第59話 帰還
(ABYSSからの脱出に成功した3勢力。彼らはしばしの安息の時を得る)
「さあ着いたぞ」
高城が声高らかに言うと、装甲車はハデな音を立てて止まった。
ほんの数時間前に見たALTER。
そこへ無事に戻られたことが雅史たちにはまだ不思議であった。
「経過については後で聞くとして、君たちはゆっくり休んでくれ。お疲れ様」
どこか事務的な高城の口調が雅史には気がかりだった。
各々装甲車を降り、ALTERへ。
真っ直ぐ部屋へ向かう者や、食堂へ向かう者。中には装甲車の中で寝息を立てている者もいる。
雅史は自分の部屋へ戻り、まず疲れをとるためにシャワーを浴びることにした。
「じゃあセリオ、ステイア、僕はここで」
「はい。ゆっくりとお休み下さい」
セリオとステイアは恭しく頭を下げた。
雅史が自室のドアを閉めるのを確認してから、2人は高城のもとへと向かった。
「どう報告しましょう・・・・・・」
その途中、セリオが訊いた。
「どうって、ありのまま報告するしかないんじゃない?」
ステイアはにべもなく言った。
しかし人間に仕えるロボットが、人間を抹殺しようとしているロボットがいるなどと報告するとは何という皮肉か。
「それに報告しないことは、命令に反してるわ」
ステイアはそう付け加えた。
セリオは視線だけをステイアに向け小さく頷いた。
「やあ、待っていたよ」
コーヒーを飲みながら高城は軽く手を挙げた。
「君たちもご苦労だった。あの様子からかなりの激戦だったことは私でも分かるよ」
高城はそう言って2人に席につくよう勧めた。
「失礼いたします」
2人は勧められるまま席につく。
「早速報告させていただきます」
「あ、ちょっと待ってくれ」
高城はそばに置いてあった装置の電源を入れた。
これでこの部屋での会話を録音することができる。
「いいよ、報告してくれ」
「はい。私たちは地下に巨大な施設を発見しました。巨大と申し上げましたが実際の規模は不明です」
「うむ」
「そこには多数のロボットがありましたが、信じられないことにその性能は常識をはるかに超えています」
「というと」
「尋常ではないスピードとパワー。これは戦闘能力に特化したロボットです。実際に私も闘いましたが、かろうじて勝利しました。
私の知りうる限り、あのようなロボットは存在しません」
ステイアが言った。
「戦ったか・・・・・・。それは君たちが侵入者だったからか?」
高城の顔つきが険しくなった。
「直接の原因はそうですが、そうでなくともいずれ戦うことになったハズです」
ここは事情をよく知っているステイアが答えた。
「地下施設のロボット群は人類を抹殺するために作られたものです」
「・・・・・・ッ!」
高城はもう少しで持っていたコーヒーカップを落としそうになった。
「私たちの知らないところで人類抹殺の計画が進んでいたようです。私たちが施設の存在に気付いたことで向こうは態勢を変えたのでしょう」
「冗談じゃないのか?」
高城はよほどそう言いたかったに違いない。
「ロボットは人間を、いや生物を殺せないようにできてる。そんなことは・・・・・・」
「そのことについてなのですが・・・・・・」
セリオが表情を変えずに言った。
「ロボットが生物を殺せないようにしているのは、人間ではない気がするのです」
その言葉に高城は息を呑んだ。
内容にももちろんだが、セリオが自分から考えを述べることがこれまでになかったからだ。
「たしかに私たちが生まれる際、人間社会に適応できるよう充分な倫理観が組み込まれます。しかしこの倫理観は自分ではもちろん、作り手である
人間にすら解除できません。そうですね、高城様?」
「あ、ああ・・・・・・」
「ロボットを支配しているのは人間ではなく、別の何者かのような気がしてならないのです・・・・・・」
ステイアは小さく頷いた。
これはセリオ本人から以前に聞いていた仮説だ。もちろん、ステイアも何となくであるがそんな気がしている。
「施設の核と思われる人工知能は、自分を創ったのはレイマンだと言っていました」
「レイマンだと?」
高城が身を乗り出した。
「レイマン・・・・・・聞いたことがあるな」
「ご存知なのですか?」
「ああ。誰だったかな・・・・・・ああ、気になるな」
高城は下を向いてブツブツ言い始めた。
「人類抹殺を命じたのはレイマンだと言っていました。あれほどの規模の施設を作る人物などそういないのでは・・・・・・?」
「私もそう思います。となれば特定も容易です。レイマンを捕らえれば・・・・・・」
「いや、それは無理な話だ」
高城は吐き捨てるように言った。
「思い出したよ。クローサー・レイマン。仮にもロボット開発に携わってる私がすぐに思い出せなかったとはね」
「クローサー・レイマン?」
「ああ。歴史上、日の目を見なかった憐れな科学者だ。200年以上も前に死んだがな」
「200年前・・・・・・? 当時はロボットなど存在していないハズでは・・・・・・?」
「表面上はな。でも本当はそうじゃない。200年前にはすでにロボットの原型が存在していたんだ」
「それを作ったのがレイマンだと?」
「そうだ。彼は君たちのような人型のロボットを生み出している。当時では革命的なことだが、時代に合わず世間には認められなかった。
特に思想だ。彼の思想は進みすぎていたんだ」
「思想?」
「レイマンはすでに地球環境が汚染されていること、そしてその汚染が今後さらに悪化することを予見していたんだ。そこで彼は環境保全の思考から
無害な労働力としてロボットを開発した。彼がもう少し後に生まれていれば、まさしく革命が起こっていただろうな」
ロボットへの熱意からか、高城は本当に残念そうな顔をした。
「しかしレイマンと人類抹殺が結びつかないんだよ。他に何か情報はないか?」
「分かりません。あの施設への道も崩落で塞がってしまいました。調査を再開するにしても時間がかかるでしょう」
「そのことだが、何があった?」
「姫川様です。ここを抜け出した後、松原様とともにあの施設にいらっしゃいました。そこで敵のロボットと混戦になりましたが、そのさなかで姫川様の
超能力が発動したものと思われます。核の人工知能の反応は消え、崩落が始まりました」
高城が難しい顔をしてうなった。
「超能力か・・・・・・。君たちは信じるか?」
ステイアとセリオは突然の問いかけに顔を見合わせたが、
「いいえ、科学的根拠のないことを信じることは・・・・・・」
「あると思います」
セリオが言い終わらないうちにステイアが言った。
「分析しえない力は確かに存在するようです。セリオ、あなたも素直になったほうがいいわよ?」
ステイアが意地悪く笑った。
2人の様子に高城は困惑したが、改めてセリオに問うた。
「どうなんだ? 信じてるのか?」
「・・・・・・はい。私も・・・あると思います」
「そうか・・・・・・」
高城はため息をついて天井を見上げた。
「ご苦労だった。報告はもういいよ。君たちもメンテを受けて休むといい」
セリオとステイアはほぼ同時に立ち上がった。
「これからどうなるのでしょうか?」
「ああ、独立したばかりで態勢の基盤が成ってない今、あまり大きな動きはできんな。今回のことだった本社側に遅れをとらないためだったしな」
「そうですか・・・・・・」
一番力を落としているのは高城だ。
「それでは失礼いたします」
セリオとステイアは深々とお辞儀すると、部屋を出て行った。
長い通路を歩きながら、ステイアが言った。
「もう少し自分の意見を言ってもいいと思うけど」
「・・・・・・」
だがセリオはその言葉に対する適切な答えが見つからず、こう返した。
「自分の意見・・・・・・よく分かりません」
「そう? 最初に言ってたわよ?」
「そうでしょうか? 私は感情を極力抑えるようにプログラムされています。その私が自分の考えなど・・・・・・」
「ってことは感情はあるってことよね。あなたは自己を主張することに慣れてないだけよ。大丈夫、そのうち慣れるわ」
「・・・・・・」
セリオは思考の中で、ステイアを羨ましいと思っている自分に気付いた。
同じロボットとして生まれながら、なぜこうも違うのか。
自分はステイアに嫉妬している・・・・・・?
否、そんな感情を抱くハズがない。
「どうしたの?」
立ち止まってしまったセリオに、ステイアが訝しげに訊いた。
「い、いえ・・・・・・なんでもありません・・・・・・」
妙な感情を振り払うようにセリオは早足でステイアに追いついた。
「お疲れさまでした」
浩之たちは東鳩には戻らず、第7研究所へとやって来た。
今回のことを報告すべきだというキディの案によるものである。
浩之を除く男子と好恵、一部の12型は東鳩の防衛を名目に先に帰還した。
浩之たちを出迎えたのは研究所所長の芹沢明とその部下、平井だった。
「本来なら私たちが行かなければならなかったのですが・・・・・・君たちを危険な目に遭わせて本当に申し訳ない」
大の大人が揃いも揃って子供に頭を下げる。
これはエリートである彼らには屈辱的なことだった。
「そんなことないですよ。俺たちもずっとお世話になりっぱなしだし・・・・・・」
人間、相手に頭を下げられるとなかなか強気に出られないものだ。
ここに来るまで、浩之は文句のひとつでも言ってやろうと思っていた。
「藤田君はしばらくここで休んでいてください。キディとマルチに今回のことを報告してもらいたいので」
「あ、そうですか・・・・・・」
「平井、彼を部屋に」
「かしこまりました。どうぞ、こちらへ」
浩之は平井に案内されるまま着いていった。
2人の姿が見えなくなるのを待って、芹沢が口を開いた。
「さて、何から訊こうか・・・・・・。キディ、何から訊いたらいい?」
「はい。まずは地下に存在する施設からご報告いたします」
マルチは2人のやりとりをキョロキョロと見比べていた。
「私は地上で正体不明機と戦っていましたので全貌をつかむことはできませんでしたが・・・・・・」
「いきなり残念な報告だな・・・・・・」
「申し訳ございません」
「あ、いやいいんだ。続けてくれ」
「はい。これは藤田様からお聞きしたことなのですが、施設を管理していたのはロボットのようです」
「ロボットが?」
「はい。その司令塔となるのはセラフというそうです。セラフはロボットの手によって人類を抹殺することを計画していました」
「人類抹殺? 急に話が飛んだな・・・・・・。いや、しかし抹殺とは・・・・・・」
「その理由までは分かりませんが、私たちのロボットの概念では量れないことがあります」
「それは?」
「ロボットは本質的に生物を殺すことはできないハズです。”できない”だけでなく、そう”考える”ことすら不可能です。しかし・・・・・・」
何もすることのないマルチがお茶を淹れてきた。
「そういえば、マルチさんもあの施設で謎の声を聞いたということですが・・・・・・」
「はい?」
仕事をこなしてすっかり油断していたマルチは、キディの突然の問いに慌てた。
「ええ、聞きました。葵さんと琴音さんもいらっしゃったようですが・・・・・・」
「そこで他に何か聞かなかったか?」
「はい。施設をまとめていたのはセラフと言っていました。お二人は”管理者”とも呼んでいましたが。そのセラフを作ったのはレイマンと言います」
お茶を汲みに行っていたため、マルチはキディと一部重複する報告をした。
「レイマンか・・・・・・聞いたことがないな」
芹沢はしばらく考えてみたが、やはり思い当たる節はないようだった。
「やつらは何か情報を掴んだのだろうか・・・・・・」
芹沢は独立派のことを考えていた。
もちろん芹沢自身は本社側の人間だ。充分な資金と研究環境が本社から与えられている。
しかしここ最近は目新しい成果が出ていない。
たしかにキディは第7研究所とデイラック・インダストリー社との共同開発によって生まれたが、第7はあくまでその資金を提供したにすぎない。
ロボットのノウハウはほとんどをデイラックに依存しているため、第7の成果とはいえないのである。
来栖川は業績主義であるため、採算の取れない、あるいは見込みのない部門はすぐに閉鎖してしまう。
そうして廃棄され今も建物だけが残った研究所がいくつもあるのだ。
「近々、調査しなければな」
「そのことなのですが」
キディが申し訳なさそうに言った。
「施設内で敵と交戦中、なぜか敵が機能停止に陥り、崩落が始まりました」
「なんだ、どういうことだ?」
「詳しいことは分かりません。こちらが圧倒的に不利だったにも関わらず、このように生存しているのは敵が攻撃の手を止めたからです」
「人類を抹殺とか言っておきながら理解できないことだな、それは」
「きっと琴音さんですよ」
マルチが言った。
「琴音さんは超能力が使えるんです。超能力なら説明がつきますよ」
「超能力か・・・・・・うむ・・・・・・」
芹沢は眉間に指を押し当てた。
「科学者としては当然否定すべきなのだろうが、そういえばどこかの製薬会社がそんな研究をしてたな」
「超能力のですか?」
訊いたのはキディだ。
「ああ。どこだったか忘れたが、飲めば誰でも一時的に超能力者になれるそうだ。もっともそんな根拠はどこにもないし、体に害悪しか及ぼさないとして
棄却になったそうだが。まあ、どうでもいい話だがな」
芹沢は運ばれたお茶をずずっと啜った。
「とはいえ、そういうロボットがいるとしたら由々しき事態ではあるな。我々の沽券に関わる」
「調査をなさいますか?」
「もちろんだ。だが未知の部分が多い。だから君たちを行かせたんだが・・・・・・慎重にならざるを得んな」
「藤田様はいかがなさいます?」
「彼には東鳩に戻ってもらう。私たちにとっては貴重な人的資源だ。何しろ彼は・・・・・・あ、マルチ、もう一杯たのむ」
「かしこまりました」
マルチは慌てて給湯室に駆けていった。
「走らなくていいぞ。お前は何もないところで転んだりするんだから」
ほどなくしてマルチが戻ってきた。
「ありがとう。マルチ、もうひとつ仕事を頼んでいいか?」
「はい、なんなりと。なにをいたしましょう?」
マルチはにこやかに言った。
「平井に藤田君を東鳩までお送りするよう伝えてくれ。君たちはここに残るんだ」
「はい、かしこまりました」
ペコリと頭を下げるとマルチは早足で部屋を出て行った。
「君たちからもう少し詳しく話を聞きたい。部外者がいては落ち着かないんでな」
部外者とはもちろん浩之のことだ。
芹沢の口からはしばしば浩之に対する侮辱が出るが、キディはそう思っていても反論はできない。
「芹沢様。お尋ねしたいことがございます」
マルチの姿が見えなくなったのを確認してキディが言った。
「なんだ?」
「私は・・・・・・私は完全ではないのでしょうか・・・・・・?」
「・・・・・・!?」
芹沢の目が見開かれた。
「私は既存のロボットにはない知能と感覚と技術をいただきました。しかし、あの施設への途中でエージェントというロボットが現れました」
「・・・・・・・・・」
「彼女は私よりも優れていました。結果的に勝利を収めたのは私ですが、シールドを使った上での辛勝です。これでは私は完全とはいえません」
「そうか・・・・・・」
芹沢は深いため息をついた。
「お前にはマルチほどではないが充分な感受性と感情がある。それは劣等感というものだ。分かるな?」
「はい」
「劣等感にはそれをバネに向上心が芽生える場合があるが、今のお前ではそれが望めそうにない。時にその感情はお前がお前自身を否定
することにつながりかねない。それは危険なことだ」
「はい」
「私たちがお前に完全を求めて開発したのであれば、お前が完全でない自分を許さない姿勢は間違ってはいない」
「・・・・・・」
「しかし私たちがお前に求めたのは完全ではない。”進歩”だ」
「進歩・・・・・・」
「そうだ。完全というものはほど遠く、進歩の先に完全があると仮定すれば、完全とは決してたどり着けない場所ということになる」
「進歩・・・・・・」
「お前はどのロボットよりも優れた能力をもって生まれた。だがそれもいつかは乗り越えられる。それが進歩なんだよ」
芹沢は諭すようにゆっくりと言った。
「だから完全ではない、劣っていると考えることにそれほど意味はないんだ。後に生まれるものが優れているのは当然のことなのだから」
そこまで言った時、部屋の外で声がした。
「マルチやキディは帰らないんですか?」
浩之の声だ。
「だからお前はそんなことは考えるな。いいな?」
小声でそっとささやくと、芹沢は立ち上がって浩之を出迎えた。
「申し訳ありません。彼女たちから詳しく話を聞きたいので。藤田君は一足先に東鳩にお戻りください。平井」
「かしこまりました」
有無を言わさぬ連携だった。
浩之が口を挟むまえに芹沢がまくし立て、平井が外に停めてある車両へと誘導する。
「え、え、ちょっと・・・・・・!」
浩之はマルチたちに挨拶する間もなく外に連れ出される。
「2人はあとで必ず送り届けますので」
平井が言いながら芹沢に合図を送った。
「浩之さぁ〜ん、先に帰っていてくださ〜い」
マルチが小さな手をぶんぶんと振った。
「こいつこそ少しくらい劣等感を抱いてほしいよ・・・・・・」
芹沢はぼそりとつぶやいた・・・・・・。
葵と琴音はエリスに連れられて廃棄された研究所にたどりついた。
ここも来栖川の研究所だったのだろう、外観は葵たちがいたところとそう変わりはなかった。
敷地はかなり広く、建物自体はその半分の面積しか占めていない。
グラウンドのような空間が残り半分を占めているが、これは新規のロボットのテストに使われていたのだろうか。
ここが拠点になると直感した琴音はまず火や水が使えるかを確かめた。
「ひととおり人間が生活できるようになってるわ」
エリスが言った。
その言葉どおり、ガスも通っているし水も出る。
つい最近まで人がいたかのようだ。
「少し休む? 向こうにベッドがあるわ」
エリスが通路の向こうを指差して言った。
「・・・・・・」
葵と琴音は顔を見合わせた。
心のどこかに眠っている間に襲撃されるのでは、という不安がよぎった。
先に音をあげたのは琴音だった。
「すみません・・・・・・能力をたくさん使ったからか、少し疲れてしまいました・・・・・・」
その言葉は葵に言ったのか、エリスに言ったのか。
「分かったわ。こっちよ」
エリスが琴音を連れてベッドのある部屋まで案内した。
小さな部屋にベッドが一台。あとはスタンドがあるだけだ。
{粗末だけどしかたないわね・・・・・・」
だが一向に琴音はベッドに向かおうとはしない。
「どうした・・・・・・分かったわ。私がいちゃ安心して眠れないわよね・・・・・・」
ふっと一瞬、寂しそうな目をしてエリスは部屋を出て行った。
その仕草に琴音は気を許しそうになった。
部屋を出たエリスに葵が困惑した様子で訊いた。
「どうして・・・・・・こんなことを・・・・・・?」
「・・・・・・・・・・・・」
「答えられないんですね! やっぱり・・・・・・!」
「違うわ」
エリスは首を横に振った。
「何から説明すればいいのか・・・・・・信じてくれなくてもいいけど、でも今だけは信じて」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
しばらく沈黙が続いた。
やがて葵が言った。
「・・・・・・他にもベッドのある部屋はありますか・・・・・・?」
エリスは研究所の敷地を周回した。
まさかとは思ったが、念のため不審な影がないかを確認するためだ。
エリスほどの優れたエージェントであれば、視認しなくとも人間やロボットの存在を感知できる。
ただその能力が”今も”備わっているのかどうかについては、エリス自身も分からなかった。
だからこうして自分の足で歩き、自分の目で見ているのだ。
10分ほどかけて敷地を一周したエリスは、森の方を見た。
地下施設への道は先ほどの崩落で閉ざされてしまった。
さらに照明までもが落ちたことを考えると、施設は完全に陥落したとみていいだろう。
だがエリスには不安がつきまとう。
驚異的なパワーとスピードを誇るエリスにも不安があった。
それから数時間。
陽が傾きかけたころ、エリスは研究所に戻った。
時の経つのも忘れるほどに彼女は監視の目を休めることはなかった。
中から音がする。
エリスはゆっくりと音のする方へと歩をすすめた。
琴音だ。
談話室のソファに座り、どこから出してきたのか紅茶を啜っている。
「・・・・・・ッ!」
エリスの姿を見止めた琴音は一瞬、息が止まった。
だがやがてその緊張が解けると、
「温かいものを飲むと落ち着くんですよ」
そう言ってクスッと笑った。
その時、葵が談話室に入ってきた。
寝起きなのか、目をこすりながらソファに座る。
エリスには気付いていないようだった。
「ちょっと待ってて下さい」
そう言って琴音は立ち上がり、キッチンへ向かった。
どうやらカップも茶葉もそこにあるらしい。
ほどなくして紅茶を持って戻ってくる。
「どうぞ。ストレートですけど」
「あ、いただきます」
運ばれた紅茶に口をつける。
茶葉の香りが心地よかった。
「よく眠れました?」
葵が訊いた。
「ええ。張りつめてた緊張の糸が一気に切れたみたいです。久しぶりです、あんなにゆっくり寝られたのは」
「実は私もなんです」
そう言って2人は笑った。
紅茶を半分ほど飲んだところで、琴音はエリスに向き直った。
「聞かせて下さい。あなたのお話を・・・・・・」
そう言って琴音は向かいのソファを勧めた。
葵もいまやエリスに対する警戒を解いたのか、特に身構えることもなかった。
エリスは小さく頷いてソファに腰を下ろした。
中央のテーブルを挟んで人間とロボットが向かい合うかたちになった。
「少し長くなるけど・・・・・・その前にまず・・・・・・」
エリスは突然立ち上がった。