第1話 感染
第1話 感染

(闇の脅威は去ったものの、その事実を誰もが確信できない日々。管理局では脅威に対してある議案が持ち上がった)

「艦長・・・・・・艦長・・・・・・」
細い目をした士官がさらに目を細めて、艦長室をノックした。
数秒してドアがゆっくりと開き、やや乱れた髪を整えながらリンディが出てきた。
「お休みでしたか? 申し訳ありませんでした」
「いえ、いいのよ。どうかしたかしら?」
「はい。間もなく管理局本部に到着いたしますので、ぜひ艦橋にお越しいただきたいと――」
「分かったわ」
リンディは一瞬、目を伏せるとすぐに顔を上げて部屋を出た。
士官の誘導に従って艦橋へ。
ごく当たり前の光景が広がっている。
管制官をはじめとする文官が、航行に必要な任に就いている。
アースラの状態は良好で、艦長席のモニターにはあと10分ほどで目的地に到着すると試算されている。
「艦長、本当によろしいのですか? 今ならまだ引き返せますが」
リンディを連れてきた士官が、ぼそりと呟いた。
彼女は凛とした目で、
「戻るつもりなら最初から来ないわ。大丈夫よ、私を信じて」
艦橋全体に通る声で言う。
「今回の件、どうしても外すわけにはいかないのよ。分かるでしょう?」
これは文官に対してというよりも、自分自身に言い聞かせている部分が多い。
クルーたちはリンディの指示に従う他ないが、それぞれにちゃんと意思がある。
中にはリンディの考え全てを否定したがる者もいるが、アースラにおいては彼女の権限は絶対だ。
だから誰が何と言おうと、リンディがそれをはね退けてしまえば、誰も口を挟めなくなる。
いささか強引だが、100名を超えるクルーを取りまとめるには彼女が敢えて嫌われる立場となってこうするのが最も効果的だ。
リンディは度々、この手法でアースラやクルーの行動を取り仕切ってきた。
これはひとえに彼女が持つカリスマ性がうまく働いているおかげだろう。
リンディとクルーの間には、今までそれほど深刻な軋轢は生じなかった。
「なんとしてでも・・・・・・」
彼女はこう呟くが、傍らにいる士官はしっかりと聞いていた。
「代理を立てられては? アースラにも優秀な顧問はいますよ」
士官はおずおずと訊ねたが、彼女の答えは聞く前から分かっていた。
「それでは意味がないわ。私の口から直接訴えるしかないのよ」
「・・・・・・・・・・・・」
リンディの強い意志を口調から感じ取った士官は、それ以上何も言わなくなった。
眼前に管理局本部が見えてきた。
「着艦態勢に入ります」
管制官の声が艦橋に響いた。


 闇の脅威が去って1年。
管理局を取り巻く情勢は依然として緊迫していた。
上層部では闇の消滅についていまだに議論が交わされている。
その主となるのは、フェイトを中心とするアースラからの報告を信じるか否か、である。
現場のしかも最前線にいたアースラからは、闇は滅びたという言葉が繰り返されている。
この報告に対し、大多数を占める懐疑派とごく一部の妄信派が顔を合わせれば対立している。
事実からいえば妄信派と蔑まれている側の考えが正しいのだが、それを証明する術がない。
それをいい事に、懐疑派は答えが出ないのを知っていてフェイトに訊問を繰り返した。
闇は滅びたと言い張るのはいくらでもできるが、万人を納得させることには一度として成功していない。
1年近くの訊問を経て、懐疑派は確信した。
もはや誰にも安全を知らしめることなどできない。
人々は安寧秩序を実感できないばかりか、闇のような脅威の再来に永遠に恐怖しつづける。
これでは時空管理局としての務めを果たしていることにはならない。
管理局の存在理由は、世界の安定と平和を維持することにあるのだから。
そこで懐疑派の内々でひとつの案が持ち上がる。
強引で野蛮な考えではある。
が、危機に直面した時には最も力強く、心から頼れる考え方であるに違いない。
『武装隊の強化』
端的に言葉で表せばこういうことになる。
管理局のあちこちで武装隊を強化し、軍隊化すべきとの声があがっていた。
闇のように神出鬼没で強力な敵に対して、今の管理局はあまりに無力だとの懸念による。
軍隊化による利点は多い。
まず活動するにあたって、これまで制約であった次元間の移動が容易になること。
ジュエルシードをはじめとする数々の事件は、その性質から広範囲に及ぶことが多々ある。
時空管理局の管轄内であれば局員を派遣することになんら問題はない。
しかし遠隔地など次元をまたぐ場合には、それぞれの次元に干渉することになるから種々の手続きも煩雑なものとなる。
現場では局員がすでに出動可能なのに、上層からの指示が出ない限り動けないのでは臨機応変に対応できない。
この制約をなくすのが、ひとつの利点である。
管理局の管轄内での事件を捜査中、主犯が別次元に逃亡してしまったために追走が遅れ、時効になったケースもある。
犯罪被害者からすれば、これを改善することには大きな意味があるだろう。
軍隊化によって変わるのはこれだけではない。
武装隊および装備の強化も盛り込まれている。
訓練内容を見直し、既存のストレージデバイスをより高性能なものに取り換えようというものだ。
さらにデバイスの出力上限を廃止することで、現場で活動する武装隊が存分に戦える、という効果もある。
第一線で活躍する武装隊の中には、この考えを支持する者が多かった。
命を賭したような戦いに、規則を気にしていては本来の力は発揮できない。
そればかりか相手に手心を加えることになり、結果として自分だけでなく仲間をも危険に晒すことになる。
武装隊の「武装」という言葉の持つ意味を考えれば、力を持つことに制約を加えること自体が間違っている、という声が多い。
が、それと同じ程度に反対の声もあがっている。
こちらは主に平和主義者で、
「武力による行動は止むを得ないもの。可能な限り行使すべきではない」
という理念が根底にあるようだ。
どちらも正しい。
それぞれに言い分があるが、積極論か消極論かの違いだけで、目指すところは同じだ。
事件の円満な解決。
そのためにどこまで強硬策をとるか、が争点となる。


 アースラが宇宙にただよう管理局に着艦した。
苛烈なミッションを終えての帰還ではなく、定期巡航だったため迎えに来る者はいない。
が、リンディにとってはその方がありがたかった。
1年前の闇の襲撃以来、局内でのリンディへの視線は冷たかった。 特に高官からは彼女たちは、本部の意向に従わない異端児として扱われている。
事実そうであるが、本部の反感を買う最も大きな要因は実はフェイトにあった。
ムドラとの和睦が成立した後、本部は和睦に水を差さないようにと全てのデバイスからエダールモードを取り外すように命令した。
ところがフェイトだけがこれに従っていないことが発覚。
これまでの功績から罪には問われなかったものの、本部の高官からは厳しい目で見られていた。
(居心地が悪いわ・・・・・・仕方のないことだけれど)
すれ違いざまに投げられる敵意のある視線に、リンディは不愉快になった。
自業自得だと言えばそれまでだが、これに動じないほどの無神経さは彼女にはない。
「目を合わせる必要はありませんよ。私たちの居場所はここではありませんから――」
彼女のすぐ横を歩いている士官も、同様に不快感を露にした。
この士官もまた、異端児に手を貸した裏切り者なのだ。
「分かってるわ。でも・・・・・・」
「瑣末なことにこだわっていてはいけません。提督、あなたには大義があります」
士官が囁いた。
リンディはそれに困惑した表情で頷き、17ベイへ足早に向かう。
士官の言うように、リンディたちの居場所は今はここではない。
アースラを逃げ捨てる格好となったリンディは、後ろを振り返らなかった。
彼女には艦長としてよりも、ある意味でははるかに重い役目がある。
先の「管理局軍隊化」に絡むことである。
1か月後にこの提案に対して、是非を問う投票が行われる。
是非を問う、というのは建前で実際は可決か否決かを争うものである。
可決されれば懐疑派の思惑どおり軍隊化が進み、否決されれば管理局は現状を維持する。
反対派であるリンディは反対票を投じるために地上本部へ向かうことを決意。
投票権があるのは提督以上の階級を持つ、およそ1200名。
アースラに届く情報が確かならば、賛成派はうち700名にのぼるという。
現状では数の差で法案が可決されてしまう。
彼女にできるのは演説をし、軍隊化による弊害を訴えること。
少なくとも500名は反対票を投じるだろうが、これではまだまだ足りない。
(1か月で覆せるかしら・・・・・・?)
リンディの不安は尽きない。
賛成派が圧倒的に有利な状況だ。
それだけ多くの高官が軍隊化を容認しているのかと思うと、言い難い苦しみを覚える。
「戦いで命を落とすのはいつも現場の局員なのよ――」
リンディがふと漏らした呟きに、士官は聞こえないフリをした。


 東の空に日輪が鎮座している。 地上本部の尖塔が天空を貫かんばかりに聳立(しょうりつ)し、日輪に手を伸ばしているように見える。
短距離移動用の小型艇を降りたリンディたちは、離着陸スペース横の休憩所で疲れを癒した。
「地上の連中は態度が横柄だな」
グラスを傾けながらヴィクジュース特有の青い液体を飲み干して、士官のひとりが愚痴った。
「世界の平和は自分たちだけが守ってるって驕りがありますね」
小型艇を操縦していた若いパイロットも同調した。
「誰が聞いてるか分からないんだ。余計な事は言わないほうがいいですよ」
副管制官がたしなめた。
この男もアースラクルーの中では若い方だ。
「いいんだよ。どうせ誰もいないんだし」
パイロットは明らかに不愉快そうな顔をした。
彼は知っている。
この副管制官の身内が地上本部に勤務しているのだ。
だから先ほど、諫めるような発言をしたのだ。
「ここが私の戦場なんだわ・・・・・・」
リンディは部下の会話を聞き流して、窓の外を見た。
普段、自分たちがいる場所とは趣きがまったく異なる。
宇宙にいれば昼夜の区別はないし、上や下の概念もない。
アースラの艦長になってからの彼女は、地上よりも宇宙にいる時間の方が長かった。
そこが仕事場なのだから文句は言わない。
が、やはり人間は地上に住まうべき生物なのだと考えるようになったのは、宇宙での滞在が長引いてからだった。
「”私の”ではなく、”私たちの”ですよ」
士官が笑んだ。
「連中に好き勝手やらせるわけにはいきません。戦いましょう、提督」
立ち上がったパイロットも拳を握り締めた、が、すぐにその手を引っ込めて、
「あ、すみません・・・・・・僕みたいな素人がエラそうなこと言ってしまって・・・・・・」
尻すぼみに謝った。
「いいえ――」
リンディはかぶりを振った。
「とても心強いわ。ありがとう――」
軍隊化に賛成の高官が多く集う地上本部に来た時から、彼女は独りで戦う覚悟を決めていた。
現状では反対派も賛成派の勢いに呑まれてしまうかもしれない。
たとえそうなっても、自分だけは意志を絶対に曲げたくない。
周囲が敵だらけでも、軍隊化には断固反対するべきだ、と。
彼女らしい気の持ちようだった。
「さあ、そろそろ行きましょうか」
立ち上がったリンディの顔はいつも以上に険しかった。
「あ、お待ちください、提督」
士官が声をひそめて呼び止めた。
「アースラクルーが遅れて来ることになっているんです」
「え? どういうこと?」
「応援ですよ。提督なきアースラは正常に機能しませんからね。余裕のあるクルーに呼びかけました」
リンディはそんな話は聞いていない。
確かに彼女がいなければ、アースラの航行は基本的に行われない。
本部の指示があった場合でも、艦長代理が就くことで一応の航行はできるが、とれる行動はかなり制限されてしまう。
「投票権があるのは提督、あなただけですが我々も反対の意思を表明することはできます」
「そうですよ。まだまだ時間はあるんですから、皆を説得しましょうよ」
品行方正で穢れを嫌うリンディは、彼女が意図しないうちに頼もしい部下を作り上げていた。
「あなたたち――」
部下にそう励まされるだけで、リンディはすでに涙ぐんでいる。
しかし涙を流すのはまだ早い。
一丸となって戦い、法案を否決に導いた時に初めて涙を流せるのだ。

 30分後。
士官の言ったとおり、10名ほどのアースラクルーがリンディの元に集った。
「ありがとう。よく来てくれたわね」
応援に駆け付けたのは、ほとんどが逞しい武装局員だ。
「我々にできる事があれば何でも言ってください」
「その言葉だけで十分よ」
リンディは即答した。
実際そのとおりだった。
自分にはこれだけの味方がいる。
そう思うだけで不思議と力が湧いてくる。
「では宿舎へ」
全員の顔を見渡してリンディは立ち上がった。
空港から宿舎へは専用のエアタクシーが出ている。
タクシーといっても、10分おきに空港・宿舎間を行き来しているので、定期便の感覚に近い。
「アースラ提督、リンディ・ハラオウンよ」
程なくして到着したタクシーの操縦士に、リンディはそっと耳打ちした。
飾り気のない筒状の本体は黄色で統一されている。
両側には翼があるが、これは機体のバランスを保つためのものではなくただのデザインの一部のようだ。
「リンディ・ハラオウン提督・・・・・・ああ、これですね。後ろの方は護衛ですか?」
操縦士は手元のリストから彼女の名前を探しだした。
「ええ・・・・・・まあ、そんな感じかしら」
部下を護衛と呼ぶのは気が引けるが、ここはそうしておいた方がいいかもしれない。
「ふうん・・・・・・」
操縦士はリストとリンディの顔を交互に何度も見た。
あまり気分の良くない仕草だ。
「念のため、そちらの方々の照合もしてよろしいですか?」
「――どうぞ」
先ほどの視線は士官たちを疑っていたようだ。
「ええと、操縦士ギミルさんに副管制官サイードさん・・・・・・」
リストには存在する全ての艦船とクルーの名前が記されているらしい。
分厚い本のようになったそれを、操縦士は一枚一枚めくっていく。
(どうしてデジタル処理しないのかしら?)
やり方が原始的すぎる。
端末に打ち込めば数分とかからない作業のハズだ。
「すみませんね。最近、ハッカーとかが横行してましてね。こうして手作業で確認してるんですよ」
リンディの心を読んだように操縦士が顔も上げずに言った。 彼女のすぐ横で士官が首をかしげた。
一介のハッカーに侵入されるようなセキュリティしか本部はかけていないのだろうか?
予防という意味では賢明な判断かもしれないが、そのためにどれだけ手続きが遅鈍になっているのか。
この点についてはリンディも納得できない様子だった。
と、思っていると、操縦士は懐から名刺ほどの大きさの端末を取り出して何かを打ち込んだ。
「照合が終わりました。どうぞ」
そう言って手招きする操縦士の瞳は、不気味なほど妖しく光っていた。
(気のせい・・・・・・よね・・・・・・)
リンディがわずかに訝った瞬間、操縦士は右手に収まっていた端末を素早く懐にしまった。
しまう、というよりは隠したと言った方が適切かもしれない。
操縦士はタクシー内できょろきょろと辺りを窺っている。
「あの、どうかしました?」
リンディは乗り込むのを躊躇った。
どうもこの操縦士が気になる。
「ああ、いえ、何でもありませんよ。さあ、どうぞ」
「・・・・・・・・・・・・」
士官たちも顔を見合わせたが、特に乗らない理由もない。
念のため3名の武装隊が先に、その後ろをリンディ以下が続く格好で乗り込んだ。
内部はかなり広い。
総収容人数は操縦士を含めて31人。
中には2人1組で座るように椅子が並んでいるだけだ。
時が時なら窓から見える景色を楽しめたのだが、操縦士の不気味さも合わさってとてもそんな気にはなれない。
「では出発します」
全員が着席したのを確かめ、操縦士が呟いた。
タクシーは底部に青白い光を灯し、かすかな駆動音とともにゆっくりと上昇する。
首都クラナガンの空は蒼い。
上空には数機のヘリが絶えず行き来しているが、窓から見る空はまだ自然の色を残していた。
人間は地を埋め、空にわだかまり、宇宙へと手を伸ばした。
つまりそれだけ多種多様の人間が各地にいるわけで、個々人に見解の相違があることも自然の成り行きだ。
だがリンディには、他者を認め分かり合おう、という余裕はない。
急がなければ管理局は大きな過ちを犯すことになる、と彼女は考えている。
「急がなければ・・・・・・」
「おっしゃる通りです」
士官が耳打ちした。
「管理局に迫る危機は多くの局員が感じていることでしょう。提督の声に、きっと靡いてくれるハズです」
士官は誰にも聞こえない声で言う。
リンディはこの言葉に感謝しつつも、彼が実は無理をしているのではないかと勘繰った。
アースラに属する者だからといって、皆が同じ見解を持つ必要はない。
彼女の傍にいる士官はこう言っているが、彼の本音は軍隊化に賛成かもしれない。
「ロドム、訊いてもいいかしら?」
リンディはアースラを降りてから、初めて士官の名前を呼んだ。
「はい?」
ロドムはこのタイミングで質問が来るとは思っておらず、目を白黒させた。
「あなたはこの件について――」
突如、タクシーが轟音とともに激しく揺れた。
ベルトをしていたため、局員たちは一瞬、腹部と肩とを締め付けられた。
「なんだ、何があった!?」
ロドムが叫んだ。
機体はなおも揺れている。
操縦士は状況把握と機体の立て直しに集中しているのか、ロドムの問いには答えなかった。
「地震・・・・・・なわけないですよね」
最年少の若きパイロット、ギミルだけは程度の低い冗談でこの場を和ませようとした。
空中にいるのだから地震の影響を受けるハズがない、と突っ込む余裕は誰にもない。
「やられた・・・・・・駆動部が」
操縦士は操縦桿を握り締めて小さく吐いた。
「一体何が起こったの?」
ベルトで固定されているリンディは、顔だけを動かしてその範囲で状況を探るしかない。
窓から見えるのは青い空と途切れ途切れに小さな島のように浮かぶ雲だけ。
それ以外に変わったところは何もない。
「操縦士、これはどうなってる! 故障か何かか?」
ロドムが痺れを切らして叫んだ。
彼は今にもベルトを外しそうだ。
「ああ、くそぅ! あんたらのせいだぞッ!」
制御盤をがちゃがちゃといじりながら、操縦士は後ろも見ずに罵った。
「なんで、よりによって私の機に乗ってるのがあんたらなんだ! ああ、悔しい! 訴えてやるからな!!」
意味もわからず罵られ、挙句にこの異常事態の責任を押し付けられたことにリンディは憤りを覚えた。
「ちょっと、あなた! そんな言い方はないでしょう! まずは説明する責任が――」
「狙われてんだよ! ちくしょう! 僕は関係ないのに!!」
・・・・・・駄目だ。
この操縦士は錯乱している。
「提督・・・・・・おっと!」
いつの間にかロドムはベルトを外していた。
機体の揺れに彼は大きくバランスを崩しそうになる。
「ベルトを。ただ事ではないようです」
「ええ・・・・・・」
リンディは言われる前にベルトを外していた。
他の局員も同様に立ち上がる。
これによって振動に対する支えは失ったが、逆に体を自由に動かすことができる。
緊急時――今も十分、緊急といえる事態である――には、タクシーから脱出することも可能だ。
ただしその場合、不本意でも錯乱する操縦士を伴わなければならない。
「さっき、”狙われてる”って言ったわね?」
リンディは座席につかまりながら、操縦士の元へと急いだ。
(・・・・・・・・・・・・!!)
その瞬間に見た。
操縦席の横にある窓。
おそらくこういう時に備えて強化ガラスが採用されているであろう、分厚い透明の壁の向こうで。
何かが光った。
その光は瞬くよりも早く大きく膨れ上がり、こちらに迫ってくる。
(これは・・・・・・!?)
と、思う暇さえ無かった。
音と振動の原因はこれだった。
中空の一点から放たれた光が、恐ろしい速度で飛来し機体にぶつかるたび、タクシーは激しく揺れた。
しかもこの光は明らかに魔力的な攻撃だ。
一度でも直接目で見れば、リンディならそれくらいは分かる。
「狙われてるの!?」
彼女はこの言葉の意味を実感した。
ここからでは太陽が逆行となって、光の放たれる元がよく見えない。
が、これが魔法による攻撃であることと、こちらを狙っていることは間違いないようだ。
「そうだっつってんだろ! 僕じゃない! あんたらが狙われてんだぞッ!」
操縦士の言葉はどんどん汚くなる。
「提督!」
すぐさまロドムが窓際により、防御魔法を展開した。
タクシー全体を包む広域かつ出力の高いバリアだ。
「宿舎まで・・・・・・いや、高度を下げろ! 市街地のぎりぎり上を飛べ!」
ロドムが叫んだ。
「そんなことしたら――」
「死にたいのか!?」
渋る操縦士はロドムに一喝され、仕方なく言うことに従う。
彼の判断は正しかった。
タクシーが一気に高度を下げて市街地の高層ビルに張り付くように飛行すると、攻撃の手が止んだのだ。
局員が窓から空を仰ぎ見た。
しかしこちらを攻撃してきた”敵”の姿はどこにも見えない。
「・・・・・・・・・・・・」
操縦士は手に汗を滲ませながら、しがみつくように操縦桿を握っていた。
「多分もう大丈夫だ」
とロドムがささやいても、一向に力を緩める気配はない。
多分、ではなかった。
エアタクシーは速度を落とし、しかしルートだけは低高度を保ったまま飛行している。
この状態が数分続いたが、再度の攻撃はなかった。

「あれは既定のルートのみを狙った攻撃でしょうね」
ようやく落ち着きを取り戻した機内で、若きパイロット・ギミルが冷静に言った。
「空港・宿舎間は当然、全てのタクシーが同じルートを通りますから、襲撃者はそのどこかに潜んでいればいいわけです」
「でも襲撃者らしい姿は見えなかったわ」
リンディは窓から見た、あの瞬間を思い出した。
「それは分かりませんが、特定のルートを狙う攻撃ならそれが人間である必要はないでしょうね」
ギミルはさらっと言った。
「”人”以外で何か見えませんでしたか?」
「え、ええ・・・・・・見てないわ」
刺すようなギミルの双眸が奇妙に光った気がした。
「先ほどのアクシデントで遅れてしまいましたが、間もなく宿舎に到着します」
タクシーは依然、低飛行を続けている。
「――取り乱してしまい、申し訳ありませんでした」
操縦士は小さく言った。
襲撃の手が止んでしばらくして、操縦士は”狙われている”という言葉の意味を説明した。
何か月か前から、管理局の高官が何者かに襲われる、という事件が起こっているという。
多くは高官らの移動時で、警護の手薄になった瞬間を狙われているという。
今月までですでに10名以上が被害に遭い、うち7名が命を落とした。
捜査当局が調べていくうち、これら被害者にふたつの共通点が見出された。
その共通点は全てが提督以上の高官であること。
もうひとつは、
『時空管理局軍隊化』に反対の意思を表明していることであった。
ということは前者と照らし合わせると、軍隊化に反対し且つ投票権を持つ者、ということになる。
これが推測ではないとするならば、犯人は逆に賛成派という推測が成り立つ。
1か月後の投票で賛成派がより有利に――つまるところ可決に持っていくために反対派を殲滅していく。
今のところ思い当たる線はこれしかない。
「タクシーでの移動中を狙われたことはなかったので、それほど対策を講じていなかったのです」
後に操縦士はそう言った。
「なら主犯は賛成派で決まりじゃないですか? どうしてすぐ逮捕しないんですか?」
武装隊のひとりが口を挟んできた。
「すぐ逮捕できるようなボロは出さないってことさ。それに一人ひとり調べるわけにもいかないだろう」
ロドムが一蹴する。
「ただ明確な証拠はなくても、聞く限りでは賛成派の仕業には間違いないだろうな」
リンディは難しい顔をした。
推測なので賛成派が犯人で間違いないとは言い切れない。
ただそう疑いたくなる条件が揃いすぎているというだけだ。
今回の案について平和的に論じ、平和的に採決という人間らしい行動はとれないのか?
暗殺してでも反対票を減らし、力ずくで可決に運びたいというのか?
・・・・・・なおさら可決させるわけにはいかない。
このような非情な手段を取る者が賛成派の中にいる。
もし軍隊化が実現すれば、そういった愚かな蛮行がまかり通ることになる。
「ん?」
不意にロドムが声をあげた。
「どうかした?」
「いえ、少し気になることがありまして・・・・・・」
「何かしら?」
「い、いえ・・・・・・」
ロドム自身、考えがまとまっていないのか曖昧に返事をする。
「言ってみて」
リンディに促され、彼は頭の中で整理中の疑問について述べることにした。
「決して変な意味ではないのですが・・・・・・なぜ提督が狙われたのかと」
「・・・・・・?」
「反対派ばかりが襲われている。これは分かります。なぜ提督が標的にされたのでしょうか?」
「どういうこと?」
「リンディ提督、一度でも反対を表明したことがありますか?」
「・・・・・・・・・・・・」
リンディは即答しなかった。
できなかった。
記憶をたどるのに時間がかかったからだ。
30秒ほどの沈黙が流れた後、彼女はさらに険しい顔をして、
「私が意思を伝えるとしたら、まずはあなたたちクルーに話すわ」
搾り出すように言った。
「それから――」
「管理局本部には告げているでしょうね」
静かに言ったのはギミルだ。
「最新の情報では賛成派700、反対派500と事前調査の結果が出ていますから、この中に提督も含まれていますね」
「だとしても匿名の調査のハズ。提督がどちらかを知る術はないぞ」
ロドムはギミルに推理の種を投げた。
先ほどの襲撃の話の時も、このギミルはかなり冷静に事態を掴もうとしていた。
若いが冷静な判断力を持ち、頼りになるとロドムは思っている。
彼ならこの挑戦を受けてくれるだろう。
「遠隔地にいる者からすれば匿名ですが、少なくとも回答を送信する時に傍にいた人なら分かります」
ギミルは全く考えることなく答えた。
(やはりそう来るか)
ロドムは予想通りの答えに小さく頷いた。
感情を捨てればこのように冷徹とも思える推理ができる。
が、これを認めればアースラに賛成派と結託している者がいることまで認めなければならない。
「でも、ちょっと待って」
慌てて声をあげたのはリンディだ。
「確かにギミルの言うとおりよ。だけど私の性格から反対派だろうと思う人も多いハズよ」
間違いではない。
リンディ・ハラオウンといえば管理局でも一廉(ひとかど)の人物だ。
優秀で部下からの信頼も厚い。
特に最近では立て続けに大きな事件に関わっているため、彼女の名は管理局でも知れ渡っている。
となれば周囲から見れば彼女の露出は増え、当然のことながら何をどう考えているかの主義主張も伝わってくる。
「仮に私がこの件について何も言わなかったとしたら、私はどちらの人間だと思ったかしら?」
「当然、反対するものと」
「僕もそう思います」
2人はほぼ同時に答えた。
リンディは好戦的な性格ではない。
止むを得ない場合には毅然とした態度をとるが、彼女は常に平和的な解決策を模索している。
彼女をよく知る者であれば、誰もが賛成派ではないと分かるハズだ。
「つまりそういうこと。みんな、私が反対することを知っているのよ」
彼女はこう締めくくることで、ギミルの仮説を覆せたと思っている。
内通者なんてとんでもない話だ。
少なくともアースラにはそんな人間はいない。
リンディはそう信じている。
しかし自身の考えを捨て切れないギミルは、
「あくまで可能性の話です。現に襲撃を受けているのですから、気をつけられたほうがいいです」
拗ねたように言い、その直後、なぜかちらっとロドムを見やった。
ロドムはその視線に気付かないフリをした。

 5分後。
タクシーは無事に宿舎へと到着した。
降り立ったリンディたちは目の前の豪奢な宿舎よりも、背後の無残な機体に目をやった。
数度の魔法攻撃で機体は大きく損傷している。
側面部はへこみ、ガラスも何枚か割れていた。
駆動部はかろうじて機能するものの、ただちに修理が必要なほど損壊していた。
殺傷用の魔法だった、ということがこれで分かる。
「・・・・・・・・・・・・」
襲撃=暗殺、くらいに考えるべきだと誰もが悟った。
特にこの場合、無関係な操縦士まで巻き込まれている。
これからは慎重に動かなければならない。
「ひどいな」
ロドムは目を伏せて言った。
「命があっただけマシですよ」
操縦士は笑った。
「不慮の事故として費用は保険会社から下りますし、運が良かったかもしれませんね」
あの時、取り乱したとは思えないほどの前向きな発言だ。
「ごめんなさい。私たちが乗ったばかりに」
リンディは早くもこの名も知らない操縦士を巻き込んだ自分を悔いた。
しかし彼は柔和な顔で、
「お気になさらず・・・・・・ああ、でも会社に配置換えを頼もうかな・・・・・・」
リンディの苦悩を払いのけた。
「では僕はこれで――」
操縦士は嫌みのひとつも言わず、ボロボロの機体に鞭打って宿舎を離れた。
空港とは違う方向に飛んだのは、近くの修理施設に行くためだろう。
「さあ、私たちも」
タクシーの後ろ姿を見送っていたリンディに、ロドムが声をかけた。
宿舎に着いたとはいえ、ここは屋外だ。
気を休めるなら無事に部屋にたどり着いてからでも遅くはない。
「さあ」
最後まで見送らせることなく、ロドムはやや強引にリンディを誘導した。
やはり武装隊を前後に敷いての移動となる。
首都のほぼ中心にある宿舎は、本来は地方議員のために建設されたものだ。
地上45階、地下3階と周囲のビルに比べれば階層は少ない。
しかし実際に入居している人数を考えれば、この規模で十分であった。 リンディが住まうのは22階の17号室。
両隣の16号室と18号室には彼女の護衛が寝泊まりすることになった。
ただし士官と2名の武装隊は念のため、リンディと同じ室に待機することとなる。
「ごめんなさいね、手間をかけさせて」
部屋に入るなりリンディが言う。
「何をおっしゃいます。当然のことではありませんか」
武装隊のひとりが苦笑しながら返した。
室内はかなり広い。
ドア近くにはキッチン、浴室、手洗いと続き、奥には16帖ほどの部屋が3つつながっている。
1人で住むには贅沢すぎる間取りだ。
「お疲れでしょう。少しお休みになってはどうですか?」
ロドムがソファに腰かけたリンディを気遣った。 肉体的な疲労はもちろん、今は精神的な苦痛のほうが大きいのではないか。
早々から賛成派の仕業と疑わしい襲撃を受け、彼女の心労は相当なハズだ。
「そう、ね・・・・・・」
平素なら無理をしてでも立ち上がるリンディだったが、この時ばかりはすぐに腰をあげない。
「まだ一か月あります。今は体を休めるときですよ」
ロドムは追い討ちをかけた。
賛成派が有利な現状では、1日の遅れが可決に繋がるおそれがある。
こうしている間にも賛成派は次の手段――場合によっては狡猾な――をとってくるかもしれない。
(それにこのソファの座り心地はいい)
彼は不意にそう思った。
さすがに高官に設えられている宿舎だけあって、室内の家具類も高級なものが多い。
この黒光りするソファもそうだ。
何の革か分からないが、高価なことは間違いない。
これに身を埋めてしまったら最後、疲れが完全に取れるまでは動けないだろう。
「そうね。荷物の整理もあるし、活動は明日からにしましょう」
ついにリンディはそう言った。
極上のソファは彼女を休ませることに成功したようだ。
彼女の表情から少しだけ鋭さが抜けたのを感じたロドムは、背を向けて小さく笑った。





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