第46話 刺客
(何も答えなくなったフュールベ。不安を隠せない葵と琴音の前に新たなロボットが現れる)
どうしよう。
私のせいだ。
今度こそきっと”管理者”について教えてくれると思ったのに。
唯一のてがかりを失ったかたちだ。
松原さんの表情も暗い。
フュールベも今は何も答えてはくれない。
松原さんの言うとおり、おそらく”管理者”がそういう命令を下したのだと思うけど。
「あの、姫川さん?」
「はい?」
「どうしたんですか? ボーッとしちゃって・・・」
「あ、すみません」
いつから呼ばれていたのだろう。
彼女の声にまったく気づかなかった。
「疲れてるみたいですけど・・・・・・少し休んだほうがいいと思います」
「いえ、大丈夫です。ちょっと考え事をしていたから・・・」
「”管理者”のことですか?」
「ええ」
彼女もその事が気掛かりな様子だった。
「私も一度は諦めようと思いました。ですが、外に出れば佐藤先輩や藤田先輩に狙われます。かといってここに
いても何の解決にもなりません」
「はい」
「だから何としても”管理者”について知る必要があると思います」
松原さんの口調がこれまでにない強い意志を含んでいた。
「私もそう思います。ですが・・・・・・」
「あのロボットですね」
「ええ。松原さんの言うとおり、“管理者”が私たちを監視しているかぎり・・・・・・えっ?」
「どうしたんですかっ?」
「いま・・・何か聞こえませんでしたか?」
松原さんは少し間をおいて、
「いいえ・・・私にはなにも・・・・・・」
間違いない。
さっき何かが崩れるような音が聞こえた。
「ちょっと見てきます」
「あ、待ってください。私も行きます」
2人はすぐに異変に気づいた。
研究所のゲートを出てすぐ。
ロボットが立っていた。
フュールベではない。
明らかに最新型と分かるロボットだった。
金色の髪をなびかせながら、こちらに向かってくる。
妙なのはその服装だ。
ネクタイにコートという正装だった。
さらに妙なのは、耳の部分のパーツが見たこともない形状であることだ。
「思ったよりも早く見つかったわ」
恐怖心を煽るような、無機質な口調。
2人は無意識のうちに追撃者――ステイア――を思い浮かべていた。
「あなた・・・誰なんですか・・・?」
琴音の声が震える。ステイアと重ねているだけに、なお警戒心が強くなっているようだ。
「私はエリス。もっとも、聞いてもムダだけどね」
その口調があまりにも冷たく、琴音は思わず後ずさってしまう。
「ムダってどういうことですか?」
それに対し、葵が前に出る。
背後に琴音をかばうようにして、エリスと名乗ったロボットを正面に見据える。
エリスは葵を睨みつけて言った。
「どういうことかって? ・・・・・・こういうことよっ!」
言い終わると同時にエリスが、信じられないスピードで拳を突き出した。
予測していた葵が紙一重でかわす。
エリスは一瞬怪訝な顔をしたが、すぐに第2撃を繰り出す。
葵はかろうじてこれをしのぐが、エリスの攻撃は速かった。
何とか隙を作ろうとするが、ロボットの猛攻に人間は対抗できない。
琴音はステイアの時のように能力でエリスを弾き飛ばそうと試みた。
だが、速すぎる動きに琴音自身がついていけなかった。
タイミングを誤れば葵まで巻き込みかねない。
その時、幸運にも葵が無意識で繰り出した掌底がエリスを直撃した。
予想外の衝撃に後方に大きく吹き飛ぶエリス。
「・・・っと、人間って結構強いのね。ちょっと焦ったわ」
その言葉の割には飄々としている。
戦いを楽しんでいるように見える。
「はぁはぁ・・・あなたも・・・・・・佐藤先輩に・・・・・・?」
短時間でかなり激しく動いた葵は、すでに息があがっていた。
「さとうせんぱい? 誰それ? そんな人知らないわ」
「だったらどうして私たちを・・・・・・?」
葵に代わって琴音が訊ねた。
「あなたたちに恨みはないんだけど、命令だからね」
「命令?」
ここ最近、幾度となく聞いた言葉だ。
「誰の命令ですか?」
「それは教えるわけにはいかないわね」
「”管理者”でしょう?」
「・・・・・・!!」
エリスから余裕が消えた。
「”管理者”くらい知ってますよ」
今度は琴音が主導権を握った。
わざと挑発的な口調でつめよる。
なんとか会話を長引かせ、時間を稼ごうという作戦だ。
しかし一歩間違えば、エリスを逆上させてしまうかもしれない、危険な賭けだった。
「・・・・・・そう、TETE−1はそこまで喋ってしまったのね」
意味深なことをいうエリス。
琴音はあえてそれには答えなかった。
分からない事に曖昧に答えては、敵を優位に立たせてしまうかも知れないからだ。
「やっぱり私が来て正解だったわ」
葵が構えた。
先ほどまでの疲れは琴音が時間を稼いでいる間にいくらか回復したらしい。
「やめたほうがいいんじゃない? 抵抗すれば苦痛が長引くだけよ?」
葵の右フックを軽くかわし、エリスが挑発する。
次の瞬間、エリスの体が浮き上がり再び吹き飛んだ。
いや、正確には弾き飛ばされたのだ。
琴音の能力によって。
葵が不思議な顔をして琴音とエリスを交互に見つめた。
その表情が凍りつく。
「何かしら、今のは? 残念ながら私のデータにはないわね」
人間なら骨折、ロボットなら間違いなく壊れてしまうほどの勢いがあった。
琴音も信じられないという表情でエリスを凝視する。
「そう・・・・・・あなたね? 人間のデータなんて、全てダウンロードしたところで大した容量はないと思ってたけど。
未知の部分もあるのね」
瞬時の出来事だった。
前にいた葵の脇をすり抜け、エリスが琴音を壁に叩きつける。
「うっ・・・・・・くぅっ・・・!!」
葵にも捉えることのできないほどの素早さだった。
「姫川さんッ!!」
我に返った葵がエリスに飛びかかる。
タイミングが悪かった。
振り向きざまに振り上げた腕が、葵の小さな体を宙に舞わせた。
「・・・・・・ッ!」
背中から地面に落ち、葵が呻き声をあげる。
「今日のところは回収を見合わせたほうがいいわね・・・・・・」
2人の動きが止まったのを確認すると、エリスは2人から目を離さないようにして後ずさった。
そして先ほどと同じように、目にもとまらぬほどのスピードで去って行った。
「く・・・・・・けほっ・・・!」
かなり強く叩きつけられたらしい、一瞬呼吸が止まっていた琴音がえづいた。
「姫川さん、大丈夫ですか・・・・・・?」
葵もようやく起き上がり、琴音に駆け寄る。
「ええ、私は・・・松原さんこそ大丈夫ですか?」
「打ち所が悪かったら危なかったですけど」
「それにしても、さっきのロボットは一体・・・・・・?」
琴音はエリスが去って行った方を見て言った。
「フュールベを取り戻しに来たんでしょう?」
「どうして・・・?」
「”管理者”にとっては裏切者だからですよ」
「裏切者?」
「ええ、情報を漏らしすぎた裏切者。さっきの・・・エリスというロボットはフュールベを連れ帰るのが目的・・・・・・
と考えたほうがよさそうです」
「なるほど・・・となると、また来るということですね?」
「ええ。でも今度は負けません」
葵は悔しそうに自分の両手を見た。
悔しさがこみあげた。
ロボットとはいえ、全く歯が立たなかったことに。
そしてそんな自分自身を憎んだ。
「無理はしないで下さい。相手はロボットなんですよ?」
「それはそうですけど・・・・・・」
「それに松原さんの身に何かあったら・・・・・・私には耐えられません」
「・・・・・・」
不思議な間が2人を支配した。
「あ、あの、それよりさっきのが姫川さんの能力なんですよね?」
「え? ええ、そうです」
何となく気まずくなった葵が訊いた。
「攻撃にも使えるなんて知りませんでした」
彼女は一度、寺女で雅史に処刑されそうになった時、琴音のバリアに助けられたことがある。
「その事に気づいたのはつい最近なんですよ」
「そうなんですか?」
「ええ・・・」
どこかぎこちない会話だった。
これは不安を紛らせようとしてのことだった。
葵の言う事が本当なら、敵は浩之や雅史だけではない。
正体の分からない、しかし恐らく強大だと思われる敵。
そんな脅威がすぐそばまで迫っていると実感できるのだ。
そして皮肉にも、葵の考えは全て真実だった。
セバスチャンは妙な胸騒ぎをおぼえた。
圧倒的な重圧感だった。
何だ、この息苦しさは?
彼はいてもたってもいられなくなり、置いてあった紅茶を無理やり口に流し込んだ。
ハーブティーならこの苦しさを癒してくれるかもしれない。
ムダだった。
何をしても満たされない欲求に似ていた。
これは一体、どういうことだ?
まさか・・・・・・芹香の身に何かあったのか?
セバスチャンは己を恥じた。
よく考えれば、最初に気づくべきだったのだ。
そう思った時、計ったようにメイドの一人が駆けつけてきた。
ひどく慌てた様子でセバスチャンに訴えてくる。
「ああ、あ、長瀬様! 大変ですっ! 大変でございますッ!!」
尋常ではないうろたえように、セバスチャンは不覚にもその雰囲気に呑まれそうになった。
「落ち着け! しっかりせんかッ! それでどうしたと言うのだ?」
メイドの態度がかえってセバスチャンの不安を煽ってしまったようだ。
「それが、それが・・・・・・!」
「それがでは分からん。はっきり申せ」
「お嬢様が・・・! 芹香お嬢様が・・・・・・!!」
「・・・・・・!!」
その固有名詞はセバスチャンにとって大打撃だった。
何かあるとは思っていたが。
しかもこのメイドの様子からすると、よほどの大事態らしい。
「あの、長瀬様・・・?」
セバスチャンは脱兎のごとく駆け出していた。
とんでもないことが起こっているということは、すぐに分かった。
広く長い廊下の向こう、荘重な扉の奥に芹香の部屋はあった。
その扉の前に人だかりができていた。
この来栖川邸に仕えるメイドたちだ。
中を覗き込んだり、他のメイドと話したりしている。
「お前たち、何をしている? そこをどかんか」
セバスチャンができるだけ平静を保つようにして言った。
「長瀬様!」
「ああ、長瀬さま!」
まるで救いの神のようにメイドたちがセバスチャンの元に集まる。
「何事だ!? 何事が起こったというのだ?」
セバスチャンは寄り来るメイドたちを押しのけ、芹香の部屋に近づいた。
「・・・・・・バカな・・・・・・そんなハズは・・・・・・!!」
飛び込んできた光景に、セバスチャンはその場に崩れ落ちた。