第10話 病原

(絶体絶命のリンディたち。しかしそこに救いの手が差し伸べられる)

 不気味なほどの静寂が辺りを包む。
笑むデューオを除けば、この戦場に張り詰める空気は独特のものだった。
すでにキューブはリンディたちに一切の退路を与えないように布陣している。
それらの中央に固まった反対派は抵抗する意志こそあるものの、実際は死を待つだけの存在である。
「・・・・・・・・・・・・」
バルディッシュを握る手に熱い何かが走った。
フェイトは視線をクロノに、続いてなのはに送る。
反応があったのはなのはからだった。
彼女は小さく頷くと、レイジングハートを水平よりやや上に向けた。
考えがあってのことではない。
ただ上空の敵を殲滅するべきだと思っただけだった。
そうしたところでこの圧倒的な戦力差を埋められないという点も承知の上だ。
「あっ――!!」
視線を上に向けたなのはが声をあげた。
それにつられてフェイトたちも上空を見やる。
誰も状況を理解できなかった。
空の上から金色に輝く無数のキューブが降ってきたかと思うと、それらが瞬く間に展開した。
「なんだこれは・・・・・・」
デューオの笑みがひきつり、すぐに狼狽へと色を変える。
突然の乱入者は戦場いっぱいに広がり、2色のキューブが空を覆った。
新たに出現したキューブは赤いレーザー光を放ち、デューオの忠実なしもべを屠っていく。
「これは・・・・・・!?」
リンディも狼狽したが、この時は生命の危機から一時的に離脱した嬉しい驚きだった。
状況が読めないが、あの金色のキューブは敵ではないらしい。
「お、間に合ってよかったぜ」
聞き覚えのある声に見上げた先には――。
「ヴィータちゃん!?」
なのはもよく知る人物がいた。
ヴィータだけではない。
シグナムもそこにいた。
「え、シグナム? どうして・・・・・・?」
フェイトも事態を飲み込めない。
「話は後だ・・・・・・あいつだな?」
シグナムは騎士の名に恥じない鋭い眼光をデューオにたたきつけた。
デューオの顔からは完全に笑みが消えている。
彼がとった行動は、さらにキューブを送り込むこと。
シグナム、ヴィータ、シャマルに加え、無数の金色のキューブが増援としてやって来たのだ。
逆転とはいかないまでも、両者の戦力はほぼ等しくなった。
この機を逃す手はない。
入り乱れるレーザー光の中、フェイトたちは水を得た魚のように戦場を駆けた。
援軍として現れた金色のキューブは、時折動きを止めて微細動を繰り返す。
それがどのように作用しているのか、あれほど正確だった敵キューブの攻撃が乱れ始めた。
「今のうちに!!」
戦況は大きく変わったが、それでも優先すべきはリンディの安全を確保することだ。
攻撃に傾きすぎないよう、各々が敵キューブの一角を切り崩していく。
「リンディ提督、こちらへ!」
護衛の誘導に従い、リンディはすばやく戦場を離脱した。
が、その表情はまだ晴れない。
下では数名の局員とフェイトたちが、いまだ戦っているからだ。
「私だけ逃げるわけにはいかないわ! 今からでも――」
「あなたがいないと駄目なのよ!」
凄みのかかった制止に振り返った。
クージョだった。
「投票権があるのはあなた! 反対派の旗印もあなたなのよ! 自覚しなさい!」
それは分かっている。
分かっているが、それは自分のために戦ってくれる仲間を見捨てていい理由にはならない。
「心配いらないわ。私が作ったキューブがあるから」
そう言ってからクージョは俯瞰した。
金色のキューブは命中精度の落ちた銀色のキューブを鉄くずに変えていく。
「まずは安全の確保。それから首謀者を捕まえるわ」
いつの間にかクージョが指示を出し始めている。
が、結果的に彼女たちの登場によって助けられたリンディには口を挟む権利はなかった。
安全を第一に挙げた点からしても、特に異論はない。

 愛剣レヴァンティンを振るうシグナムは凛々しい。
大きく振りかぶり、力任せに斬りつけているようでも、実はそれこそが洗練された戦闘スタイルである。
鋭すぎる切っ先がキューブを真っ二つに引き裂く。
回避能力に優れたキューブでさえ、彼女の素早い一太刀に抗う術はない。
鉄槌グラーフアイゼンを構えたヴィータも勇ましい。
彼女の一撃は繊細さと力強さが混在している。
シュワルベフリーゲンが真紅の光に包まれ宙を舞う。
強力な弾丸の前にはキューブのバリアも役に立たない。
2人の登場で戦局を大きく変えた。
「なんだよ、ずいぶん疲れた顔してんじゃねーか?」
ヴィータがなのはを見て挑戦的な視線を送った。
「うん、ちょっとね・・・・・・」
なのはは苦笑いを浮かべる。
たった今まで死を覚悟していたことが不思議である。
フェイトもわずかに表情をほころばせた。
「情けないぞ、テスタロッサ。もう息があがっているじゃないか」
「え、ええまあ・・・・・・」
こちらも苦笑するしかない。
実際、きわめて厳しい戦いを生き延びてきたのだ。
「ま、あとは私たちに任せろって」
抑揚のない声でヴィータは言うが、そこまで楽観視できる状況でもない。
敵キューブの数は減少する様子を見せない。
すでに数百機を葬ったハズだが、それでも戦場には新たにキューブが補充される。
心強い援軍がいるものの、このままでは戦闘の長期化は免れそうにない。

 

「大変なことになったな」
クッション性に優れた椅子も、今だけは居心地が悪い。
「これは想定外だ」
いつの間にか戦場を抜け出したデューオも同席している。
しかめっ面を向ける3人の老獪と若い男。
いつものメンバーであるが、今回は緊急の招集だった。
「あれはキューブではないか。なぜ連中があれを使えるのだ?」
老人のひとりは危うく立ち上がりそうになった。
事実、ここで腰を据えてゆっくりと談義している暇はない。
早急に今後について話し合い、それに基づいて行動しなければならないのだ。
「分からん。秘密裡に進めていたことなのか、こちらから裏切り者が出たのか――」
言いかけ、老人は若い男を見た。
男はかぶりを振った。
「ともかくもここに留まる理由は無い。一度、ミッドを出るべきぞ」
「賛成ですな」
デューオが頷いた。
「あなた方は先に地下通路を使って空港に出るとよい」
「どうするのだ?」
「連中はわしの顔しか知らん。わしが顔を見せて東に逃げれば必ず追ってくるだろう」
デューオは囮役を引き受けると言った。
「危険だぞ、この状況では」
1人が案じたが、デューオはいつもの厭らしい笑みを浮かべて、
「わしは”魔導師”などには負けん」
と言い切った。
その笑みは少しだけ虚しい。
この部屋の厚い壁の向こうでは、増援を得た反対派とキューブが戦い続けている。
手持ちの戦力は数で圧倒するといっても、所詮は自律兵器だ。
その場その場で的確に判断し、臨機応変に戦う魔導師たちとは違う。
在庫が切れればその時点で負けだ。
「あの・・・・・・」
不意に若い男が口を挟んできた。
「私はどうすれば・・・・・・?」
その問いに場は一時凍りついた。
もともと会合は老人3人で行っており、この男はいわば付き添いだった。
自分たちの身の振り方を考えてはいたが、同席する彼のことを誰も考えていなかった。
「きみには・・・・・・この2人が無事に空港にたどり着けるよう護衛を頼みたい」
明らかに今思いついたことをデューオが言った。
「その後は?」
「自由だ」
「はい?」
「きみが思うとおりに行動してもらって構わない」
「ですが・・・・・・」
男は捨てられたような感覚に陥った。
もともと3人とは法案に賛成ということで繋がりはあるが、手段や主義は相容れない部分が多かった。
希薄な関係の中にも賛成派の一員という思いがあったのが、ここでスッパリと切れた感じだ。
デューオは続ける。
「こういう状況だ。一度解散したほうがよいだろう。きみはきみの判断で法案を可決に導いてくれたまえ」
残虐な強硬策に付き合わせておいて、今さらになって解散だと?
男は怒りがこみ上げるのを自覚していた。
「――分かりました」
しかし口調はとても穏やかに。
怒りを悟られないように最大限に配慮して、彼はもうひとつだけ質問した。
「どこに逃げられるおつもりですか?」
老人たちは顔を見合わせた。
しばらく無言で視線のやりとりをし、老人のひとりが、
「オルコットあたりだな。人の出入りが激しいからうまく紛れ込めるだろう」
と言った。
なるほど、と男はしきりに頷くふりをしながら、オルコットという名前を深く心に刻み込んだ。
これはキーワードだ。
決して忘れてはならないキーワードなのだ。

 

 反対派の勝利は確実に近づいている。
勝利とは窮地を抜け出すという意味であり、本当の勝負は数日後に迫っている投票日だ。
「上空の敵に攻撃を集中させろ」
仕官クラスの魔導師が叫び、デバイスが一斉に上方に向けられる。
円環状の建物から脱した反対派は、外の様子を見て驚いた。
建物の外壁をぐるりと囲むようにキューブが配置されていたのだ。
おそらく虎口を逃れたリンディたちを狙い撃ちにするために忍ばせていたのだろう。
が、金色のキューブが微細動すると、それらの狙撃もあさっての方向へと飛んでいくことになる。
おかげでリンディたちはたやすく難を逃れることができた。
「やるな、テスタロッサ」
「シグナムこそ」
2人は撃墜数を競うようにキューブを屠っていく。
もはやキューブなど敵ではない。
量で押してくるだけで、個々の能力は決して高いものではない。
そのうえ今のキューブは射撃の能力が大幅に落ちている。
こうなれば掃討戦だ。
「こっちだ! 気をつけろ!」
クロノも他の数名と連携をとりながら戦果を挙げている。
四方を壁に囲まれた狭所から外に出たことで、戦域は大きく広がった。
周囲に遮るものがほとんどない環境では、なのはの長所が最大限に活かせる。
彼女は素早くシューターを発生させると、それぞれに複雑な軌道を描かせる。
味方のキューブを蛇行して避け、その向こうの敵キューブにぶつける。
見事な手腕だった。
「なかなかやるじゃねーか!」
そう言うヴィータも負けてはいない。
シュワルベフリーゲンはシューターとは異なり直線的に飛ぶが、速度はこちらの方が上だ。
威力も申し分なく、一発で射線上にあるキューブを数機、一度に撃ち抜くことができる。

「あなたのおかげよ。ありがとう」
戦況を油断なく窺いながら、リンディは礼を言った。
「部下として務めを果たしたまでです。それより遅れてしまったことを私こそ詫びるべきです」
淡々と返したのはロドムだった。
「それともう一人、お礼を言うべきなのは――」
リンディは振り返る。
クージョだ。
学者肌の彼女は戦闘――ましてや今のように前線に立つことなど一度としてなかった。
彼女の戦場は常に内側だ。
頭で考え、練り、それを外に繋げる。
金色のキューブに指示を与えながら、クージョは戦場の苛烈さを初めて知った。
「別にいいわ。あなたを助けに来たわけじゃないもの」
軽口を叩くクージョの表情は強張っている。
素直じゃないな、とリンディは思った。
「嘘ですよ。クージョさんは提督を心配されていましたから」
ロドムが苦笑した。
彼の顔を見れば、クージョの二面性についてはある程度分かる。
「違うわ。これの性能テストがしたかっただけよ」
おそらくこれは本音だろう。
この金色のキューブが彼女の手によって作られたことは明白だ。
そしておそらく、銀色のそれらよりも高性能であることも。
「でもとりあえず言っておくわ。ありがとう」
真正面からの礼に、クージョは横顔で、
「だから違うって言ってるでしょ」
ぼそりと呟く。

 

 多対多の射撃戦は、反対派が押している。
敵キューブの攻撃精度が大きく落ちたためだ。
しかし押していると言っても、数の差はまだ埋まらない。
「キリがねえ!」
ヴィータが舌打ちした。
次から次へと湧き出すキューブを見ながら、なのははやはり自分たちが遊ばれていたのだと気付く。
これだけの機数をデューオはわざと小出しにし、反対派をなぶっていたのだ。
戦いそのものは援軍のおかげでずいぶんと楽になったが、まだまだ油断できない。
「なあ、格納庫探してぶっ叩いたほうが早いんじゃねえか?」
ヴィータらしい発言だ。
確かにそのほうが手っ取り早い。
が、彼女は探す手間までは考えていない。
「いや、あくまでこの場をやりすごすのが目的だ。わざわざ飛び込む必要は無い」
シグナムの抑揚のない声に、ヴィータはイラつきながらも考えを改めてみた。
リンディ含む反対派の救出が最重要事項であって、敵の殲滅は本来の目的ではない。
しかしヴィータの考え方は、
「格納庫潰しちまえば、ここも安全だろ?」
こういうことになる。
「お前もそう思うよな?」
「ええっ?」
急に話を振られ、なのはは困惑した。
そこまで考えてはいない。
今のなのはは目の前の敵を倒すだけで精一杯だ。
「えーっと・・・・・・」
(聞いてなかった、って言ったら怒られるかな?)
曖昧に笑ってごまかす。
「・・・・・・・・・・・・!!」
その笑みが一瞬で凍りつく。
なのはが視線を向けた先。
全員の目がそこに注がれる。
デューオだ。
どこから引っ張り出したか、個人用の小型ヘリが浮上する。
感情が読み取れない表情の彼が、操縦桿を握っている。
「逃がすな!」
誰かが叫んだ。
ヘリは上昇し東へと飛んでいく。
「追いかけなきゃっ!」
なのははそう言ったが、それは難しかった。
周到なデューオはヘリが出現する前から十分な量のキューブを吐き出している。
護衛として用意していたのは明らかだ。
「あんな奴ら、あたしに任せろ! グラーフアイゼン!!」
鉄槌が火を噴いた。
力に任せて振るった一撃が、文字通りキューブを粉砕する。
だがまだ足りない。
ヘリはかなりの速度を出している。
キューブを払いながらの追撃は困難だ。
「ここで逃げられたら・・・・・・!!」
フェイトは珍しく焦っていた。
デューオは紛れも無く反対派にとっても、賛成派にとっても重要人物だ。
彼を捕らえるか、それとも逃してしまうか。
この差が後に与える影響は大きすぎる。
機動力に富むフェイトが先頭を切って追尾する。
3人もそれに続くが、キューブの妨害も激しい。
「テスタロッサ」
「なのは」
2人が同時に呼ぶ。
「お前たち、先に行け!」
「えっ?」
「あいつらの相手はあたしらに任せとけってんだよ」
ヴィータがそう言ったのは、すでに自分たちがキューブに取り囲まれてしまっているからだ。
追撃に集中すれば防御がおろそかになる。
たとえキューブといえども一斉砲火を受けては無事ではすまない。
この選択は正しいといえた。
「でも・・・・・・」
「いいから行けって。あいつさえ捕まえればいいんだろ?」
こう言っている間にもヘリとの距離は離されていく。
「だけど・・・・・・」
ここに来てなのはは渋った。
2人を見捨ててしまうような錯覚に陥る。
「なのは」
フェイトが言った。
「迷うのは後にしよう。今はあの人を追わないと」
それが賢明なのだとフェイトは諭した。
「・・・・・・・・・・・・」
だが、なのはは迷った。
フェイトの言うことは理解できている。
犯人を捕まえられるのならそうすべきだ。
贖罪のためなら、それが一番適切な行動のハズだ。
分かってはいても逡巡してしまう。
その逡巡は命取りだ。
この場合、危機に陥るのはなのはではなくリンディである。
彼を逃せば、賛成派の悪事を白日の下に晒す機会を失う。
それだけはしてはならない。
「うん!」
力強い返事とともにとるべき行動は決まった。
ヴィータ、シグナムが短い詠唱を始め、狙いをヘリにつける。
キューブの護衛対象はデューオだから、この自律兵器は当然ヴィータたちを捕捉する。
その隙にフェイト、なのはがやや迂回するようにヘリを追走する算段だ。
作戦は容易に成功した。
やはり機械には先の先まで判断する能力は無い。
キューブは2人の騎士にべったりと張り付き、肝心のデューオの護衛は手薄となった。
フェイトが高速で駆け、なのはもその後に続いた。
少数なら追走しながらでもキューブを追い落とすことができる。
なのははヘリから目を離さないようにしながら、意識のいくらかを発生させたシューターに向けた。
背後に10機。左右に4機。
ヴィータたちがかなりのキューブを引き付けてくれたようだ。
桜色の光弾が蛇行しながらキューブを屠っていく。
それを数度繰り返し、ついに周囲にはヘリと2人のみが残った。
ヘリはなおも東進する。
もはや邪魔するものは何も無い。
2人は必死に追いかけた。
(あれは・・・・・・?)
前を行くフェイトの視界に、小さな施設が見えた。
発着場だ。
デューオはあそこから別の機体に乗り換えて逃亡を図るつもりなのだろう。
自然、フェイトの速度があがった。
ここでヘリを撃ち落とすこともできたが、デューオが死んでしまっては意味が無い。
もとより殺すつもりなどないのだ。
生きたまま捕らえ、賛成派の暴挙を止めさせること。
リンディもそれを望んでいるハズだ。
「フェイトちゃん、あれ!」
なのはも発着場に気付いた。
「うん、乗り換える前に捕まえないと!」
2人でならそれも難しくない。
ヘリは吸い込まれるように発着場に消えた。
「急ごう!」
2人は一直線に駆け、デューオを追った。

 

 この発着場が最後に使われたのはいつだろうか。
送電はされているが手入れなどはされていないらしく、廃墟のような雰囲気を漂わせている。
ヘリから降り立ったデューオは、勇気ある可愛らしい2人の少女と対峙した。
「デューオさん、降伏して下さい」
フェイトが静かに詰め寄った。
「あなたの野望は終わりです。もうこんなことは・・・・・・やめてください」
高圧的な態度には出ない。
ここで力に任せて逮捕などすれば、それこそ賛成派とやっていることは同じだ。
デューオが悔い改めてくれれば――。
フェイトは甘い考えをした。
「終わり? 野望? わしに野望があるとして、それが何かきみは分かっているのかね?」
老獪は笑う。
フェイトは真剣な目で、
「法案を無理に可決させることですよね? どんな手を使ってでも・・・・・・」
嘲笑を跳ね返すように言った。
「――なるほど。その答えで間違いではないな」
彼はそう言い、金髪の少女を睥睨した。
しかしすぐに踵を返そうとする。
「逃がさないっ!」
なのはが前に出、バインドをしかけた。
が、それよりも早く振り向いたデューオが右手を突き出し――。
「・・・・・・・・・・・・ッ!!」
薄桃色に輝く閃電を指先から放った。
「くぅ・・・・・・ああああぁぁぁぁッッ!!」
不意の一撃になす術もなく、なのはの小さな体は背後の壁に叩きつけられた。
肩から落ちたなのはは全身を駆け抜ける痛みと熱さに立ち上がることができない。
「なのはっ!!」
フェイトは叫ぶが、身を案じこそするものの駆け寄ることはしない。
デューオが今度は自分を狙っているからだ。
思ったとおり、彼は指先をわずかに左にずらし、フェイトめがけて閃電を放つ。
しかしそれが”どのようなもの”であるかを悟ったフェイトは――。
素早く左手を前に出してそれを防ぐ。
「やっぱり・・・・・・そうだったんですね」
効果がないと分かったデューオは放電をすぐにやめた。
「ああ、そうとも」
デューオは自然に笑っていた。
「きみの考えどおり、わしはムドラだ」
バルディッシュでの奇襲をしかけた時に感じた違和感の正体はこれだ。
「なぜ?」
フェイトは問う。
「なぜこんなことを・・・・・・?」
本人が告白する前からフェイトは薄々感づいてはいたが、彼がムドラであるという事実は重大だ。
シェイドらメタリオンが現れるずっと前から、ムドラは管理局に接近していたことになる。
いや、接近というより潜り込んでいたと言うほうが適切だ。
「ふむ、賢明なきみでも分からんことがあるようだな」
手強い。フェイトは思った。
最悪の場合は力ずくで、とも思っていたが相手がムドラとなるとやはり分が悪い。
それに彼女が見てきたムドラは総じて利口で狡猾だ。
シェイドを狡猾だと罵るつもりはないが、彼の知識や知恵は間違いなく管理局に揺さぶりをかけた。
「なぜ、こんなことを――」
フェイトはもう一度言ったが今度は呟きだった。
「それを知りたくば、わしらの邪魔はせんでもらいたいものだな」
デューオは”邪魔”という言葉を強調した。
この単語はもう少し深い意味を持つ。
「言うがよい。賛成派の一味はムドラだとな。きみがそう公表するだけで反対派に有利に世論は動く」
しかし、と彼はすぐに付け足す。
「そうすることで魔導師とムドラの和平は――どうなるかは分からんな」
フェイトは硬直した。
デューオの言うとおりだ。
彼の名前を世間に晒し、賛成派の横暴を訴えることはできる。
そうすれば確実にリンディたちが優位になり、法案の否決も現実味を帯びてくる。
しかし彼がムドラだと言ってしまえばどうだろうか。
魔導師とムドラの間に深い溝ができてしまうのは間違いない。
ムドラが反対派の魔導師を死に追いやったも同然なのだ。
溝どころか怨恨をも買ってしまう。
そうなっては・・・・・・。
シェイドの死が無駄になる。
彼が短い生涯を閉じてまでやったことが意味を成さなくなる。
和平が今度こそ実現不可能な夢へと成り下がる。
デューオの狙いはそれだ、とフェイトは確信した。
わざわざ自分がムドラであると明かした理由はそれなのだ。
すでに時は満ちているのだ。
今やデューオが正体を隠す必要はない。
自身――つまりは残忍な賛成派――がムドラであると公言してしまってもかまわないのだ。
デューオは初めから魔導師と和解するつもりなどない。
「和平の邪魔をするのが狙いなんですね?」
フェイトは強い口調で問うた。
それしか考えられない。
理由は分からないが、一連の活動はやはり和平の妨害につながっている。
つまるところ、ムドラは暴虐で悪辣だと世間に知らしめる意図があるのだろう。
そうして人々の心に憎しみの種を蒔き、再び怨恨による争いが始まる。
「”今は”な」
そう言い、無駄と分かっていながら再び閃電を放つ。
これもフェイトは完全に防ぎきった。
デバイスの助けなしにプラーナを防御できるのは彼女しかいない。
眩い雷光から感じ取れる感情は主に憎悪。
ただシェイドと違い、そこに様々な思惑が入り混じっている。
年長の余裕というか、単純に憎悪と割り切れない想いがあるらしい。
「わしの感情が読み取れたかな?」
デューオは笑った。
「・・・・・・・・・・・・!?」
閃電を受け止めながら相手の心理を読んでいることを、デューオはすでに知っていた。
だから彼は無意味な2度目の攻撃に、わざとフェイトが読み取れるよう感情を乗せた。
フェイトはそれを受け、何かを感じ取ろうとする。
できるハズがない。
仮に読み取ったとしても、それはデューオが意図的に流した偽の感情。
彼の抱く真実は、彼が想像もつかない方法で盗み見るしかない。
「ルーヴェライズはこのあたりの駆け引きが苦手だったようだな」
思いもよらない名前を出され、フェイトは不覚にも動揺してしまった。
シェイドが駆け引きが苦手だった?
そんなハズはない。
彼は知的で、勇敢で、そして一途だった。
頭脳においても、剣技においても誰よりも秀でていた。
「シェイドは関係ない!」
叫んでいた。
たとえ冷静さを欠いていたとしても構わない。
ここは否定しておくべきところだ。
シェイドは崇高なムドラだった。
こんな老獪とは違う。
フェイトはデューオを睨みつけた。
「あるとも。わしも彼も同じ民なのだからな」
彼はまるでフェイトの心情を悟ったように、”民”という言葉を強調した。
「彼の死は残念だったよ。生きていればわしらは手を組み、この世界を支配していたであろうな」
その先を聞くつもりはなかった。
黄金の戦鎌を携えたフェイトは一直線に翔け、鋭い斬撃を見舞う。
デューオはそれを紙一重で躱し、反射的に左手を突き出す。
見えない力が押し寄せ、フェイトは後方に弾き飛ばされた。
やはりムドラは手強い。
何とか踏み止まったフェイトは、追撃に備えるべくバルディッシュを構える。
そのデューオの体が桜色のリングに縛られた。
「忘れていたよ。そういえばきみもいたな」
しっかりと自分の足で立っているなのはは、キッと刺すような目でデューオを見る。
「わしをどうするつもりかね?」
「あなたを管理局に連れて行きます。話を聞かせてください」
なのはは言った。
これは精一杯抑えての発言であろう。
リンディたちを苦しめたこの老人に、なのはは憎悪に近い感情を抱いていた。
少々手荒な方法で叩き伏せ、がんじがらめにして大衆の前にひきずりだしたかった。
が、相手がプラーナを使うのでは分が悪いし、何より彼はムドラだ。
和平を壊すことになるかもしれない。
いろいろと思案し、なのはは”いつもどおり”の手段でいくことにした。
難しい話に自分が介入できるとは思えない。
この事件の黒幕を捕まえる。そこまでがなのはたちの役割だ。
「・・・・・・ふふ、面白いことを言うな、きみは」
「・・・・・・・・・・・?」
「管理局に連れて行く? わしは”ずっと”管理局に居たが・・・・・・?」
そうなのだ。
彼はおそらく、なのはやフェイトが生まれる前から管理局に属していたのだ。
言葉どおりに、彼は”ずっと”欺いていたのだ。
しかもプラーナも使わず、ムドラであることも悟らせず。
バインドが音を立てて割れた。
(・・・・・・・・・・・・ッ!!)
2人がほぼ同時にランサーとシューターを放った。
12個の光球が不規則に飛ぶ。
ムドラに魔法での攻撃は有用ではない。
まして牽制程度のこれでは傷ひとつ負わせることはできない。
デューオはすっと左手をあげた。
たったそれだけの動作で光球はあらぬ方向へと進路をねじ曲げられた。
「はあああぁぁぁっっ!!」
しかし本命の一撃はこちらだ。
凄まじい速度で弧を描き、戦鎌を振りかぶったフェイトは――。
渾身の力を込めてそれを振り下ろす。
ためらいなど必要ない。
「うむ・・・・・・!」
この局面で使い古された奇襲が来るとは思っていなかったのか。
デューオはフェイトに対して無防備だった。
長年の勘からくる反射的な体さばきが、かろうじて直撃を受けることを回避した。
が、切っ先が左肩から脇腹にかけてをかすめた。
出血こそなかったものの、この一撃は彼に痛みを伴わせた。
追撃は――ない。
彼がほとんど無意識に放ったプラーナの波が、フェイトの体を再び吹き飛ばしたからだ。
(今のは油断したな)
デューオはその程度にしか思っていない。
わずかに打撃を与えたとはいえ、状況は何も変わっていないのだ。
魔導師はムドラには勝てない。
フェイト対シェイドの一戦を除いて、必ずこの関係が成り立つハズなのだ。
しかし目の前の少女たちは諦めていない。
ついに主犯を追い詰めたのだ。
ここで諦める理由などない。
なのははプラーナを警戒してやや退き気味に構えた。
いかに強力なバリアを展開しても、あの閃電の前には無力だ。
それが分かっているから敢えて前には出ない。
が、このままで埒があかないから2人は近いうちに必ず踏み込んでくる。
デューオはその瞬間にプラーナで振り払えばそれですむ。
先ほどのフェイトの奇襲もあってか、彼はいつもより慎重になった。
しかしその慎重さが仇になった。
強い魔力の塊がやって来ている。
その正体はすぐに分かった。
「デューオ閣下!」
量産型のデバイスを真っ直ぐに向ける少年がいる。
この少年はデューオを捕らえたくてウズウズしているハズだ。
とても母親思いだから。
正義感が強いから。
冷静なくせに激情家だ。
「あなたの負けです。おとなしく投降してください」
口調にはいくらか平静さが戻っていた。
「残念だがそのつもりはないな」
思いきり憎たらしく答えるデューオに、クロノはデバイスを握る手に力を込めた。
「従わないなら力ずくでも止めます」
「母親にそうするよう言われたのかね?」
これも挑発だ。
「あなたを逮捕する!」
やはり彼は激昂した。
(年長者に対する口の利き方を教えてやらねばな)
何かを詠唱しかけたクロノを閃電で弾き飛ばす。
小さな体が宙を滑り壁に叩きつけられた。
「クロノ君!」
なのはが駆け寄る。
「なのは!」
フェイトが叫んだ時には、蛇行する閃電が今度はなのはを吹き飛ばす。
「あぁっ!!」
憎悪を伴って発生する雷は、それを受けた者の外から内へ、内から外へと駆け巡る。
「この――!!」
考える間もなくフェイトは飛んだ。
捕らえるという思考では駄目だ。
ここは野蛮だが彼を倒すしかない。
(・・・・・・・・・・・・!?)
甘かった。
フェイトは見えない力に持ち上げられた。
呼吸ができない。
「プラーナを侮るとはきみらしくないな」
指をはじくと、フェイトはなす術もなく地面に叩きつけられる。
しかし直前に背面に発生させた魔力が衝撃を和らげた。
「ふむ、抜け目がない。その判断力はきみに大いに力を与えるだろう」
全ての知識を弟子に伝授した師のように、彼は満面の笑みを浮かべてフェイトを見下げた。
「さて、せっかく来てもらったところに申し訳ないが、わしも忙しくてな。
長くきみたちの相手はしておれんのだよ」
3対1。
いかに贔屓目に見ても不利な立場であるデューオは踵を返した。
貴族を思わせる優雅な所作がこの戦いの場には不釣合いだ。
「待て!」
クロノは叫ぶが先ほどの激痛のためか、満足に立ち上がることすらできない。
「革命の時は間もなくだ。きみたちは幸運にもその瞬間に立ち会えるのだぞ」
彼は悠然と歩き出す。
なのはがゆっくりと立ち上がった。
(あいつは背を向けていて無防備だ。今のうちに――)
クロノが視線で合図を送る。
それを受けてレイジングハートを傾ける。
発射の直前まで魔力の発生を気取られてはならない。
デューオが油断している今がチャンスなのだ。
これをしくじれば次はない。
「――――ッッ!?」
だが奇襲はそれを始める前から失敗に終わっていた。
20機を超えるキューブがどこからともなく現れたのだ。
デューオは肩越しに振り返り、
「誰もわしらを止められんよ」
目を細めてそう言うと施設の向こうに消えた。
「くそっ!」
クロノは気力で立ち上がったが体が言うことを聞かない。
「来る!!」
すでに体勢を立て直していたフェイトは横目にデューオの後ろ姿を見ながら、キューブの攻撃に備える。
彼の行く先には着床スペースがある。
そこで長距離移動用の航空機に乗り換えて逃亡を図るのだろう。
容易に想像のつく展開にフェイトはそっとなのはに目配せした。
なのははその意味をすぐに理解し、無言のまま頷いた。
彼女はふとしたキッカケで強大な魔力を誇る魔導師になったが、己の力量は弁えている。
この中でデューオと対等に渡り合えるのはフェイトしかいない。
要はキューブを引き付けてほしい、という意味の合図だった。
なのはがデバイスを構えなおすと同時に、フェイトはその脇をすり抜けてデューオを追った。
キューブがフェイトめがけてレーザーを放つ。
だがそれが命中するより先に桜色のシューターが無機質な戦闘兵器を屠っていく。
「フェイトちゃん、行って!!」
どこからか湧き出したキューブが辺りに蟠り始めた。
漸く痛みから解放されたクロノも迎撃にあたる。
フェイトは背中でそれに応えると、凄まじい速さで発着場を駆け抜けた。

 

「きみの執念深さには恐れ入ったな」
次元間航行能力を持つ航空機の前で、デューオはため息交じりに言った。
彼が視界の中に捉える少女は正義感からか使命感からか、歳に似合わない凛と表情をしている。
その顔つきに相応しいだけの実力を持っていることを知っているデューオは笑うのを止めた。
侮れない相手なのだ。
魔導師がムドラに勝つなど不可能なハズなのに、彼女はそれを覆した。
シェイドというムドラの民に勝利した。
その過去がデューオから過度の驕りを奪っている。
「どうしてこんなことを・・・・・・? 私たちはやっと和平を――」
感極まってフェイトは最後まで言葉にすることができない。
和解したと思っていた両種族がこれをキッカケに再び敵対すれば、シェイドの死が無駄になる。
フェイトはただそれを恐れた。
「きみたちはいつもそうだな・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・?」
「そうやって過去、現在と何度自分たちの考えを押し付けてきた?」
「なにを――?」
「強い者が全てを支配し、全てを決め、自分たちが正しい、正義であると錯覚して自分たちの基準を押し付ける。
力を魔法に頼る魔導師どもの思考の構造は今も昔も全く変わっておらん」
デューオにしては珍しく、憎悪を孕んだ口調だった。
「敗れた者は一切の権利を喪失し、勝者に屈する。それがきみたちの言う”正しさ”だったな?」
「・・・・・・・・・・・・」
「きみもそうだったのではないかな? たった一度の敗北であの少女に感化され引きずり込まれたのではないかね?」
「違います!」
なのはの事を言っているのだとすぐに理解したフェイトは反射的に声を荒らげていた。
「私たちは自分の考えを押し付けたりしません」
「ではなぜ今、わしを止める?」
「話し合うためです。言葉もなく傷つけ合うだけでは何も解決しません。ですから――」
「・・・・・・きみも変わったな。”話し合うだけでは何も伝わらない”とあの少女を斬り捨てた勇ましさはどこに行った?
わしはな、魔導師と雖もきみだけはムドラに近い性質だと思っているのだよ」
シェイドに似た挑発めいた発言だが、彼はやはり笑みを浮かべることはなかった。
「気高さ、凛々しさ、力強さ・・・・・・プラーナに通ずるその力も――ああ、そうだ。
きみがムドラに近いからこそ、きみはルーヴェライズを下したのだな・・・・・・うむ、実に簡単なことだ」
フェイトはバルディッシュを老獪に向けた。
これ以上、耳を貸してはならない。
彼女はそう直感したのだ。
話し合いは――この残忍で狡猾な老爺の自由を奪ってからでなければ危険だ。
「きみがいなければ彼は死なずに済んだ――分かるかね? きみが彼を殺したのだ」
「違うッッ!」
「スマートではないが・・・・・・わしはきみが――」
「・・・・・・ッッ!?」
咄嗟にフェイトがバルディッシュに魔力を送り込む。
戦斧が黄金に輝き、眩い光球を発生させた。
「――憎いのだよ!!」
デューオが右手を突き出した。
同時に放たれる凄まじいプラーナの波が、勇猛果敢な少女を遥か後方に吹き飛ばした。
「うっ・・・・・・」
壁に叩きつけられたフェイトは強か背中を打ちつけ、そのまま塵埃まみれの床に転がり落ちた。
全身を駆け巡る激痛に呼吸ができない。
だが意識だけはしっかり保っていたフェイトは、苦悶の表情でデューオを見やる。
「ここできみを殺すのは容易いが、今しばらく生かしておくことにしよう。
”和平の使者”としてまだまだ活躍してもらわなければならんからな」
既に多くの意味での戦いに勝利している彼は、どこかで見たような艶美な笑みを浮かべた。
「デューオさん・・・・・・あなたは――」
フェイトはあくまで彼の心変わりに期待した。
相手は意思を持たないモンスターではない。
言語を操り、思考を持つ同じ人間だ。
「・・・・・・・・・・・・」
しかし彼は蔑むような視線を投げかけると、優雅に身を翻して航空機の中へと消えた。
プラーナに対抗する術を持たない魔導師は、恨めしげにその後ろ姿を睥睨するしかできなかった。

 

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