憧憬の痛み(我那覇響篇)

 

「あった! ねえ、これでしょ?」
ちょっと背伸びをして、棚にあるファイルをとる。
分厚くてけっこう重い。
「うん、これで合ってるわ。ありがとう、響ちゃん」
ぴよ子の持ってるカゴには事務用品がたくさん入ってる。
買い出しに行くぴよ子が細かく書き込まれたメモを持ってたから、荷物が多いんじゃないかって気がした。
次の予定まで時間があったし、荷物持ちも兼ねて手伝いについて来たけど正解だったぞ。
こんなの、ひとりで持って帰るのは大変だし。
「あとは……クリップね。小さいのじゃなくて、ハサミみたいに摘まんで取っ手の部分を倒せるタイプの――」
「それならあっちで見たぞ」
この文具屋は大きいから、見たこともないような物も並んでる。
こっちのL型の定規みたいなやつって何に使うんだろう?
それにしても、こんなに大量に買うならネットを使ったほうがいい気がする。
なんとかクル……だったっけ?
あれならすぐに届くのに。
「それじゃお会計してくるわね」
「自分も一緒に――あ、やっぱり外で待ってるね!」
前に誰かがテレビで言ってたのを思い出した。
自分がお金を払わないときは外で待つのがマナーだって。
あれってごちそうしてもらうときだっけ?
「これ…………」
ふと入り口のほうに目を向けると、自分の背丈くらいもあるポップがあった。
律子だ。
そういえば有名な文具メーカーのイメージキャラクターになったんだ。
制服を着て、ノートを片手にこっちを指差すポーズが律子らしい。
『遊んでないで、ちゃんと仕事しなさい!』
なんて声が聞こえてきそう。
意外だけど亜美と真美が推薦したらしい。
イメージがぴったり、っていうのもあるんだろうけど、これなら竜宮小町のプロデュースに支障がないから、とか。
2人もいろいろ考えてるんだな。
「おまたせ」
戻ってきたぴよ子は……やっぱり袋ひとつじゃ入りきらないじゃないか。
「自分、こっち持つよ」
そう言って重そうなほうを引っ張るようにとる。
「そんな、悪いわ」
「ぴよ子ひとりじゃ重いでしょ? それに自分、鍛えてるから平気だぞ」
うん、これくらい普段のレッスンに比べればなんてことない。
「ふふ……ありがとう、響ちゃん」
「そ、そんなお礼言われるようなことじゃないぞ……」
ちょっと恥ずかしくなったのは、ぴよ子がじっとこっちを見てるからだ。
「なんだか響ちゃん、すっかり頼もしくなっちゃって」
「な――!?」
「急にお姉さんになったみたい」
な、何を言いだすんだ?
お姉さんみたいだって?
自分には兄貴がいるから、お姉さんじゃなくて妹じゃないか。
「荷物を持ってるから?」
「そうじゃなくって、なんていうか……頼りがいがあるみたいな」
「それって今までは頼りなかったってこと……?」
恥ずかしい想いをしたから、少しだけ意地悪で返してみる。
ぴよ子は少し考えてから、
「そうねえ……そうかもしれないわねえ……」
とか言って、ちらちら自分を見てくる。
むむ、ちょっと心外だぞ。
「冗談よ。さ、早く帰りましょ」
なんかごまかされた気がするけど……。
それにしても、お姉さんか――。
やよいが妹だったらいいな、なんて思ったことはあるけど。
「頼りがいかぁ……」
周りは自分のこと、どんなふうに見てるんだろう?

 

「おかえりなさい」
事務所に戻ると、真っ先にやよいが出迎えてくれた。
さっきまで掃除してたみたい。
「ただいま! やよいは今日もかわいいなあ」
小さくて元気で、ハムスターみたいだって思ったことがある。
なんていうか自然体で、素直で、それがかわいいんだよね。
やよいが人差し指を立てて唇に当てた。
「どうかした?」
「真さんがあっちの部屋で寝てるんです。起こしちゃいけないから……」
「え、そうなの?」
パーティションで区切っただけの応接室で、真が寝てるらしい。
あそこにはソファとテーブルしかないけど、美希みたいにソファで寝てるのかな。
「なんだか疲れてるみたいです。真さんは寝不足だから、って言ってましたけど」
「レッスンの時はそんな感じじゃなかったけどな」
「そうなんですか?」
たしかに今日のレッスンはいつもよりハードだったから、そういうこともあるかもね。
あのトレーナー、いつも自分たちに厳しすぎるぞ……。
「真さん」
そう思ってると、そろそろと真が出てきた。
たしかに疲れてる感じだ。
「ごめん、起こしちゃった?」
ちょっと声が大きかったかな。
やよいに言われて気をつけてたつもりだけど。
「ううん、そんなことないよ」
真は背伸びをしてみせたけど正直、無理をしているような感じがした。
自分たちの手前、そういう素振りを見せないようにしてるのかもしれない。
「疲れてるんでしょ? 今日のレッスンは厳しかったからな」
午前中のダンスレッスンは、自分から見てもかなり詰め込み気味だった。
次のライブではアップテンポな歌が続くから、そのために完成度を高くする必要があった。
自分や真は難なくこなせたけど正直、個人個人のレベルに合わせた内容にしたほうがいいと思う。
「あ、これ?」
不意にテーブルの上の雑誌に目が行く。
「この前のやつか」
10代から20代向けの総合情報誌――っていうのがこの雑誌の売り文句だ。
要はいま流行ってるものなら何でも取り扱うってことで、音楽とか映画、デジタル物が多く取り上げられてる。
もちろん旬のアイドルなんてコーナーもあるから、自分たちに声がかかることもある。
ページをめくっていくと、タキシード姿の真が大きく載っていた。
新郎役の真が花嫁役の女の子を抱き上げている。
こういう撮影の時は、本当は花嫁役は隠した台に腰かけていて、抱く方はそれっぽく手を添えているだけだ。
でも真は立ち姿も堂々としてるし、パッと見ると本当に抱き上げているように見える。
「やっぱり真はこういうのが似合うな」
案外、貴音も適役かもしれない。
キリッとしてるし、背も高いし。
自分もこんな役をやってみたいけど、ちょびっとだけ身長が足りない……。
ちょ、ちょびっとだけだぞ!
「真さん……顔色、悪いです。休んだほうがいいと思います」
やよいが言ったから、雑誌から目を離して真の顔を覗きこむ。
たしかにいつもの元気がない。
真はもともと色白だから血色の良し悪しは分かり難いけど、普段とちがうのは分かる。
「う、うん……そうしようかな」
素直にそう答えるところを見ると、本人も気付いてるみたいだ。
「真、帰ったらストレッチしといたほうがいいと思うぞ」
激しい運動をすると疲れてそのまま眠っちゃう人がいるけど、本当はやらないほうがいい。
面倒でもちゃんとストレッチしてから休めば、疲れのとれるスピードが早くなる。
逆にやらないといくら寝ても調子が戻るのに余計な時間がかかってしまうんだ。
こんなこと、真なら知ってて当然だから言うまでもなかったけど、
「響に言われなくても分かってるよ!」
それが気に障ったのか、真は逃げるように事務所を出て行った。
「………………」
急に怒鳴られてちょっとムカついたけど、横でやよいが怯えていたから、
「大丈夫か?」
冷静になって声をかける。
「あ、はい……!」
恐がっているというより、ビックリしているみたいだった。
「真さん、どうしたんでしょう……?」
「さあ……でも、やよいは何も悪くないから気にしなくていいんだぞ」
「でも…………」
「さっきのだって、自分が無神経だったかもしれないし。起こされて機嫌が悪かったのかもしれないだろ」
真は理不尽に怒ったりしないからな。
たまたま虫の居所が悪かった――ってことはないと思う。
気になるのは、やっぱり……。
「ねえ、やよい。さっきまで真、この雑誌見てたんでしょ?」
「あ、はい、そういえば見てました」
「何か言ってた? 様子がちがってたとか」
「特に何も……あ、時々ですけどため息ついてました」
ちょっと分かってきたかも。
やっぱり自分、無神経だったかな……。

 

考え事をしたせいで、夕べはあまり寝られなかった。
メールでも来るんじゃないかと思ったけど、結局なにもなかった。
まあ真は”そういうこと”をメールで済ませるタイプじゃないから、意外でもなかったけど。
気になることはいろいろあるけど、今日は春香とレッスンだからひとまずそれは置いておく。
「はいさーい!!」
ここの事務所のドアってけっこう軽いんだよね。
自分では気を付けてるつもりだけど、つい勢いよく開けてしまうんだ。
「おはよう、響ちゃん。まだ時間あるからクッキー食べる?」
入るなり春香が駆け寄ってきた。
差し出されたバスケットの中には、花びらの形をしたクッキーが半分くらい入ってる。
「食べる食べる!」
きっとよっぽどの自信作なんだな。
お行儀が悪いけど立ったままで一口……。
うん! 甘くて美味しい!
「春香、これムチャクチャ旨いぞ」
「そう? えへへ、ありがとう、響ちゃん」
春香ならお店を開けるんじゃないかな。
アイドルが経営してるスイーツショップなんて、すごい話題になるぞ。
「あ…………」
ホワイトボードを確認しようとして、真と目が合う。
声がしなかったから、いるとは思わなかったぞ……!
不意のことだったから、つい目を逸らしてしまった。
「あ、自分、お茶淹れてくる!」
「ちょっと待って」
給湯室に行こうとしたところで呼び止められる。
無視するワケにもいかなかったから振り向いたけど、ちょっと気まずい……。
「昨日はごめん、怒鳴ったりして……」
真もそんな空気が嫌だったんだろうな。
自分と目が合うとすぐにそう言った。
「どうかしてたんだ、ボク。響はボクのために言ってくれたのに」
「真……?」
あまりに何度も頭を下げるものだから、自分も何を言っていいか分からなくなった。
「ごめん、言い訳だよね、こんなの。ほんとにごめん!」
なんか段々かわいそうになってきたから、
「自分、全然気にしてないぞ?」
って返しておいた。
そりゃあの時は腹も立ったけど、今になれば自分にも悪いところはあったかもしれないし。
「あ、でも、やよいには謝っておいたほうがいいと思うぞ。落ち込んでたから」
「うん、そうする」
やよいはいつも周りに気を遣ってるから、こういう事があるとけっこう悩みこんでしまう。
自分たちはお姉さんだから、しっかりしないとね。
「あの……」
消え入りそうな声に振り向くと、春香が困ったようにこっちを見ていた。
間に入ろうかどうか迷ってるみたいだった。
「えーっと、何かあったの……?」
「な、何でもないぞ。ちょっと振り付けのことで真と揉めてただけだから」
このうえ春香まで巻き込むわけにはいかないからな。
我ながら上手いごまかし方だと思う。
ヘンな顔をしてたけど、春香も一応は納得してくれたみたい。
「あ、そろそろ時間だ!」
春香がクッキーの入った包みを真に渡した。
バスケットは給湯室に置いてあったものらしい。
「それ、余ったから真にあげるね」
「え、いいの?」
早めに来たつもりだったけど、レッスン開始の時間が迫っていた。
「春香、早くしないと遅れるぞー」
「ちょっと待って、響ちゃん。そんなに急いだら転んじゃうよ?」
「転ぶのは春香じゃないか!」
自分、転んだことなんてないぞ!
まったく失礼極まりないな!
「あはは、じゃあ行ってくるね」
「うん、2人ともがんばってね!」
そう言って自分たちを送り出す真の顔は、まだちょっと曇ってた。





「で、本当は何があったの?」
春香がずいっと顔を近づけてきた。
「大したことないんだってば」
レッスンが終わって帰ろうと思ったところに、春香から食事に誘われた。
ちょうどお腹も空いてたし、近くのファストフード店に入ったわけだけど。
まさか訊問を受けるなんて思わなかったぞ……。
事務所を出る時にごまかせたつもりだったけど、失敗だったみたい。
「だって響ちゃんがケンカするなんて珍しいし。伊織なら分かるけど」
たしかに真と伊織はしょっちゅう揉めてる。
「ケンカじゃないって――」
「ほんとに?」
「………………」
うぅ……春香がまっすぐ見つめてくるから、つい目を逸らしちゃったぞ。
「こういう言葉があるぞ。好奇心は身を滅ぼす!」
「私は仲間として、友だちとして2人のことが心配なんだけどなあ……」
「う…………」
「そっかあ、響ちゃんにとって私は友だちじゃないのかあ……」
顔を伏せてるけど、チラチラこっちを見てるのは分かってるぞ。
分かってるけど。
「ず、ずるいぞ、春香! そんなこと言われたら自分……困るじゃないか」
春香は面倒見がいい。
本人にその気はないんだろうけど、いつの間にか皆をまとめてひとつにしてる感じだ。
これも彼女のお節介――面倒見の良さの成せる業だ。
「しかたないなあ……ちゃんと教えるから、その泣きマネやめてほしいぞ。恥ずかしいから……」
「ほんとっ!?」
観念したとたん、パッと顔を上げた春香にもちろん涙の跡なんてなかった。
といっても言うようなことなんて、ないんだよなあ……。
とりあえず昨日あったことを話しておく。
「それだとどうして真が怒ったのか分からないね」
春香が思うのももっともだ。
というか伝え方がマズイと、ただ真だけが悪者になっちゃうじゃないか。
「ううん、自分がうるさくして起こしちゃったのが悪いし」
「でも普通、そんなことで怒鳴ったりしないよね?」
「まあ、それは……」
「心当たりはないの? キッカケとか」
「ないことも、ない……」
ここまで訊いてくるんだ。
思ってること、春香に訊いてみよう。
それでスッキリするかもしれないし。
「真が読んでた雑誌が引っかかってるんだ」
「雑誌?」
「月刊ティーンズラボだっけ? 自分たちも時々やってるやつ」
「月刊ティーンズメーカーだよ」
「そう、それ! 今月の分に真が載ってるんだ」
「私も見たよ。新郎役だったよね」
事務所に来る途中で読んだらしい。
駅の近くにけっこう大きな書店があるから、そこに寄ったんだろう。
「真、もしかしたらそのことで落ち込んでるのかもしれないんだ」
本人のいないところでこういう話は気が引けたけど、しかたがない。
「そう、なの……?」
春香はピンときてない感じだ。
真は責任感が強いから、嫌な仕事でも受けたからには真剣にやる。
それでちゃんと成果も出すから、一見すると上手くいってるように見えるんだ。
でもそれで満足してるかっていうと……多分ちがうと思う。
「どっちかっていうと、花嫁役をやりたかったんじゃないかなって」
「あぁ〜……」
苦笑いする春香。
しょうがないよ、って諦めてるようにも見える。
「どうしてもそういう仕事が多くなるから」
って春香は言うけど、本当にやりたいことができないってかわいそうだぞ。
「需要っていうのかな、そういうのが変わらないと難しいよね」
「だからって男役ばかりやってたら、ますますそんな風に見られるんじゃないか?」
イメージが固まっちゃったら、いよいよそんな仕事ばかりになってしまうかもしれない。
「プロデューサーに言ってみるのはどうかな? あ、でも事務所の方針だから社長のほうかな……?」
「う〜ん、やっぱりそうなるかあ……」
あるいは自分たちでも営業してみるとか。
最初の頃はテレビ局の人にCDを配ったりしてたし。
……でもこういうのって、本人がやらないとダメなんじゃないかな。
「真もがんばってるのにね……」
春香もできるならなんとかしてあげたい、って思ってるみたい。
「そうだな」
自分も何かできないかな。
このまま放っておくなんて、できないぞ……。

 

しばらく考えてみたけど結局、名案も浮かばないまま。
プロデューサーにもそれとなく話をしてみたけど、オファーを断ってまでイメージを変えるのは難しいらしい。
それで上手くいけばいいけど、もし失敗したら仕事がこなくなるかも――なんて言われたらたしかに恐い。
そうなったら誰も責任をとれないし。
さすがにそうなると、自分たちは余計なことをしないほうがいいんじゃないかとさえ思えてくる。
社長も事務所の方針は強くは言わなくて、アイドルの個性やプロデューサーの手腕に任せるって言うし。
個性――。
男の子っぽいっていうのは、たしかに強力な個性だと思う。
少なくともうちの事務所には他にいないし。
となるとその個性を活かさないのは……もったいないってことになるのかな?
個性を活かさないってことは、個性を捨てるってことになるのか……?
なんだか難しい。
こういうことはひとりで考えても答えが出ない。
だから、っていうワケじゃないけど、今日はオフにもかかわらず事務所に来てしまった。
ここは自分にとって第2の……いや、第3の家みたいなものだ。
最近は忙しくなってきたけど、それでもいつも誰かいるんだ。
「はいさーい!」
挨拶は元気よく。
これが自分のモットーだ。
挨拶の声が沈んじゃうと、自分も周りも元気がなくなるからね。
「あ、響ちゃん、おはよう」
雪歩が出迎えてくれた。
「おはよう、雪歩」
「ちょっと待っててね。お茶淹れてくるから」
「あ…………」
そんなに気を遣わなくてもいいのに、って言うより先に給湯室に行ってしまった。
雪歩の淹れてくれるお茶はすごく美味しい。
前に和菓子を一緒に食べたけど、普段食べてるハズなのに甘さが全然ちがった。
お菓子に合わせて雪歩が渋めのお茶を用意してくれていたらしい。
日本茶には茶葉だけじゃなくて淹れ方にも種類がいろいろあって、飲む人の好み、その時の体調、お茶うけに合わせて、
組み合わせるのが理想なんだって。
そういえばお茶を飲む前に、お菓子を一口でもいいから食べたほうがいいとも言ってたっけ。
繊細な心遣いっていうか、そういう細かいところまで気配りできる雪歩がちょっと羨ましい。
可憐な女の子っていうのかな。
あ、真、雪歩とよく一緒にいるんだから雪歩をお手本にすればいいんじゃないか?
「………………」
なんてことを考えてたら、真と目が合った。
また、もう!
いるなら何か言ってほしいぞ!
声がしないから雪歩しかいないと思ったじゃないか。
あれ……?
テーブルの上の雑誌って……。
「…………なに?」
「真、それ…………」
雪歩がお茶を持って戻ってきた。
「はい、響ちゃん。響ちゃんも今日はお休みじゃなかったの?」
「ありがと! うん、今日はオフだけど、つい事務所に来ちゃったっていうか……」
こういうことは何度かある。
気が付いたら事務所に来てる、っていうのはそれだけ居心地がいいからだろう。
アットホームっていうのかな。
本当は仕事場なんだから緊張感を持たなきゃダメなんだろうけど、ちっともそんな気になれない。
「ふふ、真ちゃんと同じだね」
同じ……?
「真ちゃんも今日はお休みだったんだよ。だけど――」
ああ、なるほど。
みんな考えることは同じだ……と思ってると、
「ボクのことは別にいいじゃないか」
突っぱねるように真が言った。
「え…………?」
驚いたように雪歩が真を見る。
雪歩が特に仲良くしてるのは真だ。
タイプが全然ちがうのに、2人一緒にいることが多いのはきっと相性がいいからなんだろうな。
「ご、ごめんね、真ちゃん……!」
普段は小さな言い争いをしてるところさえ見たことがなかったから、消えそうな声で謝る雪歩が、
まるで怯えているように見えた。
「ち、ちが……ごめん、雪歩……!」
やっぱりこの2人、ケンカなんてしたことないんだろうな。
真はさっき自分が言ったことが信じられないみたいにうろたえた。
「真、この間からなんかヘンだぞ?」
思ってたことがそのまま口に出る。
自分になら何を言ってもかまわないけど、雪歩に対して今の態度はちょっとヒドイと思う。
「………………」
「………………」
雪歩も真も黙っちゃった。
2人ともばつ悪そうに俯いて、目も合わせようとしない。
しかたがないので淹れてもらったお茶を飲むけど、こんな状況じゃ美味しいとは思えない。
急に静かになったものだから、外を走る車の音がよく聞こえる。
ああ、もうッ!
こういう湿っぽいのは苦手だ!
真の腕を掴んで無理やり立ち上がらせる。
「雪歩! ちょっと真、借りていい!?」
訊きはしたけど返事はどっちでもよかった。
確認みたいなものだ。
「ふぇ……!?」
ワケが分からず雪歩が目を白黒させてる。
「ちょ……響! どういうこと!?」
ついでにこっちの抗議の声も無視だ。
「いいでしょ!?」
「う……うん…………」
押しに弱い雪歩が、ちょっと怯えたように頷く。
ごめんね、雪歩。
あとでちゃんと返すからね。
「何するんだよ!」
抵抗されたら敵わないから、ちょっと強めに腕を掴む。
後で真にも謝っておこう……。

 

「何なんだよ、こんなところに連れてきて――」
レッスン室に着くなり、真が非難がましい目で言う。
事前にどこに連れて行くかを言っちゃうと、どうせ拒否するだろうから、ここまで無言で引っ張ってきた。
今日はたまたま誰も使っていないらしい。
備品はきれいに片づけられてるから、すぐにでも利用できる。
「ふふん、ここに来たら決まってるでしょ?」
大袈裟なくらい嫌味っぽく言う。
こうすれば真の性格だから、絶対に自分と張り合おうとする。
ちょっとオーバーだけど、これくらいでちょうどいい。
演技の勉強もしてるんだからな。
「自分とダンスで勝負だぞ、真!」
考えてるとおりなら真は多分、自分に対して対抗意識みたいなものを持ってるハズ。
ここまで堂々と宣戦布告したんだ。
負けたくないって気持ちで応じると思う。
「………………」
真は気が抜けたように自分を見ている。
ここで勝負に乗ってきてくれないと話が進まないんだけど……。
まさか受けないなんて言わないよね……?
「――いいよ」
なんてちょっとだけ不安になってたから、そう言ってくれてホッとする。
……いやいや、安心してどうするの!?
これから真剣勝負なんだぞ!
「その代わり、曲はボクが選んでもいいよね?」
せっかく乗ってきたのに、分が悪いからって理由で降りられたらたまらない。
だから、
「真が一番得意なやつでいいぞ」
自分にできるかぎりの嫌味っぽい口調でそう言ってやる。
それがフェアってものだ。





真がどんな曲を選んだって同じだ。
ダンスなら体が憶えてる。
勉強とか理屈とか関係なしに、音を聴けば自分の足はもうステップを踏んでいた。
頭のてっぺんからつま先まで全神経を集中させる。
考えることなんて、何もなかった。
勝負を挑んだ自分が負けるワケにはいかない。
というより、今の真を相手に負けるハズがないと思ってた。
連続のターンを決める、その一瞬に。
ちらりと横を見る。
突然申し込まれた勝負を受けたわりには、真の動きは良かった。
さすがに自分と張り合っているだけあってキレがある。
真のダンスは動きのひとつひとつが力強い。
こういう喩えが正解かどうかは分からないけど、空手の演武を取り入れているような感じ。
だから拳を突き出すところ、脚を大きく振り上げるところなんかは目で追いきれないくらいだ。
こういうダイナミックな動きはステージでは特に映える。
……と、すごいところは他にもいっぱいあるけど……。
「そろそろ息が上がってきたんじゃないか?」
挑発も兼ねてそう言ってやる。
「響、テンポが乱れてきてるじゃないか」
「真、喋ってると舌、噛んじゃうぞ?」
「響もね!」
なかなか強情だな。
3分ちかく経った今だからハッキリ分かるけど、真のステップが乱れてきた。
たいていの人なら見落とすか、そもそも気付かないと思うけど。
同じ曲で同じ場所で踊っている自分には分かる。
本当のダンスは曲に合わせるんじゃない。
曲を引っ張って行くものだ。
今の真にはそれができていない。
お手本どおりの動きをなぞっているだけ。
音楽に合わせて体を動かしているだけだ。
まあ、これはオーディションじゃないし、そういう部分で勝負するつもりはないけど。
見ていてちょっと危なっかしい。
雪歩ややよいなら、これくらいでもちょうどいいかと思うけど……。
「あ…………!!」
そろそろ止めたほうがいいかも、と思った時だ。
バランスを崩した真が床を踏み損ねた。
「真ッ!!」
すぐに駆け寄り、腕を掴んで引き上げる。
こうなるかも、って準備しておいてよかったぞ……。
「………………」
「大丈夫か?」
曲を止め、顔を覗きこむ。
見たところ真も受け身をとろうとしていたみたいで、怪我はないみたいだ。
「余計なことしなくてもよかったのに」
拗ねたように言う真。
今のはちょっと伊織に似てた。
「たしかに余計なことだったかも。ごめんな、真」
咄嗟に体が動いたけど、プライドを傷つけてしまったかもしれない。
真くらいの運動神経なら自分が支えなくても大丈夫だったかも……。
そんなつもり、なかったんだけどな。
「ううん、ボクのほうこそ……ごめん」
ばつ悪そうに俯き加減で真が謝る。
「いや、自分は気にしてないけど――」
なんかヘンな空気になっちゃったから、その場に座り込む。
真も横に腰をおろした。
「ん〜〜……」
じっと真の顔を見る。
「な、なに……?」
いつもの覇気というか凛々しさがない。
ダンスバトルが終わって疲れただけ、って感じじゃない。
「やっぱり真、なんかヘンだぞ?」
「そ、そんなことは……」
「ダンス対決――もしかして嫌だった?」
「そんなことないよ」
「だよね。今の真、ちょっとスッキリした顔してるし」
「そう……?」
「うん」
っていうのはウソ。
自分にはだいたい理由は分かってる。
ただ真が抱えてるモヤモヤが、思いっきり体を動かせば晴れるかも、って思ってたけどそう簡単にはいかなかったみたいだ。
「………………」
「………………」
ほんとは真のほうから言ってくれるのが一番ありがたい。
自分が追及してもごまかされるかもしれないし。
ただ、その理由が自分の考えてるとおりなら、真からは絶対に言わないような気もする。
特に自分には――。
「うがぁ〜〜!! もう、やめやめ!!」
やっぱり思いつく解決策はこれしかない。
「もう1回勝負! さっきのはナシでいいから! ほら、早く!」
今度は中途半端な終わり方はしない。
やるなら徹底的に、だ!
「ちょっと待ってよ!?」
いいや、待たない。
もうBGMは流れてるぞ。
「………………」
ほら、やっぱり乗ってきた。
なんだかんだ言って真は付き合いがいいからな。
それに何といっても、まだ自分に負けたくないって気持ちがあるらしい。
これなら10分でも20分でも踊り続けられるだろう。
お互いにステップを確認し合っているのは、相手がミスしたらそれをすぐに見つけるため。
自分は真に負けない。
真は自分に負けたくない。
だからいつまでも競っていられるワケだけど……。
今回はその気持ちが悪い方向に作用したんだ、って自分でも分かってる。
真のためには、彼女の前に自分がいないほうがいいってことも。
こうして同じ場所にいること自体、真につらい想いをさせてることも分かってる。
分かってるから、こうするしかないんだ。
自分がいなくなることなんて絶対にないからだ。





その瞬間っていうのはよく覚えてない。
気が付いたら倒れてた――そんな感じだ。
自分には限界とか無理なんてないと思ってたんだけどな。
「今の……どっちの勝ち……?」
横で息切れしている真に訊く。
自分と同じように大の字になって仰向けになっている。
「さあ、ね……ほとんど同時だったと、思うよ……響のほうがちょっと早かったけど」
相変わらず負けず嫌いだなあ。
「いーや、真のほうが早かった! 自分、見てたんだからね!」
つい自分も熱くなってしまう。
どっちが先にダウンしたのか。
つまりどっちが負けたのか、ってことだ。
こうやって張り合ってくるってことは、真らしさが戻ってきたと考えてもいいかもね。
まあ、自分としては今回に限っていえば勝ち負けなんてどうでもよかったけど。
むしろ真が勝負に乗ってこないほうがよほど問題だし。
「………………」
体を起こして、そっと真の顔を覗きこむ。
眼に元気はあるし、なんていうか覇気が戻っているような気がするぞ。
「うん! やっといつもの真に戻ったな!」
上体を起こした真を見て確信する。
ちょっとモヤモヤが晴れたような、そんな顔をしてる。
でもこれだけじゃ何の解決にもなってない。
「もしよかったらだけど……自分に話してくれないか?」
ほんとは真自身から言ってほしかったけど、時間をかけたらますます言い出しにくくなるかもしれない。
いつまでもこんな調子じゃ困るから、急かすみたいになっちゃったけど。
「ボク……ちょっとだけ、自分のことがイヤになっちゃったんだよね……」
「ん…………?」
珍しいな。
そんな言い方するなんて。
「何を求められてるのか、っていうのは分かってるんだ。ファンの人たちも、プロデューサーも」
アイドルとして、って意味か?
それなら別に――。
「ボクがなりたかったのは、もっとかわいくてキャピキャピした女の子なんだ……。
アイドルを目指してるのも――アイドルになれば、そうなれるかもって思ってた。
……って、これは前にもちょっと言ったことがあったっけ?」
「うん」
みんないろんな理由で事務所に入ったからな。
いつだっけ……話の中で理想のアイドル像みたいな話題になったときだ。
なんでアイドルになろうとしたのか、どんなアイドルになりたいかを話し合ったことがある。
自分はその時、”トップアイドルになりたい”としか言わなかった。
家族のことや本当の理由を言わなかったのは――ズルいかもしれないけど……。
わざわざ打ち明けるような話でもないと思ってたし、ヘンな同情をされるのも嫌だった。
「だけど、いざなってみたら、ボクがやるのは男の子の役ばかりでさ。
最初からそういうイメージがあるのは分かってたけど、それを変えたくてアイドルになったのに……」
真はかわいい女の子になりたいから、って言ってたな。
それを聞いた時、おかしなことを言う奴だなって思ったっけ。
だって、かわいいからアイドルになろうとするんじゃないのか?
理由も目的も、自分にはよく分からなかった。
あの時から真は変わらず、かわいい女の子だったからな。
だけど世間は認めてくれない、ってことか……。
「プロデューサーには言ってみた? そういう仕事もしたいってこと」
「うん……それは、何回かは……」
プロデューサーはいつも自分たちのことを考えてくれてる。
プロデューサーだけじゃない。
社長だってぴよ子だって、そうだ。
だからきっと真が言うまでもなく、そういう仕事も探してくれてるんだと思う。
それでも世間のイメージのほうがやっぱり強くて、押し切れないのかもしれないな。
「まあ、たしかに真は男の子っぽいけど」
まず見た目からしてそうだもんな。
やっぱり髪が短いから?
でもそれだと春香や雪歩も同じ、ってことになるけど。
ひとつ間違いないのは、
「でもただ、男の子っぽいワケじゃないぞ。”かっこいい”男の子だろ」
ってことだ。
「同じじゃないか!」
まあ、そんなふうに怒るのも分かる。
「なに言ってるんだ? 全然ちがうぞ?」
ちょっと説明が足りなかったからね。
「ボーイッシュな娘なら、他にもいるじゃないか。でも真はわざわざ”かっこいい”って付いてるんでしょ?
それって、ちゃんと真を見てくれてるってことじゃないか」
実際、男の子っぽい女の子なんていっぱいいる。
その子たちがみんなアイドルになってテレビや映画に出るようになったとしても、
それが理由で真が埋もれることはないと思う。
「うーん……うまく言えないけど……いい加減に見てたら、”男の子みたいだ”――で終わるでしょ?
”かっこいい”って言われるからには、他の子と比べられてるってことにならないか?」
「――それがボクにとって褒め言葉だったらね」
「あ、そっか…………」
多分――っていうか間違いなく、ファンが言う”かっこいい”は褒め言葉だと思う。
ネットとかファンレターとかいろんなところからファンの声は聞こえるけど、
それだけ多くの人が言ってるんだから、純粋に応援なんじゃないかな。
「真はやっぱり、かっこいいって言われるのは嫌なの?」
「もちろん――」
嫌だ、ってハッキリ言うのかと思ったけど、ちょっと言葉に詰まってる感じ。
反射的に突っぱねてるってワケじゃなさそうだな。
っていうことは案外、自分が考えてることで当たりかもしれない。
「……そこまで嫌じゃないかも。でもやっぱり、”かっこいい”って言われるよりも、”かわいい”って言われたいよ」
「ふーん…………」
ならそこまで複雑な話じゃない。
「じゃあ2番目の褒め言葉だと思えばいいんじゃないか?」
「2番目……?」
「みんなそうだけど、良い所ってひとつだけじゃないでしょ?」
「うん」
「でも一番良いところってあるでしょ」
「う〜ん……?」
得意なものも苦手なものも、長所も短所も、ひとつだけとは限らない。
誰だってそうだ。
でも一番これを褒めて欲しいとか、一番にここを見て欲しいっていうポイントはある。
まあ、カンペキな自分はどれも一番だから優劣なんてつかないけどね。
「じゃあ真! ためしに自分のこと褒めてみてよ!」
「ええっ!? どうしたの、急に……」
「いいから! ほら! いくつだっていいぞ!」
大袈裟に胸を張ってやる。
そういえば小学生の頃、クラスでこんなことやったっけ。
日替わりでひとりの生徒の良いところをみんなで発表し合うってやつ。
仲の良い子はどんどん挙げていって、それほど親しくない子も発表を通してその子の魅力を知る。
――っていうのが趣旨だったけど当時、自分にはそんな狙いなんて分からなかった。
ただ、”こんな奴もいるんだな”っていうくらいの認識で。
でも振り返ってみると、その発表のおかげで仲良くなった子もたくさんいる。
他人の良いところを見つけるのって大事なことだ、って思えるようになったのはずっと後。
友だちとケンカした時、お互いに悪口を言い合った。
なんでこんなに次から次へ出てくるんだろう、って思うくらいに、相手の悪い面ばかり言った。
どっちも退けなくなって先生が割って入るまで悪口を言い続けた。
最後は相手を言い負かしたハズなのに、悲しい気持ちにしかならなかった。
それから自分は他人の悪いところはあまり見ないようにしてきた。
そういうのを見つける自分も嫌な気持ちになるし、もちろん相手だって良い気がしないだろうし。
だったら長所を探すほうが絶対にいい。
自分は真の良いところをいっぱい知ってる。
きっと真も――。
……って思ってたけど、真は難しい顔をして黙ったままだった。
「うぅ……ぐすっ…………」
あまりにあんまりだから、悲しくなって思わず涙が出てしまう。
「ええっ!?」
「ま、まことぉ……自分、カンペキだと思ってたけど……褒めるとこ、ひとつもないのかぁ……?」
そんなのヒドすぎるぞ。
悪い部分を指摘されるよりつらすぎるじゃないか……。
「あー、そういうコトかぁ……」
憐れむような目で真が自分の頭をポンポンと叩いた。
「うがー! こども扱いするなー!!」
プロデューサーがたまにする仕草だったから、ムキになって反発する。
最近、亜美と真美にもやられたぞ……。
「してないしてない」
笑ってる……。
真はやっぱり自分のこと、こども扱いしてるって思うな!
「まずダンスが上手い。それと似てるけどスポーツが得意で、動物たちとも仲がいい。
それにけっこう料理も得意だよね。編み物とかも上手いし……」
「そんなに褒められると、て、照れるぞ……」
いやぁ〜、やっぱり自分ってカンペキだな。
上手く隠してたつもりだけど滲み出てしまうんだな!
「響が言えって言ったんじゃないか」
……また有頂天になってしまったぞ。
「あ、そっか! それより! さっき真が言ってくれた中で、言われて嬉しい順番があるんだ」
「順番?」
「言われて一番嬉しいのは、やっぱりダンスが上手ってとこ! スクールに通ってたから自信もあるし、
やっぱりそれを褒められるのは一番嬉しいんだ!」
「響は完璧だからね」
「うぇ……!? う、うん……! そうだぞ! 自分、完璧だからな!」
咄嗟のことで思わずヘンな声が出ちゃったじゃないか。
そういうこと言うなら、前もって言ってほしいぞ……。
「だけど動物と仲良し、っていうのは別に褒められてる気がしないんだ」
「そうなの? なんで?」
逆になんで? って思うのか分からない。
そんなの、別に褒め言葉でもなんでもないと思うんだけど。
「仲が良いって長所とは違うんじゃないか? 逆に仲が悪くても悪いことじゃないと思うぞ」
って言ってみたけど、真はいまいち分かってない感じだった。
「でも真はそれが自分の良いところだと思ったから言ってくれたんでしょ?」
「うん、そうだね……だって動物と話ができるくらい仲が良い人なんて、響以外にいないと思うし」
ほら、やっぱり分かってるじゃないか。
「真もそれと同じってこと」
ここまで来たらさすがに分かると思うんだけどな。
「真は”かっこいい”って言われるのはあまり好きじゃないけど、そう言う人はそれが良いところだと思ってるんだ」
「うん……?」
遠回りしすぎたかな。
うん、たしかに自分らしくないやり方だった。
「自分も動物と仲が良い、なんて長所とは思ってなかったぞ。でもさっき真に言われて思ったんだ。
自分が気付いてないだけで、実はそれも長所なんじゃないかって。それを真が気付かせてくれたんだって」
だけど後には引けないし、ここで話を戻すのもかえってややこしくなりそう。
とりあえず伝わるようにいろいろ言葉を変えてみる。
「………………」
「真は自分の良いところをまだちゃんと分かってないんじゃないか?
ほんとはすごく褒められてるのに、気付いてないってこともあると思うぞ」
「”かっこいい”って言われることが?」
「うん」
まだ納得できないって顔してるな。
称賛――っていうと難しい感じがするけど、短くてもそういう言葉はいくらでもある。
スゴイ、かっこいい、かわいい、素敵、憧れる、しびれる。
クールとかスタイリッシュなんかもそう。
どれも褒め言葉だと思うし、言われれば嬉しい。
「”かわいい”のも”かっこいい”のも、ちゃんと真を見て、そう思ってるから出る言葉なんだと思う。
反対の意味っぽいのに、ちゃんと両立してるなんてスゴイことだぞ」
よく考えると贅沢かもしれないね。
両方の評価を貰えるなんてある意味、器用なのかも。
「ん〜、じゃあこんなふうに考えるのは? かわいいだけのアイドルはいくらでもいるけど、両方持ってるのは真だけだって」
「………………」
言ってから嫌なことを思いだしてしまう。
トップアイドルとは何か、なんてちゃんと考えてなかった頃。
自分はあらゆるアイドルの頂点に立つアイドルのことだと思ってた。
いや、それはそれで間違いないんだけど、捉え方が間違ってたというか……。
頂点に立つからには誰よりも優れてなくちゃいけない、って考えてたんだ。
歌も、ダンスも、ビジュアルも。
イメージ、得意なこと、手先の器用さ、振る舞い、学力……。
とにかく何もかもが一番であるべきなんだって。
そのどれかひとつでも誰かに劣るようじゃダメなんだって。
本当に何でもそつなくこなせるようになって初めて――。
そういう風に勝手にトップアイドルの姿を決めつけていた。
「自分、ほんとは真のことがちょっと羨ましいんだ……」
「なんで……?」
「自分はカンペキだって、ずっとそう言ってきたんだ。歌もダンスも誰にも負けてるつもりもないし。
でも、いつの間にか、そう言ってないと落ち着かなくなってたんだ」
ポジティブな言葉を言い続けていたら、現実でも本当になる。
前に何かで聞いたことがあったから、それを実践してた。
後ろ向きになるより前向きになったほうが絶対にいいって。
「完璧ならトップアイドルになれる。トップアイドルになれば島に帰ることだってできる。
矛盾してるみたいだけど、そのために自分は完璧なんだって言い聞かせてた――」
それが影響したのかどうかは分からないけど、自分としてはそれなりに上手くいっていたと思う。
仕事で大きなミスをしたこともなかったし、ファンの数だって少しずつだけど確実に増えていった。
「だから誰よりも上を目指してたんだ。一番になるんだ、って。トップに立つんだ、って」
「分かるよ。ボクだってそうだから」
「前に自分のこと……目標だって言ってくれたよね?」
あの海でのこと――。
正直、忘れてしまいたいって何度も思ったけど。
今は忘れちゃいけないって思えるようになった。
「それは自分も同じだったんだ」
「同じ?」
「自分がどうやったって手に入れられないものを、真は持ってる。レッスンしたって逆立ちしたって――絶対に手に入らないんだ」
才能っていうのかな。
「真のかっこよさとか、男の子っぽい魅力とか……そういうのは自分じゃどうにもならなかった」
後からがんばって身に着けようとしても、飾り物っていうか作り物みたいにしかならない。
「そんなことはないと思うけど……」
「ううん、女の子ファンは真のほうがずっと多いんだ。完璧なら、トップを目指すなら女の子のファンも
たくさん増やさなきゃいけないのに……それはどうやったって勝てなかった――」
どれかひとつでも欠けたらその瞬間、”完璧”じゃなくなる。
分かってはいたけど認めたくないから、がむしゃらにがんばってた。
でも完璧なアイドルは努力なんて要らないから、それは誰にも知られないようにしていたんだ。
「真は嫌だって言うけど、タキシード着て新郎役やって花嫁を抱き上げるとか――そういうの、やってみたいんだ。
でも自分、背は高くないし髪は長いし、そういう仕事は回ってこないんだ」
身長なんてどうにもならない。
子どもの頃から――今も子どもだけど――背が低いことをバカにされるのが嫌で、お腹を壊すくらい牛乳を飲んだことがある。
大きくなれば男子とのケンカだって負けないのに、って……これは今になってもちょっと悔しい。
こればかりは努力も才能も関係ないんだ、だから仕方がないんだ。
そう割り切るのにけっこう時間がかかったっけ。
……って、今も望みは捨ててないからお風呂上りにいつも牛乳を飲んでるけど。
「自分のこと、目標だって言ったでしょ?」
真はただの負けず嫌いじゃない。
本当にそうなら、誰かに対して目標だなんて言うハズがないからね。
そういうことを臆さずに言える真はすごいと思う。
泣きたいのをずっと我慢してた自分とは大違いだ。
「その自分がこんなに欲しがってるものを真は持ってるんだぞ?」
「うん…………」
「だから、その……さ……」
歯切れが悪くなってしまうのは仕方がない。
自分から改まった雰囲気を作ってしまったことを今さら後悔した。
「だから……もっと自信を持っていいと思う。誇りにするべきだぞ」
あ〜、たぶん今、耳まで真っ赤だぞ、自分……。
ほんとは『自分のライバルになるならもっと胸を張れ』みたいなことが言いたいんだけど。
いや、これはこれでよく考えると恥ずかしいかも……。
「それに……自分……」
ちらりと真を見る。
「まこと……真のこと、かわいいと思うし…………」
「うえっ――!?」
あまりに自己評価が低くて沈んでる顔を見たくなくて、つい本音が出てしまう。
自分まで真のことをただ、”かっこいい”と思ってると思われたくなかったから。
いや、そう思ってるのは事実だけど!
それだけじゃなくて……!
「ねえ、響! もう一回! もう一回言ってよ!」
ああ、もう、そんなに顔を近づけてくるなよ!
まともに顔、見られないじゃないか!
自分に”かわいい”って言われたのがそんなに嬉しいのか?
まったく真のファンは全然分かってない。
みんなだってこういう姿を見たら評価なんて簡単に変わるのにな。
仕事だからとかイメージだからとかの理由で見せられないのは本当にもったいないと思う。
普段の様子をこっそり隠し撮りしてテレビで流せたらいいのに。
「一回しか言わないって言ったぞ!」
「言ってないよ、そんなこと!」
「言った!」
「言ってない!」
なんて押し問答を続けているうちに、知らず笑いが込み上げてくる。
真があまりに必死だから、自分も恥ずかしかったのが収まってきた。
「ちょっとは元気でた?」
「うん……なんだかバカバカしくなってきちゃったよ」
「そっか――」
それなら自分のカンペキな作戦は成功だ。
「真は今でも充分かわいいけど、もっとかわいい女の子になりたいって努力してるところも……。
すっごくかわいいと思うぞ?」
これも慰めとかじゃなくて本心。
雪歩には雪歩の、やよいにはやよいのかわいさがある。
言葉にしたら同じだけどそんなの、人によってバラバラだ。
だからあまり言葉にこだわる必要はないと思う。
「自分はかわいさも完璧だけど、真はそうじゃないからな」
「う……そこまでハッキリ言われると……」
「だから真はこれから、もっともっとかわいくなれるってことさー!」
「………………!!」
正直、それくらいの自信を持ってもいいと思う。
伊織みたいになれ、とはさすがに言わないけどね。
でもいつでも自信たっぷりの伊織も大したものだと思う。
プライドがそうさせるんだろうけど、誇りを持ってるってことだからね。
あれ? 誇りとプライドって同じ意味だったっけ?
「自分なりにかわいくなる秘訣もあるんだ。それも教えてあげるから。だから、もっと頼ってよ」
「響…………」
「ライバルが落ち込んでるところなんて見たくないしね!」
敵に塩を送るってワケじゃないけど、ちょっとした贈り物みたいなものだ。
真とは常にお互い、万全の状態で勝負したいからね。
「響、ありがと……」
「お礼を言われることなんてしてないぞ。当たり前のことをしただけ。真だってそうするでしょ?」
自分は大したことはしてない。
ちょっと的確なアドバイスをしただけだ。
それに面と向かってお礼を言われるのって、なんか照れるしね。
「最近、元気なかったでしょ? ちょっと様子もヘンだったし……」
もうちょっと早く気づいてあげられればよかったな、とそこだけは後悔。
雪歩ややよいとも険悪な感じにならなくて済んだのにな。
「最初は特に気にしてなかったけど、何だか思いつめてたみたいだから心配だったんだ」
「ごめん、手間かけさせちゃって……」
「謝らなくていいってば。それであの雑誌を見て、ピンときたんだ。自分も載ってたからな」
「うん……」
売れていない頃は雑誌に掲載されるといえば、765プロとしてひとくくりだった。
だいたい2ページ、多くて4ページくらい枠がとられてて、いつもその限られた枠の取り合いだった。
どんな写真が使われるかも大事だけど、自分たちにとってはどれくらいの大きさかが重要だった。
ドーンと大きく載ってたら見栄えがいいし、反対に小さいとまだまだがんばりが足りないって思い知らされる。
その頃からしたら今みたいに同じ雑誌に、それぞれ別のコーナーでうちのアイドルが載るなんて信じられない。
合同で、じゃなくてちゃんと記事や趣旨を分けて扱ってくれるのは嬉しい。
でもだからこそ、それぞれの扱いやイメージはお互いに気になるところだ。
同じ事務所といってもライバルでもあるから、やっぱり意識はしてしまう。
「競争するのはいいけど、比べても意味ないと思うぞ?」
「そう、なのかな?」
「自分は今の真が好きなんだ。みんな、そう思ってるんじゃないか?」
「それは――」
自分と真が同じ雑誌に掲載されたのは、なにかの巡り合わせなのか対比なのか……。
きっと真は自分の記事を意識したハズ。
意識っていうか比べたんだろうな。
自分もそうだったし……。
だからこそ思い悩んじゃったんじゃないかな。
「じゃあ訊くけど、誰かに女の子らしくなれとか言われた? かわいくなれ、とか言われたのか?」
「それはないよ」
「ならそれでいいじゃないか」
ちょっと可笑しくなってしまう。
「自分、ダンスの時に周りに合わせずに飛ばし気味になる癖があってさ。レッスンでも時々言われてるだろ?
もうちょっとテンポを落とせって」
実はこの癖、なかなか直らなかったりする。
ついつい張り切っちゃう――っていうか、レッスン中でもアピールしちゃうんだよね。
自分はこんなにダンスが得意なんだぞ、って。
そういうのはファンにこそ見せるべきなんだけど、どうしてか体に力が入ってしまうのは……。
やっぱりどこかで皆をライバルだと思ってるからなのかもしれないな。
「そうやって注意されるのは、自分に悪いところがあるからなんだ。だからそれを直しなさいって言われてる。
ついつい飛ばしちゃってなかなか直らないけど……」
「……完璧なのに?」
真が滅多に見せないようなイジワルな顔で言う。
正直、真がこんなこと言うなんて意外だけど、軽口を叩けるくらいには元気になったってことかな。
「もー! そういう話は今はいいの! せっかくいいカンジだったのに!」
「ごめんごめん! もう意地悪は言わないよ」
「次また言ったら殴るからね!」
「言わないよ、絶対」
「――まあ、それは冗談だけど。真は誰にもかわいくなれとか、女の子らしくしろなんて注意されないでしょ?
そういう指摘をされないってことは、直すところでも欠点でもないってことなんだぞ?」
言うとしても伊織くらいかな。
それでも本気でそう言ってるというよりは、彼女なりのエールなんだろうけど。
「そう、なの……?」
「うん」
「ほんとに?」
「うん」
「間違いない?」
「間違いない!」
「そっか…………」
「恥ずかしがったり、負けてるとか思ったりしなくていいんだ。真は真だからね」
もちろん、ダンスについては別だぞ。
自分は今だって真に負けてるつもりはないし、これからも負けない。
ただ追い越されないようにがんばるだけだ。
「……ちょっとは恩返しになったかな」
実はずっと気になってた。
「何のこと?」
思わず呟いてしまって、それを聞かれてたから真はじっと自分を見てる。
「あ、ううん……別に……」
一度はごまかそうと思ったけれど、
「この前の、ことだぞ……」
視線に耐えられなくなって白状する。
涙を見られたくなかった――。
正直、今でもそう思う。
なんであの時、泣いてしまったんだろう。
なんであの時、真がいたんだろう。
今までずっと我慢してきたのに、それが無駄になってしまったから。
それが悔しくて余計に涙が止まらなかった。
カンペキだって言い張ってきた自分の、全然カンペキじゃないところを真に見られて。
悔しかったし、恥ずかしかった。
真はただ、自分のことを心配して来てくれただけだ。
なのに感情的になってひどいことを言ってしまった。
後ですぐに謝ったけど、それが引っかかっていた。
「そんなこと気にしなくていいのに」
だから呆れたような口調でそう言う真に、
「それはダメだぞ。受けた恩はちゃんと返さないと……!」
まるで義務のように思ってる自分がいる。
「恩を着せたかったワケじゃないよ」
分かってる。
菊地真はそんな奴じゃない。
曲がったことが大嫌いで、勝負はいつも正々堂々。
そんな真が相手に恩を着せたり、弱みに付け込んだりするハズがない。
本当に、純粋に、自分を想ってくれてた。
それが分かってたから、それに甘えちゃいけないとも思ってた。
「ボクは友だちとして、響を助けたいって思っただけで――」
真がそう言うものだから、
「じゃあ自分も同じってことで」
すかさず張り合うように言ってしまった。
こういうところ、ちょっと直したほうがいいかもな……。
なんて思ってると、
「ごめん……」
小さく、聞き逃しそうになる声で真が呟く。
「なんで謝るんだ……?」
もう吹っ切れたと思ってたのに、そんなことを言われて不安になる。
謝らせるつもりなんて全然なかったのに。
「響に悪いことしちゃったから」
「ええ!? 自分、何かされたっけ……?」
「ちがうよ、響には何もしてない」
「意味が分からないぞ……」
ヘンななぞなぞを仕掛けられたみたいでスッキリしない。
だけど一度は明るくなった真の顔がまた暗くなったのを見過ごすワケにはいかない。
「ひょっとして……言えないようなこと? なら無理に言わなくていいよ?」
できるなら聞きたい。
この際だから溜め込んでるもの全部吐き出して、それで悩みが晴れればそれでいい。
ここまで来て、また誰にも言えないような想いを抱えたら意味がない。
だけどそれは自分の一方的な気持ちだから、真のことも考えなくちゃならない。
言いたくない――言えないことを無理やり言わせるのは、こっちもつらいからね。
「――嫉妬してたんだ」
しばらくして真が言った。
「似てる部分がある、っていうのは最初から分かってた。ボクが勝負できるのはスポーツとか、
それに通じるところがあるけどダンスとか、それくらいしかなかったから」
「それは…………」
自分も同じだ。
「だからそれで負けたらボクの強みがなくなる、っていう怖さがどこかにあったんだ。
存在価値――って言ったら大袈裟だけど、そういうのが消えてしまうんじゃないかってね」
こういうのはアイドルだけじゃなくて、順位がついたり競争したりする世界は全部そうだと思う。
存在価値とは少し違うけど、競争に負けてトップアイドルになれない自分を想像したことは何度もある。
その度にそうならないようにカンペキだって言い張って、がんばってきた。
「ボクが響をライバルだと思ってたのは、そういう理由もあったんだ。
ヘンな話だよね。前に勝ち負けじゃない、なんて言っておいてさ」
「………………」
「ダンスの腕は――お世辞なんかじゃなくて、ほんとに響のほうが上だと思う。
それならそれでボクも負けないようにがんばればいい……その気持ちは今も変わらないよ」
なんだろう……。
自分のほうが上だって言われても、ちっとも嬉しくない。
これは勝負して勝った結果じゃない。
真が勝手にそう言ってるだけだ。
「だけど、それだけじゃない。ボクは何ひとつ響に勝てないんだって、思ったんだ。
だってそうじゃないか。ステージではクールでかっこいいのが響だけど……。
ステージを降りればかわいい女の子だ。趣味とか……ファンだって…………」
こんな話、聞きたくなかった。
とても菊地真の口から出る言葉だとは思えなかった。
「料理だってそれほど得意なワケじゃないし、編み物なんてとてもできないし。
そんなボクが響と女の子らしさを競うこと自体、バカみたいな話なんだよね……。
でも、ボクにだって響に勝てるところがある! ……そんなふうに思ってもダメなんだ……。
比べれば比べるほど、自分が負けてるところしか見つからなくて――ボクって小さいんだなって。
はは……ボクが唯一勝ってるのは背の高さくらいかな……?」
どんどん沈んでいく。
自分は自信過剰だって言われたことがあるけど、今の真は卑屈すぎるぞ。
みんなそれぞれ違うんだから、苦手な分野で張り合わなくたっていいじゃないか。
少なくともダンスで自分に追いついて来られるアイドルなんて、真以外に見たことがない。
潔さとか思い切りのよさだって、真の立派な長所だ。
そもそも自身が言うようにそんなに欠点ばかりなら、今の今までアイドルなんて続けられるハズがない。
なんでそんな簡単なことが分からないんだ……。
「ボクって……イヤな奴なんだ……」
「……? なに言ってるんだ? そんなワケ――」
「あの雑誌のこと……言うよ、ほんとのこと……」
真が拳をぎゅっと握りしめた。
食い込んだ爪が白い手を傷付けそうだったから、思わずその手をつかむ。
「雪歩と一緒に見てたんだ。あの雑誌」
ついさっきのことだ。
自分が事務所に入ったとき、雪歩がお茶を淹れてくれたからそれまで2人で見てたんだろう。
真をここに連れてくるキッカケみたいなものだった。
「写真を指差して、”この響ちゃん、かわいいね”って、雪歩が……そう言ったんだ」
「う、うん――」
「それがボクの記事のすぐ後だったから…………」
「まこと……無理に言わなくても――」
「ボクのほうが先だって、ページだってボクの方が多いし、インタビューの量だって……!
使われてる写真の枚数も響より多いんだって……! そう思ってしまったんだ!」
「………………」
何も言えなかった。
ここに伊織がいてくれたら、”つまんないことで張り合ってんじゃないわよ!”くらい言ってくれるかもしれない。
誰かにそう言ってもらいたかった。
そう、これはつまらないことだ。
こんなことが優劣になるなら、あの雑誌に載らなかった美希や貴音はボロ敗けだ。
だから笑い飛ばせばいい話。
アイドルらしくもっと本質的な部分で勝負するべき、って誰かが言ってくれれば終わる。
だけど、自分だけはそれを言っちゃいけないんだ。
真が張り合ってる相手は自分だから。
自分がそんなことを言ったら、きっと真のプライドを傷つけてしまう。
絞り出すような声で告白した真に、恥をかかせてしまう。
「そんなことでしか勝負できない、そんなことで勝った気になったんだよ、ボクは……!」
そんなつもりはない。
そんなつもりはないけど……。
自分ががんばってきたことが、結果的に真を追い詰めてしまったのだとしたら。
……それは心苦しい。
自分が真とライバルでいたいのは――。
真を負かしたいからじゃなくて、ただ単純に競い合いたいからだ。
その時その時の勝ち負けはあっても、遺恨が残るようなことにはならない。
負けるのが悔しいなら次は勝てばいいんだ。
そうやって自分たちはお互いを高め合ってきた。
そんな関係でいてくれる真には本当に感謝してる。
「………………」
こういうとき、なんて言葉をかければいいんだろう?
安っぽい慰めなんてしたくない。
真はいつも、どんな時でも真剣だった。
ボーイッシュに見られるのが嫌で、納得いかない仕事ばかりの時も、裏では恨み言のひとつくらいは吐いてたけど、
仕事には絶対に手を抜かないし、嫌な顔ひとつしなかった。
うかうかしてたらアッと言う間に追い越されて、ずっと遠くに行ってしまいそうなくらい一本気だった。
どんな逆境にも正攻法で立ち向かう、バカなくらい一途で。
「真はバカだな」
そんな彼女に、一体どう声をかければいいのか。
考えているうちに自分はそう呟いていた。
「う…………」
珍しく、泣きそうな目をする真。
そんな顔をさせたいんじゃないんだぞ……。
「完璧な自分に勝てるわけないじゃないか」
ややあって、真がこんなに卑屈になっているのは自分がカンペキだから悪い、ってことに気付く。
というか、そういうことにする。
「そりゃ、そうだけどさ……」
「もー! そうじゃないだろ!」
いつか、ダンスバトルを申し込んだ時のように思いっきり指を指してやる。
「負けてるなら勝てるように努力するのが真だぞ! 人一倍がんばれるのが真の良いところなのに。
そんなので諦めちゃっていいのか!?」
「べつに諦めてるワケじゃ……」
「敵わないって思ってる時点で諦めてるのと同じだぞ」
自分が知ってる真は潔く負けを認めることはあっても、諦めることは絶対にしなかった。
むしろ負けた分だけがんばるから、次に勝負する時は何倍も手強くなってる。
で、自分も負けたくないからがんばって……。
「ああ、でも…………」
そういう関係は真あってこそなんだ、って分かる。
もし真が自分のこと、何とも思ってなかったら――。
そもそも競い合うことすらできなかったんだ。
「ちょっとだけホントのこと言うとね……嫉妬してるって言われて、嬉しかったんだ……」
競い合うってことは勝負するってことだから、弱味を見せないのが当然だと思ってた。
見せるべきじゃないし、見せちゃいけないものだって。
それはダンスや歌だけじゃない。
生い立ちとか、プライベートなことでさえ隠すべきだと、ずっと思ってたんだ。
「あんな情けないところ見られたのに……真はゲンメツしたりしないで今も自分をライバルだと思ってくれてるんだって――」
正直、怖かった。
ガッカリされたんじゃないかとか、愛想を尽かされたんじゃないかとか。
誰だって本人を前にして悪く言う人なんていないから、あの時は真も心配そうな顔をして、
心の中は全然ちがうことを考えてるんじゃないかとか。
そうやって悪いほうにばかり考えてしまう。
「幻滅なんてするワケないじゃないか」
この言葉をあの時に聞いていたら、きっと半分は信じなかったと思う。
それだけ隠しておきたいことだったから。
だけどそうじゃないことはもう分かったんだ。
「でも自分にとってはすごくカッコ悪いことだったんだ。誰にも見られたくなかったし……」
「……ごめん」
「あ……そういう意味じゃないぞ! そうじゃなくて! 自分が言いたいのは、真はもったいないってこと」
「もったいない?」
「さっきから聞いてると、わざわざ負けてるところばかり探してる感じだったじゃないか。それじゃ勝てるワケないでしょ。
どうせなら得意な分野で張り合ったほうが楽じゃないか?」
もちろん苦手なことなんて少ないほうが絶対いいに決まってる。
誰だって得手不得手があるから、得意なことで勝負したほうがいい。
「自分と真がこの事務所にいるのは、似てるところだけじゃなくて、違うところもちゃんとあるからだと思う。
そうじゃなかったら、どっちかがクビになってるぞ……」
言ってから寒気がした。
もし765プロをクビにでもなったら、家族の食事代はどうしよう。
やっぱり別の事務所を探すしかないのかなあ……?
この近くにプロダクションってあったっけ……。
いやいや、なに考えてんだ、自分!
クビになんてなるワケないぞ!
「社長もプロデューサーも、自分たちの違うところをちゃんと見てくれてるってことさ。
自分にしかできないこととか、真だけが持ってるものとか。だから誰かが誰かの代わりなんてできないんだ。
やよいと何もかも同じ人なんていると思うか? 雪歩と何もかも同じ人なんていると思うか?」
なかば自分に言い聞かせるように言う。
もし本当にそっくりの人間がいたら、代わりが効くってことになるからね。
そういう意味では亜美と真美は当てはまるかもしれないけど、それはあくまで表面の部分だけだ。
さすが双子だからよく似てるけど、実は2人とも全然ちがう。
「そう、だね…………」
「だったら真も自信を持って”真”でいればいいじゃないか。学校のテストじゃないんだから、優劣なんてつけられないでしょ?
春香がいつもつけてるリボンが亜美の髪留めより上、なんてあるハズないからな」
真、納得してくれたかな。
上手く説明したつもりだけど、伝わらなきゃ意味がない。
「………………」
ちょっと時間がかかるかもしれない。
真は俯いたまま黙っている。
あまり難しく考えなくていいんだけどね。
ただ、思いつめても疲れるだけだって、分かってくれればいいんだけど……。
「響…………」
しばらくしてゆっくり顔を上げた真は、
「ありがとう……なんだか気持ちが楽になったよ……」
まだ少しぎこちないけど、笑っていた。
「――そっか」
自分もそれに応えて笑う。
正直、まだちょっと不安なんだけどね。
今は呑み込めても、また何かの拍子で思いつめてしまいそうだから。
「もう大丈夫……ってことでいいんだよね?」
期待を込めて訊く。
「うん、おかげさまでね」
もちろん、そのまま受け取りはしないぞ。
真がまたヘンなこと考えるようなら、自分が一番にそれはちがう! って言ってやらないとね。
「よかった……」
考えながらだったから、自分らしくない声が漏れてしまう。
「い、いつもの真じゃないと、こっちも調子が狂うからな!」
だから照れ隠しに口を尖らせてから、今のは伊織みたいだったと気付く。
きっと伊織もいつもこんな気持ちで言ってるんだろうな。
「自分からもプロデューサーに頼んでみようか? 真がやりたい仕事をさせてあげて、って」
最初はちょっと頼りないと思ってたプロデューサーだけど、意見はいつも真剣に聞いてくれた。
ひとりで大勢のアイドルを抱えるなんて大変なことだから、自分たちでできることは積極的にやろうってことになって、
それぞれが動くものだからヘンな方向に走りかけたのを、プロデューサーが慌てて止めた……なんてこともあった。
その時、あの人が言ったのが、
『ごめんな、俺が頼りないばかりに』
だったから、自分たちは拍子抜けした。
てっきり怒られると思ってたから。
はた迷惑な暴走でしかなかったけど、あの人からすれば自分が信用されていないからだと思ったみたい。
その一件があってから、少なくとも自分は何かあればプロデューサーに話すことにした。
頼りなかったけど、信頼してないワケじゃなかったから、そう思わせてしまったお詫びも兼ねて。
「ううん、気持ちは嬉しいけど、それはいいよ。それで仕事ができても……なんか違うと思うんだ。
ボクがもっとかわいくなったら――そういう仕事も向こうからドンドン来るだろうしね」
なんていうか、真らしい。
「そう言うと思ったぞ」
思わず笑ってしまう。
意固地になってるワケじゃない。
真はまずは独力でがんばろうとしてるんだ。
「えっと……ねえ、響……?」
急に恥ずかしそうに俯き加減で真が言う。
「ほんとにごめん――それと……ありがとう。大事なことに気付かせてくれて」
「気にしなくていいのに」
「そうはいかないよ。ちょっと自分のことが嫌になりかけてたから――」
「………………」
そう聞いても、もう笑い飛ばせないな。
自分の弱さも見られちゃってるからね。
だからそういう気持ちになるのもよく分かる。
「それで改めてちゃんと言っておこうと思って。ボク――ずっと響のライバルでいたいんだ」
「…………? そんなの、わざわざ言わなくても今でも――」
「そうじゃなくて、さ。ライバルに相応しくなれるように、弱音は吐かないようにしようと思って。
焼きもち焼いたり、後ろ向きになったりするのって、やっぱりダメだよね」
すぐには答えられなかった。
これが自分のことなら、そうだ! って言い切れたかもしれない。
後ろ向きより前向きのほうがいい――その考え方は変わらないから。
でもそれは人に押し付けることじゃないし、押し付けちゃダメだと思う。
たとえば雪歩みたいな娘なら、引っ張って行くというより歩調を合わせて少しだけリードしてあげるのがいいと思う。
伊織ならプライドに関わることを言えば意地でも食らいついてやる、って闘志が湧くだろうな。
進み方も止まり方も、人それぞれちがう。
だけど絶対に弱音を吐かないとか、後ろ向きにならない……なんて無理だと思う。
そうならないようにするのは大事だけど、何がなんでも――って意固地になったらいつか押し潰されてしまう。
「どう、かな……?」
だから肯定する気にはなれない。
そういう気持ちでいようとする真は清々しいし、かっこいいけど、自分がここで頷いてしまったら、
彼女はこれから先、ずっと本心(特に焼きもちとかの暗い気持ち)を隠してしまいそうな気がする。
「つい弱気になったり、上手くいかなくてイライラしたりするのって、仕方がないと思うぞ。
自分だってそうなるとき、あるし……」
そんな想いを真にさせたくないから、自分はこう言うしかない。
「響……?」
「でもそれをバネにして、負けるかー! って後で思うんだけどね。その、うまく言えないけど……。
後でちゃんと跳ね返せるなら弱音を吐いたっていいと思う。だけど、どうしてもダメだって時は――」
そんな時はどうすればいいか、真が教えてくれた。
「自分でもいいし、誰でもいいから、相談してほしいぞ。無理して抱え込んだってつらいだけだから。
そういうの……自分、よく分かるし――」
もし、あのことがなかったら。
弱味を見せないこと、後ろ向きにならないことを、他人にも求めていたかもしれない。
人それぞれだから、なんて言葉で言っても、やっぱり自分がそういう気持ちになってみないと分からない。
それをずっと知らないままだったら――と考えると怖くなる。
自分が知らないところで、知らないうちに誰かを傷つけてたと思う。
自分は強い、弱音なんて吐かない。
だからみんなもそうするべきだ、って思ってたかもしれない。
それを当然のことだとして、みんなに押し付けてしまっていたかもしれない。
「うん…………」
頷く真はちょっと寂しそうだった。
「だから遠慮なく自分を頼ってよ。カンペキな自分が簡単に解決してやるぞ! それもライバルの務めだからね!」
これを言えたことであの時の恩返しにしよう!
まだまだ足りないと思うけど、自分がいろいろしたことで恩を感じられるのも嫌だし。
「響にはかなわないよ」
真がどっちの意味で言ったのかは分からない。
冗談っぽくも聞こえたし、本心から言っているようにも聞こえた。
ただ、思いつめてるような感じはしない。
むしろスッキリしたような表情だった。
「いい顔してるぞ、真」
やっぱり真はこうじゃないとね。
ライバルを称するなら、こんなところで立ち止まってもらっちゃ困る。
「じゃあ事務所に戻ろう! 雪歩も心配してるぞ」
ここに来た時と同じように腕を掴んで立ち上がらせる。
さっきは力を入れたけど、今度はそうしなくてもよかった。
思い悩んでることがなくなったら、体も軽くなるみたいだ。
「ひびき…………」
握り返された手に熱がこもったのを感じた。
「今回はボクの負けだよ。それは素直に認める」
「………………?」
「でもこの次はそうはいかないからね。覚悟しておいてよ!」
笑いを堪えるのが大変だった。
さっきまであんなに弱々しかったのに、宣戦布告なんていい度胸じゃないか。
それとも改めて決意表明ってところか?
どんな顔で言ってるのかと思って振り返る。
真と目が合う。
真剣な眼差しだ。
力強くて、凛々しい。
威圧的じゃないし、攻撃的でもない。
心の底から勝負を楽しみたいって顔だ。
ううん、ちょっとちがうな。
きっと真にとっては勝ちも負けもどうでもいい気がする。
「――まこと」
なら自分はこう言ってやる。
「望むところだぞ! 何回だって返り討ちにしてやるさー!!」

 

 


   終

 

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