第41話 始まり
(主要研究所の独立・・・。この事実は新たな戦いの幕開けを意味していた・・・・・・)
「本当ですか!?」
僕は耳を疑った。
「ああ、本当だよ。我々はようやく本社から独立したんだ」
「独立って・・・。そんなに簡単にできるものなんですか?」
高城さんは面倒くさそうに答えた。
「まぁ、以前から準備していたからね。見事に叶った、ってところかな」
「・・・・・・」
独立と言われても、いま一つ実感が無い。
僕は一ヶ月ちかくALTERにいるし、垣本たちだって同じだ。
ステイアはあれから何度か姫川さんを始末しに行きたいと言ったけど、それは断わり続けた。
正直言って、僕は彼女の力を侮りすぎていた。
バクトイド社の傑作だと言うからステイアには期待していたけど、まさか姫川さんの超能力のほうが上回るなんて
予定外のことだ。
どうせ次に行ったところで返り討ちにあうのがオチだろうから、僕はステイアに待機を命じていた。
彼女がどんな能力を持っているのかはまだ見たことがないけど、たかが女の子ひとり始末できないようじゃあ、
その性能もたかが知れている。
それよりも万が一のことを考えて、僕の護衛をさせていた方が安心だ。
僕にはまだ不安がある。
このすぐ近くに敵が潜んでいるような気がしてならない。
「どうしたんだい、佐藤君?」
「あ、いえ。何でもないです・・・」
僕が適当に笑ってごまかすと、高城さんは怪訝な顔をしながらも、また仕事に戻っていった。
「ふう・・・」
ため息をついた時、高城さんと入れ替わりに石井さんがやって来た。
{高城から聞いたかい?」
「ええ、独立に成功したとか・・・」
念願叶ってさぞ喜んでいるだろう思っていたけど、予想に反して石井さんの表情は堅かった。
「ああ、君が協力してくれたお陰だよ」
しぼり出すような声だった。
「どうかされたんですか?」
その理由が知りたくて訊いてみた。
「ああ・・・。ちょっと思い通りにならないことがあってね」
まだ何か?
そう言ってやりたいのをグッとこらえた。
「もしかしたら、もう一度君の力を借りることになるかも知れないが・・・・・・」
「何でも言って下さい」
本当は断りたかったけど、ロボット軍隊やこのALTERという避難場所を借りている負い目から、それはできない。
ここを追い出されてしまえば、僕の立場はたちまち危うくなる。
何としてもそれだけは避けなければならない。
「君ならそう言ってくれると思っていたよ」
そう言わざるを得ない状況に立っていることを考えているのか、いないのか。
声に元気のない石井さんからそれを判断することは難しい。
セリオは久しぶりに自分の部屋の整理を始めた。
つまりは掃除だ。
この広いALTERでは、セリオにも専用の部屋が与えられていた。
今日はこの部屋の掃除をしようというのである。
ロボットが自分の部屋の掃除・・・というと滑稽な感じがするが、これもメモリー整理には必要なことだった。
セリオは数週間前にメンテナンスを終えたところだった。
自身の内部メモリーを最適化したあと、何を思ってかセリオは今度は自分の手で掃除をしたいと思った。
といっても片付けるようなものは何も無い。
娯楽や趣味を知らない彼女にとって、部屋とはただ休息のために用いる空間程度でしかなかったのである。
それでも形ぐらいは作業をしている風でありたい。
そう思ったセリオはクローゼットを開けてみた。
中には同じサイズ(当然だが)の衣服が数着あった。
見渡すと地味めのものばかりが目立つ。
薄茶色の服が多い中で、鮮やかな色を放つ服があった。
寺女の制服だった。
少しシワがある。どうやら、着たままクローゼットに戻したらしい。
セリオは制服をとって、いろんな角度からそれを見た。
汚れがひどいようならクリーニングに出すべきだと判断したためだ。
ところどころにホコリがついている。それにシワもあったから、セリオはとりあえずクリーニングに出そうと思った。
部屋を出かけて、思い出したように制服のポケットをまさぐる。
指先に何かが当たる感触があり、それを取り出してみる。
綺麗に折りたたまれた小さな紙だった。
そっと開いて、中に書かれた文字を読む。
なぐり書きの文字を目で追っているセリオの表情がわずかに変わった。
それを服のポケットに押し込むと、セリオは制服を床に投げ捨て、足早に部屋を出た。
たまたま近くを通りかかった職員に訊ねる。
「綾香お嬢様は今どこに?」
心なしか、セリオの顔に焦りの色が見える。
それに気付かない研究員は、
「部屋にいらっしゃるハズだ」
セリオの目を見ずにそう言うと、彼はさっさとどこかへ行ってしまった。
そんな失礼な相手にもいちいち律義に頭を下げる。
礼儀を通したところで、セリオは綾香の部屋へと急いだ。
平素ならお嬢様らしい優雅な歩き方をするのに、この時だけは彼女はマルチのように焦っていた。
急がなければならない重大な用事があった。
「綾香お嬢様、いらっしゃいますか!」
そしてこれまた聞いた事のないようなセリオの大声。
たしかに大声だが、それは施設内に広がらないようにギリギリの音量設定になっていた。
ほどなくしてドアが開く。
「どうしたの、セリオ? そんな大きな声だして・・・・・・」
熱でもあるんじゃない、と綾香は言いかげたが、苦笑するとその言葉を外には出さずにいた。
「申し訳ございません。実は・・・」
言いながらセリオが部屋に入る。
こんなことは今までになかったことだ。
綾香が驚くのも無理はない。
「・・・・・・!?」
さらに驚かされたのは、セリオが後ろ手でドアを閉めたからだ。
「セリオ・・・・・・?」
さすがに綾香もおかしいと感じたらしい。
「これをお読みください」
そう言ってセリオがポケットから折りたたんだ紙を取り出した。
綾香はおそるおそるそれを受け取ると、書かれている文章を読んだ。
暫らくを静寂が支配した。
やがて、綾香は震える唇を動かした。
「なによ・・・なによコレ・・・・・・? セリオッ! 本当なのッ!?」
綾香が口を開くのが遅かったのは、文面の内容が信じられずに何度も読み直したためだった。
「・・・・・・残念ですが、それに書かれている事は全て事実です」
セリオが言い終わったのと同時に、綾香はその場にガックリと膝をついた。
「なんてコト・・・・・・!! 信じられない・・・・・・どうして・・・・・・」
うつろな表情でその紙を凝視していた綾香だったが、ハッと顔を上げて、
「それから・・・あの娘たちはどうなったの・・・・・・?」
最悪の結果を知らされたら・・・そんな恐怖があったが、綾香はどうしても訊いておきたかった。
「その手紙を預けられた後、姫川様はここから逃亡されました。松原様とどこかで合流されたようです」
「それで・・・・・・?」
「そこをステイアさんが襲撃しました。しかし彼女は失敗したと言っています。ということはお二人は無事だと判断
していいでしょう」
「そう・・・・・・無事なのね・・・」
綾香はようやく落ち着いた。
「綾香様・・・?」
主人の顔を覗き込んでセリオが言った。
一旦は喜んだような表情を見せた綾香だったが、すぐに険しくなり、
「ちょっと行ってくるわ」
そう言って部屋を出ようとした。
「お待ちください。どちらへ・・・?」
「決まってるでしょ」
セリオの返事も聞かずに綾香はさっさと部屋を出て行った。
1人残されたセリオは考えた。
これで良かったのだろうか?
自分がやったことは果たして正しかったのだろうか?
琴音は分からないが、綾香がどれだけ葵を可愛がっていたかはセリオも間近で感じてきた。
「すぐにでも私を追い越すだけの才能がある」
いつか彼女が独り言のようにつぶやいたことがあった。
綾香の葵に対するそういう想いを知っているセリオは、だからこそ今回の事は伏せておいたほうが良かったのでは
ないかと悔やんだ。
知らなかった方が良いこともあるのでは・・・?
”心”についてセリオはあれこれ考えようとしたことがあった。
だが、そろそろ答えが出そうなところまで思考をすると、その先へ到達する寸前で必ず何かトラブルが生じる。
それを何度も繰り返すうち、考える行為自体が無意味となってしまった。
だから、彼女は心の事なんて考えないし、そもそも考える意味がない。
セリオは思った。
自分は琴音に手紙を渡すように命令された。自分はそれを実行したに過ぎない。
言わない方が・・・などというつまらぬ迷いに駈られていれば、その命令に背くところであった。
「お嬢様」
セバスチャンが小さな声で言った。
「・・・・・・・・・」
「それが・・・申し訳ございません。寺女での騒動の後、どこへ行かれたのか分からず・・・・・・」
「・・・・・・・・・!」
セバスチャンの体がビクッと震えた。
これまでに聞いた事の無い、芹香の怒鳴り声を聞いたからだ。
彼女は明らかに焦っている。そしてその焦りが怒りのかたちになってセバスチャンにぶつけられたのだ。
「す、すぐに! すぐに見つけます!」
何度も何度も頭を下げた後、
「お嬢様・・・なぜそこまで必死になられるのですか・・・・・・?」
言ってから、しまったと後悔したセバスチャンだったが、芹香がさっき怒った理由が知りたくして仕方がなかった。
突然の問いかけに、芹香は答えを思いつかず、しばらく黙ったままだった。
「・・・・・・」
「このような事態だから、妹が心配だ・・・・・・と。失礼いたしました・・・・・・」
セバスチャンはわずかでも芹香を疑ってしまった自分を恥じた。
よくよく考えれば、彼女らは血のつながった姉妹なのだ。
姉が妹を心配するのは当然のことで、妹が見つからなかったことに怒りを露わにするのも当然のことだ。
長年執事を務めてきたセバスチャンにとって、これほど悔しかったことはない。
だが、一方の芹香はうまい言い訳ができて満足げだ。
セバスチャンが疑念をまじえた表情で問うてきた時は焦ったが、心配しているという言葉を添えると、執事はそれ
以上は何も言わなかった。
だが、時間が経つと芹香はまたイライラし始めた。
もう時間がない。
なのにこの老僕は何をやっている?
勝手を知っているハズのこの執事が、なぜ女ひとり見つけられないのだ?
綾香はそんなに遠くにいってしまったのか?
いや、違う。動機がない。
一瞬、自分を追ってロンドンへでも行ったのかと思ったが、それはあり得ないことだった。
ではどこにいる?
鏡視ができれば・・・・・・。
だが、その能力はもはや芹香にはない。
失われた魔力はおそらくもう戻ってはこないが、失いそうな生命だけは何としても繋がねばならない。
その為には綾香の協力が必要不可欠なのだ。
いや・・・”綾香そのもの”か・・・。
芹香はセバスチャンに捜索を命ずると、彼がいなくなるのを待ってから黒鏡を覗き込んだ。
やはり、あの忌わしいハエの王が映っていた。
額に逆巻く地獄の業火が、以前に見たときよりも大きくなっている気がした。
芹香の死に対する恐怖心がさらに大きくなっていく。
なにをしている! さっさと綾香を連れて来い!!
ハッキリとした声が出せるなら、彼女はそう叫んでいるところだった。