました。
ちょっと苦しいです。
苦笑しながら、私は琴音ちゃんの言葉を繰り返していました。
勝った・・・・・・?
いま、勝ったって言ったよね・・・・・・。
リングの向こう側には、さっきの状態からまったく動かない綾香さんの姿があります。
勝ったって・・・・・・つまり勝ったってことだよね・・・・・・。
全てを理解した私は、全身から力が抜けていくのを感じました。
私が・・・綾香さんに・・・勝った・・・・・・?
背に回された感覚がなくなりました。
琴音ちゃんは私の両肩をつかむと、私に言い聞かせるように、
「綾香さんに勝ったんだよ・・・・・・」
と、誰にも聞こえないような声でつぶやきました。
その瞬間、私の頬を熱いものが流れました。
「お、おかしいね・・・・・・。嬉しいのに、涙が出るんだね・・・・・・おかしいね・・・・・・」
「おかしくなんかない。全然、おかしくなんかないよ」
涙が。
止めようとしても止まりませんでした。
私が綾香さんに勝てるなんて、夢にも思っていなかったから。
本当に・・・・・・。
「やったよ・・・・・・わたし・・・・・・やったよ・・・・・・」
「うん・・・よくがんばったね、葵ちゃん・・・・・・」
琴音ちゃんの言葉がいつまでも心に響きます。
「今大会の優勝者、松原葵選手に盛大な拍手をお願いしますッッ!!」
瞬間、会場はかつてない熱気に包まれました。
勝ったんだ・・・・・・綾香さんに・・・・・・。
私の胸に、ふたたび熱いものが込み上げてくるのを感じました。
「葵、おめでとう。やったわね」
「ありがとうございます!」
リングを降りた私たちを迎えてくれたのは好恵さんでした。
「姫川さん、あなたのサポートも的確だったわよ」
「いえ、私はただ・・・・・・」
真顔で言われ、琴音ちゃんの顔が赤くなりました。
「今にして思えば、一度でもあなたを引き止めた事が悔やまれるわ」
「好恵さん・・・・・・」
「葵にはエクストリームこそが相応しかったのね・・・」
好恵さんの目が潤んでいます。
その目が自嘲しているように見えました。
「坂下さん。たしかに結果を見れば、葵ちゃんは間違っていなかったと思います。でも・・・・・・」
琴音ちゃんの強い口調。
こういう時の彼女の言葉は、それだけで人を動かす力があります。
「今の葵ちゃんの基礎となったのは空手です」
反射的に琴音ちゃんを見る好恵さん。
私も同じです。
「だから、坂下さん。自分が間違っていたなんて思わないでください」
「姫川さん」
思いもよらない答えだったからでしょう。
好恵さんは何か決意したような表情で、じっと琴音ちゃんを見ていました。
「葵ちゃんがエクストリームを続けて、この試合で勝てたのは、私たちが何らかの形で葵ちゃんを応援できたから
だと思うんです」
琴音ちゃんが振り向いた時、リングからゆっくりと綾香さんが降りてきました。
その横ではセリオさんがふらつく綾香さんの体を支えています。
「綾香さんッ!」
「セリオ、もう大丈夫よ。葵、本当に強くなったわね」
「はい」
「まさか綾香が負けるなんてね・・・」
いつの間に拭いたのでしょうか、好恵さんはいつもの表情で綾香さんを睨みつけていました。
「ふふん。言っとくけどね、私が弱いから負けたんじゃないわ。葵が強かったから負けたのよ」
「どっちも同じじゃない」
「違うわ。葵は努力した、って言いたいの。私や好恵よりもよっぽどね」
「そうね・・・・・・」
二人が会った時はたいてい争いが絶えないのに、今日ばかりは険悪な雰囲気ではありませんでした。
「どう? あなたもエクストリームやってみない?」
「・・・・・・せっかくのお誘いだけど断らせてもらうわ。私は空手を極めるつもりよ。その時は・・・・・・こっちから
あなたたちに勝負を挑むわ!」
好恵さんは笑っていました。
「あら、いいわね。それじゃ私ももう一度特訓しなおさなくちゃね」
綾香さんも笑っていました。
そんな2人のやりとりを微笑ましげに眺める琴音ちゃん。
そして私にそっと、
「おめでとう」
そう言いました。
後書き
長かった対決篇もこれで完結。
これまでのお話は全て、この綾香戦のための材料的要素が強かったように思います。
その分、「明光」の文量そのものは最終話のわりに少なめでした。
というのは、一人称でのファイトシーンが書きづらかったためです。
他人称なら「BATTLE GROUND」のように客観的に動きを描写することができますが、闘っている本人の
視点では思うように書けないのです。
さらに1話目から、地文末が「〜です」「〜ます」という、いわゆる敬体なので、なおさら格闘の動きを描写するのが
難しいのです。
こういうちょっと百合っぽい話は書いていて楽しいのですが、いつのまにかアイデアばかりが先走っていて
完成してみるとワンパターンになっていることが多いですね。
まだまだ改善すべき点は数多くありますが、「出会い〜」から始まった一連のお話もこれで終わりです。
最後の最後、琴音ちゃん編もお楽しみください。