初陣−葵−



 こんなに大きなところだったなんて・・・。
まだ試合も始まっていないのに、私は会場の広さに飲み込まれそうになりました。
「すごいね・・・」
「うん・・・」
ドームの中央に見えるリングは、テレビで見た時よりもはるかに大きく見えました。
ここで・・・ここで試合するんだ・・・。
「葵ちゃん、とりあえず控え室に荷物、置きにいこうよ」
「あ、うん。そうだね」
声をかけられるまで、私は夢の中にいるような気分でした。
 受け付けで名前を確認してもらった私たちは、ドームの中にある控え室へと向かいました。
簡単なトレーニング用の道具が置いてある以外は、どうということのない部屋です。
私は持っていたカバンをおろすと、改めて部屋を見渡しました。
「控え室ってもっと広いと思ってた」
「私も」
「葵ちゃん」
「?」
「体調はどうなの?」
「うん。琴音ちゃんのおかげで万全だよ」
「よかった」
そう言う琴音ちゃんは本当に安心したようでした。
「あ、そうそう。さっきプログラムもらってきたよ」
そう言いながら琴音ちゃんが冊子を開きました。
プログラム・・・?
琴音ちゃんが開いたページを見せてくれました。
そこには大会のルールや諸注意などが書かれていました。
「対戦相手とか分かるのかな?」
私が言うと、琴音ちゃんはすぐにそのページをめくり、
「私たちの試合は・・・2時間後だね」
対戦表を指差して言いました。
「相手は矢追知美・・・だって。知ってる?」
「ううん、知らない。私みたいに今年から参加する人かな?」
「違うでしょ?」
「え? 前も出てたの?」
「そうじゃなくて。“私みたいに”じゃなくて“私たちみたいに”でしょ? だってこれは私たちの試合なんだから」
そうだった・・・。
私ひとりが闘うんじゃないんだ。
私たちの試合。琴音ちゃんはそう言いました。
「うん。そうだよ、そう」
そう言って笑ってみせました。
「葵、いる〜?」
その時、聞き覚えのある声が私の名前を呼びました。
この声は・・・。
「綾香さんっ!?」
控え室に入ってきたのは綾香さんと、見慣れない女性でした。
「久しぶりね、葵。元気してた?」
「あ、はい! 綾香さんこそ」
「私はいつだって元気よ。・・・あら?」
「えっ?」
突然、綾香さんが琴音ちゃんの方を向きました。
「あなた、たしかこの前、河原で絵を描いてた子よね?」
「あの時の・・・あなたが葵ちゃんの言ってた綾香さんだったんですね!」
「え、琴音ちゃん。どういうこと?」
初対面のハズなのに、どうして知ってるんでしょうか。
「いつかの日曜日にね、河原で絵を描いてたことがあるの。その時、綾香さんと話したの」
「すごくきれいな絵描くのよ。えっと、そういえば名前を知らなかったわ」
「姫川琴音です」
そう言うと、琴音ちゃんはぺこっと頭を下げました。
「私は来栖川綾香。よろしくね」
それにならって綾香さんも頭を下げます。
「綾香さんと琴音ちゃんが知り合い同士・・・」
意外でした。
2人がすでに会ってたなんて・・・。
「姫川さん、もしかして葵のセコンド?」
「あ、はい。そうです。頼りないセコンドですけど」
「そんなことないよ。すごく頼りにしてる」
だって、私がここまで来られたのは・・・。
「だったら私のセコンドも紹介しなくちゃね。セリオ」
「はい」
綾香さんと一緒に入ってきた女性・・・セリオさんと呼ばれた人が会釈しました。
「HMX−13 セリオと申します。本日は綾香お嬢様のセコンドという形で参加させて頂きました」
深々と丁寧に頭を下げるセリオさん。その容姿にどこか見覚えがありました。
「ねえ、葵ちゃん。あの耳のところの・・・」
「うん。あれってマルチちゃんと同じやつだよね?」
われて見覚えのある理由がやっと分かりました。
セリオさんの耳の部分には、マルチちゃんのと同じようなものが付いていたのです。
「それにしても・・・ついに葵と闘えるのね」
「まだ早いですよ。私が決勝戦まで残れる可能性なんて・・・」
「今からそんなことでどうするのよ?」
「そうだよ。もっと自信持たなきゃ」
少し消極的になってしまった私を、2人が否定しました。
エクストリーム。憧れの舞台。
でも、いざその場に来てみると、恐ろしく大きなプレッシャーがのしかかってきたような気がしました。
だけど・・・。
ここまで来たんだもんね・・・。
「さて、と。私たちはそろそろ戻るわね」
「え? あ、はい!」
綾香さんとセリオさんは外に出ました。
その途中、振り返って、
「姫川さん。葵のこと、よろしくお願いね」
いつか私に見せたような、優しい顔で言いました。
「はい!」
琴音ちゃんも普段以上の声で返しました。

 観客席に着くと、私を呼ぶ声が聞こえました。
「葵、こっちこっち!」
お母さんです。隣にはお父さんもいます。
「あ、お母さん」
私たちはその隣の空いている席に座りました。
「こんにちは。あ、初めまして。姫川琴音です」
そういえば、お父さんには会ってなかったんだよね。
「君が姫川さんか。葵がいろいろと迷惑をかけて済まなかったな」
「迷惑だなんて・・・。葵ちゃん、本当に凄いんですよ」
「ああ、君のおかげだ」
「ところでお父さん、仕事はいいの?」
「娘の晴れ舞台だぞ。今日ぐらい休みだ」
そういうお父さんは、空手の大会の時にもいつも休んでくれていました。
「こんにちは、松原さん」
私の名前を呼んだのは、見慣れない人でした。
「え、あ、こんにちは。えっと・・・?」
「私のお母さんだよ」
「え?」
琴音ちゃんのお母さんを見たのは初めてです。
すごく綺麗・・・。
髪型は琴音ちゃんと同じ長髪。
その瞳はすごく優しくて吸い込まれそうなほどでした。
お母さんがこんなに綺麗だから、琴音ちゃんもそれを受け継いでるんだな。
「琴音から松原さんが試合に出るって聞いたから」
「ありがとうございます」
でも、琴音ちゃんのお母さんまで来てるなんて・・・。
なおさら・・・負けられないよね・・・。
 10分もすると、ドーム内のどよめきがだんだんと小さくなっていくのを感じました。
「そろそろ一回戦が始まるのかな?」
時計を見ながら琴音ちゃん。
「みたいだね。あ、ほら」
私が指差した先、選手入場口から、長身の女性が現れました。
遠目からでも分かる腕の筋。きっともの凄い練習を積んできたんだろうな。
それにあの目。当たり前だけどすごい闘志を感じる。
横を歩くセコンドの目にはそんな選手がどんな風に映ってるんだろう・・・。
反対側から現れた選手も負けず劣らずの体格でした。
背が高いということは、足技では有利です。
でも両方ともが長身だから・・・。
勝負は最後まで分かりません。
審判がリング中央に立ちました。
両選手にルールの説明をしているようです。
今さら聞かなくても分かっている、といった様子の選手はお互いに相手を睨みつけたまま動きません。
「始めッ!!」
その合図で観客席が喚声にわきました。
同時に両選手が先制攻撃をしかけようと、急接近しました。
その行動が私には無謀に思えました。どんな格闘技でも、相手の出方が分からなければたとえプロでも
思わぬ痛手を受けてしまいます。
敵の力を知らずに自分の手の内を見せてしまうことは、即敗北につながります。
そう思っていました。
ところが・・・。
猛攻を繰り出すだろうと思っていた片方が、相手の2歩ほど手前で立ち止まり、そのまま向かってきた
相手に強烈な右ストレートを叩き込みました。
自分の走る勢いをそのまま衝撃に換えられた選手は、反撃も防御もすることなくその場に崩れました。
審判が駆け寄って確認しています。
そしてストレートを放った選手の右腕を高く上げると、勝利を宣言しました。
ほんの・・・数秒のできごとでした。
たった一撃で倒す選手がいるなんて・・・。
私はこの大会のレベルの高さを改めて思い知らされました。
一回戦でこれだけの強者がいるということは・・・。
綾香さんはあの人たちよりも、もっともっと強いんだ・・・。
「それじゃ葵ちゃん、そろそろ行こう」
「うん」
「私たち、アップがあるのでこれで失礼します」
私も琴音ちゃんのお母さんに頭を下げると、控え室に戻りました。
試合まで、あと1時間くらいしかありません。
早いうちから体を温めておかないと、試合で体が思うように動きません。
最初で無様な姿は見せられない・・・。
私は入念にアップを行いました。





   後書き

 前回から急に時間を進め、舞台はエクストリームの試合を急がせました。
ルールや試合会場に至るまでの経緯は、全く書きませんでした。
理由は自分自身、そういう関係の知識が全くないこと。それに絶対に書く必要があるところでもない、
と考えたからです。
今後の展開としては、まず葵ちゃんの一回戦。
そして綾香の試合を観戦。
ずーっと続いて、最後は2人の最終戦。
勝敗はまだ考えていません。
でも、どっちが勝ってもどっちが負けてもいいような気がします。
というわけで、琴音ちゃん編もお楽しみください。



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