出発−葵−
気がつけば、９月ももう終わろうとしていました。
夏休みの思い出といえば、ひたすらエクストリームに打ち込んでいたこと以外ありません。
季節は秋。いよいよエクストリームの大会が始まります。
今までの練習の成果を試す絶好の機会です。
そして、そのエクストリームチャンピオンは・・・。
「残り３０秒！」
後ろで琴音ちゃんが言っているのが聞こえました。
その声に、私はペースを上げました。
２５・・・２０・・・。
小刻みに体を左右に揺らしながら、リズムを取ります。
左のジャブ、右のストレート、直後に上段回し蹴り。
これが私の最も得意とするコンビネーションでした。
実戦でも、かなり有効な組み合わせです。
「葵ちゃん、フィニッシュ！！」
その言葉とほぼ同時に、私はハイキックをサンドバックに叩き込みました。
サンドバックがひときわ大きく揺れました。
それにしがみつくようにしながら、私は呼吸を整えます。
「すごいよ、葵ちゃん！ 前よりもずっと速くなってる！」
琴音ちゃんが駆け寄ってきました。
「うん。でも、まだまだこんなのじゃ・・・」
まだ少し揺れるサンドバックを見ながら私が言うと、
「悲観的になりやすいのが葵ちゃんの悪い癖だよ。もっと自信を持たなきゃ」
「うん、そうだよね。うん」
私の欠点を知っている友達が、そう言いました。
あれからもう、４ヶ月近くが経ちました。
琴音ちゃんの超能力の練習はまだ続いています。
といっても、コントロールできていないわけではありません。
能力のコントロールに成功したと聞いたのは、２ヶ月ほど前のことでした。
ボールだけでなく、相当な大きさや重さのものまで、自由に動かすことができるようになったのを、
私は知っています。
おまけに、どんなに能力を使っても眠くならないそうです。
それを聞いた時、私は本当に嬉しくなりました。練習の成果が出たのももちろんですが、それ以上に
琴音ちゃんが見せてくれた笑顔がとても嬉しかったのです。
でも正直、サンドバックを持ち上げたのには驚きました。
つい最近までボールしか動かせなかったのに、ある時突然、サンドバックを持ち上げたのです。
私を驚かせようとして・・・らしいですが。
８月頃になって、琴音ちゃんは私の練習を手伝ってくれるようになりました。
能力の練習もそれほど必要なくなったから、と琴音ちゃんは言いましたが、本当は私を気遣ってくれて
いるのは分かっていました。
「どうしたの？」
不意に訊かれました。
「え、あ、うん。もうそろそろ始めようかと思って」
「でも、もうこんな時間だよ。今日は終わりにした方がいいと思うけど」
琴音ちゃんが腕時計を私に見せながら言いました。
「そうだね。今日は終わりにしよっか」
「うん」
私が言うと、サンドバックが浮き上がり、そのままお堂の縁の下まで移動していきました。
琴音ちゃんの能力です。
コントロールできるようになってからは、サンドバックを片付ける時はいつもこうでした。
たしかに４０キロ近くもあるサンドバックを片付けるのは大変ですから、これには感謝しています。
「暗くなるの、早くなったね」
「うん・・・」
「エクストリーム大会までもうすぐだね」
「うん、頑張らないと」
「綾香さんに追いつくためにね」
私の憧れの人、来栖川綾香さん。
エクストリームを始めたのも、綾香さんに追いつきたかったからでした。
このクラブを始めた時、私は悩みました。
憧れの人に追いつきたいから・・・そんな個人的な身勝手な理由でクラブを作ってもいいのか。
そんなわがままに、いったい誰がついて来てくれるんだろう。
それに、充分な練習道具も場所もないのに、本当に強くなれるんだろうか。
いろんなことが私を悩ませました。
その悩みを断ち切って、一緒に前に進んでくれたのが琴音ちゃんでした。
「それじゃ、私はこっちだから」
「うん、またね」
「明日くらいは休まないとだめだよ」
「うん・・・そうする」
「絶対だよ」
琴音ちゃんは念を押すようにそう言って、駅の方へ歩いていきました。
明日って日曜日だよね・・・。
日曜日か・・・特別何かしようって気にならないなあ・・・。
休日だというのに、私はいつもの時間に目を覚ましました。
時計を見ると、朝の６時を少し過ぎたくらい。
ジョギングの時間です。
私ぐらいの女の子なら、こんな時間にジョギングなんてそうはできないでしょう。そういう点でも、私は
周りに比べてすこし変わってるかもしれません。
軽く朝食を摂って、外に出ました。
秋の風が体をほどよく刺激します。
こうやって体を動かしている時が、いちばん私らしいと思っています。
だって、こんなに楽しいんですから。
いつものコースを２０分かけて、ジョギングは終わりました。
家に帰ると、お母さんがパンを焼いてくれていました。
「もうすぐ、お前の言っていたエクストリーム大会だな」
新聞を読みながら、お父さんがそう言いました。
今日は日曜日なので、仕事はお休みです。
「うん。もう３週間もないよ」
「そうか。お父さんもお母さんも応援してるからな」
「ありがとう」
私はテーブルに置いてあったパンを食べながら言いました。
「そういえば、葵。今日の練習はどうするの？」
今度はお母さんです。
「やらないつもりだけど」
「そう」
ちょっと笑った風にお母さんが答えました。
「だったらお部屋の掃除でもしたら？ ちょうどいいじゃないの」
「うん。そうする」
顔を洗ってから、私は自分の部屋を掃除することにしました。
女の子らしいものは何も置いていないけど、けっこう散らかってるなあ。
机に置いてあるキツネのぬいぐるみを見ながら思いました。
２時間ほどかけて、掃除が終わりました。
全然勉強していないことが分かる机の上もきれいに片付け、ようやく学生・・・女の子らしい部屋に
なりました。
ようやく一息ついて時計を見ると、すでに午後１時。
時計の針を見ていて気付きました。
今からどうしよう・・・。
とりあえず部屋のお掃除は終わったけど、他にすることが思いつきませんでした。
やっぱり、ひとつしかないのかなぁ・・・。
カバンを手に取り、タオルを入れようとして思い出しました。
『明日くらいは休まないとダメだよ』
昨日、琴音ちゃんが言ったことでした。
私の体を気遣って言ってくれたのでしょうが、やっぱり今の私にはエクストリーム以外考えられません。
琴音ちゃんの気持ちはすごくうれしいけど・・・でも、ごめんね。
カバンを背負って部屋を出ると、
「やっぱり、そうなると思ったわ」
目の前にお母さんが立っていました。
「やっぱりって？」
「大会前に葵が練習しないわけないもの」
「あ・・・」
「気をつけて行きなさいよ」
「うん、行ってきます」
私は元気よく家を飛び出しました。
もちろん行き先は、学校裏の神社です。
お堂の下からサンドバックを取り出し、一番大きな木の枝にかけます。
これだけでも結構な運動量です。
ウレタンナックルをはめて、構えをとります。
サンドバックを使っての練習は手軽にできる分、大きな欠点があります。
それは実戦的な動きができないこと。その場に静止するサンドバックを相手にしていては、実戦での
対戦相手への対処ができません。
止まっている目標へ攻撃するだけでは、試合にはあまり役に立たないのです。
そのうえ今日は、自分で時間を計らないといけません。
いつのまにか琴音ちゃんに時間計測してもらうのが、当たり前になっていました。
それに部員も増えないまま・・・。
でもこれは仕方がないと思います。
夏休み前くらいから、私たちはクラブの勧誘をしなくなりました。
『本当に興味がある人なら、誘わなくても来てくれるよ』
ある時、琴音ちゃんがそう言ったからです。
もうアピールは充分したから後は待とう、ということでした。
でも、それは本意じゃない。
そのことに気付いたのは、彼女が私の練習を手伝いたいと言った時でした。
大事な大会を前にして、私に練習に集中できるようにと、わざと言ってくれたのです。
私は琴音ちゃんのさりげない優しさに心から感謝しました。
その優しさに応えるためにも、精一杯がんばらないと・・・。
その日の練習は夕暮れまで続きました。
ついこの間までこのくらいの時間ならまだ明るかったのに、今は陽が落ちるのがずいぶん早くなりました。
今ごろは綾香さんも大会に向けて練習してるんだろうなあ・・・。
少し前まで、綾香さんと同じ舞台に立てるなんて夢にも思っていませんでした。
彼女が空手を辞めると言った時、私も好恵さんもエクストリームへ転向することを止めました。
『いつか、エクストリームの大会で闘いたいわね』
あの時の言葉は好恵さんに言ったものなのか、それとも私に言ったものなのか、それは今になっても
分かりません。
見ていて下さい、綾香さん・・・。
私は・・・私は絶対にあなたに追いついてみせます。
後書き
前回から季節はガラリと変わって、秋。
劇中ではエクストリーム大会が開催されるころです。
そこで葵ちゃんにも大会に出てもらうことにしました。
ラストはもちろん、綾香との決勝戦を予定していますが、どうなることやら分かりません。
葵ちゃんのセコンドは決まっているのですが、綾香のセコンドを誰にするか・・・。
もしかしたらセリオが登場するかも知れませんね。
さて、今回は１話目から２人の視点がバラバラになっています。
大きな展開と多くのきっかけを作るには、どうしても２人を引き離さなければなりませんでした。
まあ、それだけのことなのですが・・・。
それでは、琴音ちゃん編もお楽しみください。
戻る