第49話 マリオネット

(刻一刻と迫る新たな戦いの幕開け。始まりはいつもの穏やかな日常からだった)

 東鳩の中庭を、珍しい組み合わせが歩いていた。
珍しいといっても、分類上、同じ線上にいるから当然かもしれない。
「そうですか。キディさんも反対なんですね」
「ええ」
マルチとキディだった。
2人は特にすることもなく、時間を持て余していた。
「私はまだ生まれてから日が浅いですけど、でも争いはあってはいけないという事は分かってるんです」
「キディさんはすごいですよ。私なんかよりたくさんの事を知ってますし」
マルチはお世辞ではなく、本当にそう思っている。
製造日で見ればマルチのほうが姉にあたるが、中身はまったく逆だ。
来栖川とデイラック・インダストリーの技術の結集は、マルチの学習能力を遥かに超えている。
「でも・・・・・・」
切り出したのはマルチだった。
「好きな人が望むなら・・・・・・その争いも仕方ないかと思うんです」
「・・・・・・?」
「キディさんは好きな人はいないんですか?」
「・・・・・・ごめんなさい。”好き”っていう感情がまだよく分からなくて・・・」
キディは少し考えてからそう答えた。
「そうなんですか? 誰かを好きになるって、とっても素敵なことなんですよ」
マルチは目を輝かせながら言った。
その瞳には浩之が映っているに違いない。
「好きになれば争いも許せるようになるんですか・・・・・・?」
「え・・・?」
「誰かを好きになれば、争うことも何とも思わなくなるんですか・・・・・・?」
「え〜っとですね、そうじゃなくて・・・・・・。好きな人のためなら、自分の考えを捨てることもできるんですよ」
「考えを捨てる?」
「ええ。本当に好きな人になら、全てを任せられるんです。ですから、その人が争いを許せるなら、私も許せます」
「よく・・・・・・分かりません・・・・・・」
「キディさんは私よりもずっと優れていますから、すぐに分かりますよ」
言いながらマルチは、どこかでキディに嫉妬していた。
妹の方が遥かに優れているという状況は、姉にとってはかなり苦痛だ。
一方でキディは、高度な情報処理に追われていた。
人を好きになるという感情の分析。
経験していない事柄は推測の域を出ないため、ロボットにとっては明確な答えがでない。
さらに”許せない”ものが”許せるようになる”という矛盾。
このパラドックスを解く力は、残念ながらキディにはなかった。
彼女も基本的にマルチと同じく学習型だ。
経験を重ねるほど思考はより高度により複雑になる。
初めから完全無欠なセリオに比べると、不利なように見えるが、実はセリオに勝っている点がある。
それは未経験のこと。あるいはデータにない不明確な部分を経験に基づいて推測するという能力だ。
行動・思考のほぼ100%をデータバンクに依存するセリオは、不透明な部分に対しては無力に等しい。
その点、学習型は柔軟性に富み応用が利く。
しかしこれにも限界がある。
生まれたばかりのキディには少々難しすぎたようだ。
先ほどからマルチの言葉を考えてはいたが、一向に答えはでない。
「ところでマルチさん」
「何でしょうか?」
「予感というのはどういうものですか?」
「予感・・・・・・?」
「ええ」
マルチは困った。
いったい予感の何を訊いているのだろうか。
「予感というのはですねえ。よく分からないけど、何となくそう思うことをいうんですよ」
「何となく・・・そう思う・・・」
「そうです」
「じゃあ私が今思っていることは、予感なんですね」
「え? どんなことですか?」
ヘンなことをキディが言い出し、マルチは彼女の言葉に興味を持った。
「悪い予感がするんです・・・」
「悪い予感?」
「はい。争いが起こるような・・・・・・」
「争い・・・・・・」
マルチはキディの言葉を繰り返した。
「本当に・・・そんな気がするんです・・・・・・」
キディの見せた憂いの表情が、何かを物語っていた。
争いと聞いて、マルチがまず思い浮かべるのは浩之と雅史の闘いだ。
元はこの学校を本来あるべき姿に戻そうと立ち上がった2人だったが、ある行き違いから両者は深い憎悪にとりつかれてしまった。
マルチは立場上、浩之の味方になっている。
今後予想される2人の衝突では、もちろん浩之の側について支援したいと考えている。
しかしキディはどうか。
今までの会話から少なくともキディが好戦的でないことは分かる。
むしろその争いを避けている節もあった。
「それが避けられないのなら、闘うしかありませんね」
マルチは自分の意思を示しながら、キディにもさりげなく同じ考えを持つように働きかけることに成功した。
キディは複雑な表情でうなづいた。

「それでは報告いたします」
来栖川第7研究所の”謎の信号究明部門”。
この一室に主任と数名の研究員が向かい合わせに座った。
状況から、主任はおそらく信号の解読が成功したのだろうと思い込んでいた。
しかし、それにしては研究員の顔色はすぐれない。
「その前に、良い報告か悪い報告かどっちだ?」
研究員はお互い顔を見合わせてから、
「両方です」
声をそろえて言った。
「分かった。そうだな、それじゃあ良い方から聞かせてくれ」
「分かりました」
代表らしい研究員が数枚に綴じられた資料を開いた。
「まず例の信号ですが、先日ようやく全解読に成功しました」
研究員の中から拍手があがった。
「そうだと思った。それで、発信源はどこなんだ?」
「発信源は・・・・・・ここです」
代表が下を指差して言った。
「ここ・・・・・・この下か?」
「ええ、正確には少し離れた地下ですが・・・・・・信じ難い話ですが、地下に巨大な建造物が確認されました」
「何だそれは・・・いったいどういうことだ?」
「我々は今まで信号の発信源ばかりをたどっていました。その結果が建造物の発見です。地下の建造物・・・施設といってもいいでしょう。この施設の奥から例の信号が発せられていたのです」
代表が一気にまくし立てた。
それほど重大な発見であったということだ。
「施設・・・・・・? それは誰が・・・・・・いや、いつ造られたものなのだ?」
「それが分からないのです。というのも、この施設の存在を知ったのがつい先日のことですから」
「我々の誰にも知られずに地下に施設が存在していたというのか・・・・・・」
主任は首をひねった。
そんなことが可能なのか。
答えは出ない。
「しかしそれが良い報せだとすると、悪い報せというのはいったい・・・・・・」
主任の不安は募るばかりだ。
よく考えれば、先ほどの良い報せにも未知の施設という悪報が伴っていた。
となると次の報告は・・・・・・。
「信号の発信源こそ特定できましたが、これを追及するにはまだ時間がかかりそうなのです」
「どういうことなんだ?」
遠回しな言い方をする部下に主任は苛立ちながら言った。
「発信源の特定が完了したのとほぼ同時に、無数の影が現れたのです」
ここでいう影とはモニターに現れた別の信号のことだ。
「つまり何者かが気づいたということか?」
「その可能性が高いです。もしかしたら問題の施設に誰かいるのでは・・・・・・」
「そうか・・・そうかもしれん。さっそく調査をしたいところだが影というのが気になる。何とかならないものか・・・・・・」
ここで成果をあげれば彼の地位は来栖川において揺るぎないものとなろう。
誰もが解けなかった謎を解き、社に貢献する姿勢が上役に認められればしめたものだ。
だがそれにはリスクが伴う。
調査対象が施設であり、且つ地下となると気になるのは逃げ場だ。
何か問題が起こって引き上げるべき道がないというのは、極めて恐ろしいことだ。
「近いうちに調査団を編成するか・・・・・・」
「いいえ、良い方法があります。何の損失も被らない方法が」
悩む主任を慰めるように部下の1人が言った。

「そうか・・・先を越されたってわけだな」
言葉の割にはそれほど落胆はしていない様子の石井が言った。
『高城さんもそっちにいるのか?』
電話の向こうの男が聞いた。
「ああ、いるよ。というよりここは元々、彼の家みたいなもんだ。俺が厄介になってるんだよ」
『そうなのか。彼とはあれ以来、会っていないからな』
「全てが終われば、また前みたいに3人で会おうじゃないか」
『そうだな』
「それで・・・・・・本題に入りたいんだが」
『ああ、分かってる』
電話の相手は咳払いをひとつすると、それまでとは打って変わった口調で話し始めた。
『解読が終わったのが2日前。無数の影が現れたのがその直後だ。正体は分からん』
「影っていうのが気になるな」
『それ、主任もまったく同じことを言ってたぜ』
相手の男が無邪気に笑った。
「それで・・・どうやってアクセスする?」
石井の後ろから突然割り込んできた男・・・・・・高城だ。
『高城さん、久しぶりだな。独立おめでとう』
「ありがとう。といってもほとんど石井の手柄だがな」
高城が石井の肩をポンと叩いた。
『っと、アクセス方法だったな。調査の結果、問題の施設へは2通りの行き方があることが分かった』
「2通り?」
『そうだ。ひとつは君たちも覚えているだろう、第1研究所の跡地だ』
「何だって!?」
『君たちにとっては忌まわしい過去かも知れないが、あの施設のどこかに地下へと続くトンネルがあるはずなんだ』
石井と高城は互いに顔を見合わせた。
「信じ難い話だが・・・・・・なあ?」
「ああ・・・。自分たちがずっといた場所に、そんな秘密があったなんてな」
『もうひとつなんだが・・・・・・どういうわけか寺女のすぐ近くなんだ』
「寺女か・・・・・・そう遠くはないな・・・・・・」
「しかし妙だな。今の今まで誰も気づかなかったなんて」
『それは俺も思ったよ』
この奇妙な事実に3人はしばらく黙り込んでしまった。
「しかし、これ以上は本社に遅れをとるわけにはいかないな。早いうちに部隊を編成して乗り込むか」
「そうだな。ここからなら寺女のほうがやや近い。寺女から進入しよう」
『それはダメだ。寺女からの道はこっち側が押さえてる。今行けば正面衝突になるぞ』
「そっちの・・・? ああ、そうか。この前のぶつかり合いでたしか藤田とかいう奴が占拠してるんだったな。そうか・・・・・・あいつは本社側だったよな」
「ってことは第1方面から行くしかないか・・・・・・。ん、待てよ。良い方法を思いついたぞ」
「どうしたんだ?」
「こっちもガキどもを送り込むんだよ。あいつらはALTERを追い出されれば行くあてもない敗北者だ。こっちの頼みなら何でも聞くさ」
「なるほどな」
「その時の文句はこうだ。”藤田が君を出し抜こうと謎の施設に入っていった。出遅れれば君たちもどんな目に遭うか分からないぞ”ってな」
高城は得意満面で話し出した。
「そう言ってやれば二つ返事で引き受けるさ。断ったら追い出せばいいんだから」
今日の高城はいつにも増して冴えている。
『君たちの考え方は主任と似ているな。こっちもガキどもを派遣するつもりらしい。恩を売っておいた甲斐があったってもんだな』
男の口調は会話に度々登場する主任を嫌っているように思えた。
「にしても君がいて助かったよ。君のおかげでこっちは円滑に独立が進められた」
『僕だって独立派だからな。本社の利益追求の姿勢にはウンザリだ』
男は面白くなさそうに言った。
『なのに、僕の役目は本社の情報伝達だからな。重要な仕事なのは分かるが息がつまりそうだ』
「悪い悪い。でも本社の力を削ぐには君のような人物が必要なんだ」
『分かってるよ。計画が完了したら、僕を独立派の貢献者として称えてくれよ』
「もちろんさ。君なくして独立は成功しえないんだからな」
「まだまだ油断はできないが」
『たしかにな。影の正体を早くつかみたいところだ』
「とにかく本社が動き出したのなら緩々しているわけにはいかない。こっちもすぐに調査させるよ」
『ああ、そうしたほうがいい。独立したとはいえ、本社の方が資金面、人材面でもまだまだ規模が上だ。一時の出遅れが取り返しのつかない事態になる』

 東鳩に2人の男が現れた。
黒のスーツを着こなしたエリートだ。
「どのようなご用件でしょうか?」
正門前に立っていた2体の12型がつめよった。
「第7の者だ。藤田君に会いたい」
「失礼いたしました。どうぞ、こちらへ」
相手が自分たちの故郷・第7の使いだと知ると、12型は深く頭を下げた。
男たちはロボットの無機質な対応に目もくれず、さっさと校内へと入っていく。
校舎の階段を昇り、長い廊下を12型の後に続く。
浩之は自分の教室にいた。
特に何をするわけでもなく、ただボーッと外を眺めていた。
「藤田様、第7研究所より使いの方が来られました」
声をかけられ浩之がのっそりと振り向く。
「君が藤田君だね?」
「はい」
わざわざやって来るなんて、なにか事が起こったか。
「君に話しておかなければならないことがあって来たんだ」
「何かあったんですか?」
「ああ、場合によっては急を要する事態だ。実は・・・・・・」
男たちはずいぶん前から行われていた信号の解析とその結果を浩之に告げた。
「つまり寺女からその信号の発信源に行けるわけですね」
「そういうことだ。そこに何があるのかは分からない。ただそんな信号を発する以上、我々が想像もしえない何かがあるハズなのだ」
「本来なら我々が調査に向かうべきなのだが・・・・・・」
「どうかしたんですか?」
「実は独立派も解析を成功させていてね。向こうも近いうちに調査に乗り出すつもりらしい。そのメンバーに・・・・・・」
「佐藤君がいるらしんだ」
「何だと!?」
佐藤と聞いて浩之が大声をあげた。
「今になって分かったことだが、どうやら佐藤君は独立派についているらしい」
「あいつは今どこに?」
「それは分からない」
本当に分からなかった。何しろ雅史が独立派にいること自体、彼らは知らないのだから。
彼らの言葉は浩之を煽るために巧みに練られた虚言なのだ。
「おそらく彼は君を出し抜くためにすぐにでも発信源に乗り込むだろう」
「雅史に先を越されるわけにはいかねえ。俺も行く。寺女だな?」
浩之の口調がだんだんと激しくなる。
雅史のこととなると、彼は理性を失うようだ。
「行ってくれるか? こちらは今、寺女から発信源に続く道を捜索中だ。経路が確認され次第、すぐに君に連絡する」
「捜索中? 急がなきゃ雅史に追い越されちまうぜ」
「分かっている。君には苦痛だろうが、今しばらく待ってほしい」
「いいぜ。でも急いでくれよ」
浩之は獅子奮迅といった様子だ。
男たちは浩之に分からないようにほくそ笑んだ。
なんて単純なヤツなのだ。
だからまだまだガキなんだ。
二人はあまりにも簡単な仕事に少々もの足りなさを感じながら東鳩を後にした。

 雅史にとっての恐怖の時間がやってきた。
高城が雅史の部屋にやってきたのだ。
雅史は彼を中に入れようとはせず、逆に外に出てきた。
「すまないね、忙しいところを」
「は? い、いえ! 別に何もしてませんよ! そ、それよりお話というのは・・・?」
雅史は明らかに動揺していた。
それもそのハズ。彼は綾香に対しての暴虐が発覚したのではないかと気が気ではなかったのだ。
高城と綾香が来栖川という名の接点を持っている以上、油断はできない。
つまり重要なのは高城にとって、綾香は本社側の人間なのかそれとも独立側の人間なのかということ。
前者であればまだ希望は見えてくる。憎むべき本社側の者となれば彼は看過してくれるかもしれない。
しかし後者の場合は・・・・・・。
どっちにしても彼がやって来た時点で雅史の心中は穏やかではない。
何を言われるのか、何を要求されるのか?
そしてそれに応じることができるのか?
否、応じざるを得ないのだ。
「ちょっと困ったことが起きてね」
来た。雅史は思った。
「な、な、なんなんなんでしょうか・・・?」
抑えようとしても声が震える。
「実は私たちは独自にある調査をしていてね――」
高城は解読された信号について細大もらさず伝えた。
ただし一部追加して。
「それで、浩之が・・・・・・?」
名前を聞くだけでも虫唾が走る。
一番耳にしたくないワードだった。
今に始まったことではない。小さなころからだった。
「独立したばかりの私たちにとって、一度の出遅れは致命傷になりかねないんだ」
「はい」
つまりお前が行け、ということか。
「向こうが藤田浩之を送り込む、という情報は間違いない。仕掛り中の13型も含め、ロボットたちを率いて本社側の調査団を殲滅してほしいんだ」
後半はいかにも断腸の思い、といった悲痛な声だった。
「心苦しいが、私たちも独立したばかりでまだ態勢が整っていないんだ」
もちろん雅史には断る術はない。
断る理由はあるが、それ以上に断れない理由があるからだ。
「相手の数が分からないんじゃ不安はありますけど・・・・・・。僕は行きます。運がよければ浩之を捕らえられるかもしれませんし」
「君ならそう言ってくれると思ったよ」
「ただし、ロボットを可能な限り回してください。万全の態勢で臨みたいので」
雅史は卑屈な姿勢から、精一杯の要求をした。
「もちろんだとも。君たちを危険な場に向かわせようとしているんだ。私たちもバックアップは惜しまない」
「ありがとうございます」
雅史は深々と頭を下げたが、面従腹背だ。
これでは使いパシリでしかない。
こんな無様な受け答えしかできない自分に雅史は苛立った。
そしてその苛立ちは時間とともに浩之に向けられる。
彼のストレスはいまやこの独立派の強引な要求と、いまだのうのうと生き続けている浩之によって蓄積されているが、これを発散させる方向は浩之にしか向かない。
こうなったら今度の派遣で何としても浩之を始末し、このALTERからもおさらばするしかない。
成り行きとはいえ、雅史の目に並々ならぬ決意の炎が灯った。

 

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