第26話 離脱者たち
(葵と琴音の離反。そして新たな戦力を手に入れた雅史。裏切り者始末の時間は刻々と迫っていた)
声に導かれるまま、葵は河原へとやってきた。
格闘技一筋だった彼女は、こうやってゆっくりと自然を眺めることをしなかった。
「きれい・・・」
夕日に照らされ黄金に輝く川面を見て、葵が思わずつぶやく。
本当にきれいだった。
汚れのない川の水はたえず流れつづけ、これまでの忌わしい出来事すら消し去ろうとしているように見えた。
「来て下さったんですね」
後ろから声をかけられ振り向くと。
そこには琴音がいた。
その目は少し怯えているようにも見える。
「昼間は・・・私の能力が及ばなくて・・・」
「そんな! 姫川さんの力がなかったら・・・私は死んでいたかもしれません」
自分を責める琴音を、葵はすぐにさえぎった。
「佐藤先輩が・・・あんな人だとは思いませんでした・・・」
葵が悔しそうに身体を震わせた。
彼女にとって雅史は、浩之と同じくらい尊敬していた人物だった。
それは琴音も同じ。
部活動にひたすらに取り組む姿に、琴音も葵も胸を打たれたハズだ。
「私もです。これ以上、あのお二人の争いに私たちが関わるのは危険です」
琴音が遠い目をして言った。
ごくありきたりの言葉なのに、葵には彼女の言葉がとても重みのあるものに思えた。
「姫川さん・・・・・・」
「なんでしょうか?」
葵は言いかけたが、すぐに口を噤んだ。
ためらっている。すぐにそう分かった琴音は、
「いいですよ、言って下さい」
できるだけやんわりと、促すように言った。
葵は言葉を選ぶように、詰まり詰まりに、
「その・・・どっちが勝つかは・・・予知能力とかで分からないんですか・・・?」
言ってから後悔した。
が、琴音はそれほど気にしていない様子で答えた。
「・・・やってみました。でも、なぜか予知ができないんです・・・」
「・・・そう・・・ですか・・・」
「今までは、ある程度のことは予知できたんですけど・・・。藤田さんと佐藤さん、お二人の争いの先に関しては
何も見えてこないんです。なんていうか・・・霧がかかってるみたいに・・・」
「・・・霧・・・?」
「ええ・・・」
2人はしばらく黙り込んでしまった。
先に口を開いたのは琴音だった。
「松原さん。ここまで来てもらっておきながら、申し訳ないのですが・・・」
「はい・・・」
「もう一度、最後に確かめておきたいんです。本当に私と・・・あなたにとっては藤田さんを裏切ることになっても
・・・いいですか・・・?」
「もちろんです。そのつもりで来たんですから」
訊くまでもなかった。
葵は完全に浩之に失望していた。
琴音は完全に雅史に失望していた。
それはお互いに分かっていたことだった。
琴音にとっても、葵にとってもこれほど心強い味方はいないだろう。
「とにかく。ここにいても、いずれ見つかると思います。できるだけ離れた方が・・・」
「そうですね。たしか川沿いに行ったところに、使われていない研究所があるハズなんですが・・・」
琴音が言っているのは、もう何年も使われていない、廃棄された来栖川の第1研究所のことだ。
川沿いに2ヶ所、あえて離れたところに建造された2つの研究所は主にHMXの初期型を研究、生産していた。
マルチが12型でセリオが13型。
当然彼女らの遠い姉に当たる存在があるわけで、それらはHMX−1から順番に進化を経て、今のメイドロボへと
発展していった。
当初のHMXは無骨で、人の形こそしていたが、女性をモデルにしていたわけではなかった。
見るからに機械の寄せ集め、そんな印象を与える外見を全く考慮しない人型。
ロボットの開発目的が、メイドロボ、そして女性型のメイドロボへと変わっていったのは、マルチの前――すなわち、HMX−12あたりからだった。
”ロボットはロボットでしかない。感情を持たせる事も大切だが、用途にあった仕様設定をすべきだ”
今は廃棄されたその研究所、開発者たちはその信念を貫き通した。
だから、時代の流れが望むもの、”人間らしさ”にこだわったロボットを、最後まで拒みつづけた。
しかしそれは、企業の理念に反していた。
メイドロボの成功に気を良くした来栖川本社は、マルチやセリオと同類のものを作れと命ずる。
多くの研究室はこれに従ったが、第1だけは強固に拒否し続けた。
第1への援助が打ち切りになったのは、間もなくのことだった。
研究チームは本社の一方的な決議によって解散。
主任をはじめとする責任者たちは、本社に不利益を与えたとして解雇。
残された所員は・・・・・・。
第4研究所とALTERにいた・・・・・・。
追いかけていた夢の断念。本社の処分は彼らに冷酷だった。
本意ではない”人間らしいロボット”の開発を命じられた彼らの日々のストレスは想像に難くない。
やがて彼らの中に、こんな意見がまとまり始める。
『来栖川から分離すべきだ』
勇気ある発言者の名は、石井和成。
驚異的なカリスマを持つ彼の元には、何もしなくても大勢の賛同者たちが集った。
本社の利潤だけを求める態度に反対する者は多かった。
「佐藤様・・・」
ステイアがとても残念そうに、雅史に向かって言った。
「裏切り者の姿はここにはありませんでした。おそらく、すでに逃亡したものと思われます」
クールに。極めて平静を装っている様子のステイアの口調には、どこか焦りを感じられた。
「あ・・・そう・・・」
一方の雅史は、寝起きが悪かった。
午後9時といえば寝るのには少し早い時間だが、寺女の戦いで彼は疲れていた。
実際闘っていたわけではないが、絶対に勝てると思っていた戦いに負けたことは、精神的なダメージが大きかった
ようである。
半分ふてくされたようにして眠っていたところを、彼女に起こされた雅史は機嫌が悪かった。
「すぐに追撃すれば、今日にも始末できますが・・・?」
「うぅ〜ん・・・あしたでいいよ、もう・・・」
布団で自分の身体を隠すようにして雅史が言った。
「了解しました。それでは翌日、追撃を開始いたします」
ステイアは自分を見ていない相手に深く頭を下げると、部屋を音をたてないようにして出て行った。
部屋を出たところで、セリオとすれ違った。
2人は一瞬、目を合わせたが、すぐにその視線をそらせてしまう。
日本製とアメリカ製は、相性が悪いようである。
ステイアは明らかにセリオを敵視していた。
ここにいる以上は仲間であり味方であるハズなのだが、彼女らにそういう考えはなかった。
もっとも、人間がそういう風に命令するなら、彼女らもそれを受け入れざるを得ないだろう。
翌日。
半分閉じかけた目で、雅史がフラフラと通路を歩いていた。
昨日、夢うつつで聞いていたステイアの言葉を思い出したからだ。
眠くはあっても、裏切り者の始末は急ぎたいらしい。
夢遊病者のような彼に、後ろから追いついたセリオが声をかけた。
「佐藤様。ステイアさんをお探しでしょうか?」
「うん? うん。昨日の晩、部屋に来たんだけど僕、追い返したみたいで・・・」
「ステイアさんでしたら・・・朝早くに出かけられました」
淡々と言うセリオ。
そういえば、彼女は雅史に会ってからまだ”おはようございます”を言っていない。
「出かけたってどこに? まさか、買い物とか・・・」
雅史はまだ少し寝ぼけていた。
「裏切り者の始末・・・と」
セリオがややためらった後に言ったが、眠気から完全に解放されていない雅史がそれに気付く事はなかった。
「ん・・・ああ、そうか・・・そうだったね・・・」
納得すると雅史は食堂に向かった。
それほど豪華な料理を期待してはいなかったが、それでも世界に名を轟かせる来栖川の研究所である。
珍味のひとつくらいは出るのではないかと、雅史は胸を躍らさせていた。
食堂に着くと同時に高城が雅史に声をかけた。
「佐藤君。君に・・・いや、君達に渡しておきたいものがあるんだ」
そう言って、高城は懐から小型の銃を取り出し、雅史とセリオに手渡す。
「垣本君や、他の君の仲間にももう渡してあるよ」
雅史が受け取った銃をもの珍しそうに――実際珍しいのだが――いろんな角度から眺める。
「護身用にね。13型が装備していたものと性能は同じだよ。あれを銃の形に作り直してもらったんだ」
男の大きな手の中にスッポリと収まりそうなほど小さい。
「いちおうスタンガンだが、その威力は素晴らしい。詳しい説明ははぶくが、高密度に圧縮されたプラズマを
発射するそうだ。その衝撃波はロボットすら吹き飛ばす。君も昨日見たとおりだよ」
銃の側面には、”Yorgg” と金色の文字で書かれていた。
「ヨーグ社のスタンガンは手によく馴染む。襲われてもすぐに対応できるよ」
「ありがとうございます」
普段、丸腰で心許なさを感じていた雅史にとって、この武器はロボットに次ぐ信頼のおける味方となった。
「それから、君にもうひとつプレゼントがあるんだ」
「何ですか?」
セリオも身を乗り出して、高城の言葉に耳を傾けた。
「寺女で失ってしまった君達の戦力・・・13型の補充だよ」
「ええ・・・?」
「実はここ、ALTERでも13型の生産をしていてね。完成次第、君に援助することになっていたんだ」
「・・・何から何までありがとうございます」
「とりあえず1000体用意してある。だが、その後の生産については未定だ。独立運動の方が忙しくてね」
”支援兵器もちゃんと搭載しているよ”と付け加えて、高城は食堂に消えた。
雅史らもその後を追う。