第20話 光明、そして……

 

 ミーティングルームでは久しぶりにリンディに笑顔が戻った。
「和睦が成立したわ」
彼女は現状を最も短い言葉で説明した。
「これで本当に終わったんですね」
心なしかエイミィにも笑みが浮かぶ。
「ええ、本部から折り返し詳細が伝えられるだろうけど、ひとまず落ち着いたわね」
リンディはいつものお茶を啜り、小さくため息をついた。
シェイドの死より1週間。
管理局本部がムドラの生き残りと折衝を試みた。
アンヴァークラウンは一年中氷雪に覆われている極寒の地で、彼らは地下深くに建設した都市に居住していた。
メタリオンが使用していた2隻の艦は、民がいつか外界に出る時に備えて建造していたものであるという。
今回の事件が管理局及び全ての魔導師に関わる大規模なものであったため、交渉は本部が主導して進めた。
そのためアースラには和睦が成立したという事後報告のみが伝えられている。
リンディは重要人物であるシェイドがアースラのクルーであったこと、矢面に立ち解決に導いたのもクルーであることから、
交渉その他の権利を本部に求めたが、この訴えは棄却された。
「管理局にとって都合の悪い部分を捏造される恐れがある」
本部の対応にリンディはまずそれを危惧した。
もしそんなことになれば、遠い過去の魔導師とムドラの関係を繰り返すことになる。
シェイドが命を絶ってまでやったことが無駄になってしまう。
リンディは権利を再三にわたって主張したが、やはり本部からの答えはノーだった。
その代わりムドラへの補償に関する一切の事柄について、逐次情報を開示するということで落ち着いた。
といっても管理局本部が100%真の情報を開示するかどうかは分からない。
「・・・・・・・・・」
エイミィは時折、何の前触れもなく涙を流すことがある。
制御盤を叩いていても、モニターを見ていても、シェイドの姿ばかりがちらつく。
最後の対決をモニタリングしていたエイミィは自分の無力さを呪った。
彼女は見守ることしかできなかった。
リンディやクロノやフェイトが命を賭けて戦っている間、彼女はただアースラの中から見ていただけだった。
挙句、彼女の最後の言葉も彼には届かず、彼女の目の前で彼は・・・・・・。
命を絶った。
誰にも止められなかった。
やり切れない想いだけが残る。
「エイミィ、自分を責めちゃダメよ」
リンディもそうしていた。
彼を本心から養子として迎え入れたいと思っていたリンディもまた、自分の無力さに打ちひしがれていた。
力が及ばないために運命の対決にフェイトひとりを戦わせてしまった。
彼の心を誰よりも知らなければならないハズの彼女が、シェイドの心を理解したのは皮肉にも彼の死の直前だった。
「すみません、提督・・・・・・」
エイミィは時々思う。
これは夢じゃないのか。
目が覚めればシェイドが通信士としての夢を諦めきれないために、自分に教えを請いに来るんじゃないか。
だから彼は・・・・・・生きているんじゃないか。
だが彼女が思い描くそれこそが夢だった。
彼の亡骸は妹ツィラ同様、宇宙葬に附した。
それを見届けたエイミィは1日中泣き続けたという。
「誰も悪くないのよ。誰も・・・・・・」
リンディは半ば自分に言い聞かせるように呟いた。
本部から和睦が成立したとの報せが入った時、彼女の心境は複雑だった。
魔導師とムドラが和解し、共存の道を歩み始めたことは素直に喜ぶべきだろう。
実際に誰もがそう願い、メタリオンと幾度となく衝突してきたのだから。
しかしそれと同時に何ともいえない寂しさのようなものも感じていた。
魔導師とムドラ。永く争ってきたこの2つの種族はこれから共栄していくだろう。
そんな喜ばしい新史の裏でシェイドという少年が命を落としたことは、人々の記憶に永遠に刻み込まれるのだろうか。
彼が自らの命と引き換えに架け橋となったことは、史実として未来永劫残されていくのだろうか。
「あなたのおかげよ・・・・・・」
リンディは目を閉じて天を仰いだ。
「ありがとう・・・・・・そして・・・・・・ごめんなさい・・・・・・」
彼女は短い黙祷を捧げた。

 ユーノは書庫にこもることが多くなった。
資料の整理にはほとんど手をつけず、彼は書庫奥の書斎で1日の大半を過ごすようになった。
仕事の手が止まっていることに焦りを感じつつも、彼は今やっていることをやめようとは思わなかった。
これは自分にしかできない事なのだと言い聞かせ、今日も黙々と机に向かっている。
「よっ、私も手伝おうか?」
そんな中、アルフだけはまるで自分の家のように書庫内をうろついている。
ユーノの姿を見つけ、アルフはふわふわと宙を漂いながら彼の元に飛んだ。
「うん、ああ・・・・・・もう少ししたら休憩しようと思ってたんだ」
原始的にも厚手の書にペンで文字を書き綴っていた彼は、アルフの視線を背後に感じながら答えた。
1256ページに及ぶこの書はまだ90%以上が白紙である。
「そっか。まあ、あんまり無理するんじゃないよ」
アルフはそう言いながらユーノの横に回りこみ、彼が綴る史伝を覗き込んだ。
もうすぐ10歳になる少年らしく、丁寧さと乱雑さの混じった書体でページの端から端を埋めていく。
ほとんど改行されず、段落も無視した書式はアルフでなくても読むのをためらうほどだ。
もちろんこれは下書きの段階であり、おおかた書き上げたところで推敲が入る予定だ。
「まったくすごいね。よくこんなに書けるもんだ」
文字らしきものの羅列を見てアルフは感嘆の声をあげた。
「まだまだだよ。これでもまだほんの一部なんだから」
77ページ目を書き終えたユーノはペンを置くと、大きく伸びをした。
「それにしても大丈夫なのかい? もし誰かに見つかったりしたら・・・・・・」
「もう見つかってるよ」
「えっ!?」
アルフが大仰に驚いたが、それが誰なのか分かると、
「私は数には入れないでくれよ」
と言って苦笑した。
「たぶん大丈夫だと思う。リンディ提督なら許可してくれると思うし」
「まあ、そうかも知れないけどさ」
アルフは書きかけの書を手に取った。
が、人のものを勝手に読むほど彼女は無粋ではない。
「でもさ」
ユーノに向き直ってアルフが言った。
「結局は人に見てもらうために書いてるわけだしね」
ムドラの一件以来、この書庫内の時間は止まっているように見えた。
ユーノが資料の整理をしないせいだろうが、ここ数週間は物の動きがまったくない。
唯一あるとすれば、彼が黙々と書き続ける一冊の史伝だけだ。
「そういえば、”真実”とか”歴史”ってのがシェイドの口癖だったね」
アルフは鼻をすすりながら言った。
「うん・・・・・・」
本来の仕事そっちのけでユーノが綴る書。
誰にも依頼されておらず、記録官でもない彼が残す非公式の文書。
魔導師とムドラの真実の歴史を彼は書き記していた。
「きっとアンヴァークラウンにもここと同じように資料を保存していた場所があったんだよ」
ユーノが滔々と話し始めた。
「もちろん歴史に関するものも。でもここにあるものとは違う・・・・・・」
数千年前に滅びた民は怨恨に満ちた真実を書き残している。
一方で勝利し繁栄した魔導師は武勇を美化した虚偽を書き残している。
シェイドを中心とした今回の事件を元に、ユーノは真実を記そうと思った。
記録に基づいてその時々の情景を克明に残す。
その場に居合わせた者の言葉も極力挿入する
個人の感情を一切含まない、純粋な歴史書として。
そしてこれが完成したら、この書庫のどこかにそっと忍ばせるつもりでいた。
歴史が再び捏造されそうになった時、この一冊の書がきっと真実を取り戻してくれる。
彼はそう願っていた。
ユーノにとって、それがシェイドにしてやれる唯一の手向けだった。
「あっ!」
不意にアルフが大きな声をあげた。
「すっかり忘れてたよ」
「な、なにが・・・・・・」
耳元で叫ばれ、ユーノは軽いめまいを覚えた。
「和解が成立したんだよ、ムドラと」
アルフはここに来る直前、リンディから和睦が成立したとの話を聞いていた。
「そっか・・・・・・和解が・・・・・・」
1256ページ目に書くべき内容を聞かされ、ユーノは目に涙を溜めた。
「・・・・・・なんだか、素直に喜べないね」
アルフは涙を見せまいと後ろを向いた。
対立する2つの種族が何千年もの戦いの末、和解することは歴史的にも大きな意味を持つだろう。
物事の革新のためには犠牲が付きものだ。
魔導師から十数名、ムドラから6名の死者を出したこの革新は犠牲としては小さい。
本来ならばもっと大規模な戦争があるべきだからだ。
だがユーノやアルフらにとっては、この犠牲は大きすぎた。
シェイドがアースラにクルーとして深く関わっていたからという理由もあるだろう。
彼の辿ってきたあまりにも悲しすぎる過去、そして彼が受けてきた痛み。
それらを知ったとき、この事件は決して風化させてはならないと誰もが思った。
「これでシェイドたちが生きていたら・・・・・・」
ユーノはつい口走ってしまった。
これは言ってはならないことだった。
アルフは硬直した体を無理やりほぐすと、
「それは言わない約束だろ?」
とだけ言った。
「うん・・・・・・」
ユーノは力なく頷いた。
彼はもういないのだ。
今はただ現実を受け止め、事実を書き残すだけだ。
ユーノは再びペンをとった。

 執務室を出たクロノは通路の奥の部屋に目をとめた。
今はもう使われなくなった通信室だ。
といっても最近まで使用されていた形跡はあるが、その使用者もすでにいなくなっている。
あの旧式の通信設備は今度こそ封印されるのだろうか。
クロノがそんな考えを抱いた時、後ろから声をかける者がいた。
「どうしたの、こんなところで?」
エイミィだった。
「うん、ああ・・・・・・。ちょっとな・・・・・・」
クロノは曖昧に答え、通信室に視線を戻した。
彼の視線を辿ったエイミィは、ふと表情に翳りを見せた。
そして何も言わずに扉を開けた。
「どうするんだ?」
クロノが訊いた。
「あいつが言ったとおり、記録を・・・・・・?」
エイミィが首を振った。
「提督と話し合ったんだけど、やっぱり遺しておくほうがいいと思って・・・・・・」
その結論に至った経緯を彼女は説明した。
「リンディ提督はシェイド君の意志を尊重したいって言ってたけど、私には消せないよ。
この事件を風化させないために・・・・・・それに・・・・・・」
わずかの間をおいてからエイミィが続けた。
「シェイド君が生きていた証を遺しておきたいから・・・・・・」
個人的な感情だ。
エイミィは通信士つながりでシェイドと親しかったから。
きっと今も客観的に物事を割り切れなくなっているのだろう。
「そっか・・・・・・」
クロノは特に反論しなかった。
それが彼女の決断ならそれでいいじゃないか。
エイミィはしずしずと通信室に入った。
ここに足を踏み入れることすら憚られるような足取りだ。
クロノは中には入らず、入り口で見ていた。
エイミィが慣れた手つきで制御盤を叩く。
「ここに入るのもこれで最後にしたい」
キーを叩きながら彼女が言った。
誰にも立ち入らせず、彼が最後に使った状態で置いておきたいのだろう。
どうせこの部屋はもう用を成さないのだ。
それにシェイドにこの部屋を開放したのはリンディだから、誰も文句を言う者はいない。
「何をしてるんだ?」
なかなか出てこないエイミィにクロノが問うた。
「記録を復元させてるの。シェイド君が消した分をね」
エイミィはメインコンピュータの通信履歴を引っ張り出してはコピーする作業を繰り返した。
最後の通信履歴を移し終え、彼女は電源を落とした。
この部屋でだけはシェイドもメタリオンも生きていられる。
「じゃあね、シェイドくん・・・・・・」
エイミィは誰もいない室内に手を振り、扉を閉じた。
その後、2人は無言で通路を歩いた。
数分もすると沈黙に耐えかねたのか、エイミィが口を開いた。
「そういえば、ストレージ・デバイスからエダールモードを外したんだって?」
「ああ・・・・・・」
彼女の言ったとおり、クルーの全てのデバイスからエダールモードが取り外された。
ムドラとの和平交渉を進める上で、エダールモードが機能することは戦う意思を見せていることになるため、
というのが大きな理由だ。
もちろんクロノのそれも例外ではない。
”管理局に属するもの”としてフェイト、なのはのデバイスからも解除することが命令された。
なのははすぐに応じたが、フェイトは想うところがあるのかそれには従おうとはしなかった。
リンディもその点は斟酌し、本部に解除命令ではなく「解除指導」に変更するよう申し出た。
しかし組織としての体面を保ちたい本部はこの申し出を拒否。
リンディはやむなく本部のチェックが入る直前にバルディッシュからエダールモードを排除。
その後は何事も無かったようにバルディッシュにはエダールモードが搭載されている。
「もうあれは必要ないからね」
クロノはそう言い、元の姿に戻ったデバイスを見た。
機能こそ戻ったものの、彼が体で覚えた剣技は生き続けている。
クロノはふとシェイドのことを思い起こした。
彼が生きていればいいライバルになれたのに・・・・・・。
表情にこそ出さないが、クロノは無性に泣きたくなることがある。
もう一度、彼と戦いたい。
そう考えるのは変なのだろうか。

 フェイトはひとり、通路の窓から宇宙空間を眺めていた。
粒子の群れが肉眼では分からない程度の速さでゆっくりと後ろに流れていく。
この空間はいったいどこまで続いているのだろう。
どれだけの世界があって、どれだけの星があって・・・・・・。
そしてそれらにはどんな人が住んでいるのだろう・・・・・・。
とりとめもない疑問が湧いては消え、フェイトは恍惚の瞳で粒子のひとつを捉えた。
世界の広さは分からない。
どれだけの人がいるのかも分からない。
だから人と人との接触は奇蹟に近い可能性の中に実現する。
フェイトはごく当たり前の結論に達した。
自分がシェイドと出逢ったのは単なる偶然と片づけることができる。
魔導師とムドラの生き残りが戦ったことも偶然と言えるかもしれない。
何千年にも及んだ争いを終結させ、共存のために手を取り合ったことも偶然と主張できる。
だがフェイトにとってそれらは偶然という安直な言葉では言い表せない出来事だった。
シェイドとの出逢いは運命。彼と闘ったことも運命。
そしてそんな運命の積み重ねの末に和解が成立したことは必然だ。
フェイトはそう考えた。
しかしだとすれば、シェイドが死を選んだのも運命かあるいは必然だというのだろうか。
この点だけはどうしても納得できる解答は得られなかった。
シェイドはもういない。
彼女はまだその現実を受け容れられないでいる。
もしかしたら今もまだどこかで・・・・・・・。
フェイトはすがるような想いで目を閉じた。
すぐさま彼女の目の前を闇が覆った。
五感を解き放つ。
闇からの呼びかけは無い。
彼女は待った。
そこに闇があるハズなのに、今はまるで別の何かがあるみたいだ。
これはフェイトが五感を捨て切れていない証拠だった。
(どうして?)
フェイトは自問した。
なぜ前のように五感を捨て去ることができないのだろう。
あの時、シェイドの体から抜け出た闇はこの世界のどこかに飛び散った。
ならばその欠片がここにあってもおかしくはない。
フェイトはもう少しだけ待つことにした。
しかしすぐに待つことが無駄であることに気付いた。
そうだ、シェイドはもういないんだ。
あの闇は彼が生み出した、彼の偽りの感情。
だから彼がいなくなったら、闇も消えるんだ。
たとえようもない虚しさにフェイトが目を開けると、傍らになのはがいた。
彼女は心配そうに瞳を潤ませながら、フェイトの顔を見上げている。
「なのは・・・・・・?」
その視線の意味がいまひとつ掴めず、フェイトは真摯な眼差しを返した。
「・・・・・・!?」
不意になのはが両腕をフェイトの背中に回し、彼女をしっかりと抱きとめた。
「なのは・・・?」
フェイトが目を瞬かせた。
「こうすれば悲しみは半分ですむから・・・・・・」
そう言ってなのはは両手に力を込めた。
彼女は闇を見たわけではない。
最後の最後までシェイドの本心を垣間見ることができなかった。
しかしフェイトの痛みは何となく分かる。
時折フェイトが呆然と立ち尽くし、何者かと対話しているのをなのはは見てきた。
彼女が何を見、何と話していたかはとうとう分からずじまいではあったが。
それでも彼女が自分の知らないところで大きな痛みに耐えてきたことは知っていた。
だからなのははフェイトの痛みを和らげようとした。
シェイドの死はなのはにとっても悲劇だったが、なのはとフェイトが同じ痛みを感じているかと言えばそれは違う。
そもそも痛みの感じ方が人それぞれ違うのだから、それは当然のことだ。
「ありがとう、なのは」
フェイトは目に涙を溜め、なのはの背中を抱いた。
2人の距離が最も縮まった時、2人は互いの想いを知った。
こうしなければ痛みに押しつぶされそうになる彼女たちは弱いのかもしれない。
しかしこうすることで力を合わせられるからこそ彼女たちは強いのかもしれない。
それから2人はしばらく抱き合ったまま、涙を流した。
やがてどちらからともなく離れると、フェイトはふっと漏らした。
「わたし・・・・・・間違ってたのかな・・・・・・」
長い歴史の中で見ても、永遠に答えの見つからない質問をフェイトはした。
彼女のしたことが間違いであるか、それとも正しいものであったかは誰にも分からない。
仮に間違いだったとしても、それを裁く権利は誰にもない。
「もしかしたら、あんな風じゃなくて・・・・・・もっと別の終わり方があったんじゃないかって・・・・・・」
フェイトは考え付くかぎりの歴史の”もしも”を思い描いた。
アースラのクルーとしてシェイドが生きているという”もしも”。
説得が通じてシェイドと戦わずに済み、彼はムドラとして生きているという”もしも”。
もっと遡ればメタリオンも死なずにすんだかもしれないという”もしも”。
そのどれもが思い浮かんだ次の瞬間には水泡のように消えてしまう。
「分からない・・・・・・」
なのははそう答えるしかなかった。
たとえ別の結末があったとしても、運命を変える力がなのはにあったかは分からない。
「・・・・・・結局、シェイドを救えなかった・・・・・・」
「それは違うよ」
今も涙を流すフェイトに、なのははハッキリと言った。
「フェイトちゃんはシェイド君を助けたんだよ? だからシェイド君も・・・・・・」
そこから先は言葉にならなかった。
救ったというのならどうして今、ここに彼がいないのか。
「フェイトちゃんは間違ってない・・・・・・」
何の根拠も示せぬままになのははフェイトのしたことが正しかったと主張した。
「・・・・・・・・・」
「ねえ、なのは・・・・・・」
フェイトが窓の外を眺めて言った。
「ツィラたちはどうしてるのかな・・・・・・」
「えっ・・・・・・?」
なのはは身を固くした。
彼女はいったい何を言っているんだ。
だってツィラはもう・・・・・・。
「なんとなくだけど、ツィラたちが側にいる気がするんだ」
フェイトは言った。
「みんなが・・・・・・?」
「うん」
みんな、というのはメタリオンのことだろう。
「ヘンだよね。みんなもう居ないのに」
だがフェイトは五感ではない別の感覚で感じ取っている。
闇と対話することはできなくなったが、その代わりに彼らの存在を感じ取ることができるようになったのだ。
彼女の側にはなのはがいるが、その少し後ろにツィラがいる。
ツィラがどこを向いているのか、何を見ているのかまでは分からない。
「ツィラ・・・・・・」
フェイトが中空の一点に視線を注いだ。
彼女が見ているそこにこそ、ツィラがいる。
”個”としてのツィラは消えたが、”ツィラ自身”はまだそこにいる。
続いてフェイトはイエレドの気配を感じ取った。
彼は何を想い、ここにいるのだろうか。
イエレドの隣にはレメクとミルカがいる。
「・・・・・・」
フェイトはそっと何もない空間に手を伸ばした。
温かかった。
殺伐としたアースラ内の冷たい空気の中で、そこだけは温かかった。
「フェイト・・・・・・ちゃん?」
なのはは目を白黒させてフェイトを見た。
「ほら、なのはも・・・・・・」
フェイトはなのはの手を掴むと、中空に差し出した。
「分かる? ここにツィラがいるんだよ」
彼女が手を伸ばした場所にはツィラがいる。
しかしなのはには何も分からない。
そこだけ明らかに温度が違うことも分からなかった。
「・・・・・・・・・」
フェイトが冗談を言っているとも思えず、なのはは懸命に何かを感じ取ろうとした。
しかし目にも耳にも、訴えかけてくるものはない。
「ごめん・・・ね・・・・・・フェイトちゃん・・・・・・私には分からないよ・・・・・・」
「そう・・・・・・」
フェイトは残念そうに俯いた。
「ねえ、フェイトちゃん」
なのははおずおずと言った。
「少し休んだ方がいいよ」
今のフェイトは少し様子がおかしい。
目も虚ろで、足取りもおぼつかない様子だ。
「・・・? 私は大丈夫だよ?」
「ううん。フェイトちゃん、疲れてる。ショックなのは分かるけど・・・・・・」
フェイトがどう言おうと、なのはは彼女を休ませるつもりでいた。
「医務室行こう? 先生に診てもらったほうが・・・・・・」
なのはがフェイトの腕をとろうとした時、フェイトがその手を強引に振り払った。
「フェイトちゃん?」
ビックリしてなのはが手を引っ込めた。
「あ、ごめん・・・・・・」
ばつ悪そうにフェイトが俯いた。
「ごめん、なのは・・・・・・少し、ひとりになりたいんだ」
「・・・・・・・・・」
フェイトは最近、こう言うことが多くなった。
彼女にとってあの結末は耐え難い悲劇だった。
シェイドという存在がフェイトにとってはこれほどまでに大きかったのか。なのはは思った。
「・・・・・・・・・」
彼の死後、彼女は常にひとりになりたがっているように見えた。
まさか思いつめて早まったことを・・・・・・なんてことは無いだろうが、なのはは心配で仕方がなかった。
単純にフェイトの身を案じて、というだけではない。
この頃は会話も少なく、彼女が何を考えているのかよく分からない。
なんだかフェイトが遠くに行ってしまったような気がして、耐え難い不安に駆られるのだ。
「分かった。でも何かあったら私に話して。私じゃ力になれないかもしれないけど・・・・・・。
でも何もしないなんて私にはできないから・・・・・・!」
なのははフェイトの返事も待たずに駆け出していた。
途中、彼女の反応を窺うために後ろを振り返ることもせず、真っ直ぐに駆けた。
アースラ後部に設えられた自室に飛び込んだなのはは、後ろ手にドアを閉めるとその場に座り込んだ。
ここには自分以外誰もいないというのに、彼女は乱れた息づかいを誰にも聞かれまいと必死に押し殺した。
(どうして、こんな・・・・・・?)
なのはは知らないうちに涙を流していることに気付いた。
いったい何が悲しいから自分は泣いているのだろう?
シェイドが死んでしまったから?
もちろんそれは悲しいことだ。
でも今、流している涙はそのためじゃない。
フェイトの辛さを理解してあげられないから?
それもちょっと違う。
もっともっと個人的な理由だ。
「わたし・・・・・・」
なのははようやく自分の気持ちに気がついた。
「わたし・・・・・・シェイド君にヤキモチ焼いてる・・・・・・」
あってはならないことだ。
不謹慎だということは、なのはにも充分すぎるほど分かっていた。
だが頭では理解していても、心までは抑えることができない。
「どうしてこんな・・・・・・」
胸が締めつけられる想いがした。
フェイトが彼の名を口にするたびに、なのはの胸が痛んだ。
フェイトが彼の死を嘆くたびに、なのはは息苦しさを覚えた。
嫉妬心という名の黒いヘビがなのはの足に絡みつき、そっと牙をあてがった。
「ダメ・・・だよ・・・・・・こんなこと・・・・・・」
自分の両肩を抱くように腕を回し、ぎゅっと体を縮める。
今がどんな時か分かっているのか?
なのはは自分に言い聞かせた。
しかし――。
フェイトへの感情を抑えきれない。
はじめは友だちよりも親しい間柄でしかなかった。
なのはにとって特異な体験である魔法を通して、2人は知り合った。
闇の書事件が解決するまで、魔法に関しては誰にも秘密ということが2人の仲をより親密にしていた。
”秘密”という特別な状況がフェイトへの強い想いを抱かせるキッカケになったかもしれない。
友だちから昵懇の間柄になり、そして――。
なのははフェイトを好きになった。
アリサやすずかに対して抱く”好き”とは違う。
父や母に対して抱く”好き”とも違う。
多感な少女が異性に対して抱く”好き”と同じだった。
生来の遠慮しがちな性格から表には出さなかったものの、なのはは間違いなくフェイトを愛していた。
激しい戦いの連続がフェイトへの想いを一時的に忘れさせていたに過ぎない。
戦いが終わった今、なのはが考えるのはフェイトのことばかりだった。
”お前はただ、自分の気持ちに忠実であればいい”
黒いヘビが囁いた。
「ダメだよ・・・・・・だって女の子同士なんだよ・・・・・・?」
なのはがイヤイヤをするように首を振った。
”感情を押し殺してどうなる? そうやってお前は何度も苦しんできたのではないのか?”
黒いヘビは音もなくなのはの耳元に移動すると、鎌首をもたげてきた。
「そうだけど、でもやっぱりダメ・・・・・・。そんなのおかしいもん・・・・・・」
なのはは自分が独り言を言っていることに気付いていない。
なぜなら彼女にしか聞こえない黒いヘビの声が、すぐ耳元で囁かれているからだ。
”想いを伝えようとしないのか? それはお前の選んだ道に反してはいないか?”
2つに割れた真っ赤な舌をちらつかせ、黒いヘビはなおもしつこく食い下がってくる。
”今、お前の邪魔をする者はいない”
冷たい牙が首筋にそっと触れた。
噛み付かれる!
なのはは咄嗟に黒いヘビを振り払ったが、少しだけ遅かった。
「フェイトちゃん・・・・・・」
その名を呟くたび彼女への想いが強くなっていく。
”お前はルーヴェライズを憎むか?”
黒いヘビが双眸をぎらつかせた。
「な、なにを言って・・・・・・」
笑い飛ばそうとしたが、なのはにはできなかった。
このあまりにも飛躍しすぎた問いを真っ向から否定できない。
黒いヘビはなのはの首筋に毒を打ち込んでいたようだ。
毒は血流よりも速くなのはの体内を巡り、彼女から正常な思考を奪おうとする。
”お前の愛する彼女はお前ではなくルーヴェライズを見ている”
(・・・・・・!?)
そんなことない!
なのはは声を大にしてそう叫びたかった。
できることなら今すぐフェイトの元に駆け、彼女の心を聞き出したかった。
「だってシェイド君は・・・・・・」
・・・・・・もういない。
なのはは人間の精神構造は理解していなくても、フェイトの心の動向をある程度予測することはできた。
シェイドは彼女にとって過去である。
もう逢うことのできない過去の人間だ。
彼女がシェイドに対してどのような感情を抱いていたかは分からない。
しかし彼女にとってはどこか特別な存在であったに違いない。
そんなシェイドが思い出の中で美化されることは目に見えている。
今はまだいい。
だが時が経てば、彼女はきっと亡きシェイドへ想いを馳せるだろう。
彼女の中で美化された理想の少年としての彼へ。
そうなった時、逆になのははどう見えるのだろうか。
フェイトの中でシェイドへの気持ちが大きくなるにつれ、なのはへの関心は薄れていくのではないか。
あの黒いヘビはなのはに警告していたのだ。
”このままではお前の想いは実らない”
この言葉は少女には重すぎた。
なのははこれまで、我慢する必要のないことまで我慢してきた。
家庭の円満を保つため、友だちの立場を尊重するため。
大小の違いはあれ、それらは全て他者のためにやってきたことだ。
”お前は自分自身の幸せは願わないのか?”
タイミングを見計らったように黒いヘビが問うた。
自己犠牲の精神は捨てろ。
他者を思いやる必要はない。
我慢することに何の意味がある。
自分のしたいことをすればいいのだ。
黒いヘビが畳みかけるように訴えた。
この声はすでに体内に回った毒が彼女の心底にダイレクトに送り込んだ。
「・・・・・・・・・」
思考を支配されつつあるなのはは、何も言えなかった。
フェイトへの愛がシェイドへの憎悪を生むことに対する否定ができない。
「わたし・・・は・・・・・・」
ようやく何かを口にしかけた時、黒いヘビは彼女の前から消えていた。
ひとり残されたなのはは、両膝を立てるとそれを両腕で抱え込んだ。
「フェイト・・・・・・ちゃん・・・・・・」
言いようのない不安と恐怖が彼女を襲った。

 

 彼は何もない空間を漂っていた。
虚無というものが存在するなら、ここが虚無ではないかと彼は思った。
ここには闇すらも存在できない。
文字通り、何も存在しない空間だ。
そこに彼はいた。
すでに五感は無くなっているが、自分がまだ存在していることは理解できた。
「僕は・・・・・・どうなったんだ・・・・・・?」
そう言ったつもりだが声になっていない。
彼の問いは空気を振動させることができなかった。
そもそもここには空気というものがない。
「シェイド様・・・・・・」
そんな中で彼の名を呼ぶ者がいた。
「レメク? レメクか?」
不思議なことに彼にはレメクの声が聞こえた。
「はい。あなたをお待ちしておりました」
どこか丸みのある温かな声だった。
その瞬間、彼は自分がシェイドであること、自分が命を絶ったことを思い出した。
「お前がいるということは、ツィラたちもいるんだな?」
シェイドは次第に自分の意思を伝えるコツを掴んだ。
「彼女たちもここにいます」
そう言うと、シェイドの目の前にツィラが現れた。
「ああ、ツィラ・・・・・・」
シェイドは無性に彼女を抱きしめたい衝動に駆られた。
だがそれは不可能だ。
抱きしめるという行爲は両者の五体があって初めて可能となる愛情表現だからだ。
「兄さん・・・・・・」
ツィラははじめて、彼を名前以外で呼んだ。
「僕は取り返しのつかないことをしてしまったな・・・・・・ツィラ・・・・・・」
シェイドという存在はここにきて悔恨の念にとらわれた。
「あなたが間違ったというのなら我々も同罪です」
これはイエレドの声だ。
「いや、お前たちは僕に従ったばかりに・・・・・・」
「ご自分を責めてはいけません。あなたは私たちのマスターです」
ミルカが言った。
彼女たちは自分を恨んでいないのだろうか?
「これが私たちの運命だと受け容れます。あなたを恨むなど――」
シェイドの心情を察したのかレメクが柔らかな口調で言った。
「運命?」
「ええ、きっとプラーナが私たちを導いたのです」
シェイドの問いにミルカが答えた。
「私たちはプラーナの中でひとつになれたんだよ」
ツィラが嬉しそうに言った。
シェイドには分からなかったが、おそらく彼女は満面の笑みをたたえていただろう。
「そうか、そういうことか・・・・・・」
彼はぼんやりとした意識の中で理解した。
死とはこういうものなのか。
「プラーナに還るということは、もうお前は僕の妹ではなくなるんだな・・・・・・」
シェイドは寂しげに呟いた。
兄妹というものは所詮、生まれた順番を区別するための言葉に過ぎない。
「それはちょっと違うかな」
ツィラはそんな彼を笑うように言った。
「我々はプラーナの中でひとつになるのです。ですから・・・・・・」
「みんな家族なんだよ」
家族・・・・・・。
その言葉はシェイドにはひどく重みのあるものに感じられた。
「私たちだけではなく、生まれ、老い、亡くなった者すべてが――」
「家族だというのか?」
イエレドが頷いた。
その中には当然、シェイドが手にかけてしまった母親も含まれているに違いない。
シェイドは母親に逢いたくなった。
このような形で再会するのは悲しいが、その衝動はどうにも抑えられない。
「まだです・・・・・・」
突然、レメクが厳しい口調で言った。
ツィラは沈んだ声でシェイドにそっと囁いた。
「兄さんはまだここに来るべきじゃないの」
「な、何を言っているんだ?」
まるで噛み合わない言葉にシェイドは狼狽した。
ここに来るべきじゃない?
そんなハズはない。
僕はもう・・・・・・。
「あなたにはまだやるべき事が残っています」
ミルカがシェイドの背中をそっと押すように呟く。
彼女たちはすでにプラーナとなり、多くのものを”見ていた”ようだ。
「僕の役目は終わった。今、ムドラと魔導師が和平の道を歩み始めているだろう」
「しかしその和平を妨げるものがあります」
イエレドが言った。
「何だと・・・・・・?」
シェイドの意思が虚無の中で小さく輝いた。
感情を表現する術は持ち合わせていないが、それを4人に伝えることは可能だった。
「あなたはまだここに来るべきではありません」
ミルカがそっと囁くと、虚無の向こうに消えた。
「闇が全てを覆ってしまう前に――」
イエレドがミルカの後を追った。
「おい、待て! どこに行くんだ!?」
シェイドは必死にもがいたが、去り行く2人を追いかけることすらできない。
「あなたの居場所はここではないのです、シェイド様」
レメクが諭すように言うと、彼女もまた虚無に溶け込むようにして消えた。
ツィラがシェイドのそばで囁いた。
「忘れないで。私たちはいつも側にいるから――」
運命は死後にまでつきまとうのか。
シェイドはただ、4人が去っていくのを見ているしかできなかった。
何かとてつもなく強い力が彼の行く手を遮っているようだ。
「僕は・・・・・・まだプラーナにはなれないというのか・・・・・・?」
彼はかつて自分の部下だった者たちの言葉を反芻した。
「やるべき事? 僕がやり残したこととは何だ・・・・・・?」
シェイドには分からなかった。
いくら考えても何ひとつ見えてこない。
その時、巨大な何かが彼を掴んだ。
抗うこともできず、彼は虚無の中を4人が去っていったのとは反対の方向に飛ばされた。

 

「なんだか緊張するね」
先ほどからアルフが落ち着きなく辺りをキョロキョロ見回している。
生まれて初めて正装した彼女は、絢爛な衣装に身を包まれることに違和感を覚えた。
「もう少しの辛抱だよ」
そう言ってなだめるフェイトも、これまでの軽装とは全く趣の異なる衣服をまとっている。
もっと動きやすい服の方が良かったのだが、この場において身軽さは必要ない。
むしろ荘厳さこそが大切で、そのためには不必要なほど華美な装飾を施すのが習わしのようだった。
ユーノもまた、アルフと似たような心情だった。
着慣れない服にユーノはそっとクロノに耳打ちした。
「もっと軽い服はないのか?」
生地のせいか、ユーノの正装は2キロ近くもあった。
「我慢しろ。僕だって辛いんだ」
クロノは明らかに不機嫌そうに言った。
彼はどこかの貴族のようないでたちだった。
晩餐会で主賓として料理を賜るならまだしも、ただ立ち続けるのはやはり苦痛のようだ。
この日、式典に参列したのは管理局幹部とアースラクルー全員。
そしてムドラの代表24名だった。
ミッドチルダに設けられた式典では、魔導師とムドラが目に見える形で共存への道を踏み出そうとしていた。
「それにしても・・・・・・」
観衆の視線が彼らに向けられている。
「しっ! 始まるぞ!」
愚痴をこぼしかけたユーノをクロノが制した。
オーケストラ隊がファンファーレを奏でると、中央の大通りから青い服のムドラの民が歩いてくる。
全部で24名。ムドラの民が選出した代表たちだ。
その中のひとりが壇上に登った。
それに合わせるように今度は壇上の左手からリンディが、右手から管理局幹部がしずしずと入ってきた。
リンディがフェイトに向かって小さく手招きした。
「え、私が・・・・・・?」
困惑するフェイトの背中をアルフが押した。
「ほら、カッコイイとこ見せてよ」
裾の長い服につまづきそうになりながら、フェイトは真っ直ぐにリンディの元へ向かった。
フェイトはムドラの代表と向かい合わせに立つと深々と頭を下げた。
「魔導師とムドラの永きに渡る戦いはここに終結した!」
幹部が声高々に宣言した。
独特の雰囲気と観衆の多さのせいか、その声はいつもより通っているように感じる。
「我ら管理局は過去の大罪を償い!」
幹部はこの声が世界に届くようにありったけの声量で叫んだ。
「我らムドラの民は魔導師との共存の道を歩むことを!」
ムドラの代表も観衆たちに知らしめるように声を張り上げた。
「いまここに誓うッッ!!」
喚声が上がった。
「願わくは永遠の和平――!」
ムドラの代表と管理局幹部が肩を抱きあった。
この瞬間、世界がひとつになった。
観衆は万雷の拍手をもって共栄への第一歩を祝した。
「さあ、あなたの出番よ」
リンディがフェイトの肩を叩いた。
「え、あの・・・・・・。何をしたら・・・・・・?」
会場の熱気に煽られ、フェイトはすっかり混乱していた。
「挨拶よ。大丈夫、簡単でいいから」
そう言ってリンディは笑ったが、とんでもない話だ。
まさかここで挨拶を述べるとはフェイト自身、全く予想していなかったことだ。
当然、言うべきことも何ひとつ用意していない。
式典の次第にフェイトの挨拶が盛り込まれていたのか、全員の視線が一斉にフェイトに注がれた。
よく考えれば魔導師とムドラの架け橋となったフェイトが参列者に紛れていることのほうがおかしい。
「うぅ〜〜・・・・・・」
情けない声をあげながらも、フェイトはゆっくりと中央に移動した。
こんなこと聞いてない、と今さら嘆いても遅い。
当の本人だけが式次第を知らされていなかったのは、おそらくリンディの仕業だろう。
フェイトには用意された言葉ではなく、本心を語ってほしかったに違いない。
見事にその思惑に乗せられた彼女だったが、果たしてどんなことを語ってくれるのか。
正直、リンディは楽しみだった。
「え、え〜っと・・・・・・」
フェイトは視線だけで辺りを窺った。
先ほどまであれだけ湧いていた観衆が、今は不気味なほど静まり返っている。
何とも言えない威圧的な視線を感じる。
これならまだ騒いでいてくれたほうが良かった。
「この娘は私たちのために闘い、そして今、私たちをひとつにしてくれました!
彼女がいなければ、きっと私たちは永遠に理解りあうことはできなかったでしょう!
どうか、彼女の言葉を聞いてください! 彼女は私たちが耳を傾けるべきことを語ってくれるハズです!」
リンディが観衆に向かって叫んだ。
「フェイトちゃん、頑張って!」
ずっと後ろでエイミィが小さく叫んだ。
フェイトは覚悟を決めたように頷くと、すっと前にでた。
「えっと・・・・・・みなさん、こんにちは。私は管理局の魔導師、アースラのクルーでフェイト・テスタロッサと言います」
短い自己紹介が会場を駆け巡り、数秒遅れで自分の元に帰ってくる。
「魔導師とムドラの戦いは終わりました。私たちはこれから平和な世界を作っていくでしょう。
でも・・・・・・そのために多くの人が犠牲になりました」
野次を飛ばす者はいなかった。
観衆の中には犠牲者と知り合いである者もおり、フェイトの言葉に胸を打たれた。
「管理局では十数人のクルーが命を落としました。無事に生き延びたクルーも治療が必要な状態です」
「・・・・・・・・・」
参列者の中に黙祷を捧げる者がいた。
「ムドラの民では・・・メタリオンが・・・・・・命を落としました。彼らはムドラのために闘い・・・・・・・・・」
フェイトは溢れる涙を止めることができなかった。
「・・・闘い・・・・・・命を・・・・・・」
彼女の脳裏にメタリオンの姿が蘇ったのだろう。
嗚咽しながらも、彼女は懸命に言葉を紡いだ。
「でも戦いは決して無駄では・・・・・・ありませんでした。こうして平和の道を進むことができるのは・・・・・・。
戦いの中で命を落とした人たちのおかげです」
エイミィは俯き、大粒の涙をこぼした。
「どうか・・・・・・それだけは忘れないでください・・・・・・」
あちこちで拍手が起こった。
小さな拍手は周囲を巻き込み、やがて彼女の偉業への賛辞へと変わっていった。
「私たちの戦いを記録している人がいます。私たちの受けた痛みや悲しみを真っ直ぐに捉えた本を・・・・・・。
その人はまた誰かによって記録が偽造(つく)られないようにと、今も書き続けています・・・・・・」
ユーノは咄嗟にアルフを見た。
アルフは慌てて首を横に振る。
「これからの歴史を作るのは私たちです。お互いに手を取り合って、安穏な世界を・・・・・・」
フェイトはそこで言葉を切った。
会場のあらゆるところから暖かな拍手が沸き起こった。
それらはすぐに熱気となり、魔導師とムドラとを繋ぐ橋となった。
「フェイトッ! フェイトッ! フェイトッ!」
示し合わせたように観衆が彼女の名を叫んだ。
どこかの国王の即位式のような盛り上がり様に、フェイトは恥ずかしさのあまり俯いてしまった。
だが恥じる必要はない。
彼女は英雄なのだ。
「う〜ん、カッコイイねえ・・・・・・」
アルフは主の晴れ姿にいつまでも胸をときめかせていた。

 その夜は世界を挙げてのパレードが挙行された。
絢爛豪華なオーケストラ隊とダンスメンバーが大通りをねり歩く。
7色の花火が空を照らし、会場は異様な熱気に包まれた。
大通り沿いには各地から集めた料理が所狭しと並べられている。
「だからいらないって言ってるだろッ!」
人の波をかき分けるようにしてクロノが毒づいた。
「別にいいじゃないか、今日ぐらい」
クロノを執拗に誘っているのはアルフだ。
手に持ったグラスを弄びながらなおも絡んでくる。
「あんたの母さんだってほら」
アルフが指差した先にはムドラと飲み比べをしているリンディがいた。
アルコールにはそれほど強くないのか、顔を真っ赤にして酒を呷っている。
「誘うんならあいつを誘え」
そう言ってクロノはアルフを無理やりユーノの元に連れて行った。
そんなやりとりを見ながら、エイミィは目の前にあったサラダに手を伸ばした。
この細身のスタイルを維持するには肉よりも野菜のほうがいいのだ。
もちろん栄養学の見地からすれば、野菜だけの食生活には問題がある。
エイミィはそのことを知ってか知らずか、さっきから肉にはほとんど手をつけていない。
「フェイトちゃんもどう?」
エイミィが水色のジュースを飲んでいたフェイトに声をかけた。
「うん、でももうお腹いっぱいだから」
フェイトはエイミィの誘いをやんわりと断ると、雑踏の中に姿を消した。
いくらか酔いが回っていたエイミィは彼女を追おうともせず、4皿目のサラダをたいらげた。
未成年の飲酒はどこの世界でも基本的に禁止されている。
が、今日のような宴席ではたとえ法律でもそれを取り締まることはできない。
エイミィは悲しみを紛らわせるために酒を飲み。
リンディはムドラとの親睦を深める意味で酒を呷った。
アルフに捕まってしまったユーノはしぶしぶグラスに口をつけたが、独特の苦味にすぐに吐き出してしまう。
クロノがそんな彼をまだまだ子どもだと言って笑ったため、ユーノがムッとして無理やり喉の奥に流し込んだ。
焼けつくような酸味と苦味がユーノを泥酔させた。
皆、思い思いに時間を過ごした。
とても和やかで温かみのある夜。

 

フェイトはひとり、冷たい風になぶられながら空を仰ぎ見た。
轟音とともに大空に光る花が咲き、世界をあまねく照らしては消えた。
その中に一度だけ、アメジスト色に輝く花が広がった。
「シェイド・・・・・・」
彼女は手にしたグラスを落とした。
重力に従って落下した繊細なグラスは、音を立てて割れた。
「あなたの想いは・・・・・・私がちゃんと伝えたから・・・・・・」
フェイトの呟きはパレードの喧騒の中に消えた。

 

 

 


 

   あとがき

 右眼の負傷で一時更新が滞ったこともありましたが、何とか最終話までUPできました。
ここまでお読みくださった方、本当にありがとうございます。
僕の文体というのは堅い表現が多く、しかも比喩的なものが大半を占めています。
主観的に見ても客観的に見ても「ああ、これは書き方を改めなければ」と思いながら、文体は相変わらずです。

 今回はリリカルなのはの舞台を借りて、「闇」を主題に書いてみました。
僕自身、「闇」という曖昧で捉えどころのないものが好きで、小説でもよく使っています。
加えて激しい動きの描写の練習も兼ねました。
遠距離での魔法の撃ち合いもその様子を巧く表現するのは難しいのですが・・・・・・。
それ以上に、剣同士が切り結ぶという情景描写の難しさには日々、切磋琢磨しています。
(なにしろハデな動きが多いですから、人物の位置関係なども具(つぶさ)に書かなきゃならないので)
拙い文体で読みにくかったところも多かったかと思いますが、最後までお付き合いくださり感謝感激です。
また、ご意見・ご感想なども頂けると大変幸いに存じます。

(ちなみにこのSS、「スターウォーズ EP3〜シスの復讐」のサントラ「アナキン、闇の仕業」を聴きながらだと、
ものすごい速度で書くことができました・・・・・・本当にどうでもいいことですが)

 

  戻る  SSページへ