焦燥−琴音−



 昨日はお母さんに怒られちゃったな。
お父さんは許してくれてたみたいだけど・・・。
でも、連絡しなかったのは私だし・・・。
まあいいか。次からは気をつけよう。

「具合はどう?」
「うん、ありがとう。大丈夫だよ」
葵ちゃんの顔色は昨日に比べてずいぶん調子が良さそうでした。
声にもすこし元気が戻っているようです。
「昨日はごめんね。迷惑かけちゃって・・・」
「またそんなこと言う。友だちでしょ?」
「うん、でも・・・」
「友だちだったら、そんなことは気にしないの」
「うん」
ほんと、葵ちゃんって変なところに気を遣うんだから。
友だちを助けるのに理由なんていらないよ。
そのことに気付かせてくれたのは、葵ちゃんなのですが・・・。
本人はそう思っていないみたいですね。
「あ、もうこんな時間。職員室行ってくるね」
不意に葵ちゃんが立ち上がりました。
「呼ばれてるの?」
「うん」
「何か悪いことでもしたの?」
先生に呼ばれるなんて、よほどの理由がないかぎりありません。
「し、しないよそんなこと・・・」
葵ちゃんは慌てて否定しました。
「ふふ、冗談」
私だって本気で葵ちゃんを疑ったりはしません。
先生に怒られる理由なんてありませんから。
「じゃあ、また放課後にね」
「えっ? 今日は休むって・・・」
「大丈夫だよ。もう元気だもん」
それだけ言って、葵ちゃんは職員室に行ってしまいました。
本当に大丈夫なのかな・・・?

 昼食を終えた私は、食堂を出たところで声をかけられました。
「やっぱり姫川さんだったのね」
振り向くとそこには坂下さんが立っていました。
「あ、こんにちは」
「久しぶりね」
「はい」
坂下さんは怖い人。そんなイメージがありましたが今ではそんな先入観を持っていたことを恥ずかしく
思います。
「どう? 調子は」
「ええっと・・・まずまずといったところでしょうか・・・」
「何かあったのね?」
「はい・・・」
さすが坂下さんです。きっと私の答えを聞く前からそう思っていたのでしょう。
「よかったら聞かせてくれない?」
「はい。あ、向こうに座りませんか?」
「そうね」
私たちは中庭のベンチに座りました。
「前から思ってたんですが・・・この頃はとくに無茶をするんです」
「なるほどね」
私がこれまでのことを大まかに言うと、坂下さんは遠くを見てうなずきました。
「昨日だって本当は熱があるのに無理に練習して、部活中に倒れてしまったんです」
私の言う事を坂下さんはずっと聞いてくれました。
「あの子、もともと努力を苦とも思わないのよ。それで一生懸命になる。よく言えば一途だわ」
「はい」
「でも悪く言えば頑固ね。それは自分のことを過小評価しているからだわ」
「何とか葵ちゃんを休ませる方法はないでしょうか・・・」
「そうねえ・・・」
言ったきり、坂下さんは黙り込んでしまいました。
「大会も近いし、なおさら焦ってしまう時期よね。葵もそのことは充分わかってるハズよ。きっと・・・
きっと、言葉で言ってもダメだと思うわ」
「そう・・・ですか・・・」
え・・・?
もしかして・・・。
「あの、坂下さん?」
「あなたが考えてるとおりよ。ひっぱたくくらいしなくちゃ、葵は気付かないでしょうね。ってそんなの
あなたにはちょっと無理なアドバイスよね」
「いいえ、そんなことありませんよ」
話を聞いてもらっただけでも、ずいぶんと気が楽になりました。。
「そう? まあ、また何か葵のことで困ったことがあったら、いつでも私に言いなさい。
その時はできるだけ力になるわ」
「はい。ありがとうございます」
話し終わると、坂下さんはさっさと校舎に入っていきました。

 いつもより少しだけ長いホームルームが終わりました。
6時間目が移動教室だったため、クラスの皆が集まるのが遅かったからです。
教室を出ると、先に葵ちゃんが待っていました。
「今日はめずらしく早く終わったから」
私の顔を見て、そう言いました。
「ううん、そうじゃなくて・・・」
「・・・?」
「今日のクラブは・・・お休みしなくていいの?」
「え? うん、大丈夫。もう治ったから。ありがとう」
「うん・・・」
安心させるためにそう言ったのでしょう。私は葵ちゃんがウソをついたりごまかしたりする時に見せる
小さな癖を見逃しませんでした。
早足で歩く葵ちゃんが、何か焦っているようでした。
考えがまとまらないうちに神社に着いていました。
「それじゃ私、準備するね」
そう言ってお堂に向き直ったものの、いつものように能力を使う気にはなれませんでした。
もしここで、練習の手伝いになるようなことをしたら・・・。
「琴音ちゃん。もしかして能力が・・・」
「・・・葵ちゃん」
こういうことはハッキリと言わなければ、葵ちゃんは分かってくれないでしょう。
「やっぱり、今日の練習はやめよう・・・」
「え・・・?」
考えてみれば私から練習をやめるように言うのは、これが初めてのことでした。
「能力が使えなくなったんじゃないの・・・?」
「能力? ううん、使えるよ」
使わなかったことを、使えなくなったと思っているようです。
やっぱりちゃんと説明しないといけません。
「今日の練習はやめておこうよ」
「大丈夫だよ。もう治ったんだから・・・」
なおも無理をしようとする葵ちゃんに、私の手はすでに動いていました。
パァン!!
「え・・・?」
自分でも驚くくらい大きな音でした。
私に頬を叩かれた葵ちゃんは何が起こったのか、まだ分かっていないようです。
「ちっとも治ってないじゃない! 体震えてるの、分からないの!?」
「え、でも・・・」
「でもじゃない!! どうしてそんなに無理するのっ!?」
「・・・・・・」
「自分の体のことは自分がいちばんよく分かってるでしょ!? そんなに焦ったって、何にもならない
んだよっ!?」
私の言っていることがよく分からない。そんな顔をしていました。
「この前だって無茶して倒れたでしょ! それで試合でいい結果が残せると思ってるの!?」
「・・・そう・・・だけど・・・」
違う。全然分かってない。
曖昧に返事してるだけ。
「葵ッ!!」
我慢できず、私はもう一度叫んでいました。
「焦る気持ちは分かるよ。痛いほど分かる。私だってそうだったから・・・。でもね・・・」
いつの間にか、以前の自分とを重ね合わせていました。
「そのせいで体に疲れが溜まって、そのままの体で試合に出たら・・・本当に全力で闘えると思う?」
「・・・ううん・・・」
「そんな状態で闘ったら葵ちゃんは絶対に後悔すると思う。もちろん私だって・・・後悔する葵ちゃんは
見たくないから・・・」
誰だって・・・友だちのそんな姿は見たくないはずです。
「だから私、決めたの」
本当に、たった今決めたことでした。
「私、葵ちゃんのトレーナーになる」
「ええっ!?」
「もう10日ぐらいしかないけど。練習のペースとかは私が考える」
「え、でも・・・」
「迷惑?」
少しだけ拗ねたように言ってみると、葵ちゃんは慌てた様子で否定します。
「え? ううん、全然迷惑じゃないよ! でも、本当にいいの?」
「私がやりたいって言ってるんだから、それでいいの。それに・・・」
私は葵ちゃんに背を向けて言いました。
「昨日みたいに無理して倒れられたら困るもん」
葵は誰にも迷惑をかけないように何でも自分で何とかしようとする。
坂下さんがそう言っていたのを思い出しました。
2人は・・・今は空手とエクストリームで舞台は違いますが、いつ頃から格闘技をやるようになった
のでしょうか。
「ありがとう・・・」
ふとそんなことを考えていると、後ろから消え入りそうな声が聞こえました。
「伝わったよね・・・私の気持ち・・・」
「うん・・・」
頬が・・・葵ちゃんの左頬が赤く腫れていました。
「ごめんね・・・」
「えっ・・・?」
「痛かったでしょ・・・?」
「あ・・・」
「でも・・・こうでもしないと葵ちゃん、聞いてくれそうになかったから・・・」
「痛かったよ、すごく・・・」
や・・・やっぱり・・・。
でも格闘家の葵ちゃんが痛いっていうくらいだから、そうとう強かったのかも。
もしかしたら私にもそういう素質があったりして・・・。
「ごめん・・・」
「今まで何度も試合で殴られたけど、さっきのがいちばん痛かった・・・」
そう聞いて、葵ちゃんの痛みがただ叩かれたからではなく、心に対しての痛みだと分かりました。
「でもあれは、トレーナーからのメッセージだと思ってる」
「葵ちゃん・・・」

大会まであと10日。
本当は最後の調整としてこれまで以上に練習しなければならないのでしょうが、葵ちゃんの体調が
元に戻るまではお休みです。
さすがに葵ちゃんも私の言いたい事が分かったらしく、練習したい衝動を抑えて休養しています。
常にベストの状態で臨む。
トレーナーになってから、私が最初に言ったことでした。
そうすれば・・・絶対に後悔なんてしないから・・・。





   後書き

 似たような話ばかりですが、第3話です。
早く綾香を登場させたいのですが、そこに至るまでの話が長すぎてなかなか思うようにいきません。
ところで頬って叩かれたら痛いのでしょうか?
僕は叩かれたことないから分かりませんが、手の甲をつねられるより痛そうです。
もし頬を思いっきり叩かれるとしたら・・・それはどんな場合なのでしょうか。
異性にしつこく付きまとった末に・・・?
ちょっとドキドキするシチュエーションですね。



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