第19話 秘薬

(恐ろしい計画が実行に移された。フェイトはデューオを和平の敵と認め、ひとつの決断をする。戦いの行方は――)

 かつて世界を襲った闇は姿を変えて再来した。
得体の知れない不気味な様相を、銀色に光るシンプルな体に変えて。
それらは宙を舞った。
「今度は西側からだ! 応援を!!」
「お前たちは艦長を守れ。我々は左翼を切り崩す」
「さらに敵影! 抑え切れません!!」
世界のいたるところで戦いが起こっていた。
敵は賛成派でも反対派でもない。
不気味な駆動音を響かせるキューブの群れだ。
どこからか現れたそれらは、管理局に所属している者を狙う。
元賛成派、元反対派の区別なく。
「数が多すぎる!! 退きましょう!!」
「この先は住居区だ。なんとしてもここで食い止めなければならん」
老獪がいつか呟いたように。
管理局はあまりに無力だった。
シェイドの死後、神出鬼没の影に大きな打撃を受けた彼らは――。
全く同じ状況に対応できなかった。
敵は正体不明の存在ではない。
誰の目にも見え、誰にもその存在を知覚できる自律兵器だ。
しかし、それらに――。
彼らは対応できなかった。
結局、管理局には改革はおろか、進歩も成長もできなかった。
この膨れ上がった組織ができるのは、ただ版図を広げることだけ。
既に端々にまで目が行き届かなくなっている状況にもかかわらず。
”管理したい”という欲求を具現するために、彼らはさらなる宇宙の向こうを目指す。
手に余る空間を手に入れようとする。
その果てがこれだ。
彼らは同じ戦いを繰り返す。
歴史から学び、しかしそれを活かすことなく。
今度は銀色の影に蹂躙されるだけだった。
結局は同じだったのだ。
法案が否決された今、武装隊に今以上の力を持つ事も、行使することも許されない。
迫り来るキューブを殲滅する魔法も、いつからか本部に縛られた彼らに用いることは認められない。
規則、規律、法・・・・・・。
組織の秩序を保つためのそれらが、組織を構成する彼らを守ってはくれなかった。
彼らは自ら作り上げたルールによって滅ぶのだ。
デューオ・マソナの思い描いたふたつめの理想は成就しかけていた。
自ら足枷をつけたまま戦う管理局が衰退していく様を、彼の濁った眼は世界の中心で見つめている。
魔導師による”管理”という名の支配が終わり、ムドラの民による”統治”が始まる瞬間を。
彼は待ち続けた。
「ついにこの時が――」
老獪は笑んでいた。
そうするつもりはなくても、次から次に笑みが零れてくる。
戦いは終わったのだ。
後は彼が何もしなくとも。
忌まわしい世界は自ら終わりに向かってくれる。
全てが終わり、静寂が訪れた頃に、彼はもう一度声を発する。
怨敵が滅んだ事実を宣言し、今日のために生き延びたムドラを新たな世界に呼び出すために。
この世界から魔法が消え去り、それを操る者がひとり残らず滅びた後。
あらゆる戦いは終わる。
もう永遠に紛争すら起こらないだろう。
これからはムドラが管理局に代わって世界の均衡を保つ。
”支配”でも”管理”でもない。
真の協調と平和、バランスを齎すのは・・・・・・。
(我々だ――)
デューオは震撼する管理局本部を悠然と歩いた。
キューブの襲来が各地から伝えられ、地上本部の機能はほぼ停止している。
中枢では情報処理が間に合わず、指揮系統も麻痺寸前だ。
駐留していた武装隊の殆ども寄せられたデータを元に現地に派遣されたため、本部を守る者の数は少ない。
(なんと脆弱なことよ・・・・・・メタリオンの襲撃の頃からこの体質は変わっておらんな・・・・・・)
頭数を揃えておきながら有事に対応できない体質に、彼は少しだけ同情した。
管理局は危機を予見する能力が欠如している。
メタリオンの襲撃、闇の襲来をこの短時間に経験しておきながら、彼らはそれを活かすことができなかった。
この愚かさにデューオ・マソナは少しだけ感謝する。
結果的に彼の計画を遂行しやすくし、ムドラの統治を早めたのは彼らの愚かさのおかげだ。
「貴様ッッ!!」
後ろから怒鳴られ、老獪は大儀そうに振り返った。
デバイスを構えた局員が数名、通路の奥にいる。
あの何の役にも立たない道具をこちらに向けている。
「ここの連中はずいぶんと悠長だな。ターミナルに敵が現れたという話だが諸君は行かなくてよいのかね?」
「貴様を捕らえるのが先だ。デューオ・マソナ、あのキューブを放ったのはお前だな?」
「捕らえる? それは妙だな。わしはほんの少し前まで捕らえられていたハズだが?」
この老人はいつも不敵な笑みを浮かべる。
無理に表情を作る必要はもうない。
目の前には名も知らない武装隊。
いくら集まってもプラーナの前では脅威ではない。
空気が僅か振動し、デューオは彼らが間もなく魔力の波を放つだろうと悟った。
彼はそれが起こる前に、
「愚昧な魔導師どもめ!」
掌をさっと彼らに向けた。
目に見えないムドラの力が一瞬で武装隊を吹き飛ばす。
踵を返し、彼は再び歩き出した。
まずは2人の同胞を解放しなければならない。

 

「信じられない・・・・・・」
リンディはこの場にいる全ての者の気持ちを代弁した。
誰にも勝利の余韻に浸る暇すら与えられなかった。
法案の否決は世界を駆け巡り、争いを望まない人々に輝かしい未来を約束するハズだった。
宿舎に戻ったリンディたちは、この居心地の良い仮住まいでほんの少しだけ戦勝を祝い合った。
戦いは終わったのだと。
無益な争いは生まれないのだと。
ムドラとの和平の道はこじれることなく、続いていくものだと。
誰もが思っていたのだった。
だがそれらは消えた。
本部に近い場所にいたため、彼女たちは世界で起こった出来事をいち早く知ることになった。
「これは・・・・・・やはりデューオ閣下の仕業でしょうか?」
机上のモニターを眺めてロドムが呟く。
「証拠はないわ」
リンディはそう前置きした上で、
「でも動機はあるし、キューブを使ったという点からも・・・・・・疑いたくはないけど――」
躊躇いがちに持論を述べた。
「間違いなくあいつね」
対照的にクージョは思っていることをそのまま口にする。
「私にキューブを作らせた本当の目的はこれだったのね・・・・・・もっと早く気付いていれば――」
恨めしそうに言い、彼女は拳を握り締めた。
この才女の創り出す多くの技術、兵器は管理局員の安全を確保するとともに、世界の安寧秩序のために用いられるハズだった。
それが意図に反し、全く逆の目的で使用されたことにクージョは憤りを隠せない。
「早く手を打たないと・・・・・・」
と呟くリンディに、
「既に施設の協力者が可能な限りのキューブUを起動させたわ。数ではとても及ばないけど、連中を押さえ込むには充分よ」
彼女は早口で答えた。
「ただ、範囲が広すぎる。デューオには準備する時間があったけど、こっちには・・・・・・」
各地でほぼ同時に活動し始めたキューブと違い、キューブUはそれより遅れて数箇所の拠点から飛び立っている。
対応が後手に回るのは仕方がないとしても、これでは遠隔地への援助が間に合わない。
「そう、よね・・・・・・」
珍しくクージョが歯噛みするのを見て、リンディは立ち上がった。
「やはり私も行くわ。ここで手を拱いていても何も変わらないもの」
「お待ちください!」
それをロドムが慌てて制止する。
「提督の身に何かあったらどうなさいます? 法案は否決されたとはいえ、デューオがこのような手段に出た以上、
戦いはまだ終わってはいないのですよ?」
「だからよ」
リンディは通る声で言った。
「だから戦うの。彼の暴挙を見過ごすわけにはいかないのよ。それに――」
「・・・・・・・・・・・・」
「フェイトさんたちも戦っているのよ」
「・・・・・・・・・・・・」
正義感の強さは行動力に最も顕著に現れる。
キューブの襲撃を知るや、フェイトたちはすぐさま飛び出していった。
優秀な魔導師でもこの世界で抵抗する全ての局員を守りきれるわけではない。
それでも彼女たちはまず目先の、管理局を守るために戦いに身を投げた。
「提督、どうかご理解を。戦いが続いているというなら、あなたの戦場はあのキューブの中ではありません」
ロドムは諭すように言う。
「終決してもこの騒ぎをキッカケにまた軍隊化の声をあげる者が出てくるでしょう。その時は・・・・・・提督。
一度は否決に導いたあなたの力が再び必要になるのです! 軽はずみな行動で命を危険に晒すべきではありません!」
彼はあくまで何を優先すべきかを重視して述べているに過ぎない。
心根ではもちろん、この過酷な戦いに挑み続ける少女たちの身を案じている。
だが感情的になって万が一にもリンディを喪うことにでもなれば、その損失は計り知れない。
状況はもはや法案の可否など全く意味を成さないほどに深刻化している。
いまデューオの暴挙を止めるだけでは全てを終わらせることはできない。
「私も彼の意見に賛成よ。誰にだって役割はあるわ。あなたにも、私にもね」
クージョが殆ど聞き取れない声で言った。
机上のモニターは刻々と変化していく情勢を即時に伝えてくる。
そのどれもは新たにキューブが現れたこと、各地で局員が苦戦を強いられていることのみを流し、
デューオを除く人々にとっての吉報はなかった。
「戦地を見誤ってはいけないわ」
クージョはそう言い足すが、リンディは納得できないと言いたげにかぶりを振った。
無謀ではない。
血気に逸った行動でもない。
彼女はこの戦いを終わらせるために立ち上がったのだった。
「提督!!」
ロドムの諌めを彼女は敢えて無視し、
「私の言葉が武器になる戦いなら逃げずに立ち向かうわ。でも今はそうじゃないのよ。認めたくはないけれど・・・・・・。
今だけは話し合いなんてきっと何の意味も持たないのよ。あのキューブをどうにかしなければ――」
デューオの目論見どおり管理局が潰えてしまえば、その時はもうリンディの声を聞く者も、
彼女の声に賛同して行動を起こしてくれる者もいなくなる。
「ていと――」
この忠実な男は自分が仕える女性の性質をようやく思い出した。
(引き止めても無駄でしょうね)
この揺るがない信念が賛成反対に惑う多くの高官の心を掴んだのだ。
「しかたありませんね」
一途で頑固な主に呆れるように息をひとつつき、彼も立ち上がった。
待機していた局員たちが何事かと注目する。
「戦いはまだ終わっていない」
ロドムが凛とした口調で言う。
「我々の任務は提督の護衛だ。リンディ提督はこれよりキューブの殲滅に向かわれる」
彼女の率いる局員は優秀だ。
ロドムがこれだけ言えば、その後は全て理解してくれる。
「あなたたち・・・・・・」
クージョは眉を顰めた。
「すみません、クージョさん。私たちの上司は一度決めるとなかなか曲げない頑固者でして」
朗らかに笑うロドムは、暗い未来を感じさせない。
「そう、そうよね・・・・・・」
半ばこうなることも予想していた彼女は驚きはしない。
「あれは私の自慢の失敗作よ。この近くであればキューブUを応援に向かわせられるわ。リンディ、それにあなたたちも――」
「・・・・・・・・・・・・」
「相手は命を持たないただの機械。使用者に命じられればその通りに動くだけ。でもだからこそ、前にも言ったように
その脆弱性を衝けば状況は変えられるわ。私からのお願いよ。破壊したキューブの残骸をできるだけ多く持ち帰ってほしいの」
「クージョ・・・・・・」
この女性は有能であるが故にプライドが高い。
その点を熟知した上で付き合ってきたために、リンディは彼女がしばしば見せる高慢さにも辟易せず接していたが、
ここに来てその彼女が”頼みごと”をすることに驚きを隠せなかった。
「残骸からデータを回収すればあいつが指令に使っている周波数が割り出せる。
いま世界中に散らばっているあのキューブはECMに対する防御能力を得ているようだけど、基幹までは変えられないハズよ」
クージョは制御盤を叩き、周辺の地図を表示させた。
「ここが私が世話になっている施設なの。スタッフも優秀なのが揃ってるわ。できるだけ早く、キューブをここに持ってきて」
「どれくらいあればいいの?」
「多ければ多いほど。そう、ね・・・・・・欲を言えばできるだけ損傷の少ないものがいいわ。
特に基幹部が無傷であれば解析に時間をかけなくて済むハズだから」
「分かったわ」
躊躇なくこちらを殺しにかかる兵器を無傷で持ち帰れ、とはあまりに難しすぎる注文だ。
だがその報酬はこれから犠牲になるかも知れない多くの局員の命である。
「リンディ、あなたの大切な仲間を少し借りてもいいかしら?」
言いながらクージョは外套を羽織った。
「私なら大丈夫。これでも場数は踏んでいるもの。あなたたちに彼女の護衛をお願いするわ」
武装隊の数名がクージョに歩み寄る。
「クージョさん、施設に着くまで我々がしっかりと守ります。ご安心を」
「ええ、頼りにしているわ」
彼女はくすりと笑い、小さく息を吐く。
「もう少し、魔法の勉強をしておくべきだったわね。たかだか十数分の移動さえ自分ひとりでできなくなるなんて――」
デューオの放ったキューブは管理局に属する全ての者と魔導師を標的にしている。
直接、現場に出て戦うことのないクージョのような存在でも、今となっては攻撃対象に入ってしまう。
「おかしなことを言うわね」
リンディは微笑した。
「それぞれに戦場がある、と言ったのはあなたよ? 進んで来た道が違うのは当たり前だと思うけど」
「・・・・・・・・・・・・」
「あなたはあなたの戦いのためにその道に進んだ――その方面に疎い私からすれば羨ましいくらいよ」
これはクージョにとってこの上ない賛辞だったハズだ。
だが彼女の表情は優れない。
「羨ましい・・・・・・? ええ、そうかもしれないわね・・・・・・」
「なにかあった・・・・・・?」
「悔しくてたまらないのよ。自分が手掛けたもので・・・・・・たくさんの人たちが死んでいくのが・・・・・・。
世界のどこかで、私が知りもしない人たちが殺されるのよ? 私が作ったものが殺すの!」
「クージョ・・・・・・」
「こんな事のために作ったのじゃないわ! あれはたくさんの人を救うハズだった!
管理局とかムドラなんて関係なく! 争いに巻き込まれる全ての人を救うハズだったのよ!!」
冷静沈着――時に冷酷にも見える彼女は昂ぶった感情を隠そうともしなかった。
技術を悪用されたばかりか、その力によって罪もない多くの同胞が襲われている事実が。
プライドの高い彼女には受け容れ難かった。
自分は殺人の肩入れをしてしまったのだという意識が、この高慢な科学者を責め苛む。
「それは結果論よ。あなたはそんな目的で作ったのではないでしょう? 艦もデバイスもキューブも・・・・・・。
結局は使う人の心に左右されてしまう。魔法でさえもね」
だから力を持つのであれば、それは正しい心の持ち主でなければならない、とリンディは言う。
「それにそのキューブを使って争いを止められるのもあなたなのよ、クージョ?」
実際のところ、世界で起こっている混乱を鎮められるか否かは彼女の双肩にかかっている。
いかに優れた魔導師といえども、圧倒的な個数を有するデューオの勢力には太刀打ちできない。
生き延びる道はクージョはじめ有能な科学者によってキューブを解析し、
戦闘行動停止命令を世界に向けて発することしかない。
「ええ、そうね・・・・・・そうだわ」
それぞれに役割があり、それぞれに戦場がある。
ここにいる全ての者が改めてそれを思い知った。

 

 なのはの額に汗が浮かぶ。
状況は劇的に変化した。
だが彼女が直面する事態に変化は起こらない。
魔法しか使えないこの少女に、デューオの相手は務まらない。
唯一の対抗手段であるエダールモードも解除された今、できるのは僅かな時間稼ぎだ。
だがそれが分かっていて、なのはは敢えてこの道を選ぶ。
他に選択肢はないのだ。
平和を愛するこの少女が、ひとりで最後の戦いに赴こうとする親友を放っておけるハズがなかった。
何の役に立てなくても
足手まといになろうとも。
平和のためになのはは何かをしようとする。
世界を跋扈するキューブは力を持つ者であれば、誰でも撃退できる。
だが、デューオ・マソナ。
彼を止めることができるのは――。
フェイト・テスタロッサ。
彼女ただひとりだ。
「なのは」
対決を前に、フェイトは陰鬱な表情で呼びかけた。
「どうしたの?」
不安げになのはが問う。
「今度は・・・・・・止められないかもしれない・・・・・・」
フェイトは消え入りそうな声で言った。
その言葉の意味は、なのはにはすぐには理解できない。
なぜならフェイトの覚悟は、なのは自身が決して受け容れられないものだからだ。
「止められない、って――?」
勘付いてはいる。
しかし理解はできない。
理解した振りをすることさえ、なのはにはできない。
これまでこの少女が取ってきた道は常に、”話し合い”だった。
それが大抵の場合は奏功したために、視野の狭い彼女はそれこそが正しい道だと信じるようになった。
かつてライバルだったフェイトと今こうして共に戦っているのも、対話を通して友情を育んだからだ。
結果的に故人になったが、シェイドの心から憎悪が取り除かれたのも対話の力があったからこそだ。
「フェイトちゃん、まさか・・・・・・!?」
「・・・・・・・・・・・・」
この有能な魔導師は答えを返さない。
その反応こそが何よりの答えとなった。
おそらく誰もが望まない手法だった。
敵対するものを力で捻じ伏せ、終わらせるやり方は。
皮肉にもデューオ自身が反対派に対して使っていた手だった。
横暴な賛成派の攻勢に対し、反対派はあくまで弁論と人々の心に訴えかける方法で挑んで来たが――。
そのやり方では通らない場合があることを、フェイトは認めざるを得なかった。
結論に達してしまったのだ。
デューオ・マソナを生かしておいては危険だと。
どれほど時間をかけて説得を試みても、彼の心を動かすことはできないのだと。
彼がプラーナを用いる以上、管理局に彼を抑えることはできない。
捕まえ。裁判にかける、という手順は不可能だ。
あの老獪は生きている限り次の手、さらに次の手を使って世界に混乱を齎す。
つまり”止められない”のは・・・・・・。
彼女の、彼を殺そうとする手だ。
対話がことを望ましい結果に導くのは、両者の心が通じ合うことが前提だ。
それが不可能だとなれば。
「私はこの世界を守りたいんだ。シェイドが作ろうとした世界も。私たちも、ムドラも」
フェイトはいつも迷わない。
なのはと同じく平和を愛する彼女は、しかしなのはとは違うやり方による実現を決意した。
「フェイトちゃん・・・・・・」
それに対し、なのはは口出しできない。
無力な自分に無責任な制止はできない。
彼女の決意を鈍らせ、それが元で彼女を喪うようなことになれば――。
今度こそ世界はデューオの思うままになってしまう。
「もし、私が”そうする”としたら――なのはには・・・・・・そんな私を見られたくないよ・・・・・・」
本来は他人を傷つけるにさえ耐え難い苦痛を感じる少女だ。
まして相手の命を奪うことも辞さない覚悟は、少女にとってはあまりに残酷すぎる決意だった。
「・・・・・・・・・・・・」
ひとりを殺して世界を救うか。
ひとりを生かして世界を殺すか。
単純に数の問題ではない。
だが重さの問題ではある。
それが崩壊を止める唯一の方法であるならば――。
少女はその最後の選択をしなければならない。
「私は・・・・・・何があっても、フェイトちゃんの味方だから」
なのはは言う。
自分にできることはこれくらいしかない。
彼女の想い、信念、勇気、決断。
それら全てを受け容れ、肯定し、背中を押すくらいしか。
「ありがとう」
複雑な笑みを浮かべ、フェイトは静かに返した。

 

 管理局は彼が考えていたよりも少しだけ利口だったようだ。
ブロンテス、テミステーが収容されていたハズの棟には誰の姿もなかった。
わざわざ厳重なセキュリティをこの施設に巡らせていたのは何だったのか?
デューオは苛立った。
プラーナを持たない2人では、混乱に乗じても逃げ出すことはできない。
施設内に争った形跡はなく、この騒ぎの前に別の場所に移送されたと考えるのが妥当だ。
「ふむ・・・・・・少しは頭を使う者がいるということか・・・・・・」
その頭を使う者にまんまと出し抜かれ、彼は面白くなかった。
これによって探す手間が発生してしまう。
(最後の抵抗、とでも受け止めておこう)
そう無理やり自分を納得させる。
たかだか数名の局員に翻弄される事実など、彼が認めるハズがなかった。
老獪はゆっくりと施設を出た。
出口に向かうにつれ、まず音が聞こえてくる。
激しく争う音。
これは戦いの音。
魔導師とムドラの民の、最後の戦いの音だ。
無数のキューブが飛び交い、それを魔法の力を持つ者たちが迎え撃つ。
ありふれた光景だ。
だがそこは少しだけ違っていた。
陽光に反射する蜘蛛の巣のように光が交叉する中。
彼の心を最も掻き乱す少女がいた。
「デューオさん・・・・・・」
静かに呟く少女の瞳には慈愛の光が宿る。
しかしそれは憐れみの色までは湛えていない。
これは戦いに臨もうとする者の瞳だ。
「きみたちはどこまでもわしの邪魔をしたいようだな」
感情を隠すのが得意な彼も、もはやこの局面では演技をする必要はないと感じたか、
憎悪をもってフェイトを睥睨した。
この感情こそがムドラの民に力を与えてくれる。
プラーナの力を最大限に引き出してくれるのだ。
「邪魔をしているのはあなたのほうです」
フェイトははっきりと言った。
「たしかにムドラの中には・・・・・・いえ、私たち魔導師の中にも互いに憎み合っている人はいると思います。
でも多くの人は平和を望んでいます。争うだけじゃなく、手を取り合おうとしているんです!」
「ああ、そうだろうとも。しかしそれは数の問題だとでも言うのかね? 平和を望む者が多数であるという理由で、
少数の平和を望まない者の主義を封殺できるのかね?」
弁論が力を持つ戦いはもう終わっている。
法案が否決された時、それはもう終わったのだ。
「”わしら”は貴様たち陋劣な魔導師が世界を管理することを認めん。真の平和は・・・・・・秩序は、正義は、安寧は・・・・・・。
勝利によって蔓延り、敗者を僻地に追いやった貴様たちには決して為し得ぬものよ」
デューオは笑わない。
笑うことによる効果を狙う必要はない。
年甲斐もなく、彼を突き動かすのは積年の怨恨だ。
理性を半ば捨て去り、彼を形成する根幹の感情――怒りによって彼は動く。
「和平の道などない! それを先に壊したのは貴様たちのほうだ!!」
デューオは右手を突き出し、五指から閃電を放った。
光の速さで蛇行する稲妻がフェイトめがけて走る。
少女はそれを左手で抑え込む。
フェイトは一瞬だけ目を逸らした。
かつてシェイドと戦った時と同じ。
凄まじい憎悪が流れ込んでくる。
強すぎる情念がプラーナの力を借りて少女の体を貫こうとする。
だが、それはできなかった。
魔法とプラーナの境界を超えたフェイトには。
これを受け止め、跳ね返すだけの力がある。
「・・・・・・・・・・・・」
デューオの背後で桜色の光が瞬いた。
中空から幾条もの光が降り注ぐ。
彼には分かっていた。
この2人はいつも行動を共にする。
まるで姉妹のように片時も離れることがないのを。
彼は知っていた。
――高町なのは。
フェイトと違い、プラーナに抗う力を持たない彼女にはこの戦法しか残されていない。
彼は左手を後ろに回し、指を曲げた。
目に見えない力が障壁となり、降り注ぐ光をあさっての方向へ捻じ曲げる。
「愚か者めっ!」
「うあっ!!」
直後に発せられたプラーナの波がなのはを吹き飛ばす。
彼女がデューオの注意を引いたのは、たったの数秒。
しかしその数秒が。
戦況を一変させる。
「私は――!!」
黄金の、眩い光が中空を走った。
魔法ではない、プラーナでもない力が。
閃電となってデューオの稲妻を食い破っていく。
「シェイドのやり方は間違いだと思っていました! デューオさん! あなたのように力で全てを決めるのも・・・・・・!!」
黄金が迫る。
彼はそれを全力で受け止めた。
「私たちはいつか必ず分かり合える、って――!! そう信じていました!」
「いまは・・・・・・違うというのかね・・・・・・!? いま貴様がしていることこそ――!!」
「そうですッ!!」
一度は押し戻されたフェイトの力が、さらに強く、さらに勢いを増してデューオに伸びた。
「どれだけ言葉を重ねても・・・・・・けっして通じ合えない相手もいることを知りました!! デューオさん・・・・・・あなたが!!」
「・・・・・・・・・・・・!!」
「あなたが平和の敵だというのなら・・・・・・”私たち”の邪魔をするというのなら――」
どうするというのか、と彼は問うことができなかった。
何か疑問を投げかける前に、とある世界で口伝されているような巨大なドラゴンが。
彼を呑み込んでしまったからだ。
痛みが走り、熱が伝い、デューオ・マソナの肉体は黄金の稲妻の中に打ち上げられた。
問うまでもなかった。
答えを聞く必要もなかった。
凄まじいエネルギーが彼を吹き飛ばし、憎悪で構成されていた老躯を瓦礫の向こうに叩きつける。
言葉によらずとも。
念話を用いずとも。
デューオ・マソナには理解できた。
この少女が。
フェイト・テスタロッサが何を考え、何をしようとしているのか。
背中から全身を巡る痛みが老獪に現実を教える。
プラーナの加護によって衝撃は軽減できたものの、彼が全身に受けた閃電は今も体内を駆け巡っている。
「これまで否定し続けた方法を・・・・・・貴様に選択できるのか・・・・・・?」
精一杯の強がりだった。
賛成派――デューオはこの瞬間までずっと油断していた。
毅然と立ち向かう反対派に思い切った行動はできないのだと、信じ切っていたのだった。
その姿勢に甘えていた。
だが、もう違う。
彼の”深い読み”はもう通用しない。
少女は覚悟をしていたからだ。
反対派がこれまで自戒していた手段。それを実行するだけの覚悟を彼女はしてきた。
「わしを殺せば・・・・・・いいか? 和平の道は永遠に消え失せる。貴様が私を殺すことで、貴様が最も望まない結末を迎えるのだ」
そうとも。
彼女に自分は殺せない。
デューオはそう思い込んだ。
本来ならこうして戦うことすらできないハズなのだ。
ムドラとの共存を願う者が。
そのムドラと敵対するという矛盾した行動がとれるハズがなかったのだ。
これまでは――。
「そうは思いません」
フェイトは抑揚のない声で言った。
かつてジュエルシードを巡ってなのはと対立していた時の。
あの冷たい眼で。
「・・・・・・・・・・・・」
肩で息をしながらデューオは立ち上がる。
だが体はそれ以上、彼の言うことを聞いてはくれない。
「シェイドは・・・・・・私たちの共存のために自分を犠牲にしました。結果的にシェイドの犠牲が、今の私たちを作ってくれたんです」
「そうだろうとも。しかし今、貴様は彼のその尊い犠牲を無駄にしようとしている。わしを害しようとすることでな」
「違います」
「・・・・・・・・・・・・」
「和平を壊そうとしているのはあなた自身の意思です。”私たち”はそれを――」
フェイトは手をかざした。
何の前触れもなく、再び黄金の閃電が伸びる。
「うむ・・・・・・っ!!」
容易に予想できる一手だ。
だが疲弊しているデューオにはこの一撃すら防ぐのは難しい。
「これ以上、犠牲を出さないためには・・・・・・!!」
稲妻が輝きを強くする。
誰よりも強く、誰よりも優しい少女の決意が。
それを最も向けるべき相手を焼き尽くす。
「ううぅぅ・・・・・・・・・・・・!!」
もはや老体に力は残されていない。
たったひとりの少女さえ撥ね退けることもできない。
デューオの目の前で光が爆発した。
黄金が彼の全てを奪う。
数秒後には――両者の立ち位置はこの戦いの始まりとは全く逆になっていた。
フェイトはデューオを見下ろしていた。
少女の瞳には憐れみの色が浮かんでいた。
しかしそれは彼に向けられたものではなかった。
彼女が嘆くのは、この戦いに巻き込まれ、負傷し、命を落とした多くの人々。
「デューオさん――」
少女は呼ぶ。
その呼びかけに今さら何の意味もないと分かっていながら。
この永い一瞬は彼にとって苦痛でしかなかった。
陋劣な管理局の、その末端にいるような少女が自分に勝り、出し抜き、こうして見下ろしている構図が。
彼には耐え難い苦痛だった。
しかしこの苦痛も間もなく消え失せる。
彼の体から、あるいは精神から永遠に。
フェイトは愛杖バルディッシュをデューオに向けた。
”できるハズがない”とこの瞬間まで思い込んでいた彼は、ここで初めて自分が恐怖していることに気付く。
慢心はあらゆる勝者を敗者に転落させる。
永い人生の中でそれを嫌というほど見てきた彼は、歴史からも経験からも”それ”を学ぶことはなかった。
唯一の学ぶ機会が今だが、あまりに遅すぎた。
(わしを殺すのか・・・・・・?)
魔法は万人を救う盾にも、万人を殺める凶器にもなる。
理想の世界を目前にし、デューオは死をただ恐れた。
自分のこれまでを否定するもの――死。
それがもうそこにある。
それを齎すのは彼の怨敵である、ひとりの魔法少女。
(わしを殺すのか・・・・・・!?)
大勢の反対派の死にさえ何も感じなかったデューオは、滑稽なほど自分の死に怯えた。
心のどこかでは、まだ”できるハズがない”と思い込んでいる。
楽観ではなく渇望。
今や狼狽を隠しきれないこの老獪は、
「わしを殺せば和平は来ない! 貴様はまた犯罪者に成り下がる! 分かるか!?」
プライドだけは捨て去れず、凄みのない脅しを利かせようとする。
しかしフェイトは何も答えない。
動じることもない。
ただ、ほんの僅か逡巡するだけだった。
(バカな・・・・・・・・・・・・ッッ!?)
したくない覚悟をすることはできない。
彼はまだ死ぬわけにはいかなかった。
その手で未来を掴むまでは。
その目で理想の世界を見るまでは。
「これで終わりにしましょう・・・・・・」
しかしそれらは叶わない。
「貴様に・・・・・・わしは――」
全ての元凶が何か言いかけた時、フェイトのすぐ横を光が掠めた。
オレンジ色のそれは針のように細く、周囲の空気を巻き込みながら、ただ一点に注がれた。
デューオの体が僅かに跳ね、それからゆっくりと葛折れる。
「あっけないものだ・・・・・・」
哀しげな声にフェイトはゆっくりと振り向いた。
よく知っている男がいた。
彼は銃を構えたまま、
「もっと早く、こうすればよかった・・・・・・」
搾り出すように言った。
「そうすれば・・・・・・誰も犠牲にならずに済んだのに――」
男は光の宿らない瞳でデューオを見、フェイトを見た。
「ビオドールさん・・・・・・?」
そこにいたのは彼だった。
リンディの友人であり、賛成派であり、同時に彼女たちの協力者でもある――。
彼がそこにいた。
「私にはそうするだけの勇気がなかった! 妹を喪い・・・・・・もう誰も犠牲を出さないと願ったハズなのに・・・・・・」
ビオドールは自分のこれまでの、あらゆる選択を悔やんだ。
彼は悉く間違え続けた。
深く考えずにとった行動が、全てをダメにした。
妹の死後、彼はその喪失に拘泥るあまり、闇雲に軍隊化が正しいと考えた。
間もなく過激な賛成派のやり方に不満を抱くも、彼自身はそこに居続けた。
そうするしかなかったのだ。
最愛の妹の死は、管理局が自らに足枷をつけたのが原因だったから。
その枷を取り外し、もう二度と、あらゆる脅威から人々が苦しまなくて済むように。
それが彼――ビオドールの願いだった。
だがその手段は間違っていた。
結局、人々を救うどころか、さらに多くの死傷者をこの戦いは生み出してしまった。
その一因はもちろん自分にある――と、彼は思っている。
少なくともデューオの正体がムドラだと判明した時から。
彼がたんなる軍隊化以外の目的で法案を成立させようとしていることに気付いた時から。
ビオドールが数分前にとった行動をとっていれば、助かった命があったのだ。
「フェイト君」
彼はデューオを睥睨して言った。
「きみは何もしていない・・・・・いいね?」
「え・・・・・・?」
「それから、なのは君。きみもだ。きみはデューオに襲われそうになったフェイト君を助けた」
背中を強打し、ようやく立ち上がったなのはに彼は淡々と告げた。
「あの、一体なにを・・・・・・?」
フェイトにも、なのはにも、彼の言っている意味は理解できない。
理解する必要はなかったし、ビオドールにとっては理解させるわけにはいかなかった。
「きみたちは優秀だ。力もあるし、それに正義と平和を愛する心、そのために行動できる勇気も持っている」
彼は言った。
「そんなきみたちがつまらない理由で未来を閉ざしてはならない」
「ビオドールさん?」
「この世界には、フェイト君、なのは君。きみたちのような人間が必要だ」
彼はもう一度、デューオを見た。
この世界では常なるもの。
”死”がそこにあった。
この老獪が今日まで、あらゆる悪辣な手法によって葬り去ってきた多くの反対派のように。
彼自身もまた、それらのひとりになった。
強い魔力を持ち、提督として幾多の難所を潜り抜けてきたビオドールの放った魔法は。
銃と弾丸の力を受け、文字どおり光の速さでデューオを貫いた。
死角からの、全く予期していなかった一撃を老体は躱すことはできなかった。
彼――デューオ・マソナの最後の油断が彼に死を与えたのだった。
ビオドールは賛成派の首魁が間違いなく絶命しているのを確かめると、
「彼を殺したのは私だ」
明らかな事実を敢えて口にした。
「これが・・・・・・私の償いだ。とても足りないが・・・・・とても足りないが、せめて――」
彼の脳裏に、夭逝した妹の姿が浮かぶ。
「たとえ相手が誰であろうと、私のしたことは犯罪だ。許されることではない」
「ビオドールさん――なのにあなたは・・・・・・?」
彼がそうしなければ、それをするのはフェイトのハズだった。
もしかしたら最後の瞬間にいくらかの躊躇いはあったかもしれないが、
それでもこの少女には既にデューオ・マソナの命を終わらせる覚悟ができていた。
対話では解決ができないことがあると、彼女は知ってしまったのだ。
「きみを”また”犯罪者にするわけにはいかない。減刑も望めるかもしれないが・・・・・・」
「・・・・・・・・・・・・」
「私は彼に最も近い場所にいた。彼の企みも、正体も、誰よりも早く察知できる場所にいた。
だが・・・・・・何もかも遅すぎた所為で罪のない、多くの人々が犠牲になった。これはその償いだ」
表現を変え、彼はもう一度言った。
「これで全ては終わりだ。彼の死とともに賛成派は力を失うだろう。仮に修正案を出そうとする者が現れても――」
今や反対派が小細工なしにそれを押さえ込めるだろう、と彼は言った。
フェイトは俯いた。
これは彼女もこうなるべきだと思っていた結末だったが、道筋が少しだけ違う。
しかしデューオ・マソナは既にこの世の人ではない。
ビオドールの行動を無かったことにもできないし、デューオを蘇生させてフェイトが再びその命を負わらせることもできない。
「この世界を蝕み続けてきた病は・・・・・・最初からこうすることでしか取り除けなかったのだ・・・・・・」
彼は誰にも聴こえないように呟いた。

 

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