第36話 逃亡成功

(ステイアの追撃をかわし廃棄施設にたどり着いた琴音と葵。しかしそこには・・・・・・)

「本当にありがとうございました」
宮内さんのお父さんに荷物を運んでもらって、私は何度も頭を下げた。
ずっと怒っているような感じだったけど、まだ気を失っている松原さんを運んでくれたのを見て、この人が本当は
私たちの事を心配してくれているのだと分かった。
「気ニスルナ。ダガ、私タチハコレ以上ハカカワラナイ」
見捨てるように宮内さんのお父さんが言った。
「コトネ、本当に大丈夫なの?」
「はい。いろいろとありがとうございました」
「私たちと一緒に逃げようヨ?」
「ダメです。向こうはまだ諦めてはいないハズです。私と一緒にいたら、皆さんまで巻き込まれてしまいます」
そう言いながら、自分の言葉に矛盾があることは分かっていた。
私は松原さんを巻き込んでしまっている。
その上、自分の不注意から松原さんを危険な目に遭わせてしまった。
だから自分の言っていることが腹立たしく思える。
「コトネがそう言うなら仕方ないネ」
「すみません。勝手なことばかり言って・・・」
「いいよ。それより気をつけてネ」
そう言って、宮内さんたちは周囲を警戒しながら研究所を出て行った。
研究所は私たちが前にいた所とそれほど変わらない。
廃棄されたハズなのに、汚れている感じはしない。
松原さんはベッドの上だからいいとして、先に場所を確保しておこうと思った。
さっきはうまく振り切れたから良かったものの、もしあのロボットがここにいることを突き止めたら、きっと襲って
くるに違いない。
本当は松原さんの容体が気になるけど、逃げ道を知っておくほうが先だと思った。
この研究所はロボットを生産するためでなく、研究・開発するための施設らしく、それほど大きくはない。
ただ、中はすこし入り組んでいて、やたらと長い通路があったりする。
通路は広いけど、いくつかある部屋は狭い。
大体見て回ったところで、そろそろ引き返そうと思った時。
ガタン! という音が響いた。
「誰ですかっ!?」
反射的に振り返った。
誰もいない。
あの部屋・・・?
目の前にあるひときわ大きな部屋。
私は吸い込まれるようにして足を踏み入れた。
他の部屋はそこそこ明るかったのに、ここだけは暗闇という表現がピッタリなほど暗かった。
中はよく見えないけど、私には分かる。
誰かいる・・・・・・!
「だれか・・・いるんですか・・・・・・?」
そうつぶやいた時、
「隠れるつもりはなかったのですが・・・」
音がして、陰から何かが出てきた。
「驚かせてしまったようで・・・」
ロボットだった。
2本足で歩いてはいるけど、見た目は昔のロボットだった。
なんて言うかマルチちゃんみたいに。人間っぽくないような・・・。
「あの、ここで何を・・・?」
「生き延びているのです」
「え・・・?」
「”管理者”のご命令なのです。私はここで生き延びなければなりません」
「”管理者”・・・?」
「そうです、”管理者”です。人間の貴方に言ったところで理解いただけないと思いますが・・・。私たちロボットには
”管理者”が存在します。私たちはそれの命令に従わなければならないのです」
「あの・・・失礼ですけど、ロボットは人間の言う事を聞くもんじゃないんですか?」
「それは人間が勝手に決められたことです。私たちが真に従うべきは”管理者”なのです」
なんだか難しい話になってきた。
それにこんなことを話している場合じゃない。
「お待ち下さい」
さっさと出て行こうとした私をロボットが止めた。
「ここに留まられるのですか?」
「ええ、そうです」
「それでは食料の点でお困りでは? 貴方がた人間は食物から栄養分を吸収しなければ生きてはいけません」
いちいち”人間は”と区別するような言い方に、私は少しだけ苛立った。
「この奥に食物庫がございます。かつて、ここに人間が住んでおられた時のものです」
「・・・・・・」
「中にはまだ保存食等がかなり残っております。2人なら数ヶ月は持つでしょう」
「ご親切にありがとうございます」
ちょっとだけ怒ったように答えた。
食物庫もあとで見ておこうと戻りかけて気がついた。
「2人って!? どうして知ってるんですか?」
「センサーが感知しました」
「・・・そうですか」
「ご不満な点がおありのようですね」
「いえ・・・。それより、もしそのセンサーがロボットを感知したら教えてもらえませんか?」
「分かりました。そのような事態が発生しましたら、すぐにお知らせいたします」
「ありがとうございます」
 寝室に戻ると、松原さんがちょうど起きたところだった。
「大丈夫ですか?」
声をかけると、松原さんは虚ろな目をして言った。
「ええ・・・何だかボーッとするんですけど・・・・・・」
私はあの時のロボットの行動を説明した。
「そうだったんですか・・・。私・・・死ぬところだったんですね」
「いいえ、私が死なせません」
ふと松原さんの腕を見ると、血がついていた。
「あ、それ・・・」
私が声を漏らすと松原さんは、
「えっ? いつの間に・・・」
その傷口を舐めようとした。
「待って下さい」
私はポケットに入れてあったハンカチを、傷口にあててきつく縛った。
「う・・・・・・」
痛みで松原さんが小さな声をあげた。
きっと、さっきのロボットの刃がかすめたんだ。
私をかばったせいで・・・・・・。
「今はこれくらいしかできませんが・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
松原さんがジッとこっちを見てる。
「あの・・・? きつく縛りすぎましたか・・・もし痛かったら・・・」
「いいえ、そうじゃないんです」
・・・・・・?
なんだか、いつもの松原さんと違うみたい。
「わたし・・・人に優しくされたのなんて初めてで・・・それで・・・」
そう言う松原さんの目には涙が溜まっていた。
不安だったんだ、きっと・・・・・・。
非現実的な戦いがあったことで、ショックを受けてる。
私は松原さんの心の弱さを知ったような気がした。
ううん。そんな人はいない。
誰だってこんな事態に直面したら、塞ぎ込むに決まってる。
「松原さん」
声をかけると、松原さんはうつむき加減だったけど、
「もう、大丈夫です・・・大丈夫ですから・・・」
そう言ってムリに体を起こそうとした。
「そのままで結構ですから聞いてください」
少し落ち着いたようなので、私はこの研究所にいるロボットのことを話した。
「敵ではないようなのですが・・・」
「そうみたいですね。食料のことも教えてくれたんでしょう?」
「ええ」
「でも”管理者”とかいうのが気になりますね」
「そうですね」
ちょっと考えたような表情を見せてから松原さんが言った。
「私たちで調べてみませんか?」
「ええっ?」
何を言い出すんだと文句を言ってやりたいところだった。
「何か分かるかもしれませんし・・・」
「何かって、何ですか?」
「それは・・・分かりませんけど・・・。でも何かロボットにとって重要なことが分かるかもしれません。もしかしたら、
あのロボットを止める方法も・・・・・・」
「仮にそうだとしても、2人の戦いが終わるわけじゃないんですよ? 佐藤さんや藤田さんがこの戦いを終わらせ
ない限り、また別のロボットが追いかけてくるに決まってます」
「逃げてるだけじゃ、何も解決しません。こっちも行動を起こさないと」
「松原さんは戦いたいんですかッ!?」
わざわざ危険に飛び込むことはないのに。
どうしてこの人は、何かをしようとするの?
「・・・そう・・・ですね。姫川さんの言うとおりです。私・・・軽率でした・・・」
「いえ、私の方こそ消極的なことばかり言ってしまって」
「それじゃあ、こうしませんか?」
松原さんが遠い目をして言った。
「ここにしばらく隠れていて、あのロボットがここまで追いかけてきて、それでも私たちが生き延びていたら・・・・・・
その時はその”管理者”のことを追ってみるっていうことで・・・」
私にお伺いを立てるようなそんな目でみつめられた。
何とか彼女を思いとどまらせることができて、私はようやく一息ついた。
たしかに松原さんの言うように管理者を追ってみれば、ロボットの弱点とかが分かるような気もしたけど、今の
私たちは逃げている身だ。
逆に向こうに見つかってしまうことだって十分に考えられる。
彼女の行動力はとても頼りになるけど・・・。
今日だけは松原さんの行動力が少しだけ恨めしく思えた。

「お嬢様!? 芹香お嬢様でございますね!?」
赤い絨毯が敷きつめられた廊下を芹香が歩いていると、後ろからセバスチャンが声をかけた。
その声はとても弾んでいて、初老のノドから出たものとは思えないほど生き生きしている。
「よくぞご無事で・・・・・・。しかし、いつお戻りになられていたのですか?」
「・・・・・・」
「そうでございましたか・・・。状況はどうあれ、こうしてお帰りいただけたのが、私たちには何よりの至福。
お嬢様。お疲れでございましょう。すぐに紅茶を・・・」
「・・・・・・」
「何をおっしゃいます。皆、お嬢様の不在に胸を痛めておりました。お嬢様が無事な姿を見れば、皆も安心する
ことでしょう」
セバスチャンはゆっくりと歩き出した。
芹香がついてくるのに疲れないペースだ。
「ところで、戦争とおっしゃっていましたが、あれはどうなりました?」
「・・・・・・」
芹香はこれまでに起こった事をこと細かに説明した。
彼女の口調は遅い上、あまりにたくさんのことが起こったので、全て言い終わるにはかなり時間がかかった。
セバスチャンは黙って聞いていた。
芹香が説明し終えた後、セバスチャンは深いため息をついた。
「そんなことが・・・・・・。憂えるべき事態です。しかし・・・」
「・・・?」
「お嬢様が不安がっておられるのは、それだけではないハズ。よろしければ、この私めにお話頂けませんか?」
芹香が小さな頃から身の回りの世話をしてきたセバスチャンには、他の誰にも分からない小さな変化を敏感に
感じ取る事ができる。
彼女が不安げな様子を見せているのは、今の自分に関する何かなのだ。
執事はそれを聞き出そうとしている。
「・・・・・・」
彼女の口から聞いたそれは、東鳩で起こっていることよりも遥かに衝撃的だった。
あの魔術と共に生きてきたような芹香に、その根源である魔力がなくなったというのだから。
本人はそれに憤りにも近い感情を抱いているが、セバスチャンは優しく言った。
「それで良いのでございます。お嬢様はこれまで魔術という力に、お力を注がれすぎました。これからは魔術に
生を吸い取られる事なく、平穏にお過ごしなさればよいのです」
「・・・・・・」
「たしかに不安はございましょう。そんな時は、このセバスチャンをお呼びください。私はここにいる誰よりも、
お嬢様のことを理解しているつもりです。きっとお嬢様の支えになるでしょう」
セバスチャンは、お嬢様を危険な目に遭わせたあの小僧――藤田浩之への憎悪の念を抱きつつも、どこかでは
芹香の忌わしき力を消滅させるきっかけになったことに感謝もしていた。
そんな未来への良き展望を見つめるセバスチャンとは対照的に、芹香の表情は暗い。
「お嬢様、しばらくお待ちくださいませ。すぐにお茶を入れてまいります」
走り回れそうなほど広い食堂で、芹香はひとり待たされた。
しかし中々戻ってこないにちがいない。
まずセバスチャンはこの来栖川邸に仕える者たちに、芹香の無事を伝えるだろう。
芹香は不意にポケットをまさぐった。
手鏡があった。
オカルト研究所での浩之とガープの戦いを映し出した、あの手鏡だった。
芹香は何かを念じながら、その鏡を覗き込んだ。
映っているのは自分の顔だけだ。
いつもなら、この方法で近い未来に自分の周りで起こることを映し出すことができたのに。
芹香は一度部屋に戻り、何かを取り出してから、再び食堂に戻ってきた。
そして持ってきた”何か”で、その手鏡に丁寧に手を加えていった。
彼女が持っているのは黒絵具だった。
鏡面に黒絵具を塗り、乾かす。
そしてその上にまた塗り、また乾かす。
何度も何度も繰り返した。
セバスチャンは戻ってこない。
音すら吸収してしまいそうな漆黒の鏡面に、芹香は再び顔を近づけ覗き込んだ。
これはブラック・ミラーと呼ばれる水晶球占いの仲間だ。

 簡単で効果的なブラック・ミラーの製作方法は、古時計ガラスの表面(凸面側)にくすんだ黒絵具を何度も塗る。
 箱を用意し、ベルベットの布地をはり、その中に入れてフレームとする。
 瞑想と同じようにリラックスする。視点はガラスの表面に集中させる。
 しばらくすると、視界に霧や煙のようなものが出てくる。
 完全に集中していれば、やがて霧は渦巻き、絵に変わったり、文字やしるしや形を表すようになる。
 そして後々、これが有力な透視能力へとつながっていく。
                                        「魔術のトレーニング」 マリアン・グリーン著

もともと魔力を持っていた芹香にとっては、こんな初歩的な手順を踏まずとも、同じように鏡を見つめて精神を
集中させるだけで、大抵のことは見ることができた。
何ヶ月も先のことは分からないとしても、身近に起こる程度のことは彼女は全て把握していた。
しかし、浩之と雅史の戦いが始まると、その力は翳りを見せ始める。
彼女は近い未来も身近の出来事も、見ることができなくなっていた。
そこで芹香はドルイドを訪ね、神の力を借りるように頼んだ。
ドルイドは彼女の願いどおり神通力を与え、芹香は3神の力を借りた。
だが、その後の芹香の行動は”彼女自身の奢り”となった。
自ら浩之たちを戦わせるように振動棒という武器を与え、そのうえ浩之まで殺そうとした。
しかも、その方法が悪かった。
芹香はむやみやたらに力を行使する性格ではなかったが、3神の成功もあり、傲慢になっていた。
ガープを召喚し、低級とはいえその悪魔を欺き、強制的に召喚を解除した。
これらの愚行がついに芹香自身を首をしめることになってしまった。
黒鏡に何も変化がおきないと芹香がため息をついた時、

 アルテリオスがお前を滅する これは運命だ 誰も止めることはできない

あの声が聞こえた。
芹香が黒鏡を覗き込むと、そこに小さなハエが映った。
それはみるみる大きくなり、鏡面いっぱいに広がった。
ハエの悪魔・ベールゼブブだ。
これが映ったことの意味を、芹香はよく理解していた。
その人間の死期が近いか、あるいは著しく寿命が縮まった時、ベールゼブブは姿を現す。
それは通常、夏の民家に現れるものとほぼ同じである。
違う点は、そのハエが断末魔をあげることと、ひとりの人間の周りをしつこく飛び回る点である。
もし自分にまとわりつくハエが、異常な泣き声をあげたとすると、そのハエはベールゼブブか彼の専属と見て
ほぼ間違いはない。
芹香はショックで気を失いそうになった。
鏡の中のベールゼブブが笑った。

 

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