対決−葵−

 

 ここまで来られたなんて夢みたい・・・・・・。
最後の対戦カードを見て、私の胸を熱いものが駆け抜けるのを感じました。
とうとう・・・とうとうこの時が来たんだ・・・。
初参加の私が、まさか決勝まで勝ち残れるなんて・・・。
本当に夢みたいで、今だに信じられません。

 控え室にいても、何だか落ち着きませんでした。
あと10分もすれば決勝戦が始まります。
体は十分に温めておいたから、後は気持ちを平静に保つだけ。
なのに、私の体は無意識のうちに小刻みに震えてしまいます。
「落ち着いて・・・」
見かねた様子の琴音ちゃんが、言葉どおり私を落ち着かせるような声で言いました。
「う、うん。大丈夫だよ」
声がうわずっていることが、ウソである何よりの証拠でした。
「・・・なんて言っても、無理だとは思うけど・・・・・・。まだ時間はあるから・・・」
「うん・・・」
答える声がか細くなってしまいます。
「わたし・・・・・・」
「うん・・・?」
「なんだか、自信なくなってきちゃったみたい・・・・・・」
絶対に言わないでおこうって思ってたのに・・・。
琴音ちゃんの前でだけは弱音は吐かないって決めてたのに。
いざ綾香さんとの対決を前にすると、気分が沈んでしまうのはなぜでしょうか。
「怖い・・・?」
「・・・うん・・・・・・」
迷った末に私は答えました。
本当は怖いなんて思っちゃいけないんだ。
それどころか喜ばしいことのハズなのに。
「相手があの綾香さんならね・・・仕方ないと思うよ・・・」
意外にも琴音ちゃんは私を叱ったりはしませんでした。
もしかしたら決勝戦のセコンドという立場に琴音ちゃんも不安なのかもしれません。
そう思ったのは、口調がいつもよりも弱々しく感じられたからです。
「不安なのは分かるし、仕方のないことだと思う。だけど・・・」
言いかけた時、
「松原葵さん、姫川琴音さん、時間です。そろそろ準備を・・・」
いつもの人が私を呼びに来ました。
「あの、すみませんが・・・。もう少しだけ待っていただけませんか?」
琴音ちゃんが懇願するように言いました。
係の人はしばらく考えた風で、やがて、
「分かりました。5分程度ですが・・・それまでに準備をお願いします」
と言いました。
「ありがとうございます」
係りの人がいなくなるのを待ってから、
「葵ちゃん、次の試合で闘う相手は誰?」
「え・・・?」
私は一瞬、何を言われているのか分かりませんでした。
「答えて」
「・・・綾香さん」
「そう・・・。それじゃあ、その綾香さんの闘う相手は?」
「わたし・・・・・・」
そうだ・・・。
次の試合は、私と綾香さんの闘いなんだ。
「それを言わせたかっただけ」
私の顔を覗き込むようにして琴音ちゃんが笑いました。
説得されたわけではありませんし、慰められたわけでもありません。
ただ当たり前のことを口にしただけなのに。
それが琴音ちゃんからのものだと、どうしてこんなに元気になれるのでしょう。
いままで何度もこの笑顔に支えられて、助けられてきました。
今日だって・・・・・・。
「ちょっと元気でてきたかな・・・」
照れ隠しにそう言いました。
「それとね、もうひとつ言っておくことがあるの」
今度は琴音ちゃんは真剣な顔で言いました。
「な、なに・・・?」
格闘家とはまた違った迫力に、私は気圧されるかたちになりました。
「さっきはあんな事言ってたけど」
「あんなこと・・・?」
「自信がないって」
「うん・・・」
突然、琴音ちゃんが両手で私の肩をはさむようにつかみました。
「葵ちゃんはとっても強いんだよ」
「え・・・?」
私はあまりに真剣な口調とその様子から、目を背けることはできませんでした。
「葵ちゃんは強い。それは私が保証する」
「琴音ちゃん・・・」
「練習、ずっと見てたから。だから分かるの。葵ちゃんはとっても強いって」
「でも、綾香さんには・・・」
私がどんなに頑張ったところで、どんなに強くなったところでそれ以上に綾香さんが強くなれば、その差は広がる
だけです。
「簡単に勝てるんなら、綾香さんは目標にはならなかったハズだよ。葵ちゃんが目標にするくらいの人なんだから、
負けても仕方がない、っていうくらいの気持ちで闘わなきゃ」
琴音ちゃんは少しでも私の気持ちを和らげようと、言葉を選んでそう言ってくれました。
「だからって消極的に、っていうわけじゃないよ。葵ちゃんらしく闘うことが大切だと思うの」
「私らしく・・・闘う・・・?」
「そう。相手が誰であっても、葵ちゃんは自分のスタイルで闘うのが一番だよ」
琴音ちゃんに言われて、私は今まで自分らしく闘ってきたか、思い返してみました。
わたしは・・・わたしらしく・・・・・・?
「そんなに難しく考えないで。いつも通りでいいんだよ」
「いつもどおりで・・・?」
「そう。ヘンに肩肘張ったり緊張したりしたら、実力が出せないよ」
琴音ちゃんに言われると自信が湧いてきます。
それでもまだ少し、不安がっていると、
「大丈夫。私がついてるから」
吸い込まれそうな瞳で私を見つめました。
私は大きく頷きました。
「行こう!」
琴音ちゃんが差し出した手をしっかりと握ると、私たちは歩き出しました。

『ついに始まります、最終戦!! 登場するのは、もちろんこの方! 百戦錬磨の前年度チャンピオンッ!!
来栖川綾香選手ですッ!』
リングの向こう側、控え室につながる通路から綾香さんがゆっくりと歩いてきます。
その後ろではセコンドとしてセリオさんが観客席に向かって深々とお辞儀をしています。
アナウンスが綾香さんを呼んだだけで会場はどよめきましたが、綾香さん自身が現れたことで場はさらに熱気に
つつまれました。
『対するは初参加で驚異的な強さを見せた、松原葵選手です!』
「頑張ってください」
係の人が耳打ちするように言ってくれました。
笑顔で応えると、私たちは光の輪の中へ飛び込みました。
本当にここまで来られるなんて思ってなかった・・・・・・。
エクストリームで綾香さんと闘えるなんて・・・・・・。
『綾香ッ! 綾香ッ!』
観客席から聞こえる声は綾香さんへと注がれています。
「両者、前へ!」
審判に言われ、私はリングのコーナーに上がりました。
「葵ちゃん、自分らしくだよ」
「うん、大丈夫」
後ろにいる琴音ちゃんに応えると、私は今から闘う相手に向き直りました。
「葵・・・。とうとうここまで来たのね・・・」
「綾香さん・・・」
「嬉しいわ。エクストリームで葵と闘えるなんて。夢みたいよ」
「私もです。自分が信じられません」
すると綾香さんはフッと笑って、
「そういう気持ちでいるうちは、私には勝てないわよ?」
すぐに格闘家の鋭い眼で私を見ました。
私も覚悟を決めて構えをとります。
審判が私と綾香さんを交互に見て、大きく頷きました。
「始めッ!!」
合図とほぼ同時に、綾香さんはまっすぐに飛びかかってきました。
私に反撃させないままに終わらせるつもり・・・・・・いいえ。最初からそれを狙っているとは思えません。
しかし予想に反して、綾香さんは猛攻をしかけてきました。
「葵ちゃん、気をつけて!!」
琴音ちゃんが言いましたが、私は綾香さんの攻撃を防ぐだけで精一杯でした。
攻め方はストレートだけという単調なものでしたが、一撃が非常に重くときおりガードした腕にしびれが走ります。
ナックル越しだというのに、気を抜くと弾き飛ばされそうなほどの衝撃です。
このままでは何の反撃もできないまま終わってしまう!
攻撃のほとんどが上段に偏っていることに気付き、左ストレートがとどく直前に私は身を屈めました。
空振りした隙をついて、今度はこちらもストレートを叩き込みます。
完全に虚を突いたはずなのに、綾香さんは見切っていたかのように防ぎました。
「強くなったわね。でもその程度じゃ、まだまだ私は倒れないわよ?」
そうは言いながらも警戒しているのか、綾香さんは今度は後退をはじめました。
この機を逃すまいと、小刻みのパンチで追い討ちをかけようとしましたが、
「避けてっ!」
という突然の言葉に、私は反射的に上半身を反らせていました。
その咄嗟の行動が正しかったと分かったのは直後でした。
私の目前で、綾香さんの放った回し蹴りが空を切ったからです。
なんとか寸前で避けることができましたが、もし直撃していたら・・・。
と、考える間もなくラッシュが浴びせられました。
ジャブを中心とした連撃です。
綾香さんにしては動きが直線的で、私にも余裕で防ぐことができます。
これならいける・・・!!
私はこのラッシュの中で規則的に来る大振りの攻撃を外側に払うと、ローキックを放ちました。
綾香さんの意識は上段に集中していたので、これはかなり効果がありました。
予想していなかった反撃に明らかに動揺しているようです。
今度は距離をとろうと後ろにさがりはじめました。
それを逃さず、今度はこちらから攻撃をしかけます。
直感的に打った右フックは止められ、続く左ストレートは余裕でかわされました。
が、最後に放った裏拳が信じれないことに綾香さんのこめかみに直撃しました。
「や、やるわね葵・・・! 思った以上に強くなってるわ」
ふぅ、と小さく息をもらして綾香さんの私を見る目が変わりました。
「私は・・・後悔しないように闘うだけです」
「ふふ・・・。そういうところは変わってないわね・・・・・・行くわよッ!」
綾香さんの鋭いハイキック!
私はそれを飛びのいてかわします。
「まだまだ!」
これは予測していた行動らしく、私が態勢を整える前にストレートを繰り出してきました。
速いっ!?
だけど反応できないほどの速さじゃない。
身をひねってそれを避けると、私はミドルキックに賭けました。
・・・・・・!?
いとも簡単に右手で払われ、私はバランスを崩しました。
綾香さんはそのまま右手を滑らせての裏拳で攻めるつもりです。
今度は私が左腕で受け止めます。
やや軸をずらせて防いだため、衝撃はありません。
「うっ・・・・・・!?」
みぞおちに走った痛みが、何によるものか分かりませんでした。
「葵ちゃんッ!!」
名前を呼ばれて、初めて綾香さんのストレートが突き刺さっていることに気付きました。
かなりムリな姿勢から放ったおかげで、威力はそれほどでもありませんでしたが、それでも気を抜くとその場に
蹲りそうになります。
「なっ・・・・・・!?」
無意識のうちに、私はストレートを打ったままの綾香さんの左腕をとっていました。
そしてそれを自分の体の方へ引き寄せ、綾香さんの態勢に無防備な状況を作り出しました。
「ぐっ・・・・・・」
次の瞬間には、私の最も得意な技――ハイキックが彼女の首筋に決まっていました。
そのままダウン・・・と思いましたが、さすが綾香さん。片膝をついた姿勢で留まりました。
しかし、このチャンスを逃したりはしません。
綾香さんが体勢を立て直す前に、私は素早く踏み込みました。
できることなら、この前半で勝負をつけておきたいと思いました。
正直、第2ラウンドでは勝てないような気がします。
こんな技・・・やったこと無いけど・・・・・・。
今ならできそうな気がする!!
私は踏み込んだ左足で地についた綾香さんの膝に飛び乗り、その勢いを利用しての蹴りを放ちました。
「がはっ・・・・・・!」
不安定な状態からのキックでしたが、綾香さんの左肩にかなりのダメージを与えることができたハズです。
私がさらに追い討ちをかけようとしたその時、
「第1ラウンド終了ッ! 両者、下がってください!!」
審判の声が遮りました。
私は肩で息をしながらコーナーへ戻りました。
途中、後ろを振り返ると綾香さんもふらつく足取りでコーナーへと戻っていきました。
「葵ちゃん、すごいすごい!!」
いつものように琴音ちゃんが私の体を拭いてくれます。
「あんな技、初めて見たよ」
「うん。私もびっくりしてる・・・・・・」
「さっきのハイキックだって、綺麗に決まってた。もう不安はないよね?」
琴音ちゃんがちらっと綾香さんを見て言いました。
そのしぐさを見て気づきました。
きっと琴音ちゃんはどっちも応援してるんだって。
”葵ちゃんらしく闘うことが大切だと思う”
そう言っていたのを思い出しました。
「うん・・・大丈夫・・・」
本当に、心からそう思いました。
「それに葵ちゃんには切り札があるしね」
「ええっ? そんなのないよ?」
「ほら、この前言ってた・・・・・・」
「ムリだよ、そんなの。簡単にできることじゃないし・・・」
「でもチャンスがあれば積極的に狙ってもいいと思うよ」
「そう・・・かなぁ・・・」
「そうだよ。それと・・・」
「・・・?」
「綾香さんへの対抗策が見つかった気がするの」
「ええ? 本当に?」
疑っているという意味じゃなくて、そんなに早くに見つかったということに対する驚きでした。
「絶対ってわけじゃないけど。あのね、綾香さんに先に攻撃させるの」
「先に?」
「そう。それを葵ちゃんが避け続けるの。綾香さんが焦ってスキだらけになる。そこを狙って」
琴音ちゃんの言っていることは分かります。
それが正しい判断だということも。
「綾香さんの弱点は唯一そこだけだよ。ハッキリ言ってそれ以外だと、今の葵ちゃんには勝つのは難しいと思う」
「・・・本当にハッキリ言うね・・・・・・」
「あ、そういうつもりじゃないの! でもそれが一番有効だと思う」
「第2ラウンドを開始します! 両者、前へ!!」
琴音ちゃんがそう言った時、審判が第2ラウンドの開始を告げました。
「ありがとう!私、絶対勝ってみせるから!」
「葵ちゃん、がんばって!」
後ろで琴音ちゃんの声援を受け、私は再びリングに上がりました。
この雰囲気には未だに慣れないけど・・・。
向こう側で綾香さんもリングに上がってくるのが見えました。
その時、
「葵ッ! 葵ッ!!」
観客のそんな声が聞こえてきました。
さっきまでは試合に集中していたから気付かなかったのでしょうか。
開始時には綾香さんへの声援しかなかったのに・・・・・・私も認められてるってことなのかな?
「葵・・・聞こえるでしょ、この声・・・・・・」
「はい」
「この周りの声援が私を強くしたのよ。それは今でもそう。だけど、もう違う。いまや観客が求めているのは私の
チャンピオン保守なんかじゃない。あなたの勝利よ」
「綾香さん・・・・・・?」
「だから・・・・・・全力でいかせてもらうわよ!!」
綾香さんの目は。
今まで私が見たことのない、チャンピオンに相応しい格闘家の目でした。
以前の私ならこの目に睨まれただけで震えていたかもしれない。
だけど今はちがう。
私はゆっくりと構えて、綾香さんの攻撃を待ちました。






   後書き

 綾香との対決は2話続きです。
この話では綾香が弱すぎるのではないか? と思われた方が多いのではないでしょうか。
しかし、これは葵ちゃんの成長の表れを描いた結果なのです。
秋の大会だというのに、葵ちゃんがまるで歯が立たないようなら練習の成果は? ということになりますからね。
それにしても、実際の試合の動きを書くのはムズカシイです。
この文章からでは到底想像はつかないでしょうが、動きとしてはマ○リックスのイメージなんです。
特定の拳法というわけではないですが、相手の高速パンチやキックを片手だけで捌いてしまうような、そんな
ハデなアクションのつもりなんですが・・・・・・。
そういう動きは文字で表すのが非常に困難ですね・・・。
というわけで話は琴音ちゃん編に続きます。

 

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