(気付くのが遅すぎた・・・・・・)
少年は悔いた。
充分に整備されていない小型艇に搭乗した彼は、不規則に振動するコクピットにしがみつくようにして宇宙を飛んだ。
「タイミングが大事だ。うまく着艦できるといいが」
錆びた制御盤を叩きながら少年は呟いた。
闇の気配は世界のどこにいても感じる。
この少年の場合は誰よりも闇に敏感だったために、かえって油断したという苦い過去がある。
「・・・・・・!?」
船体が音とともに揺れた。
「使い物にならないな。まあいいか・・・・・・この際、片道でもまともに動けばいい」
少年はため息をついて窓の外を見た。
無数の星が輝いている。
何億光年も先の星もこの中には多くあり、今輝いている星はすでに無くなっているかもしれない。
しかし全てが無くなるハズがない。
生まれ、滅びを繰り返しても全てが滅びるハズがない。
(今度こそ、今度こそ本当に終わらせなければ)
少年がこれから成すべきことは責務でもあり正義でもあり、使命でもあった。

 

「思ったとおり・・・・・・ルーヴェライズはいないようだね・・・・・・」
用心深く、周到で、狡猾な闇が己の計算高さに溺れるのをフェイトは見て取った。
「意外そうな顔をしているな。奴がいないのがそんなに不安か?」
「・・・・・・・・・」
フェイトは大きく息を吸い込んだ。
こうでもしなければ本当に闇に呑み込まれてしまいそうになる。
「奴がボクたちを消すために戻ってきたことは知っていたよ。信じられなかったけどね」
ヒューゴは瞬きもしないでフェイトを睥睨する。
「闇は消えた。奴はそう思っている。ここにいないのはそれが理由だろうな」
フェイトは彼の言葉を聞いていても、その内に潜むヒューゴの心情までは悟ろうとはしない。
これまでの経験から、闇が巧みな言葉でイニシアティヴを握ろうとしていることは明確だった。
「フェイト・テスタロッサ。奴がいない今、きみを倒せばボクたちの勝ちだ。闇による創世の始まりだ・・・・・・」
ヒューゴは嗤った。
闇はもう光との戦いに勝利したつもりでいる。
少なくともヒューゴにとってはフェイト以外に脅威となる存在はない。
唯一警戒すべきフェイトも頼りになる仲間はおらず、しかも今いるのは闇の支配下であるアースラの中だ。
天性の臆病者でもこの状況下なら慢心もする。
傲慢な闇ならなおさらだ。
「たとえシェイドがいなくても私のやることは変わらない。ヒューゴ・・・・・・もうこれ以上、誰も傷つけさせない」
フェイトは静かに言ったが、これには自分自身を奮い立たせる意味もあった。
ヒューゴは彼女に恐怖心を植え付け、平常心をかき乱そうとしている。
これに対抗するには自身の意識を強く持つしかない。
それすらできないようでは闇を祓うことなど永遠にできない。
「きみならそう言うと思ったよ、フェイト・テスタロッサ・・・・・・だが・・・・・・」
ヒューゴは衣服の乱れを正した。
(さあ、血の祭典の始まりだ・・・・・・)
慢心したヒューゴの中にはすでに展望がある。
世界から全ての光が消え、黒の一色に染まる瞬間を。
彼は描いている。
「すぐにルーヴェライズの後を追わせてやる。闇の脅威を存分に味わわせてからな――」
この言葉にフェイトは地面が揺れたような錯覚に襲われた。
闇が口から発するものは単に音だけではない。
それを聴いた者を震え上がらせ、自失させるだけの力をともなっている。
「私は何も恐れない。みんなを、この世界を護りたいから――!」
フェイトの声はホールにわずかな光を与えた。
闇が最も嫌う光を放つフェイトに、ヒューゴは身じろぎひとつしない。
この緊張の中では、わずかでも気圧された方が負けだ。
フェイトもヒューゴもそれを知っているからこそ、平常心を失わないことに全力を注いでいる。
「あなたは勝ったつもりかもしれないけど、私がいる限り闇の好きにはさせないよ」
フェイトが言葉を発するたびに小さな光が集まり、ホールをほのかに照らす。
「愚かだよ、きみも奴も。いくら教えても闇の恐ろしさをまるで理解しない・・・・・・でもそれでいいんだ」
対照的にヒューゴが息を吐くたび、黒い風が辺りを包み込む。
「もうきみしかいないんだからね。最後にきみが恐怖する様を楽しませてもらうよ」
ヒューゴが両手を広げた、その時、
「なるほどな、そういうことか」
ホールの入り口から声がした。
身構えたフェイトは背後からの声に振り返る。
背を向けたフェイトを倒す絶好の機会だったにもかかわらず、ヒューゴもまた声の主を探ろうと目を細めた。
この声には聴き覚えがある。
フェイトは歓喜し、ヒューゴは怯えた。
彼の登場だ。

 

 

 

 

 

 

 第19話 崩壊の音 ――無――

 

 

 

 

 

 

「ES4番、アースラより離脱します!」
「ES2番、アースラより離脱!」
緊急避難艇が稼働するかどうかの不安があったが、全ての艇は正常に動く。
しかしそれで安心はできない。
正常に動くように見せかけて既に闇の手が伸びている可能性もある。
その場合、小型艇に押し込められたクルーは今度こそ何もできずに死を待つしかない。
「近くを航行している艦からの応答は?」
「まだありません! 少なくとも2隻の艦が航行しているハズなのですが・・・・・・」
アースラから放出された避難艇は間隔をおいて広い宇宙に投げ出された。
推進能力はあるがこの位置からでは本部にたどり着く前にエネルギー切れとなり、宇宙を永遠に彷徨うことになる。
ひとまず近辺の惑星に降り立つことも可能だが、人間が生存できる環境であるかの保証はできない。
最善の道は近くを航行中の艦に救難信号を送り、引き取ってもらうことだが現状ではそれも難しいようだ。
「もしかしたら他の艦も・・・・・・」
通信士は誰にも聞こえないように呟いた。
可能性としてはあり得る。
闇の襲撃が同時多発の攻撃であれば、各地で同じようなことが起こっている。
(もしかしたら本部も?)
通信士はぞっとした。
事態は最悪だ。
もうどこにも逃げる場所はないのかもしれない。
そう思った時、
「あっ!!」
管制官が叫んだ。
「どうしました?」
「今、何か・・・・・・何かがアースラに向かっていった!」
「何がです?」
「分からん。船のようだが・・・・・・?」
なぜアースラに、という疑問がよぎったが、現状はそれを考えている場合ではない。
幸いにも管制官の疑問は通信士の良い報せにかき消された。
「反応がありました! 15番艦デメテルです!」
「よし、繋げ!」
言うよりも早く、通信士は艦との通信を試みる。
これで助かる、という安堵が避難した全てのクルーに伝播した。
たしかに正常に航行している艦が確認されれば、アースラクルーはひとまずその艦に収容してもらえばよい。
互いの情報交換もできるし、本部に戻ることもたやすい。
ただしこの安堵は、これから起こる戦いで光が勝利しなければ実現しない。

 

 ヒューゴは闇であることを忘れて目眩を覚えた。
ありえない現実が目の前にある。
あってはならない事が起こっている。
「ルーヴェライズ・・・・・・なぜ、いる?」
明らかに動揺しているのを見て取った闖入者は、ひそかに光が押していることを悟った。
「それはお前が一番よく分かっているんじゃないか?」
フェイトの横に立った彼――ブライトは余裕の笑みを浮かべる。
「ブライト・・・・・・? どうして・・・・・・」
目を丸くするフェイトに彼は、
「ここではシェイドでもいいよ」
と冗談めかして返す。
「奴を倒した後、僕はアンヴァークラウンに戻った。この体がもともとあった場所に戻るためにね。
プラーナが闇を祓うために僕を生かしていたなら、その時点で僕は役目を終えてプラーナに戻るハズだった」
ブライトはフェイトに説明しながら、口調はヒューゴに対しても向けている強いものだった。
「でも僕は生きている。闇がまだ滅びていないからだ」
彼はヒューゴを睥睨した。
回り道をしてようやく見つけた”本体”に、今にも斬りかからん形相だ。
「やられたよ。単純だがいい手だ。油断しきった人間にさらに恐怖を味わわせるためなんて、お前たちらしいやり方だ」
この時のブライトの声は、闇よりも深い。
「だが、僕には保身のための替え玉にしか見えなかったな」
「ぐっ・・・・・・!!」
ヒューゴの握られた拳が微動した。
悔しさのためか、恐怖のためか、彼はその震えを抑えようともしない。
「ブライト・・・あなたは本当に・・・・・・?」
「ああ、このとおり戻ってきた。成すべきことを成すためにね」
ブライトの笑みがフェイトに力を与えた。
「闇が味方まで欺くとは考えもしなかった。クレリックもあの男も、施設で倒したあの影を”本体”だと思い込んでいたんだな」
あの男とはハイマンのことだ。
「・・・・・・・・・」
沈黙。
無言の力が中空でぶつかり合い、ホールを光と闇で染め上げた。
「ふふ・・・・・・」
不意にヒューゴが肩を震わせて笑った。
「ああ、そうとも! ボクこそが最初の闇だ。お前の体を抜け出した最初の・・・・・・闇だ!」
彼は狂ったように笑った。
「どこまでも愚かだな、ルーヴェライズ! わざわざボクに殺されに来たってわけか!? 愚かだ! じつに間抜けすぎるッ!」
ヒューゴの右手がすっと懐に入れられた。
2人は反射的に身構える。
「ボクはお前を知っているぞ! お前の力の秘密もだっ! ルーヴェライズ! そしてフェイト・テスタロッサ! お前たちは――」
ヒューゴが懐から金属製のグリップを取り出した。
(あれは・・・・・・?)
2人は互いに顔を見合わせた。
彼の手にはブライトの持つ物と極めて酷似したグリップが握られている。
(どういうことだ?)
考える間もなく、ヒューゴがそれを起動した。
「ここで死ぬんだッッ!!」
闇よりも深い漆黒の刃が伸びた。
「バルディッシュ!」
フェイトが素早くエダールモードを起動させ、黄金の光刃を抜いた。
ブライトも隠し持っていたエダールセイバーを抜く。
「驚いたな。そんな物まで作るなんて」
ヒューゴが手にしているのは間違いなくエダールセイバーだった。
遠目ではっきりとは見えないが、グリップの構造や装飾もブライトのそれに近い。
しかし漆黒の光刃など見たことがない。
「闇にできないことなどない。ルーヴェライズ・・・・・・お前が教えてくれたことだ」
光刃を抜いたことでか、ヒューゴに先ほどの冷徹さが戻ってきた。
フェイトはちらっとブライトを見た。
彼女の視線は正確には彼ではなく、彼の手に収められたグリップに注がれている。
(ブライトがこれを使っていたから、闇も同じものを・・・・・・?)
考える必要のないことを考える。
当然だ。ブライトとヒューゴは対極に見えて実はほとんど同一の存在なのだから。
おそらく力もブライト並み・・・・・・今となっては彼を凌駕しているかもしれない。
「ならもうひとつ教えてやる。闇が世界を支配するなど絶対に不可能だ」
その言葉がヒューゴの脳に浸透する前にブライトは躍りかかっていた。
アメジスト色の光刃が強く瞬き、ヒューゴを真正面に捉える。
「無駄だ!」
だがこの軌道は読みやすい。
ヒューゴは半歩下がると、黒く輝く光刃で進攻を食い止める。
その間に跳躍したフェイトがヒューゴの側面に着地。今度は金色の光刃が振り下ろされる。
狙いは確かだったが、ヒューゴの回避能力はフェイトの想像を超えていた。
彼はまるで地面を滑るようにその場を離れると、恍惚の表情で二人を見た。
「ボクはきみたちを買い被っていたようだよ。ソルシアたちもなんでこんな奴らに負けたんだろうね」
「こいつ・・・・・・!」
グリップを握る手に力を込めたブライトに、フェイトはそっと目配せした。
(感情を荒げないで。冷静さを失ったら終わりだよ)
と言っている。
「分かってる」
ブライトは呟いたが、彼女ほど巧く感情を抑えられない自分が憎らしい。
が、そう感じることさえ闇に力を与えていると気付き、彼は呼吸を整える。
最後の闘いは始まったばかりだが、これはすぐに終わらせなければならない死闘だ。
フェイトが構えを変えた。
「同時に攻めよう。僕は左から、きみは右からだ」
「分かった」
2人は小声で短く作戦を確認しあったが、ヒューゴはこれも読んでいた。
まずブライトが地を蹴り、フェイトがこれに続く。
2人の初動には若干の時間差があったが、2本の光刃がヒューゴに届くタイミングは同時だった。
「遅い! 遅すぎる!」
ヒューゴはあえて背を向けると、逆手に持ち替えたエダールセイバーで防ぐ。
競り合った3本の光刃が悲鳴をあげる。
ブライトは地を蹴って宙返りを打つと、背を向けたヒューゴの正面に着地。
間髪を入れず会心の一太刀を浴びせようとする。
が、切っ先はヒューゴを捉えられない。
「そう来ると思ったよ」
ブライトは光刃を振り上げたその腕を動かせないでいた。
(プラーナか・・・・・・!?)
思った時には彼の体は中空に持ち上げられ、後方の壁に叩きつけられた。
「ブライト!」
フェイトは競り合った黒の光刃を払いのけると、素早く身をひねって斬撃を見舞う。
金色の光刃が小さく弧を描いた。
鋭い太刀筋がヒューゴを襲う。
「・・・・・・!?」
虚を衝いたハズの光刃はしかし、ヒューゴには届かなかった。
「それも予測していた」
風を斬る音がして漆黒の光刃が一閃!
フェイトはかろうじて躱すものの、大きくよろめきバランスを崩す。
「うぐ・・・・・・オオオォォォ・・・・・・ッッ!!」
追撃をかけようとしたヒューゴの背中をアメジスト色の閃電が焼いた。
背後では体勢を立て直したブライトが左手に力を込めてプラーナを放っている。
だが長くは持たない。
ヒューゴは焼けつく痛みを振り払うと漆黒の光刃をブライトに向けた。
途端、蛇行して迫る閃電がその光刃に吸い込まれていく。
まるで闇の中に飛び込むように、強威力を持った閃電が消えていく。
(駄目か・・・・・・)
相手が闇の、それも”本体”である時点でプラーナは有効打にはならないと踏んではいた。
自分のコピーである以上、その力も互角とみて間違いはないだろう。
問題はあの闇が自分を離れてからどれだけの力をつけたか。
「ルーヴェライズ・・・・・・その程度か!?」
怒りと喜びを同時に顔に出したヒューゴが、さっと左手を突き出した。
(・・・・・・!)
この構えからとる行動はひとつしかない。
「滅べええぇぇ!」
思ったとおり、ヒューゴは漆黒の閃電を放った。
ブライトは素早くエダールセイバーを振り抜き、それを防ぐ。
光刃を通して闇の力が手に伝わってくる。
いつの間にか彼は両手でしっかりとグリップを握っていた。
禍々しい気がホールを包む。
漆黒の閃電はほとんど目に見えない。
そのため直面しているブライトは霧の中で見えない相手と戦っているような感覚に襲われた。
「ヒューゴ・・・僕の・・・・・・思ったとおり・・・だ・・・・・・」
小刻みに震えるグリップをしっかりと抑えながら、ブライトが言う。
「お前の・・・力の限界は分かってる! 確信したよ! やはり闇は世界を支配できない・・・・・・!」
「なんだと?」
ヒューゴの冷たい視線。
閃電がより鋭さを増す。
「それがお前たちの限界なんだ! 僕ひとりを殺せない! それが――」
ヒューゴが笑った。
「挑発か、ルーヴェライズ? 闇の力は無限だ。お前もフェイト・テスタロッサもじきに・・・・・・」
「お前に僕は倒せない! 越えられない! お前は――」
異変が起こった。
ブライトの光刃に吸い込まれていた漆黒の閃電がその進路を変え、あらぬ方向に屈折する。
暴走する閃電がホールの床と壁と天井を破壊していく。
「――僕だからだ」
2人は同時に閃電を放つのを止めた。
後ろでバルディッシュを構えたフェイトが立っていたからだ。
決してブライトの言葉で動揺したからではない、とヒューゴは自分に言い聞かせ・・・・・・。
ゆっくりと振り向く。
金色の光刃は先ほどよりも鮮やかに輝いていた。
ブライトも背を向けたヒューゴに奇襲をかけるような真似はしない。
(奴のことだ。背を向けたとして警戒を緩めず、奇襲に来た場合にはすぐに反応できるよう準備しているハズだ。僕ならそうする・・・・・・)
しばらくは沈黙の中で読み合いが続いた。
痺れを切らしたブライトが一歩踏み込む。
それに合わせるようにフェイトも距離を詰めた。
この位置なら効果的な挟撃が成立する。
「フェイトさん!」
2人が同時に駆けた。
挟撃するつもりだが、今度は不意のプラーナにも警戒しているため速度はやや落ちている。
それでもプレッシャーとしては充分だった。
ヒューゴはどちらを狙うべきかとわずかに視線を彷徨わせた。
3本の光刃が再び交わった。
ブライトは上段から、フェイトが中段から攻めたため、ヒューゴは必然的に下がらざるを得なくなる。
「一気に攻めるよ!」
フェイトが言ったが、ブライトはそれに答える余裕がなかった。
なぜならヒューゴの狙いが自分に向けられていたからだ。
「ルーヴェライズ! ボクにお前は倒せないと言ったな!?」
憎悪をむき出しにした一撃は重い。
ブライトは全身でそれを受けた。
「ああ、そうとも!」
「とんだ思い上がりだ! お前にはもう以前の力はない! そうやって生に縋るのがやっとだ! 言うぞ、ルーヴェライズ! お前こそ――」
競り合った光刃から闇の邪気が流れ込んでくる。
ブライトは眼前の闇を凝視した。
「ボクを倒せない!」
ヒューゴが咆哮した。
世界が空転する。
アースラの全てが闇の意思に包まれたようだ。
「いいのか、ヒューゴ? このままではお前も太陽の熱と光に消滅するぞ」
「・・・・・・闇は無限だ。ボクは死なない。太陽さえも闇で覆ってやる」
この時、フェイトが低空を滑りながらバルディッシュを振り上げた。
ヒューゴは宙返りを打って距離をとるとフェイトからの一撃に備える。
「そんなことさせない!」
感情にまかせたフェイトの一撃を捌くのは、彼にとっては造作もなかった。
「やはり分かっていない。闇は無限だ! ボクはこの世界を永遠に支配し続ける! 決して滅ぶことはないッッ!」
あまりにも鮮やかすぎる軌道がフェイトを襲った。
(・・・・・・・・・!?)
完全にフェイトを斬り伏せたと思い込んでいたヒューゴは、目の前に伸びる金色の光刃に驚嘆の息を漏らす。
「無限なんてない。永遠なんてない・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「光だって闇だって永遠じゃないし無限じゃない。いつかは滅ぶんだ」
「・・・・・・分かっているじゃないか。そうとも、光は滅ぶん――」
「光だけじゃないんだ!」
「・・・・・・・・・」
今度はフェイトが押している。
ブライトはやや離れたところで成り行きを見守った。
加勢すべきだがフェイトが何を言うのか聞きたいという好奇心も働いた。
「人も動物も植物も・・・・・・いつかは死ぬ。永遠なんてない!」
「ならなぜ生きる!? なぜ生きようとする!? おとなしくボクたちに取り込まれる選択肢はそこにないのか!?」
ヒューゴが振りかぶった。
が、それより早くフェイトが光刃を振るったため、彼は大きくのけぞった。
「私たちは死ぬために生きてるんじゃない。ただ・・・・・・永遠なんてない――それだけ」
この言葉はブライトにも大きな衝撃を与えた。
闇を祓うためだけに戻ってきた彼は、目的を果たせば死ぬという前提で動いてきた。
それでもなお生きようという意志はそこに無かった。
自分は一度死んでいるのだから、という諦めしかなかった。
彼女流に言うなら、それが運命だと思うしかなかった。
「愚かだ。どこまでも愚かだ。いずれ死ぬのなら生きている意味はないし、死なないなら生き続けるべきだ」
「あなたこそ何も分かってない。あなたは・・・・・・本当にブライトの影なの?」
「何だと?」
両者は言葉で攻めながらも、剣から力を抜くことはなかった。
フェイトもヒューゴも、隙があれば斬り伏せるつもりでいる。
ブライトもまたヒューゴを断つ機会をうかがっている。
「ブライトは生きることも死ぬことも知ってる。どっちも同じくらい尊いって分かってる」
(僕は・・・・・・)
そうじゃない。そこまでは考えていない。
「知ってるさ、ボクもね。特に死については彼から教わった。そうだろう、ルーヴェライズ?」
「・・・・・・・・・」
ヒューゴの冷笑。ブライトは戦慄した。
「死は無だ。こいつは例外だが、全ての生命は死ねば無になる。違うか?」
「ああ、そうだな。僕の場合はプラーナと同化するが、意味するところは同じだ、が・・・・・・」
一瞬放心したブライトは、光刃を引きずるように歩み寄った。
「ただ死ぬだけじゃない。生きている間に何をし、何を成すかが重要だ」
「・・・・・・!?」
2本の光刃がそれぞれ別の軌道を描いてヒューゴに迫る。
彼はそれを片手で受け流し、くるりと反転すると2人を睥睨した。
「僕の成すべきこと――ムドラと魔導師の共存・・・共栄する世界を創ること・・・・・・この礎は創った・・・が・・・・・・」
ブライトは光も闇も届かない世界に精神の半分を置いた。
こうすることで見えてくる別の世界がある。
「それを踏み躙(にじ)るお前を許さないッ!」
これまで以上の鋭い双眸に、ヒューゴがわずかに怯んだ。
「子の不祥事は親の責任だ。僕が片をつけないとな」
グリップから伸びるアメジスト色の光刃は、彼に万倍の勇気と力を与える。
さらに傍らにはフェイトがいることで、光の輝きは何倍にも何十倍にもなる。
「きみの言いたいことは大体、こういう事だろう?」
苦笑したブライトに、フェイトは、
「そうだよ、シェイド」
と満面の笑みで応える。
フェイトは死別の辛さを何度も経験してきたが、ブライトもまた彼女との死別に苦しんだひとりだ。
だからこそ分かる、生と死の尊さ。
生と死が同一のものであること。
生と死の相違。
2人は知っている。理解をしている。
「誰にも人の夢や希望を奪う権利なんてないんだ。あなたにだって・・・・・・!」
こう叫ぶフェイトの過去を知っているブライトは胸が痛んだ。
発する言葉以上の意味がここに込められている。
生死や善悪について闇に語ったところで仕方がない。
説得をしてヒューゴが自ら消滅の途(みち)を選択するとも思えない。
今や憎悪によってしか構成されない”本体”には、2人の言葉に耳を傾け一考する能力など無いハズだ。
「救済のチャンスを与えたつもりだったのに・・・・・・残念だよ」
ヒューゴは沈んだ声で言ったが、言葉自体ははっきりと聞き取れた。
「苦痛の生よりもボクたちの支配を受け容れた方が楽だと思うがね」
彼は半身を引き、光刃を水平に構えた。
フェイト、ブライトもそれぞれ最も得意な構えをとる。
「そうして無駄な抵抗を続けることが苦痛を長引かせるものだと・・・・・・」
ヒューゴが跳んだ。
速い。真の闇の跳躍はあまりにも速すぎた。
「なぜ気付かない!!」
瞬きする暇も与えず2人の間に飛び込んだヒューゴは、光刃を真横に振った。
これにまず応じたのはフェイト。
バルディッシュでしっかりと受けとめ、ブライトに攻撃のチャンスを与える。
膠着しているヒューゴの脇に回りこみ、ブライトが一撃。
しかしヒューゴは大きく身を反らしそれを難なく躱す。
そこへさらに一撃を加える。
返す刃が闇の肩をわずかにかすめた。
が、これは有効打に成りえない。
ヒューゴはフェイトを押し戻すと地を蹴ってブライトの真正面へ。
一瞬の隙を衝いて漆黒の光刃を滑らせる。
その時、アメジスト色の稲光がヒューゴを襲った。
ヒューゴは咄嗟に光刃でそれを防ぐが、今度はフェイトからの追撃を許してしまう。
「お前には分からないだろう! この世界で生きるあらゆる生物の尊さが!」
閃電を放ちながらブライトが詰め寄る。
「僕の憎悪だけを吸ったお前には分からない!」
フェイトが滑空した。
前後両方からの攻撃に、ヒューゴは大きく跳躍して回避するしかなかった。
「光がなければ全ては闇だ。ボクは世界を元に戻すだけだ。闇が支配していた本来の世界に!」
上空から漆黒の閃電。
広範囲に蛇行する禍々しい電撃を、2人は地上でしっかりと受けた。
(昔の自分を見ているようだ・・・・・・)
焼けるような痛みがブライトを襲った。
目的は違うが、ヒューゴがやろうとしているのは以前、自分がやろうとしていた事と何ひとつ変わらない。
他人の意見を退け、己の信念のみに従って突き進み、結果・・・・・・多くの命を奪ったあの頃と。
あの時、フェイトは争いからは何も生まれないと言っていたが・・・・・・。
今は状況が違う。
分かり合える相手ではないのだ。
憎悪の塊であるヒューゴには2人の声は決して届かない。
どんな方法を取ろうともとにかく勝ち、闇を祓わなければこの世界に生きる全ての生物が死ぬ。
なのはやユーノがいなくて良かった、とブライトは思った。
彼女らならきっと最後の最後まで話し合いの道を進んだに違いない。
フェイトが飛翔した。
彼女は螺旋を描きながら上昇し、ヒューゴの真上まで来ると一気に降下した。
この動きを読めなかったヒューゴは、閃電を撃つのをやめ呆けたように降下してくるフェイトを眺めていた。
わずかに。ほんのわずかにだが光が闇を押し戻そうとしていた。
(やった!)
ブライトは思ったが、これはまだ早かったようだ。
渾身の力を込めて振り下ろされたバルディッシュを、ヒューゴは真正面から受け止めている。
しかし体重の乗った一撃に、彼の体は大きく降下させられる。
このチャンスを逃がすブライトではない。
彼は真っ直ぐにヒューゴに向かって飛ぶと、エダールセイバーを振り上げ――。
「ルーヴェライズ・・・・・・!」
ヒューゴが気付き振り向いた。
ブライトにとって不運だったのは、彼が振り向いたと同時に光刃の先端を自分に向けたことだった。
「うああぁぁ・・・・・・!」
右腕に激しい痛み。
すぐさまフェイトが旋回し、ブライトの前に躍り出る。
「ブライト!」
呼びかけるが安否をその目で確かめている余裕はない。
フェイトは眼前のヒューゴを睥睨した。
しかし感情はまだ怒りの段階に達していない。
それがヒューゴにはもどかしかった。

 

 これはどういうことか。
15番艦デメテルに収容されたアースラクルーは、ひとまずの安息を得た。
が、落ち着きを取り戻したばかりに忘れていた恐怖を思い出し、クルーたちの間を恐れの感情が行き来する。
「ビオドール艦長、感謝します」
艦橋に通されたリンディは、モニターを睨み続けている艦長に頭を下げた。
「困った時はお互い様です。3年前、私もあなた方に助けられましたからね」
このビオドールという男は管理局では一廉(ひとかど)の人物で、階級の上下を問わず多くの局員からの信頼を集めていた。
当初は管理局の機動隊に勤めていたが、故あって現在は艦一隻を預かる重要な地位にいる。
「収容したクルーの安否は?」
「数名のリーダーが中心となって確認しているところです」
モニターが気になるからかビオドールは積極的に言葉を返してこない。
仕方なくリンディも彼に倣って会話を控える事にした。
その途端、
「リンディ艦長、不幸だとか災難だとか思われないほうがいいですよ」
「はい?」
不意を衝かれリンディが聞き返す。
「アースラの喪失は大きいですが、まずはクルーが無事だったことを幸いに思うべきです」
「え、ええ・・・・・・」
数秒遅れてリンディは、ビオドールが言葉を選びながら自分を励ましているのだと気付く。
誰の目から見ても彼女の落魄ぶりは明らかで、ビオドールはそれを間近で感じ取っているために痛々しく思っていたのだ。
「本艦は管理局本部に向かっており、5時間後には到着する予定です」
「5時間・・・・・・」
明確な時間を突きつけられたことで、リンディはアースラの最後を思い浮かべた。
この艦が本部に着いた頃にはアースラは太陽の熱で消滅してしまっている。
「しかし妙ですね。なぜアースラが狙われてこの艦は・・・・・・」
「デオ、余計な事を言うな」
聞こえよがしに呟いた管制官をビオドールが諌めた。
一管制官である彼には、職場であり家でもある艦を失う艦長の気持ちは分からない。
「部下の失言をお詫びします」
ビオドールが頭を下げたが、リンディには届いていない。
彼女は放心していた。管制官の心無い言葉を怒る気にもなれなかった。

 避難艇からアースラクルーが続々と出て来る。
いつ死ぬとも分からない恐怖と密室である事が、彼らをごく短時間で急激に憔悴させていた。
かろうじて平静を保っていたのは管制官と通信士くらいだ。
心身的に耗弱している者がほとんどだが、生命に関わるほどではない。
「2番船のクルー確認しました。48名、全員無事です」
安否確認を行っているのはデメテルの方のクルーだ。
管理局に属している艦の情報はそれぞれが相互に持ち合っているため、この作業は円滑に進んだ。
デメテルクルーはアースラの全クルーの顔写真と名前が列挙された名簿を持っている。
「4番船・・・・・・名簿をもう一度確認させてくれ」
何か問題が発生したらしい。
デメテルのクルーは不安を煽らないように小声でやり取りをする。
が、すでに異変に気付いている者たちがいる。
(フェイトが・・・・・・)
アルフが最も近くにいたユーノに念話を試みた。
魔導師らが密集しているここでは誰かに念話を盗み聞きされる恐れがある。
(いない・・・・・・?)
ユーノはあやうく声に出してしまうところだった。
(ああ、違う船に乗り込んだとは聞いてたけど・・・・・・どれにも乗ってない!)
(フェイトちゃんが・・・どういうことなの・・・・・・?)
なのはが会話に割り込んできた。
「こっちが間違ってるってことは?」
クルーが名簿を指差して何事かささやいている。
アルフ、ユーノ、なのはの3人は人混みからそっと抜け出すと、部屋の隅に移動した。
「リンクを切ったからおかしいと思ったけど・・・・・・まさかアースラに――」
アルフは恐ろしくなって言葉を途中で切ったが、2人にはその意味が分かっていた。
彼女はアースラに残った。
そうとしか考えられない。
残った理由も・・・・・・ひとつしかない。
「闇と戦っているんだ――」
ユーノが言った。
「”本体”は倒したのに・・・・・・?」
なのはは自分の肩を抱いた。
滅びたハズの闇が再来した事、誰にも告げずにアースラに残った事を勘案すれば、彼女が闇の中核にたどり着いた事は容易に想像がつく。
ムドラの事件以降、フェイトはずっとそうだった。
それが自分の運命だと言い聞かせるように、事件の渦中にたった独りで飛び込んでいた。
義務であるリンディの報告も怠り、危険を承知しながらも独断で行動することも多かった。
今回もそれだと思えば、なぜか納得がいく。
しかし・・・・・・。
「無茶だ、こんなこと・・・・・・!」
ユーノの言うとおりだった。
彼はとうとう言葉に出すことはなかったが、フェイトがある覚悟で戦っていると知っていた。
フェイトは自分の命と引き換えに闇を祓おうとしている。
彼はちらっとなのはを見た。
彼女も正義感に厚く真っ直ぐで時に頑固だが、フェイトはそれ以上ではないか。
「フェイト・・・・・・!!」
アルフは祈った。
ここからでは祈るしかできない。
(闇とか影とかどうでもいい・・・・・・フェイトさえ・・・フェイトさえ戻ってくれば・・・・・・!!)
なのはも祈った。
彼女は明るい未来だけを考えた。
フェイトが闇を祓い、何事も無かったように笑顔で帰って来る未来を描いた。
一時的とはいえ闇に巣食われたなのはは、不安や恐れや絶望が闇を増長させることを分かっていた。
だから彼女は最悪の結末は考えない。
無事の帰還を願うのであれば、アルフが祈っていることも決して後ろ向きではない。
むしろ蔓延する闇への掣肘になる。
そうだ。そうとも。
戦っているのはフェイトひとりではない。
今、生きている人々がそうして生きていること自体が闇への小さな抵抗になる。
ユーノは室内を見渡した。
さっきまで憔悴しきっていたクルーたちが、ひとまず安全な場所に移されたことで恐怖から解放されている。
表情も活き活きとしており、何より生きようという気力が全身から湧き上がっているようにさえ思える。
彼らはおそらく最後の最後まで戦うだろう。
先ほどは不意を衝かれやむを得ずアースラを捨てた形になったが、今はもう違う。
こうして逃げてきたのがその意思の表れだ。
光と闇の闘いはまだ決着していない。

 

 漆黒の刃がブライトの右腕を抉(えぐ)った。
彼は激痛のあまり、してはならないことをしてしまう。
決して手放してはならないエダールセイバーを落としてしまった。
ヒューゴはそれを見ていた。
あれが無くなればブライトなどすぐに始末できる。
しかしそれを見、そう考えた事が仇となった。
目の前にいる強敵をほんのわずか失念した。
フェイトの光が闇に迫った。
「うがああぁぁぁ!! ・・・・・・フェイトオォォ・・・・・・テスタ・・・ロッサアアァァァァッッ!!」
バルディッシュの光刃はヒューゴの右肩を貫いていた。
フェイトが振りかぶったと思い込んでいたヒューゴは、ブライトに気をとられたせいで咄嗟に変えた構えに気がつかなかった。
「バルディッシュッッ! もっと速く!」
フェイトが中空で身をひねり、さらに一撃を加える。
バルディッシュは強く明滅を繰り返すと、使い手の意思を受けて光刃に力を注ぎ込む。
しかし神速の一撃をヒューゴはかろうじて捌く。
「貴様ああぁぁぁ! よくも・・・・・・! よくもやってくれたなあぁぁ・・・・・・ッ!!」
ヒューゴは初めて痛みを覚えた。
肩に見える傷口からは何かが焼けたように黒い煙があがっている。
「人間ごときが!! 人間ごときがボクにッ!!」
彼はあえて憎悪の手前――怒りの感情を露にした。
今は憎しみより眼前の少女に出し抜かれたことへの怒りの方が強い。
対するフェイトはまだまだ冷静だ。
真下ではまだブライトが起き上がれないでいるが、自分がヒューゴを釘付けにしておけばよい。
「言ったでしょ? 私が終わらせるって」
「・・・・・・・・・ッ!?」
フェイトの静かな一言が、ヒューゴから冷静さを奪う。
彼はひとまず意識の中からブライトを消す事にした。
かなりの打撃を与えている。奴は戦力外とみていいだろう。
それよりも今は・・・・・・この目の前の少女にこそ注意を払わなければならない。
「アースラが襲われた時、私は後悔したんだ。もっとよく調べておけばよかったって――」
「調べるとは・・・・・・ボクのことか?」
「闇のことを。そうすればこんな結果にはならなかったかも知れないって」
ひとまず人命は助かったが、やはりアースラも救いたかったとフェイトは思った。
「何をしようが変わらない。闇が全てを覆う・・・・・・これはボクによって決められた未来なんだ!」
すでに肩の痛みはなくなったか、ヒューゴはより攻撃的な構えをとる。
「フェイト・テスタロッサ。今すぐ殺してやる」
彼は直截的な表現を用いてフェイトに恐怖心を植えつけようとした。
しかしこれは全く効果がない。
「あなたを倒すまで私は死なないよ」
努めて静かに言い、フェイトが駆けた。
素早い。
さすがのヒューゴも追いきれないほどのスピードで迫ってくる。
2本の光刃が再び交わる。
フェイトが中空に飛び上がり、すぐさまヒューゴがそれを追う。
2人はホールの広さを最大限に利用した。
空中を自在に移動できる相手に対しては、相手よりも高位置を確保すれば有利とは限らない。
ここでは高度や位置よりも、機動力や制動力の方がはるかに意味を持つ。

「はあ・・・はぁ・・・・・・」
ブライトは全身で息をした。
腕を斬られただけのハズなのに痛みが全身を恐ろしいスピードで駆け巡っているようだ。
もしかしたら傷口から入り込んだ闇の毒気が蝕んでいるのかもしれないと、彼は思った。
傷は深い。
血はほとんど流れ出ていないが皮膚は裂け、焼け焦げたような跡が残っている。
ブライトは呼吸を止めて上半身を起こした。
上空では2人が死闘を繰り広げている。
今や強大となったヒューゴを前に、フェイトがわずかに押されているように思える。
「くそっ!」
ブライトは拳を握りしめた。
闇を祓うと言っておきながら惨めな姿を晒し、しかもその代役をフェイトに頼っている自分が憎々しかった。
(僕が・・・やらなければ・・・・・・)
彼は気力だけで立ち上がる。
無駄に死ぬわけにはいかない。
まだ成すべきことを成していないではないか。
プラーナと一体になるにはまだ早い。
自分に存在する意味を与え、またそれを教えてくれたツィラたちに顔向けできない。
苦痛に耐えながら彼は優しい妹の声――”忘れないで、私たちはいつもそばにいるから”――を思い出した。
「・・・・・・・・・」
彼は目の前に転がるグリップに視線を落とした。
(そうだ、まだ終わっていない。僕にはこれがある・・・・・・)
決意を新たに、彼は敢えて負傷している右手でそれを掴みあげた。
傷口が傷むが、まだこれを使いこなせる自信はあった。
グリップの重みを実感しながら、
「もう少し付き合ってくれ。お前も・・・・・・結末を見たいだろう?」
彼は優しく声をかける。

『私はどこまでも貴殿について行きます。参りましょう、勝利は目前です』

意思を持たないハズのエダールセイバーが、なぜかそう言っているような気がした。
いや、”気がした”のではない。
ブライトは確かにそう言っているのを聞いた。
インテリジェント・デバイスだけではない。
ムドラのこのエダールセイバーにも意思は宿っているのだ。
「ああ、ありがとう・・・・・・お前がパートナーで良かったよ」
握りしめたグリップから万倍の力が湧いてくる。
すると不思議なことに腕の痛みも緩和された。
これならいける。
彼はありったけの力を込めて飛んだ。
1秒もかからなかっただろう。
アメジスト色の光刃がヒューゴの脇腹を引き裂く。
「オアアアァァァッッ!? ルーヴェライズ! 貴様か!? また貴様なのか!?」
苦痛に顔をゆがめるヒューゴ。
突然の参戦にフェイトが驚いたようにブライトを見やる。
「大丈夫なの?」
「ああ、ただのかすり傷だよ」
2人は同時に笑った。
「さあ、そろそろ終わらせよう」
空中に静止した2人は痛みに身をよじるヒューゴを睥睨した。
「オオオ・・・・・・ォォ・・・・・・・・」
さすがに先ほどの一撃は効いたのか、ヒューゴが転げ落ちるように着地した。
しかしグリップはしっかりと握っているあたり、まだ交戦の意思までは失っていないようだ。
2人もゆっくりと高度を下げた。
「・・・・・・やってくれたな、ルーヴェライズ・・・・・・こんな屈辱は初めてだ・・・・・・ッ」
ヒューゴが傷口を庇うように斜に構え、元は宿主だったブライトを見据える。
「それが最後になるだろうな」
ブライトが踊りかかった。
フェイトもやや遅れてそれに続く。
「愚か者めっ!!」
2人の軌道を瞬時に読んだヒューゴが光刃を振り上げた。
先端がブライトをかすめる。
フェイトが左から斬りかかった。
残像でしか確認できないほど鋭い太刀筋がヒューゴを捉えた。
「・・・・・・・・・ッ!?」
しかしこの一撃、わざとヒューゴが躱せるように軌道を甘くしていた。
その奇妙な行動を理解できないヒューゴ。
だが理解しようと試みる理由も暇もない。
いつの間にか背後に回りこんだブライトが渾身の力を込めてエダールセイバーを――。
無防備な闇の背中に向けて――。
――突き刺した。
「・・・・・・ゥゥォォオオオオオオオッッッ!!!」
地が震え、世界が回転した。
音が。時間が。光が。闇が。
この世界に存在するあらゆる概念がアースラに集束し、ヒューゴと名づけられた闇を通り抜けて飛散した。
腹から突き出したアメジスト色の光刃を見て、ヒューゴがカッと目を見開いた。
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・終わりか?」
断末魔の号(さけ)びをあげた後、ヒューゴが短くそう言った。
(いけない!!)
フェイトがバルディッシュを持ち直す。
「ブライト、離れてッ!!」
「えっ・・・・・・?」
「早く!!」
ブライトの視線がヒューゴとフェイトの間で揺れた。
(なん――?)
彼が次に眼前の闇に視線を戻した時には、ヒューゴの体はこちらを向いていた。
しかしアメジスト色の光刃は今もヒューゴの腹部を貫いている。
ブライトは気付いた。
ヒューゴが先ほどまで右手に持っていたエダールセイバーが、いつの間にか左手に持ち替えられている。
「言っただろう? お前にはボクは倒せないと」
漆黒の光刃が一閃する。
「うああああああッッ!!」
瞬きひとつする間もなかった。
黒い光が目の前を通り過ぎたかと思うと、ブライトの腹部は横一文字に引き裂かれていた。
ヒューゴの体からアメジスト色の光刃がするりと抜け落ちる。
ブライトはその場に崩れ落ちた。
ヒューゴは再びエダールセイバーを右手に持ち替えた。
「・・・・・・まだ死んでいないか」
苦痛に上体を起こしたブライトは不気味な笑みで自分を見下ろすヒューゴを見た。
彼は最後の最後で間違った。
相手が闇であるなら、首を刎ねるべきだったのだ。
焦燥感が先立ち、彼は血気に逸った行動をとってしまった。
実体のない闇を倒す唯一の方法を・・・・・・彼は選択しなかった。
背中から貫かれたヒューゴは一瞬のうちにして空気に溶け、再びその場で実体化した。
実体化の際に体ごと後ろを向いて――。
「あああああああッッ!!!」
フェイトがわめきながらバルディッシュを振り下ろす。
自分が何を考えているのかは分からなかった。
苦悶するブライトを救いたい。
彼をこんな目に遭わせたヒューゴを葬りたい。
この単純な思考のみが働いていた。
光や闇といった概念は存在しない。
振り向いたヒューゴが太刀筋も鈍く、剣術の基本さえなっていないフェイトの攻撃を軽々と捌く。
「奴はじきに死ぬ。お前も後を追え」
そう言って笑うヒューゴには余裕が感じられる。
先ほど貫かれた傷はおろか、それまでに何度か負わせた傷も痛みもなくなっている。
負傷したフリをして相手の慢心を誘う――単純だが闇の常套手段でじつに効果的な罠だった。
「許さない! 絶対に許さないっ!」
フェイトは泣いていた。
涙を流し、怒っていた。
彼女が憎悪を持ったのはこれが初めてだった。
「そうだ! いいぞ! ボクを憎め! 恨め!」
荒げた感情が闇を増長させると分かっていても、フェイトには内から湧き上がる憎悪を止められなかった。
「だめ・・・だ・・・・・・フェイト・・・・・・抑え・・・・・・・・・」
ブライトは起き上がろうとするが、体に力が入らない。
熱かった。苦しかった。
彼は腕の力だけで姿勢を起こす。
(・・・こんな結末じゃ・・・・・・ない・・・・・・)
そう思ってももはや闘える状態にはなかった。
彼女に声を届けることもできない。
僕は何をしに戻ってきた?
何のために姿を変え、名を偽り、ここまで来たんだ?
こうして惨めな姿を晒すためにか?
戦いの成り行きを見守るためにか?
それともただ、フェイトに逢いに・・・・・・?
「あなただけは・・・・・・絶対に倒すッッ!!」
フェイトは負の感情を使ってヒューゴを叩き伏せようとしている。
冷静さを失い、憎悪に身を任せた彼女に闇を祓えるわけがない。
勝負はついた。
光の負けだ。
力が勝り、知力を手にし、戦術に長けた闇の勝利だ。
「・・・・・・・・・」
フェイトの心は今、確実に闇に呑まれようとしている。

『まだです。まだ終わりではありません』

ブライトはまたエダールセイバーの声を聞いた。
彼の手から落ちたグリップから光刃が完全に消失していた。
(いいや、もう終わったんだ。僕に力が足りなかった・・・・・・何もできなかったんだ)

『貴殿には力があります。彼女にも・・・・・・闇を祓えるのは光しかありません』

(じゃあ僕は光じゃなかったんだ。フェイトさんは違うだろうけど)

『貴殿の力と私の力を・・・・・・彼女に託してみませんか?』

(託す?)

『はい。それしか方法はありません』

(しかしお前を使えるのは僕しか・・・・・・)

『信じてください。彼女なら一振りで私の力を引き出してくれます』

(できるか?)

『できます』

(・・・・・・ずいぶんと入れ込んだな)

『いつも貴殿と共にいましたから』

(・・・・・・・・・・・・)

 ブライトはよろよろと立ち上がった。
ヒューゴはそれに気付いたが、満身創痍の彼に何の力もないと知ると特に気にもかけなかった。
フェイトのがむしゃらな攻撃は闇を追い詰めるどころか、逆にその勢力を倍加させる。
これでは勝てない。
ブライトはもう一度確かめておく。
「信じて・・・・・・いいんだな?」
ほとんど声になっていない。
エダールセイバーが無言で応えた。
(他に方法がないなら・・・・・・)
ブライトはグリップを握りしめ、
「フェイトさんッッ!!」
声を限りに叫んだ。
発声と同時に腹部に焼けつくような痛みを伴なう。
ヒューゴと距離をとったフェイトが我に返ったようにブライトを見た。
それを確かめたブライトがエダールセイバーを投げた。
滑らかな放物線を描いてそれは示し合わせたようにフェイトの左手に収まる。
この行動の意味を理解した彼女は大きく頷き、エダールセイバーを起動した。
アメジスト色の光刃がグリップから聳起(しょうき)した。
瞬間、あれほど憎悪に苛まれていたフェイトの心が嘘のように穏やかになった。
「ブライト・・・・・・」
2人は互いに顔を見合わせた。
意思の疎通は図れた。
「ありがとう・・・もう大丈夫だから」
フェイトの心からは完全に憎悪が晴れた。
2本の光刃が彼女の心とホールを希望の光で包み込む。

『さあ、今度こそ闇を祓い、この世界に光を取り戻してください』

フェイトにはエダールセイバーの声は聞こえない。
しかし才気煥発な彼女は手にしただけで、すでにムドラの武器を自分の手足のように操れる自信があった。
手に馴染むものではないが、そうでなければならない。
目前には突然の展開に多少驚いたものの、すぐに余裕の笑みを浮かべるヒューゴがいる。
「最期のあがきか、ルーヴェライズ?」
ヒューゴが睥睨したのはブライトではなくフェイトだった。
フェイトから憎悪が抜けた事をヒューゴは感じ取っていた。
先ほどのように怒りに任せた無謀な攻撃は決してしかけてこないだろうことも。
「成すべきことを成す・・・・・・そうだよね、シェイド」
(・・・・・・!? 僕を”シェイド”と・・・・・・?)
呼称の変化がフェイトの心情の変化だと、ブライトが気付くまでわずか数秒。
「私にも――成すべきことがあるんだ!!」
2本の刃を武器に、フェイトが一気に距離を詰める。
「無駄だと言っただろう!? お前たちにボクを倒すことはできない! 闇の前に全ては無力だ!!」
対するヒューゴは漆黒の光刃を水平に構えて防御する。
フェイトの攻撃は正確に1秒に10回繰り出された。
右から、左から、下段から上段へ、返す刃がまた下段へと一閃する。
「なんだとっ!?」
俊敏かつ凶悪な連撃をヒューゴは防ぎきれない。
しかもフェイトから憎悪が消えたことで彼は弱体化し、逆に彼女は強くなった。
視界いっぱいに広がる2つの閃光が、恐ろしい速度で迫ってくるのをヒューゴは感じた。
防戦に徹するしかなくなった彼は地を蹴って一瞬にして距離を開ける。
フェイトは追った。
が、その足を不意に止めた。
漆黒の閃電が自分に伸びるのを感じたからだ。
1秒後、ヒューゴが突き出した左手から閃電を放つ。
これを受けたのはアメジスト色の光刃だった。
フェイトがそうしたのではない。
エダールセイバーが自らの意思で闇の攻撃を受け止めたのだ。
(・・・・・・・・・!?)
フェイトは違和感に一瞬惑ったが、バルディッシュの、
『”It's her intention that she did so”(彼女の意思です)』
という言葉を受けて即座に理解する。
彼女は光刃を盾にヒューゴににじり寄る。
一方で近づけまいと彼も閃電の威力をあげた。
互いに理解していた。
これこそが光と闇の最後の戦いだと。
フェイトが敗れれば闇が勝ち、ヒューゴが消滅すれば光が戻ることを。
2人は目の前の最後の敵を討ち滅ぼそうとしている。
今やそれを傍観するしかできないブライト。
おぞましい閃電を吸収してもなお、ブライトのエダールセイバーは強く強く輝いていた。

 

 フェイト有利に傾きはじめた戦況を見て、ブライトは一抹の不安から解放された。
彼女の勇姿が奏功したか、ブライトの苦痛がわずかに和らぐ。
「結局・・・・・・きみに託す・・・ことになった・・・が・・・・・・」
今、彼の身を護るものは何もない。
唯一の武器であり防具でもあるエダールセイバーは、フェイトに預けた。
彼を繋ぎとめるのは希望しかない。
「頼む・・・・・・」
呟いた時、異変が起こった。
どこからか入り込んだ小さな白い光球が床を這い、壁をつたい、天井近くまで上昇する。
(なんだ・・・・・・?)
ブライトは対決の行方を気にしながらも、目を凝らしてそれを見た。
1つ、2つ、3つ、4つ。
4つの光球が上昇と降下を繰り返し、やがてフェイトの元へと向かった。
「あれは・・・・・・まさか・・・・・・?」
小さな光源がこの広大なホールを遍く照らす。
(フェイトさんはあれに気付いているのか・・・・・・?)
光球のひとつがブライトの元に戻ってきた。
「・・・・・・ツィラ・・・・・・・・・?」
白い光が輝きを強くした。
「そうなんだな・・・・・・?」
光球は返事をする代わりに彼の周りを2度、3度とゆっくりと舞った。
不思議なことが起こった。
気を失いそうなほどの苦痛が、ブライトから消えていく。
腹部の傷痕は生々しく残っているが、痛みはなくなっていた。
彼は試しに立ち上がってみる。
・・・・・・やはり痛みはない。
「ツィラ――」
彼がもう一度その名を呼んだ時、光球はすでにフェイトの元へと移動していた。

 

 ホール中央ではすでにフェイトがヒューゴを追い詰めていた。
闇の放つ閃電も漆黒の光刃による斬撃も、フェイトの進攻を止める盾とはなり得ない。
3本の光刃が複雑に絡み合い、解けてはまた絡み合う。
「なんだ! どうなってる!?」
怒涛の連撃にヒューゴは明らかに狼狽していた。
いつの間にか1秒につき12回のリズムで繰り出されるようになった連撃の、どれを受け損ねてもこの闇は滅ぶ。
アメジスト色の光刃が閃き、ヒューゴの右腕をかすめた。
さらに金色の光刃が一閃し、彼の退路を断つ。
対するヒューゴは巧みに体をくねらせて一撃を躱すが、次の一撃をエダールセイバーで防いでしまったため、一瞬硬直する。
フェイトのこの戦い方自体はヒューゴの記憶にもあった。
戦闘パターンと対処法も理解しているつもりだった。
しかし違う。
フェイトはツィラとは違うのだ。
2本の光刃を操って戦うフェイトは、彼の記憶にはなかった。
「こんなハズでは・・・・・・」
ヒューゴは嘆いたが遅い。
目の前の少女は再び光となり、闇を殲滅せんと迫る。
「あなたの負けだ!」
フェイトは宣告した。
「まだだ!!」
受け容れられないヒューゴが抵抗を試みる。
「ボクは勝利する! そして全てを闇で覆うんだ!」
「・・・・・・・・・」
競り合った刃が悲鳴をあげた。
「支配なんて考え方は間違ってる! 本当はあなたたちだって共存できたハズなんだ!」
優しさを胸の内に秘めているフェイトは、この大事な局面で憐憫の情をみせた。
ただし救済の余地はなく、ヒューゴがたとえ考えを改めようとも彼を消滅させる覚悟はできている。
「誰かが誰かを支配する必要なんてない! 誰かを苦しめることも、誰かを悲しませることもしちゃ駄目なんだ!」
「違うぞ、違うぞ、それこそ間違っている! 世界は元々闇だった! 全てが! ・・・・・・ボクは世界を元の姿に戻すっ!」
「あなたには分からない!」
「お前には分からない!」
拮抗した。
フェイトの攻撃はヒューゴの防御を破れず、ヒューゴの守りはフェイトの追撃を許さなかった。
その時、4つの光球が2人を取り巻いた。
「なんだ!? なんだ、これは!?」
たかる蠅を振り払うように、ヒューゴが暴れた。
彼にとって一切の光は敵だ。
彼には苦痛だった。
たとえ小さな光でも。
それが輝いている限り、永遠に彼を苦しめる。
逆にフェイトにとってこれは安息だった。
温かい光が彼女にさらなる力を与え、激戦の疲労を和らげた。
4つの光がヒューゴを弱体化させる。
「邪魔をするなッッ!!」
注意力をかき乱されたヒューゴは防御の手をおろそかにした。
その隙を衝いて、フェイトが両の手に握りしめた武器を振り下ろす。
「アアアアアアァァァァァァァッッッ・・・・・・・・・!!!」
金色の光刃がヒューゴの肩から脇腹にかけてを抉った。
「貴様ァァァァ!! なぜだ!? なぜこうなるんだァァッッ!!」
同時に振り下ろしたアメジスト色の光刃は、彼の右腕を二の腕から斬り落としていた。
エダールセイバーを握りしめたまま転がったヒューゴの右腕が不気味に蠢動(しゅんどう)する。
光球のひとつがそのすぐ上を往復した。
すると光球からさらに赤い光が降り注ぎ彼の右腕はグリップもろとも蒸発するようにして消失した。
「ゥゥゥゥゥ・・・・・・・・・」
彼はちぎれた右腕を未練がましく眺めると、憎悪に満ちた眼をフェイトに向けた。
「あなたの負けだよ。闇は世界を支配できない」
フェイトの顔には勝者の優越も余裕もない。
ただ淡々と、彼女は事実を告げた。
「なんだこれはッ!? なぜボクが・・・・・・ボクが・・・・・ッッ!?」
ヒューゴの表情は憎悪と驚愕が混ざり合っていた。
彼はかろうじて立っているが、ほんのわずかの衝撃でも消滅してしまいそうなほど悲壮感が漂っていた。
「言ったでしょ? 私が終わらせるって」
勝者と敗者は激しく睨み合った。
「まだだ・・・・・・まだだ、まだ終わってない!! ボクが負けるハズがない!!」
敗者は抵抗を試みる。
彼は残りの腕を勢いよく突き出すと、もう何度も放った閃電を撃つ。
至近距離でのこれは有効な手段だったが、決して油断しないフェイトには通用しない。
フェイトは光刃を十字に結び合わせると、迫る閃電を食い止める。
「闇の前に光は無力だ!」
電撃が激しさを増すが、フェイトの強い意志と力はそれをいとも簡単に跳ねのける。
ヒューゴが左手に力を込めたその瞬間、右手からアメジスト色の閃電が蛇行しながら迫ってきた。
フェイトひとりに意識を集中していたヒューゴがそれに気付くハズもなく、彼は耐え難い力に吹き飛ばされる。
「終わったのか・・・・・・?」
苦痛から解放されたブライトが4つの光球に囲まれたフェイトに歩み寄る。
「うん」
フェイトは小さく頷く。
「こんなハズが・・・・・・こんなハズが・・・・・・」
無様に床に転がるヒューゴが、独り言のように呟いた。
もはや起き上がる力もないらしく、彼は焼け焦げた左手で床を掴もうともがいた。
「心配しないで。あなたは消えるけど、闇そのものが消えることはないから。光も闇も、両方存在するんだ」
フェイトの口調は慈愛に満ちているが、言われている本人には死の宣告でしかない。
「違う・・・違うぞ! ボクが勝つハズだったんだ! それが、こんな・・・・・・ッ・・・・・・来るな! 来るなァッッ!!」
ヒューゴの指は金属質の冷たい床にしがみつこうとしたが、指先が圧力に耐え切れず砂のように崩れていく。
「ソルシア! ハイマン! お前たち・・・・・・2人を殺せッ! 殺すんだッ!」
悶えるヒューゴを祓うため、2人が無言のままに彼に歩み寄る。
「奴らは僕が消した」
ブライトは静かに言い放つ。
「消した!? くそ! クレリック! クレリックはどこだ! 出て来い!!」
「クレリックも消えたよ。あなたたちがそうしたんでしょ?」
フェイトの声も冷たい。
「くっ・・・・・・まだセキシボウとソンカカイがいる! お前たちでもいい! 早く、こいつらを・・・・・・ッッ!!」
フェイトはブライトにエダールセイバーを返した。
仕上げは2人で、ということだろう。
意図を悟ったブライトは鮮やかな光刃を発するグリップを丁寧に受け取った。
「よく頑張ってくれた。ありがとう」
ブライトはそっと囁いてからヒューゴを見た。
(無様だ。あれが僕の影とはどうしても思えない・・・・・・)
目の前の”本体”はすでに我を失って支離滅裂なことを叫んでいる。
自尊心の高いブライトなら自己の意思を叫ぶことはあっても、こんな風に惨めに取り乱す真似はしない。
2人の目が合った。
「なぜだ、ルーヴェライズ! 闇は無限だった! 闇は永遠だった! 絶対だった! 違うのか? そうじゃなかったのか!?」
「・・・・・・・・・・・・」
ここに来て”生”に懸命にしがみつこうとするヒューゴに、彼は長い間考え続けてようやくたどり着いた結論を説いた。
「確かに闇は深い。暗くて冷たい。それは生み出した僕が、一度はお前たちに頼った僕だからこそ分かることだ」
彼はちらっとフェイトを見た。
「もちろん彼女も本質は見抜いていたと思う。お前たちは強大だ。あらゆるものを呑み込み、支配してしまう。が――」
「・・・・・・・・・」
「それが逆にお前たちの弱みだ」
「なんだと!?」
「お前たちはたった1本の蝋燭の火にも敵わない」
「・・・・・・・・・ッ!!」
ブライトがエダールセイバーを掲げた。
「闇はその強さゆえに傲慢になる。傲慢になって足元の光に気付かなくなる。光が輝きを増して自分を照らそうとすることにさえ気付かない!」
「――やめろ」
ヒューゴが眼を見開く。
「フェイトさん、僕たちを取り巻く光の正体を――?」
知っている、と答えることを分かっていてブライトは問うた。
「ツィラ・・・レメク・・・ミルカ・・・イエレド・・・・・・みんな私たちを助けてくれたんだね?」
「ああ、そうとも」
フェイトがバルディッシュを高々と掲げた。
4つの光球は四方に飛んだ。
ひとつは上空に、ひとつは2人の後ろを、ひとつは2人の前に、最後のひとつはヒューゴのすぐ傍に移った。
これでこのホールに陰はなくなった。
複数の光源がそれぞれ最も効果的な位置に留まることで、光が遮られることを防いだのだ。
「待て! やめろ!!」
ヒューゴが懇願した。
「闇の深さがお前自身をも見えなくしたんだ。支配の先にあるものを考えたことがあるか?」
「待て! 待ってくれッ!」
「光も闇も同じなんだ。どちらかが欠けても世界は成り立たない。あなたはそれに気付かなかった!」
2本の光刃がすぐ前に迫っている。

「やめろォォォォォォッッッ!!」

懇願は嘆願に変わり、ヒューゴにとっては最悪の結末が訪れる。
光が飛び交い、闇の体はばらばらになった。
光球のひとつが近づいて破片をことごとく消滅させる。
「・・・・・・・・・・・・」
2人は顔を見合わせた。
これまでの経験から、闇の消滅を今すぐ確信するのは危険だと思った。
しかしすぐにある考えが思いつき、2人は本当に闇の脅威が去ったことを理解する。
「お前たちのおかげだ」
ブライトは淡い光を放つ光球を愛でた。
「ありがとう・・・・・・」
フェイトの周りを嬉しそうに舞う光はおそらくツィラだ。
(成すべきことは成した。僕もようやくお前たちと一緒になれる)
ブライトは使命を果たした。
彼がここにいる理由はもうなくなったのだ。
「急ごう、フェイトさん。アースラの針路を元に戻すんだ」
光の球はいつの間にか消えていた。

 

 機関部へと続く通路に闇は無かった。
2人はほとんど気力だけで通路を駆けた。
もう時間がない。
扉を強引に開けたブライトがまず飛び込む。
複雑な機械類が壁をつたって巡らされている。
この手の分野にある程度の知識がある彼は、手探りで異常がないかを確認する。
「問題は・・・・・・なさそうだ。何か細工をしているかと思ったけど」
異常がないと分かればここにいる意味はない。
来た時よりも早く、2人は艦橋へ向かう。
針路を変えるなら機関部を正常に戻した上で、艦橋の制御盤から直接操作するしか方法はない。
無人の艦橋は不気味だ。
見通しが良い分、誰もいない時には何ともいえない寂しさが押し寄せてくる。
「これだ」
ブライトがリンディの席にある制御盤を叩く。
「何とかなりそう?」
フェイトが不安げに覗き込む。
「何とかしないと駄目だ」
重要な項目には鍵がかけられているが、航行に関する項目は簡単に操作できた。
「・・・・・たぶん、これだな。既定の針路は?」
ブライトはぶつぶつと呟きながらも、手を休めずに入力作業を続ける。
モニターに航路図が表示された。
「後はプログラムを修正して自動航行に設定しなおせば・・・・・・」
横で見守るフェイトは成功を祈るしかない。
画面にはコマンドを処理していることを示すインジケータがいくつか表示されている。
今のところはそのどれもが正常に作動しているようだ。
「よし、やったぞ!」
ブライトが拳を握りしめた。
「元に戻ったの!?」
「ああ、でも針路を少し変えた」
「どこに?」
「本来ならアースラは内縁宇宙を惑星エンドルを経由して航行する予定だったけど、僕が管理局本部に向かうように設定した」
ブライトの独断だったが、これは正しかった。
モニターには変更前と変更後の針路が表示され、確かに本部へ向かっていることが分かる。
「シェイド――」
「言わなくていい。別れの挨拶はもうしたじゃないか」
「・・・・・・そうだね」
フェイトは苦笑した。
つられてブライトも笑う。
「これを――」
彼はそっとエダールセイバーを差し出す。
「きみに持っていて欲しい」
フェイトは受け取った。
先ほど手にした時より重く感じた。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
2人は無言のまま見つめあった。
ここには彼ら以外誰もいない。
アースラが本部に到着するのに7時間はかかるから、それまでは2人だけの世界に溺れることもできた。
が、そうはしなかった。
永遠の別れをたった7時間先延ばしにしたところで、生きている者の悲しみが増すだけだ。
2人がこの後どうすべきかを、2人はよく知っている。
「そろそろ逝くよ」
ブライトは短く告げた。
彼がさっき言ったように、別れの挨拶はもう済ませている。
フェイトとの離別は辛いが、彼は元部下だった4人を待たせている。
「うん、シェイド・・・・・・」
「・・・・・・?」
「ありがとう――」
フェイトが笑った。
「それは僕こそが言うセリフだよ」
ブライトも笑った。
しかしこれ以上、交わす言葉はもうない。
彼は踵を返すと、アースラ底部に着艦させた小型艇へと向かう。
無言で通路を歩く彼の頬は濡れていた。

 

 独りになったフェイトはしばらく艦橋に留まっていた。
コンピュータの音だけが静かな空間に時間の流れを実感させてくれた。
モニターの映像には何の変化もない。
じっとしていると短い間に、いくつもの感情がわっと彼女の中に入り込んでくる。
彼女は昔、孤独だった。
しかし1人の少女と出逢うことで喜びを知った。
幸せも享受した。
悲しみも味わった。
ムドラの過去に触れたことで深い慈愛の心を育んだ。
闇との戦いでは憎悪も経験した。
その思い出のほとんどに少年の姿がある。
シェイド・B・ルーヴェライズ。
彼女はその名を一度聞いただけで覚えた。
なぜか出逢った瞬間から、彼のことを忘れてはならないと思った。
「・・・・・・・・・」
フェイトは艦橋を出、自分の部屋に篭もった。
何をしていても、何を考えていても7時間すればこの艦は本部に戻る。
おそらく尋問に遭うだろう。
一度、闇の脅威が去ったと言った彼女がたとえ、ヒューゴが”本体”であった事や彼を倒して今度こそ安穏を取り戻したと宣言しても――。
誰も信じないに違いない。
理解のあるリンディでさえ彼女の行動を諌めることはあっても、この報告はさすがに信じまい。
彼女と深い絆で繋がっているアルフやなのはも、どこまで耳を傾けてくれるかは疑問だ。
親しい者ですらこれなら、ほとんど交わりのない本部の連中は彼女に尋問する前からもう答えを決めているハズだ。
実際、フェイトもダートムアを”本体”だと思い込んでいたくらいだ。
他人には他人の心情など到底理解しえない。
嘘つきと罵られるだろうか?
上の命令に従わずいつも単独で勝手な行動をする異端児と蔑(さげす)まれるだろうか?
フェイトはベッドに身を沈めた。
何と言われようと構わない。
全て事実だし咎を受ける覚悟もできている。
結果的にこうする事が正しかったのだと、自分ひとりが思っていればそれでいい。
執務官への道は閉ざされるかも知れないが、彼女が魔導師である事までは誰にも邪魔できない。
養子縁組の話も反故(ほご)になるかもしれない。
今回ばかりはリンディも庇いきれず――どちらかと言えば愛想が尽き――フェイトに気を遣うこともなくなるかもしれない。
それを考えると少しだけ淋しくなる。
リンディの厚意を裏切ったことになり、その事が後悔に直結した。
闇が去った今、負の感情を抱くことは一向に構わないがフェイトは極力、最悪の結末だけは考えないようにしていた。
『”Please don't worry. There is always me near you”(心配しないで下さい。私がついています)』
バルディッシュが囁く。
「ありがとう・・・・・・」
彼女が思っているほど、感謝の気持ちは言葉に出せなかった。
『”I protect you. I cannot stab you in loneliness by any means.”(私がお守りします。あなたは独りではありません)』
バルディッシュは寡黙だが、それは常に持ち主を心配している心の表れでもある。
持ち主が悲しみに暮れている時、彼は彼女を励ますのに最も適切な言葉を囁く。
フェイトは仰向けになって目を閉じた。
途端、強烈な睡魔が襲い、彼女は間もなく深い眠りの底に落ちた。

 

  戻る  SSページへ  進む