ひとつの戦いが終わった時、そこにはいつも勝者と敗者がいるハズだった。
いくらかの犠牲を払ってでも得たいものを得た側と。
多くの犠牲を伴った挙句に何も得られなかった側が。
それらが確かに存在することが、戦いを定義付ける。
だが、今回ばかりは違った。
勝者も敗者も同じだけ失った。
そもそもこの戦いでは誰が勝者で、誰が敗者かさえ曖昧だった。
誰もそれを認識できないのだ。
もはやこの争いが誰の、何の為のものであったかさえも。
霞の向こうに消えつつあった。
「・・・・・・・・・・・・」
リンディは虚しかった。
勝利を喜ぶことも、犠牲者を悼むことも。
今の彼女にはできなかった。





飛び交うキューブを前にひとり、またひとりと仲間が倒れていく。
クージョが寄越した援護も、圧倒的多数の旧式の前では局員たちを守るには及ばない。
歴戦の魔導師も、優秀な士官も活路を見出せない。
この戦いを生き延びる方法はひとつしかなかった。
デューオの放ったキューブの残骸を持ち帰り、クージョに引き渡すこと。
あとは彼女がその残骸からデータを解析し、命令に使っている信号の周波数を割り出す。
そうすることでしか管理局は生き残れない。
彼らは命懸けで戦った。
できれば無傷で――というリクエストに応えるために彼らは戦った。
出力を抑えられたデバイスから光が伸び、銀色の箱を突き破る。
だがそれとほぼ同時に放たれたレーザー光が、魔導師のひとりを撃ち落とす。
「敵の左翼を狙えッ!」
誰かが叫んだが、もはや作戦と呼べるものではなかった。
中空を自在に飛び回るキューブの群れは、瞬きをする間に陣形を変えてしまう。
リンディhは意識を集中させてドーム状のバリアを形成した。
八方から迫るレーザー光への、彼女が作る最後の砦だ。
手練の武装隊が群れに飛び込み、キューブの背後に回りこんだ。
素早く掌をあてがい、自身の魔力を注ぎ込む。
キューブが音も立てずに機能を停止させた。
「確保した! 誰か! 急いでこれを彼女の元へ!!」
その声を聞きつけ、2人の局員が駆け寄る。
ひとりがキューブを抱え、他方が援護する。
「確保に成功した! 第3隊、第4隊は彼らを守れ! 残りはここで持ちこたえるんだ!」
敵キューブを無力化できるかどうかはこの作戦に託されている。
リンディたちは必死に戦った。
光が瞬き、キューブを焼く。
降り注いだ光が魔導師を貫く。
彼らの強固なシールドも集中砲火を前に破られ、最も前にいた武装局員が倒れた。
敵の動きは速い。
これを封じ込める有用な魔法がどこかから放たれ、鮮やかな鎖がキューブを中空に繋ぎ止めた。
「応援に来たよ!」
キューブに負けない速さで宙を舞い、突き出した拳が銀色の外殻を打ち破る。
標的を一瞬見失った自律兵器は闖入者――アルフの背後に回りこむ。
だがこの行動は間違いだった。
アルフは振り返ることもせずに踵でキューブを蹴り上げた。
その間にさらに3機のキューブが迫る。
たった一度。
発射口から光を放てば、無防備な彼女を貫くことができたハズだった。
だがその時は永遠に来ない。
もうひとつの、鮮やかな緑色の鎖がアルフを狙っていた全てのキューブを磔にしたからだ。
「ユーノ!?」
「早く! 今のうちに!!」
驚いている暇はない。
上空で魔法を展開したユーノは、少なくとも20機以上の敵を縛り付けている。
このうちのひとつでも決壊すれば、自由を取り戻したキューブは自分たちを拘束する厄介な敵をまず撃ち抜こうとするだろう。
「すぐに片付けるさ!!」
アルフは主フェイトのように自在に中空を舞った。
魔力を纏わせた拳を叩きつける。
耐久性に乏しいキューブは圧縮された魔力をまともに受けて大破した。
ユーノにもアルフにも、守りたいものがあった。
誰もが好き好んで争いを起こしたがらない。
彼らもまた、平和を愛しているのだった。
魔導師やムドラといった垣根のない世界。
誰もが当たり前に幸せを享受できる世界を、2人は願っていた。
メタリオンとの戦いはそのために必要だった。
彼らの犠牲が和平を作ってくれる。
その邪魔をする者を――2人は決して許さない。
上空で動きがあったことで、リンディたちもいくらか自由に行動ができるようになった。
だが敵の数は依然として多い。
ほんの少しの油断が取り返しのつかない事態を招くことを、ここにいる誰もが心得ている。
だから彼女たちはいつも全力だった。
「北側からさらに敵機!」
武装兵が叫ぶ頃には、空の向こうから数十機のキューブが迫っていた。
「数が多すぎる!!」
管理局は常に数で圧倒されていた。
連携では終始優位に立てるハズだが、この戦力差では有効な戦術など存在しない。
(クージョ・・・・・・何をしてるのよ・・・・・・!!)
リンディにしては珍しく、筋違いの不満をクージョにぶつけた。
キューブの残骸の回収は成功している。
ここからはあのプライドの高い怜悧な女性の力が必要だ。
もしこの戦いが長引けば――。
たったひとりが想いのままに操る世界の完成を許してしまうだろう。
それだけは防がなければならなかった。
これまでに流れた血を無駄にしないためには。
「みんな、もう少し・・・・・・あと少しだけ持ちこたえて! クージョがきっとキューブを止めてくれるわ!」
フェイトの新しい母親は、最後の最後まで希望を失わなかった。





この12分後に、全てが終わった。
突如、戦場に割り込んできた黄金のキューブが中空に素早く展開し、微細動する。
目には見えない、音にも聴こえない。
しかし確かなメッセージが、このキューブから発信された。
それはデューオが魔導師討滅のために用いたものと同一の周波数で拡散した。
白銀のキューブは敵も味方も定めることはなくなり、武装を解除して停滞する。
この瞬間に、戦いは終わったのだ。

”戦闘行動の停止”

クージョはこのシンプルな命令を黄金のキューブに託した。
彼女は自分の仕事には常に責任と誇りを持っている。
局員たちが殆ど無傷のキューブを研究所に運んだ来る前から、彼女の戦いは始まっていた。
有能なスタッフと力を合わせ、施設の設備をフル稼働させる。
万が一、キューブの回収が叶わなかった場合を想定し、有志数名でデューオの使っている周波数を割り出す。
天文学的な波の数から、たったひとつのそれを探し当てる試行は――全て手作業だった。
チューニングの要領で厖大な組み合わせから、唯一の正解を導き出す。
気の遠くなるような作業だったが、誰もそれを苦とは思わなかった。
手を止めれば、それだけデューオの勝利が近づいてしまう。
救えるハズの命を救えなくなってしまう。
「クージョ先生!!」
強要したわけでもないのに、ここのスタッフは彼女をこう呼ぶ。
先生と呼ばれるほど立派な人間ではない、と彼女は想っていたがいつしかその呼称が心地よくなり、
決して驕慢になるなと戒めながらそれを受け容れていた。
「キューブ捕獲に成功したようです! 今、リンディ提督の武装隊の方が・・・・・・」
「状態は?」
「安全のために発射口は破壊されていますが、基幹部の損傷はありません」
「よくやったわ!!」
ボディの損傷などは問題ではない。
指令に使う信号の周波数・・・・・・それを読み取る部分さえ無事であればよいのだ。
「すぐに解析するわ。あなたたちも手伝って!」
言われるより先にスタッフは動いていた。
ここでクージョはかつての自身の行いに感謝した。
ごく基本的な性能しか持たせていなかった旧式のキューブには、敵勢力に捕獲された際に機密の漏洩を防ぐための、
いわゆる自爆装置が搭載されていなかった。
コンパクトなボディにそれだけの機能を付加する余裕がなかったから、というのが大きな理由だがその欠点が今は都合よく働いている。
おかげで彼女たちは安全に解析作業に移ることができた。
完了までは5分もかからない。
この白銀の兵器を作ったのは、誰あろうクージョ自身なのだ。
構造の全てはこれを使って世界を蹂躙しようとしているデューオよりも知り尽くしている。
「これね・・・・・・」
基幹から伸びた数本のコードが、モニタに情報を出力する。
「特定できたわ。F2078150・・・・・・4477984・・・・・・」
「確認しました。指令08Bをこの周波数に設定し、キューブUの第1指令に書き換えます」
「更新された同機を順次ミッドチルダ全域、メイランド、リートランドに向けて射出します」
「最後の仕事よ! 急いで! 私はこの一帯の命令を書き換えるわ!」
クージョは後の仕事を近くにいたスタッフに任せ、数名の後進を率いて施設屋上を目指した。
デューオは魔導師だけでなく、この施設の通信設備も攻撃の対象にしておくべきだった。
屋上に駆け上がった彼女は巨大なアンテナの裏側に回り、制御盤を剥き出しにした。
管理責任者だけに付与されたパスコードを入力し、制御可能の状態にする。
設備の稼働状態を受信から送信に切り替え、先ほど解析した周波数を打ち込む、
これでこの一帯を飛び交う旧式のキューブは、全てクージョの思うままに動かす事ができる。
だが周波数が切り替わり、それが広域に発信される一瞬前に――。
上空から放たれたレーザー光が、彼女の胸を貫いた。
何事が起こったのか、彼女にはすぐには理解できなかった。
ぐらりと地面が揺れ、足が何も踏まなくなり。
クージョの体は灰色の地面に横たわっていた。
「先生ッッ!!」
全身に焼けるような痛みを感じながら、クージョは動かない体を動かして声のするほうを見た。
「まだ、よ・・・・・・早く・・・・・・指令・・・・・・を、出しなさい・・・・・・」
設備から発信されたのは、あくまでデューオが指令に使っているのと同じ周波数の電波だけだ。
ここで攻撃中止の命令を発信することで、初めてキューブを無力化できる。
クージョは制御盤に手を伸ばした。
しかし指先は虚しく空間に触れるのみだった。
スタッフのひとりが慌てて制御盤に駆け寄る。
”戦闘行動の停止”を意味するコードを入力する。
指令が書き換わり、施設から放たれた電波が一帯の全てのキューブに作用する。
中空に漂っている銀色の物体が完全に静止したのを見て、スタッフらはクージョの体を抱き起こした。
「少し・・・・・・少し、だけ・・・・・・遅かったわね・・・・・・」
彼女は囁くように言った。
「先生、しっかりしてください! 終わったんです! 奴らは完全に止まったんですよ!?」
「ええ、分かってるわ・・・・・・それが私の策なんだから」
言葉を発するたびに、クージョは激痛に見舞われた。
痛みはすぐに熱になり、全身を駆け巡る。
彼女は誰かが走り去る音を聞いた。
ここにいるのは優れた頭脳を持つ科学者の卵だ。
運の悪いことに治癒の魔法に秀でた者はいない。
おおかた救護班を呼びに行ったのだろうと考えたクージョは、
「いいのよ、もう・・・・・・」
その背中に向かって弱々しく呟いた。
「これが・・・・・私なりの、償い・・・・・・なの・・・・・・」
「先生――」
残ったスタッフは彼女の一言一句を聞き漏らすまいとした。
「すぐに救護隊が来ます。どうか・・・・・・もう少しの辛抱です、先生――」
まだまだ彼女に教わりたい彼らは必死にその命をつなぎとめようとする。
だが彼女自身は既に生を諦め、ゆるやかに迫ってくる死を迎え入れようとする。
「私はおそろしいものを作ってしまったのよ。人の意思でどうにでも動く兵器を作ってしまったの。
誰かを助けるハズだったキューブが・・・・・・ただの人殺しの道具にされてしまったのよ・・・・・・。
それを作ってしまった私は・・・・・・ずっと・・・・・・何の責任もとれないままだった・・・・・・・・・・・・」
クージョの声はもう殆ど風に溶けて、誰の耳にも幽かにしか届かない。
だが彼らはしっかりとそれを聞き届けた。
もしかしたらこれが敬愛する彼女の、最後の言葉になるかもしれないのだ。
「あなたたちは優秀よ、私よりも、ずっと・・・・・・だから、これだけは忘れないでほしいの・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「どんなに優れた物も・・・・・・それを使う人間の心次第で正にも邪にもなるわ。
時代が求めれば――あなたたちはあらゆるモノを生み出せるハズよ。
それがたとえ・・・・・・人を殺す道具、戦争のための武器だったとしても・・・・・・」
クージョは戒めているのではない。
己の過去を振り返っていた。
たった一度の挫折と数々の栄光、その果ての、あまりに愚かな自身の結末を。
「私のようになっては駄目よ・・・・・・あなたたちは・・・・・・・。
その頭脳を・・・・・・平和の、ために使って・・・・・・誰も・・・・・・・・・・・・」
ひとつの命が終わりを迎えた。
彼女のこれまでの全てを死が冷たく抱き取る。
自身が産み出した自慢の作品に射抜かれ――。
稀代の科学者クージョはその一生を終えた。
悲劇的な皮肉の後、彼女が遺したのはキューブの設計図と、有能な後進への悪い見本だった。

 

 

 

 

 

 第20話 治癒

 

 

 

 

 

 これがこの戦いの結末だった。
戦いを引き起こした者も、彼に大量殺戮の道具を与えた者も。
これに巻き込まれた多くの高官、局員、魔導師も。
混乱の中で命を落とした。
あまりに多くのものを喪い、生き延びた者たちは勝利を感じる事も、勝利によって得るものもなかった。
これはたんなる逆行だった。
築き上げた文化、文明をただ壊すだけの。
無意味な戦いだったのだ。
「・・・・・・・・・・・・」
この戦いはいったい何だったのか。
管理局地上本部を吹き抜ける風に嬲られながら、フェイトは思った。
和平を妨げようとしたデューオを退けたのは、間違いなくこの世界にとっては前進だった。
彼がムドラの民であった事実は最大の皮肉だったが、軍隊化を食い止めたことは大きな成果だったハズだ。
だが、全てが終わり、ほんの少しの時が経った後・・・・・・。
人々の手には何も残らなかった。
彼らが残した教訓さえなかった。
「何だったんだろうね――」
少女の傍らに立つ使い魔は、主と同じことを思った。
「騒ぎを起こした奴は死んじまって、法案も否決。ちっとも報われないよ」
アルフは言葉を選んで言った。
争いが起こる時、その動機の殆どは利益の奪取だ。
自分が持っていないものを手に入れるために、人は誰かと争う。
決して喪うための争いではなかったハズなのだ。
「私は――」
少女は、
「シェイドの想いを守れてよかったと思う・・・・・・」
こう思い込むことで戦いを意味あるものにしようとした。
この一連の事件が全て無駄だというのなら、犠牲になった人々が報われない。
「和解ってのはさ、やっぱり難しいもんなんだよ・・・・・・」
アルフは遠くを見て呟いた。
「みんな同じ考え方してるってわけじゃないからさ。折り合いがつかなきゃ揉め事も起こる――それは仕方がないんだ」
「うん・・・・・・」
否定はできなかった。
母プレシアのために彼女たちもまた、デューオほどではないにしても敵対する者と対立し、戦いを繰り返してきた。
善と悪は必ず隣り合わせだから。
第三者の視点に立てば、当事者のどちらもが善で、どちらもが悪であることをフェイトもアルフも知っている。
それだけにデューオを絶対の悪と決め付けることができない。
「正しいとか、間違ってるとか、誰かが決めてくれれば楽なのにね・・・・・・」
力なく返すフェイトには、もちろんどちらが正しかったかは分からない。
魔導師とムドラが共に手をとり、歩むこと。
これが彼女の願いだが、そもそもはシェイドとの戦いを通して培った思想だ。
今、彼女はその信念が自分から抱いたものなのか、シェイドから受け継いだものなのか分からなくなった。
ただ、それが自分にとっての正義、理想であることだけは間違いなかった。
それと同じようにデューオにとっては和平を壊すことが理想であり正義であった。
賛成派にとっては管理局の軍隊化こそが正しい世界の有り様なのだった。
人が人であり続ける限り、争いは無くならない。
たとえば数年のうちにデューオと全く同じ思想の持ち主が現れ、これと同じことをする可能性さえある。
「自分で正しいって思うしかないのかもしれないね」
善も悪も、正も邪も、全ては自分が決める。
その上で対立する者と折り合いをつけていく。
それが最近になって芽生えた、アルフの偽らざる持論だった。
「平和が一番だってのは多分、みんなが思ってることだよ。ただ、それがどういうものかってのが人それぞれで違うんだ。
私も・・・・・・あいつが創ろうとした世界には賛成さ。魔導師もムドラも、もう争わない世界にね」
アルフは笑った。
彼女は使い魔だ。
主の行動を諌めることはあっても、精神の根底はいつも主と繋がっている。
「ここにいたのか」
風とともに声が運ばれ、2人はおもむろに振り返った。
「本部が正式に事件の収束を発表した」
この少年、クロノ・ハラオウンはいつも冷静だ。
まるで感情が無いかのように淡々と、必要な事柄を述べる。
「さすがに今回は早かったね・・・・・・」
アルフが溜め息まじりに言った。
「主犯の正体も動機も明らかだったし、それに――」
テミステー、ブロンテスの2人も取り調べに協力的なため早期に決着した、と彼は続けた。
「クロノ、あの・・・・・・ビオドールさんはどうなるの?」
少年は咄嗟に顔を伏せた。
残酷な結末のひとつだが、隠すわけにはいかない。
「あの人は・・・・・・ビオドール提督は逮捕されたよ。殺人の容疑でね・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
その答えをフェイトは半ば予想していた。
たとえ相手が世界を混乱に陥れたデューオであっても、彼がとった行動は間違いなく”殺人”だった。
その行為に対して法は適切に処分しようとしているのだ。
「納得いかないね」
というアルフに、
「状況が状況だ。司法もそこまで冷徹じゃない。見方によっては提督の行動は世界を救ったことになるんだ。
審理が進めば一転して無罪も有り得る。僕としては――」
クロノは、
「そうなってほしい・・・・・・いや、そうなるべきだと思う」
珍しく自分の考えを口にした。
「僕は・・・・・・フェイト、アルフ、きみたちには悪いけど――誰も悪くなかったと思う」
「どういうことだい?」
「僕たち管理局もそうだけど、戦って勝って、それで自分たちが正しいと信じる道を進んでる。
でも敗けたからといってそれが間違いだったとは思えない。僕は・・・・・・デューオ閣下のやろうとした事も・・・・・・。
あの人にとってはあれが正義で、あれが自分が信じていた道だったのかも――」
「・・・・・・・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「私たちも同じこと考えてた」
フェイトが包み込むように言った。
「きっと人の数だけ考え方があって、だから争いが起こるのは仕方がないんだって。
大切なのは安易に力で捻じ伏せるんじゃなくて、お互い分かり合えるまで話し合うことなんだって・・・・・・。
私は・・・・・・クロノやなのは、みんなから教えてもらったんだよ?」
彼女は通った声で言うが、もちろんそれだけでない事は皆が知っていた。
話し合えない状況になれば――この少女は臆することなく戦うのだ。
勝つためではなく、歩み寄るために。
それが真の強さであり、真の優しさだ。
「こんな結末になってしまったが、賛成派そのものは今も生きてる。たとえデューオ閣下がいなくても・・・・・・」
「分かってる」
もう、分かっていることなのだ。
争いは避けられないのだ。
魔導師とムドラの民。
少なくともここだけでふたつの、異なる種族がいる。
さらにその種族の中にも違う考えを持つ者がいる。
近いうちか、遠い未来か、人々は同じことを繰り返すに違いない。
それを止めるのは人の力だ。
力ではなく、対話で解決するのは人だ。
当初からリンディが目指していたもの――。
デューオ・マソナの死がそのことの重大さを教えてくれた。
「ムドラとの和平・・・・・・それが私たちの考える”正しい道”だよ。私はそれを信じてるから・・・・・・」
「フェイト・・・・・・」
「だから今回の事件が――難しいことかも知れないけど和平のために役立てば・・・・・・そう思うんだ」
「和平の役に?」
クロノが問うた。
「うん。シェイドたちとも最初は対立してた。命のやり取りをしていたんだ。でも、今は違う。シェイドたちと分かり合えた。
分かり合えたから、こうして和平のために進んでるんだと思う。デューオさんのしたことは・・・・・・許せないけれど。
でも、無駄にはしたくないんだ――今回のこと」
戦いで失ってはいけない。
戦いで何かを得なければならない。
フェイトは思った。
そうでなければ――。
デューオ・マソナの起こした事件で失ったことだけでなく。
シェイドの死すら無駄になってしまう。
少女はそれをただ恐れた。
彼の生きていた証は遺っている。
アースラに戻れば閉鎖された通信室に、彼が行った通信の履歴が保存されている。
今は解除されているが、バルディッシュにはエダールモードを搭載した記憶が残っている。
しかし、何よりも遺さなければならないのは。
遺し、伝え、広めていかなければならないのは。
彼の”遺志”だ。

 

 彼はもう何度目か分からない溜め息をついた。
作業は進んでいるハズだが一向に終わりが見えてこない。
出来事を淡々と、主観を交えずに書き残していく。
神出鬼没で、しかも彼自身も未知の部分が多かった闇の襲撃に比べて、
今回の事件を記録するのは簡単なハズだった。
だがその手を鈍らせるのは、彼に感情があるからだ。
「ユーノ君、私にも何か手伝えることないかな?」
なのはがおずおずと切り出した。
政治も司法も、少女の及ぶところではない。
彼女は彼女で、自分ができることをしようとする。
「ありがとう、なのは。それじゃあ――」
数冊の書を取るように頼む。
なのはから受け取ったそれらには、闇の来襲からデューオの事件までを繋ぐ出来事が記されている。
しかし空白が多く、全容は掴めない。
得られた情報が断片的だったからだ。
特に闇の攻撃に関しては不明な点が多い。
フェイトやブライトは多くを知っているハズだが、ユーノはいまだに真実に近づいていない。
この空白を埋めることが今回の軍隊化の一件を読み解く上で必要不可欠となる。
「たくさんあるんだね・・・・・・」
「まだまだ。これでも少なすぎるくらいさ。知りたいことはたくさんあるけど――」
それを手に入れるのは容易ではない、と彼は分かっている。
注意しなければならないのは、不明な部分について憶測を差し挟まないことだ。
推測はつまり個人の考え。
これが含まれてしまうと正しい歴史書でなくなり、事実を正しく記録できなくなる。
「なのははどう思う?」
その慎重な作業の中、彼は個人的な考えを少女に求めた。
「今回の事件・・・・・・なのはは反対派が正しかったと思う?」
仕事をする上ではこの質問も、彼女からの答えも何の意味も持たない。
「正しかったと思う」
なのはは迷うことなく言った。
迷う必要がないのだ。
そうでないから彼女はリンディの味方として一貫して戦えたし、デューオには臆することなく相対できた。
「僕も同じだ」
ユーノは安堵した。
デューオの凶行は許されざる悪だ。
平和を最上のものとする彼にとって、なのはの答えは何よりも心強かった。
彼が事実をまとめているのも、後の人々が歴史に学び、同じ悲劇を繰り返さないための教本とするためだ。
「スッキリしないけど、僕はこれで良かったと思う。もし誰もデューオさんを止められなかったら・・・・・・。
きっともっと多くの犠牲者が出ていたハズだ。もしかしたら管理局の人間だけじゃなくて――」
「・・・・・・・・・・・・?」
「和平に積極的なムドラの民も、同じ目に遭っていたかもしれない・・・・・・」
なのはとユーノの倫理観はよく似ている。
善と悪がハッキリと分かれていて、その判断基準も分かりやすい。
「みんながみんな、同じ考え方をしてるわけじゃないんだね・・・・・・」
なのはは悲しげな声で呟いた。
「どうしてなのかな? 平和なんて誰もが望むことなのに――どうしてそれを壊そうとするのかな?」
「それは・・・・・・」
ユーノは躊躇した。
答えは明瞭だが、できれば言いたくはないことなのだ。
だが何事にも真っ直ぐな少女のため、彼は敢えてこれに答える。
「その人が悪い人だからだよ」
これ以上の説明はない。
シェイド率いるメタリオンには彼らなりの戦う理由があったが、闇やデューオにはそれがない、と彼は考えている。
平和、発展、秩序、安全、正義、安定。
それらを無遠慮に壊そうとする悪。
その悪の思考を善である自分たちに理解できるハズがない。
これがユーノの持論だった。
「だからそういう人たちからみんなを守るために管理局があるんだと思う。もちろん、力で捻じ伏せるやり方はダメだと思うけど」
「うん、そうだね・・・・・・」
なのははその考え方が正しいのだと確信するために何度も頷いた。
魔法の力はたんなる戦いのために使うものではない。
自己の信じる正義――それそのものを貫くために用いるのだ。
立ちはだかるのがそれを邪魔する敵――つまり彼女たちの考える悪――であるのならば。
その時、初めて戦いに力を使う。
高町なのははそうして自分の考えを押し付けてきた。
戦い、勝ち、そして自らの主張を相手にぶつけた。
これまではそれでうまくいっていたのだ。
敵対していたフェイトとの和解も、闇の書事件も、何もかも。
だがそこから先は、それだけでは通用しなくなる。
広がり続ける世界の中では、決まりきった物事の解決の仕方はない。
時には対話のみで、時には戦いのみでしか進まないものもある。
この少女はそれを学ぶべきだった。
世界は決して優しくはないのだ。

 

 永い黙祷を捧げたリンディは、溜め息をつくことのできる自分を憎く思った。
同じ反対派でありながら生き残ってしまった自分と、犠牲になった多くの同志。
その違いは何だったのか、と彼女は考える。
武力ではなく知力で戦っていた彼女は、しかし殆ど前線に立っていたハズだ。
一度は拉致され、命の危険も感じたがそれでも生き延びている。
それに比し、和平のために散っていった彼女の仲間たちは・・・・・・。
「提督」
彼女の心が揺さぶられる時、いつもロドムがいる。
リンディに代わり、時には彼女以上に動く彼はアースラの重臣だ。
「誰も間違ってなどいませんよ。提督も、閣下も、ビオドールさんも――誰もが正しかったのです」
ロドムは尊敬する彼女を癒すのに最も効果的な言葉を選んだ。
リンディにはこれからもアースラのトップとして、クルーを率いてもらわなければならない。
虚しい勝利に心を砕かれ、提督としてのカリスマ性までもが失われてしまっては彼らを導く者がいなくなってしまう。
「そう、ね・・・・・・せめてそう思わなくちゃね」
その気遣いが分からないリンディではない。
これはひとつの戦いの終わりであって、管理局はこれからも存続するし、ムドラもこの世界の中で生き続ける。
デューオとの決着はついたが、管理局とムドラの関係がどうなるかはまだ定まっていないのだ。
「平和とは程遠いものなのかもしれませんね」
ロドムが言った。
「私たちでさえ知り得なかったムドラの民との戦いは・・・・・・考証が必要なほど永い年月をかけていたハズです。
それほど深い遺恨が簡単に消し去れるわけがありません」
「・・・・・・・・・・・・」
「ですが決して辿りつけないことはないと信じます。我々が歴史を学び、何が正しく、何が間違いであるかを考える。
その繰り返しの果てに真の和平が待っているのではないでしょうか?」
言いながら彼は、自分がそのムドラのひとりならどうだろうかと考えた。
復讐真に駆り立てられデューオと同じ行動をとっただろうか。
それとも過去は過去として洗い流し、かつての怨敵と手を取り合って未来を紡ぐだろうか。
「簡単なことではないわね」
ちょうど同じことを考えていたリンディは結論を先延ばしにし、曖昧な答えに終始した。
「ロドム――力を貸してくれるかしら?」
明答できなかったのは彼女が蒙昧だからではない。
既に気付いていたことに確信を持てたからだ。
戦いは始まったのではない、と彼女は悟ったのだ。
戦いは終わったのではない、と彼女は理解したのだ。
これは永く続く時の、ほんの一節でしかない。
デューオの登場は始点でも終点でもないのだと。
「提督・・・・・・?」
リンディには。
この戦いを生き延びた彼女には、まだやるべきことがあった。
「あなたの言ったとおり、管理局とムドラの溝は深いわ。それに今回の件もある・・・・・・。
和平は遠のいた――誰もがそう思ったとしても責められることじゃない」
言葉は後ろ向きだったが、彼女の瞳に宿る光は前を向いていた。
「だから訴え続けるのよ。もうこんな悲惨な戦いを繰り返してはならないのよ。管理局もムドラも――。
私は誰もが幸せを享受できる世界を目指したいの」
彼女は特別なことを言っているのではない。
おそらく多くの人々が想いながら、しかし実際に実現するには最も難しい理想を述べているに過ぎない。
提督として前線に立ち続けてきたリンディは、数え切れないほどの軋轢を見た。
民族間の抗争も、信仰の違いからくる戦争も、希少資源を巡る勢力の対立も。
それら全てが内心では和平を望みながら、しかし表面的な利害から起こった戦いだった。
多くの事件を通して彼女が得たのは、人は本来、諍いを忌み、安定や秩序を希っているということ。
ただ正義や平和の度合い、そこに至るまでの道筋がそれぞれで異なるために衝突してしまうのだ。
それが分かっているリンディにできることはひとつしかない。
「和平に賛同してくれる人が機会を作ってくれたの。発信の場をね」
「それは、つまり――」
「和平への呼びかけを続けるわ。法案が否決されて終わりではないのよ、この戦いは」
「・・・・・・・・・・・・」
「私たちが過去に犯した罪の償いもしなくちゃならない。ひとりひとりの力が必要なの。だから、ロドム、あなたにも・・・・・・」
「分かっていますとも」
ロドムは破顔した。
「平和を愛する気持ちは提督、私も同じです」
この男はリンディ・ハラオウンに忠実なのではない。
平和を愛する心に、それを愛する彼女に忠実なのだった。
だから尊敬すべき提督がこの先、真実の和平のために動くなら、彼はどこまでも行動を共にする。
それが彼、ロドムに与えられた役割だ。





興味本位の聴衆など、もはやここには一人としていない。
誰もが自分たちの、世界のあり方について熟慮し、描きたい未来を描こうとする。
その手助けをするのが今、壇上にいる凛とした女性だ。
彼女の声は魔法の力を宿したように空間に遍く届く。
言葉にはまさしく魔法と同じ力が宿っている。
たった一言が誰かを幸せな気持ちにすることもあれば、不用意な発言が戦争を引き起こすことだってある。
もちろんこの力は前者のために使うべきだと思っているリンディは、
「今日、私はここで全てを語るつもりです」
澄んだ声で聴衆に呼び掛けた。
「私が見たこと、聞いたこと、そして感じたことの全てをお話します。
デューオ閣下が引き起こした今回の事件は皆さんがご存じのとおり、一応の決着はしました。
しかし戦いはまだ終わっていない――私はそう思っています。
首謀者の死・・・・・・これで片付けたつもりになってはならないと思うのです」
彼女の言葉に耳を傾ける全ての人が、彼女に賛同しているわけではない。
中には今でもデューオこそが正しいと信じている者もいる。
メタリオン、闇の襲撃と立て続けの事件を経て管理局の脆弱性が露呈し、人々は管理局は力を持つべきだと考えていた。
そこにきて内乱ともいうべきデューオの凶行が重なり、いよいよ局に対する不信感が強くなっていく。
本部の近くにいてその空気を感じ取っていた反対派の中には、威信が失墜する前に軍隊化は必要だ、と主義を改めた者もいた。
「私はかつて、この場で首謀者デューオ・マソナ閣下がムドラの民であることを告白しました。
真実を隠したくはなかったからです。同じ過ちを繰り返したくはなかったからです」
”同じ過ち”という言葉に聴衆は僅かに反応した。
「管理局は・・・・・・私たちは永い間、過去の罪を隠し通してきました。ムドラと戦い、彼らを僻地に追いやった過去を――。
その遺恨がメタリオンを生み出し、悲劇を齎したのです。罪に罪を重ねるようなことをしたくはなかったのです」
何人かが頷いた。
「恐怖はありました。首魁がムドラの民だと公言することで、和平に進んでいた私たちの関係が崩れてしまうのではないかと。
再び対立の溝を深くしてしまうのではないかと・・・・・・しかし後になって気付いたことがあります」
リンディはここで呼吸を置いた。
技法のひとつではなく、ここから先を述べるのには少しだけ勇気を必要とするからだ。
「誰が起こしたのか、どのような立場、出自の人間が起こしたかは問題ではない、ということです。
たとえ今回の事件を引き起こしたのが魔導師であったとしても、全く未知の知的生命体であったとしても!
私たちはこの戦いや悲劇から目を逸らさず、向き合うべきなのです。
力を持つことの意味、それを使うことの意味、それらについてもっと慎重に、もっと永い時間をかけて考えるべきなのです」
この言葉には場にいる誰もが納得していた。
強い力を持つにも、持っている力を捨てるにも、熟慮を要することを知っているからだ。
「私たちは言葉を、心を通じ合わせる事ができます。主義主張の全てが一致しなくとも、対話を重ねて妥協点を探ることができます。
誤解しないでください。私は反対派でしたが、”管理局が力を持つこと”そのものに反対しているわけではありません。
その力を正しく、公平に用いるのであれば私は力を持っても構わないと思います。ただ、その議論の最中にこのような悲劇が起こりました。
力の使い方を誤ったために賛成派、反対派に多数の死傷者が出ました。この事実が私たちに訓(おし)えてくれたのです・・・・・・。
私たちにはまだ大きな力を持つ資格はないのだと」
まばらに拍手が上がり始めた。
音の波は徐々に大きくなり、数秒も経たないうちに場は万雷の拍手に包まれた。
「私たちは手にした力に振り回されてはなりません。誰かを傷つけ、攻撃し、壊すような使い方をしてはならないのです。
急激な革新は破滅を招きます。まず私たちひとりひとりが力を持つ意味を考え、議論し、そして真にそれを理解すること。
力を正しく使えるようになったその時、初めて管理局は軍隊を持つ資格を得るのです。
そうでなければ――早すぎる軍隊化は管理局がこれまで守ってきた平和や秩序、安定と安全を自ら壊すことになるのです」
少し離れたところで様子を見ていたロドムは何度も頷いた。
彼が尊敬する彼女はまだ希望を失っていない。
「私たちは未熟です。成長する必要があるのです。求めている力が手に余るうちは、決して持つべきではないのです」
しかも希望と夢想を履き違えることなく、冷静に状況を見極めている。
この世界の誰もがリンディ・ハラオウンのようであったなら、平和は永遠だろうとロドムは思った。
「私が反対派であり続けた理由はそこにあります。いつの時か・・・・・・私たちの精神が成長を遂げ、手にした力を正しく扱えるようになったら。
その時、私は賛成派となるでしょう。管理局が平和と安定のために力を持つことに賛同するでしょう。しかし、それは今ではないのです。
早すぎたのです。意見を出し合い、議論を重ね、来たるその時に備えるべきなのです!」
彼女の声はたんなる言葉以上の響きを持って世界に広がる。
この公会堂の、ここに集まった人たちが、この時だけ聴いたものではなかった。
リンディ・ハラオウンの発した全ての言葉は生き続ける。
重厚な壁を突き抜け、人々の心を巡り、宇宙を、世界を永遠に漂い続ける。
それを永遠たらしめるのは人々だ。
魔導師、ムドラの民――そうした人種の垣根を飛び越えた人々のみが、彼女の言葉を繋ぐ。
だから彼女は発信を続ける。
持論に自信と誇りを持って、彼女は語り続ける。
「本来であれば管理局に関わる議案には全ての人が投票権を持つべきです。局の中枢の、一部の人間だけに権利を与えれば
偏りが生じ、その偏りが修復できない歪みとなるでしょう。私はそれを恐れます。恐れるべきなのです。
しかし今の制度はそれを認めてはいません。投票の権利を持っているのは一部の人間だけです。
危険なことですが・・・・・・この一部の人たちの判断によって管理局が、ひいては世界が変わってしまうのです」
疑いようのない事実だった。
万人に影響を及ぼす変化があるのなら、同じくその万人が変化に関与するべきだ。
しかし数億、数十億の人々が生きるこの世界で、それら全ての意見をひとつひとつ拾い上げることは不可能だ。
「しかし、皆さんにはその一部の人たちを動かす力があります。賛成派が反対派に転進したように、この世界に生きる
ひとりひとりの声が彼らの心を動かします。どうか、諦めないでください。どうか、もっと声をあげてください。
皆さんの声を受けて管理局は正しい方向に進むのです。管理局を変えるのは、決して投票権を持つ高官だけではありません!」
力を持とうとする者と、それを間近で観測する者が最も恐れるのは、手に余る力が実際に手に入ることではない。
真に恐れるべきはそれによって明日の生き方が変わるハズの多くの人々が、無関心であることだ。
賛成、反対の別はあっても、積極的に変化に関与しようとしているという点では相違はない。
この姿勢が保たれる限り、管理局は道を誤ってもただちに、あるいは永い時間を掛けてでも正しい道を選び直せるだろう。
「魔導師かムドラかに関係なく、私たちはこの世界に生きる限り、等しく権利を持っています。
生きる権利です。択ぶ権利です。そして・・・・・・文明を築き、平和な世界を作り上げる権利があるのです」
リンディは”権利”という言葉を使いつつも、その行使をむしろ”義務”として彼らに伝えた。
人間が集団を作って生きるようになり、やがてその集団が組織としての体を成すにつれて――。
その時、既に彼らはゆるやかに腐敗を始めていたのだ。
この衰退はおそろしく永い時間をかけて、あまりに遅く進行するために、組織に身を置く誰にも気付かれにくい。
一度外に出て、違う時間の流れ方を感じた者だけが、再び舞い戻った時に違和感を覚える。
そうして覚醒した一部の者たちだけが警鐘を鳴らし、腐敗に歯止めをかける機会を与えられる。
目覚めは伝播しなければならない。
腐敗しきってしまうよりも早く。
「戦いは終わったわけではありません。まだ続いています――いえ、おそらく始まったばかりでしょう。
管理局の在り方、私たちの生き方・・・・・・それらが真に問われる究極の戦いです。
私はそのキッカケを与えてくれた閣下に――感謝さえするべきだとも思っています」
最後の一言を彼女の立場で付け加えるには、とてつもない勇気が必要だった。
下手を打てば――聴き手がその言葉を表面的に、感情的に受け取ってしまった場合――これまでの彼女の活動の全てを、
無かったものにしてしまうほどの危うさを孕んでいるからだ。
だが、少なくとも自らの意思でここに足を運んだ聴衆には、リンディを深く理解しようとする姿勢があった。
したがい彼らは言葉の裏を読み取った。
軽い皮肉でもあった。
世界を混乱に陥れたデューオ・マソナ。
しかし彼が事件を起こさなければ、人々の目は覚めることなく、最も気付くべき重大事にすら気付けなかったであろう事実に対する。
”感謝”を纏った彼女なりの皮肉と。
後悔だった。

 

 ゆるやかな腐敗は、それを一気に進めようとした老獪の登場と、彼の死によって一応の歯止めがかけられた。
世界に広く手を拡げすぎた管理局では、まだまだ意思の統一は図れていない。
賛成派、反対派の別は今でも存在し、そこにさらに”力とは何か”を問う逡巡派が現れ、議論は遅々として進まなかった。
だがこれこそがリンディたちの望んだ結果だった。
充分な話し合い無しに、進化も退化も維持すらも可能ではない。
短絡的だった彼らが対話を行うこと。
まずはこれ自体に価値があった。
この論争が繰り広げられることによって、管理局とムドラとの間に軋轢が生じることはない。
なぜなら両者にとっての脅威は既知である互いではなく、まだ見ぬ外敵だからだ。
この世界に魔導師でもムドラの民でもない、全く別の敵が外から攻めてきた場合にどうするべきか。
人々はその前提で議論を続けている。

『首謀者デューオ・マソナ』と『彼の出自』

このふたつを俎上に乗せてはならない、とリンディをはじめかつての反対派は訴えてきた。
これを念頭に置いてしまうと、話し合いの構図は管理局対ムドラの民となってしまう。
そうではなく。
誰も彼も一度、この事件の黒幕が誰であるかを忘れ、何もない状態からの議論が必要だった。
新たな敵を作り、その下でこれまで多少のすれ違いがあった者同士が手を結ぶ。
その役をデューオ・マソナは本人が気付かないうちに引き受けていた。
悲劇的な皮肉だった。
両者を再び対立させ、肥大化した管理局の力によって魔導師を討滅する作戦は、
結果的には彼の思わくとは正反対の方向に進んでいた。
彼は和平の礎になったのだった。
ブロンテス、テミステーが揃って取り調べに協力的であったために、一部では今回の事件は”世界の安寧を揺るがす戦い”ではなく、
”デューオの極めて個人的な怨恨が齎した諍い”と捉えられている。
今回の件をどのように受け止めるかはそれぞれだ。
この広い世界、どこかで常に繰り広げられている戦いのひとつでしかないと考える者。
管理局の在り方を見つめ直すキッカケと捉える者。
デューオの主張に頷き、彼の遺志を継ごうとする者。
和平のために必要な儀式だったと諦観する者。
さまざまだった。
それこそが正しい反応だった。
誰も正しくなく、誰も間違ってはいなかった。
進むべき道を探るのは人々なのだ。
これから――。

 





 

少女は極寒の地に降り立った。
今やここに住んでいた人々はこの劣悪な環境を抜け出し、世界のあちこちに住処を移している。
岩山をくり抜いて作られた住居には冷たい風が容赦なく吹き込む。
少女は入口で深呼吸すると、ゆっくりと一歩を踏み出す。
固く、冷たい感覚が爪先から全身を巡る。
産まれた時から身寄り以外の多くに恵まれていた彼女には、
この殆ど人の手の加えられていない洞窟に新鮮さを覚えた。
史書でしか見たことのない遠い昔の世界に投げ込まれたような不思議な感覚だ。
だがここには新しい歴史がある。
正確な年代を把握することすら困難なほどの太古から、ムドラの民はこの星に生き続けていたのだ。
この星の地上と地下で。
「・・・・・・・・・・・・」
劣悪な環境だったが、彼女はここに温かさを感じた。
ムドラの民の呼吸が今も失われずに残っている証拠だ。
少女は両手をいっぱいに広げ、深く息を吸い込んだ。
冷気が鼻腔に突き刺さる。
その鋭い痛みが彼女――フェイトの意識をここに集中させる。
「珍しい・・・・・・こんなところに訪ねてくる人がいるとは」
背後から声がし、フェイトはゆっくりと振り返った。
老人がいた。
「あなたは・・・・・・?」
フェイトは身構えた。
腰を曲げ、体を左右に揺らす彼はただの老爺だ。
しかし彼にはデューオとはまた違う威圧感と威厳がある。
何十年を生きてきた人間が自然と身につけるそれらが、フェイトから一瞬だけ呼吸を奪う。
「ここにはもう何もない。人々も既に移住し、残っているのはわしら、ごく僅かな民だけだ」
「・・・・・・・・・・・・」
「そこへ和平の使者が現れるとなると――これには何か大きな意味があるのだろうかな。
この極寒の地にもまだ、価値のあるものが残っているというのだろうかな」
老人は小刻みに肩を震わせた。
「きみの噂は聞いておるよ。我々の永きに渡る戦いを終わらせ、和平への道を示してくれた――いわば救世主・・・・・・」
「いいえ、私はそんな立派な者ではありません。それに和平に導いてくれたのは――」
「シェイド・・・・・・あの少年だと?」
「はい」
受ける印象は反対に、この老人の口調は柔らかい。
既に警戒心を解いていたフェイトは、彼の言葉に思わず笑みを返した。
「そうであればわしのした事は全くの無駄ではなかったのかもしれんな」
「・・・・・・? あの、失礼ですがシェイドと何かご関係が?」
老人には捉えどころのない魅力があった。
シェイドに似て飄逸で、精神の半分は現世とは違う次元にあるかのような雰囲気が漂う。
「関係はあるとも。ただし良い意味でも、悪い意味でも、な」
彼はゆっくりと言った。
「よければ教えてくれませんか? シェイドのことをもっと知りたいんです。生きていた証をもっと遺しておきたいんです」
世界にムドラの存在を知らしめたあの少年についての手掛かりは少ない。
当人が既にこの世を去っている以上、彼を知るには彼をよく知る者から情報を得る必要があった。
「それをきみに話すのは、わしにとっては懺悔と同じだな。知識の伝授が時に災禍を招くことになる・・・・・・。
この告白がまたそれを繰り返さなければよいが――」
老人はフェイトの透き通る瞳を凝視した。
深い、悲しみと希望を湛えた光がそこに宿っている。
「あの、どんな事でもいいんです。どうか――」
「うむ・・・・・・あれはわしの罪よ。拒めばさらに罪を重ねるかもしれんな」
老人は眩しすぎる瞳に目を背けて言った。
「いいだろうとも。きみの求めに答えよう。しかしこの状況――あの時と同じだな」
彼は嘲るように微笑み、近くにあった岩に腰をおろした。
「すまんな、この齢になると立っているのがつらいのだよ。きみも・・・・・・ああ、服が汚れてしまうかね」
「いいえ、大丈夫です」
フェイトが座りたがらなかったのは、もちろん服が汚れるからではなく、話を聞く側の立場として礼儀を重んじたためだ。
「さて、わしと彼のことだが・・・・・・簡単に言えば教師と教え子のような関係だった。
彼が訪ねて来たのだよ。文字を教えて欲しい。とな。今では知る者の少ない古代の文字だ。
最初は断ったよ。わしは・・・・・・見て分かると思うが人間が嫌いでな。彼を疎ましく思ったものだよ。
しかしあまりにも熱心に教えを乞うてくるものだから、少しだけ教えてやったのよ。
古代文字は難解でな。どうせすぐに投げ出すだろうと思っていたのだが・・・・・・」
老人は殆ど緩急もつけず、間も置かずに述べた。
教授が聴き手の人生を踏み誤らせることを知っている彼は、しかしシェイドのことを知りたいと願うフェイトを無碍にできず、
機械的に無感情に過去を語る。
「すぐに習得した、ということですか?」
「驚いたよ。今よりももっと複雑な言語をあの少年は凄まじい早さで身に付けた。
なにかよほど覚えなければならない理由があったのだろう、とはその時から思っていたが――。
まさかわしが訓えた知識があのような戦いを引き起こすことになるとは・・・・・・」
「管理局との戦い、ですね? 復讐だと――」
「後で知ったことだが、彼はこの近くの洞窟で書を見つけたらしいな。それに書いてある文字を読みたかった、ということだが。
歴史があの少年に復讐心を植え付けてしまったのだろうかな。嘆かわしいことだ・・・・・・」
「仕方がないと思います。誰だってそんな過去を知ったら、自分をそんな目に遭わせた相手に同じ痛みを――と考えると思います」
「きみもそうかね?」
「私は・・・・・・」
問いに対する答えを少女は持ち合わせていない。
数奇な半生を送ってきた彼女には、少なくとも復讐心が芽生えたことはない。
それが芽生える前に生来の慈悲深さが顕現してしまい、他者を憎悪できなくなってしまうからだ。
しかし例えば―ー。
アルフやなのは、シェイドが誰かの手にかかり、重傷を負った場合はどうだろうか。
あるいは致命傷となり、それが原因で死を纏ってしまった場合はどうだろうか。
考えたくもない可能性を想像した時、フェイトが抱くのは復讐心ではなく恐怖心だ。
「――分かりません」
だから彼女はこう答える。
「そうだろうな。わしにも、誰にも分からんことだろうよ。人間はそう簡単なものではないからな」
老人は彼女がそう返すであろうと予想していた。
人間とは不安定な生き物だ。
その不安定な生き物が作る文明、文化、組織もやはり安定はしない。
「メタリオンを作った原因はわしにもある。彼に文字を教えなければ、あの少年は歴史を知らないまま、復讐しようと思うこともなかったろうに」
掠れた呟きを、
「でもそのお陰で私たちは手を取り合うことができました」
フェイトは力強く否定した。
「そうでなかったら・・・・・・私たちはお互いを知り合うこともありませんでした」
「となるとこの氷の世界でわしらは永遠に生き続けていたか――しかし悲劇的な皮肉だな」
「・・・・・・?」
「その出逢いと、和平の道を作ろうとした彼自身はもうこの世界にはいない。彼も、彼に付いて行った者たちも――」
「それは・・・・・・」
「尊い犠牲だ、などとは思わんよ。我々ムドラの民は佳いことも悪いことも、全て”運命”という言葉で受け容れてきた。
出産も病気も死別も、それが運命なのだと思っているのだ。諦めに似ているのかもしれんな。
だが彼には・・・・・・あの少年にはそれがなかった。”運命”を受け容れる準備ができていなかったのだろう。
もう少し成熟していれば、歴史を知ったとしてもあのような行動に出ることも・・・・・・」
「――運命」
フェイトは物憂げな表情を浮かべた。
いかにもシェイドが嫌いそうな言葉だった。
彼はとても努力家で何事においても熱心だったから、何もかも運不運で片付けることはしなかった。
ムドラの民が劣悪な環境で生きていることに理由があるように、あらゆる事柄にはそれを引き起こした原因がある。
運命を認めない諦めの悪さと、そして潔さ。
それらを内包しているのがシェイドだった。
「もし運命なのだとしたら――」
背中に冷たい風を感じながら、
「シェイドが”そうしたこと”も運命ではありませんか?」
少女はたった今、あるいはずっと前から思っていたことを口にした。
「・・・・・・・・・・・・!?」
老人がこれまでに触れてきたどの書物にもなかった、”運命”に対する解釈の仕方。
それを眼前で和平の使者に披露され、彼は自分の歩みがずっと昔から止まっているのだと気付かされた。
「そう、か・・・・・・それもまた、”運命”と言えるのか・・・・・・。わしが今、きみとこうして話しているのも――」
「プラーナの導きかもしれませんよ」
「おお、魔法を使うきみの口から”プラーナ”が出てくるとはな。それだけわしらの垣根は薄くなってきたということかな」
その境界を唯一超越した少女は微笑んだ。
彼女はもうとっくに両者の間にいた。
プラーナを受け容れたあの時から。
彼女は既に和平の使者だったのだ。
「この世界の全ては常に同じでなくてはならん」
「・・・・・・?」
「人が死んでは産まれを繰り返すように、バランスが重要なのだ。わしらは戦いからは逃れられなかった。
だがその戦いによって失った分だけ、何かを得なければならないのだ。犠牲になったのと同じだけの、な・・・・・・」
「はい」
「わしはそれを平和だと考えている。尊い犠牲の上に成り立つ平和――戦没者に対してはあまりに軽い言葉かもしれん。
しかしそうでなければ本当に彼らの死が意味を持たないことになってしまう。それはあまりに虚しいと思わないかね?」
「そう、ですね。私は誰の死も無駄にしたくありません」
「・・・・・・きみがそう思ってくれるのなら、それだけで彼らも救われよう」
老人は咳き込みながら言った。
「もう争う必要はない。互いが互いを理解するための準備はできている。もうとっくにできていたのだよ」
彼は膝を打って笑った。
「きみよ、もうここには何もない。あるのは歴史だけだ」
「歴史、ですか・・・・・・」
「そうとも。探せば書くらいは見つかるだろう。どこかの洞窟の壁には文字が彫られているかもしれない。
ムドラの民が生きてきた分だけの歴史がここにある。しかしそれは未来を示すものではない。
遠からず、ここは人のいない星になるだろう。世界に広がった民が新しい時代を生きていくのだ」
老人の語り口には遡れないほどの過去と、想像すらできないほどの未来を生きて来たような重みがあった。
その言葉が真に意味するところはフェイトには半分も理解できなかったが、
「でもここはシェイド――いえ、ムドラの人々にとって永遠に故郷ですよ」
彼女は吹き抜ける冷たい風が教えてくれたことをそのまま言った。
「それが・・・・・・わしが今でも離れられん理由だ。わしはこの星に産まれ、この星で死ぬ。
その道の中、和平の使者であるきみに逢えたことを光栄に思う」
「私もです。シェイドの知らなかった部分を知ることができました」
シェイドという少年は今も少女の中で生き続けている。
強く、賢く、自己の信念に忠実で、おそらく誰よりも苛烈で誰よりも優しかった少年の姿は――。
幾時を経ても失われることはない。
「彼の家はこの奥、突き当たりを右に進んだところだ」
「え・・・・・・?」
「彼に報告に来たのだろう? ひとつの不幸な戦いがひとまず終息したことを」
「ご存じだったのですか?」
「人伝に聞いたよ。それを引き起こしたのがわしらムドラの民だったとは嘆かわしいが・・・・・・。
それもメタリオンの再来と考えられなくもないな。しかし争いは今度こそこれで終わりにしたいと思っておるよ」
「私も――そう誓いにやって来たんです」
「きっと喜ぶだろう。彼も最期は和平を願っていたのだからな」
「はい」
老人はゆっくりと立ち上がった。
「さて、わしとつまらん話をしていても実りなどありはせんな。貴重な時間を無駄にしてすまなかった」
「無駄だなんてとんでもない。たくさんのお話、本当に感謝しています」
「わしにできるのは知識を伝えることだけ。そんなわしに役割を与えてくれたことに、こちらこそ感謝するよ」
彼は柔和な笑みを浮かべると、洞窟を出て行った。
その後ろ姿にフェイトは深々と頭を下げた。
魔導師の中にはもちろんシェイドを憎んでいる者もいる。
メタリオンの活動によって負傷した者もいれば、彼らの倫理観や正義感から敵対心を拭いされない者もいる。
そんな中で彼の旗揚げのキッカケだったとはいえ、自分の知らない”彼”を知ることができたのはフェイトにとっては僥倖だった。
老人がシェイドに対して悪印象を持っていないことも救いだった。
(ここが・・・・・・シェイドの住んでいた家・・・・・・)
敢えて中には入らず、入口と思しき場所――目に見える仕切りはない――で足を止める。
暗がりの向こうにぼんやりと浮かび上がる木製のテーブル。
材木を四角く切っただけのそれに、一輪の花が置かれてあった。
「あれ・・・・・・?」
もう長いこと、人が出入りした痕跡はないというのに、その花だけは妙に瑞々しかった。
陽光の差し込まないここに、花がその美しさを保っていられるハズがない。
(さっきの人?)
フェイトにはすぐに分かった。
先ほどの老人がここにいたことからもそれは明らかだった。
これは彼からの、シェイドへの手向けなのだ。
「シェイド・・・・・・」
少女は空間に向かって呟く。
「また、悲しいことがあったんだ――」
声は薄暗い洞窟の中を巡った。
一部は壁に吸い込まれ、一部は床に溶け込み、一部はフェイトに跳ね返ってきた。
「私たち、また戦ったんだよ。しなくてもいい戦いだったんだ。でも――避けられなかった!
管理局もムドラの民も、まだお互いを完全に許したわけじゃなかったから・・・・・・だからあんな事が起こったんだ!」
悲痛な叫びを聞く者はいない。
人々の手前、気丈に振る舞ってきたこの少女は醜態を晒すのを厭わないこの状況で泣いた。
どうせここには誰もいないのだ。
彼女を慰める者も、笑う者も、叱咤する者もいない。
「私の力が足りなかったから・・・・・・なのかな? もっと平和を訴えていればよかったのかな?
そうしたらあの人も考えなおしてくれたのかな?」
誰にも答えの出せない問いを、フェイトは答えを求めるために呟く。
デューオ・マソナ。
彼の心理、彼の真意、意図、情動。
それらは既に永遠に失われた。
彼の死によって。
もはや偉大なプラーナをもってしても、彼の心を暴くことはできない。
「シェイド・・・・・・」
何に対しても背を向けてしまえば楽だった。
管理局、ムドラ、絶え間ない争いと、その向こうに掴み取るべき平和。
ひとりの少女が関与するにはあまりに重すぎるそれらのすべてから。
目を背けてしまえば、彼女がここまで苦悩する必要はなかったのだ。
だが、それはできない。
既に多くの事象と関わりを持ち、この世界に多大な影響を及ぼし得る存在になった瞬間から、
まだ幼いこの魔導師は過酷な運命から逃れられなくなった。
外からの見えない力だけがそうさせているのではない。
彼女が内に秘める、正義心もそうさせていた。
この少女はあらゆるものをまず受け容れる。
善も悪も、正も邪も。
その身に受け、そして考える。
「もう、シェイドには逢えないのかな……?」
だがいかに有能な魔導師とはいっても、フェイトはまだ幼い。
相当の覚悟も、立て続けの激動を前に砕かれそうになることもある。
(あなたがいてくれたら――)
フェイトはもちろん”死とはなにか”をきちんと理解できているが、この覆しようのない事実を覆してでも彼に逢いたいと願った。
奇跡はかつて、一度だけ起こったのだ。
自ら命を絶ったシェイドがブライトとして再び姿を現したことがある。
容姿も声も変わっていたが、彼自身という点では何ひとつ変わっていなかった。
死者の蘇り。
いつかプレシアも願ったこの奇跡が、フェイトの目の前で起こったのだ。
(シェイド・・・・・・)
少女は奇跡を願った。
――もう一度。
もう一度、あの時と同じように彼が現れることを希った。
叶わないことだと分かっていても。
魔法か、プラーナか、あるいは未知の超常的な力が働いて、彼をここに呼び戻してくれるのではないかと。
少女は見えない奇跡に縋る。

 

 

 この日は世界にとって大きな意味を持つ。
デューオの死から1年。
時空管理局本部と、ムドラの民がかつて住んでいたアンヴァークラウンとを結ぶ惑星に都市が造られた。
”祈りの町”と名づけられたそこは和平の象徴であり、友好の場だった。
住居や商業、観光施設は両者の建築技術を取り入れて建造され、機能的でしかし景観を損ねない設計となっている。
極寒の惑星にありながらムドラの技術は高度だった。
特に僅少な資源から効率的にエネルギーを得る技術は、既知のあらゆる文明を凌いでいた。
この知識が戦いのためでなく、共存と発展のために用いられれば、平和は永遠のものとなる。
殆ど全ての人々がそれを願っていた。
怨恨の情はいまだ燻ぶってはいるものの、もはやデューオのように発現することはない。
リンディが繰り返し訴えてきた、”議論の重要性”が広く浸透しているからだ。
「これが真の和睦なのね」
まだまだ完成には程遠い”祈りの町”を見つめて、リンディが言った。
シェイドの死後、管理局とムドラの間では一応の和睦が成立していた。
過去の罪を償い、争いをやめ、共に平和への道を歩もうと誓い合ったハズだった。
だが、それはたんなる儀式だった。
メタリオンの壊滅後、事態の早期終息を目的に管理局の大幅譲歩という恰好でかたちばかりの和睦が成立してしまっている。
これは建前に過ぎず、補償や移住に係る手続きなどは問題の難しさもあって遅々として進んでいなかった。
そこへ影の襲来が重なり、管理局とムドラを中心として世界は混乱の極みにあった。
デューオ・マソナはまさにその混沌の最中を狙って今回の作戦を実行した。
誰もが冷静になれない状況下、互いに不信感を拭いきれない隙を衝いた行動は世界に多大な影響を与えたが、
彼の望む未来は彼の死とともに永遠に葬りさられた。
そして今、真の意味で和睦が成立した。
”祈りの町”の建造が始まった時から、魔導師とムドラの民の心はひとつになったのだった。
「この為に戦っていたのだと思えば、私たちのやってきた事も少しは報われるでしょうか」
ロドムが寂しげに言った。
彼の仕事はリンディの補佐。
つまり彼女の成功がそのまま自分の成功となり、失敗もまた自分のものとなる。
したがい彼が報われるにはリンディ自身が報われなければならない。
「そう、ね・・・・・・私たちの目指した場所はここだったのよ――」
彼女は自分に言い聞かせるように言った。
「でも・・・・・・多くの犠牲を出してしまったわ。私は生きているというのに――」
「それは言わないでください」
ロドムは語気を強めた。
「世界が新しい方向に進むためには犠牲が必要だ、とは思いません。歴史を振り返れば無血の革命もあったでしょう。
今回の和平には多数の死傷者が出ましたが、彼らのおかげで”今”があるのです。
そうであれば――犠牲を悲しむより、彼らに感謝するべきではありませんか?」
この男はリンディに忠実だが盲目ではない。
彼女が迷っていれば道を示し、誤っていると思えば正す。
時に頑固で口うるさく見えても、それらは全てリンディのためであり、世界の未来のためであり、自分のためであるのだ。
「あなたは強いわね」
リンディは思ったことをそのまま言葉にした。
「私の仕事はそうでなくては務まりませんから」
これは皮肉ではなく真実だ。
リンディの補佐を担うからには、状況次第では彼女以上の判断力や決断力が必要になってくる。
「割り切らなくちゃいけないのは分かってるの。悲しむのは立ち止まっているのと同じだって、分かってるの。
でも、もっと善い方法があったんじゃないかって。もっと違ったやり方があったんじゃないかって」
「・・・・・・・・・・・・」
人間は誰もが行いを悔いる。
常に最善手を取り続けても、人はこの苦しみからは抜け出せない。
この点はロドムであっても同じだ。
「違う方法をとれば、和平は永遠に来なかったかもしれませんよ」
陳腐な慰めはリンディには届かない。
望んでいた結末に辿り着きはしたが、そこに至る過程で彼女はとっくに疲弊していた。
もしかしたら自分の役目は終わったのかもしれない、とリンディは思った。
「提督――あなたがどう思われるかと、世の中がどう思うかは別です。少なくとも私はあなたは正しかったと思いますし、
この町の明るさを観れば決して間違いではなかったと確信します。提督、あなたは綺麗過ぎるんですよ」
「・・・・・・・・・・・・?」
「全てが美しさに彩られているわけではありません。美しいもののどこかには醜さがあるハズです。
明るいと感じるのは、暗さを知っているからです。平和を尊いと考えるのは、戦争の悲惨さを観たからです。
提督、どうか信念を失わないでください。この結果を誇って欲しいとは思いません。しかし、後悔もして欲しくないのです」
彼は微笑した。
「私も・・・・・・そう思います」
遠慮がちに言ったのは、いつの間にか2人の横にいたフェイトだった。
「せめて私たちは”正しかった”と信じるべきだと思うんです」
永遠に囚われそうな逡巡の果て、少女が辿りついた答えがこれだった。
「私たちは生きてるんです。正しい道を進み続けることも、間違ったらやりなおすこともできるんです」
「フェイトさん・・・・・・」
「自分から間違おうとする人なんていません。その、だから私たちは最後には”正しい”って思える道を選んでるハズなんです」
彼女の言っていることは目新しいものではない。
殆ど全ての人が無意識のうちに取っている行動を、改めて言葉にしただけだった。
その当たり前のことを進んで矢面に立ち、身を粉にして和平のために戦い続ける女性が知らないハズがない。
「私はそう思います。生きている私たちには”正しいこと”をする権利と義務があると思うんです」
フェイトは自分自身に言った。
彼、シェイドの遺志を継いだ時から。
この確固たる価値観が、今日まで彼女を戦わせた。
目指す平和のためだ。
究極的には”管理局そのものが必要ではなくなる世界”を目指す。
それが世界が望む、世界のカタチだ。
シェイドが、そしてフェイトが夢見る理想の世界だ。
あらゆる考え方が混淆する中で、彼女たちがようやく見つけ出した未来なのだ。
この”祈りの町”は人々の躊躇いと勇気の集大成だった。
これまで失ってきた多くのものを取り戻すための、人々の心の拠だ。
「提督、彼女の言うとおりです。今を生きている者だけが実際に未来を紡ぐことができるのです。
犠牲者は無力だ、意味が無いと言っているのではありません。彼らの遺志を私たちが継ぐことに意味があるのです」
フェイトに背中を押され、ロドムは持論の正しさに確信を持った。
「・・・・・・・・・・・・」
今回の出来事を通過点とするか終着点とするか、は意見の分かれるところだ。
両者の考えはどちらもが正解であり、どちらもが誤りだ。
少なくとも、この時点では――。
断定することはできても、それが正しいと証明する術はない。
和平が永遠のものとなった時、彼らははじめて知ることになる。
革命家デューオ・マソナの齎した転換期について。
平和の意味、重み、争いの醜さと悲しさを。
彼らのひとりひとりの全てが、それを知る。





「シェイド・・・・・・」
完成に近づく”祈りの町”を眺めながら、フェイトは大息した。
魔導師とムドラの和平の象徴。
人々の心を繋ぎとめる具体的な形。
だがこれが創られるキッカケを齎したシェイドも、デューオも、この世にはもういない。
それがフェイトは悲しかった。
和平に最も貢献した彼とともに、この町を見下ろしたいと少女は思った。
叶わない願いだと分かっていても。
死が何を意味するのかを厭というほど理解できていても。
それに抗いたい、それを覆したいと。
シェイドなら最後の瞬間までそれを試みたハズだ、と彼女は思った。
彼は運命を嫌っていたから。
運命という言葉で未来の何もかもを決められることを認めたがらなかったから。
それが彼の――フェイトが尊敬する偉大なムドラの民の性質だった。
「・・・・・・観てる? ここが私たちの新しい出発点なんだよ?」
目を閉じ、少女は中空に向かって問いかけた。
プラーナとは何かを、その身に浴び、朧げながらに理解しているフェイトはそこにシェイドの気配を感じ取った。
”個”としての彼は消滅したが、”彼自身”は消滅したわけではない。
別の体を得て舞い戻ってきたように。
見ることも、触れることもできない存在となって、ここにいるのだと。
フェイトはそう信じていた。
彼はこの世界の一部になったのだと。
換言すればこの世界のあらゆるところに彼は居て、いつも全てを見通しているのだと。
フェイトは思った。
だが、それでも。
執着を完全には捨てきれない少女は、どうしてもカタチあるもの――つまり五感で感じ取れるもの――に縋りたくなってしまう。
彼が使っていたエダールセイバーは、和平の象徴のひとつとして”祈りの町”の中央に保管されている。
アースラの通信履歴もマスタデータを本局に格納、複製も更新も不可能な状態にされた上、アースラのデータバンクからも抹消された。
つまり少女と少年を繋ぐ具体的なモノがあるのは、この町だけとなった。
形而上の繋がりは彼女の心の中に、形而下の繋がりは”祈りの町”にある。
「やっと――夢が叶ったね・・・・・シェイド」
夢は叶った。
今を生きる者に与えられた使命は、この平和を守り続けること。
悲惨な戦争の全てを記録として残し、人々の記憶に留め、再び惨禍が人々を苦しめないように。
数え切れないほどの犠牲の上に成った平和を、永遠のものにする。
それが彼女の成すべきことだった。
奇跡の数々が少女を歩ませる。

 

(大丈夫だよ。この世界は私が守るから――ううん、違うね。私とシェイドで・・・・・・一緒に守ろう)

 

いつか。

 

そう遠くない、いつか。

 

どこかで。

 

再び、あのムドラの少年と出逢えるのではないか、と――。

 

彼女は思った。

 

 

 

 


 

   あとがき

後書きにはこんなことを書こう、あんなことを述べよう・・・・・・と、本文を書き進めながらいろいろと考えていましたが――。
前2シリーズと違い、ここまで信じられないくらい時間が経ってしまいました。
書き始めた時から構想はあったハズなのですが、キーを叩く指は遅鈍でずるずると完結が延びてしまいました・・・・・・。
全く申し訳ないことです。
あまりに忝いので諄々と述べることはしません。
最後までお付き合い下さり、ありがとうございました。

このシリーズはこれにて完結でございます。
劇場版を楽しみに待ちつつ、後書きとさせていただきます。
(また別作品のSSを披露すると思いますが、その折には宜敷くお願いします)

 

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