第1話 シェイド

(アンヴァークラウンに生きる少年シェイド。彼が見つけた一冊の書物が、世界に多大な影響を及ぼす)

 この13歳の少年は決して裕福とはいえない生活の中にも、小さな幸せを感じていた。
光の射さない灰色の空も、寒さと冷たさしかもたらさない雪原も、生命の息吹を感じさせない荒地も。
産まれた時からここに生きていれば、常人が感じるほどの苦痛はない。
寒さから身を護るためにフードを深く被ったシェイドという少年は、うっすらと道のできた雪原を駆け抜けた。
はらはらと雪が降る中、灰色の視界に粗末な小屋が見える。
「お〜い、ソーマ〜っ!!」
シェイドはその小屋の全容がぎりぎり見て取れる位置から、声をかぎりに叫んだ。
風向きが悪く、彼の声はわずかに反響して自分に戻ってくる。
(今日は一段と寒いな・・・・・・)
身を縮こまらせて心の中で呟いた時、
「わりぃ、待たせたな!」
と、同じように厚手のコートを羽織った少年が走ってきた。
フードからわずかに覗く金髪と碧い瞳。
シェイドよりもかなり背が高いが、2人は同い年だ。
「きみが誘ったのに、なんで僕が迎えに行かなきゃならないんだ?」
シェイドは口をとがらせたが、ソーマと呼ばれた少年は、
「怒るなよ。その代わり、ほら。こういうのは全部オレが用意してるんだぞ」
懐からランプをふたつ取り出した。
シェイドはそのひとつを受け取り、側面のつまみを回した。
球状のガラスの中に青白い光がポッと浮かび上がる。
ペールドット鉱石を底に敷いてあるこのランプは、半永久的に点灯することからこの世界では広く用いられている。
「別に怒ってないよ。で、その洞窟ってどこにあるんだ?」
シェイドはわざと拗ねてみせた。
ソーマは北を指差して、
「あそこだ! きっと宝があるに違いないぞっ!」
と意気込んだ。
シェイドは小さく息を吐き、
「13にもなって宝探しなんて・・・・・・恥ずかしくないのか?」
呆れるように言った。
「全っ然! ・・・・・・嫌ならいいぞ。オレひとりで行くから」
「・・・・・・僕も行く」
シェイドは頬を朱にしたことを悟られないために俯き加減に答えた。

 シェイドとソーマはずっとこんな調子だった。
3歳になる頃から、親の制止も聞かずに外に遊びに行き、あちこちに怪我をして帰ってくるのが常だった。
どちらかといえばソーマの方が行動的で、シェイドはいつも巻き込まれる形で行動を共にするのだが、
気がつくと彼もソーマに負けないくらいのやんちゃぶりで、周囲の大人たちもこの2人の腕白ぶりには手がつけられなかった。
今日は北の山中に見つけた洞窟を探検する事になっていた。
好奇心や冒険心が旺盛なソーマが言い出したのだが、シェイドもまんざらではないらしく約束の時間よりずっと早くソーマを呼びに行った。
まさか本気で宝が見つかるとは思っていないが、子どもにとって未開の地を探索するのは宝探しよりも興奮するイベントだ。
誰にも秘密、という大人も知らない世界を自分たちだけで進んでいく。
この件に関しては親に隠し事をしてもまったく後ろめたさを感じない。
むしろ秘密にしておくことに表現しがたい喜びがあった。
「ほら、あれ。あそこに洞窟があるだろ?」
ソーマが興奮して言った。
「うん・・・・・・? どこ?」
シェイドには銀色の岩肌しか見えない。
「あれだって! お前、視力悪いよな」
「いや、ソーマが良すぎるんだろ・・・・・・」
そんなやり取りをしながら、なだらかな山道を登っていく。
ソーマは口は悪いが人柄のためか、シェイドは全く嫌悪感を持たなかった。
むしろ良い事も悪い事も関係なく、本音でぶつかってくれる親友として見ている。
ある程度近づいてみると、ようやくシェイドにも洞穴らしきものが確認できた。
周囲に比べて暗いというだけで洞窟としての認識はできないが、明らかに異質のものであることは分かった。
「へえ、よく見つけたな、こんなところ」
シェイドは感心した。
近くまで来てみると、想像していたのとは違い、入り口がかなり狭いことに驚く。
縦横2メートルほどの穴がぽっかりと開いており、ごつごつとした道がずっと奥に続いている。
ソーマがランプを前に突き出して様子を探る。
「中は広くなってるみたいだ」
言うより先に彼は踏み込む。
「あ、ちょっと! 危ないぞ!」
と制止しながらも、なぜかシェイドは積極的に洞窟に入った。
ふたつのランプが照らすのは、左右から大きく張り出した岩だった。
足元に細い骨が散らばっている。
少なくとも小動物がこの中で生活していると分かる。
地面は平らだが、天井がところどころ低くなっており、迂闊に進めば頭をぶつけそうになる。
「どこまで続いてるんだ?」
身をかがめてシェイドが呟いた。
「さあ? オレも初めて来たし」
少し先を行くソーマは、足元と頭上に気をつけながら進む。
(・・・・・・・・・)
壁に投影された2人が、大きくなったり小さくなったりしながら踊っている。
シェイドはできるだけそれを見ないようにして、ソーマの後を追う。
「あっ!」
途中、シェイドが声をあげて右にそれた。
這うようにして壁際に近づき、それをじっと見つめる。
石箱が置いてある。
両手で持ち上げられるほどの小さな箱だ。
「もしかして・・・・・・」
シェイドはランプを脇に置くと、蓋に手をかけた。
「ぐっ・・・・・・!」
かなりの重量だ。
だが、『開けるのが難しい=高価な宝』と脳内で変換したシェイドは普段出さないような力でそれを持ち上げる。
ズズズ・・・・・・と音をさせて半ば引きずるようにして蓋を取り去る。
「あ! ・・・・・・・・・・・・あぁ〜〜・・・・・・」
喜びの叫びは無念のため息へ。
石箱の中にはネズミの死骸が入っているのみだった。
おおかた開いていた石箱にネズミが入り込んだ時、なにかの拍子で蓋が閉まったのだろう。
今ので全ての力を出し尽くしたようにシェイドが座り込んだ。
「ふっ」
後ろで笑いを堪えているソーマに気付き、彼は振り返った。
「な、何だよ・・・・・・?」
「さっきはあんな事言ってたくせに、結局宝探ししたいんだろ?」
ソーマが意地悪く笑った。
「いや、別に・・・・・・ちょっと気になっただけだよ」
シェイドは必死に弁明する。
「へえ? その割りには飛びついてなかったか?」
「・・・・・・・・・・・・」
「素直になれよ」
ソーマにからかわれ、シェイドは赤面した。
「うるさい!」
シェイドの声は洞窟内をこだました。
石箱をそのままに、2人はさらに潜った。
入り口から離れているために、光源は2人の持っているランプしかない。
必然的に視界は狭くなり、進みも遅くなる。
尚も前を行くソーマは反対に、シェイドは一転、そろそろ戻ったほうがよくないかと思い始める。
「なあ、ソーマ・・・・・・今日は――」
「何かあるッ!!」
帰ろうと言いかけたシェイドをソーマの叫び声がさえぎった。
ソーマは這いつくばって奥の暗闇に手を伸ばした。
しかし届かない。
どういうわけかここだけ岩が盛りあがり、また天井からも氷柱のように岩が垂れ下がっているために小さな穴ができている。
ソーマがその穴にランプを近づけると、暗闇の中に鈍く光る何かを見つけた。
「くそ! もう少しなんだけどな・・・・・・」
ソーマは右手をねじこむようにして何かを掴もうとする。
指先に感触。彼はさらに身を乗り出した。
「シェイド、オレの背中を押してくれ。もう少しなんだ」
「あ、ああ・・・・・・」
言われるままにシェイドはソーマの体を押し、彼が見つけた何かに近づけようとする。
(うん・・・・・・?)
不意に視線を落としたシェイドは、ソーマの足元の一箇所だけが妙に盛り上がっているのを認めた。
(なんだ?)
シェイドはソーマを手伝うことも忘れてそこに駆け寄り、土を掘り返してみる。
何かが出てきた。
石みたいに硬い長方形の一端がのぞく。
シェイドは手が汚れるのも厭わず、爪でがりがりと周囲の土を強引にかき分ける。
「届かねえ・・・・・・ッ!」
目の前の宝と思しきものに必死で、ソーマは後ろでシェイドが土を掘っているのに気付かない。
「・・・・・・・・・?」
土が脆かったおかげで、シェイドはさほど苦労することなくそれを掘り出した。
書物だった。
泥をかぶって元の色すら分からない表紙。
その表紙がかなり厚手だったためか、中のページはしっかりと守られていた。
シェイドはランプをたぐり寄せると、青白い輪の中でおそるおそる書物を開く。
干からびた薄茶色のページには、文字がぎっしりと詰め込まれている。
文字と言ったが、体裁上そう思えるだけで、実際に文字かどうかは分からない。
(ダメだ・・・・・・)
数ページほどめくって彼は諦めた。
書物の状態からも推測できるように、これはかなり古い文献のようだ。
書かれているものも現代用いられている文字や記号ではない。
「くそ!」
ソーマの声を聞いて、シェイドは慌てて書物を背中に隠した。
気付かれないようにベルトと背中の間に挟みこむ。
厚みがあるため不恰好になるが、大きめのサイズのコートがそれを違和感なく隠してくれる。
「ダメだな、届きそうにない」
数分前とは打って変わって、ソーマはひどく落魄していた。
「仕方ないよ、これじゃあ。今日はここまでにして戻らないか?」
シェイドはなぜか書物を掘り起こしたことを話さなかった。
「・・・・・・そうだな。とりあえず中の様子は大体分かったし。次はマトックも持ってこないとな」
意外にもソーマはあっさりと引き下がる。
しかし人並みに独占欲のある彼は、
「誰にも言うなよ。オレたちだけの秘密だからな!」
と不必要なほど大きな声で念を押してきた。
「わ、分かってるよ。誰にも言わないよ」
シェイドはたじろぎながらも一応頷く。
この後、2人は背後の宝(?)を名残惜しそうに見つめた後、来た道を引き返した。
背中に隠した書物のこともあって、シェイドはソーマを先頭に立たせた。
外に出ると、いつの間にか雪は降り止んでいた。
「じゃあ、また明日な」
「ええ!? 明日って・・・・・・」
「早いほうがいいだろ? オレとしては今すぐにでも荷物を取って潜りたいくらいだ」
「いや・・・・・・」
シェイドは背中に手を回し、コート越しに書物の感触を確かめる。
「明日は都合が・・・・・・今日も遅くまで出かけるなって言われてるし・・・・・・」
彼は嘘をついた。
だが磊落なソーマはそれには気付かず、
「お前の母さん、相変わらず厳しいな」
と苦笑を返す。
宝探しをしたがっているようだったが、無理を言ってまでシェイドを誘うつもりはないようだ。
「ま、いいや。じゃあ都合の良い日があったら教えてくれよ」
「う、うん。悪いね、水を差すようなことになってしまって・・・・・・」
「謝るなって。オレとお前の仲だろ?」
ソーマは嬉しそうに笑った。
その笑みを見て、シェイドは少し胸が痛んだ。

 

 ソーマと別れたシェイドは、家に着くまでの間、ずっと書物のことを考えていた。
なぜあんな事をしてしまったのだろう?
洞窟探検を提案してきたのはソーマだったが、自分もそれに乗ったのは事実だ。
何であれ、あそこで見つけた物は互いに見せ合うべきじゃなかったのか?
それをなぜ・・・・・・。
ソーマに隠してこんな古びた書物を持ち帰ってきたのだろうか。
そもそも特に目を引くものでもないのに、これに魅力を感じた理由も分からない。
宝石や貴金属など、明らかに宝と分かるものなら手に取るのは当たり前だ。
しかし自分は、読めもしない書物を大事そうに隠し持っている。
魅力・・・・・・?
シェイドは自問した。
そうだ。そうとも!
見た目や重さや中身の問題ではない。
彼は”それ”に魅力を感じたのだ。
五感では認識できない何かが、この書物には満ち溢れている。
シェイドはそれを五感ではない別の感覚で認識したのだ。
それが何かまでは今、考えることではない。
重要なのはその直感を大切にすること。
そしてそれ以上に、この書物を大切にすることこそ必要だ。
降雪が止んだとはいえ、一面を覆う雪の厚みに変わりはない。
シェイドは雪を踏みしめ踏みしめ、帰路に着く。
ソーマと違って、彼の家は岩壁をくり抜いた大穴の中にあった。
巨大な岩壁を一方向から掘り抜き、中央部に大きな空洞を作る。
住人たちはその空洞からさらに八方に伸ばした空間を住居としている。
つまり中央の空洞が玄関となり、そこを起点に延伸した穴が数世帯分の住居となる。
「お、やんちゃ坊主が帰ってきたな」
玄関で酒盛りをしていた3人組の男が、シェイドの姿を認めて言った。
「今日はどこに行ってきたんだ?」
ほどよく酔いが回っているのか、男たちは上機嫌だ。
「ソーマに振り回されてまた探検ごっこしてました」
シェイドは照れ笑いを浮かべて答えた。
洞窟の事は2人の秘密なので、これ以上は喋らない。
適当に相槌を打ってから、シェイドは自宅へ向かう。
玄関の右から2番目の洞穴が彼の家だ。
表札もドアも無い、空洞の延長。
とはいえ一流の工員が施工しているために、防寒などの住居機能は果たしているし落盤の危険もない。
贅沢を知らなければ、住むにはそれほど不都合はない。
「ただいま」
シェイドは言いながらコートを脱ぎかけてやめた。
背中に回した書物は家族にも見せたくない。
なぜか彼はそう思った。
「あら、おかえり。早かったわね?」
奥の部屋から出てきたのは黒髪を長く垂らした女性。
厚手のカーテンを切り取ったような衣服をまとったこの女性は――。
「ただいま、母さん」
シェイドの母親だった。
眼前の女性は蒼い瞳をこちらに向けて、慈愛に満ちた表情で、
「寒かったでしょう? お風呂に入りなさい」
と愛する息子の体を気遣う。
セタスアリー・BW・ルーヴェライズ。
これが彼女の名前だった。
もっとも、この地域では彼女のことを皆は「セタ」と愛称で呼んでいるために、本人以外はその本名をすっかり忘れている。
「う、うん。そうするよ」
シェイドは不自然な笑みを浮かべて自室へ。
木彫りのキャビネットの下に書物を押し込み、シェイドは脱いだコートをベッドに放り投げた。
通路の途中をくり抜いて作られた彼の部屋は、生活に必要な一通りのものがあるだけで娯楽は何ひとつない。
ベッドとキャビネット、机に本棚。
目に付くものはそれくらいだ。
壁には雪原の風景を切り取ったような絵画が飾られているが、特に有名な画家のものではない。
「ふぅ〜・・・・・・」
シェイドは長く息を吐いてから、キャビネットの下を見やる。
その隙間に先ほど押し込んだ書物は光の加減から、立っている状態では決して見えない。
「・・・・・・・・・・・・」
不意に背筋に冷たいものを感じたシェイドは、小走りで部屋を出ると素早く脱衣し、用意されていた風呂に浸かった。

 

 湯冷めしないように丹念に体を拭きながら、シェイドは保温性の高い肌着を着込んでリビングへ向かった。
もちろんリビングといっても広めの洞穴でしかなく、華々しく室内を演出するものは何もない。
中央の円テーブルに2人分のサラダとスープが用意されている。
「さ、冷めないうちにおあがりなさい」
言いながらセタスアリーは席につく。
シェイドも上着を羽織ってその真向かいに座る。
「いただきます」
「いただきます」
2人は今日も生きていることに感謝しつつテーブル上の料理に手を伸ばした。
サラダもスープも味は薄めだった。
分量が少ないため野菜を大きめに切ってごまかしているのがよく分かる。
「最近、ヌが獲れないって言ってたわ」
セタスアリーが静かに言った。
ここ数週間、人々はまともに肉類を摂っていなかった。
主に洞窟を棲みかにするヌという巨獣は、ムドラの民にとって貴重な食糧源だ。
食物連鎖の最上位に位置するヌは、人々に狩猟されない限り劇的に個体数が減少することはない。
それがすっかり獲れないのは、乱獲が原因だとする意見が多い。
「皆も言ってるけど、やっぱり獲りすぎたんじゃないかな」
シェイドは言いながらスープをすする。
薄味ながら喉越しがよく、彼は母親の作るこのスープが大好きだった。
「残りの分も大切に使わなくちゃならないわね」
セタスアリーの声は諦めに近い。
獲れなくなったとはいえ、全ての食卓からすぐに肉が消えたわけではない。
ヌは巨体ゆえに1頭あたりで食肉にされる部分が多く、たいていは冷凍保存されている。
極寒の地であるため保存には困らない。
食肉は各世帯に分配されているから、各々が考えながらそれを使うことになる。
「ごめんね、シェイド。私はともかく、あなたは育ち盛りなのに・・・・・・」
「母さんのせいじゃないよ」
「だけど・・・・・・」
同い年のソーマに比べて小柄なシェイドを見て、その体格の差はやはり肉類を満足に食べていないからではないか?
セタスアリーは我が子を愛する母親なら当然の心配をした。
そういえばソーマの家も母ひとり子ひとりだったハズだが・・・・・・。
あの子はどういう食生活をしているのだろう?
彼女はわずかに疑問に思ったが、すぐにそれを頭の隅に追いやる。
よその家庭にいらぬ詮索はしない、というのが彼女のひとつの信念であった。
「ところで母さん」
大方食べ終えたところで、シェイドが改まって切り出した。
「文字を教わりたいんだけど・・・・・・」
「ええっ!?」
突然の申し出にセタスアリーは噴き出しそうになり、慌てて水を飲むと口元を拭った。
「今、なんて? なんて言ったの?」
「だから、文字を教えてほしいんだ」
真面目な顔を向けるシェイドに、彼女は目を丸くした。
「・・・・・・・・・?」
セタスアリーはぺたっとシェイドの額に手の平をあてがった。
「・・・・・・熱はないわね・・・・・・」
「当たり前だよ!」
シェイドはその手を強引に払いのけた。
「どうしたのよ、急に? 机に向かったら10分も座ってられないくらいの勉強嫌いなのに」
「母さん、それ、言いすぎだよ・・・・・・15分は我慢できるよ」
学びたい、という姿勢に母親は感激するどころか逆に息子を訝った。
シェイドは勉強が嫌いだった。
好きだという子供はそういないだろうが、それでも彼の場合は少し異常なくらいだった。
資源に乏しいこの世界の住人は教科書も何世代にも渡って使われてきた。
国語や数学の教科書は、たしかシェイドで18代目だと彼女は記憶している。
そのせいで表紙も中もボロボロ。文字などもかすれて読めない部分がかなりあるが、シェイドにとってはまるで困らない話だった。
なにしろ彼はまだ文字も満足に読み書きできないのだ。
筋金入りの勉強嫌いはセタスアリーが教えようとする前に逃げ出し、夕暮れにはソーマと遊んできたのか泥だらけで帰って来る。
「とても良いことだけど、本当に大丈夫? もしかして頭でも打っ――」
「だから僕は普通だって! ただ学びたいだけなんだよ」
根底にはあの書物の中身を知りたい、という理由があることは伏せた。
「文字もいいけど、プラーナの練習はどうなってるの?」
「あ、ああ・・・・・・あれは・・・まあ、やってるよ」
話題を変えられた途端、シェイドは曖昧に返答した。
「ウソはだめよ。あなたも13歳、2年もしたら村のチームに加わって狩猟に出るのよ? それまでにプラーナを使えるようにならないと」
「分かってるって。練習はしてる。だからそれと並行して文字も勉強したいんだ」
極寒の地に住むムドラの民にとっては、知識や知恵よりもまず食と住が重要になってくる。
この地方では基本的に15歳を迎えた子供たちは――男女に関係なく――外に出て狩猟を行う風習がある。
前述のヌなどの食糧確保のためだが、巨大で獰猛な獣が多く、普通は数名でチームを組んでの共同作業となる。
その際にそれらの位置を割り出したり、実際に狩る時に気絶させるなどの目的でプラーナの行使が必須となってくるのだ。
他にも光源となるペールドット鉱石の採取、住居の建設などにもやはりプラーナが必要となる。
セタスアリーは少し考えてから、
「いいわ、プラーナの練習をちゃんとするって約束できるなら、教えてあげる」
諭すように言った。
彼女には13歳で文字の習得は遅すぎるという考えがあった。
学ぶ機会はもっと幼い頃にちゃんとあったハズなのに、その適齢期に充分に学ぶことなくここまで成長している。
今さら読み書きを教える必要はないのではないか?
それよりもプラーナの腕を磨き、生活に役立てる方がはるかに重要だとさえ思えてくる。
しかし彼女はやはり母親だ。
頭ではそう思っていても、愛する息子のやりたいことをわざわざ棄てさせるような愚行は犯さなかった。
「ありがとう、母さん」
シェイドは実に嬉しそうな顔をした。
(文字は文字でも古代文字・・・・・・なんて言ったらそれこそ怪しまれるだろうな・・・・・・)
彼は自分が学びたいのは現在使われている文字ではなく、古代文字であることをまだ母親には内緒にすることにした。

 

 この日を境にシェイドは変わった。
毎日のように誘いにくるソーマを退けて、日中にはプラーナの特訓をし、夜には母親から読み書きを学んだ。
しかし一度ついた怠け癖はなかなか取れない。
苦痛な時間は彼から容赦なく集中力を奪い、そこに付随されるべき成果をどこかへ奪い去ってしまう。
ストレスが溜まってくると、シェイドは以前のようにソーマと遊びに出かけた。
例の洞窟の届かない宝の所へ行っては、あれこれと手を尽くしそれを手に入れようとする。
しかしマトックを使っても周囲の岩は削れず、棒状の道具でたぐりよせようとしても上手くいかない。
そこでどちらからともなく、別の道を探そうという案が出てくる。
洞窟内は入り組んでいてかなり広かったから、2人の探究心は常にくすぐられた。
ところがどんなに探索を進めても、あの宝へと通じる別の道はみつからなかった。
やはりあそこから何らかの方法で取り出すしかない。
2人はいつの間にか暗闇に光るあの宝に執着していた。
もちろん、こうしている間にもシェイドはプラーナと文字の習得、このどちらも手を抜かなかった。
彼の怠惰な心は彼の強い熱意によって打ち砕かれ、セタスアリーも目を見張るほどの成長を見せた。
が、彼自身はプラーナよりも書物の解読に強い関心を寄せていたため、その成長の度合いには次第に開きが出るようになる。
「・・・・・・・・・・・・」
1日の終わり、キャビネットの隙間から書物を取り出してそれを開く事がシェイドの日課になっていた。
この日課の中で気付いたのは、文字だけでなく絵も挿入されている点だ。
今のところ、全く解読できないシェイドにはぱらぱらとページをめくりながら、挿入された絵を眺めるくらいしか楽しみがない。
(気味の悪い絵だな・・・・・・)
中ほどのページを開いたシェイドは思わず苦い顔をした。
奇妙な構図だ。
頭から上が人間の上半身に置き換わったサソリが、巨大なハサミを振り上げている絵だ。
その周りを針金みたいな人間がぐるりと取り囲み、サソリに向かって拝んでいる。
インクのかすれ具合がかえって不気味さを煽っている。
ぱたん、と書物を閉じてシェイドはベッドに倒れこんだ。
毎日は充実しているが、疲労も相当溜まっている。
明日・・・・・・1日くらいは休もうかな。
うとうとしながらシェイドはそんな事を思う。
「おっと、忘れてた」
不意に飛び起き、出しっぱなしにしていた書物を元の位置に戻す。
母親にもソーマにもこれについては話していない。
話せない。話してはならない、という気持ちが時間を経るに伴なって強くなってくる。
こうなると彼が最初に感じたのは魅力ではない。
彼はこの書物を誰の目にも触れないように、誰にも存在を知られないように隠している。
(違うな・・・・・・この書物が僕を縛りつけてる?)
疲れが溜まっているのか、シェイドは書物に意思があるなどという荒唐無稽な考えを抱いてしまう。
「寝よう・・・・・・」
彼は自分自身にそう言い、深い眠りについた。

 

「――これは”同一の”という意味だけど厳密には文字じゃないわ。記号ね。だから発音はしないのよ」
ペールドット鉱石の放つ青白い光の輪の中で、セタスアリーは熱心に文字を教えていた。
この世界では紙は貴重な資源であるから、彼女は地面に直接指で書いてひとつひとつ丁寧に示した。
「こっちのと同じに見えるけど、これは違うの?」
シェイドが隣の文字を指差す。
「よく見て。3画目のここが突き抜けてないでしょう? これで”ラ”と読んで、”小さな”という意味よ」
「ああ、そっか・・・・・・これが違うのか」
シェイドは苦笑した。
指を泥だらけにしながらも、セタスアリーは息子の成長には内心驚いていた。
どういうわけか、彼は一度覚えたことを決して忘れないくらいの記憶力があるらしい。
今日で1週間。
全80の文字と2000を越える単語、それに100近い俚諺を教えたが、彼はそのひとつも漏らすことなく記憶した。
もちろん文章の構成や品詞の使い方もマスターしている。
試しにテストをしてみても常に満点。
今は発音しないが意味を持つ記号や省略型の文字を教えているが、これでは間もなく彼女が教えることは無くなるだろう。
「ちょっと休憩にしましょう」
もう2時間もこうしている。
セタスアリーはおもむろに立ち上がると、雪を溶かして濾過した水を飲み干した。
その様子を見てシェイドは、現代の国語で学ぶべきことはほとんど頭に入ったと直感した。
「母さん・・・・・・これ・・・・・・」
シェイドは立ち上がり、懐から30センチほどの棒を取り出した。
「指、泥だらけじゃないか・・・・・・今度からこれ使ってよ」
と言って差し出す。
シェイドのこの配慮は遅すぎる。
こういう事は初日か、次の日には思いついているべきだ。
しかし彼には彼の理由があって、母親にちょうどよい棒を探していたために渡すのが遅れた。
身に合わないものを使い続けていれば指を痛めてしまうかもしれない。
だから母親に最適の筆記用道具を選んでいた。
これはこれでシェイドなりの配慮といえるだろう。
しかしセタスアリーはかぶりを振って、
「知識は人の手から手へ伝わるものよ。その礎となる文字を教えるのに、道具は使いたくないわ」
一蹴した。
(・・・・・・・・・?)
シェイドにはこの言葉の意味は分からなかった。
が、自分には理解できないということはそこに深い意味が隠されているのだと解釈し、彼はその棒を再び懐にしまい入れた。
同時に尊敬する。
彼女は何でも知っているんじゃないか。
普段、表に出さないだけで実はあらゆる知識が彼女の中に蓄えられているのではないか。
彼は改めて、母親の偉大さを感じた。
買いかぶりだとしても、彼女が自分よりはるかに多くの知識と知恵を持っていることは確かだ。
「でも驚いたわね。あなたがこんなに飲み込みが早いなんて」
褒めると同時に残念でもある。
これほど優秀なら、もっと幼い頃から勉強していれば学者になれたかもしれないのに。
一年中、豪雪に見舞われるこの地上では秀才がその才能を発揮できる場所はないが、それを必要とする世界は必ずある。
「僕って天才肌なんだよ」
シェイドは冗談っぽく習いたての表現を用いた。
「それで・・・・・・」
彼は急に真剣な眼差しになって、
「古代文字を学びたいんだ・・・・・・母さん、知ってる?」
ついに切り出した。
全てはここから始めなければならない。
「そうね・・・・・・」
セタスアリーは少し考えてから言った。
「私もある程度は知ってるけれど・・・・・・そういう事ならムーアお爺さんのほうが詳しいかも」
それを聞いてシェイドは顔をひきつらせた。
(あの頑固者のじーさんか・・・・・・)
セタスアリーの言ったムーアという人物については、芳しからない噂がある。
ムーア老人は南に少し下った洞穴に住んでいるが、頑迷固陋な性格で身内以外は敬遠しているそうだ。
(でも仕方ないな。苦手だけど・・・・・・)
書物を読み解ける道が拓けたのだ。
多少の艱難辛苦があってもいいだろう。
「どうしたの? 急に古代文字だなんて。向学心に目覚めたのかしら?」
セタスアリーが皮肉っぽく言った。
それに対してシェイドも、
「母さんの子だからね」
と真面目なのか冗談なのかよく分からない調子で返した。
「ところでプラーナの方はどうなの?」
セタスアリーが話題を変えた。
どうやら彼女が本当に話したいのはこっちらしい。
「うん、一応、遠視(とおみ)と念話はマスターしたよ」
シェイドはプラーナの練習も怠らなかった。
進みが遅いとなれば、それを危惧した母親から文字を学べなくなるおそれがあるからだ。
今の時代に必要なのは、生きていくために個々人がプラーナを習得すること。
知識や知恵は放っておいても後からついてくるのだ。

 

 ムーア老人は噂どおりの狷介ぶりだった。
突然に訪ねたことも影響したのだろうが、シェイドが声をかけるなり彼は、
「誰か知らんが帰ってくれ。わしはお前のような子供は嫌いなんだ」
と怒鳴って追い返そうとした。
こういう状況でなければシェイドも一言くらい言い返していただろう。
しかし残念なことに彼はここで頭を下げてでも、この老人にすがる必要があった。
「すみません。お気に障ったのなら謝ります、ムーアさん」
シェイドは唇を噛みながら謝罪し、恭しく頭を下げた。
「謝るくらいならさっさと立ち去れ」
ムーア老人は容赦ない。
「お願いがあって来たのです。とりあえず話だけでも――」
「ならんならん! さあ、早く出て行ってくれ!」
まったく失礼な老人だ。
子供とはいえ初対面の相手に向かって、ぞんざいな口の利き方。
(ソーマなら絶対、怒って帰ってるだろうな)
と呑気なことを考えつつ、彼は先ほどよりも深く頭を下げた。
「教えを乞いに来たんです!」
自分の意思を伝えるにはとりあえず大きな声を出しておいたほうよい、と考えたシェイドは洞穴に響き渡るほどの声でそう言った。
さすがにムーア老人もこれには少し驚いたようだ。
厳しい視線が一転、穏やかなものに変わるのをシェイドは感じた。
「教え、だと?」
「はい。どうか、僕に知識を授けてください」
頭を下げるシェイドを見て、ムーア老人は大仰に笑った。
「はっはっは、わしも買い被られたな。残念だがわしには人に教えるほどの知識はないわ」
相変わらず突っぱねるが、先ほどのような鋭さはない。
「それは嘘です。あなたが古代文字に明るいと聞きました。ですからそれを・・・・・・教えて欲しいんです!」
「む・・・・・・・・・・・・」
ムーア老人はあごに手を当てて唸った。
シェイドの熱意を汲もうとしているのか、彼は黙ったまま何かを考えている素振りを見せた。
やがて口を開いた彼は、
「役に立てるかどうかは分からんが・・・・・・学んでみるか?」
奇妙なくらい穏やかな口調で言う。
「は、はい! ぜひともお願いしますッ!」
シェイドは自然にこぼれた笑みを隠しもしないで、何度も何度もお辞儀をした。
「しかし古代文字といっても広いぞ。どの時代のどの地方のものが知りたいのだ?」
ムーア老人は木製のイスに腰かけて言った。
「どの時代・・・・・・? ええっと、こういう字なんですが・・・・・・」
シェイドは記憶を頼りに、書物にあった文字をいくつか地面に書いた。
「うぅ〜む、特徴からしてトア期後期のものだな。この頃を境に文明は一度滅びたはずだが・・・・・・しかしよくこんなものを・・・・・・」
「あ、えっと・・・・・・どこかの洞窟の壁に書いてあったんですよ! どこかは忘れましたが、次に見つけた時に読みたいと思いまして」
訝るような視線を向けたムーア老人に、シェイドはごまかしの言葉を並べ立てた。
やはりあの書物は身内、他人を問わず誰にも見せてはならない。
彼は理由も分からずそう思い込んでいた。
「よいだろう。これならわしにも教えてやれる。だがトア期の文法は複雑でな。正しく読むには相当な時間が必要だぞ」
「楽をして何かを身につけられるとは思っていません。よろしくお願いします」
シェイドは恭しく頭を下げた。
ただ教えを乞うための姿勢ではなく、彼の広く深い知識に敬服してだった。
しかもこれならムーア老人の自尊心をくすぐるという効果も付加される。

 

 辛い日々が続いた。
シェイドにとっては現代文を学ぶよりも、プラーナを習得するよりも過酷な取り組み。
初日にムーア老人が言ったとおり、彼が学ぶべき古代の言語は複雑で、基礎から抜け出すにもかなりの時間を要した。
ミミズが這ったような文字が500通り以上。
そのほとんどが似たような形をしているために、よく見ないとそれぞれを区別できない。
中には同じ意味を持つ別字体があり、さすがの勉強熱心なシェイドも、
「これは覚えなくてもいいのでは?」
と音をあげかけたが、
「これを乗り越えなければ古代の言語は理解できない」
というムーア老人の諌めに仕方なく覚えることにした。
どうにか文字を覚えることができても、次には難解な文法の章が待ち構えている。
ここまでくると学習のペースは多少落ちるが、それでもシェイドはムーア老人の教えに必死についていった。
「驚いたな。お前ほど覚えの良い者はそうはおらんぞ」
お世辞ではない。ムーア老人は本当に驚いていた。
「先生の教え方が上手いからですよ」
シェイドはいつの間にか、彼のことを先生と呼んでいた。
事実、先生と呼ぶに相応しいだけの知識と教養が彼にはある。
シェイドは母の見識に尊敬しているが、この老人はその母親でさえ知らなかった事を知っているのだ。
「どうだ? どうせならこの後、ミト時代やスライ期の言語も学んでみないか?」
「え、ええ・・・・・・・・・」
ムーア老人の提案にシェイドは戸惑った。
今、学んでいる言語さえ習得すれば、とりあえず彼の目的は達成される。
知識を蓄えることは無駄ではないが、考古学そのものには興味のない自分がそれに時間を割くことが有意義だろうか?
迷っていると、
「わしが死ぬ前に知識をお前に託しておきたい。知識とは人の手から手へ伝わるものだからな」
「先生・・・・・・・・・」
やはり尊敬すべき人物だ、と彼は思った。
「でも今は考えていません。このトア期の言語をマスターしたいのは確かですが、その先は・・・・・・」
シェイドが消え入りそうな声で言うと、ムーア老人は取り繕うように、
「そうか、そうだな。逸ったことを言ってすまんかったな。さあ、続けよう。あと4項で、この言語はほぼ完璧に理解できる」
笑いながら言った。

 

 

 

 未明からセタスアリーは、慌しく室内を行き来した。
「それじゃあ、母さん。ちょっと”下”まで行ってくるから」
今日の彼女はいつより少しだけ豪華な服を着ている。
「あれ・・・・・・? うん・・・・・・今日だっけ?」
眠い目をこすりながら、シェイドはベッドからのそのそと起き上がった。
寝起きで視界がぼやけるが、目の前にいるのは間違いなく母親だ。
「野菜類が少なくなってきたから、多めに買っておこうと思ってね。何か欲しいものある?」
セタスアリーは買い物に出かけるようだ。
「いや、別にないよ。行ってらっしゃい」
言いながらシェイドは立ち上がり、両手で頬を挟むように叩いた。
「留守番、お願いね」
振り向いたセタスアリーは微笑むと、玄関口へと消えた。
一年中、豪雪に見舞われるこの地では植物などはほとんど育たない。
寒冷に強い獣はいるが、それだけでは生きていくための栄養としては不足する。
そこで地上に住むムドラの民は、時折、”下”の町まで野菜等を買い付けに行く。
その場合は地上で獲れた肉と交換か、通貨であるギミルを使って買うことになる。
逆に地下では野菜を育てる技術があるが食用肉になる獣がいないため、この生活はバランスがとれていた。
互いに必要なものを補い合う、という点では地上と地下、それぞれに住み家を分けたムドラの民は生きるための効率化を模索してきたといえる。
(静かだ・・・・・・)
文字どおりの静寂を噛みしめ、シェイドは汲んできたばかりの水で顔を洗った。
「ふぅ〜〜っ」
水の冷たさが顔から全身に伝わる。
「・・・・・・・・・」
母は先ほど買い物に出かけた。
朝食は自分で適当に食べなさい、ということだろう。
彼も13歳。
自活はできなくても、1回の食事をどうにかできるだけの生活力はある。
「・・・・・・・・・」
が、彼はそれをしなかった。
1食くらい抜いても死なない。
それよりももっと大切なこと。
今、この家には誰もいないのだ。
彼は自分の部屋に戻り、キャビネットの下から書物を取り出した。
ムーア老人のおかげでトア期後期の文字――つまりこの書物に記されている文字は読めるようになった。
単語レベルではなく、文法も完璧にマスターした。
(やっと・・・・・・やっと読めるんだ・・・・・・)
今になっても、なぜ自分がこんな薄汚れた書物に魅入られているのか分からない。
常人なら素通りしてしまいそうなモノに、いちいち惹かれるほど彼の感受性は強くない。
しかし――。
これだけは違う。
言うなれば運命。
彼が見つけた瞬間から、今日という日、彼がこの書物を繙(ひもと)くことは決まっていた。
だからこそ今日まで誰の目にも触れられない所に置いていた。
誰にも存在を知られないよう隠してきた。
「・・・・・・・・・っ!」
する必要のない緊張。
ごくっ、と唾を飲み込む音が室内に響く。
シェイドはゆっくりと。
ゆっくりと。
ページを開いた。

 

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