第35話 失われた魔力

(不必要に力を振るった芹香は、かつての魔力を失いつつあった)

 その女性には類まれな力があった。
超常的で理解しがたい力。
科学では解明できない、透明な力。
来栖川邸に忍び込むようにして戻ってきた芹香は、誰にも見られずに自室に閉じこもった。
あの声が聞こえる。

  お前の奢りがお前を滅ぼした

しわがれたような老人の声だった。
一体なんだというのだ。

  アルテリオスがお前を滅したのだ

また声がした。
脳に直接響いてくるので、耳を覆ってもムダだった。
いったい何だというのだ。
芹香は生まれて初めて、うっとうしいと思った。
彼らの力を借りて神の力を得た事には感謝するが、だからと言って必要以上に声を飛ばしてきたり、説教とも
脅しともとれるような警告を発せられるいわれはない。
ふと、芹香が思い立ったようにふちが銀色で彩られたキャビネットを開けた。
そして中からタロットカードを取り出した。
78枚のカードの中から、”絵と番号と名前が書かれた22枚”だけを抜き取り、残りは箱にしまった。
芹香はそれらを裏向けにテーブルに広げ、左回りにシャッフルした。
適当なところでバラバラになったカードを集め。手の中に収めていく。
目を閉じ、再び開いたと同時に、彼女は手にしたカードを上から順番に裏向けたままテーブルに配置していく。
縦に7枚、上から3枚目のカードの両側に2枚ずつ、計11のカードを並べた。
配置されたカードはちょうど、十字架の形をしている。
最も初歩的な占い方、マジッククロスだ。
芹香はまず、中央(十字の交差したところ)のカードを横向きに開いた。
9 隠者(The Hermit)”の逆位置だった。
意味は、薄い知恵・慎重さに欠ける・無秩序に力をひけらかす。
この中央のカードは”現在”を表している。
芹香にはまさにピッタリと当てはまっていたが、彼女はそれを認めたくはないようだった。
続いて芹香は、その中央の左2枚を、同じように横向きに開いた。
この2枚は過去を示す。
5 司祭長(The Hierophant)”の正位置と”11 力(Strength)”の逆位置だった。
”司祭長”の正位置は宗教的な出来事があったことを示し、”力”は力の乱用を意味する。
芹香はふっとため息をつくと、反対や障害を示す右側の2枚を、今度は縦に開いた。
これで方向は全く逆に開かれることになる。
表れたのは、”10 運命の輪(Wheel Of Fotune)”の逆位置と、”0 愚者(The Fool)”の正位置だった。
運命の輪の逆位置は転機の後の不幸を意味し、愚者の正位置は愚行を示す。
つまり芹香の未来を妨げるものは、避けられない愚行による不幸なのである。
続きを占うのが躊躇われたが、芹香は上の2枚を横に開いた。
ここには希望や期待に関する事が示される。
17 星(The Star)”の正位置に、”20 審判(The Judgement)”の逆位置だった。
星の正位置は優れた肉体や健康な肉体を示し、審判の逆位置は不安定を表す。
これは芹香がより優れた力を求めているが、それは不安定に終わることを暗示している。
もはや彼女には、最後の4枚を見る気が完全に失せていた。
見なくても大体、見当はつく。
どのカードがどちらの位置で表れるのか。
芹香がカードを表にするとき、縦と横にめくる時がある。
これによって正位置、逆位置が変わり、結果、意味はほとんどが正反対を示す。
縦か横か。
芹香は迷いながら、慎重にめくった。
結果が変わるとて、それこそが占いの結果である。
最終的に表れたカードが占いの結果なのだ。
最後の4枚、すなわち中央より下部には、未来を示すカードが置かれている。
15 悪魔(The Devil)”の正位置”、”16 塔(The Tower)”の正位置、”12 吊し人(The Hangedman)”の逆位置”、21 世界(The World)”の逆位置だった。
彼女がほぼ予想したとおりだった。
”死神”の正位置が出なかっただけでもマシというものだろうが、それにしてもこれは酷すぎる。
芹香は目を閉じた。
さっきから聞こえていたあの声に集中するためだ。

  古の契約にもとづきアルテリオスはお前を滅した

その言葉の意味がずっと理解できないでいたが、彼女はようやくその意味を飲み込んだ。
これは身の破滅を言っているのではないし、死期が迫っていることを言っているのでもない。
芹香から魔の気が消失したことを言っているのだ。
それはさっきのマジッククロスの結果から想像がつく。
芹香はさっきの占いで、自分の魔力の今後について占った。
テーブル上でシャッフルする時、芹香は魔力の更なる増加を願っていた。
そしてカードを開く時、彼女はその増幅されら魔力が揺るぎ無いものになるよう願っていた。
だが、甘かった。
ドルイドの言う、アルテリオスは日本にいる芹香という女性の魔力を奪った。
彼らの言う事がまだ信じられない芹香はマントを羽織り、部屋の中央に立った。
少し前に行なった召喚をしようというのだ。
彼女が呼び出そうとしているのはハエの悪魔・ベールゼブブだ。
この悪魔は契約さえかわせば、透視や読心などの超能力を人間に与えてくれる。
ただし契約期間は20年。ちょうど20年後の同じ時間にベールゼブブは表れ、契約した人間の魂を暗黒の世に
ひきずりこむ。
だが、芹香が何度詠唱しようとも、何度精神を集中させても、室内には何の変化も起こらなかった。
そこでようやく理解した。
自分の魔力が消滅してしまっていることに。

 中世のヨーロッパにはさまざまな伝説がある。
伝説として後世に語り継がれるためにはいくつかの条件が必要だが、なかでも必要不可欠な要素はやはり、
”常識を逸した事象”であろう。
これまでの常識では考えられない、科学で説明できない出来事が起こったとき、人はそれを伝説としてその地方
独自の文化として語り継いでいく。
しかもそれが人間が引き起こした出来事となると、奇跡だとか神だとか言って、必要以上に奉る。

 昔、中世のロンドンに若い男がいた。
身なりはパッとしないので、貴族ではないことは明らかだった。
彼は住居を持たず、結婚もせず、各地を歩きまわった。
彼がそうする以前、ロンドンの周辺では深刻な問題が起きていた。
気象の乱れが、慢性的な水不足を引き起こしていたのだ。
当時の彼らには温暖化やエルニーニョ現象などの概念は存在せず、世の天変地異はすべて神か精霊かの
仕業であると考えられていた。
男は水不足に悩む地域に赴き、なにか呪い(まじない)のようなことをやった。
するとその地方は決まって、水不足から解放されるのだった。
男はその土地を適当に歩き、水脈をみつけ、これに何か力を加える。
数日のうちに地面からは清水が湧き出し、土壌を豊かにし、人々に活気を与えた。
これが一度だけなら、単なる偶然と片付けられよう。
だが、彼が行く所は必ず水が不足しており、彼が帰る頃には水源が確保されている状態だった。
人は彼を救世主と言い、彼はそれほど大した事はしていないと謙虚に振る舞った。
男のこの人間性が人々の羨望をさらに煽り、ついには彼に自分の娘を差し出す者まで出始めた。
自分にはもったいないと彼は断わり、その後も水に悩む小さな村にでかけては、人々のライフラインを作り上げて
いくのだった。
彼はいつしか”宝水王”と呼ばれるようになり、彼もそれを受け入れた。
この男の名はヴェルティストラトス。
後にこの名は一部の隠者たちに崇められることとなる。
その後も彼は様々な地で水源を生み出し、そこに住む人々に安住を約束した。
当時の作家、アスタロス・アシモフは彼の事をこう綴っている。
『宝水王がその聖なる右腕を天高く掲げると、灼熱の空に一筋の雨雲が出現した。
続いて聖なる左腕を地に向けると、干ばつの大地に水気(すいき)が甦ってきた。
雨雲が恵みの水を降らせると、大地の一部が沈み、受け皿となった。
大地の受け皿が一杯になると地が裂け、無数の川を作り出した。
水はその神聖なる導きに沿って流れ、村とその周辺を囲んだ。
人々は宝水王の所業に服し、これを称え神とした』
 その頃、気象が乱れはじめて間もなく、”水産業(みずさんぎょう)”という新たな産業が誕生した。
彼らは東洋あたりからかき集めた水を、その水に悩む人々や地域に高値で売りつけていた。
タチの悪い事にその水は山脈から採取したたしかな清水であり、品質については文句のつけようがなかった。
そんな水産業にとって宝水王は邪魔者以外の何でもなかった。
それまでどんなに値をつりあげても必ず買い手がついていた水が、宝水王の登場によって断われることが
多くなったのである。
いまだ水不足に悩む地域も、”いつかは宝水王が来て下さる”といった具合で水産業を弱みにつけこむ悪徳業者
として敵視するようになった。
弱みを握れない悪徳業者は存続できない。
水産業のトップたちが密かに集まり、宝水王を亡き者にしようという計画が持ち上がった。
ある日。
水産業に雇われた暗殺者たちは、谷底を歩く宝水王を襲撃しようとした。
ある者は岩陰に隠れ、ある者は彼の背後から襲おうとした。
しかしそれを察知した宝水王は、その不思議な力を使って谷底に眠る水をわき立たせた。
水は勢いよく谷底を流れ、暴れ狂い、暗殺者たちをひとり残らず飲み込んだ。
宝水王はその水流の中央にいたにも関わらず、彼の衣服はわずかにも濡れていなかった。
暗殺者たちは水に流され、行き止まりの岩壁に激突して死亡した。
後にも先にも、宝水王が人を殺したのはこの時だけである。
 その後、彼は消息を絶った。
まだまだ水に悩む小さな町や村はあったがそれ以降、宝水王が現れることはなかった。
以前に彼に助けられ水源に余裕のある近隣の町村が、彼に代わって救済活動をおこなった。
彼は現れなかった。
人々は水産業が彼を殺したのだと言って、大規模な戦争が起きた。
民衆の武力行使に水産業は解体し、一応の決着はついた。
 宝水王はある地方の山奥にいた。
全ての人に幸せを与えようとして水を動かした彼は、同じ人間の中に自分を恨んでいる者がいることを知り、
人間の世界に失望したのである。
彼はくる日もくる日も瞑想し、悟りを開こうとした。
男はみるみる内にやせ衰えていった。
頬骨が不気味に突き出し、かわりに瞳は落ち窪み、背は曲がり、手足はか細くなっていった。
そして、彼はついに答えをだした。
瞑想をやめた宝水王は、近くの宝水王伝説の伝承者たちを山奥に誘い込み、宗教を興した。
これが今のドルイド教である。
彼は”宝水王”という名を捨て、ヴェルティストラトス教祖となってドルイド教に君臨した。
信者はのべ50名。
施設は山奥部に小さな神殿があるのみである。
当時のドルイド教はカルトだった。
外界との一切の接触を忌み、森や山などの自然と一体となることで超常的なエネルギーを得、人間としての力を
高めることが教祖の信念であり、ドルイド教の教義でもあった。
信者は一心にこの教義にもとづいて自然と一体になるための修行を続けた。
つむじ風を起こす程度のことができる信者が現れたが、教祖のように雨を降らせたり水脈を甦らせたりといった
大きな力を得る事はできなかった。
 やがて、教祖の死期が迫ってきた。
長くそのパワーを使い続けてきたことが原因だった。
その頃には200人にまで増えていた信者たちに看取られ、教祖・ヴェルティストラトスは逝去した。
ドルイド教の教義では、死者は自然に還るという考え方があったため、信者たちは彼の死を嘆き悲しむことはなく
むしろ理想の天地へ旅立ったことを祝福した。
彼が崩御したあと、意志を継いでカドモスが新教祖となった。
これは彼が信者の中で最も強い力を持っていたからである。
彼は教祖として君臨した際、ヴェルティストラトスの信念とは違った考え方でドルイド教を発展させた。
まず、前教祖が忌み嫌っていた外界の接触を解禁とし、ドルイド教は外から学ぶ前進的な教義をうちたてた。
次いで彼は悪魔との契約を奨励した。
カドモスはヴェルティストラトスに迫るほどの力を手にすることができたが、そこに至るまでの修行があまりにも
長すぎると考えていた。
悪魔と契約を交わせば期限つきで、それ以上の能力を得る事ができる。
彼は安易な道に走る事を奨励した。
カルトではなくなったものの、信者たちは教祖の作った教義に忠実に従い、それぞれが悪魔との契約によって
暗黒のパワーを手に入れた。
カドモスは、ネルガルやラーフ、ロキといった悪魔たちと契った。
これが現在のドルイド教にもっとも近いスタイルである。
 悪魔との契約によって能力を得た信者たちには、信仰という概念はなくなっていた。
カドモスの死後、新たな教祖を選出する際、よりランクの高い悪魔と契約を果たした者が教祖になった。
いまやドルイド教は自然との調和よりも、悪魔との契約が一般的になっていた。
 カドモスが即位してから20年後。
ドルイド教に滅びの危機が迫っていた。
悪魔との契約期限である。
大抵、悪魔との契約期間は20年である。
契った日からちょうど20年と1日が経つと、悪魔は約束を果たそうと信者の前に現れ魂を奪う。
ほぼ同時期に悪魔との契約を果たした信者たちは、次々と魂を奪われていった。
カドモスの死もこの契約によるものである。
最終的に残った信者はわずかに10名であった。
残った10名は外に信者を求め、ドルイド教徒として教義を教え込んだが、悪魔との契約についてだけは伏せた。
これがドルイド教の存続を確固たるものにする唯一の方法だった。
教義の全てを教えられなかった新信者たちは、ドルイド教の存在意義を知るべく、教典を見つけ出した。
そしてそれに書かれている悪魔との契約が真の教義であることを知った信者たちは、沸きあがる好奇心から
逃れる事ができず、契約を果たす。
そして20年後には教義の一部を伏せて信者を捜す。
これが何年も何十年も繰り返されてきた。
そして現在。
この風習は今でも変わってはいない。

 

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ネルガル

 シュメール神話の冥界神でもともとは天界に住む戦争と病気の神であった。
かつて天界に住んでいたとき、冥界の女王・エレキシュキガルが送った使者に敬意を表さなかったネルガルは、
冥界に呼びつけられた。
彼は父神・エアから14体の護衛をもらい冥界に降りた。
 エレキシュキガルの前に出たネルガルは、すばやく彼女を襲い短剣で殺そうとした。しかし彼女が、妻となり
冥界の主権を渡す約束をしたので、その命を助けた。

ラーフ

 霊薬アムリタを飲み、首だけが不死になった魔族。日食や月食を起こすといわれる。
神々が混沌の乳海を攪拌して得た不死の霊薬アムリタを飲んでいると、ラーフというアスラが、神のフリをして
これに紛れ込んだ。彼はアムリタを飲もうとするところを、太陽と月に正体を見抜かれる。
ヴィシュヌという神はすぐに彼の首を刎ねたが、すでにアムリタの回っていた首から上だけは不死を得た。
ラーフはこの時の恨みで、太陽と月を追うと言われている。

ロキ

 北欧神話に登場する、ずる賢い悪神。フェンリル狼、ミズガルズ蛇、冥界の女王・ヘルという恐ろしい子を持つ。
ロキは神々の敵である巨人を両親とするが、主神・オーディンと義兄弟の契りを交わし、神々の一員となった。
 彼は何度も神々の間に問題を起こすが、自ら責任をとらされ解決することも多かった。
数々の悪行の果てに、彼は洞窟に捕縛された。しかし世界は終わり、ラグナロクの日には、彼はこの縛めから
解き放たれ、神々と戦うとされる。

 

悪魔全書より引用