第31話 悪神召喚

(芹香がガープを召喚したのは、浩之に勝利をもたらすためではなかった)

 魔法陣の光が、妖しくゆらめいた。
そして直後、地の底から這い出る悪魔のため息。
ガープが姿を現した。
その姿は魔道書に描かれているとおり、ヤギの化身だった。
身長は2メートルほどだったが、これは驚くほどの巨体ではない。
「・・・・・・」
芹香がガープに聞こえない声で浩之にささやく。
”私に斬りかかってください”
もちろん、普通の状態であれば浩之は拒むだろう。
まさか彼女の口から、そんな言葉が出るハズもない。
だが、ステッキを構える芹香に、浩之は振動棒を握り踊りかかった。
振動棒に魔法をかけたのは芹香自身だ。
ならばその魔法を無力にするか、解除するかくらい彼女にできるはずだ。
それを期待しての、浩之の一撃。
もちろん芹香には当たらない。
当たる寸前、左手をかざした芹香は振動棒に対して反射魔法を唱えたのだ。
これを見たガープは、2人が”敵対する2人”であると思い込んだ。
「我を召喚せし者か?」
ガープの問いかけが、芹香と浩之の脳に直接響く。
だが、2人はその問いにいちいち答えなかった。
それが答えとなった。
突然、ガープの長い尾が伸び、浩之の首に巻きついた。
「 actum mejewy 」
ガープが人間には理解できない言葉を発した。
これは芹香にも聞き取れなかった。
浩之は芹香に向けていた振動棒を振り返し、ガープの三叉の尾に叩きつけた。
この世のものとは思えない悲鳴をあげ、ガープの尾がシュルシュルと後退していく。
「 deenti a bongo !! 」
この悪魔、実はそれほど強くないのではないか?
浩之がそう思った時、ガープの角が虹色に輝いた。
「うわぁ・・・!!」
直後、浩之の体が見えない何かに吹き飛ばされた。
そのままカベに叩きつけられる。
「痛てて・・・何て奴だ・・・」
背中をさすりながら、浩之がゆっくりと起き上がった。
その目はわずかに怯えていて。
しかし芹香の手前、そういう表情を浮かべることはできなかった。
ガープの標的が浩之から芹香に変わった。
芹香を睨みつけたガープの角が虹色に輝く。
「先輩、危ないッ!!」
だが、芹香の体は浮き上がることも、吹き飛ばされることもなかった。
「 vendee mwe yooo !! 」
神力の通じぬ相手にガープは驚きを隠せないらしい。
すっかり自信をつけた芹香が、ステッキを構える。
浩之にはそう見えた。
ガープが右腕を振り上げ、その鋭いツメで芹香を引き裂こうと飛びかかった。
その瞬間だった。
「 werenm suttm wey ! werenm suttm wey !! 」
芹香が。
あの芹香がハッキリと誰にも聞こえる声で叫んだ。
そしてなぜか、彼女の手にステッキはなく、浩之の足元に落ちていた。
その光景はまさに異様だった。
武器を何ひとつ持っていない芹香が、ガープの元にひざまずいていたのだ。
そんな芹香の様子に一瞬、ガープは躊躇したが・・・。
「 weddie shaad ku doou 」
威圧感のある何かを喋った。
それは何か問いかけのような感じがした。
芹香は浩之の方を指さしながら、
「 weenn art seaut a deen !」
そう言った。
何語かは分からないが、ハッキリと聞き取れた。
ガープが慌てて浩之の方に振り返る。
我に返った浩之は落としかけた振動棒を持ち直し、再び構えた。
鋭いツメを天高くかかげ、ガープが浩之に踊りかかった。
芹香がゆっくりと、ガープに悟られないようにドアに向かって歩き始めた。
そのしぐさはいつもの芹香そのものだった。
その間に、ガープと浩之の対決は再開された。
ガープのツメを直感でかわし続け、隙をみて振動棒を振り下ろす。
振動棒にかかっている魔力は強力で、悪神ガープの進攻をわずかながら食い止めることができた。
神と人間の戦いを尻目に、芹香は曇りひとつない小さな水晶玉を部屋の隅に置いた。
そして何やら唱え始めた。
水晶玉が淡い光を放つ。
だが戦いに集中している彼らは気付かない。
詠唱を終えた芹香は、やや不利になりつつある浩之を見て。
そして何と・・・!
ドアを開け、逃げ出してしまった。
「な・・・センパイッ!?」
振り向いて確かめようとした浩之に、ガープの尾が絡みつく。
何が起きたのか分からないという表情の浩之。
だが生への執念が、無意識のうちに振動棒を振り下ろさせていた。
「 guety bongo !! 」
やはり神にとっても尾は弱点なのだろうか。
低いうめき声をあげる。
そんな神の怯んだ姿に、浩之は安心などしなかった。
ただ、理由はどうあれ逃げ出してしまった芹香に対する強い憤りだけがあった。
ガープの瞳が、妖しく光ったような気がした。

 誰の目にも止まらぬように東鳩を抜け出す。
芹香はこのことに関しては少々のj自信があった。
隠れ蓑の類を使ったわけではない。
彼女の体内から放出されるわずかな魔力が、他人の注意をそらすことができるのだ。
その自信どおり、校門を抜け出すところまで、誰ひとりとして出会わなかった。
芹香は、彼女は誰に咎められることもなく東鳩を脱出した。
だが、今日は少しだけ違った。
たった1人、彼女の動向を窺っている者がいた。
物憂げに、しかしこの後起こるかもしれない楽しみを期待しているかのような眼差しで。
しかし、並々ならぬ力を持つ芹香でさえ、その人物に監視されていたことは気付かなかった。
自分が何者かの視界に入っていることなど露知らず、芹香はまっすぐに来栖川邸を目指した。
ほとんど彼女の意思ではなかった。
全ては占いの結果であり、彼女が唯一己の意思を反映したとすれば、それは行くか行くまいかの決断だけだった。
そして芹香は決断した。
浩之への怒りの念を抱きながら・・・。
それは極めて当然の、人間らしい感情であった。
ふと、芹香が懐から手鏡を取り出し、覗き見た。
本来なら見た者の姿を映し出すハズのこの鏡には、芹香とは別のものが映っていた。
狭い部屋の中で、ひとりの男とヤギの顔をした何者かが戦っていた。
男は金属製の棒を振るい、何者かは鋭いツメと長い尾を振り乱して応戦する。
戦況は・・・浩之がやや有利に転じ始めていた。
生身の人間がたった1本の棒を片手に、この世のものとは思えぬ異形の怪物と格闘する。
ヤギの化身・・・ガープは左腕を切り落とされていた。
芹香の魔法が強すぎたらしい。
舌打ちこそしなかったが、芹香は唇の端をキュッと噛んだ。
ガープは明らかにうろたえていた。
つまりは浩之の活躍如何では、ガープを闇に屠ることも可能だということ。
当然だ。
芹香は人選・・・悪魔選を間違ったと後悔した。
彼女が呼び出した悪魔は、彼女が言ったような、”かつてロンドンを支配した王”などではない。
あの悪魔は下等で、病気で弱った人間の魂を喰らうことしかできない、実につまらない悪鬼だった。
ガープの上にはラダ・エム・アンクという悪魔の司祭長がおり、その上にはカーミラという美女の姿をした悪魔の
姫がおり、その更に上にはバルテロメア・ディアスというかつてロンドンを統べた悪魔王がおり・・・・・・。
ガープは使い魔にすぎなかった。
そこそこ魔法に精通した能力者なら、ガープに勝つことは十分にありえる。
芹香は召喚を解除する用意をした。
もしこのまま、ガープが押され浩之が勝ってしまうようなら、即座に召喚を解除してガープを元通り、闇の世界へ
送り帰そうと思っていた。
ガープが倒されてしまったら・・・古の契約によって浩之にガープの力が渡ってしまうことになる。
といってガープの力そのものはどうということはない。
問題はそのガープが所有している軍隊だ。
下等とは言っても、ガープの下にもまだまだ低級な悪魔は大勢いる。
それを従えているのだ。
個々の力は微量でも、暗黒の大地から送り込まれる無数の大軍相手では、さすがに芹香の魔法では対応する
ことはできない。
知能の低いガープが、浩之の体に再度その尾を巻きつけようとする。
振動棒が叩きつけられた。
尾がムラサキ色の光を放って消滅する。
危険だ・・・・・・。
このままでは浩之が勝ち、ガープの力とその配下の軍隊を手にしてしまう。
芹香が宙に指で印を書いた。
その軌跡が淡く光り、その光が帯状に分裂し、東鳩の・・・オカルト研究所に向かって光速で飛んだ。
手鏡を見る。
光がガープを包み込み、その姿ごと消滅するところが映っていた。
「・・・」
ふぅ、と小さくため息をつくと、芹香はわずかに歩く速度を速めた。
そして作戦の失敗を憂えた。
・・・・・・。
芹香は始めから浩之を殺すつもりだった。
”始め”というのは、葵が自分の元に、浩之派を離れるという話をした時のことだ。
『私はこの争いに加わるつもりもありませんし、誰かが傷つくのを見るのもイヤです』
葵は芹香にそう言った。
葵は芹香を責めなかった。
本当に悪いのは、この争いを続けようとする浩之であると、そう言っていた。
『ですけど、私は別に藤田先輩を恨んでいるわけではありません』
その言葉が、芹香の心を強く動かした。
こんな健気で可愛い後輩をも巻き込んでしまった。
芹香の悔恨は次第に浩之への怒りへ変わっていく。
最後は笑顔で部室を去っていった葵。
それを思い出すたび、芹香の胸は痛んだ。
元凶である浩之を殺す事を思いついたのは、間もなくのことだった。
彼女の計画では、浩之は悪魔に殺されるハズだった。
周りには召喚術に失敗したと弁明しておけばよい。
芹香が魔術にハマッていることは周知の事実であったから、これを怪しむ者は誰もいない。
プランとしては完璧だった。
だが・・・・・・。
その完璧なプランを瓦解させたのは、他ならぬ芹香だった。
召喚すべき悪魔を誤ってしまったのだ。
もし、悪魔が見境いなく芹香を襲うようだったら、抵抗できる程度の悪魔を・・・という理由からガープに白羽の矢が
立ったわけだが・・・。
ハッキリ言って、ガープは脆弱すぎた。
芹香どころか、浩之にすら敗れ去るところだったのだ。
手鏡を懐にしまいこみ、芹香は歩き続ける。
来栖川邸はすぐそこだ・・・。

 

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