対決−琴音−

 

 葵ちゃんが綾香さんと対決する。
それは信じられないことでした。
葵ちゃんのこれまでの頑張りから、きっと勝ちつづけるとは思っていましたが。
私は葵ちゃんが納得のいく戦いをするなら、たとえ一回戦で負けてもいいと思っていました。
練習の成果を発揮するのが目的ですから、勝ち負けは関係なかったのです。
でも私が信じられないのですから、本人はもっと驚いているでしょう。

 控え室で待機している間が長く感じられました。
10分後には決勝戦が始まります。
ふと葵ちゃんを見ると、難しい顔をして考え込んでいるようでした。
よく見ると、彼女の体が小刻みに震えているのが分かりました。
「落ち着いて・・・」
その言葉の半分は自分にも言い聞かせるためでした。
セコンドである私までもが不安がっていたら、葵ちゃんだって力を発揮できません。
「う、うん。大丈夫だよ」
その声は弱々しくて、とてもこれから決勝戦に臨むような強さは感じられませんでした。
「・・・なんて言っても、無理だとは思うけど・・・・・・。まだ時間はあるから・・・」
そうは言ってみたものの、時計を見るともうそれほど余裕はありませんでした。
「うん・・・」
消え入りそうな声でした。
「わたし・・・・・・」
「うん・・・?」
何か思いつめているような、そんな様子でした。
「なんだか、自信なくなってきちゃったみたい・・・・・・」
「怖い・・・?」
「・・・うん・・・・・・」
やっぱり・・・。
なんとなくそんな気がしていました。
自分がこれまで目標としていた人と戦うのですから。
そういう感情を抱くのは当然だと思います。
そういえばずっと前、葵ちゃんから聞いたことがありました。
空手をやっている時から、本番になるとあがり症のために実力を発揮できなかった、と。
普段の葵ちゃんからはそんな様子は全く感じられなかったのですが、いざ試合の、綾香さんとの対決となると、
押し寄せる緊張は計り知れないものなのかもしれません。
「相手があの綾香さんならね・・・仕方ないと思うよ・・・」
だからと言って、それを理由に戦わないとなれば、これまでの努力は何の意味も持たなくなってしまいます。
「不安なのは分かるし、仕方のないことだと思う。だけど・・・」
言いかけた時、
「松原葵さん、姫川琴音さん、時間です。そろそろ準備を・・・」
いつもの人が私たちを呼びに来ました。
「あの、すみませんが・・・。もう少しだけ待っていただけませんか?」
何とかもう少しだけ時間を作ってあげたい。
今の状態で葵ちゃんをリングに上がらせるのは危険だと思ったからです。
私の考えを悟ってくれたのでしょうか、
「分かりました。5分程度ですが・・・それまでに準備をお願いします」
係の人はそう言ってリングの方へ去っていきました。
「ありがとうございます」
私はあの人の心遣いに感謝しました。
「葵ちゃん、次の試合で闘う相手は誰?」
「え・・・?」
私の突然の問いに、葵ちゃんはキョトンしたまま動きません。
「答えて」
「・・・綾香さん」
「そう・・・。それじゃあ、その綾香さんの闘う相手は?」
「わたし・・・・・・」
そう言ったところで、葵ちゃんの目がわずかに輝きを取り戻しました。
「それを言わせたかっただけ」
ここまで来たら、もう遠まわしに葵ちゃんを勇気づけるのは無理だと思いました。
誰と誰が戦うのか。
それを率直に認識させるのが大事だと思ったからです。
「ちょっと元気でてきたかな・・・」
葵ちゃんは恥ずかしそうにそう言いました。
「それとね、もうひとつ言っておくことがあるの」
「な、なに・・・?」
「さっきはあんな事言ってたけど」
「あんなこと・・・?」
「自信がないって」
「うん・・・」
葵ちゃんの両肩を挟むようにつかむと、
「葵ちゃんはとっても強いんだよ」
「え・・・?」
おまじないと言うのでしょうか。
手っ取り早く葵ちゃんに自信を取り戻される方法です。
「葵ちゃんは強い。それは私が保証する」
「琴音ちゃん・・・」
「練習、ずっと見てたから。だから分かるの。葵ちゃんはとっても強いって」
「でも、綾香さんには・・・」
「簡単に勝てるんなら、綾香さんは目標にはならなかったハズだよ。葵ちゃんが目標にするくらいの人なんだから、
負けても仕方がない、っていうくらいの気持ちで闘わなきゃ」
ダメです。まだ納得している顔ではありません。
「だからって消極的に、っていうわけじゃないよ。葵ちゃんらしく闘うことが大切だと思うの」
「私らしく・・・闘う・・・?」
「そう。相手が誰であっても、葵ちゃんは自分のスタイルで闘うのが一番だよ」
それが綾香さんに対する礼儀だとも思えたからです。
「そんなに難しく考えないで。いつも通りでいいんだよ」
「いつもどおりで・・・?」
ちょっと言い方が難しかったかな?
私の言おうとしていることは大体伝わってると思うけど・・・。
「そう。ヘンに肩肘張ったり緊張したりしたら、実力が出せないよ」
それでも、まだ葵ちゃんの表情はなにかを不安がっているようでした。
まったく・・・・・・。
「大丈夫。私がついてるから」
そう言って、私は強引に葵ちゃんの手を引っ張りました。
「行こう!」
つないだ手に葵ちゃんがしっかりと答えてくれたことを感じながら、私たちはリングへと歩き出しました。

『ついに始まります、最終戦!! 登場するのは、もちろんこの方! 百戦錬磨の前年度チャンピオンッ!!
来栖川綾香選手ですッ!』
リングの向こう側、控え室につながる通路から綾香さんがゆっくりと歩いてきます。
その後ろではセコンドとしてセリオさんが観客席に向かって深々とお辞儀をしています。
アナウンスが綾香さんを呼んだだけで会場はどよめきましたが、綾香さん自身が現れたことで場はさらに熱気に
つつまれました。
『対するは初参加で驚異的な強さを見せた、松原葵選手です!』
「頑張ってください」
係の人がそっと耳打ちするように言ってくれました。
笑顔で応えると、私たちは光の輪の中へ飛び込みました。
とうとうここまで来たんだ・・・。
最初、トレーナーになる、なんて言った時は正直、その役目の重さに押し潰されそうになったこともあったけど。
今までの苦しさや努力はこの瞬間のためにあるのだと思うと、自然と体が蒸気してくるのを感じます。
『綾香ッ! 綾香ッ!』
それにしても、観客席の熱狂ぶりも凄いです。
葵ちゃんも出てるのに・・・。
「両者、前へ!」
審判に言われ、葵ちゃんはリングのコーナーに上がりました。
「葵ちゃん、自分らしくだよ」
「うん、大丈夫」
そう言う葵ちゃんの眼は、間違いなくひとりの格闘家としての眼でした。
「葵・・・。とうとうここまで来たのね・・・」
「綾香さん・・・」
「嬉しいわ。エクストリームで葵と闘えるなんて。夢みたいよ」
「私もです。自分が信じられません」
心なしか葵ちゃんの声が震えているに感じました。
「そういう気持ちでいるうちは、私には勝てないわよ?」
綾香さんは一瞬笑ったかと思うと、突然厳しい眼で葵ちゃんを睨みました。
やっぱり、場慣れというか自信の違いからなのか、精神面では綾香さんの方が上のようです。
でも実戦の実力なら葵ちゃんだって負けていないハズです。
だって、毎日あんなに練習したんだから。
「始めッ!!」
審判の合図とほぼ同時に、綾香さんは突然飛びかかって来ました。
これは決勝戦でとるような戦い方ではありません。
「葵ちゃん、気をつけて!!」
そう叫んだころには、すでに葵ちゃんは防戦一方になっていました。
ストレートだけの単純な攻撃の繰り返しなのに、葵ちゃんは避けることも反撃することもできません。
それほど重くて速い一撃だということなのでしょうか。
だからといって、葵ちゃんも無抵抗だというわけではありませんでした。
上段のストレートを身を屈めてかわすと、同じようにストレートで反撃します。
「強くなったわね。でもその程度じゃ、まだまだ私は倒れないわよ?」
それをあらかじめ知っていたように、軽く防ぐ綾香さん。
これはチャンピオンとしての素質でしょうか。
後退を始めた綾香さんに、葵ちゃんはパンチで牽制しながら近づいていきます。
「避けてっ!」
頭で考えるより先に言葉が出ました。
綾香さんの放った回し蹴りが葵ちゃんのギリギリの位置をかすめました。
もう少し遅れていたら・・・・・・。
綾香さんの攻撃はこれでは終わりません。
目で追えないほどのラッシュです。
全く隙のないように思えた綾香さんの攻撃を葵ちゃんは冷静にかわし、大振りの一撃をなぎ払うとローキックで
反撃にでました。
この行動は予想できなかったのでしょうか。
綾香さんはまともにその直撃を受け、わずかに焦りの色が見えたような気がしました。
今度は葵ちゃんが攻める番です。
右フックは受け流され、続く左ストレートは避けられてしまいました。
しかし、最後に放った裏拳は綾香さんのこめかみに直撃しました。
その反動で綾香さんの体がぐらつきます。
「や、やるわね葵・・・! 思った以上に強くなってるわ」
そう言う綾香さんは、この闘いを心の底から楽しんでいるように見えます。
「私は・・・後悔しないように闘うだけです」
「ふふ・・・。そういうところは変わってないわね・・・・・・行くわよッ!」
瞬間、綾香さんはハイキックを放っていました。
傍から見れて、見惚れるくらいに美しいフォームです。
「まだまだ!」
とっさに飛びのいた葵ちゃんに、さらに数発のストレートが襲いかかります。
その完璧なコンビネーションにも驚きますが、それをかわし続ける葵ちゃんにも驚きます。
身をひねることで攻撃を避けると、葵ちゃんのミドルキックが綾香さんに直撃。
・・・・・・ダメです。今のは完全に押さえられました。
防御した腕で反撃?
ミドルキックを完全に制した綾香さんの右腕は、そのまま裏拳となって放たれました。
かろうじて左腕で受け止めた葵ちゃんでしたが。
その直後でした。
「うっ・・・・・・!?」
「葵ちゃんッ!!」
私は思わず叫んでいました。
あの体勢からどうやったのかは分かりません。
綾香さんのストレートが葵ちゃんのみぞおちに食い込んでいました。
葵ちゃんの表情が苦痛にゆがみます。
「え・・・・・・?」
私は目を疑いました。
いつの間にか、葵ちゃんはストレートを放ったままの綾香さんの腕をしっかりと掴んでいました。
そして自分の方に引き寄せると、首筋めがけての強力なハイキック!
完全に虚を突かれた綾香さんはその場に崩れ落ちました。
激しい攻防の中で、初めて綾香さんが片膝を地につけました。
しかし今の一撃は足や腰への打撃ではなかったので、すぐに立ち上がってくるハズです。
突然、葵ちゃんが綾香さんめがけて跳びかかりました。
ウソ・・・・・・!?
私は今見たものが信じられませんでした。
片膝をついた、その膝に飛び乗った葵ちゃんは、説明しようのないキックを浴びせたのです。
瞬間的に上体を反らせた綾香さんに決定的な打撃はなかったようですが、それでも左肩にかなりのダメージを
与えたハズです。
その瞬間、
「第1ラウンド終了ッ! 両者、下がってください!!」
審判の声で、第1ラウンドが終了。
葵ちゃんも綾香さんも、足を引きずるようにしてコーナーに戻りました。
「葵ちゃん、すごいすごい!!」
葵ちゃんの体を拭きながら、さっき見た技を思い出しました。
「あんな技、初めて見たよ」
「うん。私もびっくりしてる・・・・・・」
「さっきのハイキックだって、綺麗に決まってた。もう不安はないよね?」
「うん・・・大丈夫・・・」
まだ少しぎこちなさの残る応え。
でも葵ちゃんには、もうさっきみたいな怯えはありません。
「それに葵ちゃんには切り札があるしね」
「ええっ? そんなのないよ?」
「ほら、この前言ってた・・・・・・」
「ムリだよ、そんなの。簡単にできることじゃないし・・・」
「でもチャンスがあれば積極的に狙ってもいいと思うよ」
「そう・・・かなぁ・・・」
「そうだよ。それと・・・」
「・・・?」
「綾香さんへの対抗策が見つかった気がするの」
「ええ? 本当に?」
「絶対ってわけじゃないけど。あのね、綾香さんに先に攻撃させるの」
「先に?」
「そう。それを葵ちゃんが避け続けるの。綾香さんが焦ってスキだらけになる。そこを狙って」
この闘い、綾香さんにとっては葵ちゃんとの対決でもあるけど、それ以前にチャンピオンを守りきれるかどうか。
綾香さんを奮い立たせているのは、そんな周りの期待もあると思いました。
だったら、当然焦りもでてくる。
自分の攻撃が当たらないとなれば、綾香さんだって焦燥に駆られるハズです。
「綾香さんの弱点は唯一そこだけだよ。ハッキリ言ってそれ以外だと、今の葵ちゃんには勝つのは難しいと思う」
「・・・本当にハッキリ言うね・・・・・・」
「あ、そういうつもりじゃないの! でもそれが一番有効だと思う」
「第2ラウンドを開始します! 両者、前へ!!」
今回だけは、セコンドタイムが短いような気がしました。
「ありがとう!私、絶対勝ってみせるから!」
「葵ちゃん、がんばって!」
プレッシャーをかける声援かもしれないけど。
でも私にできる精一杯の応援でした。
葵ちゃんがリングに上がると同時に、綾香さんもリングに上がります。
その時、
「葵ッ! 葵ッ!!」
観客の熱援に変化が起こりました。
さっきまでは、綾香さんに対する声援だったのに・・・・・・。
今は観客の視線は、チャンピオンと対等に闘える葵ちゃんに注がれてる。
「葵・・・聞こえるでしょ、この声・・・・・・」
「はい」
「この周りの声援が私を強くしたのよ。それは今でもそう。だけど、もう違う。いまや観客が求めているのは私の
チャンピオン保守なんかじゃない。あなたの勝利よ」
「綾香さん・・・・・・?」
「だから・・・・・・全力でいかせてもらうわよ!!」
セリオさんが何か助言したのでしょうか?
今の綾香さんの言葉に何かひっかかるものを感じました。
それに、あの目・・・・・・。
覚悟を決めたような。
そう思った時、綾香さんが攻撃をしかけました。





   後書き

 葵ちゃん編の後書きでアクションシーンを書くのは難しいと書きましたが、それを見ている側から書くのは
さらに難しいです。
これが他人称ならもう少し分かりやすく書けたと思うのですが・・・・・・。
こんなので次の対決シーンを表現できるのか・・・心配になってきました。
ともあれ、次回でいよいよ2人の決着がつきます。
今だかつてない激しい攻防。
そういうハデな動きを描いてみたいものです。
 それでは次回もお楽しみください。

 

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