初戦−葵−



 よし、準備は万端だ。
適度なアップで体を温めた私は、ベストの状態で臨めると確信しました。
一回戦の相手は矢追知美さん。
私・・・私たちに不利な点は、相手が初参加だということだけです。
戦い方が分からない相手に、どういう戦術をとればいいのか。
それさえ分かれば、随分と有利になります。
「松原葵さん、時間です。こちらへ・・・」
控え室に来た係の人が私を誘導しました。
「葵ちゃん、いよいよだね」
「うん」
私もそうだけど、琴音ちゃんが緊張してる。
声で分かりました。
琴音ちゃんには黙ってたけど・・・。
本当に全力で闘えるか不安でした。
だって私には昔から・・・。
誘導された先には、まばゆいばかりのスポットライトが当てられたリングがあります。
『松原葵選手の入場です』
アナウンスが私を呼んだ瞬間、私の体を稲妻のようなものが駆けた気がしました。
改めて見渡すと、観客の多さに圧倒されそうになりました。
『対するは矢追知美選手』
向こう側から来た私の対戦相手、矢追さんは私とは違って堂々と歩いてきます。
体格だけ見れば、私とほぼ同じです。
ただ、私のように空手をベースにしているのか、それとも全く別の格闘技を使って闘うのか。
それだけは見た目に分かるものではありません。
「葵ちゃん、がんばってね」
「うん、大丈夫」
少し後ろで琴音ちゃんが言いました。
琴音ちゃんはセコンドなので、リングの外で待機です。
「両者、前へ」
リング中央の審判の声で、私は軽く拳を握ると、リングへ上がりました。
「ルールの確認をします。試合は3分間の2ラウンド制。KO、もしくはTKOで終了します」
私の胸を早鐘が打ちます。
「肘、額の使用、顔面に対するヒザの使用、および倒れた相手への打撃技を禁止とします」
矢追さんは油断なく私を見据えています。
「始めッ!!」
審判の言葉とほぼ同時に、私の体は前面へと直進していました。
最も得意とする打撃を、相手よりも先に叩き込むためです。
「葵ちゃん、ダメッ!!」
その声に私は慌てて一歩退きました。
矢追さんが右腕を大きく振りかぶったのが見えました。
もう少し反応が遅れていたら、今の一撃をまともに受けていたでしょう。
再度距離をとって、相手の出方を見ます。
リングを迂回するように矢追さんを見ているうち、相手の弱点が見えたような気がしました。
もしかしたら・・・。
私は頭の中で出来上がりつつある展開が、実際に起こるかどうか試すことにしました。
右腕を下げ、体をわずかに左に傾けます。
そして足は少しずつ、分からないほど少しずつ近づいて・・・。
すると、私の間合いのぎりぎり外から矢追さんが素早いストレートを放ってきました。
私はそれを上半身だけでかわします。
やっぱり・・・。リーチは私より少しだけ長い。
だけど今の動き、無駄が多すぎる。
もう一度誘発できれば・・・。
相手に大振りの一撃を出させるため、作戦を変えることにしました。
ストレートが届くかどうかのギリギリまで移動すれば・・・。
「第1ラウンド終了です! 両者、下がってください!!」
私の作戦が実行される前に、1ラウンドが終了してしまいました。
額に流れる汗を拭いながら、私はコーナーに戻ります。
「ふう・・・」
「葵ちゃん、大丈夫?」
「うん。何とかね」
私のため息を、琴音ちゃんは不安の表れだと感じたのでしょう。
私と矢追さんを交互に見ています。
でもさっきのため息は、その全く逆です。
本当は・・・作戦を見抜かれなくて良かったという安心からでたものです。
もしあそこで矢追さんが私の作戦に気付いていて、そのまま2ラウンド目が始まってしまったら、
あの戦術は使えなくなります。
それにしても・・・。
試合での3分間は意外に短く感じられます。
2ラウンド目の3分間で勝負をつけなくてはなりません。
「葵ちゃん。私、ちゃんとしたアドバイスできないけど・・・」
「・・・?」
「あの人が打ってくる時、いつも動きが少しだけ止まってる気がするの」
「動きが?」
「う、うん。なんていうか、確かめてから打ってるみたいに感じた」
さっきの3分間で何度か相手の動きを探ろうとしてたけど、その動きが止まるということには全く
気がつきませんでした。
「ごめんね、こんなアドバイスしかできなくて・・・」
「ううん! すごいよ、琴音ちゃん」
「え・・・?」
「実際に目の前で私が見ても分からなかったもん。それを見つけてくれたんだから」
「第2ラウンドを開始します! 両者、前へ!」
審判の声で、私は再びリング中央へ戻りました。
途中、振り返ってセコンドにウインクしてみせます。
「始めッ!」
今度はこっちからしかけます。
1ラウンドで、向こうが数回打ってきている以上、さっきと同じ闘い方では判定で負けてしまいます。
矢追さんが積極的に向かってきました。
私はやはり体を左に傾けて迎え撃ちます。
そして私の手が届くかどうかのところで、矢追さんが右ストレートを放ってきました。
私はそれを余裕で避けてみせます。
やっぱりそうだ、間違いない!
矢追さんの戦い方の癖。
相手を絶対に近づけないようにするのが矢追さんの戦法のようです。
それに、ストレートが繰り出される瞬間、私ははっきりと確認しました。
矢追さんの動きが止まるのを。
琴音ちゃんの言ったとおりだ!
この弱点がそのまま残っているということは、セコンドはそれに気付かなかったということでしょう。
私は右ストレートをかわすと、わざと半歩だけ後ろに下がりました。
この位置は、矢追さんの腕が何とか届く距離です。
思ったとおり、いい位置に来た私に矢追さんは再び右ストレートを打ってきました。
モーションが大きすぎます。
今度は後ろに避けずに、相手の左側に滑り込みます。
そして間髪入れず、打撃を叩き込みました。
「くっ!!」
矢追さんがバランスを崩しました。もちろん、私はその隙を逃したりはしません。
ガードが空いた上半身に十数発のジャブを繰り出します。
彼女の目はすでに私を見ていません。
「今は使っちゃダメッ!」
とどめの一撃を放ちかけた私を琴音ちゃんが制止しました。
一瞬、動きが止まってしまった私に矢追さんがまたしてもストレートを打ってきました。
パターンの決まった攻撃を難なく避け、私はボディに彼女と同じ右ストレートを叩き込みました。
驚くほどきれいに決まった一撃に、矢追さんの体はリングに沈みました。
審判がかけよります。
そしてダウンを確認すると、私の腕をとり、
「勝者! 松原葵!!」
そう宣言しました。
「やったぁーー!!」
琴音ちゃんの声は一回戦を終えた私の耳にはっきりと聞こえました。

「葵ちゃん、やったね!」
リングを降りた私を琴音ちゃんが迎えてくれました。
「うん。まだ一回戦だけどね」
「それでもすごいよ」
控え室に戻った私は、ほてった体を冷ましました。
「葵ちゃんがハイキックを使おうとしてたから焦っちゃった」
「え・・・?」
「だってあれは葵ちゃんの秘密兵器だもん。一回戦で使っちゃもったいないし、それに・・・」
「?」
「他の相手に見破られちゃうかも知れないしね」
対戦表を見ていた目をこっちに戻して、琴音ちゃんが笑いました。
「琴音ちゃんがセコンドになってくれてほんとうに良かった・・・」
「え? どうしたの急に・・・」
さっきの戦いを思い返しながら、私は思ったままのことを口にしていました。
「相手の動きの特徴をすぐに見つけてくれたよね」
「当然だよ、私にできることはそれぐらいだから」
「それが凄いと思う」
「どうして?」
「だって矢追さんが私にしかけてきたのって、2、3回だよ? それだけで見抜けるなんて、なかなか
できないよ。すぐ目の前で戦ってる私にだって分からなかったもん」
「そうかな・・・」
「それに・・・」
ラストの琴音ちゃんの制止が、頭の中を何度もめぐります。
「私がハイキックで決めようとしてた時も、すぐに止めてくれたし」
「練習の時、いつも見てたから」
そういうことをさらっと言ってのける琴音ちゃんが凄いと思いました。
だって技を出す前にそれを見切るなんて、そう簡単にできることじゃないから。
「ちょっと軽はずみだったかな、って反省してる」
「え? ううん、そういう意味で言ったんじゃないよ! だけど・・・」
「分かってる」
琴音ちゃんは私を勝たせてくれる。
私はそう確信しました。
私を理解してくれる人だから・・・。
良いところも悪いところも公平に見てくれるから。
何より、私を応援してくれるから・・・。
だから絶対に勝つんだ。
綾香さんにだって勝ってみせる。
絶対に・・・。





   後書き

 いよいよ始まりました。
葵ちゃんにとっての一回戦は、もちろん勝たなくてはいけません。
本当の試合時間は5分ですが、都合上、3分にしました。
5分は文章にするととても長く、地文が続きそうになかったからです。
牽制とかが続く、比較的ゆるやかな試合展開をわざわざ何行も使って表現しなくてもいいかな、と
書いていてそう思いました。
対戦相手の数も細かいカードも決めませんでした。
どこで誰と誰が戦っていようと、流れにはそれほど影響はしないからです。
なにせ最後は葵ちゃんと綾香さんの決戦なのですから。
 ちなみに一回戦の相手である“矢追知美”は、某格闘ゲームからとった名前です。
さて、何でしょうか?
それでは琴音ちゃん編もお楽しみください。



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