憧憬の痛み(菊地真篇)

 

 雑誌をパラパラとめくってみる。
目当てのページを見つける。
そこに載っている記事にガッカリする。
ほんとは喜ばなくちゃいけないことなんだけど……。
それは分かってる。
記者の人もボクが答えやすいように質問してくれたし、カメラマンも衣装の担当の人も、良いのが撮れるようにって動き回っていた。
それだけに落胆するのは失礼だって分かってるけど。

『 菊地真 可憐な花嫁を優雅にエスコート 』

新郎役のボクがタキシード姿で花嫁を抱き上げている。
実際には花嫁役は見えないようにした台座に腰をかけていて、ボクはそれらしく見えるように腕を回しているだけだけど……。
でも誰がどう見たって、そうしているようにしか見えない。
だって違和感がなかったから。
良いのが撮れたよ、ってカメラマンが言うくらいの自信作だから無理もないことだった。
「………………」
”ウェディングドレスの撮影だぞ!”ってプロデューサーが言った時は、自分でも恥ずかしいくらい大喜びした。
いつも男役ばかりだったから、やっとそういう仕事が来たんだって。
しかも花嫁衣裳!
女の子の永遠の憧れだったし、フリフリだってついてる。
アイドルやっててよかった、って思えた瞬間だった。
でも実は新郎役だと分かったのは、現場に着いてすぐだった。
プロデューサーもボクが花嫁役をやると思っていて、なんとか交代できないかって頼んでたけど、
依頼者の求めるイメージが……という理由で叶わなかった。
今までのボクなら不貞腐れてNGを出すこともあったけど、取り敢えずそれが求められてることだから、
すぐに気持ちを切り替えられたのは、我ながら成長したなあと思ったりして。
でも終わってから、こうして記事になっているのを実際に見ると、やっぱり悔しい。
なんていうか結局、ボクはそういう風にしか見られてないんだって思い知らされる。
『真ちゃんはかわいいよ! かわいくて、かっこいいよ!』
雪歩はそう言ってくれるけど、世間のイメージはそうじゃない。
”かっこいい”ってほんとは褒め言葉のハズだけど、ボクにはレッテル貼りみたいなものだった。
”かわいい”を目指してるハズなのに、誰もそれを認めてくれないし、許してくれない。
そう思う反面、今の自分の立場があるのは、それのおかげだってことも分かってる。
王子様路線を捨ててアイドルを目指しても、雪歩や春香が相手じゃ勝負にならない。
他にもかわいいアイドルはたくさんいるから、ボクなんてすぐに埋もれてしまう。
こういうの、ジレンマっていうのかな。
「どうしたんですか、真さん? 元気がないみたいですけど……」
やよいが心配そうにボクの顔を覗き込んできた。
ホウキを持ってる……事務所の掃除でもしてたのかな。
「あ、うん、そんなことないよ?」
取り敢えずそう答える癖がついていた。
誰かに心配される、っていうのが苦手だった。
頼りたくないワケじゃないけど、そうすることが相手に悪いっていう気持ちになってしまう。
「そうですか……?」
だけど顔には出ていたみたいで、やよいは不安そうな目でボクを見てる。
「あはは、ちょっと寝不足かも」
寝不足なら病気じゃないから、心配かけることもないだろう。
疲れてはいないけどちょっと休みたい気持ちではあったから、応接室のソファにもたれることにした。
肘掛けのあたりに身を預けて。
快適な枕とはいえないけど、気分が沈んでいたせいかボクの体も沈み込んでいって……。
いつの間にか眠ってしまっていた……。

 

「――そうなの?」
「……疲れてるみたいです……だから……」
「レッスンの時はそんな感じじゃなかったけどな」
「そうなんですか?」
遠くから聞こえる声に目が覚める。
応接室といってもパーティションで区切っているだけだから、話してる声はけっこう聞こえてくる。
時計を見て、寝ていたのは30分程度だと分かった。
「真さん」
応接室から出たボクにやよいが声をかけてきた。
掃除はもう終わったみたい。
「ごめん、起こしちゃった?」
響が申し訳なさそうに言った。
そういえば買い出しの手伝いに行くって言ってたっけ。
「ううん、そんなことないよ」
そう言って大袈裟に背伸びをする。
30分くらいでしかも姿勢も悪かったから、かえって疲れが溜まった感じがする。
「疲れてるんでしょ? 今日のレッスンは厳しかったからな」
響が笑って言った。
午前中のダンスレッスンはかなりハードだった。
次のライブではアップテンポな歌が続くから、そのために完成度を高くする必要があった。
ボクや響は難なくこなせたけど正直、個人個人のレベルに合わせた内容にしたほうがいいと思う。
「あ、これ?」
テーブルの上に置きっぱなしだった雑誌を、響が手にとった。
「この前のやつか」
そう言って響が開いたのは、タキシード姿のボクが写っているページだ。
「やっぱり真はこういうのが似合うな」
チクリ、と胸を針で突いたような感覚。
耳のずっと奥がざわざわとうるさい感じ。
分かってる。
分かってるんだ、ボクは。
響に悪気なんてない。
あれはみんなが言う感想だから、間違ってなんかいない。
「真さん……顔色、悪いです。休んだほうがいいと思います」
やよいは心配そうに――というより、ちょっと怯えた感じでボクを見上げた。
強い顔してたかな、ボク。
「う、うん……そうしようかな」
鞄を持って肩に担いだところに、
「真、帰ったらストレッチしといたほうがいいと思うぞ」
響が気の抜けたような声で言った。
それがなんだか無性に腹が立って、
「響に言われなくても分かってるよ!」
って、つい大きな声で返してしまう。
横でやよいがビックリしてたから咄嗟に謝ろうかと思ったけど、なんとなくばつが悪くてそのまま事務所を出てしまった……。
「サイアクだ…………」
通りに出たところで頭を抱える。
後悔先に立たずっていうけど、ほんとにそのとおりだ。
なんで怒鳴ってしまったんだろう……。
怒るようなことなんて何もないハズなのに。
5分でいいから戻りたい。
やよいにも響にも悪いことしちゃったな……。
「………………」
謝るなら早い方がいいと思って振り返る。
けど、足は事務所に向かって進んでくれなかった。
なんというか、今は戻りたくない。
「とりあえずメールで――」
ケータイを開いて文字を打ちかけたところで指を止めた。
メールで謝るのってなんかズルい感じがする。
いいや、明日ちゃんと謝ろう。
悪いのはボクなんだから。

 

……なんて、昨日はそう思ってたけど。
正直、2人とは顔を合わせづらい。
昨夜、ひとまずメールで詫びておこうとも考えたけど、気が進まなかった。
事務所までの階段が長く感じる。
今日はプロデューサーと近いうちにあるインタビューの打ち合わせをするだけだから、日を変えてもよかった。
忙しくはなってきたけど、それでも毎日事務所に顔を出さなきゃいけないほどじゃない。
それでも、些細な内容でもこうして足を運ぶのは、なんだかんだいって765プロが好きだからだ。
「おっはよーございまーす!」
そう思いなおして、とびきり明るく挨拶する。
我ながら単純だなって思うけど、声を張れば気合いが入って、嫌な気持ちも吹き飛ぶ気がする。
「真、おはよう」
一番に挨拶を返してくれたのは春香だった。
たしか春香は今日は響とボーカルレッスンだったハズ。
「えっと、やよいは……?」
探しながらホワイトボードが目に留まる。
今日は……オフか。
きっと弟たちの面倒を見ているんだろう。
あまり日が空くとタイミングを失ってしまいそうだけど……。
「響は……?」
「響ちゃんなら、もうすぐ来るって」
よかった、と思いつつ、先延ばしにしたいっていう気持ちもあった。
でもそんなのボクらしくないんだよなあ……。
春香がクッキーを焼いて持って来てくれていたので、食べながら待つ。
傍にあったのは昨日見ていたのとは別のファッション雑誌だ。
適当にページをめくってみるけど、内容はちょっとオトナな感じ。
あずささんとか貴音さんなら似合うんだろうな。
いつかはボクもこんなのが似合う女の子(女の人?)になれるかな。
「はいさーい!!」
勢いよくドアが開いて、慌てて雑誌を閉じる。
「おはよう、響ちゃん。まだ時間あるからクッキー食べる?」
「食べる食べる!」
もともと風通しのいい事務所だけど、響がいると一気に活気づく。
春香や響というと、元気とか明るいを一番のイメージに挙げるファンもいるくらいだ。
「あ…………」
響と目が合う。
いたたまれないのはボクの方なのに、先に視線を逸らしたのは響だった。
「ちょっと待って」
給湯室に行こうとするのを呼び止める。
振り向いた響は気まずそうというか、少し怯えたような目でボクを見た。
「昨日はごめん、怒鳴ったりして……」
言えた。
「どうかしてたんだ、ボク。響はボクのために言ってくれたのに」
「真……?」
「ごめん、言い訳だよね、こんなの。ほんとにごめん!」
大袈裟なくらい頭を下げる。
謝るのが一日越しになったこともあって、余計に申し訳なく思っていた。
おそるおそる顔を上げると、響はキョトンとした表情でボクを見ていた。
「自分、全然気にしてないぞ?」
って言ってくれるけど、さっきの様子を考えたらウソだってすぐに分かる。
「あ、でも、やよいには謝っておいたほうがいいと思うぞ。落ち込んでたから」
「うん、そうする」
やっぱりそうだよね……。
ほんとになんであんなコト言っちゃったんだろう……。
ふと視線を感じて振り返ると、春香が困ったように佇んでいた。
「えーっと、何かあったの……?」
間に入ろうかどうか迷ってるみたいだった。
何でもない、と響が言ってくれた。
根が深い問題っていうワケじゃないから、引きずるような話じゃない。
って当事者のボクが言えたことじゃないけど、響はそんな感じで春香に説明してくれた。
このあとレッスンもあるから影響が出ないようにしたい、っていうのもあるんだろうけど。
「あ、そろそろ時間だ!」
春香がクッキーの入った包みをボクに渡してきた。
「それ、余ったから真にあげるね」
「え、いいの?」
「春香、早くしないと遅れるぞー」
「ちょっと待って、響ちゃん。そんなに急いだら転んじゃうよ?」
「転ぶのは春香じゃないか!」
「あはは、じゃあ行ってくるね」
「うん、2人ともがんばってね!」
なんだか慌ただしかったなあ。
春香、転ばないといいけど……。
急に静かになった事務所。
小鳥さんは事務用品の買い出しに出てる。
今さらだけど、セキュリティとか大丈夫なのかな。
前にその話題になった時に、うちには盗られるものなんて何もないから、って社長が笑ってたけど。
ボクたちもだいぶ売れてきたと思うけど……。
プロデューサーを待ちながら、ふと考える。
もちろんファンの数は違うだろうけど、みんな知名度はずいぶん上がったと思う。
それぞれの持ち味とかイメージみたいなのも、すっかり固まってきた。
たとえば歌唱力といえば千早だし、ビジュアルでは美希といった感じだ。
一人ひとり良さが違うから、みんなそれを生かしてがんばってる。
だから比べるものじゃないってことは分かってる。
優劣とか勝ち負けをつけるものじゃないのは当然なんだ。
「………………」
だけど、つい考えてしまうんだ。
ボクはアイドルとしてどうなんだろうって。
他の誰にも負けない部分が、自分にあるのか。
歌では千早相手に勝ち目はないし、ビジュアルで美希を超えるなんて無理だ。
儚さとか女の子っぽさでいえば雪歩や春香には遠く及ばない。
元気の良さだと一番はやよいだ。
反対に大人っぽい魅力はあずささんや貴音さんと張り合うまでもない。
ダンスは得意で自信はあるけど、ボクの上には響がいる。
そうやっていろんな分野で負け続けているボクが多分、唯一負けていないのは……。
「遅くなってすまん! 前の仕事が思ったよりも長引いた――」
プロデューサーが駆け込んできたおかげで、それ以上後ろ向きな考えをせずに済んだ。
「気にしないでください、今日はインタビューの打ち合わせだけですから」
「あ、ああ……でも約束の時間に遅れたのは事実だ。それは申し訳ないと思ってる」
律儀だなあ、プロデューサーは。
ボクたちだって子どもじゃないし、他にもたくさんアイドルを抱えているんだから、これくらいどうってことないのに。
「それじゃ始めようか。今回は10代から20代の男女に読者が多い雑誌だったな。
かなりのページを割いてくれるから、上手くいけば人気上昇につながるぞ」
「はい、ボクも何度か読んだことありますよ。けっこうハデな印象ありますよね」
インタビュー前の打ち合わせというのは、簡単にいえば事前の擦り合わせみたいなものだ。
先方からこういう内容で記事を作りたいという要望と、それに合わせて予定している質問の一覧が来る。
それを見て、この部分は削ってほしいとか、その質問は控えてほしいとかを伝える。
反対にこっちからも、こういう内容がいいとか、こういうことを訊いてほしいと要望が出せる。
そこそこ人気が出てきて、雑誌にも載るようになって、はじめてそんな仕組みがあるんだって知った。
裏工作……じゃないけど、なんとなくズルをしているような気がして好きじゃなかった。
この手のインタビューって本当に対談みたいに、その場で質問と回答をしてると思ってたから。
そう思ってプロデューサーに言ったら、
『ぶっつけ本番だと、うまく言葉が出ないこともあるだろ? それに後になってこれを言い忘れたとか、
こう答えるべきだったと思うことが必ずあるんだ。そういう後悔をしないために必要なんだ』
って教えてくれた。
言われてみると、たしかにそうだった。
オーディションなんかでも事前に審査内容を教えてくれるから、対策も立てられるしレッスンも効率的にできる。
世の中って見えてる部分より、見えてない部分のほうがずっと動いているような気がする。
「これなら流れもできるし、真の魅力も伝えられるな」
質問の順番も大事だということで、先方からもらったリストを基に優先順位をつけていく。
うまく回答できればそれが次の項目に繋がるし、同じ答えでも順番によって印象は変わっていく。
面白いけど、難しい。
ボクとしては来るもの拒まず、何でも真正面から答えてやる!
……って感じだけど、そうはいかないみたい。
「どうだ、真? 何かリクエストはあるか?」
言われて考え込んでしまう。
個人的なワガママが通るハズなんてないし、既定路線もあるだろうからそこから外れたことも言えない。
「プロデューサー……ボクの強みって何だと思います?」
だからついそんなことを訊いてしまって、プロデューサーは今さら何を言ってるんだ、って顔をする。
「それは……難しい質問だな」
呆れたような顔をする割に、要領を得ない返事だった。
「いろいろあるが、リーダーシップというか引っ張っていこうとする力は強みだと思う。
たとえばみんなが弱気になっていても、真はポジティブに考えて励まそうとするだろ?
それでまた活気が戻ってくる――なかなかできることじゃない」
「でも、それは……ファンに見える部分じゃないですよね?」
「たしかに、みんなを鼓舞する姿を見せるワケじゃない。それは内輪の問題だからな。
だけどステージでもどこでも、ファンはそんな真の持ち味を感じ取ってくれているさ」
プロデューサーの言っている意味は理解できる。
それを魅力だと認めてくれるのは素直に嬉しい。
だけどそういう役はむしろ春香なんじゃないかと思う。
今回の記事だって全体的にボクのカッコイイ面を押し出した内容だ。
やっぱり”可愛い”のはダメなのかな……?
そうなろうとするのも、ボクには無理なのかな……?

 

予想はしていたから、今さら落ち込むようなことじゃない。
インタビューの内容も事前に知っていたし、当日の撮影のときもこんな服装で……。
プロデューサーにもそう言われていたから、だいたいどんな感じになるかイメージはできていた。
タンクトップにショートパンツという組み合わせは、明らかにダンスが得意なボクを押し出すためだ。
動きやすかったし、たしかに自然体って感じて撮影はスムーズに進んだ。
CGで効果も付けてくれて、写真なのに躍動感が伝わってくる。
実際の撮影の時は振り付けの部分部分で、ポーズをとったまま静止しなくちゃいけなかったから、
どんな風に仕上がるのか正直ちょっと不安だった。
「あ、これ、この前の……?」
雪歩がお茶を持ってきた。
「うん、ほんとは明日発売なんだけどね」
ちょこんと隣に座る雪歩。
ハッキリ言って、たったそれだけの仕草で女の子って感じがする。
……実際、女の子なんだけどね。
「真ちゃん、すごく活き活きしてる」
いろんなポーズをとっているボクを見て、そう言ってくれる。
今にも飛び出して来そうだ、なんて感想もあるけどさすがにそれは大袈裟かな。
けっこうなページを割いてくれていて、インタビューや写真のほかにも、
ボクが通っているジムや、お気に入りの雑貨屋の紹介なんかもある。
「すごいね、真ちゃんの魅力満載だね」
笑顔でそう言う雪歩が、次のページをめくったときだ。
「あ、響ちゃんのもあるんだ」
ボクはどんな顔をしていたんだろう。
誌面は今度は響の特集記事になっていた。
構成はだいたいボクのと同じ感じで、簡単なインタビューと写真が何枚か。
ページ数とか全体的なボリュームでいえば響のほうがちょっと少ないようだった。
だからって、そんなことが優劣を決めたりなんてしない。
そんなことで張り合いたくない、勝ったなんて思いたくない。
いつもならそんなこと、考えもしないハズだった……。
「この響ちゃん、かわいいね」
雪歩が写真の一枚を指差して言った時、ボクは思ってしまったんだ。
ボクのほうが4ページも多いんだ!
インタビューの量だって多いんだ!
記事だってボクのほうが響より先だ!
…………って。
そう考えてしまった理由は――後になって分かった。
ボクも響も写真の構図はそう変わらない。
立ち姿のままちょっとだけ体を傾けてみたり、得意のダンスをイメージして足を高く振り上げていたり。
だけど雪歩が言ったように、ボクから見ても響はかわいく写っていた。
もちろん躍動感のあるポージングは素直にかっこいいと思う。
本当にダンス中のワンシーンを切り取ったみたいで迫力があった。
そう……響は”かっこいい”と”かわいい”の両方を持っていた。
どっちかがホンモノで、どっちかがニセモノなんかじゃない。
両方とも響だった。
それが素直に受け入れられなくて、つまらない理由で勝ったつもりになっていた。
「はいさーい!」
そんなことを考えていたから、いつもの元気な挨拶に心臓が止まりそうになった。
「あ、響ちゃん、おはよう」
すぐに雪歩が立ち上がって――きっと響の分のお茶を淹れに行くんだろう。
ボクは咄嗟に雑誌を閉じた。
「………………」
響はじっとボクを見下ろしてる。
「…………なに?」
つい、きつい口調になってしまった。
視線が交わってないことに気付く。
響が見ていたのは、ボクの目の前に置いてある雑誌だった。
「真、それ…………」
雪歩がお茶を持って戻ってきた。
「はい、響ちゃん。響ちゃんも今日はお休みじゃなかったの?」
「ありがと! うん、今日はオフだけど、つい事務所に来ちゃったっていうか……」
「ふふ、真ちゃんと同じだね」
ズキン――と、胸が痛くなる感じがした。
すごく嫌な予感がしたんだ。
このままだと悪い事ばかり考えてしまいそうだった。
「真ちゃんも今日はお休みだったんだよ。だけど――」
「ボクのことは別にいいじゃないか」
口が勝手に動いて、雪歩の言葉をさえぎっていた。
「え…………?」
そんな風に言われるなんて思いもしなかっただろう。
雪歩が驚いたようにボクを見て、
「ご、ごめんね、真ちゃん……!」
消えそうな声で言った。
違うよ、雪歩は何も悪くないのに……。
どうして謝るんだよ……。
「ち、ちが……ごめん、雪歩……!」
「真、この間からなんかヘンだぞ?」
分かってる。
それは自分でもよく分かってる。
「………………」
「………………」
誰も何も言わなくなった。
沈黙が重苦しい、けどボクは何も言えなかったから。
2人の顔をまともに見られなかったから、ずっと俯いてた。
不意に腕を掴まれて、そのまま引っ張り上げられた。
――響だった。
「雪歩! ちょっと真、借りていい!?」
「ふぇ……!?」
ボクと同じで何が起こったのか分からない様子の雪歩が、情けない声を出した。
「ちょ……響! どういうこと!?」
だいたい”借りる”って人をモノみたいに……。
「いいでしょ!?」
「う……うん…………」
押しに弱い雪歩が、ちょっと怯えたように頷く。
返事がどうであれ、最初からそうするつもりだったんだろう。
響は痛いくらいにボクの腕を掴んで、事務所の外に連れ出そうとする。
「何するんだよ!」
抗議しても聞いてくれなかった。
呆気に取られていたのと、体に力が入っていなかったせいで、ボクはずるずると引きずられるようにして事務所を出た。

 

「何なんだよ、こんなところに連れてきて――」
”こんなところ”っていう言い方はいろんな方面に失礼だった。
いつも使うレッスン室だったから。
今日はたまたま誰も使っていないらしい。
備品はきれいに片づけられていて、すぐにでも利用できる状態になっていた。
「ふふん、ここに来たら決まってるでしょ?」
勝ち誇ったような響の顔。
ああ、なんとなく分かった。
きっとこう言うんだ。
「自分とダンスで勝負だぞ、真!」
ボクを指さして宣戦布告するのは――。
”いつもの響”じゃなくて、”ステージの上の響”だった。
「………………」
どういうつもりなのかは分からない。
そんな約束をしていたワケじゃないし、そうする理由もない。
「――いいよ」
だけど……勝負を申し込まれたからには、逃げるつもりはなかった。
不戦敗になんてしたくもない。
なにより勝手に(しかも強引に)連れてきて、ダンス対決を挑んできた響を打ち負かしたかった。
「その代わり、曲はボクが選んでもいいよね?」
それがフェアってものだ。
「真が一番得意なやつでいいぞ」
……言ったな。
やってやろうじゃないか!





ダンスは体で憶えるもの。
どんな曲だって同じだ。
出だしの一音を聴いただけで、ボクの右足はもう動いていた。
この曲は目を閉じていたって完璧にこなせる自信がある。
本当にそんなことしたら平衡感覚が狂うからやらないけどね。
だけどそれくらいの意気込みじゃなきゃ、響には勝てない。
振りと振りの間の、ほんの一瞬。
ちらりと横を見る。
いつも口癖のように言ってるだけあって、完璧なフォームだった。
力強いけど、だからといって荒っぽくはない。
流れの中に強弱をつけるポイントを全部知っていて、まるでお手本をなぞっているようだった。
ボクだって負けてはいない。
ダンスだけは誰にも負けたくなくて、仕事が終わった後も夜の公園で練習したことも何度もある。
響に並びたかった。
響を追い越したかった。
でもボクが上達しても、響はさらにその上を行った。
いつもそうだった。
響はいつもボクの前に、ボクの上にいる。
そうそう簡単に越えられない目標というのは、本当はすごくありがたい存在だ。
それだけで励みになるし、闘志も意欲も湧いてくる。
アイドルになることだって、女の子らしくなることだって、つまりは目標だ。
指の先にまで全神経を集中させる。
これはただのトレーニングじゃない。
1対1の真剣勝負。
響とのダンスバトルだ。
「そろそろ息が上がってきたんじゃないか?」
響が涼しい顔で言う。
悪いけど、そんな挑発には乗らないよ。
「響テンポが乱れてきてるじゃないか」
「真、喋ってると舌、噛んじゃうぞ?」
「響もね!」
そんなヘマをするようなボクじゃない。
今だって本番さながらに集中できている。
3分が経った。
どちらも退かない。
勝負はどちらかがミスをするか、降参するまでっていう約束だ。
言うまでもなく、ボクも響も降参するようなタイプじゃない。
となれば相手がミスするまで続けるしかない。
「………………」
勝つ自信――というより負けない自信はあった。
特に理由はない。
強いて言えばプライドの問題だ。
技術的な部分はクリアしている。
講師もこの曲に関しては完成しているレベルだって太鼓判を押してくれているから、
慢心さえしなければ大丈夫なハズだ。
正直、審査員もいないボクたち2人だけの対決だから、そこまでこだわる必要なんてない。
動きの美しさとか力強さとかの部分点なんてない、ただどこまで踊り続けられるかの勝負だ。
振り付けを間違えなければそれでいい。
そう分かっていても、ボクはつい全力を出してしまう。
勝ちたいからだ。
負けたくないからだ。
どうして勝ちたいのか、なんて全然分からない。
勝って何かが手に入るワケでもない、負けて何かを失うワケでもない。
ひとつだけ確かなのは――。
響にだけは絶対に負けたくない、ってことだ。
「あ…………!!」
そんなデタラメな闘争心が裏目に出てしまった。
視野に映る響を意識しすぎて、右足が床を踏み損ねる。
慌ててバランスを取り直そうとするけど、激しいステップの連続で体が言うことを聞かない。
「真ッ!!」
咄嗟に受け身をとろうとしたところで、ボクの体はぐいっと持ち上げられた。
もうちょっとタイミングが遅かったら足を捻っていたかもしれない。
「………………」
何となくばつが悪くてボクは俯いていた。
響が曲を止めてすぐに戻ってきた。
「大丈夫か?」
そう訊かれるのも何だか悔しくて、
「余計なことしなくてもよかったのに」
ぶっきらぼうにそう返してしまう。
響は少し寂しそうな顔をしてから、
「たしかに余計なことだったかも。ごめんな、真」
怒るどころか反対に謝った。
”そんな言い方しなくてもいいじゃないか!”とか言ってくれたら、ボクも熱くなって反発できたのに、
響のまるで意に介さない受け答えに毒気を抜かれてしまう。
「ううん、ボクのほうこそ……ごめん」
おかげでさっきまで嫌な気分だったのが少し晴れた気がした。
「いや、自分は気にしてないけど――」
そう言って響はその場に胡坐をかいた。
そこに座れ、って意味らしい。
ボクも腰をおろす。
「ん〜〜……」
じっとボクを見ながら響がうなる。
「な、なに……?」
「やっぱり真、なんかヘンだぞ?」
「そ、そんなことは……」
ない、とは言えなかった。
「ダンス対決――もしかして嫌だった?」
「そんなことないよ」
「だよね。今の真、ちょっとスッキリした顔してるし」
「そう……?」
「うん」
レッスン室の鏡に映る自分の顔を見るけど、よく分からない。
「………………」
「………………」
「うがぁ〜〜!! もう、やめやめ!!」
2人とも黙ってしまって、それが我慢できなくなった響が大袈裟に両手を上げた。
「もう1回勝負! さっきのはナシでいいから! ほら、早く!」
響はもう立ち上がっていて、気が付くと曲をかけていた。
「ちょっと待ってよ!?」
よせばいいのにボクの体は勝手に動いていて、フライング気味の響について行こうとした。
5分……10分……。
ボクたちは踊り続けた。
お互いにステップを確認し合っていたのは、相手がミスしたらそれをすぐに見つけるためだった。
でもそれは意味がなかった。
ボクも響もダンスに関しては頭のてっぺんから指先まで振り付けが記憶されている。
さっきみたいに焦ることもないから、もうどっちかが疲れて倒れるまで終わらないと思う。
それも……無理なんだろうな。
どっちも負けず嫌いだから、相手が倒れるまで止めないんだ。





だけど体力の限界っていうのは必ずあるわけで……。
ボクとしては限界は超えるためのもの、って思ってるけど、体はそうじゃないらしい。
だらしなく大の字になって仰向けになっていると、
「今の……どっちの勝ち……?」
響が息切れしながら言う。
「さあ、ね……ほとんど同時だったと、思うよ……響のほうがちょっと早かったけど」
なんてボクが言うものだから、
「いーや、真のほうが早かった! 自分、見てたんだからね!」
どっちが先にダウンしたかで言い争いになる。
正直、どうでもよかった。
勝ち負けなんて今は気にしたくない。
全力で踊りきった後の、心地よい疲労感を味わいたかった。
レッスンでもここまで体力を消耗したことはなかった。
そうなる前に時間が来ちゃうからね。
「………………」
覗き込んできた響の顔で視界が遮られる。
彼女は疲れ知らずらしい……。
ボクもそうだぞ、ってところを見せたくて上体を起こす。
「うん! やっといつもの真に戻ったな!」
太陽みたいに笑う響を見て、ボクはやっと自覚する。
モヤモヤした気持ちを抱えてた理由。
本当は分かってたけど、認めたくなかったのかもしれない。
そんな気がする。
「もしよかったらだけど……自分に話してくれないか?」
なんて言われたら、隠すワケにはいかないよね――。
ちょっと恥ずかしい気もするけど。
「ボク……ちょっとだけ、自分のことがイヤになっちゃったんだよね……」
「ん…………?」
「何を求められてるのか、っていうのは分かってるんだ。ファンの人たちも、プロデューサーも」
少しだけ間を置いて続ける。
うまく言葉にできないし、できたとしても言うには勇気が必要だった。
「ボクがなりたかったのは、もっとかわいくてキャピキャピした女の子なんだ……。
アイドルを目指してるのも――アイドルになれば、そうなれるかもって思ってた。
……って、これは前にもちょっと言ったことがあったっけ?」
「うん」
「だけど、いざなってみたら、ボクがやるのは男の子の役ばかりでさ。
最初からそういうイメージがあるのは分かってたけど、それを変えたくてアイドルになったのに……」
人ひとりの力なんて大したことはない。
ボクがいくらイメージを変えたいと思っていても、それを押し付ける人たちがいたらどうしようもないんだ。
「プロデューサーには言ってみた? そういう仕事もしたいってこと」
「うん……それは、何回かは……」
たしかに訴えたことはあったけど、それを響に言うのは憚られた。
今でこそ響はダンス、活発、動物と仲良し、っていうイメージが定着してるけど、
そうなるまではまるで合ってないんじゃないかって思う仕事もいろいろこなしていた。
だけど響が愚痴や不満を言ったのを聞いたことがない。
口を出したとしても、”これはこうしたほうがいい”とか”こうすればもっと良くなると思う”みたいな、
前向きな内容ばかりだった。
なんていうか、仕事も何もかも全部、楽しんでるって感じだったかな。
ボクも自分の役割は分かっていたつもりだから、あまり不満を言わないようにしていたけど、
それでも何度かはプロデューサーを捌け口にしてしまったことがある。
その時は俺も頑張ってそういう仕事を取って来るから、って言ってくれたけど……。
いま思えば、ずいぶん困らせちゃったんだよね……。
「まあ、たしかに真は男の子っぽいけど」
面と向かってそうハッキリ言われると、反論する気もなくなってしまう。
「でもただ、男の子っぽいワケじゃないぞ。”かっこいい”男の子だろ」
「同じじゃないか!」
ヘンに付け足されたから、つい声を張ってしまう。
でも響は、
「なに言ってるんだ? 全然ちがうぞ?」
真剣な顔でそう返してきた。
「ボーイッシュな娘なら、他にもいるじゃないか。でも真はわざわざ”かっこいい”って付いてるんでしょ?
それって、ちゃんと真を見てくれてるってことじゃないか」
……よく分からない。
ボクがどう見られてるかは変わりがないと思うけど。
「うーん……うまく言えないけど……いい加減に見てたら、”男の子みたいだ”――で終わるでしょ?
”かっこいい”って言われるからには、他の子と比べられてるってことにならないか?」
「――それがボクにとって褒め言葉だったらね」
「あ、そっか…………」
ちょっと嫌味な言い方になっちゃったかな。
「真はやっぱり、かっこいいって言われるのは嫌なの?」
「もちろん――」
嫌だ、と言いかけて呑み込む。
何がなんでも嫌だ、ってワケじゃない。
そう言ってくれる人もボクを貶したいからじゃなくて、応援の意味で言ってくれてるのは分かってる。
ボクとしては”かわいい”って言われたいし、そもそも女の子としてさえ見られてない節もあるから、そこも何とかしたい。
だからといって、その言葉まで嫌う必要があるのか、って改めて考えると分からなくなってしまう。
「……そこまで嫌じゃないかも。でもやっぱり、”かっこいい”って言われるよりも、”かわいい”って言われたいよ」
「ふーん…………」
あれ?
けっこう思い切って言ったつもりだったんだけど……?
”ふーん”の一言で済まされると一気に力が抜けてしまう。
「じゃあ2番目の褒め言葉だと思えばいいんじゃないか?」
「2番目……?」
またよく分からないことを言う。
「みんなそうだけど、良い所ってひとつだけじゃないでしょ?」
「うん」
「でも一番良いところってあるでしょ」
「う〜ん……?」
「じゃあ真! ためしに自分のこと褒めてみてよ!」
「ええっ!? どうしたの、急に……」
「いいから! ほら! いくつだっていいぞ!」
腰に手を当てて、得意気に胸を張る響。
くっ……張る胸があるのがうらやましい……。
えっと、要は褒めればいいんだよね。
つまり長所を挙げていくってことか。
響といえば、やっぱり何と言ってもダンスだよね。
スポーツも得意だし、そういうところはボクと似てる。
動物と仲が良い、っていうのもはずせない。
本人が言うには動物の言葉が分かるらしい。
事務所でよく見るのはハム蔵といぬ美だけど、たしかにやりとりを見ていると会話が成立してるっぽい。
……というか時々、逆にハム蔵たちのほうが響の言ってることを理解している――ようにも見える。
「うぅ……ぐすっ…………」
そんなことを考えてると突然、鼻をすする音が聞こえた。
「ええっ!?」
なんで響が泣いてるのさ!?
「ま、まことぉ……自分、カンペキだと思ってたけど……褒めるとこ、ひとつもないのかぁ……?」
「あー、そういうコトかぁ……」
涙目の響がかわいくて、頭をポンポンと撫でる。
「うがー! こども扱いするなー!!」
「してないしてない」
このままだと拗ねてしまいそうなので、最初に戻って響の長所を並べる。
「まずダンスが上手い。それと似てるけどスポーツが得意で、動物たちとも仲がいい。
それにけっこう料理も得意だよね。編み物とかも上手いし……」
不思議と他人の長所だといくらでも出てくる。
響だけじゃない。
雪歩だって春香だって、探すまでもなくいくらでも思いつく。
「そんなに褒められると、て、照れるぞ……」
「響が言えって言ったんじゃないか」
面と向かって相手を褒めるのって、ちょっと恥ずかしいのに。
「あ、そっか! それより! さっき真が言ってくれた中で、言われて嬉しい順番があるんだ」
「順番?」
「言われて一番嬉しいのは、やっぱりダンスが上手ってとこ! スクールに通ってたから自信もあるし、
やっぱりそれを褒められるのは一番嬉しいんだ!」
「響は完璧だからね」
「うぇ……!? う、うん……! そうだぞ! 自分、完璧だからな!」
完全に虚を衝かれたようにうろたえる響。
自称してるけど、あまり他の人からは言われなかったんだろうなあ……。
その慌てぶりがちょっと面白い。
「だけど動物と仲良し、っていうのは別に褒められてる気がしないんだ」
「そうなの? なんで?」
「仲が良いって長所とは違うんじゃないか? 逆に仲が悪くても悪いことじゃないと思うぞ」
どうなんだろう。
雪歩は犬が苦手だけど、それって欠点なのかな。
苦手なものなんて少ないほうが絶対にいいと思うけど……。
「でも真はそれが自分の良いところだと思ったから言ってくれたんでしょ?」
「うん、そうだね……だって動物と話ができるくらい仲が良い人なんて、響以外にいないと思うし」
ボクがそう言うと、響はまた得意気になった。
……けど、表情はさっきと少し違う。
我が意を得たり! って顔してる。
「真もそれと同じってこと」
分かりきったような顔で言う響と、分からない顔をしてるボク。
たぶん響の中ではもう言いたいことは決まってて、ボクがそこに追いつくまで待ってるんだろう。
正直、考えてることがまったく分からない。
「真は”かっこいい”って言われるのはあまり好きじゃないけど、そう言う人はそれが良いところだと思ってるんだ」
「うん……?」
響が言ってることなのに、難しい……!
こんな遠回しな言い方してたっけ?
「自分も動物と仲が良い、なんて長所とは思ってなかったぞ。でもさっき真に言われて思ったんだ。
自分が気付いてないだけで、実はそれも長所なんじゃないかって。それを真が気付かせてくれたんだって」
「………………」
一瞬だけ、響がプロデューサーと被って見えた。
いつだったか……あの人も似たようなことを言ってたような気がする。
「真は自分の良いところをまだちゃんと分かってないんじゃないか?
ほんとはすごく褒められてるのに、気付いてないってこともあると思うぞ」
「”かっこいい”って言われることが?」
「うん」
迷うことなく響は頷く。
「”かわいい”のも”かっこいい”のも、ちゃんと真を見て、そう思ってるから出る言葉なんだと思う。
反対の意味っぽいのに、ちゃんと両立してるなんてスゴイことだぞ」
そう、なのかなあ。
それに応えてますます男の子っぽくなったら、もっとそういう声が増えそうな気がするけど。
「ん〜、じゃあこんなふうに考えるのは? かわいいだけのアイドルはいくらでもいるけど、両方持ってるのは真だけだって」
「………………」
そう言われると悪い気はしない。
雪歩や春香、美希たちには到底敵わないけど、彼女たちに男の子っぽさは多分――ない。
もちろんメイクや衣装次第でそう見せることはできるかもしれない。
でも内面から滲み出る女の子の部分は隠せないんじゃないかな。
こう考えると、嫌でしかたがなかった面が武器のようにも思えてくる。
「自分、ほんとは真のことがちょっと羨ましいんだ……」
「なんで……?」
訊く声が震えてしまう。
さっきまで快活だった響が、まるで別人みたいに囁くような声で言うから心配になる。
「自分はカンペキだって、ずっとそう言ってきたんだ。歌もダンスも誰にも負けてるつもりもないし。
でも、いつの間にか、そう言ってないと落ち着かなくなってたんだ」
あの時、浜辺で泣いていた響の姿が重なった。
沖縄からたったひとりで飛び出してきて。
右も左も分からない世界で、故郷に帰りたくなる気持ちを抑えるために、決心が揺らがないようにって。
自分を追い詰めていた――そう話してくれた、あの時の姿だ。
「完璧ならトップアイドルになれる。トップアイドルになれば島に帰ることだってできる。
矛盾してるみたいだけど、そのために自分は完璧なんだって言い聞かせてた――」
自己暗示、ってやつかな。
根拠もなくポジティブになったり、成功した自分をイメージするのもこれと同じなんだよね。
「だから誰よりも上を目指してたんだ。一番になるんだ、って。トップに立つんだ、って」
「分かるよ。ボクだってそうだから」
多分、みんな同じだと思う。
765プロは団結力が最大の武器だけど、一人ひとりはライバルだ。
だからといって足の引っ張り合いをしたり、騙したり、出し抜いたりするのとは違う。
正々堂々、真正面からぶつかる。
ぶつかってお互いを高め合っていく。
「前に自分のこと……目標だって言ってくれたよね?」
あの海でのことだ、とすぐに分かった。
いま思い出しても、やっぱりちょっと恥ずかしい。
「それは自分も同じだったんだ」
「同じ?」
「自分がどうやったって手に入れられないものを、真は持ってる。レッスンしたって逆立ちしたって――絶対に手に入らないんだ」
そんなものをボクが持ってる?
トレーニングウェアとかダンベル?
いつでも貸してあげられるけど。
……ウェアはサイズが合わないか。
「真のかっこよさとか、男の子っぽい魅力とか……そういうのは自分じゃどうにもならなかった」
「そんなことはないと思うけど……」
だってダンスで観客を虜にする響は本当にかっこいいと思うし。
その意味じゃボクのほうが負けてると思うけどなあ。
「ううん、女の子ファンは真のほうがずっと多いんだ。完璧なら、トップを目指すなら女の子のファンも
たくさん増やさなきゃいけないのに……それはどうやったって勝てなかった――」
抽象的な話じゃなくて、ハッキリ数字で分かる女性ファンの数のことだから覆しようがない。
というのが響の言い分だった。
「真は嫌だって言うけど、タキシード着て新郎役やって花嫁を抱き上げるとか――そういうの、やってみたいんだ。
でも自分、背は高くないし髪は長いし、そういう仕事は回ってこないんだ」
慰めなんかじゃないって分かる。
響は本当にそんな仕事を受けてみたいんだろう。

”やっぱり真はこういうのが似合うな”

あれはボクを羨ましがって出た言葉なのかもしれない。
「自分のこと、目標だって言ったでしょ?」
さっきと同じことを言う。
「その自分がこんなに欲しがってるものを真は持ってるんだぞ?」
「うん…………」
「だから、その……さ……」
さっきまで強気な感じだったのに、急に歯切れが悪くなる。
おまけに顔まで赤くなってるけど、どうしたんだろう。
「だから……もっと自信を持っていいと思う。誇りにするべきだぞ」
最後は真っ赤になって俯いてしまった。
自信か――。
たしかにそんなふうには考えたことがなかったかもしれない。
嬉しくないワケじゃないけど、仕方がないって、後ろ向きに捉え過ぎていたかも。
響がそのことを羨ましいって思ってくれてることが、ちょっと嬉しい。
「それに……自分……」
ちらっとボクの方を見る。
顔は真っ赤なままだ。
「まこと……真のこと、かわいいと思うし…………」
「うえっ――!?」
ヘンな声が出てしまった。
聞き間違いかと思って慌てて確かめようとしたけど、響は膝の間に顔をうずめてる。
「ねえ、響! もう一回! もう一回言ってよ!」
ボクは聞いたぞ。
この耳でちゃんと聞いたんだ。
「一回しか言わないって言ったぞ!」
「言ってないよ、そんなこと!」
「言った!」
「言ってない!」
なんて押し問答を続けているうちに、知らず笑いが込み上げてくる。
悩んでたこともバカバカしくなるくらい、ボクは笑っていた。
こんなつまらない小競り合いでも、そうしていると考えてる暇もなくなるからかもしれない。
「ちょっとは元気でた?」
次の瞬間にはもう響はいつもの快活な顔に戻っていた。
こういう切り替えの早さはボクも見習いたいよ。
「うん……なんだかバカバカしくなってきちゃったよ」
「そっか――」
複雑そうな表情で響が頷く。
「真は今でも充分かわいいけど、もっとかわいい女の子になりたいって努力してるところも……。
すっごくかわいいと思うぞ?」
今度は照れたりしないで、まっすぐにボクを見てそう言ってくれた。
「自分はかわいさも完璧だけど、真はそうじゃないからな」
「う……そこまでハッキリ言われると……」
「だから真はこれから、もっともっとかわいくなれるってことさー!」
「………………!!」
胸の奥がじんと熱くなるのを感じた。
たとえそれが慰めるための言葉だとしても、ボクは嬉しかった。
――もっとかわいくなれる。
そう言われた時、無根拠でがむしゃらな闘志じゃなくて、本当にそうなれそうな気がした。
「自分なりにかわいくなる秘訣もあるんだ。それも教えてあげるから。だから、もっと頼ってよ」
「響…………」
「ライバルが落ち込んでるところなんて見たくないしね!」
――そうだった。
ボクと響の関係は出会った時から、ずっとこうだったんだ。
ボクたちは対等だけど、対等じゃない。
いつも相手が一歩先を行っていると思っているし、だからそれに追いつこうとがんばれる。
「響、ありがと……」
どうして突然ダンスバトルなんか――って思ってたけど、その理由が分かった気がする。
「お礼を言われることなんてしてないぞ。当たり前のことをしただけ。真だってそうするでしょ?」
ほんとに眩しすぎるくらいの笑顔だ。
プロデューサーが太陽みたいな娘、って言ってたのもよく分かる。
「最近、元気なかったでしょ? ちょっと様子もヘンだったし……」
まあ、自覚はあったし、隠せるほどボクも器用じゃなかったってことか。
「最初は特に気にしてなかったけど、何だか思いつめてたみたいだから心配だったんだ」
「ごめん、手間かけさせちゃって……」
「謝らなくていいってば。それであの雑誌を見て、ピンときたんだ。自分も載ってたからな」
「うん……」
響はため息をついた。
「競争するのはいいけど、比べても意味ないと思うぞ?」
「そう、なのかな?」
「自分は今の真が好きなんだ。みんな、そう思ってるんじゃないか?」
「それは――」
どうだろう? 考えたこともないや。
「じゃあ訊くけど、誰かに女の子らしくなれとか言われた? かわいくなれ、とか言われたのか?」
「それはないよ」
「ならそれでいいじゃないか」
優しい声でそう言って、響が微笑する。
笑ってるけど、ちょっと呆れてるような、そんな顔だ。
「自分、ダンスの時に周りに合わせずに飛ばし気味になる癖があってさ。レッスンでも時々言われてるだろ?
もうちょっとテンポを落とせって」
たしかに、そう指導されているのを聞いたことがある。
この前の合同レッスンでも指摘されてたっけ。
ダンスが得意で体力もある分、そうじゃない子を置いてけぼりにしてしまうみたい。
「そうやって注意されるのは、自分に悪いところがあるからなんだ。だからそれを直しなさいって言われてる。
ついつい飛ばしちゃってなかなか直らないけど……」
「……完璧なのに?」
「もー! そういう話は今はいいの! せっかくいいカンジだったのに!」
「ごめんごめん! もう意地悪は言わないよ」
「次また言ったら殴るからね!」
「言わないよ、絶対」
「――まあ、それは冗談だけど。真は誰にもかわいくなれとか、女の子らしくしろなんて注意されないでしょ?
そういう指摘をされないってことは、直すところでも欠点でもないってことなんだぞ?」
「そう、なの……?」
「うん」
「ほんとに?」
「うん」
「間違いない?」
「間違いない!」
「そっか…………」
全身からふっと力が抜ける。
なんだか無駄に悩んで、無駄に時間を費やしてしまったような気がした。
「恥ずかしがったり、負けてるとか思ったりしなくていいんだ。真は真だからね」
その言葉に救われた想いがした。
自分を肯定してくれることが――ボクが勝手に否定してただけだけど――単純に嬉しかった。
そう思われてることが分かって、やっと安心できたのかもしれない。
響みたいに思ってくれるファンがいるかもしれない、って考えると気持ちが楽になってくる。
「……ちょっとは恩返しになったかな」
響がそう呟いたのを聞き逃さなかった。
「何のこと?」
「あ、ううん……別に……」
一度は何でもないと首を振った響だけど、ボクがじっと見ていたからか観念したみたいに、
「この前の、ことだぞ……」
ポツリとそう言った。
とぼけて見せたけど、ほんとは分かってる。
きっと、響が思い出したくないこと。
あれから響は一度も涙を見せなかった。
あの時はボクも必死で励ましたり慰めたりして、なんとか笑ってはくれたけど、
その程度で抱えてる悩みやつらさが解消するハズがない。
もしかしたら、あれからもボクたちに気付かれないように泣いてるんじゃないかと思うと胸が痛い。
かわいそう――って思うのは、やっぱり同情なのかな。
それは友だちなら当然だとボクは思ってるけど、独りでがんばってきて、
今もそうしようとしてる響のプライドを傷つけることになるんじゃないか……とも考えてしまう。
「そんなこと気にしなくていいのに」
どっちの意味で言ったのか、ボク自身も分からなかった。
「それはダメだぞ。受けた恩はちゃんと返さないと……!」
身を乗り出して訴える様子からして、ずっと気がかりだったらしい。
いつ返そうかとウズウズしてたんじゃないかな。
「恩を着せたかったワケじゃないよ」
そう思われてるんだとしたら、ちょっと寂しい。
他人行儀というか、距離を感じてしまう。
「ボクは友だちとして、響を助けたいって思っただけで――」
「じゃあ自分も同じってことで」
こうやってすぐに切り替えられる思いきりの良さが、響の長所なんだろうな。
素直に見習いたいと思う。
ほんの少しの沈黙。
「ごめん……」
口をついて出たのは謝罪の言葉。
「なんで謝るんだ……?」
不思議そうな顔で響が覗き込む。
みじめな自分を認めて、ちょっとでも楽になりたくて白状することにした。
「響に悪いことしちゃったから」
「ええ!? 自分、何かされたっけ……?」
「ちがうよ、響には何もしてない」
「意味が分からないぞ……」
そりゃそうだよね。
ボクだってちゃんと自覚できたのは、つい最近のことだし。
「ひょっとして……言えないようなこと? なら無理に言わなくていいよ?」
小さな子をなだめるような口調で響が言う。
逆の立場だったら、ボクも同じようなことを言ったと思う。
「――嫉妬してたんだ」
自分の気持ちを認める、ってけっこう勇気が要るんだね。
隠しておきたい気持ちほど、素直に告白するのは苦しい。
あの時、響もこんな想いだったのかもしれないね。
「似てる部分がある、っていうのは最初から分かってた。ボクが勝負できるのはスポーツとか、
それに通じるところがあるけどダンスとか、それくらいしかなかったから」
「それは…………」
「だからそれで負けたらボクの強みがなくなる、っていう怖さがどこかにあったんだ。
存在価値――って言ったら大袈裟だけど、そういうのが消えてしまうんじゃないかってね」
これはプロデューサーにも話したことはない。
知られればきっと困らせるし、余計な気遣いをさせてしまうからね。
「ボクが響をライバルだと思ってたのは、そういう理由もあったんだ。
ヘンな話だよね。前に勝ち負けじゃない、なんて言っておいてさ」
「………………」
「ダンスの腕は――お世辞なんかじゃなくて、ほんとに響のほうが上だと思う。
それならそれでボクも負けないようにがんばればいい……その気持ちは今も変わらないよ」
響は黙って聞いてくれていた。
「だけど、それだけじゃない。ボクは何ひとつ響に勝てないんだって、思ったんだ。
だってそうじゃないか。ステージではクールでかっこいいのが響だけど……。
ステージを降りればかわいい女の子だ。趣味とか……ファンだって…………」
包み隠さず話すつもりだったけど、いざ言葉にするとどんどん気持ちが沈んでいく。
こんなことなら黙っていればよかった、とさえ思う。
「料理だってそれほど得意なワケじゃないし、編み物なんてとてもできないし。
そんなボクが響と女の子らしさを競うこと自体、バカみたいな話なんだよね……。
でも、ボクにだって響に勝てるところがある! ……そんなふうに思ってもダメなんだ……。
比べれば比べるほど、自分が負けてるところしか見つからなくて――ボクって小さいんだなって。
はは……ボクが唯一勝ってるのは背の高さくらいかな……?」
なんて最後は冗談っぽく言ってみたけど、ここまできて卑怯な誤魔化しはしたくないから、
心に思ってしまったことも隠さずに告白する。
自嘲気味に笑うと、響がため息をついた。
呆れられたかもしれない。
まったくボクらしくないって分かってるんだけど。
「真はバカだな」
「う…………」
そうハッキリ言われるとさすがに傷つくよ……。
「完璧な自分に勝てるわけないじゃないか」
「そりゃ、そうだけどさ……」
「もー! そうじゃないだろ!」
響が突き刺すくらいの勢いでボクを指差した。
「負けてるなら勝てるように努力するのが真だぞ! 人一倍がんばれるのが真の良いところなのに。
そんなので諦めちゃっていいのか!?」
「べつに諦めてるワケじゃ……」
「敵わないって思ってる時点で諦めてるのと同じだぞ」
ボクとしては自己分析のつもりなんだけど、そうなのかな。
「ああ、でも…………」
恥ずかしそうに響が目を逸らす。
「ちょっとだけホントのこと言うとね……嫉妬してるって言われて、嬉しかったんだ……」
響の顔が赤い。
それって喜ぶことなんだろうか?
「あんな情けないところ見られたのに……真はゲンメツしたりしないで今も自分をライバルだと思ってくれてるんだって――」
「幻滅なんてするワケないじゃないか」
「でも自分にとってはすごくカッコ悪いことだったんだ。誰にも見られたくなかったし……」
「……ごめん」
「あ……そういう意味じゃないぞ! そうじゃなくて! 自分が言いたいのは、真はもったいないってこと」
「もったいない?」
「さっきから聞いてると、わざわざ負けてるところばかり探してる感じだったじゃないか。それじゃ勝てるワケないでしょ。
どうせなら得意な分野で張り合ったほうが楽じゃないか?」
言っている意味は分かる。
そのほうが精神的にも良いだろうし。
「自分と真がこの事務所にいるのは、似てるところだけじゃなくて、違うところもちゃんとあるからだと思う。
そうじゃなかったら、どっちかがクビになってるぞ……」
それは穏やかじゃない。
「社長もプロデューサーも、自分たちの違うところをちゃんと見てくれてるってことさ。
自分にしかできないこととか、真だけが持ってるものとか。だから誰かが誰かの代わりなんてできないんだ。
やよいと何もかも同じ人なんていると思うか? 雪歩と何もかも同じ人なんていると思うか?」
「そう、だね…………」
「だったら真も自信を持って”真”でいればいいじゃないか。学校のテストじゃないんだから、優劣なんてつけられないでしょ?
春香がいつもつけてるリボンが亜美の髪留めより上、なんてあるハズないからな」
「………………」
なんだろう、この感じ。
胸のつかえがスーッと降りていくような、そんな気分だった。
それに――。
驚いたのは響の考え方だ。
普段はこんな話しないから仕方ないけど、響がボクたちをどんな風に見てるのか、ちょっと分かった気がする。
いつも一番前を全力で突っ走っているように見えて、実は後ろから眺めてる……みたいな感じ?
いろいろ考えてるんだなあ、って改めて分かった。
「響…………」
で、その考え方に救われたのがボクってことで。
「ありがとう……なんだか気持ちが楽になったよ……」
そう言うと響は呆気にとられたようにボクを見て、
「――そっか」
それから嬉しそうに笑った。
ずいぶん気にしてくれていたみたいだ。
それに余計な気も遣わせちゃったし……。
「もう大丈夫……ってことでいいんだよね?」
「うん、おかげさまでね」
理想の自分にはまだまだ遠い。
でも響が言うには、ボクにはまだまだかわいくなる素養があるらしい。
実感はないけど、ウソをつけない響が言うんだから間違いないだろう。
「よかった……」
小さな声でそう言う響の声が、なぜか胸に刺さるようだった。
ずっと悩んでたことがやっと解決したときのような、本当に安心したときに出る声だ。
「い、いつもの真じゃないと、こっちも調子が狂うからな!」
伊織とよく口ゲンカしてるから分かる。
今のは本音が半分で、もう半分は――。
「自分からもプロデューサーに頼んでみようか? 真がやりたい仕事をさせてあげて、って」
「ううん、気持ちは嬉しいけど、それはいいよ。それで仕事ができても……なんか違うと思うんだ。
ボクがもっとかわいくなったら――そういう仕事も向こうからドンドン来るだろうしね」
負け惜しみでもなんでもなく、そう思う。
認めてもらう、というより認めさせてやる! ……みたいな妙な闘志が湧いていた。
「そう言うと思ったぞ」
響がクスッと笑った。
つられてボクも笑ってしまうけど、すぐに恥ずかしくなる。
こんなに気にかけてくれる響を恨んでしまった自分が。
彼女のライバルであり続けたいと思ってたのに、嫉妬してしまった自分が情けなくなる。
きっとこんな気持ちでいるかぎり、響には絶対に勝てないだろうな。
「えっと……ねえ、響……?」
そう思ったから、その想いが揺らがないうちに言っておこう。
「ほんとにごめん――それと……ありがとう。大事なことに気付かせてくれて」
「気にしなくていいのに」
「そうはいかないよ。ちょっと自分のことが嫌になりかけてたから――」
「………………」
響がばつ悪そうに目を逸らした。
「それで改めてちゃんと言っておこうと思って。ボク――ずっと響のライバルでいたいんだ」
「…………? そんなの、わざわざ言わなくても今でも――」
「そうじゃなくて、さ。ライバルに相応しくなれるように、弱音は吐かないようにしようと思って。
焼きもち焼いたり、後ろ向きになったりするのって、やっぱりダメだよね」
こう宣言しておけば、ボクだって前だけを見ていられる気がする。
消極的な気持ちじゃ、周りまで傷つけてしまうから、このほうがいい。
「どう、かな……?」
だけど響はそうじゃなかったみたい。
「つい弱気になったり、上手くいかなくてイライラしたりするのって、仕方がないと思うぞ。
自分だってそうなるとき、あるし……」
「響……?」
「でもそれをバネにして、負けるかー! って後で思うんだけどね。その、うまく言えないけど……。
後でちゃんと跳ね返せるなら弱音を吐いたっていいと思う。だけど、どうしてもダメだって時は――」
響がボクの目をじっと見た。
眼差しがあまりに真っ直ぐで、こっちのほうが逸らしてしまいそうになる。
「自分でもいいし、誰でもいいから、相談してほしいぞ。無理して抱え込んだってつらいだけだから。
そういうの……自分、よく分かるし――」
きっとあの時のことを言ってるんだ。
あの時――もし帰りの遅い響を待ち続けていたら……。
ボクが迎えに行かなかったら……。
どうなっていたんだろう?
きっと響のことだから、何もなかった風にホテルに戻って来ただろう。
寂しいのも悲しいのも押し殺して、いつもどおりに。
でも誰にも言えない想いが募って、誰にも知られないようにウソついて……。
最後には押し潰されてしまうかもしれない。
誇るつもりはないけどあの時、響を迎えに行ってよかったと思う。
ボクだけが知ってる響の秘密。
本当は隠しておきたいハズなのに、隠し続けると苦しくなってしまう。
そんな矛盾をボクが上手く受け止めた……なんてとても思えないけど。
でも彼女が抱えていたものを少しは軽くできたんじゃないか、っていう自負はある。
「うん…………」
そこまで思い返して考え至る。
さっきボクが言ったのは、あの時の響を否定しているんだって。
苦しいこと、独りじゃどうにもならないくらいつらいことがあるなら、我慢せずに打ち明けるべきなんだ。
響を見て、そう学んだハズだった。
「だから遠慮なく自分を頼ってよ。カンペキな自分が簡単に解決してやるぞ! それもライバルの務めだからね!」
そう言って胸を張る響は清々しいくらいに自信に満ち溢れていた。
ほんとに羨ましくなるほどに――。
「響にはかなわないよ」
心からそう思う。
自分の弱さを認める強さなんて、今のボクにはまだない。
それができる響を見ていると、嫉妬なんかじゃなくて、ただ素直に羨ましくなる。
同時にそんな風になりたい、とも。
「いい顔してるぞ、真」
快活な声に鏡を見ると、たしかに今までとはちがって見えた。
開きなおり――ではないけれど、受け容れられなかったものが受け止められるようになった、というか。
「じゃあ事務所に戻ろう! 雪歩も心配してるぞ」
ここに来た時と同じように、響はボクの腕を掴んで立ち上がらせた。
さっきは強引だなあ、って思ったけど。
今になって思えば、ウジウジ悩んでいたボクにはその行動力はありがたかった。
その背中に向けて、何度目か分からない感謝の言葉をささやく。
いつか……かっこよさも、かわいさも磨いて、100……いや、200パーセントのアイドルになれたら。
今度はボクが響を引っ張っていけるようになれれば、と思う。
その時こそ、ほんとうの意味で対等のライバルになれる気がするんだ。
だから響には悪いけど、もう少しだけ待っていてよ。
でも、ほんのちょっとの間だけ。
すぐに追いついてみせるさ。
「ひびき…………」
とられた手を握り返して、想いを伝える。
決意表明みたいなものだ。
響がそれをどう受け取ったかは分からないけど。
今のボクの全てをぶつけたつもりだ。
「――まこと」
立ち止まり、振り返った響は笑っていた。

 

 

 

   終

 

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