巨大水族館の災難

 −楓の気持ち 安純の想い−

 松竹香の顔がいつにも増してニヤけている。
その肩に乗って美味しそうにマシュマロを頬ばるムルモも、松竹の変化に気付いた。
「松竹しゃん。何かいいことでもあったんでしゅか?」
すでに30個目のマシュマロを食べ終えたムルモが訪ねた。
「うん。今日ね、南さんがウチに来るんだ」
鏡の前に立った松竹は髪を掻きあげたり、首を傾けたりしてカッコイイポーズを策定中だ。
先ほど彼は、”ウチ”と言ったが、これは「自分の住居」を差す言葉であって決して、「家」という意味ではない。
彼は庶民の住む世界は隔絶された、「豪邸」に住んでいるのだから。
「楓しゃんが来るということは、お兄たまも来るということでしゅ・・・・・・」
ムルモはその愛くるしい表情を豹変させ、チッと舌打ちした。
「どうしてミルモと仲が悪いの?」
浮かれた調子で松竹が訊く。
「仲が悪いんじゃなくて憎んでいるのでしゅ。お兄たまはたまたまボクより早く生まれただけで王子でしゅ。
でも、本当に王子のそしつがあるのはこのボクなんでしゅよ」
力強い解説の合間にもマシュマロを運ぶ手が止まることはなかった。
「ふぅ〜ん・・・・・・」
で、訊いた本人はムルモの言葉をほとんど聞いていない。
彼の意識は完全に南楓に注がれていた。
「ま、ボクはだいしゅきなマシュマロさえ食べられれば幸せでちゅ」
終始ニヤけた顔の松竹を尻目に、ムルモは本日40個目のマシュマロに手を伸ばした。
その時、
「坊ちゃま、皆様がいらっしゃいました」
喉の奥からしぼり出すような声でやって来たのは、松竹の世話役である平井だ。
「ちょっと待って、いま”皆様”って・・・・・・?」
松竹の疑問と不安は的中した。
散歩できるほどの広い庭を通り抜け、威圧的なホールを通過してきたのは――。
「日高さん、ひっついちゃダメぇ!」
結木摂にべったりと引っ付く日高安純と、それを引き剥がそうとする南楓。
そしてそれぞれのパートナー・・・すなわち妖精たちであった。
「何となくそんな気がしたでしゅ」
ムルモは誰に言うともなくつぶやいた。
「はは・・・・みんな・・・ゆっくりしてってよ・・・・・・」
松竹は笑うしかなかった。
本当なら今日やってくるのは楓ひとりのハズだった。
そして他愛もない雑談で時間を潰した後、この秋都市部にオープンする松竹財閥所有の「超巨大水族館」へ
彼女を招待する。
そして幻想的な水族館で松竹と楓の2人きり・・・・・・ムードは高まりやがて2人は・・・・・・。
これが松竹の考案したプランだった。
しかしそのプランは今、脆くも崩れ去ったのである。
「オレたちをどこかに招待してくれるって聞いたけど」
楓と安純、2人に抱きつかれた結木が訊ねる。
「うん。今度オープンする巨大水族館に君たちを招待しようと思ってさ。わざわざ集まってもらったんだよ」
集めたつもりはない。
だが松竹は、ここまで来たら開き直ることにした。
安純と結木がくっつけば、自然に楓と松竹の組み合わせが完成する。
ということは安純の活躍如何では、彼にもまだチャンスは残されているのだ。
「楓、”すいぞくかん”って何だ?」
楓の肩にちょこんと乗っかっている妖精ミルモが訊いた。
「世界中のいろんな魚が観られる施設なんだよ。妖精の世界にはそういうの無いの?」
「ちっちゃい展覧会みたいなのはあるけどな」
飄々と答えるミルモ。そしてそれを横目で見つめているのはリルムだ。
「結木くぅ〜ん、水族館なんて楽しみねぇ」
「だからひっついちゃダメだってば!」
「ちょっと南さん、離れなさいよ! ジャマよ」
「はは・・・・・・」
そんな2人(3人)のやりとりを見ながら、松竹は思った。
ムリ・・・かな・・・・・・。

 今年の残暑は厳しいと言われていたのに、この日の気候は穏やかだった。
時おり季節はずれの涼しい風が吹いてくるので、集合場所で待ちつづける彼はイライラせずに済んだ。
彼とはもちろん松竹のことである。
愛する楓に早く会いたくて、予定の30分も前から集合場所――都内の駅前にいる。
「南さん、遅いなぁ」
時計を見ながらつぶやく。
楓たちが遅いのではなくて、自分が来るのが早すぎただけなのだが。
相変わらずマシュマロ片手のムルモは、もはや突っ込む気すらなかった。
「松竹くーーん!」
とそこへ、純白の天使(松竹にはそう見える)が舞い降りた。
「あ、南さーー・・・・・・」
が、その天使がピッタリと寄り添っているのは結木。
反対側には安純がやはり抱きついて離れない様子である。
「南さん、ひっつきすぎよ」
「日高さんこそ!」
来て早々、結木の顔には疲れの色が見える。
「それじゃ行こっか」
松竹はできるだけ視界に結木が入らないように微妙に視線をずらしながら、駅へ向かった。
巨大水族館には「松竹ニュートラム」なら10分ほどで到着する。
どちらも松竹グループ所有なので、今回の水族館建設は、ニュートラムの普及を狙ったものだ。
松竹ニュートラムのウリは快適性だ。
独自の技術を採用しているため、騒音、振動、その他利用者が不快と思うものは一切排除されている。
その分利用料は割高になってしまうが、ニュートラムの建造にかかった諸費用をすべて回収できれば、
今後利用料は大幅に引き下げられることが約束されている。
「すげえな」
窓にペッタリと張り付いたミルモはさっきからそれしか言っていない。
その横にはリルム、ムルモ、ヤシチが揃って窓からの風景にみとれている。
「こういうところで本読むのもいいかもな」
はしゃぐリルムたちを見て、結木がぼそっとつぶやく。
「でも、今日は私とデートなのよ? 本じゃなくて私を見て・・・」
クネクネと安純がよりそう。
「ひっついちゃダメぇ」
楓もそろそろ飽きてくるような反応を示す。
「南さぁ〜ん・・・・・・」
それを見て鬱になる松竹。
いつもの風景だった。
「今日は一段とチョコが旨いぜ」
どこから持ってきたのか、ミルモはチョコレートを口いっぱいに頬張っていた。
「私はシュークリームですわ」
「ボクはマシュマロでしゅ」
皆それぞれ好物を楽しみながらトラムに揺られていたが、ヤシチだけはボーッと外を眺めていた。
「拙者もかりんとうを持ってくればよかったな」
ヤシチは昨晩遅くまで自慢のパンティーコレクションを眺めていたため、寝坊してしまった。
だから大好物のかりんとうまで気が回らなかったのだ。
「1個だけなら分けてやってもいいぜ」
ミルモが言ったがヤシチは、
「拙者はチョコレートが嫌いなのだ」
とそっぽを向いてしまった。
とはいえ大好きなかりんとうが食べられないのはつらい。
そう思っていた時、
「はい」
すっとヤシチの方に細くしなやかな腕が伸びた。
その手にはかりんとうの袋がある。
「安純・・・・・・」
「早く取りなさいよ。それとも要らないの?」
安純が手を引っ込めようとした時、
「すまぬな、安純・・・・・・」
おずおずとヤシチがそれを受け取った。
安純は多少性格がきついように見られることがあるが、普段の素っ気なさの中に優しい一面があることを
ヤシチはちゃんと知っていた。
日頃部屋の掃除をやらせたりと随分ヤシチをこき扱っているが、安純は本当にヤシチを大切に思っている。
パートナーとして必要不可欠だと思っているのだ。
だからこそヤシチはどんな目に遭おうとも、安純の元から離れようとは思わない。
以前一度だけ、たった一度だけヤシチが別の人間の家に住みついたことがあった。
度重なる安純の要求に、ついに愛想がつきてしまったのだ。
だがふとしたキッカケで安純の家に戻ってきたヤシチが見た光景。
普段の勝ち気な性格からは考えられないような、あの寂しそうな表情。
ヤシチはそれを見てしまった。
見ることができた。
それがヤシチと安純を今でもパートナーとして結び付けている理由だった。
 美味しそうにかりんとうを頬張るヤシチ。
それを見ている楓。
楓だって同じだ。
安純とは結城を巡る恋のライバル同士だが、だからといって根っから敵視はしていない。
楓と安純が対立するのは、間に結木が入った時だけなのだ。
楓が安純の優しさを知ったのは、つい最近、弟の瑞希のことでだった。
瑞希が”不思議大好きクラブ”の秘密基地が台風で壊されそうになった時、彼は危険を顧みず川に飛び込んだ。
暴風の影響で川の流れは大人すら押し流すほど激しくなっていたのだ。
当然、小学生の瑞希はその流れに耐え切れず押し流される。
そんな時、安純は魔法の力も借りようとしないで川に飛び込んだのだ。
弟を想う彼女の優しさ。
それを間近に見た楓は、安純に対するこれまでの認識を改めた。
 考え方を変えた、という点では安純も例外ではない。
安純が結木を巡って楓と争うとき、先手を打つのは決まって安純の側だ。
ヤシチの魔法を利用して、これまで楓の恋心を奪ったり、結木の感情を安純にだけ向くように操作したこともある。
だが、どんな逆境にも楓は決して屈することはなかった。
それだけ結木に対する愛が深いということ。
楓の姿勢は変わらなかった。
だが、一度だけ。たった一度だけ楓が弱音を吐いたことがある。
結木の心がある日転校してきた少女に向いてしまったときだった。
それは楓とひっつこうとする松竹とムルモの魔法によるものだったが、そんな事情を知らない楓は
結木本人がその少女を好きなのだから仕方がない、と割り切ってしまったのだ。
そして彼女は前から告白を受けていた松竹と付き合う、と安純に打ち明ける。
安純にとってこの言葉は、結木を巡る邪魔者がいなくなるのだから喜んで受け入れるべき話だったが、彼女は
弱気になっていた楓を呼び覚ました。
このまま楓が松竹と付き合うことになって、安純と結木が結ばれる。
それは安純にはどうしても納得できなことだった。
安純は簡単に結木を諦めてしまう楓が許せなかった。
それは楓の頑張りを認めているから。

「着いたよ」
松竹が言わなくても到着していることはこの場にいる誰もが分かった。
四角く無機質なビルが立ち並ぶ都市部に、ぽっかりと別世界が現れたのだ。
まるい卵型の巨大施設。
外装は水族館のイメージにピッタリのシアンブルーでコーティングされている。
「お前ん家ってすごいんだな」
普段無口な結木も、この時だけは驚きをストレートに口にした。
「本当はオープンするのが1ヶ月先なんだけど、今日は特別だよ」
松竹はサービスを前面に押し出した。
「でも、何だかオレたちだけ悪いな」
「気にしなくてもいいよ。・・・うーん、それじゃあ君たちはモニターってことでどうだい? それなら誰より先に
水族館に入ってもおかしくないだろ?」
「さすが松竹しゃんでしゅ」
ムルモが松竹を持ち上げるのは、前日に特製カシス入りマシュマロを渡されているからだ。
チャンスがあれば楓との仲を取り持つように言われているのだ。
中に入ると結木の驚きは驚愕に変わっていた。
入口のホール部分には映画館のスクリーンの数倍はあろうかという巨大水槽が構えていた。
赤や青や、中には表現のしようのない艶やかな魚が縦横無尽にゆらめく。
岩、海藻、水の色、そしてそこを自由に泳ぎまわる魚たち・・・・・・。
そこはまさしく小さな海だった。
海として成立する条件がほぼ全て揃っていた。
「こんなの・・・・・・よく造ったな・・・・・・」
結木は驚きを通り越して感心している。
「「きれい・・・・・・」」
楓と安純が同時に息をもらした。
女の子はこういう幻想的な雰囲気に弱いのだ。
「ステキですわね、ミルモ様・・・」
「あ、ああ・・・」
こっちはミルモとリルムのカップルができあがっている。
リルムはうっとりと水槽を眺めミルモにしなだれかかっているが、ミルモはそんなリルムに辟易している様子だ。
「お楽しみはまだまだこれからだよ」
松竹に案内された一行は、さらに奥へと進む。
「この水族館には順路はないんだ、お客さんが観たいものを観たい順番に回れるように案内板はあるけどね」
松竹が指差した壁にはなるほど、施設の全図だけが載せられていた。
よくある「矢印」はひとつも見当たらない。
「次はここにしようか」
松竹は”A−2”と書かれた広間に向かった。
「わぁ〜、カニさんがいっぱ〜いっ!」
楓は小さな子供のようにはしゃいだ。
この広間には世界中の甲殻類が集められている。
それぞれ生活環境に大きな差があるため、生息地域別にガラス板で区分けされ、温度・湿度・水質にいたるまでを
個別に管理している。
「次はこっちだよ」
10分ほど見回ったところで、松竹は次の部屋、”B−2”へ案内した。
「ここは熱帯魚か」
結木がため息まじりにつぶやく。
他の水族館とは一線を隔した規模に、思わず感嘆のため息がでてしまったのだ。
この部屋にはよくある四角い水槽は見当たらない。
その代わり、部屋のいたるところにある円柱がすべて水槽になっているのだ、
その数はおよそ60本。
分厚い強化ガラスで作られているため、この水槽を柱代わりにしても損壊の恐れはないらしい。
「この魚、前に本で見たことがあるな」
その中のひとつ、赤白のマダラの熱帯魚に結木の目は釘付けになった。
少々グロテスクに見える模様ではあったが、よく観ると神秘的なものを感じさせる色合いである。
活字ばかり読んでいる結木にとって、こういう色彩的な刺激は新鮮だ。
「こういうのもあるよ」
”B−JF”には、最初のホールよりもさらに幻想的な世界が広がっていた。
「へぇ〜、こんなの初めて観たわ」
不思議な生き物に今度は安純が魅了された。
この部屋には世界に生息するクラゲのほとんど全てが集められている。
中には毒を持つクラゲもいるが、観賞するだけなら危険はない。
「私が知ってるのはミズクラゲとアカクラゲくらいね」
世界にはこんなに沢山の種類がいるのかと、安純は腕を組みながら頷いている。
「人間界には変わった生き物がいるんだな」
ミルモはさっきから思っていたことを口にした。
「そう? 妖精界の生き物も結構変わってると思うけど・・・」
楓は何度か妖精界に行ったことがあるが、そのたびに見慣れない生き物に戸惑いを覚えていた。
「きれいでしゅ・・・」
ムルモは手にしたマシュマロを口に運ぶ事も忘れて、クラゲに見入っている。
「さて、と。それじゃそろそろメインイベントといこうか?」
松竹がパンと手をひとつ叩いた。
その音に夢の世界を漂っていた各々が現実に引き戻される。
「メインイベント?」
「そうだよ」
今まですべてがメインだと思っていた一行は、これ以上のものがあるのかとお互い顔を見合わせた。
「何があるんでしゅか?」
「ふふ、それは見てのお楽しみだよ」
この口ぶり。
よほどの自信である。

 招かれざる客がひとり。
「ちくしょう、ミルモの奴・・・どこ行きやがった?」
ミルモを倒し部下にしようと画策しているアクミである。
自分の魔力の強さに自惚れていたアクミだったが、最近はミルモたちの力が増し、1体1でも苦戦を強いられる
ようになってきた。
だからここで実力のあることを示し、ミルモを部下にすることが彼女のプライド回復の最善策なのである。
「それにしても、変わった生き物ばっかだな」
初めて観るクラゲに、アクミは興味を示すかと思いきや、ヘンな生き物と判断しただけ早々とミルモ探しを
再開するのであった。
「ん? あれは・・・・・・」
と、アクミが何かを見つけた。
廊下の曲がり角にちらりと見えた赤い衣装。
「あいつは・・・ヤシチ? ってことはミルモもここだな」
さすがによく観察してるだけあって、わずかに視界に飛び込んだ赤い服を見ただけでヤシチと分かった。
アクミは彼らに見つからないように、そっと白銀の世界へ移動を開始した。

「うわぁ・・・・・・すっごいーーい!」
「へぇ・・・」
「すごいわね」
皆、それぞれに反応が違う。
松竹がメインイベントだと言って連れてきたのは、白銀の世界だった。
小さな公園くらいもある面積の氷の地肌。
そこではペンギンが群れをなして生活していた。
そのあまりの広さは、ジオラマそのものだった。
模型がそのまま実物と同じ条件になっている。
遭難するような広さではないにしろ、臨場感はどこの水族館にも負けていない。
「本当に南極にいるみたい・・・・・・」
楓はそう思った。
「ここは温度管理も完璧だからね。少しでもペンギンたちが不快に感じる気候になると、すぐにコンピュータが
完全な状態に戻してくれるんだ」
松竹はさりげなく技術を自慢した。
「中に入れるの?」
「う〜ん・・・今はまだムリだけど、もしかしたらそうなるかも知れないよ。ペンギンって結構デリケートな動物だから
人間が入ったら警戒して子供を産まなくなっちゃうんだ」
「そうなのか?」
「でも近々、お客さんが入れるようなプログラムは組むらしいけどね」
「プログラム?」
「うん。1日に10分だけ、子供が何人か入るんだ。何日か続けると、ペンギンたちが人間は自分たちに危害を
加えない存在だと認識する。そうなったら、僕たちもペンギンと遊べるようになるんだ」
「すごいね」
「私たちも遊びたいですわ。ね、ミルモ様」
「オ、オレは別にいいよ・・・・・・」
「どうしてですの?」
「あんまりカワイクねーしさー」
そこへヤシチが強引に割って入った。
「さては怖気づいたんだな、情けないヤツめ」
「バカヤロー、怖気づいてなんかいねーよ!」
相手がヤシチとなると、ミルモはすっかり冷静さを失ってしまう。
「意地をはるな。顔に書いてあるぞ」
不敵な笑みを浮かべるヤシチ。
「しつけーな、怖くないっつってんだろ!」
「だったら怖い思いさせてやろうか?」
「アクミッ!?」
ゆらりとアクミが現れた。
その目は自信に満ちている。
「今日こそアンタをやっつけてやる」
アクミは真っ直ぐに伸ばした人差し指をミルモに突きつけた。
「あたいと勝負しな!」
やる気満々のアクミに対しミルモは、
「あぁ〜分かったよ。勝負でもなんでもやってやるから早くしようぜ」
悠長に欠伸をしている。
この態度がアクミを怒らせてしまった。
「ヘン、そんな余裕面も今のうちだよ! アクミでポン!」
「チッ、しょーがねーなー」
アクミが魔法を使ったことで、ようやくミルモも戦闘体勢をとる。
「なに!?」
だが放たれた魔法の光は、ミルモのいる場所とは別の方向へ飛んでいった。
「南、危ないっ!!」
魔法の進行方向が楓のいる場所だと気付いた結木は、とっさに楓の前に飛び出した。
「結木くん!?」
ここで松竹が同じ事をしていれば、少しは楓の評価も上がっていたのに、彼はといえばオロオロと右往左往し
ムルモに助けを求めている。
そうしている間にも時間は過ぎている。
アクミの放った魔法は楓とかばった結木とを妖しく包み込んだ!
「楓っ!!」
ミルモが駆け寄った時にはすでに遅かった。
赤い光に包まれた楓と結木は信じられないスピードでその場から弾かれた。
そして・・・・・・。
「ええーーーっ!?」
信じれないという叫び声をあげる楓。
魔法は常に信じられないことを引き起こすのだ。
楓は。楓と結木はあの白銀の世界にいた。
内側に。
断熱材と強化ガラスとに覆われたペンギンワールドは、基本的に入る事はできない。
外部と内部を繋ぐのは、ただ一ヵ所だけである。
「松竹しゃん、大変でしゅ! 楓しゃんが・・・!」
「え? ああああああッッ!? み、南さん! 後ろ! 後ろ!!」
動転した松竹はムダだと分かっていながら、ガラスを思いっきり叩いた。
室内管理用の出入り口が、楓のちょうど後ろにあるのだ。
「てめぇ、アクミ! 楓になにしやがった!?」
「見てのとおりだよ。あいつを閉じ込めてやったのサ!」
ヘヘンとアクミが鼻で笑った。
「あいつがいると、お前の力が強くなるみたいだからな! さぁミルモ、覚悟しな!」
女の子とは思えないような口調だ。
「ヤシチ、あんた何とかしなさいよ!」
安純がヒステリックに叫ぶ。
「どーしろと言うのだ?」
「あっちよあっち! 南楓と結木くんが2人きりじゃないのよ!」
「そういう雰囲気ではなさそうだが・・・・・・」
確かにそういう雰囲気ではない。
楓の閉じ込められた部屋は、室温がマイナス25度に設定されている。
よほどの厚着をしてこなければ、1分と持たないだろう。
「ミルモでポンッ!}
アクミが余計なことをしないうちに、ミルモが先制攻撃をしかけた。
魔法の光が辺りを包むと、空中にさきほど見た熱帯魚の群れが現れた。
が、実際に生きている魚ではなく熱帯魚を模したミサイルのようなものだった。
その魚ミサイルが一斉にアクミに飛びかかる。
「アクミでポン!」
対するアクミは正面に大口を開けた巨大クジラを出現させた。
飛んできた魚ミサイルが、クジラに飲み込まれていく。
「どうしたミルモ? その程度かよ?」
「なにおぉぉぉ〜! ミルモでポン!」

「ど、どうしよ〜・・・結木く〜ん・・・・・・」
「落ち着け、南。見ろ、きっとあそこが出口だ」
普段冷静な結木は、こういう状況に陥ってもやはり冷静だった。
「あれ・・・? おかしいな・・・」
「どうしたの?」
「ドアが開かないんだ・・・・・・」
「えぇ〜〜!? それじゃ私たち、出られないの?」
「力が足りなかっただけかもな、もう一度やってみるよ」
結木は渾身の力を込めてドアを開けようとしたが、やはりダメだった。
「ね・・・ぇ・・・・・・何だか、眠くな・・・って・・・・・・」
ドサッという音と同時に結木が振り返ると、楓は寒さに倒れてしまっていた。
「おい、南ッ! 寝るなッ!!」
楓の体を無茶苦茶に揺らしたが、それでも楓は目を覚まさなかった。
それどころか、今度は結木の体力まで奪われていった。
「オレも・・・・・・」
彼の手はドアに触れる寸前で力尽き、すべり落ちていった。

 外ではすでに勝負がついていた。
ミルモが放った魚ミサイルとクラゲボムとが、アクミの防御を破ったのである。
「どうだ、アクミ。参ったか?」
得意満面のミルモに対しアクミは、
「なかなかやるじゃないか・・・・・・。でも次はこうはいかないよッ!」
アクミは悪役らしい捨てゼリフを吐いて、逃げていってしまった。
「そうだ、楓!」
ミルモはアクミを追うことはしないで、まだ閉じ込められている楓のもとへ急いだ。
「ヤシチでポン!」
ヤシチはガラスの壁を魔法で打ち破ろうとしていた。
すでに10回以上魔法を使っているが、どういうわけかガラスには全く変化が見られなかった。
「アクミめ、さてはこの壁にも魔法をつかっていたな・・・」
ヘトヘトになったヤシチがつぶやいた。
「急がんと、あの2人が死んでしまう・・・」
トライアングル片手にヤシチが立ち上がったとき、
「私も手をこまねいていた訳ではありませんわ」
意を決したような顔でリルムがヤシチの前に立った。
「結城様、楓様、今お助けいたしますわ! リルムでポン!」
・・・・・・・・・。
「なんでチューリップが出るんだーー!}
ヤシチが思わず指差した先には、色とりどりのチューリップが見事に咲き誇っていた。
「ああ、また失敗ですわ・・・・・・」
よよよ、と力なく崩れ落ちるリルム。
その後ろでは。
「だめだよ、ムルモ。管理センターと繋がらないよ」
「困ったでしゅ。ボクの触角ビームも役に立たないでしゅ」
備え付けの通信機で松竹が水族館の管理センターに連絡をとっているところだった。
「あ、お兄たま! ちょうどいいでしゅ! 皆で楓しゃんを助けるでしゅ」
アクミとの小競り合いを終えたミルモが松竹のところへやって来た。
結木はどうでもいいのか、というツッコミはこの際置いておいて。
「よし、行くぞムルモ」
「はいでしゅ」
2人が辿りついた頃には、わずかだがガラス壁に小さな穴が開き始めていた。
「おう、遅いぞミルモ! お前たちも手伝え」
「ミルモ様、もう少しですわ」
ヤシチはトライアングルを、リルムはタンバリンを手にガラスを突き破ろうとしている。
「楓・・・・・・」
ミルモはガラスの向こうにいる2人を見た。
2人は極寒に耐え切れず、すでに意識を失ってしまっている。
よく見ると、楓の体がカタカタと小刻みに震えているのが分かる。
「ヤシチでポン!」
「リルムでポン!}
2人の魔法が再び強化ガラスに向けられた。
アクミのかけた魔法が少しずつ薄れていっているのか、時間とともにガラス面の穴が大きくなっていく。
「せ・・・拙者はもう限界だ・・・・・・」
大方20回以上も魔法を使ったヤシチは、疲労困憊だった。
それでもフラフラと力なく立ち上がるヤシチを、安純が持ち上げた。
「もういいわ・・・ヤシチ・・・・・・」
「安純・・・?」
その時の安純の声が、今まで聞いたことのない優しい声だったことにヤシチは驚いた。
そのギャップと安純の両手が心地良く、ヤシチの体から今までの疲れがウソのようになくなっていった。
「ちっくしょう! ヤシチの死はムダにはしねーぜ!}
ミルモが正面に踊り出た。
「生きとるわーー!」
肩で息をしていたヤシチはすかさず突っ込んだが、すぐにまた倒れてしまった。
「ミルモでポンッッ!!」
今までで最も強力な魔力を秘めた魔法だった。
おそらく楓を助けたいと想いが、アクミをやっつける為に使う魔法とは根本的に性質の違うものにしたのだろう。
凄まじい威力だった。
マラカスから飛散した虹色の軌跡が空中で無数の弧を描く。
自在に飛び回った光の帯はひときわ大きく赤く輝くと、わずかに開いたガラスの穴へと降り注いだ。
「これがお兄たまの魔法・・・・・・」
「信じられませんわ・・・・・・」
その瞬間、耳鳴りにも似た音とともに、何かが砕け散る音がした。
ガラスが割れたのか。
その場に居合わせた全員が思った。
だが違う。
よく見ると、ガラスに開いた穴はそのままで、ミルモが魔法を使う前と何ら変わりはなかった。
ただ明らかな変化は、さっきまでマイナス25度の部屋にいたハズの楓と結木が外にいたことだった。
「南さんっ!」
「結木くん!」
松竹と安純が同時に駆け寄る。
ぐったりと倒れている2人は息をしていない。
その体は生きているものと思えないほど冷たかった。
「結木君、しっかりして! 結木君!」
安純が結木の肩を揺さぶったが、彼は目を覚まさない。
「日高さん、この奥に医務室があるんだ。とにかくそこまで運ぼう」
松竹が来た道とは反対の方向を指差した。
ここからでは良く分からないが、目立たないように塗装してあるのかもしれない。
「それならヤシチに・・・・・・」
言いかけて安純は口を噤んだ。
ヤシチの疲労は極限に達しているではないか。
こんな時まで魔法を使わせるわけにはいかない。
安純のそんな心を察したのか、
「拙者なら大丈夫だぞ・・・・・・」
ヤシチがボソッと呟いた。
「大丈夫って声じゃないわよ。ムリしなくていいわよ」
安純はちらりとミルモたちを見た。
ミルモもリルムもムルモも、あのガラスを破るためにかなりの魔法を使っていたため、頼みごとがしにくい状況に
なっていた。
「オレに任せろ・・・って言いたいところだけど、ちょっと休ませてくれ・・・」
「私も今魔法を使えば、失敗するような気がしますわ」
「リルムしゃんはいつ使っても、うまくいかないでしゅ・・・・・・」
それぞれ言っていることは違うが、ようは疲れが溜まっているということである。
「しかたないわね・・・・・・」
「早く! こっちだよ、日高さん!」
急かすような口調で松竹が叫ぶ。
その声に安純が振り返ると、ちょうど松竹が楓を医務室に運ぶために抱き上げようとしているところだった。
「・・・・・・・・・・・・」
安純は何かを考えているのか、松竹とすぐそばに倒れている結木とを交互に見た。
そして。
「ねぇ、松竹君」
「え? 何?」
「南さんは私が運ぶわ」
安純の口調は何かを決心したような、そんな強い意志を感じさせた。
「え、でも・・・・・・」
何とか楓と近づきたい松竹は、安純の申し出を受ける気はない。
ハッキリしないお坊ちゃまの態度に、安純はいつもの調子で言い寄った。
「私に男の子を運ばせるつもり? 南さんは私に任せて、松竹君は結木君をお願い」
いつもの軽い感じの言い方ではない。
それに聞けば安純の言っていることも最もだ。
「分かったよ。それじゃあ南さんは任せるね」
松竹は名残惜しそうに楓の顔を覗き込んだと、不本意ながら結木を医務室まで運んだ。
その後を楓を抱き上げた安純がゆっくりとついて行く。

「・・・・・・・・・あれ・・・?」
目を覚ました楓がなぜかベッドに寝かされていることに驚いた。
どうして自分はここにいるんだろうか?
たしかアクミの魔法で・・・・・・。
思い出した。
あのペンギンたちの部屋に閉じ込められたんだ。
そういえば・・・。
結木君はどうなったんだろう?
そう考えるといてもたってもいられなくなる。
「・・・・・・痛ッ・・・」
体を起こそうとした楓の頭に激痛が走る。
アクミの魔法のせいか、それとも冷気にあたりすぎたのか。
しかたなく楓がベッドに身を埋めた時、
「南さん、大丈夫かい?」
すぐ目の前に松竹の顔があった。
「あ、松竹君・・・」
「アクミの魔法で南さん、ペンギンたちの部屋に閉じ込められちゃったんだ」
「うん・・・・・・」
「でももう大丈夫だから」
松竹はここぞとばかりにカッコイイ頼りがいのある青年をアピールした。
だが、そんな彼の努力を無に帰す言葉が楓の口から放たれた。
「結木君は・・・無事なの?」
松竹は結木の名前を聞いた瞬間、露骨に顔を背けた。
こんなにこの少女を愛しているのに。
どうして自分には振り向いてくれないんだ。
お金も地位もある。
松竹グループの跡取りだぞ。
なのになぜ平凡な結木を選ぶんだ。
「心配ないよ・・・・・・隣の部屋で寝てるから」
「そう・・・・・・良かった・・・・・・」
“良かった”か・・・。
松竹は自嘲気味に笑った。
「ありがとう・・・・・・」
「えっ?」
「松竹君が・・・ここまで運んでくれたんでしょう?」
「・・・・・・ううん、違うよ。日高さんだよ」
「ええっ!?」
楓には信じられなかった。
また、そんな安純を想像することすらできない。
「それじゃ、僕はそろそろ行くね」
「え、どこに行くの?」
「ここの管理センターだよ。閉じ込められた時の対処について話し合わなきゃ」
松竹は複雑な笑いを浮かべると、楓を置いて医務室を出て行った。
独りになると、途端に心細くなる。
体が自由に動かせないうえに、大好きな結木まで自分と同じ目に遭っているのか思うと、その不安はますます
大きくなってくる。
「ふぅ・・・・・・」
楓が小さくため息をついたとき、
「調子はどう?」
誰かが入ってきた。
「日高さん・・・」
楓が言ったとおり、松竹とほぼ入れ替わりに入ってきたのは安純だった。
「先に言っとくけど、結木君なら心配ないわよ。隣の部屋で寝てるから」
安純はさっき楓が松竹にした質問の答えを言った。
「うん・・・・・・。ありがと・・・・・・」
言葉の最後の方は尻すぼみになったが、安純は聞き逃さなかった。
「日高さんでしょ? 私をここまで連れて来てくれたの」
「そうだけど?」
安純はチラッとベッドの脇に目をやった。
楓の横で眠っている小さな体。ミルモだった。
魔法は無限の力ではなく、その用途や対象に応じて必要な魔力も違ってくる。
そのうえ、魔力そのものも持ち主の状態にかなり影響を与えるため、今回のように強力な魔法を何度も何度も
繰り返して使うと、その代償として深い眠りに陥るのである。
ヤシチやリルムも同じだった。
つまりそれだけアクミの力が強かったことになるだろうか。
「どうして・・・・・・?」
楓はまだ痛む頭を押さえながら、小さな声で訊いた。
「私なら・・・・・・ずっと結木君のそばにいると思う・・・・・・」
そう。
楓はなぜ安純が自分をここまで運び込んだのかではなく、なぜ安純が結木ではなく自分のところに居るのかを
訊いているのだ。
「・・・・・・」
楓の問いに安純は何も答えなかった。
「・・・・・・」
楓は答えを待ちつづけた。
「・・・・・・」
しばらくの沈黙のあと、観念したように安純が口を開いた。
「ずるいと思ったからよ」
「・・・・・・?」
「南さんがそんな状態なのに、結木君にだけ付きっきりってわけにもいかないでしょ? ま、南さんがいいって
言うならすぐにでも隣に行くけど?」
「うっ・・・・・・それは・・・・・・」
挑戦的な安純の口調。
楓は返答に困った。
「じゃ、じゃあ日高さんが結木君じゃなくて私を運んでくれたのも・・・・・・?」
半ば答えを予想しての質問だったが、安純は鼻で笑った。
「そんなわけないじゃない。私が男の子を運べると思う? だから松竹君に任せたのよ」
他意はない、と言わんばかりの素振りだったが、思わぬ登場に安純のごまかしは失敗に終わる。
「それは違うぞ・・・・・・」
いつもより力なく聴こえる声の主は。
「ヤシチ!?」
いつの間にか安純のそばにいたヤシチが、わずかずつ進み出る。
「あんた、体はもう治ったの?」
「ああ、まだ少しフラつくがな・・・・・・」
言いながらヤシチは額の汗を拭った。
「南楓。さっき安純が言ったことはウソだぞ」
「えっ・・・・・・?」
驚いた楓は安純とヤシチを交互に見つめた。
「本当は――」

「安純・・・・・・それでよいのか・・・・・・?」
「何がよ?」
楓を抱き上げようとする安純に、息をするのも苦しそうなヤシチが訊ねた。
「今がチャンスなんだぞ。結木を医務室まで連れて行けば接点が増えるし恩も売れるのではないか?
それに松竹は南楓のことが好きなんだろう?」
ヤシチの言葉に安純は一瞬考えたが、
「でも南さんも結木君が好きなのよ」
「それはそうだが・・・・・・」
いつもの安純らしくない。
ヤシチは思った。
これではまるで別人だ。
「だって卑怯じゃない。同じ人を好きな子がいて、その子の意識が無いのをいい事に結木君に近づくなんてさ」
「・・・・・・」
「さんざん・・・魔法でジャマしてきたしね・・・・・・」
こんな安純を見たのは初めてだ。
いや、前に一度だけ見たことがあるか。
ヤシチが家を飛び出したあの時に。
「おめーって本当はイイ奴だったんだな・・・・・・」
楓を心配そうに見つめるミルモが言った。
「・・・正直、いつも楓をジャマするイヤな奴だって思ってたけど、見直したぜ」
ミルモはそれだけ言うと、楓の胸元にちょこんと座り目を閉じた。
「別にあんたに見直されたくないわよ」
安純はフンと鼻を鳴らすと、楓を静かに抱き上げた。

「・・・ったく、余計なコト喋るんじゃないわよ」
安純は一瞬、ヤシチを投げつけるようなモーションをとったが、結局何もしなかった。
大人だ。
楓は思った。
安純は自分なんかよりもずっとずっと大人なんだ。
もし私が安純の立場だったら・・・・・・?
きっと結木君を優先したと思う。
頭の中は結木君のことでいっぱいで、他に気が回らなくなるに違いない。
それに・・・。
日高さんに差をつけようと、結木君につきっきりになるんだ。
でも日高さんはそうじゃなかった。
当然、彼女だって結木君のことが心配なハズなんだ。
だけどその”心配”を私にも向けてくれている。
そういう余裕というか、気持ちが日高さんにはある。
自分の持っている心と、日高さんの持っている心とを比べてしまう。
わたし・・・・・・日高さんに負けてる・・・・・・。
ううん、勝ち負けとかそんなのじゃないけど・・・・・・。
私は彼女みたいにはなれないけれど。
見習いたいと思う。
「日高さん・・・・・・」
楓に声をかけられハッとなる安純。
「か、感謝しなさいよね! 私が連れてこなかったらあんたもミルモもそのままだったんだから・・・・・・!」
「うん・・・・・・」
そっぽを向く安純が何だか可愛らしくて、楓の頬が自然とゆるんだ。
「ありがとう・・・・・・日高さん・・・・・・」
こういう風に面と向かってお礼を言われると、安純はますます素直でなくなってしまうのだ。
「と、とにかく早く治しなさいよね。でないと結木君が心配するわよ!」
ついつい激しい口調になってしまうのは、単なる照れ隠しだ。
「うん・・・・・・」
安純はヤシチを手に乗せ、医務室を出ようとした。
ドアの前まで来たところで、
「早く元気になりなさいよ」
誰にも聞こえないくらいの小さな声だった。
が、医務室が狭いこともあって、安純のそのつぶやきは楓の耳にしっかり届いている。
「待ってるから・・・」
それだけ言って、安純は医務室から姿を消した。

 

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