闇の恐ろしさは真実を覆い隠すところにある。
あらゆる所に存在する闇が真実を隠し、光をも呑みこもうとする。

闇は強大だ。

この事実は闇に触れた者にしか理解できない。
黒い触手が容赦なくからみつき、視力を奪い、思考を操り、自分を失わせる。
一度取り憑かれた者は暗い海の中を永遠にさまよい、決して這いあがることのできない淵に必死にしがみつく。

闇は深い。

時に黒い触手は人々に猜疑心を植えつける。
恋人を裏切り、親しい仲を引き裂き、仲間を欺く。
誰もが認識している闇を、誰もが認識できなくなる。

闇は狡猾だ。

闇は姿を現さない。
常に遠くにいて我々を監視する。
しかし向こうからは常に手の届く距離にいる。
闇は狡猾だ。
時に闇は闇自身をも欺く。

 

 

 飛散した闇が間をおいて戻ってきた。
世界の全てを覆うために戻ってきた。
音もなくしのび寄ってきたそれは、確かにここに存在している。
ただし誰の目にも見えない。感じることもできない。
ゆえに人は闇の脅威は去ったと錯覚する。
どんなに優れた魔導師も、どんなにプラーナに秀でたムドラも。
それの接近を認識することはできなかった。
しかし闇の接近は分からなくとも、滅びたかどうかを知っている人物がひとりだけいる。
たったひとりだけ――。
この事実が闇を増長させ、そして慢心もさせた。

 

 

 自室のベッドに身を埋めたフェイトは、思考と空想と妄想の中間を泳いでいた。
別れ際、ブライトには吹っ切れたような表情をしていた彼女だが、やはりまだ現実を受け容れられないでいた。
闇は滅び、彼は逝った。
本当に全てが終わったのだろうか。
フェイトは時々考える。
終わった、という実感がまるでない。
彼女はこれまで数々の事件を解決に導いてきたが、犯人の逮捕や目標の回収など、はっきりと分かる形で事件は終わりを迎えてきた。
しかし今回はそれらとは違う。
そもそも事の起こりが影の出現という曖昧なものであったため、同じように終わったという確信も持てない。
(なんだかヘンな気分・・・・・・)
あの日、独りでアースラに戻った彼女を、アルフたちは訝しげに見つめていた。
パーティーをやると言ったアルフに応じたブライトが、なぜ戻ってこないのか。
彼はどこに行ったのか。
なのはやユーノはブライトの行方を知りたがった。
クロノもリンディもエイミィも、それを知っているのはフェイトだけだと思い込んでいたから、追求は相当なものだった。
これに対してフェイトは冷静に躱した。
ブライトが独自に闇について調べ上げており、その結果”本体”という概念にたどり着いたこと。
アルテアでの戦いでは”本体”を倒したため、影の脅威は消えたこと。
そしてブライトが役目を終えたからと言い残し、故郷に戻ったこと。
最後は少しだけ事実と違うが、フェイトは大きなウソはついていない。
少なくともこの説明でアルフは納得しているようだったし、リンディも問いただそうとはしなくなった。
なのはたちは半信半疑のようだ。
ただ管理局という大きな組織が、フェイトの言葉だけで事件が解決したと認識する事はまずないだろう。
検証が必要だし、今回受けた傷は大きい。
当面は緊張状態が続くものだということはフェイトにも分かっていた。
しかし――。
なのはやユーノの疑いが濃くなるほど、フェイトもまた事件はまだ終わっていないという思いを強く抱くようになっていった。
(なんだろう、この不安・・・・・・)
あまりに静かすぎる。
フェイトは思った。
まだ何か・・・・・・。
何かが残っている。
自分は・・・何かを忘れてはいないだろうか・・・・・・?
(分からないよ・・・・・・)
フェイトは何かを忘れていることに気付いたが、それを思い出すことができない。
「バルディッシュはどう思う?」
フェイトはパートナーに問いかける。
返ってきたのは、
『”I don't understand it...”』
という頼りない一言だった。
「・・・そっか・・・・・・」
フェイトは微笑んだ。
が、その笑みには翳りがあった。

 

 

 

 

 

 

 第18話 Ambition of Darkness

 

 

 

 

 

 

 ダートムアを倒してから1週間が経った。
管理局は通信施設をはじめとする各部の復旧作業に追われ、現場の局員たちのほとんどは今も療養していた。
闇の脅威はまだ去っていないという見解を出しながらも、管理局本部は警戒態勢のレベルを下げており、局内はいまだ混乱している。
実際、幹部の中には本部のこうした矛盾をあげつらう者も多い。
が、最も混乱しているのはやはりリンディたちだろう。
ブライトの残した言葉を疑うわけではないが、鵜呑みにするつもりもなかった。
仮に彼女が信じたところで管理局の姿勢が変わるハズもなく、ひとりの提督である彼女は上からの指示に従う他はない。
「アースラ、予定のコースを順調に航行中・・・・・・なんでしょうが・・・・・・」
エイミィの顔色も優れない。
アースラは今、本部から指示されたコースを航行している。
こういう事態ならまず帰還させるべきだろうが、本部はその選択肢はとらなかった。
「本部でも意見が分かれているみたいね」
航路図を眺めながらリンディがつぶやいた。
つい先日、調査団と称した艦が1隻やって来た。
被害状況の確認が名目だったらしく、損傷したアースラを牽引することはなかった。
この時、フェイトが闇の脅威が去ったことを説明したが調査団は、
「事件の顛末については本部で精査、判断する」
と返すに留まった。

 

 リンディの言ったように、管理局本部では不毛な議論が続いていた。
事の発端は局長が非常時局長特権を発動して、嫌がる局員を無理やり現地に派遣したことによる。
まだ危険が去ったとは言い切れず、安全も確保されていないうちから調査団を送り込むのは軽率だという意見が大半だ。
各地から寄せられた、「影が突然に姿を消した」という少数報告のみで、今回の行動に踏み切った局長の判断は甘かったかもしれない。
実際に調査団の命を賭けていることになり、万が一にも彼らが命を落とすようなことがあれば、その重責は免れない。
一方で逡巡し、調査を断念すれば今度は現地の局員を見捨てることになる。
つまるところ局長はどちらにしても危険な道を選ばなければならず、特権の行使は迷った末の苦渋の決断であった。
「もしまた影が現れたらどうします?」
「現地の者と違い、調査団には充分な装備がありません。襲撃を受けた際の対処法は充分と言えますか?」
局員から厳しい非難が浴びせられる。
「各部からも、特権発動は強引だという批判の声があがっています」
この会で局長に次いで発言力のある、カービンが言った。
カービンは局長を真っ向から非難することはせず、冷静に現状を伝えるという中立的なスタンスをとっている。
が、本心では臆病な局員たちに愛想が尽き、危険を覚悟で現地の局員を助けようとした局長の判断を支持している。
局長は憔悴していた。
強引と言われようとも、すでに特権は発動されており、調査団も送り込んでいる。
今さらこの議論に何の意味がある。
集った局員はただ議論の名を借りて、局長を非難したいだけではないか。
「局長、お答えいただきたい! いったい何をもって、影の脅威は去ったと判断されたのですか!?」
(こいつは・・・・・・派遣の是非を議論していた時には何も言わなかったくせに、今になって非難するとは・・・・・・)
議事録に目を通しながらカービンは憤った。
この場での局長は批判の的でしかない。
カービンは助け舟を出す事にした。
「それについては巡航L級8番艦のフェイト・テスタロッサが興味深い証言をしています」
議事録をめくりながらカービンが説明した。
「彼女はムドラの民間人ブライトという少年と行動を共にしており、この少年が闇についての鍵を握っていたようです」
カービンの声は議場によく通る。
「フェイト・テスタロッサについては今さら説明するまでもないでしょう。ここにいる皆さんもよく知っていると思います」
局員たちが頷く。
「ブライトは民間人ながら独自に闇を調べていたようで、彼は”本体”の存在にたどり着いたそうです」
「そんな事は知っています。まさかその証言を判断材料とした、などと仰るおつもりですか?」
「それは無理があります。彼女の証言は調査団がもたらしたもの。それでは順番が逆です」
カービンはちらっと局長を見た。
局長はすっと立ち上がり、
「私の独断だ」
とだけ言った。
「だが根拠はある」
ざわついた議場を見て、局長は凄みを効かせた声で続ける。
「圧倒的に優勢だった影が一斉に消えた。おそらく戦い続けていれば管理局は甚大な被害を受けただろう。付け加えておくが――」
「・・・・・・・・・」
「私は闇の脅威が完全に去ったとは考えていない。しかし黙っていても勝てる戦いに、闇は結局勝たずに消えた。
この事から当座の危機は去ったと考え、調査団を派遣するに至ったのだ」
そして、と局長はさらに付け加える。
「フェイト・テスタロッサの証言でこの考えは確信に変わった。順序に矛盾はあるが、私は彼女の証言を信じるし、信じるに足る現象が起きている」
実際、調査団が再来した影に襲われることもなく、第1回の調査は無事に終了している。
「闇の正体は依然として知れない。しかし我々にとって、この世界の住民にとって脅威であることには違いない。
私には保身に走った現場の者を見捨てる考えはどうしても持てない」
この言葉に何人かが拍手した。
だがそれは獄数名で、多くは眉をひそめたままだ。
局長は思った。
(闇というのは、こういうことではないか・・・・・・? 危機が訪れた時、自分の命も顧みずに誰かを救えるか、どうか。
思えば人々の心の中にこそ闇がある気がする)
彼の考えはあながち間違いではない。
局長席から動かない彼の意見としてはいささかの偽善が含まれているが、少なくとも特権の発動によって彼の善意は体現された。
カービンは心の中で拍手していた。
(ウソでもこういう発言をする人が少なすぎる。闇の襲来は私たちの連帯感に深い闇を落とした・・・・・・)
考えながらカービンは今後、局長がどう動くかが楽しみでならなかった。

 

 

 6日前のことである。
ひとり遅れて帰艦したフェイトは、まずアルフに訝られた。
「あれ、ブライトはどうしたんだい?」
一目見て浮かぶ疑問に、フェイトは答えを濁らせなかった。
「ブライトは故郷に戻ったよ」
「ええッッ!?」
アルフから当然の反応。
どうせ後で同じ説明をすることになると分かっていたフェイトは、あえて詳細は話さず艦橋に向かう。
通路を歩くと、いたる所に戦いの痕が生々しく残っている。
意識を集中すればプラーナの残滓もある程度確認できることから、影の攻撃はよほど厳しかったのだろう。
クルノの制止を振り切ってダートムアを倒したことを、リンディは咎めるだろうか?
フェイトは自分が叱責される様を思い浮かべたが、すぐにその想像をかき捨てた。
結果として闇を退けたことを知れば、リンディなら叱るようなことはないだろう。
問題はそれをどう納得させるか。
「ブライト=シェイド」の秘密を話すわけにはいかない。
本人がいない今、打ち明けても問題はないのだが、彼女としてはブライトの遺志を尊重したかった。
死者が蘇った事実が尾ヒレをついて広まり、せっかく叶った和解にヒビが入るような結果になっても困る。
おそらくリンディほどの包容力の持ち主なら、フェイトの言葉を信じるかもしれない。
しかしその場合、なぜそれを早く言わなかったのかと追求されることは目に見えている。
艦橋に入ったフェイトを、リンディは予想通りの複雑な表情で迎えた。
「なのはさんたちからある程度は聞いたわ」
リンディが言う。
「はい」
フェイトは覚悟を決めた。
”本体”のことは自分を含めてごくわずかな者しか知らない。
提督が知っておくべきことを報告しなかった咎は避けられない。
「どうして言わなかったの?」
「・・・・・・・・・」
やはり来た。
アースラメンバーの中で最も多くの秘密を握っているのはフェイトである、と利口なリンディは分かっている。
「闇には”本体”がいる。それを倒せば闇の脅威は消える・・・・・・そうね?」
「・・・・・・はい」
何人かの文官が制御盤を叩いている音がやけに響く。
リンディは溜め息をついて言った。
「私はそんなに頼りないかしら?」
「・・・・・・え?」
詰られると思っていたフェイトにとって、弱気なリンディの言葉は意外だった。
「あなたが何かを隠そうとしているのは分かっていたわ。きっと重要なことだろうって――。でもそれは本当に誰にも言えなかったこと?」
「・・・・・・・・・」
フェイトに訴えるリンディの瞳は提督としてではなく、母親のそれに近かった。
そう思ったのはフェイトの錯覚だったようで、彼女はすぐに険しい表情になり、
「隠し事をしたくなるのは仕方のないことよ。その中身を知らない私が言えたことじゃないけれど、でも――」
しばらくの沈黙。リンディが続けた。
「それが時として皆を危険な目に遭わせることも考えないとダメよ」
「・・・・・・はい、すみませんでした」
フェイトはそう言うしかなかった。
彼女は気付いていないが、リンディの口調が強いのはここが艦橋であるからで、周囲に誰もいなければここまで厳しくは言わない。
リンディの本心は自分自身の不甲斐なさを呪う悔恨の念しかない。
フェイトが”本体”などの情報を報告しなかったことで戦いが長期化し、結果として多くの犠牲を出した可能性は否定できない。
では本部や提督がそれらの情報を掴んでいれば早期に解決できたか、となるとそうとも言い切れない。
影の襲撃から”本体”を倒すまでの道は何通り、何十通りも考えられる。
結果としてその一通りを経て今に至るが、これが最善の道ともとれるし最悪の道ともとれる。
(フェイトさんが私たちに報告しなかった、このやり方が最良の道だったのかもしれないわね・・・・・・)
リンディは考えた。
管理局は正義感に厚い無慈悲な組織だ。
規模の大小に関わらず事件解決の糸口を見つけたら、総力を挙げて動き出す。
鋭敏な捜査方法は評価できるが、事件の解決を急ぐあまりそこに至るまでの被害を考えない迂闊さもある。
(たとえば居場所が特定できていない”本体”を、局員が一斉に捜査したら?)
おそらく影は”本体”が発見されることを恐れて警戒し、万全の構えで迎え撃ってくるだろう。
安易な捜査のせいでかえって勝利のカギを遠ざけることになるのだ。
(もしかして・・・・・・)
俯いたフェイトを見て、リンディはある考えにたどりつく。
(もしかしてフェイトさんは”本体”を誘き出すために・・・・・・)
先にユーノたちから得た報告では”本体”はなのはの体に憑依していたという。
もしフェイトがリンディに”本体”の存在を報告し、局員挙げてそれを捜査することになれば――。
すぐ近くにいた”本体”を警戒させ、みすみす逃がすことになってしまう。
(フェイトさんは・・・それがなのはさん・・・・・・少なくとも近くにいると読んでいた?)
これなら説明がつく。
闇を倒すには”本体”を倒す必要があり、そのためにはどこかに潜んでいるそれを見つける必要がある。
ただし管理局として大きく動けば闇のことだ。”本体”は巧みに移動し捜査を躱すに違いない。
ごく少数で密かに捜査を行い、優勢である闇がまだ警戒していないうちに”本体”を見つけ出す。
(フェイトさんとブライト君はそれをやっていたんだわ、つまり――)
リンディは小さく頷いた。
(気付かれたら失敗だったんだわ。2人が”本体”の存在に気付いていることを、闇に気付かれては警戒されてしまうから・・・・・・)
全て計算の上でのことだったのか。
報告すべきことを報告せず、2人でこそこそと――勝手にー―動き回っているように見えたのは・・・・・・。
全てはこの時のためだったのか。
リンディはアースラの長でありながら、闇については何も知らなかった。
情報はユーノが収集したものに依存していたし、直接的な戦いはクロノはじめ武装隊に任せきりだった。
(結局、また私は何もできなかったのね・・・・・・)
無力感にとらわれたリンディは内心ではフェイトに申し訳ないと思いつつ、
「でもあなたの考えも理解できるわ。今日はもう部屋に戻って早めに休みなさい」
と気遣う。
しかしこれでは話し合いを一方的に断っただけで、重要な真実はまだ得ていない。
闇の脅威は本当に去ったのか?
数々の報告からでは永遠に確証は得られない。
真実を知っており、かつ闇が滅びたことを納得させられるのはフェイトだけだ。
しかしそれをするにはブライトの遺志を無視し、これまでの行動の矛盾を全て明かさなければならない。
リンディが全てを知れば、彼女は本部にもそれを報告するだろう。
核心に迫る重要な情報を今になって明かせば、提督としての資質を疑われ、禍(わざわ)いは必ず彼女ひいてはアースラに及ぶ。
またシェイドが生きていることが発覚すれば、彼はムドラ事件の最重要人物だけに常にしがらみに揉まれ、自由を奪われることも必至。
・・・・・・そもそも死者が別の体を借りて戻ってきた、など誰が信じるだろうか。
シェイドに関する真実は伏せつつ、しかし”本体”の消滅とともに闇の脅威は去った、という部分だけを信じてもらうしかない。
理解のあるリンディたちならともかく、本部がこのふざけた報告を聞き入れるハズもない。
結局、闇が滅びた証拠もなければ生存している根拠も得られず、時効――つまりは風化――を待つ以外の道は考えられない。
ここまで考えた2人は、人々の不安を忘れることでしか解消させられないことに胸を痛めた。
人間は忘れる生き物だが、痛烈な恐怖ほど記憶から抜けにくい。
この事件が本当に解決する時は、人々の記憶から闇が消えた頃だろうとブライトは言っていた。
間違いではない。
だがおそらく、フェイトにとっては永遠に忘れられない出来事になる。

 

 

 ブライトはどこにいるのだろうか。
負傷した部隊の慰問を終えたクロノは、ふと考えてみた。
(あの時、たしかに影は一斉に消えたけど)
勝利ではなかった、とクロノは悔やんでいる。
圧倒的に有利だったのは影の側だったが、それがなぜか突然に消えた。
それ以来、影は一度も現れていない。
何度考えても答えの出せない彼は、珍しく書庫を訪れた。
「ユーノ、いるか?」
入るぞ、と同義の言葉を述べたクロノはずかずかと入り込む。
ユーノは中空をただよいながら一冊の本を眺めていた。
貴重な資料らしく幾重にも施されたプロテクトをページをめくるごとに解きながら、彼は黙々とそれを読んでいた。
「なに?」
気配に気付いたユーノは本から目を離さずに訊いた。
「本当に――」
闇は去ったのか、とクロノは訊ねた。
「分からないよ」
ユーノは肯定も否定もできなかった。
彼がいま読んでいるのはムドラに関する記述だ。
闇を考察するうえでムドラの歴史はもはや切り離せない、というのがユーノの見解だった。
そう思う根拠は影の出現がシェイドが起こした事件の直後だったこと。
同じくムドラの民ブライトが影について誰も知らない情報を持っていたことを見れば、この結論には簡単にたどり着く。
そうなるとブライトがどのようにして情報を手に入れたか、という疑問が湧く。
アルフによれば彼は影から直接聞き出したということだが、これは真実ではないだろう。
それができるならクロノたちがとっくにやっているだろうし、冷徹な影が真相に繋がる情報を吐露するとも思えない。
仮にアルフの言う事が正しかったとしても、それをフェイトにしか告げないブライトの行動にも疑問が残る。
彼は知りすぎている。そして何かを隠している。
これを解くカギはやはりムドラにあるのではないか。
「分からない」
2度目のセリフは自分自身に言ったものだ。
「じゃあブライトはどこに行ったと思う?」
ユーノが悩んでいる事を知ってか知らずか、クロノはすぐさま次の質問をぶつけた。
「そんなこと、僕が分かるわけないだろ」
イラついていたユーノは少しだけ語気を荒げて言った。
(そういえばヴォルドーさんはどうしてるのかな?」
不意に若い男の顔が浮かんだ。
ヴォルドーは情報処理能力に優れたムドラの民で管理局に勤め、アースラと本部を行き来していたハズだ。
(あの人もムドラだけど・・・・・・ブライトのことは何も言わなかった・・・)
ブライトとヴォルドーが接近したのは、ブライトがこの艦にやって来た時の1回のみだ。
それ以外ではブライトは常にアースラの誰かに見える位置にいた。
とすれば2人は同じムドラの民だとはいっても、情報までは共有していないと考えるのが自然だ。
(じゃあブライトは独断で・・・・・・?)
管理局の誰も知らない”本体”を知り、それが倒れた途端に姿を消した――。
いなくなったのは、彼自身が闇の脅威は去ったと証明するためか。
(それにしてもアースラに戻らず、あの施設から急に消えるのはおかしい・・・・・・)
さらにいえば、それを鵜呑みにして疑わないフェイトもおかしい。

ユーノがまともに返事をしないので、クロノもまた書庫を見渡しながら考えてみた。
ただしユーノとは違った視点から、事件の真相を推理してみる。
彼よりも人生経験を数年重ねている分、クロノの思考は彼よりもいくらか早い。
がユーノほど書に触れていないために、推理の材料がやや乏しい。
(思えば最初からヘンだった)
クロノはブライトを初めて見た時にまで記憶を遡ってみた。
エステカに群がる影をブライトはたった一人で倒そうとしていた。
これは正義感の表れだからいいとしても、その手段はいくらなんでも無謀ではないか。
現に自分たちが応援に駆けつけなければ彼は死んでいた。
(それとも不利にみえて実は勝算があったのか?)
ブライトは確かに強い。
並みの魔導師よりも判断力も優れているし勇敢だ。
しかも彼にはプラーナがある。
見た限りでは戦いにも慣れている感じだった。
彼ほどの力の持ち主が、影の出現まで管理局の目に触れずに身を潜めていたということになる。
それが自然なようだがどこか不自然さも残る。
いろいろと考えた彼は結論を出すのをやめた。
これでは仲間を疑っているみたいじゃないか。
確証はないとはいえ、影が引き起こした事件は終息に向かっているじゃないか。
「バカだな、僕は・・・・・・」
自嘲してクロノはユーノを見た。
何を読んでいるのかは知らないが、彼のほうがよほど純粋だ。
(僕はなまじ責任感が強いから、こんなふうに疑ってしまうんだろうな)
ブライトを疑ったことを、クロノは自分の性格に原因があると決め付けた。

「うん、一時期に比べてずいぶんと顔色が良くなったね」
医師の診察を受けたなのはは、傍目に見ても元気を取り戻していた。
「はい、ありがとうございます」
そんななのはの表情は太陽のように明るく、しかも少女特有の幼さが混じる。
「まだしばらく魔法を使うのは控えたほうがいいね・・・・・・って、きみはあの時使ったんだっけ」
「え、ええ・・・まあ・・・・・・」
はにかむ様子だけ見ても回復の度合いがよく分かる。
「でも無理は禁物だよ。ここのところ世間も落ち着き始めているし、こういう時こそ休んでおくんだ」
「はい」
深々と頭を下げ、退室したなのはは外で待っているフェイトとアルフに気付いた。
「どうだった?」
アルフが訊いた。
「順調だって。まだ魔法は使わないようにって言われたけど」
「そっか・・・・・・」
元気そうななのはを見て安心すると、3人はアースラの長い通路をゆっくりと歩いた。
「本当に何も覚えてないの?」
タイミングを見計らってフェイトが訊いた。
なのははわずかに考えてから、
「うん・・・・・・」
と小さく返した。
なのはにはダートムアが憑依している間の記憶がなかった。
彼女によれば、ダートムアが何事かをささやいている時は半分眠っているような状態だったらしい。
「それだけ闇が深かったってことだね」
アルフはブライトが言いそうなセリフを言った。
「でもその闇も消えて、なのはも無事。これで充分じゃないのかい?」
アルフは楽天的だ。
フェイトは、
「そうだといいけど」
と含みを持たせて答えた。
「なんだかスッキリしないんだ。まだ終わってないような気がして・・・・・・」
「フェイトの考えすぎだって」
アルフは深く考えることなく笑い飛ばしたが、この根拠のない前向きな姿勢が闇には有効であると本人は知らない。
つまりアルフは無意識のうちに闇に掣肘を加えているのだが、それをフェイトの懸念が妨げていた。
「あ、私、リンディさんに挨拶してくるね」
話題を変えるようになのはが言った。
戻って早々、医務室通いだったなのははリンディやエイミィとまともに話していない。
「じゃあ私も行くよ」
{私も」
結局、3人そろって艦橋に向かうことになる。
だが通路の向こうからリンディが歩いてきた。
3人の姿を見つけたリンディは笑顔を作り、
「あら、なのはさん。具合はどう?」
と訊ねた。
「はい、もう大丈夫です」
なのはは少し照れた様子で返した。
「そう、それは良かったわ」
彼女の笑顔にリンディも笑顔で答える。
「丁度なのはさんのお見舞いに行こうと思ってたのよ」
とリンディは付け足した。
闇の”本体”がなのはに憑いていたと聞いたリンディは正直、またかと思った。
ムドラの事件もそうだったが、敵はなぜなのはやフェイトばかりを狙うのだろう。
魔導師への復讐、世界を闇で覆うこと・・・・・・敵の野望は果てしなく大きなものだった。
それなら特定の人物ではなく管理局や他の魔導師などを襲えばすむことだ。
精神の発達が未成熟ななのはやフェイトを狙うのは、狡猾きわまりないとリンディは怒りを抑えられなかった。
と同時にそんな大事件に少女を巻き込んでしまったという自責の念も強い。
「そうだ、もし良かったら――」
リンディはぱっと顔を上げた。
「延期になってたパーティー、来週にやるのはどうかしら?」
提案したリンディはちらっとアルフを見た。
「でもブライトが・・・・・・」
案の定、アルフが口を挟む。
パーティーそのものはアルフの発案だった。
闇が消えたことが確認できれば事件は解決したも同然だから、祝勝会をやろうという発想である。
ところが主役格のブライトが消えたことでパーティーは延期となってしまった。
ブライトは故郷に帰ったことになっているのでアンヴァークラウンを探せば見つかりそうなものだが、当然見つかるハズもない。
「負傷していた局員たちも順調に快方に向かっているわ。だから快気祝いって名目で――」
リンディが妥協案を出した時、轟音とともにアースラが激しく揺れた。
「な、何!?」
衝撃のせいか照明が一瞬消えた。
近くを歩いていたクルーも何事かと顔を見合わせていた。
「何かあったのかしら?」
リンディは平静を装うが、経験のない事態に狼狽の色を隠しきれなかった。
「ちょっと見てくるわね」
リンディはそう言いおき、艦橋へ走った。
「どうする?」
フェイトが訊いた時、再び轟音が響く。
揺れは大きくなり、断続的に起こるようになった。
「なんか厄介なことになってそうだね」
そう言うとアルフは艦橋へ向かおうとする。
フェイトとなのはもそれに続いた。

 一番に書庫を出たのはクロノだった。
激しい震動で中の資料が散乱しかけたが、それはユーノがひとりで片付けている。
こういう時、迅速に対応するために高官は艦橋か通信室、あるいは機関部に走ることになっている。
通信室は閉鎖されているからクロノは艦橋に行くべきか機関部に急ぐべきか迷った。
が、おそらくリンディが艦橋にいるだろうと思い当たり、彼は後者へ行くことになる。
途中、技術工員3人ほどと合流し、通路を走る。
揺れが激しく、転びそうになりながら4人は機関部へ。
「クロノ執務官、あれを!」
工員のひとりが指差した先には通路がなかった。
そこから先が何かに切り取られたように、向こうはただ黒い闇が広がっている。
「通路が・・・・・・いや、違う!」
クロノはそれでも前進を続けようとした工員を引き戻した。
あれは闇だ。
光を通さない闇が向こうにいる。
この考えが正しければ彼らには見えないだけで、通路も壁も天井も存在しているハズだ。
が、といってそこに踏み込む勇気がない。
(こんなに濃い闇ははじめてだ・・・・・・)
果てしなく思える暗闇を前にクロノは恐怖した。
たとえば一歩踏み入れた瞬間、自分の存在が消滅してしまうのではないか、という気さえしてくる。
無限の底なし沼。それが縦に横に伸びてきているというのか。
しかしここを通らなければ機関部にはたどり着けない。
「僕が行きます!」
結局、クロノは3人をここに残して機関部へ向かった。
足を床につけるわけにはいかず、彼は力をセーブした飛翔魔法で滑空する。
距離的には遠くはない。
真っ直ぐに数秒飛べば、そこがもう機関部だ。
だがクロノは闇への理解が足りなかった。
闇へ入り込んだ瞬間、彼は時間と方角を見失った。
慌てた彼はその場に停止し振り返る。
(よかった・・・・・・)
背後にはまだ光がある。
3人の工員が不安げにこちらを見ていた。おそらく3人からはクロノの姿は見えないに違いない。
事態を甘く見ていたと感じたクロノは引き返すことにした。
「ああ、心配していました。どうなっていましたか?」
期待と不安を織り交ぜた工員の質問に、クロノはかぶりを振った。
「踏み込んだ瞬間、方向が分からなくなりました。危険だと思い引き返して来たんです」
「そうでしたか・・・・・・」
クロノが無理なことを工員たちにできるハズがない。
4人は機関部に向かうのを諦め、現状をリンディに報告することにした。
(どう説明したらいいんだ)
見たままを伝えるのが報告だが、そもそも見えない闇を言葉で説明できるだろうか。
「あっ!}
不意にクロノが叫んだ。
「Z−PHERを使えば探索できるかもしれません」
Z−PHERは意思を持たせた浮遊標的で、指定領域内を常に浮遊する。
主に射撃系魔法の追尾能力を鍛えるために用いられるが、カメラやマイクを搭載すれば探索の能力を得られる。
この手配を工員たちに任せると、クロノは書庫の整理をしているユーノを拾って艦橋に向かった。
「まだ終わってないのに・・・・・・」
散乱した資料を後ろにユーノが愚痴った。
「危険なんだ。うまく説明できないけど、とりあえず避難したほうがいい」
クロノはある事柄に対して危険か否かを判断するのが早い。
そしてそれが危険であると判断すればただちに回避する。
彼はそうやって生き延びてきた。
年齢からしてまだまだ未熟な彼が第一線で戦いながら生きながらえてきたのは、彼が引き際を心得ているからだ。
そうでなければ彼はなのはたちの年齢まで生きていたかも疑問だ。
「避難ってどこに?」
「提督に報告する意味でも艦橋に行くべきだ」
クロノが断定口調で言ったため、ユーノはそれに異を唱えることはしなかった。
ただし、”機関部へ続く怪異”をその目で見ていないため、2人が感じる危機の度合いには大きな乖離がある。
前方から数機の赤い球体が飛んできた。
索敵能力を持たせたZ−PHERだ。
それを見たユーノはようやく緊急事態が起こっているとみてとった。

「よかった・・・・・・無事だったのね!」
2人の顔を見てリンディの表情がゆるんだ。
艦橋にはすでに数名のクルーが集まっていたが、どの顔も憔悴しきっている。
現場にいたクルーのひとりが最初に艦橋に向けて異常を伝達した際、そのクルーは、
『闇の襲撃を受けた』
と報告している。
これまで散々、”影”と戦い、また管理局の人間の多くが敵を”影”と表現していた中で。
そのクルーは”闇”と言った。
その後、アースラの各部から同様の報告が寄せられて今、ここに数名のクルーが避難してきている。
「提督、被害状況を!」
エイミィがモニターにアースラの見取り図を表示させた。
動力部や機関部など、艦の推進に必要な部門が赤く表示されている。
「なんてこと・・・・・・」
リンディはそれを見て絶句した。
被害を受けた箇所は後部に集中しており、艦の制御はほとんど不可能な状態だった。
しかしその被害は”闇が現れた”としか判明していないため、回復が可能かどうか、そもそもその方法すら手探りの状態だ。
フェイトは周囲を窺った。
自分が調べてきます、と彼女は言いたかった。
ムドラ事件以降、フェイトの行動は時として独りよがりと思われることも少なくなかった。
しかも闇は滅びたと公言しているため、彼女はさらに肩身の狭いをさせられている。
実際、何人かのクルーはフェイトに冷たい視線を送っている。
”闇は滅びたと誰が言ったんだ?”
視線はそう語っていた。
「まだ・・・終わってなかったの・・・・・・」
なのはがうわ言のように呟いた。
「こ、これは・・・・・・!?」
なのはの呟きをかき消すようにエイミィが叫んだ。
「これを! これを見てくださいッ!」
一同がモニターに注目する。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・!?」
状況を把握するまで数秒を要した。
が、事態を理解した今、その数秒が大きな損失だとすぐに気付く。
新たに表示されたのはアースラの航路図だ。
航行速度や針路などが詳細に示されているが、問題は針路にあった。
アースラは既定のコースを外れ、まるで反対の方向に向かっている。
目的地は――。
「このままこの速度で進めば1時間後には・・・・・・提督!!」
エイミィが額に浮かんだ汗をぬぐうのも忘れて訴えた。
アースラは太陽に向かって航行していた。
(闇がアースラを動かしてる?)
ユーノは針路の果てにある太陽を見て、一番にこの艦の書庫を思い浮かべた。
あの厖大な資料が全て失われてしまう。
彼は自分の心配よりも書庫の心配をしていた。
「こんな・・・・・・」
リンディは指示を出せないでいた。
アースラそのものの危険を経験したことがなく、しかも対処に使える時間が1時間しかないのだ。
彼女は時間制限があり、提督として迅速にかつ的確な指示を出さなければならないと自らにプレッシャーをかける。
が、その精神的な重圧がかえって冷静さを奪い、クルーに不安の種を蒔くことになる。
59分。
このまま拱手していればアースラのメンバーは59分後にこの世に別れを告げることになる。
「提督!」
エイミィの悲愴な叫びがリンディの冷静さをまた奪った。
「ええ、ええ・・・・・・大丈夫よ。みんな、落ち着いて――」
呼吸を整えたリンディは凛とした表情に戻って言った。
「アースラの針路を正規のコースに戻す事を優先します! 技術工員は被害地に向かい、一刻も早く復旧してください!
武装隊の中で動ける者は技術工員のサポートをお願いします!」
リンディ自身も先ほどから制御盤を叩き、アースラの航行ルートを戻そうとする。
が、艦のコンピュータにはどこからかロックがかけられており、全く操作を受けつけない。
モニターには大きく”58分”と表示されている。
その時、クルーが艦橋に飛び込んできた。
「Z−PHERからの通信が途絶えました!」
と報告した。
「原因は?」
「分かりません。全てのZ−PHERがほぼ同時に通信できなくなりました」
さらに、
「機関部に常駐していたクルーとの連絡もとれません。おそらく――」
その先は言わなくても分かっていた。
リンディはしばらく考え、やがて覚悟を決めたように、
「・・・・・・撤回します」
静かにそう言い、艦内放送のスイッチを押した。
なのはとフェイトは心配そうに互いに顔を見合わせた。
リンディが大きく深呼吸する。
艦橋にいる者は誰もがリンディがどんな言葉を発するものかと注目している。
彼女はこの後、結果的に自分に注目するクルーたちの期待をいくらか裏切る発言をすることになる。
モニターの表示が”57分”になったところで、リンディが全てのアースラクルーへ向けてメッセージを送った。
『全てのクルーへ伝達します。落ち着いて聞いてください』
そう言っているリンディこそ落ち着いていない。
『現在、アースラは太陽に針路をとっており、制御は不可能な状態です。おそらく闇によるものと思われます』
リンディは言葉を選びながら一語一語、充分な間隔をおいて発音した。
ここで彼女が息巻いてまくし立てれば、これを聴いているクルーがパニックに陥るのは必至だ。
『計算では55分後にアースラは太陽に到達します。そこで提督として・・・・・・緊急退避命令を出します』
(母さん・・・・・・!?)
まず反応したのはクロノだった。
「アースラを捨てるんですか?」
人命を尊重するなら正しい判断であろう。
が、クロノとしては母に、提督として最後までアースラを守って欲しいという願いがあった。
「仕方ないのよ。復旧に手間取って間に合わなかったどうするの?」
いいから黙っていなさい、という意味の視線をリンディが送った。
『全ての緊急避難艇を解放します。クルーは事前の割り当てに従い、くれぐれもパニックを起こさないように退避の準備をしてください』
言いながらリンディは脳裏にアースラの全容とクルーの総数を思い浮かべた。
緊急避難艇は約30艘搭載されており、アースラの中部と後部の5ヶ所に格納されている。
現在のクルーの人数からすれば充分に避難が可能だ。
パニックにさえならなければ総員がアースラを脱するのに10分もかからない。
「ご英断です・・・・・・」
艦橋にいたクルーが呟いた。
仮に復旧に努めた場合、1時間足らずでその作業が終わるとは思えない。
一か八かの賭けにでて、アースラとクルー全員を失う選択をする気にはなれない。
リンディは艦内放送を切断した。
「さあ、皆も急いで」
振り返った彼女はいつもの提督の顔に戻っていた。
避難命令はもう出したのだ。ここでぐずぐずする理由はない。
遠くで足音が聞こえる。
おそらくクルーの避難が始まっているのだろう。
艦橋にいた文官がまず退避を始めた。その前後を守るように武装隊が避難艇を目指す。
「行こうっ!!」
覚悟を決めたようにクロノが艦橋を出た。
「・・・・・・しょうがないね!」
アルフもそれに続く。
エイミィが立ち上がり、どうしようもない事態に拳を握りしめたが、やがて決心したようにアルフたちを追いかけて行った。
「なのはも!」
一向に逃げようとしないなのはの手を引いて、ユーノが振り向きもせず艦橋を走り出る。
後に残ったフェイトとリンディは顔を見合わせた。
54分。モニター上の逆算がアースラの寿命をまざまざと見せつける。
ただしこれは現在の速度でアースラが航行した場合、太陽のある位置に到達するまでの目安でしかない。
実際には太陽に接近した瞬間、高熱に焼かれて消滅する。
しかもこの非常事態を考えれば今後、アースラが暴走して航行速度を上げることも考えられる。
54分間は無事だ、とは考えないほうがいい。
そもそもこの数値すら闇が操っているかもしれないのだ。
リンディが再度キーを叩き、今度は時空管理局本部への通信を試みた。
「アースラが闇の攻撃を受けました。制御不能です。総員、艦を捨てて退避します」
通信施設の復旧は半分も進捗していないため、遠く離れたアースラからのメッセージが届くかは疑問だ。
「繰り返します。闇はまだ滅びていません。総員、艦を捨てて退避します」
リンディは必要な情報のみ述べると回線を切った。
「行きましょう!」
リンディがフェイトの手を引いて艦橋を走り出た。

 提督があれほど言ったにもかかわらず、通路ではちょっとした混乱が起こっていた。
原因は単純だ。
艦後部に迫ってきた闇のせいで5ヶ所あった避難艇格納庫のうち2ヶ所が封じられ、クルーがなだれ込んできたのだ。
正規の訓練を受けたクルーでさえ、緊急時には助かりたいという本能が働いている。
そのために格納庫付近では我先にと駆け込んできたクルーたちがわだかまっていた。
後部の2ヶ所を封じられたため使用できる避難艇は20艘ほどに減ってしまった。
しかし1艘あたりの収容人数は多く、落ち着きさえすれば退避できる。
先に行ったクロノやアルフたちはこの人混みに紛れてしまい、どこにいるのか分からない。
「みんな、落ち着きなさい! まだ時間はあるわ!」
リンディは声を限りに叫ぶが、パニックに陥ったクルーにはほとんど届いていない。
自然とリンディと手が離れることになったフェイトは、その様子を少し離れたところで見ていた。
おそらくリミットは50分を切るか切らないかというところであろうが、彼女は全く動じない。
これからどうなるかは彼女にも自覚はできている。
が、クルーのように死に物狂いで周囲をかき分け、避難艇にたどり着こうという執念はない。
生や死を軽く考えているのではない。
もちろん、彼女だって生き延びたいハズだ。
母に見捨てられた時の彼女であれば、自暴自棄になって自ら死に向かったかもしれない。
しかし今の彼女はその危機を乗り越え今、生きる希望を見出している。
例えば、なのは。
フェイトは彼女のおかげで生きる意味を見つけたと言ってもいい。
敵味方の垣根を越え、友だちになりたいと願ったなのはの心を、フェイトは同じく心で受け止めている。
返事を保留にしているリンディの誘いもまた、フェイトにみすみす死を選ばせない理由のひとつになっている。
彼女の承諾があれば養子になる。クロノを兄として仰ぐこととなる。
そして何より、執務官になりたいと彼女は決意した。
「闇が・・・・・・?」
クルーは今、リンディたちの制止も聞かず生死の狭間から脱したいともがいている。
彼女の後ろから文官たちがなだれ込み、通路の中ほどは身動きがとれないほどになっていた。
なのはやユーノ、アルフの姿はとうに見えなくなっている。
リンディも事態の収拾に必死で、フェイトが離れていることに気付かないようだ。
「闇・・・・・・」
フェイトはうわ言のよう呟いた。
ダートムアを倒して以後、沈黙していた闇がなぜ今になって?
それもアースラに?
「闇は・・・・・・」
それともすでに管理局の主だった部門は襲撃を受けているのだろうか。
フェイトは喧騒から離れるように来た道を引き返した。
そしてクルーの声が届かないところまで来ると、そっと壁に手をあて目を閉じる。
『”Particle vision”』
主が何をしたいかを瞬時に読み取ったバルディッシュが静かに呟く。
フェイトの頭に、アースラの全容が浮かんでくる。
粒子で構成されたアースラは後部がほとんど見えなくなっている。
ここが闇の攻撃を受けた場所だろう。
フェイトはさらに意識を集中させ、闇の部分に刮目(かつもく)した。
おそらく誰にもできないだろうが、フェイトには闇をより深く視ることができる。
闇や影と一口に言っても、その深さや暗さ、冷たさはそれぞれ違う。
霧、霞、靄(もや)のように闇を見分ける力がフェイトにはある。
(あった!)
しばらく視ていたフェイトは、闇の最も深い場所を見つけた。
粒子が激しく入り乱れていたために発見が遅くなったが、同時にフェイトは自分の成すべきことも見つけた。
「行くよ――」
彼女はバルディッシュにそう呼びかけると、アルフとの精神リンクを切り、ゆっくりと歩き出した。

 

 わだかまるクルーを迂回するように、フェイトはアースラを進んだ。
途中、闇が道を遮っていたがエダールモードのバルディッシュが光を与え、彼女に先へ進むよう促す。
戦士も悪鬼もサソリもコウモリも出てこない。
闇にとっては雑兵を繰り出す必要がないからだ。
50分を切ったリミットの中で、死への恐怖におののくクルーの心こそ闇が求めているものだ。
フェイトは進んだ。
責任はことごとく自分にある。
確かめもせず闇が滅びたと述べてしまったために、少なからず警戒が緩んだのは間違いない。
この責任をブライトに転嫁することもできたハズだが、フェイトはもちろんそんなことはしない。
やはり決着をつけられるのは自分しかいない。
フェイトはそう思った。
今度こそ本当に闇を祓えるなら、死をも厭わない覚悟だった。
アルフやなのは、母になりたがっているリンディを考えれば彼女は生きるべきだった。
潔い彼女は責任感と使命感から、そして何よりシェイドの遺志を継ぐために闇と戦うのだ。
自分の死によって大勢の人間が助かると信じているからこそ――。
対決を前に彼女は一度だけ精神リンクをつないだ。
すぐにアルフから声がかかる。
(フェイト! 今どこにいるんだい!? さっきからずっと呼んでたんだよ!?)
激しい口調は怒っているのか心配しているのか。
「ごめん、アルフ。はぐれちゃったみたい。私は別の艇に乗ってるから心配しないで」
主として使い魔にウソをつくのは何度目だろうか。
些細なウソならまだしも、世界の運命に関わる出来事に使い魔を欺いてしまうことをフェイトは悔いた。
が、それは一瞬だ。
彼女の身を案じたなのはやクロノからの問いかけにも同じように答え、フェイトは今度こそ外部の声を遮断した。
ここまで来ればもう誰の姿も見えない、誰の声も聞こえない。
ただ闇の、暗く冷たい吐息だけが流れてくる。
(今度こそ・・・・・・)
そう、今度こそ。
全ての闇を祓う時だ。
フェイトは確信していた。
”本体”はアースラにいる――。
シェイドの体から抜け出し、宇宙を彷徨い、知恵をつけた最初の闇が――。
究極の狡猾さと野心を備え――。
闇をも欺いた闇が、ここにいる。
フェイトの足が止まった。
彼女の目の前にはホールへの入り口がある。
――思えば全てはここから始まった。
すでにバルディッシュをしっかりと握ったフェイトは、臆することもなくホールへと足を踏み入れる。
「来ると思っていたよ」
ホールの中央にいた影が、フェイトを見て笑んだ。
この姿には見覚えがある。
これまで2度ほど目撃しているが、1体1で対峙するのはこれが初めてだ。
「なぜなら、きみがフェイト・テスタロッサだからね」
影は全く抑揚のない声で淡々と話す。
フェイトはさらに一歩踏み込んだ。
立ち止まることも、退くことも許されない。
「ヒューゴ・・・・・・」
彼女が影の名を呼んだ。
「ああ、ボクの名前、覚えていてくれたのか。しかし、すまないな。間もなくボクはきみを殺すことになる」
フェイトは表情を変えずにつぶやく。
「あなただったんだね」
「何のことかな?」
ヒューゴは大袈裟にとぼけて見せた。
この程度の挑発には慣れているフェイトは感情を動かすことはしない。
ただ――。
「ボクが・・・・・・どうかしたのかい?」
ただ、ひとつ。
ハッキリさせなければならないのは――。
「まだ、終わってなかったんだね・・・・・・」
フェイトが呟く。
「いや、”もう終わった”よ」
ヒューゴが嗤った。
目の前の影を見て、フェイトはようやく闇の最奥を掴んだ気がした。
間違いない。
彼こそが”本体”だ。
そうでなければ、こんな禍々しい邪気を放っているハズがない。
「闇が世界を覆う。そして全てを支配する。ふふ・・・・・・もういい加減、聞き飽きただろう?」
挑戦的なヒューゴの視線を退け、フェイトはバルディッシュを握りしめた。
バルディッシュ自身が放つ光が、このドームを淡く照らした。
「あなたたちの好きにはさせないよ。私が――」
フェイトの瞳にひときわ強い光が宿る。
「――私が止めてみせる!」
彼女の宣言を聞いてもなお、ヒューゴは不敵な笑みを浮かべるだけだった。
「いいね・・・・・・その燃えさかるような強い意志・・・・・・。それこそがきみの強さの秘密なんだろうな」
ヒューゴは恍惚の表情でフェイトを見た。
フェイトも彼を見た。
ただし彼女は怒りや憎悪を持たないように努め、あくまで”視る”ことに留めておく。
「私は知ってる。あなたたちは怒りや憎悪によって強くなるんだ。だから――」
「だからそれらの感情を封じてしまえば、ボクは弱体化し闇は滅ぶ? ・・・・・・賢者だな、きみは」
ヒューゴは素直に賞賛の意を表した。
ただしこれも見方によっては挑発であるため、フェイトはそれには何の反応も示さない。
「・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
沈黙の後、フェイトが呟く。
「今度こそ・・・・・・今度こそ本当に終わらせる。あなたが”本体”だと分かった以上、容赦はしないよ――」
バルディッシュが瞬いた。
彼女の愛杖は闇を滅ぼすために強く、強く輝く。
ヒューゴは待っていた、と言わんばかりに大仰に驚いた。
「”本体”だって!? きみたちはもう倒したんじゃないのか? なのにボクが”本体”? これはどういうことだろうな・・・・・・」
驚いた後にニヤリと笑む。
「彼女は・・・・・・ダートムアは”本体”ではなかったのだろうね・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
フェイトの視線がわずかに虚空を彷徨う。
それを見て取ったヒューゴはさらに詰めた。
「クレリックは闇の中でも愚劣なほうだったよ。ハイマンにしてもそうだ。ソルシアの損失はボクにとっては予想外だったけどね」
「何を・・・・・・言ってるの?」
「分からないほどきみは愚かではないと思ったけどね?」
ヒューゴの目が不気味に光った。
かつてのシェイドに似た瞳に、フェイトは反射的に目をそらしてしまう。
「きみたちが”本体”だと思って倒した彼女・・・・・・ダートムアはボクが最初に創った影なんだよ」
「・・・・・・!?」
これにはさすがにフェイトも反応してしまう。
(闇が・・・・・・闇を創った・・・・・・?)
「次に創ったのはたしか・・・ハイマンだったかな。それからしばらくおいてソルシア・・・・・・いや、違うかな?」
「・・・・・・・・・?」
フェイトにはヒューゴの言葉の意味が半分も分かっていない。
ダートムアとは文脈からして、自分たちが倒したハズの”本体”で間違いないだろう。
先ほどから出てくるハイマンとは誰なのだろう?
彼女が疑問に思った時、それを見通していたようにヒューゴが続けた。
「宮殿から別行動をとったルーヴェライズは――」
ヒューゴの口からルーヴェライズ――シェイドの名を出され、フェイトは息を呑んだ。
「ボクの創ったハイマンを問いただし、”本体”の居場所を突き止めた。――残念ながら彼女は偽の”本体”だったけれどね」
「それは・・・・・・初めからあなたが仕組んでいたことなの?」
「・・・・・・おお」
フェイトの呟きに今度はヒューゴが驚いた。
この驚きは演技ではない。
「やはり鋭いな。ボクの中のフェイトさんはいつもそうだった。そうとも・・・・・・いや、しかしきみは今ひとつ読みが浅い」
ヒューゴは厭らしい笑みを浮かべると、猫背気味になって言った。
「クレリックに裏切らせたのもボクだ」
「・・・・・・ッ!!」
ヒューゴの口から出たその言葉に、フェイトはクレリックを思い浮かべた。
(まだ・・・・・・)
極めて意外なことをヒューゴは口走るが、それがまだ真実と決まったわけではない。
闇は欺くことが得意だ。
意味深な表現を選び、フェイトを動揺させるという闇の常套手段かもしれないのだ。
「ソルシアもハイマンも・・・・・・全ての闇はダートムアを”本体”だと思いこんでいた。彼女自身もね」
「何のために・・・・・・?」
フェイトの問いに、ヒューゴは優越感を味わった。
そうとも。彼女は光で自分は闇だ。
やはり光は闇について何も分かっていない。
今の彼女はこうして尋ねることしかできないのだ。
「この時のためだよ」
ヒューゴの声は暗く冷たい。
口調や言い回しはシェイドにそっくりだった。
「闇について何も知らないきみたちがクレリックというわずかな糸口を頼りに”本体”にたどり着き・・・・・・そして倒す。
はたして闇を打ち倒した喜びをきみたちは噛みしめるんだ。つかの間の幸福感に溺れながらね」
ヒューゴの声はホールに禍々しく響いた。
「いつ終わるとも知れない戦いが終わった人間は、勝利に酔いしれ慢心する。こうなれば後は容易い・・・・・・。
慢心した人間は再び押し寄せる脅威に対して、以前に比べてより恐怖を感じるようにできているからね」
フェイトはこの狡猾な闇の、狡猾な手段とその狙いを悟った。
ほとんどはヒューゴが言ったとおりだ。
神出鬼没で目的もはっきりしない闇を相手に、局員のみならず多くの人間が不気味さを感じたハズだ。
しかも実体のない敵に相対し、長期戦を覚悟した事も確かだろう。
それを2人が終わらせた。
報告を信じていない者も多いだろうが、ダートムアを倒して1週間。
その間に何も無かったことを考えれば、人々の中にも次第に闇の脅威は完全に消えたという安堵と慢心が生まれてくる。
そして、これだ。
忘れかけた頃に現れた闇が、今度はアースラを太陽にぶつけようというとんでもない策を立ててきた。
クルーの恐怖は我先に避難艇に乗り込もうとする混乱ぶりから想像がつく。
つまり彼は、ヒューゴはこの混乱と恐怖を待っていたのだ。
1週間、闇が沈黙していたのはクルーを完全に油断させ、一気に死の恐怖に叩き落とすためだったのだろう。
「きみですら闇は完全に滅んだと思っていたハズだ」
その通りだ。
フェイトは悔やんだ。
「でもあなたは現れた。同じことだよ・・・・・・。私があなたを倒す! 今度こそ闇を祓ってみせる!」
フェイトはバルディッシュを掴む手に力を込めた。
ヒューゴはまたも笑んで返す。
「分かってないな。ボクが今ここにいるのも、ボクの計算のうちだとなぜ思わない?」
そう言い、ヒューゴは視線をさまよわせる。
「・・・・・・・・・」
フェイトは平常心を保つことに意識を集中した。
ほんのわずか油断しただけで、闇はたやすくフェイトの心底に入り込み彼女の精神を操るおそれがある。
「思ったとおり・・・・・・ルーヴェライズはいないようだね・・・・・・」
ヒューゴの双眸が妖しく光った。
彼の邪気を受け、フェイトは不覚にも目眩を覚えた。

 

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