第15話 黒い風

(長く所在を不明にしていた芹香が、新たな力を身につけ戻ってきた)

 河原での戦いから10日近くが経った。
両勢力はその後、沈黙を保ったままだ。
だがそんな沈黙の中、藤田のイライラは徐々に高まる。
じっとしているのが苦手なのだ。別に行動派というわけではないが、それでも何もしないでいると落ち着かない。
智子に、「ヘタに動いたらあかん」と言われ、それをそのまま受け止めているのだ。
もちろん、あかりは智子の意見に賛成しているから、何も言わない。
唯一炊きつけ役の志保も、智子に睨まれてしまっては何も言えない。
「浩之ちゃん」
屋上で寝そべっている浩之に、あかりが声をかけてきた。
「ん? なんだあかり?」
「来栖川さんが戻ってきたって、みんな大騒ぎだよ」
「何っ!? センパイが?」
「うん、なんかすごい大きな袋持ってたよ」
「本当か?」
「ウソなんかつかないよ」
その瞬間、浩之はすでに駆け出していた。
 おカルト研究会の部室は、その室内装飾に反して騒がしかった。
志保はもちろん、智子や葵、レミィまでもがいるのだから当然だ。
理由は芹香が帰って来たからだ。
「来栖川さん、どこ行っとったん? みんな心配しとってんで」
「・・・・・・」
「その袋なに? もしかしてお土産?」
今のは、もちろん志保。彼女にとっては、芹香がどこに消えていたかより、袋の中身の方がよほど気になるらしい。
こくん、と芹香が頷く。
だがこれでは会話になっていない。
彼女との会話を成立させるためには、通訳者が必要なのだ。
「せ〜んぱい! どこ行ってたんだよ?」
その通訳者がやって来た。遅れてあかりも入ってくる。
「え? ロンドンに行ってましたって? これ、お土産?」
芹香が袋から、これまた大きな箱を取り出す。
「ロンドン饅頭です、って? はは、そんなのあるんだ。ありがとな」
志保が箱を開けたがっている。それを智子が目で制止すると伸ばしていた手を引っ込めた。
「あの、どうして急にロンドンに・・・?」
尋ねたのは葵。
芹香が急にいなくなってしまったのは、もしかしたら雅史側に捕まってしまったからではないかと心配していた。
そんな不安を抱えていた時の芹香の帰還。
葵はつくづく自分が心配性なんだと感じた。
「・・・・・・」
「ロンドンに高名なドルイドがいて、啓示を受けてきたのです、だって」
浩之が通訳した。
「ケイジって何?」
今度はレミィだ。日本人であっても、啓示の意味を知っているのは少ないだろう。
「・・・・・・・・・・・・」
「3神の力を授かりました。これで私も少しはお役に立つことができます、って!?」
芹香の言葉を一言一句間違いないように復唱した浩之は、その意味を理解するのに少し手間取った。
「3神って、つまり神様だろ? そんなのできるのか?」
こくん。唯一、誰にでも分かる返事をした芹香。
「さっき言うとったけど、ドルイドって何?」
「・・・・・・」
「神の力を代理で使うことができる、僧のようなものです、だってさ」
「ふうん」
自分で訊いておきながら、その答えにまるで興味を示さない智子。
そういう超常現象的なことを彼女はまったく信じていない様子だった。
「それで・・・その力ってやっぱり炎が出せたりするんですか?」
逆に興味津々の葵。
「・・・・・・」
「炎を出したりはできませんが、遠くのことを知ることはできます、だって。すげえじゃん!?」
所謂”透視”という能力だろうか。このことは智子の好奇心を大いにくすぐった。
「それ、今できひん?」
「・・・」
「できます、って」
すると、今度は志保が乗り出してきた。決定的瞬間を押さえようとしている。
「・・・」
「紙を用意してください、ってさ」
どうやら芹香は早速授かった力を試すつもりらしい。ロンドン饅頭をかたわらに、部室の中央にテーブルが運び
こまれた。
智子がどこかから持ってきた紙をテーブルに置く。すると芹香が部室の奥から小さな瓶を取り出した。
「それ何?」
遠くから見ていたあかりがおずおずと尋ねた。瓶の中に見える赤い液体。
訊かなくてもある程度は予想がついていただろうが、やはり彼女も好奇心には逆らえなかったらしい。
「・・・・・・」
「ハトの血です、だって。まあ・・・そんな感じはしてたけど・・・」
芹香が瓶を浩之に近づけながら言うので、浩之は顔を背けながら明らかにイヤそうな表情で言った。
あかりは訊いてしまったことを後悔した。
芹香が紙の真ん中に数滴、ハトの血を垂らした。
鮮血は紙にまとわりつくように、徐々に広がり、中央に大きな赤い泉が湧いたようにも見える。
そして懐から1枚の羽を取り出した。
純白の汚れなき羽。この羽先に芹香が”竜の血”と呼ばれる赤黒い液体を染み込ませた。
まるでこれから起こることを予告するように、羽は白を黒に変えた。
「・・・・・・、・・・・・・・・」
「ここからは強い精神力を必要としますので、どうかお静かに願います、ってさ」
「ちょっと! なんであたしの方向いて言うのよ!」
「おめえが一番うるさそうだからだよ!」
「ちょっと、2人ともうるさいで」
智子の仲裁で、2人は黙ってしまった。
芹香が両手を高々と上げた。居合わせた者には、その動作だけで禍々しさを感じてしまう。
静寂に包まれたことを感じた芹香は、小さく、普段よりもさらに小さな声で呪文を唱え始めた。
「・・・・・・」
それは浩之にすら聞こえないほど。
「・・・・・・」
もちろん、彼以外の誰にも聞こえない。
「・・・・・・」
たとえ浩之の耳に届いたとしても、それが何を言っているのまでは理解できないハズである。
異変が起こった。
当たり前だが今まで静止していた黒い羽が、ふわりと宙に浮かんだのだ。
「これって・・・!」
浩之は言いかけて慌てて口を閉じた。その後には「琴音ちゃんの能力と同じじゃないか」と続くはずだった。
浮かび上がった羽が紙の上を静かに滑り始めた。
何かを書いている。誰もが直感した。
我慢できず、志保が覗き見た。が、彼女にはとうてい理解ができなかった。
羽が勝手に何かを書いていることも理解しがたかったが、それが書いているものがさらに理解できなかった。

   rvk twell mus phaisumk atratl

誰がこの不可解なアルファベットの並びを解することができようか。
ひとつひとつは見覚えのある文字なのに、そこには翻訳の一片すら不可能な文章らしきものが並んでいた。
文字はさらに書き加えられる。

   saemal tikks addmral corolev tor mktoom erren tikks mktoom mktoom sevonva

3神のうちのどれかが書かせているのだろう。ハトの血海の上に、黒く黒く書かれた言葉。
だが、これでは解読できない。
芹香は掌を紙の上にかざすと、再び呪文を唱えた。
するとどうだろう。紙上の文章が、非常に馴染み深いものに変わっていった。
つまり、日本語に。
それまで一心に念じ集中していた芹香が、ようやく顔を上げた。
「・・・」
「終わりました」
茫然とした浩之が通訳する。
重々しい儀式が終わったというのに、誰一人動けなかった。
静寂をいらだたしげに破ったのは志保だった。
「さっきの英語、日本語になってるじゃない。どれどれ・・・」
志保は変換された文章を読み上げた。

「北の7の建物に大いなる陰謀あり
縦横正しく群れを成し、時に集い、時に散り、その姿ひとに似て、ひとを超越せし者なり
機をうかがうに敏、戦を重ね重ねるほどに強
ひと、数年己を鍛えども、戦いにて勝つことあたわず
主、この群れを慈愛をもって育て、来たる日に備える
主、さらに車を作れり 堅牢かつ鉄壁、いかなる強者もこれにあって壊滅せざるなし
主、ひとを待てり ひと訪れる時、我を呼び出し者と我を呼び出し者の仲間をことごとく救う」

こんな複雑な文章をスラスラと詰まることなく読めた志保を褒めてやりたい。
平素の智子ならそう思ったであろう。
だが、今の智子は注意して観察すれば、明らかに異常だ。
志保の朗読を聞いているうち、智子の顔色がみるみる変わっていったのだ。
「どういうコト? 全然わからなかったよ」
レミィが自嘲気味に笑ったが、ここにいるほとんどがその意味を理解できるはずがない。
「なんだかワケの分からねえ言葉だな」
言ってから浩之はハッと気付き芹香を見たが、彼女は聞いていなかったらしく、黒い文字を見続けていた。
「あ、そや! 長岡さん、この辺の地図持っとったやろ? ちょっと見してくれへん?」
あまり親しくない、どちらかと言えば苦手な智子からの願いだったが、今の状況からとりあえず従っていたほうが
いいだろうと判断した志保は、持っていた地図を手渡した。
震える手でそれを受け取った智子は、しばらく地図を眺めて言った。
「やっぱりな」
「どうした、委員長?」
「さっきの”北の7の建物”っていうやつ。ここから北に行ったところの来栖川重工第7研究所のことやで」
「そうなのか?」
「ほら」
横から浩之も覗き込む。たしかに北に2キロメートルほどの位置に研究所が記されていた。
「なるほど。間違いなさそうだな」
「でもこの、”縦横正しく・・・”っていうのは、どういうことでしょう?」
黒文字をたどっていた葵が、浩之と智子に尋ねた。
「正しく、正しく・・・なんだろうな・・・」
「縦にも横にも正しく並んでる、ってことよね?」
「ったりめーだろ」
「・・・」
「・・・」
答えらしい答えは全く出てこなかった。
芹香も考えているようだが、的を得ていない。
「あ、ねえねえ」
「ん、どしたあかり?」
「”我を呼び出し者と我を呼び出し者の仲間をことごとく救う”っていうところ、これって私たちのことだよね?」
普段、自己を主張しないあかりが珍しく発言した。
「我を呼び出し者は来栖川さんで、私たちがその仲間」
「へ〜、やるじゃん、あかり!」
「えへへ」
志保に褒められて、あかりはすっかり舞い上がってしまった。
だが、進展はそこまでだった。
それ以外の言葉の意味がさっぱり分からないのだ。
「なあ。とにかくそこに行ってみたら分かるんちゃう?」
「でも危なくねーか?」
「さっき神岸さんも言うとったやん。うちらは来栖川さんの仲間やねんから」
「・・・そうだな。よし、今から行くか」
「ちょっと待ち。全員で行く気ちゃうやろな?」
「そのつもりだけど?」
「あかんって! みんなで行ったら、だれが守るん? 調べに行くだけやったら1人でも充分やん」
「それは・・・そうだけど」
いつになく智子が主張した。日頃の冷静ぶりからは想像もつかないほどの大声だ。
浩之の方針を真正面から否定している。
「あ、それだったら私が行ってきます」
名乗りをあげたのは葵だった。
「え、葵ちゃんが?」
「はい! それぐらいしかお役に立てませんから・・・」
「そんなことねえよ。でも本当にいいのか?」
「はい」
「ちょっと待ってヨ」
横から口を挟んだのはレミィだ。
「女の子ひとりじゃ危ないよ」
「でもよ、葵ちゃん自身がいいって言ってんだぜ」
「だけど・・・」
「宮内先輩、私なら大丈夫ですよ。それじゃ先輩、行ってきますね!」
「おう、頼んだぜ」
「葵ちゃん、気をつけてね」
浩之とあかりが送り出した。
「あ、ちょっと待ってよ、松原さん」
「はい?」
「これ、あなたに渡しとくわ。何かあったら電話して」
そう言って志保が手渡したのは携帯電話だった。最新の機種。葵がきっと使い方に困るだろうと、志保は丁寧に
操作法を説明した。
ごく当たり前のことも順を追って丁寧に。志保は案外、後輩の面倒見がいいのかもしれない。
使い方を覚えた葵は、それを大事そうにポケットにしまうと学校を出た。
葵の出発を見届けたオカルト研究会の室内は複雑な空気が入り混じった異空間と化した。
浩之は研究所で起こっていることが気になって仕方がなかった。
あかりは浩之がどこまで戦いを続けるのか心配していた。
志保は貸した携帯が無事に帰ってくることを祈った。
芹香は自分の得た力が及ばなかった事を悔やんだ。
レミィは浩之の態度に怒りを覚えた。
そして智子は・・・。
震える体とこぼれる笑みを抑えるのに精一杯だった。
「なぁ、来栖川さん」
「?」
「心霊とかそういうん、今まで信じてへんかったけど・・・」
「・・・」
「信じるわ」

「ヒロユキ!」
「なんだよ、レミィ? 急に大声出して」
「どうしてアオイを止めなかったのヨッ!?」
レミィはさっきの浩之が許せなかったようだ。
「どうしてって、葵ちゃんが行きたいって言ったんだぜ?」
「だからって、1人で行かせなくてもいいでしょ!?」
「葵ちゃんなら1人でも大丈夫だ。なんたってエクストリームがついてるんだからな」
2人の言い争いを皆は黙って見ていた。
誰ひとり、止めようとしない。
いや、止められなかった。
レミィの言う浩之の態度は、この場にいる誰にも当てはまる。
あかりも芹香も智子も止めようとしなかった。
志保に至っては自ら携帯を渡し、この行動が葵を送り出すことになったのは事実だ。
「心配することじゃねえよ。気にしすぎだって」
「I can't believe!」
浩之のあまりにも無粋な態度に、ついにレミィが怒って出て行ってしまった。
「あ、宮内さん!?」
慌てて追おうとしたあかりを、浩之が制止した。
「放っとけ。どうせすぐ戻ってくる」
浩之はレミィだけでなく、少なくとも今ここにいる女子なら、たとえ口論から別れても最後には戻ってくると本当に
思い込んでいた。
だが智子は、走り去るレミィを出来るだけ浩之に気付かれないように追いかけた。
 智子はすぐにレミィに追いついた。
「宮内さん!」
「ダメダヨ。ワタシを連れ戻そうとしてるんでしょ?」
「ちゃうちゃう」
「?」
智子はレミィを浩之から離れた、科学準備室に連れて行った。
ここなら誰にも聞かれる心配はない。
「どうしたの、トモコ?」
「ええか、宮内さん? よう聞きや」
「・・・わかった」
「うちも藤田君のやり方には反対やわ。宮内さんもそう思うんやろ?」
「Yes・・・」
「それやったら、佐藤君のところに行った方がええわ。佐藤君は藤田君と違って真面目やから・・・」
「でもマサシがどこにいるか分からないよ」
レミィがそう言うと、智子はいっそう小さな声で、
{すぐ近くの西音寺女学院におるで」
「え? どうして知ってるの?」
「まぁ、いろいろとな。それより宮内さんがその気なんやったら、すぐにでも佐藤君のとこ行き」
「う、うん」
「ええか? 藤田君に見つからんようにな」
「トモコはどうするの?」
「うちはまだここにおるわ。でも近いうちに寺女に行くつもりやけどな」
そう言って、智子がレミィの背中をポンと押した。
それを受けて、レミィが足早に校門に向かっていく。
「それから・・・うちの名前は絶対に誰にも言うたらあかんで。絶対に」
「分かった、約束するよ」
もちろん、ここでの会話もレミィが雅史派に寝返ったことも、浩之は知らない。

 

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