滄の向こう(我那覇響篇)

 

 潮風が気持ちいい。
暑いのは苦手な自分だけど、なんでだろう?
砂浜にいる時だけは太陽がかんかん照りでも全然平気だ。
むしろ、『もっと照りつけろー!!』とか思っちゃう。
それで茹でダコになりそうなくらいに暑くなって、思いっきり海に飛び込むんだ。
海水は冷たすぎることがなくて、でもちょっと体を引き締めるような、そんなちょうどいい温度になってる。

”空も海もぜんぶ青いよ!”

電車の中で、長いこと待ってた海をやよいが見つけた時に雪歩が言ったことだ。
いつもの雪歩からは想像もできないくらい元気いっぱいで。
あれも海の力なのかな、とか思ったりして。
まあ、沖縄のと比べたら全然だけど……。
真もお弁当が食べられる! って、はしゃいでたっけ。
「…………ねえ、響もそう思うでしょ?」
風に乗って、言葉が遅れて聞こえた気がした。
「え? ごめん、聞いてなかった……」
しばらくして真に話しかけられたんだって気付く。
「宝物のこと。雪歩もやよいも教えてくれないんだよ? 響も気になるよね!」
「あ、うん、うん……そうだな!」
えーっと……。
あ、そっか!
プロデューサーから雪歩宛てにメールがあって、晩ご飯を一緒に食べようってことになったんだっけ。
で、ホテルに帰る途中なんだった。
「私だって、ひと夏の思い出が気になるよぅ」
そうそう、自分と真、雪歩とやよいでしばらく別行動になって、いろいろあったんだっけ。
雪歩たちは宝物を見つけたみたい。
宝物っていうと海賊が隠した財宝ってイメージだけど、さすがに違うよね……。
う〜ん、たしかに教えてほしいって気はするけど。
簡単に手に入らないから宝物って感じがするし、うん……そのほうが宝物っぽいかも。
なんて考えてたらホテルに着いちゃった。
「晩ご飯まではまだ少し時間がありますよ?」
やよいがロビーの時計を指差して言った。
うん、やっぱりやよいは可愛いな!
「とりあえず部屋に荷物を置いて――どっちかの部屋に集まろうか?」
今回、部屋はダブルで自分と真、雪歩とやよいの組み合わせになっていた。
正直、雪歩・やよいペアがちょっと心配な気もしたけど、やよいは大家族のお姉さんだし、
雪歩も実はしっかり者だから大丈夫だよね?
「……おーい、ひびきー?」
呼ばれて顔を上げると、真たちがエレベータの中から手招きしていた。
「あ、ごめん!」
慌ててエレベータに乗り込む。
なんか時々、ボーッとしちゃうな。
ちょっと遊び過ぎちゃったかも……?
部屋は9階、17号室が自分たちで18号室が雪歩とやよいの部屋だ。
高層階っていうのはちょっと嬉しい。
地面にいたら空しか見えないけど、高い所からならいろんなものが見渡せるからね。
それぞれの部屋に戻って荷物の整理をする。
ふかふかベッドに飛び込みたいけど今は我慢。
まずは着替えと……夜に打ち合わせするって言ってたから、その資料もすぐ出せるようにしておこうっと。
歯ブラシとかは備品で済ませちゃえばいっか。
「自分はもう終わったぞー!」
部屋に着くなり、どっちが先に片付けと準備を終えるか勝負しようってことになった。
明日の用意をして先にカバンをクローゼットに入れたほうが勝ち。
なんか真と一緒だと、いつも何かと張り合っちゃうな。
「ええ!? もう終わったの?」
自分のに比べて真のカバンはけっこう大きい。
いろいろ用意するものがあったんだろうけど、それがアダになったな、真!
……ダンベルとか入ってないよね?
とか思ってたら真がようやく準備を終えたみたい。
「ふふん! これで2連勝だな!」
勝負事っていうのはやっぱり負けるより勝ったほうがいい。
それがどんなことでもね。
「あれ、響? ベッドの下に何かあるよ?」
「ん……ベッドの下? あっ!」
しまったーーッ!
カバンに入りきらない荷物があったから、もうひとつ持ってきてたんだ!
こっちのは……充電器とか小型のドライヤーとかが入ってる。
開いた口からコードがはみ出していた。
「………………」
おそるおそる顔を上げると、勝ち誇ったような真と目が合う。
”ボクの勝ちだね”
言われなくても分かるぞ。
「ううー、これさえなければ自分の勝ちだったのに……」
「へへ、油断したね!」
なんて言われたけど、そのあたりは実は自覚してる。
自分はわりと何でもそつなくこなせると思ってるけど、いつも大事なところで詰めが甘いんだ。
気をつけてるつもりなんだけどね。
どんな小さな勝負でも負けは負け。
この悔しさを忘れなければ次につなげられるぞ!
……って、いつかプロデューサーにも言われたっけ。
「あ、こっちも同じ間取りなんだね」
そうこうしているうちに雪歩とやよいがやって来た。
2人は荷物の整理くらいで競争したりしないんだろうなあ。
なんていうか、ほのぼのした感じが目に浮かぶぞ。
「やったね、やよいちゃん。私たちの勝ちだよ?」
「うっうー! やりましたー!」
なんか2人で喜んでるけど、何があったんだろう?
「早かったね」
「うん、打ち合わせの資料も多くて時間かかっちゃったけど」
明日は撮影とかインタビューがあるから、それ用の書類もたくさんある。
後でちゃんと目を通しておこうっと。
「ところで何をするんですか?」
「そうだね……」
部屋に集まったのはいいけど、これといってすることがない。
テレビは有料だからあまり使いたくないし、他にあるのは……聖書と木製のパズルくらいだ。
それに――。
この部屋からだと海が見えない。
窓に映るのはすぐ下の繁華街と向かいの大きなホテルだけ。
せめて反対側の部屋だったら景色も良かったのにな。
「さっきの続きでも、する?」
おずおずと雪歩が言って取り出したのはトランプだった。
定番っちゃ定番だな。
それに部屋に集まってゲームするのって修学旅行みたいだ。
時間つぶしも兼ねてババ抜きをすることになった。
トランプっていうと他にもたくさん遊び方はあるけど、自分たちが知ってるのはババ抜きと神経衰弱、
あとはポーカーと七並べくらいかな。
その中で親が要らなくて手軽にできるゲームってことだけど……。
どうも自分がババを持ってると、すぐに顔に出ちゃうらしい。
自分ではポーカーフェイスのつもりだけど、見る人が見たらすぐに分かっちゃうのかな。
「はい、響さんの番ですよ!」
……っと、順番が回って来ちゃった。
やよいが持ってるのは8枚。
扇状に広げてるけど、向かって一番左のカードだけ他よりも間隔が広い気がする。
あれがババかな?
「うーん…………」
ここは昼間のリベンジをしたいぞ。
それで連敗記録をストップして、やっぱり自分は完璧だ! って言ってやるんだ。
そのためには一番で上がらなくちゃね。
「さーて、どれにしようかな……」
指をカードの前に持ってきて順番に指していく。
「………………」
その時、視野に窓の向こうの景色が入ってきた。
ここよりずっと大きくて豪華なホテルだ。
あっちの高い部屋からなら、自分たちが泊まってるホテルを越えて海が見えるのかな。
海…………。
ついさっきまであんなに遊んでいたのに、また海が見たくなった。
別に珍しいことなんかじゃない。
テレビでも写真でも、見ようと思えばいくらでも見られる。
電車の中からの風景も何枚も携帯で撮った。
でもやっぱり直接、目で見るのとは違う……。
「………………」
何気なくやよいから取ったカードはジョーカーだった。
だけどその後、すぐに真がそのジョーカーを抜き取った。





ゲームは何回やったか覚えてない。
誰かが休憩しようと言って、皆がカードを置いた。
自分もちょっと遅れてそれに倣う。
「響ちゃん、すごいね」
雪歩が言うにはさっきのゲームで自分は一度も敗けなかったらしい。
ここに来る途中は10連敗だったから、それから比べたら快進撃だ。
「自分、完璧だからな!」
なんていつもの調子で言ったけど、ゲームのことなんて全然頭に残ってなかった。
理由は……だいたい分かってる。
「あ、プロデューサー、少し遅れるって」
雪歩が受信メールを自分たちに見せてくれた。
今回の仕事では雪歩がプロデューサーとの連絡役になっていた。
どうやってそう決まったのかは分からないけど多分、一番しっかりした子を選んだんじゃないかと思う。
自分も雪歩なら安心だし。
「そっか……プロデューサーも忙しいんだし仕方ないね」
真がちょっとガッカリした感じで言った。
最近は単独での仕事が多かったし、こうやってグループで集まることも少ない。
ましてや揃って食事なんてことも滅多になくなったから、実はけっこう貴重な機会だったりする。
「じゃあ、まだ時間あるよね。ちょっと出てきてもいいかな」
誰も何もしていない様子だったから、自分はそう言っていた。
「え……う、うん」
雪歩が返事するより先に立ち上がる。
「響さん、どこに行くんですか?」
「お土産見に行くの? それならボクたちも――」
「ううん、ちょっと海を見てくるだけ! それだけだから!」
やよいと真が心配そうにしてる表情がなんかつらくて、足早に部屋を出る。
追いかけてこられたらどうしようと思ったけど、その様子はないから安心する。
……って、なんで安心してるんだ?
別に疚しいことするワケじゃないんだし、逃げるように出てこなくてもよかったのに……?
そうは思うけど、傍に誰もいないことが少しだけ落ち着く。
それにしても……。
仮にもアイドルが一人で歩いてるのに、誰も振り返らないっていうのはどうなんだろう。
そういえば電車の中でも、騒ぎにならなかったし。
あ、だけど海でナンパされたんだっけ。
――女の子に。
それにあの子たち、自分たちがアイドルだって知らない感じだったぞ。
やっぱりまだまだなのかなあ……。
もっとたくさん仕事して、早くトップアイドルにならなくちゃいけないのに。
「トップアイドル…………」
多分、これまでに何度も口にした言葉だ。
春香だって美希だって、きっとみんなが目指してる。
もちろん自分だって――。
「………………」
ホテルを出て道を一本挟んだ向こうには砂浜が広がっている。
陽は西の向こうに沈みかけて、海も空も全部オレンジ色に染まっている。
こういうの、斜陽っていうんだっけ?
他にも人がいそうなのに、浜辺には誰の姿もなかった。
車に気を付けて道を渡り、段差を降りて砂を踏む。
靴底のジャリっとした感覚は、どこの地面を踏んでも固い東京とは大違いだ。
でこぼこの砂地を踏んで、自分だけの足跡をつけてやる。
波の音はほとんど聞こえない。
きっと時々、後ろを走る車の音が邪魔してるんだ。
こういうところも故郷の海には敵わないな。
自分がいた島は普段歩く場所と砂浜の区別がないくらい、自然がたくさんあった。
海だってもっと広く見渡せたし、耳を欹てなくても波の音が聞こえてきた。
だからこれはニセモノ。
「…………」
ううん、そうじゃない。
これだって立派な海だ。海の基準を自分が勝手に決めてるだけで、これもちゃんとした海なんだ。
そう――ちゃんとした海だから……。
この光景を眺めちゃうんだろうな……。
「………………」
こんな気持ちになるなら、わざわざここに来なければいいのに。
そう分かってるのに、部屋を抜け出してまで来てしまう。
夜になったらこの光景は見られなくなるから。
明日は朝から仕事で、もうゆっくりと海を見つめる時間がなくなってしまうから。
故郷の海には敵わないけど……でも見てしまうんだ。
考えちゃいけないことを考えてしまう。
間違ってる感情なんだ。
沖縄に帰りたいって気持ちは……。
自分はトップアイドルになるまで帰らないって大見得を切っちゃったから。
中途半端で帰ったりしたら、きっとみんなに笑われる。
にぃにを見返してやることもできない。
家の助けになるためにトップアイドルを目指したのに、それを達成しないまま戻るのは――。
自分に何の力もないって思い知らされるのが嫌なんだ。
自分だってあんまーを支えられるんだ! って証明したい気持ちもあったから。
そうやって大口を叩いて出てきたことを、今は少しだけ後悔してる。
なんであんなこと言っちゃったんだろう、って。
トップじゃなくてただのアイドルになるのが目標だったら、今はもうアイドルだから帰郷したって嘘つきにはならない。
自分は何でもできる、自分は完璧だから。
トップアイドルになることだって、なんくるないさー! って。
そんな自分がちょっと海で遊んだだけで帰りたいなんて思っちゃった。
全然、完璧なんかじゃないぞ。
こんな、こんな海――。
故郷の水はもっと綺麗だったぞ。
それに空気も澄みきってたから、こんなにぼんやりしてなかったぞ!
ほら、空も海も砂も、全部ぐにゃぐにゃだ。
砂だって一粒一粒がキラキラしてて、ここみたいに濁ってなんか……。
「………………」
――帰りたい。
帰るのはダメだけど、でも帰りたい。
それで2、3日実家に戻って、あんまーとにぃにと話して。
それで気分爽快、リフレッシュしてまた明日からトップアイドル目指して頑張って――。
「ダメだ…………」
できるわけない。
もしそんなことしたら、きっと気持ちが揺らいじゃう。
帰りたいからって簡単に帰ったら自分、ずっと帰りたいって思っちゃうかもしれない。
おかしいな……。
こんなハズじゃなかったのに……?
自分は完璧だったのに。
「響…………?」
声は聞き間違いだと思った。
風もちょっと強くなってきたし、相変わらず車も走ってるから。
でも、そうじゃなかった。
「どうしたの?」
真だった。
慌てて振り向きかけて、目元が濡れているのに気付いた。
泣いてるって思われちゃう!
「いつまでもいたら風邪を引いちゃ――」
急いで拭おうとしたけど、それより先に真が覗き込んできた。
「響、どうしたの!? なんで泣いてるの!?」
「泣いてなんかないぞ!」
必死に目元をこするけど、どうしてか涙が止まらなかった。
「だって響――」
「泣いて……泣いてない!!」
誰がなんと言おうと自分は泣いてないんだ。
ちょっと潮風が目に沁みただけだ。
「ひびき…………」
真、自分のことなんか放っておいて部屋に戻ってくれればいいのに。
なんで意味もなくここにいるのさ。
……分かってる。
自分がいつまで経っても戻ってこないから様子を見に来たんだ。
ほんとにお節介だぞ。
自分は子どもじゃないんだ。
「…………どうしたの?」
真はまだそんなことを訊く。
「何でも、ない」
鼻声になってるのに気付いて小さな声で答える。
「何でもないことないじゃないか。心配して来てみたら響、泣いてるし――」
「だから泣いて……」
「泣いてるだろ!」
怒鳴られて、ついビクッとなってしまった。
どうあっても自分が泣いてることにしたいのか?

 

「………………」
それからしばらく、自分も真も黙ったままで。
自分はやっと涙が止まったから、改めて海を見た。
いつの間にか陽はかなり沈んでいて、オレンジ色は濃い赤になっていた。
「間違ってたら、ごめん」
真がそう前置きして訊いてきた。
「もしかして……寂しくなった……?」
かぶりを振る。
そんなこと、絶対に認めちゃいけないんだ。
「そっか…………」
でも真には勘付かれたかもしれない。
もっと大きな声で否定すればよかったかな。
「……そんな気がして」
気のせいなんかじゃないぞ。
真にさえ気付かれるくらい自分、演技が下手なのかな……。
「沖縄の海ってこれよりずっときれいなんでしょ?」
「…………ッ!?」
思わず真の顔を見上げてしまった。
「やっぱり――」
それで真はガッカリしたような憐れんでるような顔をして。
「けっこう意地っ張りだよね、響って」
そんなことを言うから、
「自分、意地なんか張ってないぞ!」
って涙声になってるのも忘れて叫んでしまう。
「ボクもそういうところあるから、よく分かるよ」
「分かってない! 真は……何も分かってないぞ!」
分かるもんか!
真になんか……!
「前にさ、沖縄で仕事があったでしょ? 枠の都合でうちの事務所からは1人しか出られないって話で――」
少し前にあったロケのことだ。
あれは結局、誰が行ったんだっけ?
「あの時、誰も手を挙げなかった。みんな、響を推してたんだよ? 響のためにあるような仕事だ、って。
だけど前日に響が体調を崩して……それで急遽、春香が行くことになって――」
ああ、そうだった。
結局あの番組は観なかったから。
観たら帰りたくなるから、録画だけして置いてたんだ。
「これ、今だから思うんだけど、体調を崩したのって……本当だったの?」
「じ、自分のこと疑ってるのか?」
「うん」
「………………」
真がじっと自分の目を見てる。
目を逸らしたら敗け、みたいな雰囲気があった。
ここで目を逸らしたら自分がウソをついてるみたいじゃないか。

………………。

ウソ――。

自分、いつからこんなにウソばっかりつくようになったんだろう。
誤魔化すとか強がるとか意地を張るとかも、結局はウソになるのかな?
じゃあ自分は――こっちに来てからずっとウソをついてたことになるのか……?
ここでまた、ウソを重ねることになるのか?
「真の、言うとおりだぞ……」
それが嫌だから、今回だけ正直に言う。
真は少し考えてから、
「そっか……」
とだけ呟いた。
「怒らないのか?」
「なんで?」
「だって自分、ウソをついたんだ。悪いこと、なんだぞ……?」
小さい頃からあんまーにも、にぃににも言われた。
ウソはついちゃいけないぞ。
人を悲しませたり傷つけたりする、悪いことなんだぞ、って。
「ボクが怒ることじゃないよ。それに社長やプロデューサーだって多分、怒らないんじゃないかな」
「………………?」
「そりゃあ当日にドタキャンみたいになったら、さすがに小言くらいはあるだろうけどさ」
「意味が分かんないぞ……」
ウソついたのに怒られない?
みんなを騙したのに、小言を言われてそれだけ?
それって自分が何とも思われてないってこと?
「ねえ、響……訊いてもいい? 答えなくなかったら別に答えなくていいからさ」
「な、なんだ……?」
改まって言われるとドキドキする。
「もしかして……沖縄に帰れない理由とかあるの?」
「う…………!」
真のくせに――なんで分かっちゃうんだ?
だって誰にも言ってないのに。
社長にもプロデューサーにも誰にも内緒にしてたのに。
そうなんだ、このことは誰も知らないんだから適当に言って誤魔化しちゃえ。
――って自分の中の自分が囁く。
だけど、もうあまりウソはつきたくないっていう自分もいる。
訊かれもしないことを何でもかんでも打ち明けるのもまた違うけど。
ちょっと……ちょっとだけ、意地を張るのにも疲れたっていうか……。
自分、どうしたらいいんだ……?





きっとバカにされると思った。
人が聞いたらすごくつまらない理由だったし、それこそ”意地っ張り”で片付く話だから。
ラノベの主人公みたいに宿命とか運命とか、そんな経緯があったら恰好もついたのに。
「そうだったんだ――」
おそるおそる真の反応を見る。
真は笑わなかった。
バカにもしなかった。
自分、別に説明が下手だったわけじゃないよね?
ちゃんと伝わってるか、ちょっと不安だったけど、
「だからあの仕事に行きたくなかったのか」
真は分かってくれたみたいだ。
「軽蔑しただろ? こんなバカみたいな――」
「バカなんかじゃないよ。響はすごいよ」
「…………?」
「すごいし、カッコいいと思う」
「なに言ってるんだ、真? ひょっとして自分の話、聞いてなかった……?」
多分、気を遣わせたんだろうな。
そりゃあ面と向かって、バカなんて言えるわけないよね。
「トップアイドルになるまで沖縄には帰らないって、ずっと貫き通せるってすごいじゃないか」
そう、なのか……?
「響は強いんだな……って思ったよ」
「なん――」
「ボクさ、実を言うと響が怖かったんだ」
「ええッ!?」
自分、別に真に怒鳴ったりなんてしてないぞ?
亜美や真美のいたずらにはちょっと怒ることはあるけど。
「ダンスだけは誰にも負けない自信があったんだ。得意分野だって自負もあったしね。
美希や春香も上手いけど、女の子らしさは勝てないけど、これだけはボクの方が上だって思ってたんだ」
過去形だけど、実際にそうだと思う。
真のダンスは動作のひとつひとつがビシッと決まる感じだし、なんていうか力強い。
レッスンの時もステージの時も迫力があった。
でも、”女の子らしさは勝てない”っていう言い方は気になった。
真だって充分にかわいい女の子だぞ?
たまにちょっとヘンな方向に行くこともあるけど、それも含めて真の可愛らしさだって思う。
「765プロだけじゃない。他の事務所のアイドルにだって負けないって、それくらいの自信があったんだ」
「………………」
「だけど響のダンスを初めて見た時、怖いって思ったよ。怪獣がいるって」
「か、怪獣って表現はちょっとヒドイと思うぞ……」
「誰にも負けないなんて、いい気になってたボクの自信を粉々にされた気がしたよ。
上には上がいるってよく言うけど、ほんとにそんな感じ」
「そう、なのか……?」
「うん。見惚れるくらいにカッコよかったし、それに怖かった。もしかしたらボクはこの我那覇響って娘に、
一生勝てないんじゃないかって思ったこともあるよ」
知らなかったな、真がそんなふうに考えてたなんて。
でも、それって……自分が真の自信を失くさせたってこと?
「ご、ごめん……そんなの、全然気が付かなくて……!」
そう思ったら無意識に謝っていた。
「謝らないでよ。今まで言ったことないけど感謝してるんだからさ」
「……自分に、か?」
「ボク”も”負けず嫌いだからね。響のダンスはたしかにすごいけど、ボクだってこれまで以上にレッスンをがんばれば、
追いつけるかもしれないって信じてたんだ」
それはちょっと違う気がする。
ダンスだけじゃない、真はどんなことにもいつも全力の直球勝負って感じだった。
手を抜くとか、適当にするとか、そういうのを一番嫌ってた。
でもだからって自分みたいに独りで突っ走るようなこともしない。
周りを見て歩調も合わせられる――雪歩とかやよいにするみたいに――そういう面もある。
なんていうか、ちょっとズルい。
カッコいいっていうのは真みたいな奴のことを言うんだぞ?
「だからボクにとって響はずっとライバルだったんだ。いつか絶対に勝ってやる、ってね。
そうやって目標ができたから、レッスンだって仕事だってがんばれた」
「自分が……目標……?」
思っていたのと違う。
自分は別に誰かの目標になりたくてアイドルになったわけじゃない。
そもそも自分が誰かの目標になれるなんて考えもしなかった。
アイドル……トップアイドルっていうのはキラキラしてて――美希みたいな言い方だけど――注目されて、
知名度抜群で歌もダンスも完璧にこなす……。
そういうのがアイドルで、自分が目指してる姿だ。
「だからさ、響のおかげで張り合いっていうか、負けるかって闘志が湧いてくるんだよね。
響がいなかったら自信の上に胡坐をかいて、ボクのダンスも今みたいには上達しなかったかもしれない」
知らなかった。
真がそんなふうに思ってたなんて。
「初めて聞いた……」
「今まで言わなかったからね」
「もっと早く言ってほしかったぞ!」
「な、なんか恥ずかしいじゃないか……こういうこと言うのって……」
真、照れてる。
でもきっと今の自分も同じような顔してるんだろうな。
「今でも、自分のこと、怖いのか?」
「う〜ん、どうだろ……」
そこはすぐに否定してほしい気がする。
「怖いっていうのはちょっと違うかな。あの時は”ダンスをしている響”を見ただけだったからね」
「ん……どういう意味?」
「普段の響は全然怖くないってこと」
「うがーっ! それってバカにしてるのかー!?」
「してないしてない」
「ウソつけ! 絶対にしてるだろ!?」
「してないって」
「ふんだッ!」
真にバカにされるなんて末代までの恥だぞ。
でも……いちおう自分のこと気にかけてくれてるんだよね。
それにこうやって話してて、ちょっと気が紛れたような感じもする。
「………………」
不意に真が悲しそうな顔をした。
待ってるんだ。
何も言わないけど、分かってる。

”今度は響の番だよ?”

きっと、そういうことを言いたいんだ。
だから少し素直になってみる。
「自分……もしかしたら、寂しい……かも……」
「うん…………」
「あ! でも、ちょっとだけ! ほんのちょっとだけだぞ!!」
ああ、真が言ってた意地っ張りってこういうことか。
自分でも情けなくなってくる。
なんで自分、こんなこと言ってるんだろう。
「海、見てたら沖縄を思い出して――それで……」
「うん」
「まだ島には戻れない、けど……帰りたいって……思って……ダメなのに…………」
その先は声にならなかった。
甘えてしまう。
これ以上言ったら、本当に帰りたくなっちゃう。
明日も仕事なのに、それも放り出して帰りたくな――。
「え…………?」
不意に背中に熱を感じた……と思ったらそのまま体が引き寄せられた。
少しだけ息苦しくもなる。
まこ、と…………?
やっと気が付く。
背中に回された腕が温かかった。
ちょっと窮屈だった。
窮屈だし恥ずかしい。
突き飛ばしたら、きっと簡単に解ける。
だけど、できない。
「………………」
心地よかった。
別に特別なことはされてない。
なのに心は温かくなるし、安心する。
吹く風も涼しくて……気を抜けばこのまま眠ってしまいそうになる。
いぬ美も自分に抱かれてる時はこんな気持ちなのかな。
「ボクたちがいるじゃないか」
真の声が体を通して聞こえる。
「今日だって雪歩とやよいも一緒だし。最近は一人での仕事も多いけど、たいていプロデューサーがついてくれるでしょ」
「そう、だけど……」
「事務所には小鳥さんもいるし、社長だって」
真の言うことは分かる。
でもそうじゃないんだ、多分。
自分が寂しいって思っちゃう理由は――。
「もっと頼ればいいんだよ」
「………………?」
なんか今日の真、言ってることが支離滅裂だぞ?
急に違う話するし……。
「響ってさ、ハム蔵がいなくなった時とかはすぐに言うけど、他の大事なことってあまり言わないよね」
温かいのは背中だけじゃなかった。
聞き慣れてるハズの真の声もなんか温かくて、くすぐったい。
「困ってることとか相談したいこととか、誰かに聞いてほしいこととかさ、今までもあったんじゃないの?」
否定はできない。
できるだけウソをつきたくないから。
「そういうの、我慢してないで誰かに言っちゃえばよかったんだ。みんな助けてくれるよ?」
「………………」
「響が逆の立場でもそうするだろ?」
「う……ぐすっ…………」
なんとか今まで耐えてきたけど。
もう限界だった。
我慢できそうになかった。
「寂しいなんて……言えるわけないぞ! だって……う……じぶん、ケンカして飛び出して……。
エラそうなこと……言って……言って、出てきたんだ…………!!」
さっきまでなんとか抑えてた涙が、我慢してた仕返しみたいに溢れ出てくる。
「こっち来て、右も左も分から……な、くて……自分でがんばらないとダメだって……!
トップアイドルに、なるんだから! 頼るようじゃダメなんだ…………ッ!」
こんなこと、言うつもりじゃなかった。
ハム蔵たちにだって一度も漏らしたことがなかったのに。
「寂しい、なんて、そんなこと言っちゃいけないんだ……そんな恥ずかしい……言えるわけない……。
それに言ったら迷惑かける、みんなを困らせるだけ……だから……あぁ…………!!」
そうだ、真のせいだ。
真が悪いんだ。
だって……真がこんなことするから――。
そうじゃなかったら、ずっと言わなかったんだ。
誰にも知られずに済んだんだ。
「アイドル……トップ、アイドルになる……って……言ったのは自分、なんだ! だから…………ッッ!!」
体が熱くなって、頭がぼうっとして、何も考えられなくなった。
自分が何を言ってるのかも、もう分かっていなかった。
寂しくて、悲しくて、情けなくて、悔しくて、それで、腹が立って。
どうにもできなくなって真に八つ当たりした。
全部、真のせいにすればいいんだって。
それから――。

 

多分、5分くらいそうしてた。
熱かった体がちょっとずつ冷めていく感じがして。
そうしたらぼんやりと、さっきまでの記憶が戻ってくる。
真がそっと自分を離した。
「…………」
いま、ちょっとだけ名残惜しい感じがした……。
「………………」
何も言えなかった。
何を言えばいいのか分からない。
ハッキリとは覚えてないけど、ひどい言葉もぶつけたような気がする。
「落ち着いた?」
自分よりちょっと高いところから声が聞こえて、また思考が飛んでいった。
「うん…………」
涙は止まっていた。
さっきので涸れたんだと思う。
それにずいぶん冷静になれたから、自分が考えていることもちゃんと分かってる。
「――なら、よかった」
そう言う真はちょっと寂しそうだった。
よ、横目でちらっと見ただけだから分からないけど!
たぶん、そう。
「ごめん…………」
この期に及んでこんな謝り方しかできない自分が嫌になる。
もっとちゃんとした言葉がいっぱいあるのに。
「いっぱい迷惑かけちゃった……それにひどいことも、いっぱい――」
「いいよ、気にしてないから」
「…………?」
「友だちって仲良くするだけじゃないでしょ? そりゃあ仲が悪いよりは良いほうがいいけどさ。
たまにはケンカもするし、迷惑かけることもあるし、傷つけちゃうこともあるかもしれない」
たしかに真と伊織はしょっちゅうケンカしてる気がするけど。
「そういうのも全部ひっくるめての友だちだって、そう思うんだ。だから気にしなくていいよ」
「うん――」
「その代わり、何かあったらボクも遠慮なく響に頼らせてもらうからね!」
清々しいって、こういうのを言うのかもしれない。
あんなことがあったのに、真のおかげで苦しかったのが少し楽になった気がする。
その言葉に甘えちゃいけないけど、後ろめたさが波みたいに引いていった。
「も、もちろんさ! カンペキな自分に任せておけばなんくるないさー!」
気恥ずかしさを紛らせるために言ってみたけど、すぐにかえって恥ずかしくなる。
「う、うん! でも、これはちゃんと言っておかなきゃだぞ!」
さっきまで感じてた寂しさとか悔しさは――まだちょっと残ってる。
だけど溜め込んでいたのを吐き出した分、なんだか心も体も軽くなっていた。
「さっきはひどいこと言って……ほんとにゴメン! それと――――」
本当は一番に言わなくちゃいけないこと。
一回だけじゃとても足りない言葉。
「その……あ、ありがとう…………」
普段なら挨拶も同然に出せる言葉が、いろんな気持ちがごちゃごちゃになって尻すぼみになる。
今の自分、たぶん顔が真っ赤になってるぞ……。
「真のおかげで自分……もう少しがんばれそうだぞ……うん、もう大丈夫だ!」
寂しいって気持ちを、寂しいって言葉に出しただけなのに、今はすごく晴れ晴れした気分だった。
「よかった――」
真がしみじみした感じで言う。
「響が元気ないとボクたちまで元気がなくなっちゃうからさ」
「………………」
「前にプロデューサーが言ってたよ。響は太陽みたいな娘だって」
「……自分が?」
「うん、いるだけで明るくなるからって――ボクもそう思うし」
「それなら真もそうじゃないか」
「う〜ん、ボクはちょっと違うのかも」
何が違うのかよく分からない。
似てるところも多いと思うけどな。
「どうする? もう少しここにいようか?」
言われて改めて辺りを見渡す。
空も海も藍色に染まっていた。
これはこれで綺麗だけど、いつまでもここにはいられない。
雪歩とやよいも心配するだろうし……。
「あ…………!」
「どうしたの?」
「真、ちょっとお願いがあるんだけど……」
冷静になっていろいろ考えられるようになったら、急に恥ずかしさがぶり返してきた。
「今日のこと、みんなに内緒にしてほしいんだけど……」
特に亜美と真美には絶対に知られたくないぞ。
バレたら絶対にいじられる!
「響が本当は寂しかったってこと?」
「そうじゃなくて! いや、それもそうなんだけど……だから…………」
「お兄さんとケンカして出てきたこと?」
「うがー! 違うぞーッ!」
ぐぬぬぬぬ……真はやっぱりバカだぞ。
うん、バカ決定だ。
「誰にも言わないよ」
「だから自分が言いたいの…………え?」
「響が泣いてたことは誰にも言わないから」
やられた!!
ちょっとイジワルな顔の真を見て、やっと気付く。
最初から分かってたんじゃないか!
自分から言いたくないから黙ってたのに、ひどいぞ!
「ほ、ほんとに言っちゃダメだぞ!? 内緒なんだからね!」
「分かってるって。響を困らせるようなことはしないよ」
でも、と真は続けた。
「雪歩とやよいにはそれとなく伝えておくよ。二人も心配してたし」
そっか……自分、雪歩とやよいにも迷惑かけちゃったな……。
「ううん、二人には自分からちゃんと言うぞ」
それくらいしないと、心配してくれた二人に悪いしね。
「そう? 無理してない?」
「大丈夫、ちゃんと言えるから」
改めて思う。
今回の仕事、このメンバーで良かったな、って。
ほんとは誰にも涙なんて見せたくなかったけど、結果的には良かったのかな。
「それじゃ、そろそろ戻ろう」
真がくるりと振り返って、
「………………!!」
自分の手をぎゅっと握った。
海風に晒されてたせいでその手はちょっと冷たかったけど、すごく温かかった。
「まことっ!」
その温かさに自分は勇気をもらったから、思ってたけどずっと内緒にしてたことを伝える。
今を逃したら次はいつ言えるか分からない。
「自分……真のこと…………」
恥ずかしいって言ってた真の気持ちが分かる。
自分の言葉に一瞬、驚いた顔をした真は。
しばらくワケが分からないみたいに間抜けな表情をしてた。
だけどすぐに笑顔になって自分に応えてくれる。
それを見て自分も安心する。
やっぱり真は真だぞ!
「まこと……ありがとな…………」
自分を引っ張っていく背中に向かって、もう一度だけ言う。
たぶん聞こえてないと思うけどかまわない。
なんかこんな雰囲気は自分に合ってない気がするから、
「よし、真! どっちが先にホテルに着くか競走だぞ!」
そう言って自分は走り出した。
「あ……ずるいぞ、響!」
なんて真は怒ったけど、自分が有利になったワケじゃない。
だって手は繋いだままだから、ほんとはこの競走に勝ち負けなんてないんだ。
ゴールは次のスタートだから……なんて言うつもりはないけれど。
今日のことで真との距離がちょっと縮まった感じがするから。
だからこれからがほんとのスタートだ。
明日からカンペキな自分をイヤというほど見せてやるからな!
自分がずっとずっと、いつまでも真の目標になってやるぞ!
それが今日のせめてもの恩返し――。
それでいいよね、真!!

 

 

 

 

   終

 

SSページへ