第1話 ミルカ
(アンヴァークラウンに生きる女性ミルカ。彼女の深い見識と探究心はやがて恐ろしい復讐劇の端緒となる)
この華奢な女性には、体つきからは想像もつかないほど大きな志と探究心が宿っている。
小さな頃から好奇心が強かった彼女は、手に取れるモノをことごとく分解する時期があった。
置時計や懐中電灯など、機械的な仕組みを解き明かしたいという欲求が働いていたようだった。
家の高価な物を破壊する様を見て、彼女の両親は科学者に向いているのではないかと思った。
彼女が壊す――分解する――ものは総じて複雑な構造をしているものばかりだった。
これは壊し甲斐があるからではない。
分解した先に、仕組みを理解したいという気持ちがあるからだ。
実際、必要な部品さえ集めれば、彼女は自分が一度分解したものと同じものを作ることができた。
これはものの仕組みと構造を理解し、それを再構築できる能力を充分に備えているためだ。
「この娘は将来、優秀な科学者か発明家になるかもしれないな」
という具合に父親が言ったが、この時は冗談のつもりだった。
しかし冗談は数年の後に現実となる。
ミルカという女性は人並み以上の知的好奇心と博学さから、18歳の春に”研究員”の肩書きを得た。
”下”の世界で生まれ育った彼女は、たった一度だけ”上”の世界を見てきた。
極寒の地であった”上”を見て、閉塞感のある”下”はひどく陰気なだけで不快に思えてくる。
ミルカはいつか、”下”を捨て、”上”を越し、さらなる高みに昇ってみたくなった。
彼女の考えでは上に行けば行くほど広く自由に満ちた世界があるハズだった。
彼女が研究員となったキッカケはここにある。
学び、調べ、造る。
その全てを個人では到底できない規模でおこなう職業と場所。
いつか、高みに昇り、この世界を見下ろすことのできる世界にたどり着いてみせる。
光の届かない世界でも、氷に覆われた世界でもない、自由へと飛翔できる技術を。
自分の手で造りだしてみせる。
そう胸に誓った彼女が勤めるのは、『中央区新世代技術開発センター』という大きな研究施設。
”下”の中枢に位置し、政府・企業の巨額な投資によって存続する施設。
ムドラの民の希望がここに集約されている、と言っていい。
「整備終わりました。ラジエータはこれで充分なハズです」
薄汚れた白衣のミルカが、主任に報告する。
「ご苦労だった。計算上はこれで稼働するのだが、果たしてどうか・・・・・・」
主任はうなった。
2人の眼前には分厚いガラス窓があり、その向こうに小型艇がほこりを被った状態で鎮座している。
施設の地下に収まる程度の大きさで、船と呼ぶにはいささか頼りない感じがする。
「こんな言い方をしては失礼だと思いますが、本当に飛ぶのでしょうか?」
ミルカがおずおずと尋ねた。
「ジェネレータもコントロールシステムもずいぶんと古い型です。これが昔には大空を翔けていたとはとても・・・・・・」
目の前の赤い小型艇は、ミルカが生まれるよりもずっと昔から存在していた。
当時の部品をそのまま残しているため、各部パーツは彼女の言うとおり旧式であって当然だった。
しかし信じがたいことにこの小型艇、かつてはアンヴァークラウンの空を自在に飛びまわっていたという。
「僕も想像できないが、たしかな話だ。きみも飛ぶと思っているからここにいるのではないかね?」
「それを言われれば・・・・・・そうですね」
ミルカは苦笑した。
彼女が研究員としてやって来たのは4年前。
その当時の彼女は、偉大な発明をしたいという程度の考えしか持っておらず、何を研究・発明したいかは具体的に考えていなかった。
各部署の手伝いに回っているうち、彼女は今の主任と出逢う。
ミュウゼンというこの主任はもう何年も前から、眼前の小型艇のとりこになっているという。
口伝によればこの小型艇は『セラ・ケト』という名を持ち、アンヴァークラウンを見下ろしていたらしい。
その勇姿を復活させたい、と主任は常々思っている。
ミルカは主任の夢を語るときの瞳の輝きに魅了され、2年ほど前からこの研究に没頭している。
「それに、この実験が成功すればもうひとつの・・・・・・これよりはるかに巨大な艦の復役も不可能じゃなくなる」
主任はセラ・ケトの復活を通じて、さらなる展望を描いていた。
「空へ・・・・・・」
後になってミルカは、自分が主任に魅せられたのは瞳の輝きではなく、”上”を見る姿勢が要因だったと気付く。
彼女も彼も、高みに立ちたいという夢は同じなのだ。
「主任はあのお話を信じてるんですか?」
歳が近く、柔和なこともあって、ミルカはミュウゼンに対してやや砕けた口調で話す。
「アンヴァークラウンを抜けた先には緑に囲まれた楽園がある、って話かい?」
「ええ」
うむ、と考えてからミュウゼンは、
「見た人がいるからそういう話があるのかも知れないな・・・・・・すまんが、僕にはこの程度しか言えん」
と自信なさそうに答える。
「あ、いえ、別に主任を困らせるつもりはなかったのですが」
「ははは、構わんよ。きみと話してると楽しい」
「・・・・・・そうですか?」
ミルカは頬が紅潮したのを感じた。
「でも僕の計算ではセラ・ケトには大気圏を脱出する能力は無いんだ。アンヴァークラウンからは出られないんだよ」
「ということは?」
「話が本当だとすると、誰かが見た。その誰かはセラ・ケト以外の船を使っているな。たとえば――」
「シン・ドローリク・・・・・・?」
「あり得るな。しかし分からないことがある」
「何ですか?」
ミュウゼンは自分たち以外には誰もいないというのに、声を殺して、
「セラは初代艦長の名前、シンは設計者の名前だ。シン・ドローリクが稼働していた記録はない」
はばかるように言った。
「妙ですね。それじゃあ他の船もあるかもしれませんね」
「当時はな。今となっては資源を補うために解体されたかもしれないな」
解体、という言葉にミルカは昔に自分がやっていた事を思い出した。
あの時は分解しても、各部品を紛失しなければ同じものを作り直すことができた。
が、艦船を解体してしまっては、部品の所在も明らかでないうえに設計図の類もない。
復活はまず不可能だろう。
「その他の船がアンヴァークラウンを出たか・・・・・・そう考えるのが自然かもな」
ミュウゼンは遠い目をして言った。
ミルカはこの考えに賛成する気にはなれない。
2人は高みを目指しているハズだ。
空が限界のセラ・ケトを復活させるのに躍起になっていては、目指す世界には到達できない。
(セラ・ケトでも大気圏を脱出できる装備があれば、あるいは・・・・・・)
研究を続けるにつれ、ミルカの外への憧憬の念は強くなっていく。
「よし、では試運転といくか」
彼女の思考はミュウゼンの一声にかき消された。
「は、はい!」
返事を待たずにミュウゼンが制御盤を叩く。
ガラス窓の向こうから振動とわずかな光が伝わってくる。
ミュウゼンは施設の設備を通してセラ・ケトに命を吹き込もうと試みる。
整備は万全だ。
不具合がなければ永く地の底に眠っていたこの艇が、再び空へ羽ばたくことができる。
「・・・・・・・・・」
ミルカは成功を祈った。
この艇の運用が成功すれば、彼女はここを離れもう一隻の艦、シン・ドローリクの研究に着手するつもりでいた。
おそらくミュウゼンも同じように考えているハズだ。
開発センターには彼女たち以外にも優秀な研究員が大勢いる。
セラ・ケトの整備や改良はその者たちに任せ、自分たちは次の段階――。
つまりより高みへと昇る研究を手がけるのだ。
セラ・ケトはともかくシン・ドローリクは大気圏を脱出する能力を有する。
これが2人に共通の見解だった。
「おっ!」
ミュウゼンが声を上げた。
手元の計器類はセラ・ケトが正常に稼働している事を示している。
「順調・・・・・・ですね」
思わずミルカの心も躍る。
開発センターの真上は周囲に比べて固い岩盤でできている。
これは従来、工員がセンターの建造に先立って施工したもので重要な意味を持つ。
セラ・ケトの頭上には金属質の天井がどこまでも伸びている。
よく見ると十字に切れ目が入っている。
ある条件が満たされればこの切れ目から天井は四片に割れ、ムドラの未来が拓かれることになる。
「この艇が駄目ならシン・ドローリクでもいい・・・・・・」
ミュウゼンは計器類を見ながら呟く。
ガラス窓越しに空気の振動が伝わってくる。
うまくいく。
ミルカは直感した。
セラ・ケトは独特の駆動音によって空気を振動させながら、ゆっくり、ゆっくりと浮き上がる。
小型艇といっても、実際はかなりの大きさだ。
それがほんの少し浮き上がっただけでも、未だ空飛ぶ船を見たことのない2人には荘厳に感じた。
「稼働率88%・・・・・・正常範囲内です」
今のところ不具合はない。
ここでは浮力等のテストを行うのみだが、これが成功することでセラ・ケトは復活の第一歩を踏み出すことになるのだ。
「3分経過。異常なし」
ミュウゼンが興奮を抑えて読み上げる。
機器から出力される報告にはセラ・ケトの正常稼働を示すインジケータが連なっている。
「5分・・・・・・いける!」
ミュウゼンは思わず身を乗り出した。
全てが順調だ。
・
・
・
・
・
しばらくの空虚の後、2人は自然と手を取り合った。
「成功・・・・・・だな」
「ええ・・・・・・」
科学者として有能な2人は、常人に比べて喜びを表現する術を持ち合わせていなかったようだ。
嬉しさはこみ上げてくるのだが、それを表情や動作に出して示す事ができない。
セラ・ケトは2人が設定した課題を全てクリアし、テストの上では稼働に問題がないと判明した。
実際には空に出ていないから、何もかもが計算や理論に当てはまることはない。
しかし少なくとも、センター内においては2人はセラ・ケトを自在に操ることができる。
「希望が見えてきましたね」
「ああ、そうだな。僕たちが外に出るのもそう遠くはなさそうだ」
ミュウゼンは天井にある切れ目を見つめた。
”下”――厳密には中央区新世代技術開発センター内に眠る艦船は現在2隻。
このセラ・ケトと大型艦船シン・ドローリクだ。
政府や企業がセンターへ資金提供を惜しまない理由は、これら艦船の復活に期待しているためだ。
過去の文献等を見れば、艦船が大気圏を脱出していることは明らかである。
どういう理由でそれが失われ、地下に埋没してしまったかは分からない。
だが有能な研究者たちにはこれを復活できる可能性が宿っている。
充分な環境の中で艦船に命の息吹をもたらすこと。
それが叶えばムドラの民はこの劣悪な世界を脱し、外の世界へと生活圏を移すことができる。
まだ見ない緑や安定した生活を得るために。
「きみはどうするんだ?」
「はい・・・・・・?」
急に訊かれ、ミルカは惑った。
「僕はセラ・ケトに最後まで付き合うつもりだが、きみはどうなんだ?」
「え、えと・・・・・・」
ミルカは軽いショックを受けて、すぐに答えることができない。
「きみは僕よりもずっと優秀だ。こんな小さな艇で留まるような人間じゃない。僕としては・・・・・・」
「シン・ドローリクに携わったほうがいい、と?」
「・・・・・・そうだ」
ミュウゼンは大きく頷いた。
「僕に気を遣うことはないぞ。やりたいと思うことをすればいい」
「ですが――」
「ここに来たばかりの頃はただ何となく実験に取り組んでいただけだったが、今は違う。きみはもっと高みを目指したいと思っているんだろう?」
「・・・・・・・・・・・・」
想いを見透かされ、ミルカはこくんと少女のように頷くしかなかった。
「民の願いはここを抜け出すこと。その点では僕よりもきみの方がその願いに応えられる」
「そんなことは・・・・・・」
「考えてごらん。僕はこんな小さな艇にかかりっきりだった。大気圏を出られないだろうという前提でね」
「でもそれは――」
「センターの存在意義に反してるんだ。民の願いとも。だからここには僕しかいなかった・・・・・・異端児なんだよ」
「だからといってここを去るのは・・・・・・主任を裏切るようで気が進みません」
「いいんだ。ここまで来れば僕ひとりでもセラ・ケトを実用に耐えられるくらいには仕上げられる」
「主任・・・・・・」
ミルカは葛藤した。
もともとセラ・ケトに心血を注ぐつもりはなかった。
彼女の見上げた先にあるのは空ではなく、その向こうの宇宙だ。
いずれはここを去り、シン・ドローリクの研究開発に取りかかりたいと思っていた。
ただ、その時は主任と一緒に・・・・・・という前提も強かった。
「すみません、主任・・・・・・私はもっと上に行きたいんです。政府の方針とかセンターの意義とかでなく・・・・・・」
迷った末、彼女は主任との調和よりも個人的な願望を優先させたようだ。
「分かってるよ。きみの瞳を見れば分かる。ああ・・・・・・きみならできるとも」
ミュウゼンは残念そうな表情をまったく見せない。
それがミルカには少しだけ悲しくもあり心地よくもあった。
「私はシン・ドローリクに関わりますが、その中でセラ・ケトに流用できる技術や部品があるかも知れません。その時は――」
「ああ、よろしく頼むよ。こっそりとな」
ミュウゼンは大仰に笑った。
それにつられてミルカも控えめな笑顔を返す。
彼女の心に小さなしこりが残った。
センターを出たミルカは、小さく息を吐いて天井を見上げた。
ここで上を向いても、見えるのは冷たく暗い岩肌だけだ。
一応、落盤等を防ぐために表面に補強を施してはいるが、風景にはさして違いはない。
地面もそうだ。
踏み固められだだけの大地は、整地されている部分を除いて何の温かみももたらしてはくれない。
「嫌な場所・・・・・・」
普段、あまり感情を表に出さない彼女も、こういう陰湿な空気の中では知らず本音が出る。
地表から深く深く掘りぬき、そこを広げて作られた街は縦、横、高さに制限のある巨大な箱庭だ。
光のない”下”では太陽に代わって人工灯が設置されているが、作り物の光は自然のそれには遠く及ばない。
ここで死ねば、野ざらしにしておくだけで埋葬となってしまう。
光の当たらない暗黒の中で一生を終えたくない。
ミルカでなくとも、ここに住む多くの民――少なくとも一度でも”上”を見たことのある者なら共通に抱く希望だ。
が、光があり無限の天が広がっているとはいっても、”上”は厳しい極寒の世界だ。
ここほどモノが溢れているわけでもなく、安住の地とは言いがたい。
「ほんと嫌な場所」
ミルカは2度目の本音を吐いた。
危険は少ないが陰湿な”下”に生きるか。
それとも、死と隣りあわせで広大な”上”に生きるか。
今のところ、ムドラの民にはそのどちらかしか選択肢がない。
これまでは――。
しかし、これからは違う。
有能な人物が集い、この過酷な世界から脱却できる準備を整えつつある。
「もうすぐ・・・・・・もうすぐなんだ・・・・・・」
ミルカは手ごたえを感じていた。
セラ・ケトのテストは上手くいった。
間もなく彼女が取り組むシン・ドローリクはそれよりも何倍も大きな艦だが。
近いうちに。
近いうちに必ず2隻の船がこの冷たい天井をぶち破り――。
楽園へと導いてくれる。
そうでなくてはならない。
そうでなければ彼女が生きている意味がない。
自己の才能に少しだけ酔ったミルカは、薄汚れた白衣のまま家路についた。
彼女の家はセンターから1キロメートルほど歩いた通りの角にある。
周囲に比べて少しだけ裕福だったようで、造りも若干だが豪華になっていた。
といって、質そのものは他家と大差ない。
合成樹脂で塗り固められた岩盤素材の家。
屋内には木材も多少使われているが、基本的には土が主に用いられている。
人工灯を頼りに通りの端を歩きながら、ミルカは先ほどのミュウゼンとの会話を思い起こしていた。
”きみは僕よりもずっと優秀だ”
この言葉がずっと引っかかっていた。
ミルカは人よりも手先が器用で、科学分野に明るいという自負はあるが傲慢ではない。
才能を鼻にかけたこともないし、他者を見下したこともない。
その分、他人に褒められることに慣れていない部分があった。
(私が・・・・・・優秀?)
優秀だとまでは思ったことがない。
自分よりもミュウゼンの方がずっと知的で聡明だ。
研究者としても人間としても尊敬できる人物であることは間違いない。
そこまで考えると、後ろめたさを感じてしまう。
(主任を裏切ったことになるだろうか・・・・・・?)
何とか答えを見出そうとしたが、
「おかえり、ミルカ」
という優しい女性の声に思考は一時中断された。
顔を上げると薄桃色のドレスを着た女性。
発した言葉から分かるとおり、彼女はミルカの母親だ。
「ただいま」
ミルカはごく自然な笑みで返す。
センターではやや愛想なく振る舞う彼女も、家族の前では幼い雰囲気を残している。
「遅かったわね。研究が長引いていたの?」
母が粗末な木製のドアを開けて、ミルカを先に家に入れる。
「うん。前に言った艇、覚えてる?」
「ええ・・・・・・セラ・・・・・・何とかだったわよね」
「セラ・ケト。あれがようやく完成するかもしれないのよ」
「そう・・・・・・」
母親はよく分かっていない様子で曖昧に頷く。
ドアの向こうには味気のない部屋が広がっていた。
古びた木製のテーブルと長椅子。
奥にはキッチンと呼べるものがあるが、機能としては不十分だ。
センターの先進的な内装を見ているミルカは、自宅もそれに劣らないほどの装飾にしたいと思っている。
ペールドット鉱石の放つ光を照明代わりにする室内は、外よりも薄暗い。
が、”上”の家屋を見たことのある者なら、これですら豪華に思える。
「お腹空いたでしょう? 手を洗って待ってなさいな」
母親はいつまでもミルカを子供扱いする。
彼女はそれを疎ましく思うが、庇護されているという安心感も同時に得ているため、特に反発することはしない。
キッチン横の冷水で手と顔を洗ったミルカは、大人しく席についた。
まだ白衣を脱ぐ気にはなれない。
1日の仕事を終えたとはいえ、彼女の心の一部はまだセンターに置き去りにされている。
「お父さん、今日は遅くなるって」
母親が背中越しに言った。
「仕事、忙しいの?」
「仲間がケガをして出られない間、お父さんがその分を引き受けてるの。手当ても出ないのに、やめたらって言ったんだけどね」
「そう・・・・・・」
ミルカは父親が座るハズの椅子を見て、小さく息を吐いた。
彼女の父親は街のはずれで採掘要員として働いている。
”下”の岩盤には利用価値の高い鉱石が多分に含まれている。
政府や企業はこれら鉱石をより多く回収するために、採掘に力を入れている。
生身の体でもぐるため危険を伴なうが、得られるモノがモノだけに賃金はかなりいい。
実際、採掘によって得られた鉱石や金属の一部はセラ・ケトなどにも使われるほど珍重されている。
”上”では主に食糧、”下”では資源を確保する事で民の生活はそこそこのバランスを保てている。
「なら私も何か考えるよ」
「安全設備?」
「材料と時間があれば簡単に作れると思う」
実は採掘用道具のいくつかはミルカが生み出している。
独創性あふれる彼女はわずかな力で大きな成果をもたらす道具を作るのが得意だ。
電動式小型ドリルやペールドット鉱石の性質を応用した局所用大型照明など。
これらの発明のおかげで掘削作業は飛躍的に進んだ。
特に大型照明に関しては彼女は特許を取得しており、その使用料でかなり豊かな暮らしができるハズだった。
”ハズだった”というのは、その収入のほとんど全てをセンターに寄付することで研究・開発につぎ込んでいるからで、
生活に還元される分は僅少なものだった。
収入の多い父親とミルカがいながら、贅沢な暮らしを望まない。
これがこの家族の信念だった。
母親が食事を運んできた。
皿の上には野菜サラダと少しばかりの肉。
それにパンのみだった。
栄養の面でも量の面でもこれでは充分とはいえない。
「最近、お肉が値上がりしてね・・・・・・」
肉が少ない理由を、母親は聞かれる前に説明した。
”下”には食肉用の動物は存在しない。
そのため”上”で狩猟したヌなどを買い取ることで食糧を調達する。
代わりに”下”では人工照明等を利用して蔬菜類を育成し、それを供給している。
「そういえばこの前に来た業者がヌが減った、なんて言ってたね」
ミルカは上品にパンを一口大にちぎって食べる。
「食糧難にならなければいいけど・・・・・・」
母親は不安そうな顔でサラダに手を伸ばした。
外から見ればアンヴァークラウンの食生活は平均以下で、常に困窮しているように感じられる。
が、生まれた時からここにいる彼女たちにとっては、今の生活こそが並みのものだと考えている。
ムドラの民にとっての飢饉は、外の世界の人間がとっくに餓死しているような極限の状態を指す。
「そうならないように科学があるんだよ、お母さん」
科学、という言葉を口にする時のミルカは活き活きとしている。
4年前、センターの扉を叩き科学技術の偉大さを知った彼女は、科学に不可能はないと考えている。
彼女によれば倫理に反しない限り、あらゆる事象は科学によって引き起こされ、かつ解き明かされるものらしい。
たとえば半径1メートルほどの敷地に、人ひとりが一生かかっても食べきれないくらいの野菜を促成させること。
妊娠周期を秒単位で操作し、食肉用動物を安定的かつ永久的に供給すること。
これらは研究・開発が進めば技術的に可能だと思っている。
さすがに死者を蘇らせるなどの宗教的思念がからむ事柄には触れるべきではない、と彼女も一応の区切りはつけている。
「もっと発展したら、きっと何もないところから食物を取り出せるようになるんじゃないかな」
そんな魔法みたいなことが、と母親は笑ったりしない。
ミルカはアンヴァークラウン屈指の科学者なのだ。
その頭脳と独創性があれば、それこそ魔法のような事象が起こるかもしれない。
「・・・・・・でもその前に外に出るのが先になるかな?」
ミルカは笑った。
何かと制限の多い世界であれこれ生み出すよりも、大気圏を抜けて別の世界を求めたほうが手っ取り早い。
「ま、いいや。早く食べちゃおう」
ミルカは難しい話を中断し、2人は質素な食事を楽しんだ。
翌日。
センターへ向かうミルカの足取りは重かった。
シン・ドローリクに携わることは念願ではあったが、内心にはやはりミュウゼンを裏切ったという後ろめたさがある。
ただ彼女やミュウゼンの志を達成するのに最も効果的な手段は、シン・ドローリクの復活以外にない。
その点を考えれば彼女は裏切ったのではなく、より効率の良い研究開発に乗り換えたことになる。
実験が成功すれば、ミルカはその吉報を真っ先にミュウゼンに届けようと思っていた。
「頑張らないと・・・・・・」
気を引き締め、中央のドアをくぐった先には大きなホールがある。
機密性の問題からか、このホールより奥は分厚い壁に覆われた部屋が続く。
その半分ほどが資材置き場と化しており、採掘チームなどから買い取った資材が堆(うずたか)く積まれている。
ホールより右手がミルカの新しい職場だ。
無機質な廊下を真っ直ぐに進み、突き当りのエレベータで1階層降りた室。
ここは天井だけでなく床にも人工灯が設置されており、影ができない構造になっていた。
精密な研究では対象のわずかな色の違いも、後にもたらされる結果に大きく左右するため、常に等しく光が当たるようになっている。
青白い床を踏みながらミルカは、『7研究』と書かれたドアの前に立つ。
なぜだか息苦しい。
部署変更は昨日の帰りに、それぞれの課の長に届け出ているから患うことは何もないハズだ。
しかし、なぜ・・・・・・。
その場で深呼吸を繰り返し、気分を落ち着けたミルカは、壁面のスイッチを押してドアを開けた。
内側から15名の光る瞳が、彼女を鋭く刺した。
「あんたがミルカ・マレイか? どんな奴かと思ったら・・・・・・まだまだガキじゃねえか?」
純白の白衣を着た男が彼女を見るなり言った。
着ている服の白さに対し、この男の口調は黒く汚い。
「あんた、あの方舟にご執心だったんだってな。課長から聞いたぜ」
「天才ってのは変わり者が多いよな」
室内にいた研究員たちは次々と同様の言葉をミルカにぶつけた。
(なに・・・どういうこと・・・・・・?)
謂れもなく投げかけられる言葉に、ミルカは惑った。
新たな仲間として温かく迎え入れられるものだと思っていた。
これから同じ目標に向かって切磋琢磨する同志として。
それが違った。
あまりにも違いすぎた。
「ここじゃ、チームワークが大切なんだ。せいぜいオレたちの足を引っ張らないようにしてくれよ」
「って言っても、こういう天才は我が道を行くんだろうぜ」
「ははは! 違いねえ!」
研究員たちは厭らしい目でミルカを蔑む。
そこで彼女は気付く。
ここには15名の研究員がいるが、女性が1人もいない。
歳の開きはあっても、聡明そうだがいかにも下品な男ばかりだ。
それともうひとつ。
彼らはやたらと”天才”という言葉を発している。
顔つきと発言の内容からして、彼らはミルカに嫉妬しているようだ。
彼女の類稀なる才能はセンターでもそこそこに知れ渡っている。
特に採掘関係で特許を取ったことが、その名を一気に広めたようだ。
しかもそれに付随して、特許権使用料がセンターに寄付されていることも周知されている。
人格、能力ともに認められているというわけである。
が、中には目の前の男たちのように愚かで小さな人間もいる。
彼女のそうした才能と、利益を求めない人格は矮小な者には嫉妬の対象となる。
この研究員たちは逆立ちしても敵わないミルカに対して、かろうじて女性蔑視という極めて卑劣な手段で貶した。
「あの、本日より7研究に携わることになりました、ミルカ・マレイです。よろしくお願いします」
頭を下げたミルカの心は屈辱にまみれた。
なんと小さく、愚かな者たちだろう。
これだけの頭数を揃えておきながら、これまでに大きな成果を挙げていないのに・・・・・・!
私たちはたった2人でセラ・ケトを実用可能なレベルにまで仕立て上げたのに。
こんな愚劣な男たちに頭を下げなければならないなんて!
(方舟ですって・・・・・・? よくも・・・・・・!!)
それほど意識していなかった自尊心が彼女に怒りの感情を呼び起こした。
(大した能力もないくせに・・・・・・!)
ミルカは彼らに見えないように拳を握りしめた。
その手が震えるのを、彼女は無理やりに押さえ込む。
「へえ・・・・・・ま、挨拶くらいはできるってわけか・・・・・・」
彼女の頭上で男の下品な声がこだまする。
「前の部署でどうだったかは知らねえが、ここはシン・ドローリクを復活させるための研究室だ。長年の結果もある。
新入りのあんたにあちこち弄られちゃかなわねえ。だからしばらくは雑務でもやってもらう」
(雑務ですって・・・・・・?)
一度は抑えた怒りがこみ上げてくる。
これほどの屈辱を味わったことはない。
この下衆をひっぱたいて、ミュウゼンの元に戻ろうかとミルカは一瞬考えた。
こんな無能な男たちにいいように弄ばれるくらいなら、こじんまりとしたあの部署に戻ったほうがいい。
が、ここで彼女のもうひとつの自尊心が芽吹いてきた。
それは先ほど抱いた、逃避したいという思いとは全く逆の精神。
意地でも喰らいつき、ここで成果を挙げてこいつらを見返してやろう。
女が男に劣らないところを見せてやる。
知力も人格も根気も研究にかける情熱も!
身体的な差を除いたあらゆる面でこいつらに勝ってやる。
ミルカが生まれて初めて抱いた競争心だった。
彼女は愚劣な男たちを射すくめるように睨みつけた後、もともと乱れていない白衣の襟を正して、
「雑務でも何でも結構です・・・・・・」
と、冷たく言い放った。
SSページへ 進む