闇は偉大だ。
フェイトは思った。
しかも強い。
そして闇はどこにでもいる。
この”闇”はフェイトにもまとわりついた。
彼女の部屋のベッドの下にも、クローゼットの隙間にも、闇はいた。
つかの間の仮眠のために瞼を閉じた時にさえ、闇は必ず現れる。
あまりに身近にいたせいで彼女は闇に気付かなかった。
そもそも闇という存在さえ、誰もが自覚できていない。
人は光を見ることで、初めて闇を知ることができる。
光が、光と闇を分けるからだ。
だがそうではない。
この世界に常にあるのは闇のほうだ。
光は後から入り込み、闇を光の届かないところへと追いやっていく。
これは・・・・・・この関係は・・・・・・。
魔導師とムドラの関係に似ていないか。
フェイトは思った。





フェイトは闇の中にいた。
しかしこれまでと違い、彼女は自分がどこにいてどこを向いているかが分かっていた。
さらには温度や湿度や高度といったより細かな状態をも知ることができた。
一見すると虚無に思える闇の中に、小さな光源がある。
日輪のように見えるそれはフェイトのすぐ近くにあるようにも見えるし、遥か遠くにあるようにも見える。
フェイトは意を決して、それに手を伸ばした。
伸ばした手が光源との距離を0にした。
温かい・・・・・・。
暗く冷たい闇の中、フェイトはそれをしっかりと抱いた。
その瞬間、あらゆる感情がフェイトの中を駆け巡った。
そして悟った。
”あなたなのね?”
フェイトの腕の中で、光が少しだけ強くなった。
闇が少しだけ薄れた。
やっと分かった。
これは”彼”だ。
この光は”彼”そのものだ。
そしてそれを取り巻く闇は彼の感情だ。
深い闇の中では、その感情が真なるものか偽りなるものかは分からない。
だからフェイトは闇ではなく、光との対話を試みた。
”あなたの心が知りたいの”
フェイトはそう強く念じた。
光が輝き、小さく答えた。
”僕に心など無い”
違う。フェイトは否定した。
”あなたにも心はあるよ。もしそれをうまく表現できないなら、私が手伝ってあげるから”
彼女がそう言うと、それまで黙っていた闇がにわかにやかましくなった。。
”惑わされるな。この少女はお前を誑(たぶら)かそうとしているのだ”
闇が冷たい牙をむき、フェイトから光を引き剥がそうとした。
”お前は闇の中に生きる存在だ。外を見ることは許されない”
フェイトの体を闇が噛んだ。
実体のない牙では彼女の体には傷をつけることができない。
”あなたは迷ってる”
たったひとつの光源に向かってフェイトが呟いた。
”その証拠に闇でさえあなたの本当の気持ちを伝えようとしてる”
フェイトは優しく、包み込むように言った。
”もうウソをつく必要はないんだ。だから・・・・・・”
”聞くな! この少女は危険だ!”
小さな牙は巨大なツメとなり、フェイトを引き裂こうとする。
闇のこの強引な手法が、フェイトにある考えを起こさせた。
闇を払わなければ、光にはたどりつけない。
これは魔導師とムドラにだけ成立する関係ではない。
世界のあらゆるものに共通する関係だ。
それなら私は光になろう。
フェイトがそう決意したとき、彼女の前から闇は消えた。





五感を取り戻したフェイトが最初に感じたのは、少女の声だった。
聞き覚えのある少女の声だ。
とても柔らかく、心地よい。
いつか孤独だった自分を助けてくれた女の子。
何度も戦い、何度もぶつかり合った魔導師。
「フェイトちゃんッッ!!」
その声にどこか懐かしさを感じ、フェイトは光となった。

 

 

 

 

 

 

 第19話 光と闇、フェイトとシェイド

 

 

 

 

 

 

 荒涼とした大地に、紫色の光刃のうなり声だけが響く。
シェイドはエダールセイバーを弄びながら、ゆっくりとフェイトに近づいた。
立ち上がることさえできなくなった観客の10の視線を感じながら――。
彼は楽しかったに違いない。
愉快だったに違いない。
多くの犠牲を払ったが、今、彼の悲願がようやく成就するのだ。
昂揚感を抑えられない。
彼は慢心していた。
誰がどう見ても、勝敗が分かるこの状況に。
だからこそ。
フェイトが敢えて電撃を受けたとは思いもしなかった。
その彼の歩みが不意に止まった。
これ以上は踏み込めない。そんな戸惑いもあったかもしれない。
だがそれ以上に。
彼にとっては信じがたい光景が、彼の目の前で展開された。
フェイトがゆっくりと立ち上がった。
電撃を浴びてバリアジャケットのあちこちに焼け焦げた跡を残している。
フェイトの眼がしっかりとシェイドを捉えた。
その眼光に一瞬怯みつつも、彼は大袈裟に笑った。
「これは驚いたよ! 生きているとは思わなかったな!」
これはウソだ。
彼はフェイトがまだ倒れていないことを知っていた。
だからこそ止めを刺そうと思ったのだ。
「しかし同情するよ。強い分、それだけ苦痛を味わうことにもなる」
シェイドは笑ったが、すぐに真顔に戻った。
目の前の少女は恐怖を感じていない。
代わりに強い意志のようなものが感じられた。
「僕を倒すんじゃなかったのか?」
シェイドは問うた。
「今は違う。私はあなたを受け容れる」
フェイトはそう答えた。
「ずいぶんと諦めがいいな。僕の力に臆したか?」
「あなたのこと、少しだけ分かった気がする」
フェイトはまるで噛み合わないことを言った。
それがシェイドの自尊心を傷つけた。
「臆したかと訊いているんだ!」
彼の周囲をプラーナが渦巻いた。
「あなたを受け容れる。そして・・・・・・あなたを倒す」
フェイトは静かにそう言った。
その言葉の意味が分からないシェイドは、
「君と言葉遊びに興じるつもりはない。これで終わりだ――」
彼女の愛杖バルディッシュは今、彼女の手にはない。
たとえ不意を衝かなくても、これを防ぐ手立てはない。
シェイドは左手をフェイトに向けた。
五指からアメジスト色の電撃が放たれ、フェイトに向かって走った。
フェイトがすっと右手を前に突き出した。
アメジスト色の閃電が、彼女の掌に吸い込まれていく。
(バカな・・・・・・!?)
シェイドはありえない状況に狼狽した。
プラーナ・ライトニングの直撃を浴びているフェイトは、苦悶の表情すら浮かべていない。
「ありえない・・・・・・」
彼はそう呟いていた。
シェイドは左手に力を込めた。
閃電がさらに輝きを増し、魔導師を襲う刃となった。
だがそれも無意味だった。
彼がどれだけ力を入れようとも。どれだけフェイトを憎もうとも。
彼女をふき飛ばすことはできなかった。
「何だ!? 一体、何をしたッ!?」
シェイドが叫んだ。
「いや、”何をしている”んだッ!?」
分からない。
何ひとつ分からない。
フェイトが今、こうして立っていることも。
フェイトが今していることも。
「私は・・・・・・あなたを助けたいんだ」
激昂するシェイドとは対照的に、フェイトはあくまで静かに言った。
直後、彼を震撼させる出来事が起こった。
電撃を受け止めているフェイトの五指から、金色の電撃が伸びた。
フェイトの放った電撃がアメジスト色の閃電を呑み込みながら迫ってくる。
「ありえない・・・・・・ありえないぞ・・・・・・」
彼はもう一度呟いた。
2人の電撃は激しくからみ合いながら、ちょうど真ん中で競り合った。
「あなたの痛みは分かってる! だから・・・・・・!」
フェイトが左手を突き出し、金色に輝く電撃を放った。
シェイドは咄嗟にエダールセイバーを投げ捨て、それを右手で受けた。
いったいどういうことだ?
魔導師にとって、プラーナに対抗できるのは唯一エダールモードだけのハズだ。
なのに彼女は今、その身でプラーナを受け止め、そして同じように電撃を放っている。
不覚にもシェイドはそれを全力で迎え撃った。
少しでも力を緩めれば、あの電撃に弾き飛ばされそうになる。
倒す。受け容れる。助ける。
彼女の言葉はそれぞれが相反しあっていて、何ひとつ繋がらない。
そこに比喩的な意味が込められているのか?
シェイドは両手に力を込め、フェイトの真意を探ろうとした。
彼女が投げかけた言葉にどんな意味がある?
それともただ意味深な単語を羅列しただけの狂言なのか?
彼には分からなかった。
口先ひとつで相手の心理に潜り込み、精神を意のままに操ることさえできる彼は、
逆に理解できない言葉を投げられることに慣れていなかった。
両者の稲妻は決して混ざり合わず、常に相手の稲妻を喰い合った。
「君もムドラと魔導師に共存の道があると考えているのかッ!?」
金色の稲妻がアメジスト色の稲妻を呑み込んだ。
「私たちは分かり合える! あなたも気付いてるハズなんだッ!」
シェイドが後ずさった。
偉大なプラーナが魔法に押されている。
フェイトは魔法とプラーナとを隔てていた境界を超えた。
プラーナをその身に浴び、彼女は闇を理解した。
シェイドの憎悪をも理解した。
彼が憎悪を抱くことによって力を得るなら、彼女は彼の憎悪を理解することで力を得る。
彼女は彼自身をも理解しようと、両手に力を込めた。
一陣の風が舞い、金色の稲妻がプラーナ・ライトニングを完全に呑み込んだ。
凄まじい魔力の波を受け、シェイドの体は遥か後方にふき飛ばされた。

「フェイトちゃん・・・・・・」
ぼやけた視界にかろうじてフェイトの姿を捉えたなのはは、呟くのがやっとだった。
足に受けた傷は決して軽くはなく、さらにエダールセイバーで斬られたことが災いした。
傷口を通してプラーナが彼女のリンカーコアを侵食しはじめている。
「なのは」
肩で息をしながらユーノが歩み寄った。
そして足に残る傷を見つけると、震える手で治癒魔法を発動させる。
「私は大丈夫・・・・・・それよりクロノ君が・・・・・・」
「分かってる。体の中にあるプラーナを取り除くだけだから」
ユーノは応急処置に留め、続いてクロノの元に向かった。
こっちは深刻だ。
シェイドの光刃をまともに受けている分、プラーナの侵食が早い。
魔法とはいえ、これの治癒にはある程度の精度が要求される。
ユーノはクロノの脇腹に残る傷に手をかざし、慎重にプラーナを探った。
思った以上に傷が深い。
「ユーノ・・・・・・」
クロノがしぼり出すように言った。
「喋らないほうがいい」
そう言うユーノを無視して、クロノは続けた。
「フェイトは・・・・・・あいつを倒せると思うか・・・・・・?」
ユーノは小さくため息をついた。
そして、
「そういう考え方でいる限り、この問題は解決しないよ」
素っ気無く言った。
「勝つとか倒すとか、それだけじゃダメなんだ。もっとその先の――」
言いかけてユーノは言葉に詰まった。
言いたいことはあるが、それをうまく言葉にできない。
共存や共栄に近い意味のことを言おうとして、彼は言いよどんだ。
治療が先だ。
彼らの向こうでは2人が目も眩むほどの電撃を放っていた。
傍目にはフェイトのほうがやや有利に見える。
だからクロノは先ほど、ユーノに問いかけたのだ。
「大丈夫かい?」
息苦しそうにアルフが2人の元にやって来た。
「ああ、僕はね。でもクロノは――」
「僕も大丈夫だ」
クロノがはね退けるように言った。
心配するならフェイトに対してすべきだと言わんばかりに。
アルフはたった1人でムドラと戦っている主を見た。
「フェイト・・・・・・」
本音を言えば、今すぐにでも飛び出したいところだった。
たとえ足手まといになろうとも、フェイトを救えるならそうしたかった。
それはなのはもユーノも、彼女を1人で戦わせることを提案したクロノでさえ同じだった。
だがそれはできない。
アルフは主との精神リンクを完全に遮断していた。
おそらくフェイトもそうしているだろう。
アルフは神を信じてはいないが、もし神がいるならフェイトが無事に戻れるようにと祈った。

 肩から地面に落ちたシェイドは、慣れない痛みに呼吸を乱した。
まるで全身を地獄の業火に焼かれたように体が熱い。
立ち上がったシェイドは憎悪の瞳をフェイトに向けた。
目の前の少女は9歳とは思えないほど強い意志を秘めた視線を返してくる。
フェイトはシェイドの瞳ではなく、彼の瞳の奥を見ようとした。
彼を取り巻く闇をかき分け、闇の最も奥深くにある彼の本心を理解しようとした。
2人はあらゆる点で対極で、あらゆる点で同一だった。
だからこそ見えない何かが、2人を引き合わせたのかもしれない。
フェイトはそう思っている。
「どういうことだ・・・・・・?」
シェイドは彼女にではなく、自分に問うた。
プラーナが魔法よりも劣るハズがない。
何かを間違ったのか? そうだとしたら、それは取り返しのつくことなのか?
「あなたの心が知りたいんだ」
そう言うフェイトの眼が慈愛に満ちているようで、それが彼にとってはこの上なく不愉快だった。
「僕に心など無いと言ったハズだ!」
そう怒鳴ってからシェイドはたった今、自分が言った事を反芻した。
”僕に心など無いと言ったハズだ”
・・・・・・いや、言った憶えはない。
ではなぜ、さっき僕はあんなことを口走ったのだ?
たんなる既視感デジャヴュなのか?
いや、そんなことはどうでもいい。
僕がすべきことはひとつだけだ。
シェイドは足元に転がっているグリップを右手に収めると、静かに起動させた。
「いま分かったよ」
シェイドが不気味なほど低い声で言った。
「君はそうやって狂言で僕を惑わそうとしているんだな。僕のように――」
シェイドはゆっくりと歩を進め、自分の間合いにフェイトを捉えた。
だがそれでもフェイトはバルディッシュを拾い上げることも、戦闘の意思を見せることもしなかった。
それが逆に奇妙で、一撃必殺の位置にいるシェイドも手が出せないでいる。
「あなたとは分かり合えるって信じてる。だから、あなたともっと話したいんだ」
フェイトはそう言い、シェイドが何の反応も示さないのを見て付け加えた。
「そのために戦う必要があるなら、私は迷わずあなたと戦う。ただそれだけだよ」
無意識のうちに、シェイドは一歩退いていた。
なぜか彼女の声が、母親の声に似ていたからだ。
だが彼がそう思ったのもこれが最初で最後だった。
「君もなのはと同じだな。自分の意思を押し通すために僕と戦う、か。そして君は――」
「あなたを倒す・・・・・・」
示し合わせたようなタイミングでフェイトが言った。
「僕に勝てるハズがない! 魔導師である君はプラーナの、そして闇の深さを見たことがない!」
シェイドが激昂した。
だが同様のことが彼にも言えた。
闇の中にいた彼は、外を見ようとはしなかった。
たしかに復讐を遂げるために、彼は不本意ながらも魔法を研究した。
だがそれはあくまで表面的なものだ。
彼は本当の意味で光を、魔法を理解してはいなかった。
そして今の彼には、目の前の少女がとてつもなく大きな壁に見えている。
自分の味方であったハズの闇が、彼の知らないうちにフェイトの姿をも見えなくしていた。
フェイトがバルディッシュを構えた。
「・・・・・・ッ!?」
いつ、あれを手にしたんだ。
シェイドが光刃を力まかせに振り下ろした。
それを金色の光刃がしっかりと受け止め、競り合う刃が悲鳴をあげる。
「そんな眼で見るなッ!!」
渾身の力を込めて、シェイドがなぎ払った。
「くっ・・・・・・!」
予想外の重い一撃にバルディッシュが弾き飛ばされた。
(勝った)
この近距離で彼は油断してしまった。
エダールセイバーを振り上げた彼を金色の稲妻が襲った。
咄嗟に光刃で防ごうとするが、グリップを握る手に力が入っていなかった。
電撃を受けて彼の武器がふき飛ばされる。
シェイドは完全に冷静さを欠いていた。
彼はプラーナを使うことも忘れ、次の瞬間にはフェイトに殴りかかっていた。
格闘技に覚えがあったわけではない。無意識の行動だった。
フェイトはそれを受け流すと、軽く跳ね、威力のある蹴りを放った。
つま先がシェイドのあごを蹴り上げた。
「うぐ・・・・・・ッ!」
よろめきながらも何とか体勢を立て直したシェイドが、驚いたようにフェイトを見た。
おそらく彼女の格闘能力はアルフによるものだろう。
だが今の一撃は完全に虚を衝かれた。
あごから頬にかけての痛みがシェイドに現実を叩き込む。
シェイドが低い姿勢から駆け、拳を突き出した。
フェイトはそれを余裕で躱し肘で突いた。
よろめきバランスを崩したシェイドが体勢を立て直したとき、フェイトの拳が頬を打った。
軽いめまいを覚え、シェイドが距離をとる。
一瞬視界がぼやけたが、彼はフェイトの姿をしっかりと捉えた。
彼は体が熱くなるのを感じ、唾を吐き捨てた。
先ほどの打撃で口を切ったのか、血が混じっていた。
フェイトが飛翔した。
空高く彼女は舞い、彼を見下ろす。
それがまるで力関係を比喩しているようで、シェイドも苛立ちながら飛翔した。
同高度で2人は睨み合った。
先にしかけたのはフェイトだった。
脅威の機動力で間合いをつめると、拳を握りしめシェイドの頬を打った。
だがすかさずシェイドも一撃を叩き込む。
フェイトが後方に押し返された。
シェイドが一度上空にあがり、追い討ちをかけようと急降下する。
彼の拳がフェイトを打とうとした瞬間、空中で身をひねったフェイトが慣性を生かして回し蹴りを放つ。
フェイトのつま先がシェイドの腹部に刺さった。
カウンターを決められたシェイドがバランスを崩す。
2人は重力を無視して空中でもつれた。
アメジスト色の閃電が空を焼き、金色の稲妻が天を焦がした。
格闘でもプラーナでも決着がつかないことに、シェイドはイラついた。
シェイドは憎悪の炎を瞳にたぎらせると、フェイトの首を掴んだ。
そして躊躇うことなく彼女を地面に向けて投げ飛ばした。
フェイトは重力に従って落下し、背中を叩きつけられた。
だがこれはシェイドの見間違いだった。
地上すれすれでフェイトは、まるで風を味方につけたかのように優雅に弧を描いて着地した。
そして気がつくと、彼女は金色の光刃を発生させたバルディッシュを掴んでいる。
まただ。また彼女の動きが見えなかった。
シェイドは眼を瞬かせた。
まるで闇が自分の視界を遮っているような錯覚に陥りそうになる。
ゆっくりと地上に降りたシェイドは足元に落ちているエダールセイバーを拾い上げた。
「強いね、シェイドは」
フェイトがわずかに呼吸を乱しながら言った。
彼はその褒め言葉を挑発と受け取った。
「もうすぐそんな事も言えなくなるぞ」
そう言って彼は腹中に飲み下したジュエルシードから無尽蔵のエネルギーを引き出した。
エネルギーが彼の憎悪に呼応し、彼の力は限界に達した。
「そうだね」
フェイトは彼の憎悪を内に取り込んだ。
黒い霧の中に潜む真実を理解し、彼女の力は限界を超えた。
シェイドが光刃を起動し、一直線に駆けた。
フェイトの心臓を貫こうと、彼は執拗に攻めた。
しかし、今までで一番速い彼の動きをフェイトは完全に見切っていた。
右から左から、ほぼ同時に迫る光刃を捌いていく。
フェイトはバックジャンプでいったん距離をあけた。
見切っているとはいっても、だからといって戦いに勝ったわけではない。
シェイドの剣技はなのはやクロノ、リンディを併せたよりも何十倍も強く、しかも憎悪を孕んでいるだけに、
一撃一撃が素早くて重い。
わずかでも気を抜くことは許されない。
彼を救えるのはフェイトだけだからだ。
シェイドが左手を突き出し、プラーナを放った。
光と同じ速さで飛んだプラーナはフェイトの自由を奪うハズだった。
が、フェイトが左手で軽く払うと、軌道を変えたエネルギーが地面に小さな穴をあけた。
不意にフェイトの頭上に16個の光球が出現した。
プラズマランサーだ。
バルディッシュはエダールモードを起動している。
そしてあの魔法はデバイスなしには発動できない。
この事実をシェイドが把握するのに2秒かかった。
(なぜエダールモードで魔法が使えるんだ?)
シェイドはまだ知らない。
フェイトが魔法とプラーナとを隔てていた境界を超えたことを。
環状魔法陣から次々に光球が発射される。
シェイドは避けようとはしなかった。
この手の魔法は熟知している。
(おそらく回避しても追尾するのだろう)
光刃を真円を描くように回転させ、それら全てを斬り落とす。
最後の一発を弾いた時、フェイトが彼の死角に回り込んでいた。
金色の光刃が閃く。
シェイドも慌ててそれを防ごうと光刃を振るった。
だが0.2秒遅かった。
バルディッシュがシェイドの左肩を斬った。
「・・・・・・ッッ!」
痛みが彼の動きをわずかに鈍らせた。
一気に勝負を決めようと、フェイトが間髪入れずに攻めた。
シェイドはそれを右手だけで防ぎ、後ずさった。
2人の描く構図はそのまま世界の構図だった。
光が闇を払い、敗れた闇は光の届かないところに逃げようとする。
フェイトは執拗に攻めた。
彼女の攻撃を片手で捌くのには無理がある。
シェイドはバックステップで一気に距離をあけると、エダールセイバーを持ち直した。
魔導師でないシェイドにとって、エダールモードによる傷はそれほど深刻なものではない。
彼にはリンカーコアが存在しないためだ。
しかしそれでも、「切り傷」としてのダメージは残る。
この瞬間、シェイドは目的を切り替えた。
彼が倒すべきは魔導師でも管理局でもない。
本当に倒すべきはフェイトだ。
そう自分に言い聞かせると、彼は再び斬りかかった。
肩に痛みはない。
その痛みすら、彼は憎悪に変えたからだ。
フェイトは低い姿勢からシェイドのふところに飛び込もうとした。
だが不用意に飛び込むのは得策ではない。
バルディッシュがうなり声とともにシェイドの防御を切り崩した。
だが追撃を許すほど彼は寛大ではない。
すぐに身をひねるとバックハンドでフェイトを斬ろうとする。
激しい攻防が2人の呼吸を乱し、体力を奪った。
金色の光刃が閃くたび彼を覆う闇を払っていく。
だが逆に彼の憎悪の炎はますます強く燃え上がった。

「はぁ・・・・・・・はぁ・・・・・・・」
彼はおそらく、人生で初めて恐怖を感じた。
その独特の口調や根回しの巧さから常に相手に恐怖を植え付けることを意識してきた彼は、
逆に恐怖を感じる側に立ったことがなかった。
今になって左腕に受けたふたつの傷が痛み出してきた。
最後の戦いが始まった時、彼は確かにフェイトの強さを認めてはいた。
ただしその位置づけはリンディよりも強く、自分よりも遥かに劣るという程度であった。
この認識は甘かった。甘すぎた。
彼が放つプラーナの波も、憎悪を込めて放った電撃も、徹底して実戦向けに昇華させたエダール剣技も。
どれひとつ彼女には通用しなかった。
「君は・・・・・・何なんだ・・・・・・? その強さはどこから来るんだ?」
肩で息をしながらシェイドが訊いた。
自分は魔導師に対する憎悪と、そして自分を取り巻く闇から力を得ている。
では彼女は・・・・・・?
「あなたと同じだよ。負けられない理由があるから、私は強くなれるんだ」
「僕と・・・・・・おなじ?」
彼にはもう、この詭弁を笑い飛ばす気力はなかった。
「なら僕が敵わない理由は何だ?」
彼は無意識のうちに、今の発言で自らの敗北を認めていた。
ムドラとして生まれ、ムドラとして育った彼には、力の源はプラーナと闇しかなかった。
それが唯一にして不動のものだと思い込んでいた彼が、フェイトの成長を理解できないのは必然といえた。
「想いの強さの違いだよ。私には譲れない想いがある。あなただってそうでしょ?」
不覚にもシェイドは彼女の瞳に吸い込まれるような錯覚に陥った。
僕が彼女の言葉に揺らいでいる?
魔導師の、しかもこんな少女の言葉に?
シェイドはふと自分に注がれている視線に気付き、肩越しに振り向いた。

リンディだ。
憐れむような眼でシェイドを見ている。
彼女は何を想い、彼を見ているのだろうか。
このアースラ艦長の瞳には、フェイトと同じ何かを感じさせる。

クロノだ。
未だに挑むような目つきだが、これは執務官としての眼なのだろうか。
今もじっとシェイドを見つめている。
彼にはもう魔導師が善、ムドラが悪という決め付けはないようだ。

ユーノだ。
おそらく彼は魔導師の中でもっともムドラの心に近づいた少年ではないだろうか。
彼の調べた文献にはムドラの心までは記されていないが、彼が記録官ならそれを書き記すかもしれない。
物事を表面だけでなく、その本質まで見ようとする意識が彼にはあった。

アルフだ。
彼女はフェイトを見守っている。
シェイドと眼が合った。彼女ははじめ憎しみを込めて彼を睨んだが、すぐに柔和な表情に戻った。
そして次にはシェイドに笑みを見せた。彼のような嗤笑ではなく、どこか温かみのある笑みだった。
それがこの場にはひどく不自然に感じ、シェイドは怪訝そうな表情を浮かべた。

なのはだ。
この少女は対決の行方よりも、2人の身を心配しているようだ。
何もできないもどかしさからか、それともまだ傷が痛むからなのか、なのはの瞳は潤んでいた。
あるいは出生や思想の違いから争わなければならないことに涙しているのかもしれない。

 フェイトは応えを待った。
今の彼なら、呼びかけに応えてくれそうな気がした。
実際、彼の心はフェイトの言葉や自分を見るリンディたちの視線に揺らいでいる。
「君は自分の力を信じているのか?」
長い沈黙の後、やっと開いた彼の口から出たのは疑問だった。
「僕を倒し、ムドラと魔導師に共存の道を示せると信じているのか?」
フェイトは静かに頷いた。
「何千年も続いたムドラと魔導師の戦いを、君ひとりの力で終わらせられると思っているのか?」
フェイトは首を横に振った。
「私だけじゃ無理だよ。でも、あなたと一緒なら――」
彼女がそこまで言っても、彼にはまだ分からないことが多すぎた。
「耳を疑うな。僕はこの戦いで君を殺そうとしているんだぞ? 憎むべき魔導師として、君を・・・・・・。
君だけじゃない。君の友だちやパートナー、もしかしたら母親や兄になるかも知れない者まで手にかけるんだ。
それでも・・・・・・それでも君は共存の道を探すのか?」
シェイドは様々な意味を込めてフェイトを睨んだが、フェイトは彼が最も望んでいないことを答えた。
「私の目的はあなたを倒すことじゃない。あなたを救いたいんだ。そして・・・・・・。
あなたと一緒に共存の道を歩きたい」
シェイドは嘲笑したが、それは彼女にではなく自分に向けてのものだった。
沈黙がオルキスを包み込んだ。
彼は――。
泣いていた。
魔導師を前にして、彼は涙を流した。
「真っ直ぐなんだな、君は・・・・・・。僕の奸言(かんげん)にも決して惑わされなかった。
知的で、そして勇敢だ。フェイトさん・・・・・・」
呟くようなシェイドの口調からは諦めにも似た感情が窺える。
「もう少し早く君に逢っていたら・・・・・・僕の生き方も変わっていたかもしれない」
この会話には駆け引きはない。
彼も彼女もついに本心を曝け出している。
「まだ間に合うよ」
フェイトが慈愛の視線をシェイドに向ける。
「もう手遅れさ」
「まだ間に合う! あなたは自分から世界を狭くしようとしてるんだ。もっといろんなことを知って欲しいんだ。
いろんな人と話をして欲しいんだ!」
「・・・・・・・・・」
「自分で世界を決めないで! あなたなら・・・・・・できるハズだよ・・・・・・」
かつてフェイトがそうだった。
彼女は自分が知っている世界でだけ物事を考え、そして行動してきた。
だがひとりの少女との出会いが、彼女を変えた。
そんな経験があるからこそ、彼女は彼に訴えた。
この2人には多くの点で共通する部分がある。
漆黒の衣服に身を包んでいることもそうだし、電撃系の力を使う点もそうだろう。
さらに剣技に関して高い技術を持っている点も挙げられる。
そして何より、2人は瞳に強い意志を宿している。
その方向は復讐と共存とまったく異なるが、その想いの強さは同じといっていい。
「もう無理なんだよ、フェイトさん。遅すぎた。僕はずっとムドラだったから・・・・・・。
だから君たちへの憎悪が消えることはない・・・・・・」
シェイドは再びエダールセイバーを構えた。
彼に残された道は戦うことしかない。
戦い、勝って、自分の道が正しいことを証明するしかなかった。
「闇を払うしか・・・・・・あなたと分かり合える方法はないんだね」
バルディッシュの金色の光刃がひときわ強く輝いた。
「あなたは闇に欺かれてるだけなんだ。でも大丈夫・・・・・・私が助けてあげるから・・・・・・」
一瞬にしてフェイトがシェイドの背後に回りこんだ。
シェイドが逆手に持ったエダールセイバーでそれを後ろ手に捌く。
「そうか、もう闇でさえ僕の味方ではないのか・・・・・・」
シェイドが身を翻し、フェイトの光刃を激しく叩いた。
「プラーナの闇はいったい何のために僕に力を与えた?」
紫の光刃が2度閃き、フェイトを押し戻す。
「僕をこんな結果に導くために、僕を弄んだのか?」
バルディッシュが低いうなり声をあげて、シェイドのコートを斬った。
「違うよ」
アメジスト色の閃電が地を這い、フェイトを狙った。
「闇を生み出したのはあなただよ」
金色の閃電が滑空し、プラーナの波を押し返した。
「”プラーナの闇”なんてどこにも無かった。あなたの心が闇を作り出したんだ」
金色の光刃が振り下ろされ、シェイドはそれを上体を反らして躱した。
「どうしてそんなことが分かるんだ!?」
シェイドが宙返りを打ってフェイトの死角に回り込む。
そこから立て続けに鋭い斬撃を見舞う。
「私は闇に会った。そして闇の中にあなたを見た。だけどあなたと話すことはできなかった。
闇が私たちの邪魔をしたから・・・・・・それがあなたの心をねじ曲げてる!」
シェイドは1秒間に7回光刃を振るった。
フェイトはそれを2回躱し、5回捌いた。
「でもその闇ですらあなたの心を完全に覆い隠すことはできなかった――」
「なんだと!?」
「気付いてっ! あなたの本当の心に――!」
シェイドは惑った。
少女の言葉のひとつひとつが、彼の心を揺さぶる。
「あなたは闇の中に自分の本当の心を閉じ込めようとしてるんだ!」
「違うッ!」
「私は闇の中にあなたの声を聞いたんだ。あなたの・・・・・・本当の気持ちを・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
シェイドの瞳に宿る憎悪の炎が弱くなった。 
「・・・・・・僕は自ら生み出した闇に付け込まれる隙を与えたというのか?」
体内のジュエルシードが彼にさらなる力を与える。
だが彼にはその力を使いこなすことができなかった。
「心を解き放て、そういうことなのか? 闇とか光とか、ムドラとか魔導師とか、そういう意味ではなく。
僕の本当の心を知れということなのか?」
ビュンという風を斬る音がし、フェイトのマントを斬り裂いた。
「でも僕の心は今、どこにあるんだ? 僕にはもう何も見えない、分からない!
闇が・・・・・・あの闇が僕を覆ってしまったというのに?」
シェイドの太刀筋は明らかに鈍っている。
彼はエダール剣技の基本も忘れ、流れに任せて剣を振るっているように見える。
フェイトは見た。
彼の周りを陽炎のように闇が立ち昇り、ゆらゆらと揺れながら闇が彼の体の中に入っていく。
これはシェイドの闇に触れた彼女にしか見えない。
おそらく今やシェイドにすら、自分を取り巻いている闇は見えていないのだろう。
シェイドが狂ったように光刃を振り回した。
幾何学模様を描く光の軌跡をかわしながら、フェイトは彼の真正面に立った。
バルディッシュが3度煌めいた。
1度目は彼のエダールセイバーを弾き飛ばした。
2度目は彼の右腕を滑った。
3度目は彼の両足を深手にならない程度に斬った。
「・・・・・・・・・・」
フェイトは静かに眼を閉じるとバルディッシュをセーフティモードに切り替えた。
そして数瞬の躊躇いの後、光刃をシェイドの胸に突き刺した。
「オオオォォォッッ・・・・・・!!」
バルディッシュの黄金の光がシェイドの心を巣食っていた闇を焼いた。
黒煙のように彼の体から抜け出た闇は空高く昇ると、渦を巻いて飛散した。
「・・・・・・・・・」
糸の切れた操り人形のようにその場に崩れ落ちるシェイドを、フェイトはしっかりと抱きとめた。
彼は虚ろな瞳をフェイトに向けた。
瞳だけでなく、彼の体も心も今は空っぽだった。
彼の大部分を占めていた闇がひとつ残らず飛び散ったのだ。
「フェイトさん・・・・・・」
シェイドは視線を中空に彷徨わせながら彼女の名を呼んだ。
今の彼からは憎悪を感じない。
フェイトは彼を抱く腕に力を込めた。
「僕の・・・・・・負けだ・・・・・・僕の・・・」
そう言って彼は手を腹部にかざした。
淡い光がその手を包み、ジュエルシードが浮き上がる。
ジュエルシードはまるで意思を持っているかのように宙を滑ると、自らバルディッシュの中に入った。
それを見届けるとシェイドは左手を軽く振った。
途端に1000体の土塊が音を立てて崩れた。
「不思議だよ・・・・・・負けたのに、清々しい気分だ・・・・・・」
彼は微笑んだ。
「それが本当のあなただよ・・・・・・」
フェイトは完全に戦意を喪失したムドラの民を抱いた。
「もうあなたを惑わす闇はいないから」
「そう、か。闇は去ったのか・・・・・・」
少し寂しい気もするな、と彼は呟いた。

「終わったのか・・・・・・」
折れたS2Uの修復を終えたクロノが言った。
勝敗は見れば明らかだ。
「良かった・・・・・・」
5人がほぼ同時に言った。
「本当に良かった・・・・・・」
アルフは体中の力が抜けたように座り込んだ。
精神リンクは今も切断しているため、主が何を想っているのか分からない。
しかしひとまず主が無事である事に彼女は感謝した。
「ひとまず彼をアースラに――」
そう言って立ち上がろうとしたクロノをユーノが制した。
「フェイトに任せよう」
「だけど勝負は着いたんだ」
「だからフェイトに任せるんだ」
ユーノはいつになく強い口調で言った。
「私からもお願い。フェイトちゃんの好きにさせてあげて」
なのはが助け舟を出した。
「提督」
クロノが困ったようにリンディに意見を求めた。
彼女はにっこり笑って、
「私も2人の意見に賛成よ」
そう言い、視線をフェイトたちに戻した。

 一陣の風が勝者と敗者を撫でた。
「君たちを憎んでいたのがウソみたいだ・・・・・・」
シェイドは優しい風になぶられて、本心を口にした。
「私たちはムドラのことを何も知らなかった。もし知っていたら、あなたの気持ちをもっと理解できたかもしれない」
フェイトは寂しそうに言った。
「僕はムドラだから・・・・・・」
「そうだね。あなたの気持ち、少しだけど理解できるよ。辛かったんだよね。悔しかったんだよね。
あなたたちの歩んできた過去を知って――」
「・・・・・・・・・」
「もし私があなただったら・・・・・・きっと私も憎んだと思う。あなたと同じようにしたと思う」
「でもそれは間違いだった」
シェイドは覇気のない口調でしぼり出した。
「ううん、あなたは間違ってない。あなたは素直だから・・・・・・思ったことをそのまま行動に移しただけなんだ」
「僕がそうすることで、僕は・・・・・・多くのものを失ったよ。君も・・・・・・だから僕は間違ったんだ」
「そんなことないよ」
フェイトはまるで母親のような口調で言った。
「正しいか、違っているかは人それぞれだから。あなたが正しいと思ってしたことなら、それは正しいのかもしれない」
ただ、とフェイトは付け足した。
「憎しみがあなたの心を奪ってしまったのを知って、助けてあげたいと思ったんだ。あなたを否定するんじゃなくて、
あなたを受け容れようと思った。だけど――」
「・・・・・・いいよ、話してくれ」
言いよどむ彼女をシェイドが促した。
「私は魔導師で、あなたはムドラの民。戦うことは避けられなかった・・・・・・。
もしかしたらあなたと戦わずに、話し合う方法があったかも知れないのに・・・・・・」
シェイドがゆっくりと首を振った。
「それは・・・・・・無い。いや、無かったよ。君の言うように、僕は憎しみでいっぱいだった。
きっと君たちがどんな方法をとろうとも、僕はそれに応じなかったと思う」
彼はため息をついた。
「戦って勝ち、君たちを滅ぼすことしか頭になかった。だけど・・・・・・嬉しかったよ。
君たちが罪を認め、謝罪してくれたこと。僕に、いや僕たちに声をかけてくれたこと。
矛盾しているけれど、これだけは信じて欲しい」
風が再び舞い、シェイドの透明な心を撫でていく。
「でももう終わったんだ・・・・・・。僕は負けた。君が勝ったんだ。フェイトさん・・・・・・。
魔導師はもう・・・・・・ムドラの脅威に晒されることは・・・・・・ない・・・・・・」
今まで気付かなかったが、彼は息をするのも苦しそうだった。
フェイトは彼を抱く力を緩めると、覚えたての治癒魔法を展開しようとした。
「もう・・・いいんだよ、フェイトさん・・・・・・。そんなことは・・・・・・」
だがフェイトはそんな彼の制止を振り切って言った。
「言ったでしょ、あなたを助けるって」
「君は・・・もう・・・・・・僕を助けてくれた・・・よ・・・・・・」
治癒魔法がまったく効果を示さないことにフェイトは焦った。
だが、その理由が分かるとフェイトは落涙しながら叫んだ。
「どうして!?」
「僕には・・・・・・帰る場所がない。いや・・・・・・僕が還るべきはここじゃないんだ」
「違うッ! そんなの違うッ! あなたには帰る場所があるよ!」
こぼれた涙がシェイドの頬を濡らした。
「アースラに戻ろう。あなたはアースラのクルーなんだよ? リンディ提督だって・・・・・・」
「でも・・・・・・」
「誰もあなたを責めたりしないッ! だからお願いッ!」
彼は残っているわずかな力を使って――。
フェイトの治癒魔法を無力化していた。
激戦の後でフェイトも疲弊しているためか、彼女がどれだけ力を集中させても、その効果が彼に及ぶことはなかった。
「できない・・・・・・僕は・・・・・・ムドラだぞ・・・・・・・?」
「そんなの関係ないよ。ううん、あなたがムドラだからこそ、あなたにいて欲しいんだ」
あふれる涙が彼女の視界からシェイドの姿を奪った。
「僕が・・・・・・いつまた闇を作り出すか分からない。僕にムドラの血が流れているかぎり・・・・・・。
たとえ僕が望まなくても闇は現れるぞ・・・・・・」
「それなら闇を払えばいいッ!」
フェイトが叫んだ。
「君たちの手を煩わせてまで・・・・・・生きるつもりはないよ」
「あなたに生きていて欲しい」
「・・・・・・・・・・・・」
シェイドはしばらく迷ったが、やがて自分にかけていたシールドを解いた。
だが少し遅かった。
フェイトの拙い治癒魔法では彼の消耗した力を元に戻す事ができない。
するとそれを見計らっていたかのようにユーノが割って入ってきた。
「僕も手伝うよ」
そう言って得意の治癒魔法を発動させる。
この種の魔法はフェイトよりもユーノの方が得意だ。
緑色の魔力光が輝き、彼の奪われた力を取り戻す。
「ユーノ君・・・・・・君にもずいぶん迷惑をかけたね・・・・・・」
彼はひと言、「気にしてない」とだけ言うと彼の治療を続けた。
数分もするとシェイドの呼吸は落ち着き、自力で立てるほどにまで回復した。
「立てる?」
ユーノが訊いた。
「うん、ああ・・・・・・大丈夫だ」
シェイドは2人の手を借りてゆっくりと立ち上がった。
「行こう、みんなが待ってる」
ユーノが指差した方向には、見知った面々がシェイドの帰還を待っていた。
2人はシェイドの歩調に合わせてゆっくりと歩く。
突然フェイトがその場にかがみ、何かを拾い上げた。
ユーノに支えられるようにして歩いていたシェイドは、それを肩越しに見ていた。
「ユーノ君」
シェイドが彼の耳元でささやいた。
「君には本当に迷惑をかけたね。あの時、僕は本当に君の命を奪うところだった・・・・・・。
申し訳ないことをしたと思ってるよ・・・・・・」
「何を言って・・・・・・?」
ユーノが聞き返した時、すでに彼はいなかった。
慌てて振り返る。
彼は後ろを歩いていたフェイトに体当たりすると、彼女の手からそれを奪い取った。
「シェイドッ!?」
フェイトは呆然とその場に立ち尽くした。
ユーノも彼の元に駆け寄ろうとするが、足が固まったように動かない。
「何をするつもりだ!」
クロノが叫んだ。
シェイドは血相を変えたクロノに微笑みかけた。
「クロノ君。君は少し真面目すぎるな。時にはハメを外したほうがいいぞ。それともうひとつ。
エイミィさんともっと仲良くしろ」
「な、何を言って・・・・・・?」
クロノはエイミィの名を出されたことにたじろいだ。
「アルフさん。君は感情をストレートに表現しすぎるところがあるけど、僕は嫌いじゃなかったよ。
むしろ羨ましいと思ったくらいだ。フェイトさんの使い魔というのも分かる気がするよ」
アルフはわけが分からず目を白黒させている。
だがこの緊迫した状態では、彼の褒め言葉を素直に聞き入れている場合ではない。
「あんた、まさか・・・・・・」
アルフがうわずった声で言ったが、シェイドはそれを無視して天を仰いだ。
「エイミィさん! 聞こえてるだろ? あなたにはもっと通信士としていろいろ教わりたかったよ!
頼みがある! 僕の最初で最後の頼みだ! おそらくモニタリングしていただろうけど、
この戦いの記録と僕が使っていた通信室の記録を全て消して欲しい!」
すぐさまエイミィから遠隔通信が入る。
『シェイド君・・・・・・!?』
艦橋にいたエイミィは、彼の突然の行動と突然の申し出にうまく声が出せない。
「僕が生きていた証を残さないために・・・・・・」
『ちょ、シェイド君! 何言ってるのッ!』
それきりエイミィの声はシェイドには届かなかった。
彼はさらに続けた。
「なのはさん。君は純粋だ。そして他人を信用しすぎる。純真さはたしかに大切かもしれない。
だけどそれが時に自分や親しい者まで傷つけてしまうこともある」
なのははビクッと体を震わせ、シェイドを見た。
彼は小さく頷いた。
そしてなのはが何か言いかける前に、彼はリンディに向き直った。
「リンディ艦・・・・・・リンディさん。あなたに出逢えてよかった・・・・・・今の僕なら心からそう言えます・・・・・・」
「シェイド・・・・・・」
リンディは溢れる涙を抑えられなかった。
彼からそんな言葉を聞けるとは思わなかった。
いや、いつそう言ってくれるのかと待ちわびていた。
こんな状況でなければ彼女は喜びの涙を流していただろう。
「あなたの息子になれなかったことが心残りです」
シェイドはリンディから目をそらして言った。
「いいえ、あなたは私の息子よ!」
「それは・・・・・・違います。僕はあなたの息子にはなれません」
「どうして!? あなたの帰る場所はここなのよ! なのになぜ・・・・・・」
リンディには彼の気持ちが理解できないでいた。
戦いは終わったのに。
シェイドの魔導師への憎しみが消えたというのに。
全てが終結したハズなのに。
「僕は罪を重ねすぎました。僕は戦犯です。その僕がどうしてあなたの息子になれますか?」
シェイドは肩を震わせて泣いた。
「命を落とした局員のことを言っているのね? たしかにその事実を消すことはできないわ。
でも全ての原因があなたにあるわけじゃない!」
これはリンディにとっては辛い現実だった。
命を落とした局員は、そのほとんどがアースラのクルーだった。
そしてそれをやったのはシェイドだ。
今、彼女がしたいことはシェイドを養子として迎え入れること。
しかしそれでは殉職した局員を蔑ろにすることになる。
「起こりを糾(ただ)せば、魔導師とムドラの過去が原因よ。あなたのしたことは罪だけど・・・・・・。
だからといってあなたが全ての責任を負うことはないわ! お願いよ、私を母親として――!」
リンディは死んでいった局員に想いを馳せながら叫んだ。
「そんなことをしたら、あなたは管理局にいられなくなります。たとえあなたがよくても・・・・・・。
彼らやクルーはどうなりますか?」
シェイドはリンディがどう言おうとも、養子になることを拒むつもりでいるようだ。
そう悟ったリンディは、
「――分かったわ。それなら”アースラのクルーとして”戻ってきてちょうだい」
シェイドは首を振った。
「それも・・・・・・できません。さっきも言いましたが、僕は多くの命を奪ってきました。
命を軽んじていました。僕に生きている資格はありません」
「それは違うわッ!」
「・・・・・・なにがです?」
「あなたが罪として認識しているなら、生きるべきなの! 彼らの分まで生きて罪を償うの!
死ぬことは何の解決にもならないわ! そうでしょう!?」
リンディは親しい者が死ぬことの辛さを知っている。
彼女がここまで必死に訴えている理由は、それを聞いていたクロノやフェイトにも分かっていた。
「シェイド君ッ!」
それまで黙って聞いていたなのはが叫んだ。
「私もだよ! ・・・・・・私もいてほしい! だってこんなの・・・・・・こんなの悲しすぎるよ!」
なのはは拙い言葉で必死に想いを伝えようとした。
「シェイド君がそんなことしても、誰も喜ばないよ。だからお願い・・・・・・」
「君は優しいな、なのはさん。その優しさが僕には辛いよ・・・・・・」
シェイドはエダールセイバーを起動した。
「シェイドッッ!!」
反射的にフェイトが身構えた。
この距離なら彼が早まった行動をとる前に止められるかもしれない。
でも、もし失敗したら・・・・・・?
そう思うと迂闊には動けない。
「やめて、お願いッ!」
フェイトの頬を涙が伝った。
「もう戦いは終わったんだ。だから僕は必要ない」
「シェイド」
彼女は驚くほど小さな声で言った。
「それは違うよ。戦いが終わったからこそ、あなたが必要なんだ。言ったでしょ・・・・・・?
あなたと一緒に共存の道を歩きたいって」
フェイトはアースラを代表して言った。
たとえ管理局がシェイドを戦犯として逮捕しようとしても、彼女らだけは最後まで彼を擁護するつもりでいた。
「君たちがそう思ってくれるのなら、共存の道を歩めるだろう。・・・・・・ただしそれは僕とじゃない。
アンヴァークラウンにムドラの末裔がいる。彼らとともに安穏な世界を作って欲しい。僕はもう・・・・・・」
シェイドの心は決まっていた。
だからこそフェイトは力ずくでも彼を止めなければならないと思った。
「そんなことさせない! やっと本当の心を取り戻したんだよ!?」
フェイトが彼に一歩近づいた。
「私たちの未来はこれからなんだ! なのにあなたは自分の手で未来を閉ざそうとしてるッ!
あなたにはやるべきことがあるでしょ!? 何もしないで死ぬなんて絶対に間違ってるッ!」
”死”という言葉をストレートに口にしたフェイトは一瞬、彼と母・プレシアをだぶらせた。
そうだ。死はあらゆる可能性を秘めた未来を閉ざすことなんだ。
彼の死はなにも彼の未来だけを終わらせるわけではない。
フェイトやリンディの未来の一部をも切り取ってしまう。
そんなこと、絶対にさせない!
「僕に役目があるとしたら、それはもう果たしたよ・・・・・・フェイトさん・・・・・・。
やはりムドラは何千年も前に滅びたんだ。それが本来の・・・・・・正しい歴史だった・・・・・・。
なのに僕はムドラの復活を願うあまり、取り返しのつかないことをしてしまった」
シェイドの心が今度は悲しみとなって、フェイトに伝わった。
「自然の摂理をねじ曲げようとしたんだ。誰にも許されないことを僕はしてしまった・・・・・・。
現在にムドラが存在してはならないんだよ、フェイトさん。誰ひとりとして――」
この場でたった一人、彼の言わんとしていることを理解したリンディは青ざめた。
まさか・・・・・・。だから彼は自らの命を絶とうとしているのか?
「だけど故郷にいる人々はもうムドラじゃない。あれはもう何千年も前に滅びた。だからお願いだ。
彼らをムドラではなく、アンヴァークラウンに生きる人々として迎え入れてくれ・・・・・・」
だから彼は死のうとしているのか。
自分が中途半端にムドラの復活を掲げてしまったために、その存在を現代に蘇らせてしまった。
彼が魔導師に敗れると、ムドラがまだ生き延びていたという事実だけが残ってしまう。
だが歴史的には彼らは滅びたことになっているから、彼の行動は歴史を否定するかあるいは逆行したことになる。
もし魔導師が滅びればそれからの歴史はムドラが作ればよい。
そうでなければムドラは滅びたまま時が過ぎるだけだ。
彼は歴史を中途半端にかき乱した。そしてそのために本来なら今も生きているハズの人々の命を奪った。
彼の母親、彼の妹、レメク、ミルカ、イエレド。
そして管理局の局員たち。
何十人もの尊い命を犠牲にしてまで、歴史的に滅びたムドラを復活させることに――。
いったいどれほどの価値があるのか?
ムドラの復活は失われた命よりも重いのか?
ツィラを手にかけ、レメクを斬った時、彼ははじめてその問いにぶつかった。
秘術といわれたド・ジェムソが土に還ったとき、その問いに対する答えを彼は見つけた。
――歴史に従うか、歴史に背くか――。
これは彼が生きるか、死ぬかだった。
自分が間違いに気付き始めた時、彼は闇を生み出してそれを誤魔化した。
悲しみも後悔も、すべて闇の中に隠してしまった。
闇は代わりに憎悪を齎(もたら)した。
彼が包み隠した悲しみや後悔の分だけ、闇は憎悪の念を彼の心に刷り込んだ。
「だから、もう・・・・・・」
フェイトとバルディッシュの光は彼の中から憎悪ごと闇を払った。
後に残ったのは彼が無意識に忘れ去ろうとしていた痛みだけだった。
シェイドはエダールセイバーを振り上げ、それを逆手に持ち替えて光刃を自分に向けた。
「シェイドッ!! やめてッッ!!」
彼を覆っていた闇が消え、彼の辿った悲しすぎる過去がフェイトたちの心に流れ込んでくる。
それほどまで辛い想いをして、その上どうして命まで絶たなくてはならないんだ。
彼はもう充分すぎるほど苦しんだ。
贖罪は必要だが、そのために生を終えるのは間違っている。
「あんたが死んで誰が喜ぶっていうんだい!」
アルフが叫んだ。
シェイドはちらっとアルフを見ると、にっこりと笑った。
「もう戦いは終わった。君はアースラのクルーなんだぞ!?」
クロノが訴えた。
シェイドはゆっくりと首を振った。
「どうしてそんなことするの!? シェイド君! お願い、戻ってきて!」
なのはが落涙しながら言った。
「そうだよ! シェイドが死ぬ必要なんかないじゃないか!」
ユーノは体の震えを抑えながら説得した。
シェイドはフェイトから離れるように後ずさり、これまでの彼からは想像もつかないほど優しい目をした。
「やめて・・・・・・シェイド・・・・・・。あなたには生きる権利が・・・・・・」
がっくりとその場に跪き、リンディは嗚咽を漏らした。
シェイドはそんなリンディに微笑むと、フェイトに向き直った。
「フェイトさん、君が闇を焼き払ってくれたおかげで僕はようやくムドラの呪縛から解放されるんだ・・・・・・」
「お願いッ! やめてッッ!!」
フェイトの声は彼には届いていない。
「君に出逢えて良かった・・・・・・フェイトさん・・・・・・」
シェイドがエダールセイバーを振り上げた。
「ありがとう・・・・・・」
シェイドは少年らしい微笑を浮かべ、紫色の光刃を真っ直ぐに自分の胸に突き刺した。
「シェ・・・イ・・・・・・ド・・・・・・?」
紫色の光刃が彼の心臓を焼いた。
彼の体を貫いた光刃は一瞬、世界をあまねく照らすアメジスト色に輝いた。
アンヴァークラウンにムドラの末裔として生まれ15年。
魔導師への復讐を胸にプラーナを学び、戦いに敗れた彼は波乱に富んだ生涯を自らの手で閉じた。
「シェイド・・・・・・・・・」
フェイトは横たわる彼の前に跪き――。
「ああああああ・・・・・・ッ!!」
――慟哭した。
大切な人を失うのはこれで何度目だろうか?
――フェイトは泣いた。
ジュエルシードがもたらすものは常に悲劇なのか?
――フェイトは涙が涸れるまで泣き続けた。
どうして彼が死ななくてはならなかったのか。
どうしてもっと早く止められなかったのか。
どうして・・・・・・。
フェイトはいつまでもいつまでも、彼の前で泣き続けた。
誰も彼女の問いには答えられない。
彼女ですらその答えを知らない。
吹きつける冷たい風になぶられ、フェイトはそっと彼を抱いた。
こぼれた涙が彼の頬を濡らす。
「どうして・・・・・・どうしてよ・・・・・・」
彼は何も答えない。
「どうして・・・・・・!?」
もはや泣く力さえなくなった彼女の瞳からは、もう一滴の涙も流れない。
悲しさ、虚しさ、怒り。そんなものをとっくに越えたところに彼女はいた。
「シェイド・・・・・・」
少女の呟きは風に乗って空を翔け、大気に溶けてなくなった。

 

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