第1話 動乱

(たったひとつの校則が、学校そのものを豹変させた)

 一見、のどかに見える昼休み。
食堂に行く者や風に当たるために屋上へ上がる者。
思い思いの過ごし方で時間は経過する。
だが、この平和そうなごく普通の学校生活が、いつのころからか普通ではなくなってしまった。
原因は2ヶ月ほど前に学校が新たに作った規則。
『完全自由』
何人も生徒を束縛できない。
だから、生徒に自由を与えよう。
聞こえはそれらしいが、結局は教師が生徒に対して一切手を引くということだった。
登校時から下校時まで、生徒は教師にあれこれ言われない。
授業を妨害しても叱られることはない。
休み時間をどのように過ごしても、咎めたりする者はいない。
高校生に相応しくない恰好でも、それを諭されたりしない。
完全な自由だった。
だが、完全な自由は常識さえもくつがえす。
 この規則ができて間もなく、誰もが予想していたある種族が現れた。
『番長』
平成のこの時代に、いささか古風な種族ではあったが、それが周囲に及ぼす影響は甚大だった。
人はとかく暴力に弱い。
頭の弱そうな番長もこの点だけは熟知している。
3年男子の中で、最もケンカの強い者が番長となった。
『石動 剛 (いするぎ つよし)』
覚えるほどの名ではないが、この学校に存在する者は彼の名を知っておかなくてはならない。
すぐに多くの生徒が彼の元に集まった。
暴力を恐れ、その暴力の一部分になることで、自らの安全を確保する。
卑怯だが、最も有効な手段だった。
組織が大きくなると、彼の元に集まる人数はさらに増える。
この動きは教師でさえも抑えることができなくなり、いつしかこの学校において最も力のある者は、
間違いなく石動となっていた。
 彼の振る舞いは段々と荒くなり、それがさらなる恐怖を引き起こす。
日を追うごとに、石動の横暴は酷くなっていった。
金を巻き上げ、女生徒へ暴行し、時には傷害事件に関わることもあった。
教師はそれを見て見ぬふり。
中世の圧政が、この小さな世界で復活していた。

 相変わらず、誰ひとりとして先生の話を聞く者はいない。
休み時間と授業の区別はなくなっていた。
「浩之ちゃん、どうしたの?」
藤田浩之の隣に座っている神岸あかりが訊いた。
「ああ、このままでいいのかなと思ってな」
頬杖をついて無気力に応えるのは藤田浩之。
「このままって?」
「見ろよ。全然授業になってねえじゃねえか。こんなの学校じゃねえよ」
「うん・・・それはそうだけど・・・」
あかりは曖昧に答えた。
まじめという印象の彼女は、たしかに今の学校の風紀に不満を持っている。
しかし、進んでそれを正そうという行動力は持ち合わせていなかった。
「浩之もやっぱりそう思う?」
後ろから声をかけたのは、佐藤雅史。
サッカーにおいては英雄ともいえる存在だ。
「当たり前だろ」
あくまで無愛想に答える。
「でも、しょうがないよ、浩之ちゃん」
あかりは中間が好きだ。
だから何においても主体性をもたず、誰かの意見につき従う。
「だからってこのままでいいって訳じゃないだろ。なんとかしないと」
「なんとかって、何かするの?」
「こうなったのも、3年の石動って奴が余計なことをしたからだろ。だったらそいつを何とかすればいいんじゃ
ねえか」
「何とかって?」
今度は雅史が訊いた。
平素は温和な雅史だが、さすがにここ最近の学校の乱れには強い憤りを感じている。
浩之が何か大きなことをしようというのなら、自分も手伝うつもりらしい。
「石動の首をとる!」
浩之が断言した。
あかりが慌てて教室中を見回す。
もしこの中に石動の部下がいて、今の言葉を聞いていたら・・・。
が、あかりの心配は徒労に終わった。
あまりに騒がしすぎて誰の耳にも入らなかったらしい。
「そんなの無理だよ! 相手は何人いると思ってるんだい?」
浩之の突飛な決意に雅史が諭した。
「無理なんかじゃねえよ。相手は同じ人間なんだ。なんとかなるさ」
それに、と言って浩之が続けた。
「俺の知り合いに頼りになる奴が何人かいる。そいつらにも頼んでみるつもりだ」
「・・・私も行く・・・」
それまで黙っていたあかりが口を開いた。
「私なんかじゃ何の役にも立たないだろうけど・・・。それでも浩之ちゃんのお手伝いがしたいの」
「僕もやるよ。サッカー部に声をかければ、何人かは協力してくれるだろうし」
「そうか・・・やってくれるか」
浩之は幼なじみに感謝した。
それと同時に、形容しがたい昂揚感が沸きあがってくるのを全身で感じた。

 翌日。
雅史はサッカー部員に昨日のことを話した。
幸い、雅史と近い性質の者が集まっており、石動の部下はいなかった。
「・・・そういうことなんだけど、どうかな・・・?」
あくまで柔らかく話す雅史。
とはいえ、雅史がここまで主張することは珍しいことだ。
「俺はやるぜ」
最初に同意したのは垣本だった。
雅史とは無二の友達で、雅史がもっとも信頼している人物のひとりだった。
「垣本がやるなら、俺もやる」
「俺もだ」
「先輩、僕もお手伝いします」
血の気の多い若き同志が、ここに集結した。
結局、集まった全員が石動打倒に賛成した。
「俺も前々から思ってたんだよ。たしかに教師の言う事はムカツクことが多いけど、だからって今のは
やりすぎだよな」
「でもよ、石動の手下って何人くらいいるんだ? 場合によっちゃ、俺たちだけじゃ足りねえぜ」
「それは心配ないよ。浩之も仲間を集めて闘うって言ってるし」
仲間の不安を雅史が和らげた。
もうすでに勝利を確信したかのような笑顔で・・・。
「そうか・・・」
だが、それとは対照的に垣本の顔色はすぐれなかった。

 浩之と雅史は校長室へ向かった。
形式的にはこの学校で一番の力を持つ存在である校長に、今回のことを報告するためだ。
歩きなれた廊下が、今日だけは異様に長く感じられる。
「サッカー部は手伝ってくれるのか?」
「うん、みんな協力してくれるって」
「そうか」
「浩之の方はどうなの?」
「来栖川先輩とレミィが味方になってくれた。それに志保もだな。あいつは役に立つかどうか・・・」
「いろいろ情報を集めてくれるんじゃないの?」
「ああ、その点ではかなり有利だな。あと、どこで聞きつけたのか矢島も協力するってさ」
「ふうん」
「それから・・・一年の葵ちゃん・・・って知ってるか?」
「格闘技同好会の子だよね?」
「ああ」
ようやく向こう側に校長室が見えてきた。
「それにしても、俺たちが力を合わせればもう勝ったも同然だな!」
意気揚々と叫ぶ浩之。しかし、
「そのことなんだけど・・・」
目をそらすようにして雅史が言った。
「なんだ、どうした?」
「その・・・なんて言うか・・・協力はできないんだ・・・」
「どういうことなんだ?」
浩之の口調が変わった。
「部員全員の意見でね・・・浩之と一緒に闘う気はないっていうんだ」
「なんだよそれ?」
「みんなプライドがあるらしくって・・・部活もやってないでフラフラしてるような奴とは手を組む
つもりはないみたいなんだ・・・」
「そうか・・・」
浩之の声が落ち込む。
横に並ぶ雅史の気持ちはさらに落ち込んだ。
「でもよ、だからって石動の仲間になるとかってわけじゃないんだろ」
「う、うん」
「だったらいいじゃねえか。目的は同じなんだ」
「そ、そうだよね・・・」
雅史は浩之の寛大さに感謝した。
単純という言葉でも片付けられるが、今の雅史にとっては耐え難い苦痛の中の唯一の光だった。
そんな会話を続けているうちに、2人は校長室の前まで来た。
雅史が校長室のドアを開ける。
「失礼します」
恭しく雅史が礼をした。
突然の来訪者に、校長の体が震えた。
どうやら、2人を石動のメンバーだと思ったらしい。
いまや威厳のあった校長の姿は、もはや見る影もない。
「な、何の用かね?」
平静を装っているようだが、残念ながら子供にもバレるような芝居だった。
「校長先生にぜひ聞いて頂きたいことがあるんです」
雅史のひと言に、校長の震えがさらに大きくなる。
今度はどんな要求を突きつけてくるつもりだ?
そんな恐怖が彼を支配したに違いない。
「俺たちは石動の手下じゃねえよ」
浩之が気を利かせて言った。
その言葉に、ようやく校長の体から緊張がとれた。
「そ、それを先に言いたまえ。それで、聞いて欲しい事というのは?」
「僕たちはこれから、石動とその仲間に戦争をしかけます」
毅然と雅史が宣言した。
「戦争・・・?」
「はい」
校長はしばらく黙り込んだが、やがて、
「だが、あいつらは自分たちの暴挙に罪悪すら感じない連中だぞ」
しぼり出すようにそう言った。
「だからってこのままにしておいていいのかよ!? 校長さんだって、あいつらに困ってんだろ?」
今度は浩之が言った。
言葉だけで校長を納得させることができるのか?
それは浩之自身にも分からなかった。
「僕たちはこの学校を元通りにしたいだけなんです」
「・・・・・・」
2人の熱意に、校長に変化が起きた。
一校を取りまとめていた、あの貫禄を取り戻していたのだ。
「わかった。君たちの気持ちはよく分かった」
「校長先生・・・」
「しかし、君たち2人だけなのか・・・?」
「いえ、僕と、彼がそれぞれ仲間を率いて戦います」
「というと、2人は別々に?」
校長の問いが、雅史の心をえぐる。
触れられたくない事実だった。
「まあ、そういうことだ。目的は同じなんだから問題はねえだろ」
浩之が雅史に言ったのと同じことを言った。
「たしかに、うん、たしかにそうだ」
微妙に不安を露わにしつつも、校長がうなづいた。
「君たちは本当にいい生徒だな。まだ、こんな子がこの学校にいるとは・・・」
「僕たちだけじゃありませんよ。声をかければ、もっと沢山の生徒が僕たちに協力してくれます」
「そうだぜ。もっと自分の学校の生徒を信用しろよ」
わずか2人の言葉が、校長には無限の頼もしさに思えた。
「もともと、あんな校則を作ったのが間違いだった・・・」
自嘲するようにつぶやく。
今の彼にはわずかな希望と後悔の念しかない。
「それなら、すぐに校則を改正すれば・・・」
「いや、あの校則を出したことで我々教師の権限も放棄してしまった。つまり、力のある者でしか校則を
改正することはできんのだ・・・」
「なら、俺たちがやってやるよ」
浩之が自信に満ちた表情で言った。
「よし、決めたぞ」
その自信に押され、校長が切り出した。
「君たちに全てを委ねる。君たち2人のうち、先に石動を捕まえたものに一切の権限が与えられ、
もうひとりはその助役を務めることにする。あとで揉めないように、そう決めておこう」
「つまり、先に石動に勝った方が石動と同じ立場に立てる。そういうことだな?」
「そうだ。君たち2人で、この学校を正しい方向に導いてくれ」
最後は懇願だった。
校長は全てを浩之と雅史に託したのだ。
「まかせとけって。な、雅史!」
そう言って、浩之は雅史の肩を叩いた。
「うん」
雅史がそれに応える。




 ここに、自分達の学校を救おうとせん2人の勇敢な男が誕生した。
互いが互いを信じて。
だが、彼らはまだ自分達が学校という規模をはるかに超える戦争に巻き込まれる運命にあることなど
知る由もなかった。

 

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