第47話 芹香の最期

(ベールゼブブにその魂を奪われた芹香。しかし彼女には秘策が残されていた)

「そんな・・・・・・バカな・・・・・・」
セバスチャンは何度も何度もつぶやいた。
「まさか・・・そんなことが・・・・・・」
今見ているものが信じられなかった。
だが、しかし。
これは現実だった。
逃れられない、否定もできない。
その事を悟ったセバスチャンは、それを受け入れることにした。
「お前たちは仕事に戻れ。よいか、この事はここにいる者以外、誰にも話してはならぬ」
「しかし・・・・・・」
「よいなっ!?」
「は、はいッ!!」
不信感を抱きながらも、メイドたちはこの場をセバスチャンに任せることにした。
ぞろぞろと退散していくめイドたち。
後に残ったセバスチャンは深呼吸をひとつすると、芹香の部屋へと足を踏み入れた。
日頃、この部屋にはお茶を入れるためによく出入りするが。
「ああ・・・・・・芹香お嬢様・・・・・・」
セバスチャンが駆け寄る。
芹香は部屋の中央にいた。
いや、芹香の体がそこにあった。
床に横たわり、一目で生きてはいないと分かった。
服装はセバスチャンが最後に見たときと同じ、漆黒のローブ。
仰向けに倒れている芹香は目を閉じていて、自然に逝ったように見える。
「・・・・・・ん・・・?」
もう少し早く気づくべきだった。
よく見ると、芹香を中心に床一面に赤や青の線が複雑に交差している。
円形のそれは魔方陣だった。
赤の線を基調に内側の円が描かれている。
そのラインに沿って解読不可能な文字が、やはり赤で描かれている。
そしてその外側を、今度は青の線が一周している。
さらに円形の内側でも2色の線が縦横に走っており、子供のラクガキのようにしか見えない。
「なんだ・・・・・・これは・・・・・・」
セバスチャンはこの魔方陣の仰々しさに呑み込まれそうになった。
いや、事実本当に呑み込まれていた。
目が離せない。
体を動かそうにも動かせない。
まるで魔方陣に四肢を掴まれたかのように。
彼の体にようやく自由が戻ったのは、5分後のことだった。
何かが脳に直接語りかけてきたような錯覚があった。
セバスチャンは改めて部屋を見渡した。
キャビネットの上に大きなクマのぬいぐるみが置いてある。
本棚には大小さまざまな本がきちんと並べられている。
何も変わらない。
同じ年頃の女の子の部屋と何ら変わったことはない。
それが魔術にのめり込んだばかりに。
彼女は自ら短命を選択したようなものだった。
「お嬢様・・・・・・これまで貴女に仕えることができて幸せでした・・・・・・」
心からの声だった。
彼はもう一度、芹香の顔を見ようと視線を移した。
「なんだ・・・・・・?」
セバスチャンは目を疑った。
芹香の右手に、丁寧に折りたたまれた紙が握られていた。
さっき見たときは何も持っていなかったハズだ。
その紙に無意識に手を伸ばしていることに気づいた彼は、ここにいることに恐怖を感じた。
超常現象などまるで信じない彼だが、芹香の黒魔術には並々ならぬ信憑性があった。
ポルターガイスト現象は何度も経験したし、奇妙な物音も聞いたことがある。
それが芹香と関係があるかは定かではないが、そのような現象が起きていることは確かだった。
セバスチャンは自分の手の中にある紙を見た。
・・・・・・おかしい。
いつの間に手にしたのだ?
芹香の右手には紙はなかった。
「・・・・・・・・・」
セバスチャンは紙を開いていく自分の両手を止めることができなかった。
そして見た。
死の間際に恐らく芹香が最後の力を振りしぼって書いたのであろう手紙を。
女性らしい流れるような字体。
残された時間が少なかったのだろう、ほとんどが平仮名で書かれていた。
だが、セバスチャンには彼女の意思が読み取れた。
問題は彼に、彼女の意思を受け継ぐだけの度胸があるかどうかだ。
手紙を何度も読み返し、セバスチャンは決意を固めた。
「おまかせ下さい、芹香お嬢様。この長瀬、必ずやお嬢様のご意志を受け継ぎ・・・・・・お嬢様の復活を・・・・・・」
セバスチャンは手紙を懐にしまうと、芹香の髪をかきあげた。
安らかな表情。死んでいるとは思えなかった。
しかし手紙の内容が正しければ、芹香はベールゼブブに魂を奪われている。
そしてその魂は、”魂の檻”という場所に幽閉されている。
つまり彼女は俗の死ではなく、蘇る可能性が残された、いわば魂の死を迎えたにすぎない。
「腐敗が始まる前に計画を実行に移さねばならぬな・・・・・・」
芹香のため、セバスチャンが立ち上がった。

 雅史は厭らしくにやついていた。
この笑みは決して計画が思い通りに進んだことによる嬉しさではない。
今のところ、彼には狙いらしいものはないし、唯一である浩之打倒計画も具体性に欠けている。
そもそも彼は逃亡中の身だから、自分からアクションを起こせる立場ではない。
しかし雅史は笑っていた。
足元に転がる綾香を見下ろしながら。
「来栖川さんが処女だったとはね・・・・・・。まぁ、”お嬢様”だから当然といえば当然かな・・・・・・」
彼に笑みを浮かべさせているのは、主に優越感と満足感。
同時に取り返しのつかないコトをしてしまったという自嘲。
「ごめんね、来栖川さんの大切な”初めて”を奪っちゃって。君としては垣本との方が良かったのかな?」
ふふっと息を漏らす雅史。
「垣本にも悪いことをしたかな。でも彼にも非があるんだ。彼は最近、僕に非協力的だった」
自分が悪いとは微塵も思わない。
究極の悪とも言えた。
「あんた・・・・・・それでも・・・人間な・・・の・・・・・・?」
息苦しそうに綾香が見上げた。
「・・・ん? 僕は人間だけど、僕の味方はロボットばかりだね。それより、気がついたんだ?」
雅史は綾香と同じ目線まで屈んだ。
「聞いてたかもしれないけれど、君をそんな目に遭わせるつもりはなかったんだ。ただ、君はかなり興奮していた
ようだから、身の危険を感じて・・・・・・いわば正当防衛だよ」
「ふざけないで! あんたの味方に・・・・・・なるんじゃなかったわ・・・・・・」
「もう遅いよ。僕は君や君たちを最大限に利用させてもらう。そして浩之を消す。これが僕の望みさ」
「こんなことを続けている限り・・・・・・あんたにそれは無理よ・・・・・・」
「無理かどうかを考える必要はない。ただ、僕には覚悟ができてる、それだけだよ」
「・・・覚悟って・・・・・・?」
「君をこのままにしておくわけにはいかない。この事を口外されたら困るのは僕だから。そして僕には・・・・・・・・・
君を殺すことだってできる」
「・・・・・・!!」
冷やかな口調に、綾香は焦った。
この男ならやりかねない。
そもそも現状が圧倒的に不利だ。
この研究所には武器となるものも数多くある。
彼がそれを手にしている可能性は高い。
「だけど来栖川さん。君に選択させてあげるよ」
「何を・・・選択するっていうのよ・・・・・・」
「垣本はもはや僕の味方じゃない。そして君も・・・。君が今日のコトを垣本を含め、絶対に誰にも言わないと約束
してくれるなら、君を逃がす。もちろん、垣本を伴ってかまわないよ」
「・・・・・・」
「だけど、君に口外しないという自信がないなら・・・・・・今この場で僕は行動を起こす。本気だということは・・・・・・
分かっているよね?」
「約束をしておいて、私がここから去った後に喋る可能性があるわよ」
余裕に溺れてそれは考えていなかったらしい。
雅史は返答につまった。
「・・・・・・そうなったら僕の敗北だ。その可能性を考えると、やはり君をこの場で始末しておいたほうがいいか」
口ではそういうものの、雅史にそうする素振りは見られなかった。
「僕はできるだけ、君たちを生かしておきたいと思ってる。だから君が本当に約束してくれるなら、もうこれ以上
危害は加えない」
「・・・信じられないわ・・・・・・」
「信じられないのは僕の方さ・・・・・・どうやらお互い様みたいだね・・・・・・」
「・・・・・・」
雅史は綾香から目を離さないようにして、内線電話の受話器を取った。
「僕だよ。すぐに僕の部屋に来て欲しいんだ。・・・そう、すぐだよ。何も持って来ちゃダメだよ・・・・・・もちろんさ。
・・・・・・来栖川さんを助けたければね・・・・・・」
電話の内容からすると、彼はどうやら垣本の部屋にかけたらしい。
1分もしないうちに垣本がやって来た。
雅史はまず彼の手を見る。
・・・・・・何も持っていない。
今度は垣本が、綾香を見た。
苦悶に歪む彼女の表情に、垣本は思わず拳を握る。
「雅史・・・・・・てめぇっ・・・・・・!」
「そう怒らないでよ。僕ひとりが悪いみたいじゃないか?」
雅史は綾香に寄り添う垣本を見下して言った。
「・・・垣本君、ありがとう・・・。大丈夫よ・・・・・・」
垣本が来たことで少し安心したのか、綾香がよろよろと立ち上がった。
「さっき来栖川さんに言ったんだけれど、ここまでしてしまった以上、僕はもう後には戻れない」
雅史はスタンガンを垣本に向けた。
この状況下では、垣本が逆上して襲いかかってくることが予想されるためだ。
「そこで僕は彼女を殺そうと思った。だけど、それはさすがに忍びない。だから――」
「・・・・・・どうするってんだよっ?」
「僕は彼女に、いや君たちに選択の機会を与えることにしたんだ」
”選択の機会を与える”というフレーズに、雅史は酔った。
「僕が来栖川さんに何をしたのか・・・・・・だいたい分かるよね?」
「ああ・・・分かるさ・・・・・・来栖川さんに酷いことを・・・・・・!!」
「その口ぶりは、どちらかと言うと初めてを奪われたことを怒ってるみたいだね?」
「ふざけるなッ!!」
いかにも殴りかからんばかりの剣幕だったが、雅史に言われたとおり丸腰で来た彼には何もできなかった。
「話を元に戻すよ。さっきも言ったように彼女を殺したいが、できるだけ殺したくない。だからといって彼女を助け
どこかに逃げれば、それから来栖川に告げ口されちゃうかもしれない・・・・・・」
綾香は垣本を見た。
「来栖川に依存している僕にとって、それは致命傷だ。ここを追い出されるだけでは済まないかもしれない。そう
考えれば殺さざるを得ないわけだけど・・・・・・どうだい? 君たちが今日の出来事を今後、誰にも言わないと
約束できるなら君たちを逃がしてあげる。それができなければ・・・・・・」
「へっ、矛盾してねえか? 約束したって、お前にその真偽を確かめる術はねえ。ここで約束するって言えば、
お前は俺たちを解放するんだろ?」
「ということは君たちはここで死にたいってわけだね?」
「いいや、俺たちは生き延びたいさ。お前のために犠牲になるなんてゴメンだね」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・ッ!?」
垣本の顔が苦痛に歪む。
「垣本くんっ!?」
綾香が駆け寄った。
「あまり手間をかけさせないで欲しいな。ストレスでどうにかなっちゃいそうだよ」
雅史はまた笑った。
「分かったッ! 分かったわ! 私たちは何も言わない! 約束するっ! だからお願い・・・垣本君は・・・・・・」
「それが信用できないって言ったのは君たちだよ? 何も言わなければ”約束する”のひと言で解放したのに」
「絶対に・・・・・・絶対に言わないから・・・・・・!」
「・・・・・・・・・僕だってね、その言葉にウソはないと思いたいよ・・・」
たまに見せる、雅史のこの憂いた表情。
これが綾香の憎悪を鈍らせる。
「だけど、僕は浩之に勝ちたい、浩之を見下したい。これが僕の望みさ。そしてそれを可能にしてくれるのは来栖川
をおいて他には無いと思ってる。だから極力、君や垣本を傷つけたくはないんだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「信じてもらえないと思うけど、これが本心だ」
「じゃあ聞くけど・・・あんたのその望みを達成した後は・・・・・・?」
「・・・・・・元通りの生活だよ。こんな事が起こる前の僕たちに戻るんだ。君には取り返しのつかないことをして
しまったけれど、これ以上は何もしない」
「来栖川とは無関係になるってこと?」
「もちろんだよ。もう接点が無くなるわけだからね。それに・・・・・・君は忘れていないかい?」
「何を・・・?」
「お姉さんのことさ。僕が浩之を打倒すれば、彼に捕まっているお姉さんも帰ってくる。間違いないよ」
「・・・・・・」
そうだった。
芹香は浩之に捕らえられているのだ。
綾香は芹香が来栖川邸に戻っていたこと、そして彼女がこの世を去ったことを知らない。
「そうね・・・・・・でもあなたが優位に立った時、浩之が姉さんを盾にして逃げることも考えられるわ」
「少なくとも来栖川そのものが動くよりは、お姉さんが助かる確率はずっと高くなるよ」
「・・・・・・分かったわ。それがお互いのためみたいね・・・・・・」
「垣本は君に好意を抱いてる。恐らく君もそうなんだろう? 君のお姉さんを助けるにはどうすればいいのか・・・・・・
君から彼に話してくれないか?」
雅史は綾香の言うことなら垣本は何でも聞くと睨んだようだ。
「私は姉さんと垣本君を助けたいだけよ。あなたに協力してるんじゃないわ」
「分かってる。でもそれでいいんだよ。その方が僕も楽だから・・・・・・」

 

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