第32話 穏やかな時間

(綾香が戻ってきた。垣本は胸に秘めた想いを、今こそ彼女にぶつける決意をする)

「たっだいま〜」
場の雰囲気とは正反対に、底抜けに明るい声がALTERに響き渡った。
綾香が戻ってきたのだ。
ここが来栖川邸なら、ズラリと並ぶ侍女やらメイドやらに迎えられて、一国のお嬢様気取りで花道をひとり、悠然と
歩くのだが。
ALTERは正門前のカメラが綾香であることを識別すると、門を開き迎え入れただけだった。
連絡は事前に雅史から受けている。
綾香はセリオか雅史が一番に出迎えてくれるかと思っていた。
だが、実際には。
「おかえり」
たった一言だけ。
とても照れくさそうにそれだけ言った。
「垣本君、久しぶりっ! 元気してた?」
綾香が目を潤ませて言った。
「久しぶりったって、1日しか経ってねえぜ?」
「ふふ、そうね・・・」
そうは言ったものの、垣本の綾香を見る目は、久しぶりを通り越して懐かしさを感じさせる輝きを秘めていた。
「どしたの? 私の顔に何かついてる?」
決まり文句だった。
「いや・・・見惚れてただけだよ・・・」
しまった、と垣本は思った。
ついつい口が滑ったということだ。
「ふふ。柿本君って面白いね」
「そ、そうか?」
言葉につまる。
なぜだ。なぜ自分はこんなにドキドキしているのだ?
自問したが、彼に答えは出ない。
いや、出そうとしなかった。
「あ、そうだ。セリオのところに行ってくるわね」
「ん? あ、ああ・・・」
手を振って施設の奥へと消える綾香を見ながら、垣本の胸をなにか熱いものが駆け巡った。
「綾香お嬢様。ご無事で・・・」
「そういう固い挨拶はいらないのよ」
綾香は屈託なく笑った。
「それより大変だったらしいわね。浩之たちが来たとか」
「はい。私たちが有利に戦っていたのですが、突如、彼らに援軍が到着してしまい敗走せざるを得ませんでした」
そう言いながら、セリオがポケットをガソゴソやっている。
手に触れた物を取り出そうとした時、
「あ、来栖川さん。よかった、無事だったんだね」
食堂で軽食を摂った雅史が出てきた。
無事なことは見れば分かるが、とにかく雅史は綾香の到着にひと安心した様子だった。
「うん。心配してくれてありがと。でも私を倒せる人なんて、そうはいないわよ?」
綾香がガッツポーズを取った。
雅史がはにかんだように笑う。
セリオは手にしたそれを、慌ててポケットの奥に戻した。
「だけど心配なものは心配だよ。僕たちだって命からがら逃げて来たようなものだからね。浩之にとってみれば、
来栖川さんは大敵なんだ。だから油断しちゃダメだよ?」
諭すように言った後、雅史は、
「あ、そういえば高城さんに呼ばれてるんだった」
「高城さん? ここにいるの?」
「うん、責任者みたいな感じだったけど・・・。知ってるの?」
綾香は遠い目をして言った。
「ええ、よく知ってるわ。ロボット部門の権威だから」
「そうなの?」
「今、出回ってるロボットの半分は彼によるものらしいわよ。もっとも、高城さんが有名になったのは、それだけが
理由じゃないらしいけど」
「何か他に理由が?」
「高城さんのおかげでロボットたちは高性能になっていくし、社会の受けもいいし。だけど、上の偉い人たちは、
彼のことを叛乱分子だなんて言ってるわ」
「ええ、どうして? 普通は出世とか賞与とか厚遇されるハズなんじゃ・・・」
「普通はね。でも彼は違ったの。どうしてかは分からないけど・・・」
「ふうん・・・。なんだか複雑な事情がありそうだね。僕はそろそろ行くよ」
「ええ」
雅史は早足ぎみに、高城の部屋へ向かった。
その後ろ姿が見えなくなったのを確認してからセリオが言いかけた。
「お嬢様・・・」
「あ、ゴメン。用事なら後にしてくれない? 私、ちょっと挨拶してくるから」
「・・・はい、わかりました」
残念そうに、セリオが頷いた。
彼女の右手には、小さく折りたたまれた紙が握られていた。

「おう、佐藤君。待っていたよ」
右手をあげて雅史に声をかける高城。
「遅くなってすみません」
「気にすることはないさ。私だって時間を指定したわけじゃないからな」
そう言って大げさに笑う。
雅史への接し方がかなり砕けてきた感じだった。
「さて、さっそく本題に入らせてもらうが・・・」
突然、高城の声が小さくなった。
「いよいよ独立活動が始まったんだ」
「ええ? もうですか?」
「ああ。こういうことは早いほうがいい」
「それで、具体的にはいつなんですか?」
「正確な日時は決まっていないが、もう間もなく、というところだ。もう、準備段階は終わっているから、後は、
協力企業がどれだけ来栖川の株式を購入するかだ」
「そうしないとお金が貯まりませんからね」
「そういうことだ。優先株式だけを購入させるように言えば、渋っている企業も少しは出資してくれるだろう」
計画が順調に進んでいるということで、2人の表情が自然とほころんでくる。
「技術組合とインターナショナル銀行グループは、すでに支援体制を整えてくれたみたいだ」
「どっちも有名なところですよね」
雅史は有名だ、ということくらいしか知らない。
新聞は読んでいても経済面はあまり見ないほうだった。
「それだけじゃないぞ。アニマード・ケミカル社とサイバープロテック社も協力してくれるようになったんだ」
横文字の固有名詞に、雅史の頭は混乱しはじめた。
「つ、つまり協力してくれる人が増えたってことですよね?」
「そうだ。彼らの支援があれば、独立の日も近いよ」
高城がひとつ深呼吸したところで、部屋の電話が鳴った。
「はいはい、今でますよ」
相手に聞こえていないというのに、高城は陽気に受話器を取った。
「はい、高城ですが・・・」
部屋の電話が鳴ったということは、相手は直接、高城に電話をかけていることになる。
「はい・・・はい。・・・・・・いえ、そのようなことは・・・・・・。はい・・・分かりました」
それまで陽気だった高城の口調が、厳しいものに変わった。
「・・・ええ、全て仰せのとおり進めてまいりました・・・。はい・・・間もなくです・・・。それでは失礼します・・・」
なにやら神妙な面持ちで高城が受話器を静かに置いた。
「誰からですか?」
雅史の問いに、高城はしばらく答えなかった。
「第4の石井からだったよ。いや・・・今は石井様と呼ぶべきだな」
「は・・・・・・?」
「いや、なんでもない・・・」
なんでもないようには思えない表情で、高城はイスに座り込んだ。
何となく居づらくなって、雅史も黙って部屋を出て行ってしまった。

 本来は禁止されているのだが、綾香は施設の屋上に登ってみた。
何度もあれこれ言いたがるセリオから逃げ出してのことだった。
頭上に広がる青空を眺めていると、地上での戦いを忘れそうになる。
ふと、綾香が屋上に先客を見つけた。
だらしない恰好で寝そべっているのは垣本だった。
それを見て何かを思いついた綾香は、そ〜っと音を立てないように近づいた。
そして手を伸ばす。
「イタズラでもしようってんだろ?」
「ば、ばれた・・・?」
その手を慌てて引っ込める綾香。
眠っていたと思っていた垣本は、すっと起き上がった。
その動作から、全く寝ていなかったことを理解する綾香。
「いい天気だな」
「・・・そうね」
「なんか・・・・・・何もかも忘れてしまいそうだな」
2人で空を見上げて、他愛もない会話を繰り返す。
それが垣本にとってどれほど幸せなことだっただろうか。
一方で綾香は、今の垣本の言ったことが自分が思っていることと同じだったことに、新鮮さを覚えていた。
男子というものは、もっと粗野でガサツでいい加減なものだと思っていた。
自分の心と視野の狭さを悔いた瞬間でもあった。
「俺さ・・・」
不意に垣本が言った。
「え?」
「・・・いや、なんでもない・・・」
垣本は視線を綾香に向けようとして・・・慌ててその視線を空に戻した。
「気になるじゃない、言いかけたんだから・・・」
だが、垣本に続きを話す気がないと分かると、綾香もそれ以上訊くことはしなかった。
「これから・・・どうなるのかな?」
来栖川家のご令嬢ともあろう綾香が、屋上の床に寝そべりながら言った。
「さあ・・・な・・・。俺には分からねえよ・・・だけど・・・」
「だけど?」
「最初はさ、ちょっとした小競り合いみたいなものだったから、すぐに勝負がつくと思ってたんだ。学校の中での
ちょっと大きなケンカ。それぐらいだったんだよ」
「・・・・・・」
「だけど、そうじゃなかった。石動が殺されて、校長まで殺されて・・・。おまけに何百っていうロボットまでが戦いに
参加しはじめた・・・」
「ええ・・・」
「そこで初めて気がついたんだ。これはもう、俺たちがどうにかできる問題じゃない、ってな」
垣本が伸びをして続ける。
「よく考えりゃ、俺って・・・あんたもだけど、普通の高校生なんだよな。普通の高校生だったら、こんなことに
巻き込まれるのはオカシイことだよな」
「・・・あなたのいうことは分かるし、正しいと思う。だけど・・・」
「・・・?」
「今、目の前で起こっていることから目をそらしちゃダメよ。考えたって、現実は変わるわけじゃないわ。変えるのは
私たちの行動なのよ」
真剣な面持ちだった綾香は、そこで自嘲気味に笑った。
「なんて、エラそうなこと言える立場じゃないけどね」
白い大きな雲が、2人の上を通り過ぎていった。
「やっぱり、あんたの考え方は違うよな」
「えっ?」
「大人だってことさ」
「あはは、何それ?」
「・・・好きなんだよ」
「・・・・・・!」
それまで笑い飛ばしていた綾香が、驚愕の表情で垣本を見つめる。
「さっき言いかけたこと・・・。俺さ・・・あんたが好きなんだよ・・・」
愛の告白はじつに素っ気なく、単調だった。
想いを伝えるという垣本の行為は、恥ずかしさを隠すためか綾香を全く見ずに行なわれた。
「おかしいよな。顔合わせてから、たぶん1ヶ月くらいしか経ってないだろうけど。なのにさ、俺・・・気がついたら、
あんたのことばかり考えてるんだよ・・・」
「・・・・・・」
「あの子のタイプはどんな奴なんだろうとか、俺じゃダメかなとか。不謹慎だよな。今はそういう状況じゃないって
いうのに・・・。だけど俺・・・あんたの事が気になってしかたがねえんだよ」
「・・・・・・」
綾香は何も答えなかった。
いや、答えることができなかった。
それは自分が傷つきたくなかったからかも知れないし、垣本を傷つけたくなかったからかも知れない。
「あんたがいなくなった時、俺、すごい不安だったんだ。もしかしたら、もうこのまま帰ってこないかもしれない。
帰ってこなかったらどうしようって・・・。でも、あんたの顔見たら、そんな不安も飛んでいっちまったよ」
垣本の一言一言が、綾香の心の奥底に重く響く。
沈黙の後、綾香はようやく口を開いた。
「柿本君の気持ち・・・すごく嬉しいよ・・・。冗談とかそんなのじゃなくて・・・真剣にそう思ってくれてるから・・・・・・」
いつもの綾香らしくない、歯切れの悪い口調。
「私だって、応えたい・・・応えてあげたい、けど・・・・・・」
綾香の言葉がそこで途切れた。
次の言葉を躊躇っている。垣本にはそれが分かったし、ということは綾香の答えも分かったということだ。
垣本はただ静かに待った。
彼は、彼女の口から直接その答えを聞きたかった。
たとえ、それが彼の望まぬ結果であっても。
「・・・・・・私たちは立場が違うわ・・・・・・。つり合わないなんて言うわけじゃないの・・・・・・だけど・・・」
「・・・・・・」
「私は来栖川財閥の娘・・・。あなたとお付き合いすることになったら・・・お父様は許してくれないわ・・・」
「そう・・・だよな・・・当たり前のことだよな」
垣本は少し笑ってしまった。
こうなることは分かっていたのに。返されるべき答えは分かっていたのに。
わずかな希望を抱いて、彼はぽつりと言った。
「許してもらう必要なんて・・・あるのか・・・」
「え・・・?」
予期していなかった言葉に、綾香の言葉が詰まる。
「でも・・・柿本君にとっても重荷になるわ。私と一緒にいるっていうだけで・・・」
「そんなこと関係ねえよ・・・。気持ちが大事なんだ。誰にも邪魔される言われはないんだ・・・・・・」
「あなたのことを嗅ぎまわる連中がいるかもしれない。うちの部下が何人もあなたにつきまとうかもしれないわ。
垣本君は・・・あなたは普通でいられなくなるのよ・・・」
綾香の目に涙が浮かんでいるのを彼は見逃さなかった。
「あんたとなら・・・それだって構わねえさ・・・」
「よく考えて! 普通でいられないことがどれほど辛いか・・・!」
「・・・・・・」
彼は考え、想像した。
綾香の言う普通ではないことを。
来栖川を相手にするということは、常に何かに束縛されるということだ。
一線を引かねばならない、大企業の娘。
それが綾香だった。
それは誰かの意思で起こる事ではない。
立場という条件がそれらを必然にしてしまっているのだ。
見透かしたように綾香が言った。
「私には・・・来栖川の名を捨てることはできないわ・・・」
泣きそうな声で言う綾香を見て、垣本は恥じた。
そして自分を呪った。
自分の軽率さを恨んだ。
彼女にこんなことを言わせてしまうなんて・・・。
彼女にこんな辛い思いをさせてしまうなんて・・・。
垣本の気持ちを十分すぎるほど知って、その上での彼女の応え。
綾香はどれほどか辛かったに違いない。
自分を想ってくれる人へ感謝の気持ちをろくに伝えられないまま、その気持ちを無碍に踏み躙ってしまうのだから。
「2人だけの秘密にすればいいさ・・・。誰にも悟られないように・・・」
「偽りを生きるって言うの? だめよ・・・隔し通せるわけがないわ・・・・・・」
「・・・・・・」
「あなたには・・・そんな生活が・・・?」
「いや・・・。できそうにないな・・・。あんたの言うとおりだ」
そう言って垣本は、綾香の体を強引に抱き寄せ、そして・・・・・・。
キスをした。
たった一度だけの深く清い口づけ。
互いの想いは伝わってはいるが、許されることのない相愛の証。
刹那とも永遠とも思える時間が流れた。
垣本はゆっくりとキスを解いた。
「俺が悪かったよ・・・軽率だった。あんたの事もよく考えるべきだったのに・・・」
垣本は今度は、しっかりと綾香の目を見て言った。
「ううん・・・嬉しかったよ・・・あなたが言ってくれたこと・・・・・・」
うっとりした表情で垣本を見つめる綾香。
垣本はこの時はじめて、綾香が自分の事を”あなた”と言っていることに気付いた。
つまり、それだけ心に余裕が生じたということである。
「俺、先に戻ってるよ。あんたもそこそこにして降りた方がいいぜ。風邪ひくかもしれねえからな」
言いながら、垣本はすでに階段を降りかけていた。
「あら? 私は平気よ。だって鍛えてるもの」
「でも免疫までは鍛えられねえぜ?」
「・・・ふふ、そうね・・・」
これでいい。これでいいのだ。
垣本は本心から思った。
こうやって何気ない会話を交わしているのが一番楽しいのだと。
恋愛という厄介な感情を持ち込んではいけないのだと。
たとえ、それが自分の欲求を抑えつけるものであったとしても・・・・・・。

 

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