第1話 レメク

(アンヴァークラウンに生きる女性レメク。ある日起こった事件は彼女だけでなく、世界をも狂わせることになる)

 この若き女性は変化のない平凡な日々を惰性で生きていた。
彼女の持つ能力は非凡なものだったが、それを活かすべき場所と場合がない。
”アンヴァークラウン地下 中央教練所”
訓練生500名以上を擁するここでは、射撃・刀剣・格闘など戦闘に関するあらゆる技術を習得するシステムができている。
ほとんどが”下”の出身者だが、訓練生の中には”上”から来た者も混じっている。
レメクという名の女性も”下”の人間で、貧しい家に生まれた。
彼女は6歳の頃までには読み書きなど一通りの教養は身につけており、また大人しい性格もあって周囲からは好かれていた。
決して恵まれた環境ではなかったが、彼女は彼女なりの居心地の良さを見出して生きてきた。
ところが彼女が19歳の時、陰惨な事件が起こった。
貧困層の犯罪グループが不幸にもレメクの住んでいた町を襲撃。
金品目当てで強奪を繰り返す中で、彼女の家もその標的にされた。
たまたま外出をしていた彼女は助かったが、当時、家にいた両親は殺害されてしまった。
帰宅した彼女が見たのは食い荒された室内と、壁際に横たわる2つの冷たい体だった。
これと同様の出来事が近隣でも起こり、件の犯罪グループの被害に遭ったのは58軒。死傷者は30名を数えた。
身寄りを失ったレメクにはさらに冷遇が待っている。
孤児を引き取る施設は1ヵ所しかなく、その対象は20歳未満に限られている。
彼女は半年後には20歳の誕生日を迎えるとあって、施設から入所を断られてしまった。
荒れた部屋を片付けながら、今ごろになってレメクの心に怒りが芽生えてきた。
犯罪者を許さない。
たとえどんな理由があろうとも他人の金品や命を奪うことは許されない。
敵愾心(てきがいしん)と正義感の混じった、複雑な怒りがレメクという女性を取り囲む。
犯罪被害者救済機関からわずかばかりの救済一時金を受け取った彼女は、その足で中央教練所を訪ねた。
この頃の彼女は純粋な正義感から、犯罪者に立ち向かう力を獲得するため、という大義があった。
教練所は難なく彼女を受け入れた。
適性テストで見せた射撃の技術が、既存の訓練生のトップに匹敵したからだ。
レメクはここで初めて、自分には射撃の才覚があると感じた。
同時に生きる意味と生きる場所を獲得できたという喜びが、すさんだ心を少しだけ癒してくれた。

 

「スコア845・・・・・・まったく化け物だぜ、お前は」
ところどころ岩肌が露出した無機質な訓練室で、数名の訓練生がレメクを誉めそやしていた。
「ちょっと前まで800の壁は越えられない、とか言ってたくせによ」
訓練生のひとり、ジュオが口をとがらせて言う。
「しかも最新モデルのブラスター・ガンで・・・・・・。どうなってんだ」
取り巻いていたソラやジャイナも皮肉めいた口調で、しかしレメクの射撃の腕には尊敬の念を表わした。
中央教練所には効果的な戦闘訓練プログラムとして、射撃訓練用のベースが常時開放されている。
岩壁を四角くくり抜いた空間に浮遊標的をばら撒いただけの単純なプログラム。
訓練生は所定の位置から動かずに、一定時間内にどれだけ多くの浮遊標的を撃破できるかを競う。
「どうやったら、あんなスコアが出せるんだ?」
ジュオが訝しげに訊いた。
「簡単だ。ひたすら赤い奴だけを狙えばいいんだ。それだけで500は確実にとれる」
それに対してレメクは言葉どおり、簡単そうに答える。
澄ましている、という印象は与えない。
「言ってくれるよな、レメクは。オレなんて良くて540、悪くて220だぜ」
ジュオが恥ずかしそうに頭を掻いた。
「私、もう1回やってみる」
やり取りを黙って聞いていたランという女性が、入り口近くのブースに立って構えた。
レメクたちは彼女の邪魔にならないように部屋の隅に移動する。
「頑張れよー! この中じゃお前が一番レメクに近いんだ。高得点取って驚かせてやれ」
ジャイナがはやし立てた。
ランは気恥ずかしそうに一度俯き、それから小型のブラスター・ガンを水平に構える。
ブザーが鳴り響いた。
訓練室の天井からまず4機の浮遊標的が降りてくる。
ランはそれを2秒以内で全て撃破した。
同時に左右の壁が開き、今度は合計12機の標的が出てくる。
白色の標的の中に赤色のものが混じっている。
レメクのアドバイスどおり、ランはまず赤色の標的を撃ち落してから白色を狙う。
10機ほど落としたところでさらに天井から6機、壁からも24基の標的が新たに出現する。
大抵の訓練生はこの辺りですでに動転し、標的を見失ってしまうことが多い。
しかも標的の移動速度は徐々に速くなり、動きも不規則になるため、一旦取り乱すと巻き返しが効かない。
3分の訓練でランは結局、550点しか取れなかった。
「まあ、いい方かな・・・いつもよりは」
がっくりとうな垂れてランはレメクたちの元に駆け寄った。
「標的の動きに惑わされないように、赤い奴を凝視していればスコアアップは狙えるさ」
レメクはぽんとランの肩に手を置いた。
この射撃訓練の最高スコアは900。
訓練生の平均は約440だが、仮にレメクがいなければ410くらいには落ち込むと言われている。
800点を越えたのはレメクと、彼女より2年早く入所した女性のわずかに2人のみ。
しかもその女性も運よく800点台を記録しただけで、常時は700前後だという。
この事からもレメクの射撃能力の高さは証明されている。
「しっかり不思議だよな。これだけ腕のいいお前が、格闘や刀剣が大の苦手なんてな」
ジュオが笑った。
「適性テストの結果、これが自分に一番合ってると分かったんだ。今さら他の分野で学ぶつもりはない」
痛いところを衝かれてレメクは素っ気無く答えた。
入所直後、教練所側はレメクの個性を見ようと格闘など8つの分野での適性テスト行った。
結果は無惨なものだった。
射撃では他の追随を許さないほど優秀だった彼女が、ことそれ以外の分野では平均以下の成績しかあげられない。
訓練ではまだしも、とても実践で活躍できるレベルには至らなかったという。
この事実は施設側しか知らなかったことだが、レメクが射撃の世界で名を馳せるにつれて広く知れ渡るところとなった。
「うん? もうこんな時間だな。そろそろ出るか?」
ジャイナが壁の時計を見て言った。
午後6時。
ここのベースは午後6時30分を過ぎると閉鎖されてしまう。
まだ練習したりないランを引っ張るように、レメクたちはベースを出た。
眼前に銀色の通路が左右に伸びている。
先ほどまで彼女たちがいたのが中央教練所の東側で、この通路は施設の南北に通じている。
他愛もない会話を交わしながら、レメクたちは右手を歩く。
施設の北側の外れは訓練生の寮になっている。
射撃、格闘など各分野ごとに棟が分かれており、それぞれ専攻している棟に部屋があてがわれる。
通路を抜け、黒っぽい土を踏み越えた先に使い古された寮が見えてきた。
「じゃあな」
「ああ、また明日」
レメク、ラン、ジャイナは射撃チームの寮へ。
「寝坊するなよ」
「あんたこそ。次、遅れたらペナルティが待ってるんでしょ?」
ジュオ、ソラは射撃にも手を出しているが、そもそもは格闘チームなので別の棟へ移動する。
「2人とも、私の部屋に来ない? 新しいゲーム買ったんだ」
ジュオ、ソラがいなくなるのを見届けてランが切り出した。
「お、いいねえ。行く行く!」
ジャイナが子供みたいに喜んだ。
しかしレメクは、
「私はいい」
と冷たく拒否した。
それを聞いてジャイナが呆れたように、
「お前さあ、ちょっとは仲間と親睦を深めようって気はないのか?」
レメクを見やった。
「別に。特に仲が悪いわけでもないし、今さら親睦を深める必要なんてないじゃないか」
彼女は馴れ合いを嫌う性格だ。
言葉通り友人としての付き合いはするが、かといって四六時中べったり付き添いたくはないのだろう。
ジャイナは小さく舌打ちしたが、レメクを毛嫌いしている様子はない。
「ま、いいや。ソラ、行こうぜ」
「う、うん・・・・・・いいの? レメク?」
「ああ、お前たちで楽しめばいい・・・・・・気が向いたら、私も行くかもしれないがな」
突き放した言い方だと思ったのか、レメクは後でやんわりと付け足した。
そう言ってレメクは踵を返し、自室のドアを開けた。
このドアも粗末なもので、施錠できないなどセキュリティでの問題点もある。
が、レメクを含め訓練生は住めさえすればいいと思っているので、少々ガタがきても気にしない。
中は寮の外観から想像するよりずっと狭い。
寝室と厨房を分ける仕切りはなく、床も天井も泥土を固めたような汚さを残す。
就寝用に床には厚手のカーペットを敷いているが、隙間から吹き込む風のせいで安眠はできそうにない。
レメクは腰のホルダーからブラスター・ガンを取り出し、それを壁掛けに丁寧に置いた。
自分には”これ”しかない。
これを失えば自分は生きていけない。
彼女は厨房の水を飲み干すと、倒れこむようにカーペットに寝転んだ。





時々、主に独りになった時に多いのだが、レメクは自分がなぜここにいるのかを考えることがある。
両親の理不尽な死に直面した後、悪を憎む心で教練所を訪れたまではよかった。
ここで訓練すれば悪に対抗できるだけの力を習得できる。
世界中とはいかないまでも、自分が住んでいる町の治安くらいは守れるようになりたい。
これは身寄りを失って初めて芽生えた感情だ。
換言すればそういう経験をしていないと、永遠に理解できなかった感情でもある。
たしかにここには力を得るためのプロセスが用意されていた。
個人ではとても揃えられない設備の数々。
環境面では望み以上の待遇だった。
しかし――。
身に余る環境を与えられながら、そこで得た力を使う方向は彼女が意図していないところにあった。
軍隊。
最も端的に言い表せばこうなる。
他国が侵攻してきた際に、最前線でそれを迎撃する兵士の育成。
これこそがこの施設が創立された理由だったらしい。
当初、彼女が抱いていた将来とは大きくかけ離れている。
自分はただ、心無い犯罪者を懲戒する警察のような仕事をするつもりだった。
国同士の争いにまで考えを発展させたことはなかったし、それこそ手に余る世界だ。
これはよく調べずにテストを受け、知らないまま入所手続きをしたレメクに責任がある。
今や施設側としても才能のあるレメクは手放したくない存在になっているに違いない。
彼女は確かに今、生きる意味を与えられている。
しかしそれは軍隊の中の戦力としてであって、彼女が考える治安維持への貢献をできる立場にはない。
レメクは思う。
軍隊など必要だろうか。
この過酷で余裕のないアンヴァークラウンという世界を、一体どこの誰が侵略したいと思うだろうか。
資源や食糧は充分にあるとはいえないし、気候その他の状況を見ても恵まれてはいない。
この世界に住むのはムドラの民だけだし、戦略的にも経済的にも価値は見出せない。
そんな世界を、欲しがる者がいるとは思えない。
実際、彼女が知る限りではこの数十年間、どこかの国や勢力と争いになったことはないという。
攻めて来る者もいないのに防備に時間と金を費やすのは有用か?
そうは思うのだが、仮にもトップに名を連ねている彼女がそんな事を言い出せるハズもなく・・・・・・。
ただ惰性で毎日を生きているのみだった。
それに訓練生でいる間は税金も免除されるし、寮にいれば衣食住も困らない。
生きていくだけなら現状でも充分だった。
だが、それでいいのか?
と、レメクの中の何かが問いかける。
無駄にしていないか、と何かが囁きかける。
射撃の才能に気付くキッカケはたしかに今の教練所が与えてくれたものだ。
しかし人はキッカケだけにすがる生き物か?
それを足がかりにさらに前へ、さらに高みに登るべきではないのか?
お前はお前の才能を活かす場にいない。
何かはそう語りかけてくる。
こうして寝転がっている間にも、どこかでは凶悪な犯罪者が脆弱な住民を人質に立てこもっているかもしれない。
金品を強奪するために罪のない人々を手にかけているかもしれない。
お前はそうした人々を救い、悪を罰すると心に決めたのではないのか?
レメクは葛藤した。
この教練所を去る、という選択肢がないでもない。
ここにいる限りは兵士としてしか見られず、他国の脅威から世界を守ることはできても、民一人ひとりを守ることはできない。
教練所を出て中央治安維持機構への編入を申請すべきかもしれない。
そうすれば町の小さな犯罪から正義を取り戻せる手助けができる。
しかし現実はそう上手くはいかない。
教練所ではすでに全ての訓練生の能力を数値化して、中央治安維持機構へもそれを送信している。
能力の高い者は軍隊へ、それに及ばないが常人以上の者は警察へ、という方針が両者の間で成っていた。
そのためレメクにはその高い能力が仇となり、兵士しか道は残されていなかった。
わざと成績を下げても教練所側に見抜かれる。
要はレメクの非凡な才能に対しては警察では手に余り、軍隊でこそ活躍すべきという強大な圧力がかかっている。
仮に訓練中に大ケガをし、銃を扱えない体にまでなってしまえば軍隊の候補から外されて中央治安維持機構への編入ができる。
が、彼女にそこまでの意思はない。
五体満足でなければ困るのだ。
最後の道はこの町を去り、どこか別の地方に移ることだ。
そこでならレメクの能力を知る者はおらず、彼女はその才能を半分程度に示して地方治安維持機構に入構すればいい。
(地方に移るか・・・・・・)
レメクは考えるが、今ひとつこの考えが正解だとも思えない。
生まれ育った町を捨てるような気がして、踏ん切りがつかないのだ。
望む職を手に入れても、やはりこの町を守ることはできない。
(母さん、父さん・・・・・・私はどうすればいい?)
この問いに答えるべき2人は、もう何年も前に他界している。





ゆっくりと目を開けたレメクはキャビネット上の時計を見た。
まだ20分ほどしか経っていない。
もうこのまま寝てしまおうか。
レメクは思ったが、訓練でほどよく汗をかいている。
まずはシャワーを浴びようと思い立ち、重い体を起こす。
汗を流したら簡単な夕食を摂り、眠る。
翌朝も早くから射撃の訓練を行い、昼には講義に出席する。
それが何日も何十日も続く。
明日や明後日を考えただけで、レメクは食欲が失せるのを感じた。

 

 次の日も、レメクは訓練メニューを精力的にこなした。
午前の射撃訓練は彼女にとっては休憩時間のようなものだ。
傍に教官が立っていようが、浮遊標的の移動速度が速くなろうが、ステージに障害物を置かれようが。
彼女の腕は全く鈍ることはなく、平均を大きく上回る成績を安定的に打ち出す。
「ふむ・・・・・・レメク・ルーニア。評定は”きわめて良い”か・・・・・・さすがだな」
厳しいことから一部の訓練生に鬼とまで言われている教官が、隠しきれない驚きを必死で隠そうとしていた。
「身に余る光栄です」
レメクは才能を誇ることもなく、あくまで謙虚にお褒めの言葉をあずかった。
「お前なら、今すぐ実戦に出ても生き残りそうだな」
教官が遠い目をして言った。
レメクは小さく息を吐き、
「実戦なんてどこにあるんですか?」
皮肉っぽく言った。
この質問には鬼教官も答えられまい、とレメクは思った。
しかし意外にも教官は、
「誰かが望めば明日にでも起きる」
と謎めいた言葉で返す。
「・・・・・・・・・・・・どういう事ですか?」
答えに困り狼狽する様を期待していたレメクは、さらりと言ったその言葉が妙に気になった。
教官はあえてすぐには答えず、彼女に考える時間を与えてみた。
数秒待ってみてもレメクには反応がなかったため、仕方なく教官は、
「戦争は人間が起こすものだが、キッカケを生み出すのは人間ではなく、そういう人間の心だ」
さらに謎を乗せて言う。
ますます分からない。
「それが戦争だ。起こってからでは遅いのだ。我々がこうして日々訓練を怠らないことが抑止力になる」
教官の言葉は結論を急ぐあまり、細部の重要な部分が抜け落ちているような感じがする。
だが言いたいことが分からないでもない。
「では私たちがいなくなったら?」
レメクは禁忌とも思える質問をしてみた。
「荒れるかもしれんな」
「本気でおっしゃってるんですか?」
「冗談やウソを期待しての質問か?」
「・・・・・・いえ」
返答に窮したのはレメクのほうだった。
「我々が守るべきはこの世界だ。だがこの世界を攻めようとする者からすれば、お前のような人材は欲しいハズだ」
教官は値踏みするようにレメクを見た。
「な、なんですか・・・・・・?」
「もし戦争が起こったとしたら、お前のいる側が勝利するかもしれないな」
「それこそご冗談でしょう? 私のいる側、なんて・・・・・・アンヴァークラウンに決まっているではありませんか?」
レメクはだんだんと不愉快に思えてきた。
まるで言葉遊びを楽しむような教官の口調に、自分の思考がついていけないことが腹立たしい。
この教官は訓練生を育成する能力はたしかだが、こと会話となると話し手と聞き手の考えに乖離(かいり)が多い。
射撃のレクチャーだけを受け、精神面での成長は別の教官に頼るべきかもしれない。
レメクは思った。
だいたいこの教官の言う事は分からないことが多すぎる。
戦争が起こる?
誰かが望めば明日にでも?
誰が戦争を望むというのだ?
争いに勝利した者が得るのは優越感と金と資源だけだが、ここにはそのどれもがない。
果たして兵士としての訓練を続けることに意味があるのか?
この施設自体、資源を食いものにして、アンヴァークラウンの振興を妨げているのではないか?
「難しく考える必要はない。守るべきものは何か? そのためにどうすべきか? それだけ考えて励め」
教官は釈然としない様子のレメクに含んだ笑いを見せると、別の訓練生の指導に向かった。
「・・・・・・・・・・・・」
同じ悩みを抱えている者は他にいるだろうか?
レメクは考えたが、答えは出なかった。

 

 この日の午後。
レメクは訓練をボイコットした。
つまるところサボったわけで、召集の時間を過ぎても彼女が現れないため、訓練室はしばらく騒然となった。
「あんの優等生め・・・・・・!」
午前とは別の教官が唇を噛んだ。
「お前たち、あいつと親しかったな? 何か知らないか?」
教官がランとジャイナに問うた。
「いえ、何も・・・・・・」
「私も知りません」
2人はかぶりを振った。
トップクラスに位置するレメクは、その成績を維持するために人一倍、射撃の腕を磨いてきた。
当然、日々のカリキュラムにも決して手を抜かず、サボることなど一度もなかった。
「どうしたんだろうね?」
ランがそっとジャイナにささやく。
「さあな、天才の考えることは分からないな」
ジャイナは彼女が心配ではないのか、そっぽをむいた。
午後のカリキュラムは午前ほど厳しくはない。
中央から支給された新型ブラスターに慣れるための訓練だ。
だから初めから好成績は期待されていないし、手に馴染ませるのが目的だからノルマも特に課されない。
ということはわざわざ教官から指導を受ける必要もなく、本人に学ぶ気があれば1人でもできる内容だった。
「あいつのことだから、どこかでコッソリ練習してるんじゃねえの?」
ジャイナは冗談なのか本気なのか分からない口調で言った。
「そうかなあ・・・・・・なんか心配だよ」
対してランはジャイナの冷たさを補うように、ことさらにレメクを案じた。
普段から口数の少ないレメクからは、感情や思想が伝わってこない。
といって他人との交流を意識して避けている様子でもないので、ランにはレメクとどう付き合えばいいかが分からない。
「何もなければいいけど・・・・・・」
訓練中も、ランは何度もそう呟いていた。

 

 教練所を抜け出たレメクは、胸の奥に少しだけ後ろめたさを感じた。
自身の才能を鼻にかけたことはないが、周囲から優等生として見られることにある種の優越感はあった。
自分は他人とは違う。
この力を、自分が信じる道を進むために活かそうと。
そのための努力を怠ったことはなかった。
しかし・・・・・・。
その姿勢は今日の、たった1回のボイコットで崩れてしまったかもしれない。
(何をしているんだ私は)
大通りを歩く彼女には、買い物を楽しむ余裕も大道芸を観覧するゆとりもない。
彼女はごく自然に天を仰いだ。
――天などない。
上にあるのはこげ茶色の岩盤だけ。
むき出しになった岩盤の要所要所に白く光る人工灯が設置されている。
数はあるが明るさは乏しいため、大半の光は地上に届く前に中空に溶け込んでしまう。
おかげで街全体は時間に関係なく、夕暮れのような薄暗さを保っている。
ここでは外の明るさの変化から1日を感じることはできない。
人工灯は出力系統に問題が起こらない限り、常に同じ光量を放ち続ける。
発光源は”上”で採掘されるペールドット鉱石だ。
現在、朝・昼・夕・夜でペールドット鉱石から放たれる光の量を自動的に調節する仕組みが開発されつつある。
眼前に視線を移してみると、大通りは活気に満ちていた。
薄暗い道の両端に店屋が隙間なく並び、人々は買い物を楽しんでいる。
だが娯楽の類はほとんどない。
大半の商店は生活に必要な雑貨や食糧を販売している。
この世界で娯楽に手を出せるのはごく一部の貴族階級だけだ。
それ以外は程度の差はあれ、みな自分と家族が生きるだけで精一杯だ。
そう考えると、今のレメクは恵まれているかもしれない。
身寄りこそ失ったが、才能のおかげで教練所にいる限り安定した生活を送ることができる。
彼女自身が戦争の起こる可能性を否定するなら、そこで目的も持たず空虚な日々を送っていればよい。
(・・・・・・・・・・・・)
では何のために生きているのだ?
この疑問が常につきまとう。
安定した生活を得る代わりに、自分は社会に何を提供しているのか?
才能? 射撃の技量?
それは持っているが、使ってはいない。
誰かが危険に晒された時、それを使うことで初めて彼女は誰かに役に立てる。
(教練所でトップに立ったところで・・・・・・)
成績にはまるで意味がないのだ。
「お母さーん、こっちこっち!」
すぐ脇を3歳くらいの男の子が走り抜けた。
その後を小走りで女性が追いかける。
「・・・・・・・・・・・・」
レメクは2人が去るのをずっと見ていた。
あの子には今、親がいる。
だが親も子もいつか死ぬ。
事故か事件か寿命か。
生の終え方はいろいろあるが、大別すれば自然の事象が作為的な事象か、ということになる。
病気や事故で死ぬのは仕方ない。
寿命ならば諦めるしかない。
しかし――。
誰かに故意に命を奪われることだけは。
あってはならない。
「私は・・・・・・何をやってるんだ・・・・・・」
彼女は呟いた。
ここしばらく、付近で陰惨な事件が起きたという話はない。
しかしモノの不足は人々の心から優しさまで奪ってしまう。
生死に関わる貧困に見舞われた時、今は笑っている人々も悪に彩られる。
食糧を得るため、金品を掠(かす)めるため、人は人を容易に殺し、その上に自身の生を掴み取る。
時には生きるためなら親が子を、あるいは子が親を殺して少ない食糧を独占しようとする。
それだけ”生きたい”ということであろう。
生への欲求が理性や秩序を軽々と吹き飛ばし、血にまみれた大地へ暗い種をまく。
しかし、だ。
そうして生き延びた人間は、その先に何をするのだろうか?
誰かを害し、奪い、喰らった人間が。
死を逃れるために仕方がなかった、の一言ですませて過去を忘れ、知らぬ顔をしてのうのうと生きるか。
あるいは自責の念に駆られて、後悔の海に沈みながら静かに死を待つか。
両親を殺されたレメクには、後者を考えることはどうしてもできない。
後悔するような人間なら、生きるためとはいえ見知りもしない人を殺すハズがない。
一度、悪に染まった人間はどこまでも堕ちるしかない。
正義が悪に塗りつぶされることはあっても、悪が正義に生まれ変わることはないのだ。
(こんな事をしてる場合じゃない!)
彼女は言い聞かせた。

 

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