第52話 ラボ1
(3戦力は施設への侵入に成功したが、そこには・・・・・・)
施設の中はまるで生きている者の気配さえ感じさせないくらいに冷たかった。
青みがかった灰一色の壁がどこまでも続き、方向感覚を狂わせる。
「・・・さん? 松原さん、どうしたんですか?」
「え、ええ?」
考え事をしていたせいで、姫川さんが呼んでいることに気がつかなかった。
「どうかしましたか? 顔色が悪いみたいですけど?」
「いいえ、ちょっと考えてることがあって・・・・・・」
「考えてること?」
「はい」
私はここに来るまで、ずっと疑問に思っていたことを話した。
「私たち、”管理者”への扉を開けたわけですよね?」
「ええ。松原さんでなければ、きっと見つけられなかったと思います」
「あの時、もの凄い音がして地面が揺れた・・・・・・、そして今、私たちはここにいる・・・・・・。何となくおかしいと思いませんか?」
「えっと、よく分かりません」
「エリスが来た時も、あの2人が来た時もどうして私たちは気づかなかったんでしょうか?」
そう。さっきから引っかかるのはそこだ。
エリスが2度、さっき闘った2人が1度。
つまり3回、あの仕掛けが作動したことになる。
あれほどの音と強い揺れなら、少しくらい離れていても分かるハズなのに。
「扉は開いたままだったのかも知れませんよ? 最初にエリスが来たときに仕掛けを解除していたのかも・・・・・・」
「でも、私たちが調べたときには少なくとも閉じていました。ということは最低、1回は仕掛けが動いたってことです」
「う〜ん・・・・・・」
姫川さんが唸ったきり、黙りこんでしまった。
私なんかよりずっと頭がいい姫川さんなら、解決してくれると思ったんだけど。
・・・・・・。
私たちはそれから、会話もなくただ歩き続けた。
目に映る光景は何も変わらない。
相変わらず無機質な通路が延々と続いている。
この通路がいつまでも続くのか、それとも曲がり道があるのか・・・向こう側が全く見えない。
こうなると距離感がなくなってきて、自分が前に進んでいるのかさえ疑いたくなってくる。
景色が全く変わらないのだから、その場で足踏みしているような気分だ。
「あっ!」
突然、姫川さんが声をあげた。
「ど、どうしたんですか?」
あまりに唐突のことで、私は飛び上がりそうになった。
「もしかしたら、別の道があるのかもしれませんよ!」
「別の道?」
「そうです。それなら私たちが気づかなかったことも説明がつきます」
姫川さんは、どうだ、という表情で私を見た。
確かにそれなら矛盾はないし、そもそも私にはこれを覆すほどの考えが思い浮かばない。
「そう・・・ですね。多分そうだと思います」
言いながら、何か呆気ない感じがした。
今の返事で姫川さんが気を悪くしていないかと思ったけど、彼女の顔を見ることはできなかった。
「これ・・・・・・どこまで続くんでしょうね」
姫川さんが言った。
「そうですね、かなり歩いたと思いますけど」
景色が変わらなければ、道幅も何も変わらないから、妙な感じになる。
「ひょっとしたら、ずっと同じところを歩いていたりして・・・・・・」
ポツリと姫川さんが言った。
「まさか・・・」
私は笑い飛ばそうとしたけど、心のどこかでは彼女と同じことを考えていた。
魔法をかけられて、ずっと足踏みしてる。
そんなことあるハズないと分かっていても、ふとした時にそう考えてしまう。
そう思った時、この長い長い通路に終わりが見えてきた。
向こうに扉が見える。一見すると行き止まりのように見えるけど、縦に切れ目がある。
「あれ・・・・・・スイッチでしょうか?」
姫川さんも気づいたらしく、壁に取り付けられた四角い箱を指差した。
「きっとそうですよ」
進展がみられたからか、私たちの歩みは少し速くなっていた。
だけど油断はできない。何が待ち構えているか分からないのだから。
近くまで来ると、それが扉だと確信した。
右にある小さな四角い部分がスイッチなんだと思う。
「・・・・・・押しますね」
「ええ」
確認をとってから、私は恐る恐るボタンを押した。
押してから気づいた。
よく考えれば、ここは”管理者”が支配してる場所なんだ。
私たちを遠ざけたいのならどうすればいいか。簡単なことだ。
この扉を開けなければいいんだ。
そして私たちを行き止まりに追い詰めて、ロボットたちを送り込む。
だとしたら・・・・・・。
「松原さん? 行かないんですか?」
「えっ・・・?」
見ると姫川さんはすでに扉の向こうにいた。
「・・・・・・い、今行きますよ!」
私ってもしかして心配性?
とりあえず杞憂に終わってよかった・・・・・・。
扉の向こうは大きな部屋になっていた。
床も壁も天井も同じように無機質で、実際の広さと肉眼で見た広さは異なる。
入ってきた扉を含め、この部屋には3つの扉があった。
右と左にひとつずつ。これ以上前には進めない。
「どっちにします?」
葵が訊いた。
進む時は前面に立つが、選択するのは彼女ではない。
超常的な能力を持つ琴音のほうが、選択するには適切だ。
「左にしましょう」
琴音はそう言って、右の扉に向かった。
「姫川さん・・・・・・?」
当然、葵は困惑した。
まさか右と左が分からなくなったわけであるまい。
これは彼女が何か考えているからだ。
そう思った葵は琴音に着いて行った。
「できるだけ相手を混乱させるんです」
琴音が耳元で囁いた。
そうか、そういうことだったんだ。
葵はようやく彼女の意図することを理解した。
つまり”管理者”はどこかで自分たちの喋っていることを聞いているかもしれないのだ。
だが・・・・・・。
葵がこの部屋への扉を開けるときに感じた、悪い予感は当たっていた。
琴音が扉を開けると、その向こう側に人が立っている。
厳密には人ではなく、人の姿をしたロボットが。
「左にするべきでしたね・・・・・・」
琴音が呟いた。
「きっと左にもいたと思いますよ」
葵は言いながら、それなら後ろのロボットに挟撃に遭うのではないかと心配した。
敵はすでに戦闘の構えをとっている。
ふたりはエリスが現れないことを不審に思った。
「侵入者を確認。これより排除する」
これまで何度も聞いた、感情をまったく感じさせない抑揚のない声。
さすがにふたりもそろそろ恐怖を抱かなくなってきた。
ただし戦闘能力では話が違う。
葵は琴音の前に立ち、手で小さく合図した。
彼女らが自然と身につけた作戦だ。
葵が前線で戦い、その間に琴音が能力を集中させる。
葵ができるだけ長く敵を引き付け、琴音に近づかせないようにすること。
そして琴音は葵に負担がかからないように、できるだけ早く能力を解放する。
これがこの作戦のポイントだった。
「行きますっ!!」
言うが早いか、葵は躍りかかった。
スピードもパワーもロボットである敵の方が強いことは間違いない。
それなら、じっくりと攻めずに一発に賭ける闘いを葵は選んだのだ。
彼女の思ったとおり、ロボットの動きは素早かった。
一瞬で葵の左側に回りこみ、腕を振り上げる。
武器を持っていないことが救いだった。
それを葵は余裕で躱し、反撃に転じる。
このままの位置関係では、敵が自分の脇をすり抜け琴音に接近しかねない。
できるだけ琴音から遠ざける必要があった。
「はあっ!」
助走も踏み切りもなしに放った空中回し蹴り。
ロボットは大きく跳ね、後方に飛ばされる。
葵が着地し体勢を立て直す。
その後ろでは琴音が目を閉じ、静かに精神を集中させていた。
ステイアとの戦い、エリスとの戦いを経て、琴音の能力のコントロールは日増しに上達してきた。
能力の暴走はもちろん起こらなくなったし、その能力を解放する方法も身につけた。
それだけではない。
解放した力を正確に標的に向けて放つこともできる。
最近では解放するまでの時間を短くすることもできるようになった。
彼女に足りないものは、もはやひとつだけ。
それは彼女が彼女自身の能力を理解することである。
ロボットも体勢を立て直した。
「松原さん、もう少し・・・もう少しだけ、お願いします・・・」
琴音が目を閉じたまま言った。
「分かりました」
言って葵はロボットと対峙した。
相手が自分を凌駕するロボットである以上、頼みは琴音の能力だけだ。
ここは何としても死守しなければならない。
葵は何となく気づいていた。
目の前のロボットが、何か特殊な存在であることに。
琴音がスタンガンを使わないのは、彼女もそれに気づいているからだ。
銃を向けたところで何の役にも立たない。
ステイアとは違う、どちらかと言えばエリスに近い性質の持ち主である、と。
琴音の様子にただならぬ力の気配を分析したのか、ロボットが勢いよく飛びかかってきた。
目標はもちろん琴音であったが、その前には葵がしっかりと立ちはだかっている。
ロボットはとても理論的とは思えないような、がむしゃらな攻撃を繰り返した。
秩序性も戦略性も感じられないパンチの応酬。
葵はそれを余裕で躱しつづける。
時折、牽制のようにキックを返したりするが畳みかけることはしなかった。
ここでロボット相手に力を出し尽くして倒す必要はない。
それは琴音の役目だ。
この奥に何が待っているか分からない以上、できるだけ体力を温存しておく必要があった。
また、葵にはそれだけのゆとりがあった。
エリスとの戦いでロボットの戦い方をつかみとったかのようだった。
傍目からも避けられないような猛攻を、葵はまるで予測していたかのように体を反らすだけで躱していた。
「松原さん! 離れてっ!」
その時、琴音が叫んだ。
それを待っていたように葵が慌てて飛び退く。
琴音とロボットとが向かい合った。そして目が合った一瞬の後の出来事だった。
起きるハズのない風とともに、ロボットが捉えきれないほどの速さで吹き飛ぶ。
そのまま壁に激突したロボットは、やはりピクリとも動かなかった。
これがエリスなら何事も無かったかのように立ち上がり、ふたりを苦しめていただろう。
「松原さん、大丈夫ですか?」
問いながら、そうであることは分かっていた。
目を閉じてはいたものの、目の前の光景はしっかりと見えていた。
スピードとパワーで迫るロボットを、葵がいともたやすく受け流していたことを。
「ええ、こんなところで立ち止まってはいられませんから」
見ると、葵は呼吸を乱してはいない。
それだけ戦いに慣れてきたということか。
これは琴音にとって頼もしかった。
向こう側に扉が見える。
ここまでに見たものと同じ形のものだった。
「行きましょう」
「ええ」
ふたりは歩き出した。
扉を開けるには、先ほど倒したばかりのロボットの横を通らなければならなかった。
琴音の能力をまともに受けたとはいえ、もう起き上がってこないという保証はない。
葵が監視役として立ち、琴音が壁のスイッチを押す。
小さな音とともに扉が開く。それと同時にロボットも・・・・・・起き上がってこない。
「早く行きましょう!」
どうにも落ち着かない葵が急かす。
扉の向こうは大きな部屋になっていた。
激しい攻防の中、キディがはじめて片膝を地につけた。
その様子をセルピナが見下ろす。
「たいしたものね。私相手にここまで健闘できるなんて」
一方、セルピナは殆ど無傷だ。
「でも残念ね。この世界に私たちを倒せるものなんていないわ」
「”私たち”?」
キディがよろよろと立ち上がった。
「ええ。私たち、エージェントのことよ」
「エージェント・・・・・・?」
「ふふん、あなたの考えは分かってるわ。そうやって会話を引き延ばして時間を稼ぐつもりね?」
「くっ・・・・・・」
思惑を言い当てられた。そんな表情を見せ、キディは後ずさった。
「他の奴らはどうかしらないけど、私はそれに乗ってあげるほど甘くはないわよ!」
セルピナは闘う意志があることをキディに示した。
「あなたの強さは分かりました・・・・・・。でも・・・・・・私は負けないっ!」
セルピナの視界からキディが消えた。
捉えきれない速さで上空に跳んだのか? セルピナは空を仰いだ。
だが、キディの姿はどこにもない。
「がはっ!?」
次の瞬間、彼女の腹部にこれまで受けたことのない衝撃が走った。
続いて見えない何かに右腕を掴まれる。
セルピナの体が投げ飛ばされた。が、地面に叩きつけられる瞬間、彼女は身を捩って着地する。
体勢を立て直すと、目の前にキディが立っている。
信じられないという表情のセルピナ。キディは油断なく構えた。
「さっきの言葉、取り消すわ。気を抜いたら負けそうだもの」
これまで熱光学迷彩能力をキディは隠していた。
お互い、相手の実力が分からない以上、先に手の内を見せたほうが負けだ。
だがしばらく闘ううちに、セルピナに特殊な能力がないことを悟ったキディはようやく本気になった。
しかし決して油断はしない。これがキディの長所だった。
キディはセルピナから目を離さないようにして周囲を窺った。
味方のほうがやや押されぎみだ。
長引けば残った敵が一斉にこちらに迫ってくることも考えられる。
キディとしては目の前のセルピナを素早く倒し、味方の援護に当たるつもりだった。
「行くわよ!」
今度はセルピナから向かっていった。
大振りの一撃をキディは難なく躱す。
牽制に放ったキディのパンチはセルピナに殺されてしまった。
思いもよらないキディの能力に焦っているのか、さっきまでに比べるとセルピナの攻撃は隙が大きい。
もちろんそれを見逃すハズはなく、キディの反撃が始まった。
体格では不利な彼女は、今度はそれを長所に生かして転じる。
素早く側面に回りこんでの裏拳。続いて回し蹴り。
ガード越しながら、この連携はかなりのダメージを与えたハズだ。
体勢を立て直したセルピナが力で迫る。
するとキディはまたしても姿を消した。
セルピナも即座に後ろに向かって走る。
相手が見えないのなら、姿を現すまで離れていればいい。
だがムダだった。
敵に背を向け走っていたハズのセルピナの腹部に、またしても衝撃が走った。
キディはセルピナのスピードを大きく上回っていたのである。
よろめいたところにキディが渾身の力を込めたストレートを繰り出す。
弾かれるようにして後ずさるセルピナ。その瞳の向こうにはストレートを放った姿勢のキディが映っていた。
形勢は逆転したように思われた。だが・・・セルピナは笑っていた。
「分かったわ、あなたの能力と・・・・・・その弱点がねっ!」
「・・・・・・!?」
セルピナの目には焦りの色は微塵も見えない。
ハッタリではなさそうだ。
セルピナがにじり寄る。
「たしかに手も足も出ないような素晴らしい能力ね。でも、そんな大きな欠点のある能力じゃダメね」
「私の力を見破ったのかもしれないけれど・・・・・・言ったでしょ!? 私は負けないって!」
キディが大きく跳んだ。ロボットにのみ実現可能な驚異的な跳躍力だ。
セルピナもそれに合わせて跳ぶ。
「やあぁぁっ!」
かけ声とともにキディが蹴りを放つ。
お互い空中にいるため制止が利かない。セルピナはその強烈なキックをまともに腹部に受けた。
だが体勢は崩さない。セルピナはキックを受けつつ、ストレートを放った。
距離を縮めていたキディもこの攻撃を躱すことはできなかった。
2人は組み合ったまま落下する。
先に立ち上がったのはセルピナだった。
キディは・・・・・・いない。
姿を消したのだ。
だがセルピナは動じなかった。
その場から一歩も動かずキディが着地したハズの位置を睨みつける。
目の前の地面にわずかに砂埃が舞った。
そこでセルピナが跳んだ。先ほどよりも高い。
戦場をまるごと見渡せるほど高く飛んだセルピナは見下ろした。
微妙な風の乱れ。
間違いない。
セルピナは何もない空中に向けて拳を突き出した。
たしかな感触があった。
下で何かがぶつかる音がした。
見るとキディが仰向けに倒れている。
不適な笑いとともにセルピナが悠々と着地した。
「くっ・・・・・・」
よろよろとキディが立ち上がる。
「計測したわ。あなたの透明化は5秒程度だってね。どうやら連続使用はできないみたいね」
セルピナに余裕が見えてきた。
「何より、たとえ透明化したとしても、姿が無くなるワケじゃない。音も痕跡も残るのよ」
そう。彼女は見えなくなったキディの居場所を地面の変化と音とから割り出したのだ。
「さすがですね・・・・・・。それがエージェントなの・・・・・・」
「そうよ。私たちはロボットだけど、あなたたちのように人間に作られたロボットじゃない」
「・・・・・・?」
その言葉が引っかかった。
人間に作られたわけではないのに、それならどうして人間らしく振舞えるのだろうか。
考える余裕はなかった。セルピナが再び襲いかかってきたからだ。
キディはセルピナに背を向けて走り出した。
スピードでは彼女が勝っている。逃げ切ることは充分可能だ。
「ふふ、そうよね。逃げるしかないわよね?」
見失うことのないようにセルピナもスピードを上げて追う。
100メートルほど走ったところでキディが背を向けたまま止まった。
少し遅れてセルピナも止まる。
「諦めたのね。もう少し抵抗するかと思ったけど、意外と潔いんだ」
振り返ったキディの瞳は、いまだ闘志を失ってはいなかった。
だがすでに勝利を確信し慢心していたセルピナはそれに気づかない。
「また何をされるか分からないからね! 一気に勝負をつけるわよ!」
セルピナがキディに跳びかかった。