悪魔の招待状 ―― 1日目 ――

 

「ええ、皆さんのご都合さえよろしければ……」
誰に対しても慇懃なみゆきは、頬に手を当ててはにかむ仕草すら麗しい。
貴婦人のような佇まいの彼女には多くの人がそれに倣って恭しく振る舞うものだが、
「私はいつでもいいよ〜」
泉こなたは特段身構えるふうでもなくさらりと答えた。
「そういう台詞は宿題をちゃんとやってから言いなさいよ」
かがみが腰に手を当てて呆れ顔で言った。
「え? 今度も写させてくれるんでしょ?」
「”今度も”ってなんだ。自分でやれ」
毎度毎度の怠け癖にかがみは辟易した様子で言う。
「あ、それでしたら皆さん、課題を持ち寄ってはどうでしょう? 涼しい場所ですので捗るかと――」
「う〜ん……せっかく遊びに行くのに教材持って行くのは……」
「だ、だよね。こなちゃんもそう思うよね」
せっかくの休みに勉強話を持ち込まれ、こなたとつかさは揃って反対の意思表示をした。
「あんたら必死だな……」
少々の課題などものともしないかがみは、みゆきを見習えと言わんばかりに目配せする。
「でもついに念願叶うわけだよね」
こなたがさっさと話題を元に戻した。
「そうね、いよいよみゆきの別荘が明らかになるわけか」
こなたに続き、かがみも興味深げに頷いて見せた。
「おっきなお屋敷なのかな?」
「専用のゴルフ場とかテニスコートがあるかもよ?」
「屋上にヘリポートとか?」
「金銀珠玉でできた部屋なんかもあるんじゃない?」
3人が口々に妄想に妄想を上塗りしていく。
「あ、あの……」
そこにみゆきがおずおずと容喙する。
「期待されるのはありがたいのですが……その、あまり過度に期待されるとガッカリなさるかもしれませんから、あの……」
みゆきは耳まで真っ赤にして俯いた。
「みゆきさん、謙遜しなくていいって〜」
「いえいえ本当に……あの、つまらない所ですから」
彼女は大仰に両手を振って否定した。
「でもすっごく広いんでしょ?」
陽気さでは彼女に似たつかさが男を虜にするような笑顔で問う。
「ええ、まあ……」
その部分はみゆきも否定しない。
という答え方からして、こなたたちの言うようなテニスコートやらヘリポートやらはないものの、
建物とそれに付随する敷地は都会人からは想像もつかないほどの広大さのようである。
「いいなあ、別荘……」
つかさは呟いた。



 
 4連休を翌々週に控え、遊びに出かけようと計画していたこなたたちに、みゆきは別荘に招待したいと持ちかけた。
海や山だとそれなりに準備がいるが、高良家所有の建物周辺なら身の周りには困らない。
その手軽さももちろんだが、何より”別荘”というキーワードが彼女たちを魅惑したようだ。
以前からみゆき宅にお邪魔したいという話は出ていたものの実際にはまだ誰も行っていないこともあり、
今回の誘いは”ブルジョワの絢爛豪華な生活ぶりを見てみたい”というこなたたちの秘めた願いを叶えるものであった。
遊ぶことが大好きなこなたは二つ返事で承諾。
友人宅で3泊するということは各家族の了承を得なければならないが、これは簡単にクリアできる。
「折角ですから皆さん、ご友人をお誘いください」
この才媛は裕福さに加えて優雅さと余裕をも併せ持つ。
「え、いいの?」
と問うこなたにも、
「大勢のほうが楽しいですから」
と、既にもてなす側の度量の大きさを示している。
しかしこのあたり常識的なかがみは、
「あんまり多いと迷惑じゃない?」
と自分にも誘いたい友人がいることをさりげなく伝える。
「いえいえ結構ですよ。部屋数にも余裕がありますし。私もみなみさんに声をかけているんですよ」
みゆきが柔らかい口調で答えたため、3人は指折り誘う人数を勘定した。
「ゆーちゃんとひよりんも?」
「結構ですよ。それでしたら留学なさっている、ええっと……パトリシアさんもお呼びしましょう」
「日下部と峰岸もいいかな?」
「もちろんです。お2人にはかがみさんから声をかけて差し上げて下さい」
という具合に話はとんとん拍子に進む。
あやのはともかく、名前が挙がったのは異性との交際がない者ばかりだ。
呼べばすぐに集まる。
「どんなだろうね〜みゆきさん家の別荘」
「大したことありませんよ」
「でもなんかドキドキするね」
「んな大袈裟な。まあ、分からないでもないけど」
口々に豪華な別荘を想像しては語り合う3人にみゆきは困ったように謙遜こそするのだが、
その振る舞いの優雅さが却って彼女たちに実物以上の建物を連想させる。
「本当に大したことありませんから」
何度言ったか分からないみゆきの謙った発言は昼休み終了を告げるチャイムにかき消された。



「――っていう話なんだけど」
放課後。
かがみはすぐにB組には寄らずに、みさお、あやのに声をかけた。
「へえ、眼鏡ちゃんの別荘か……」
「きっとすごく大きいのよね」
「峰岸、つかさも同じこと言ったわよ」
「そうなの?」
話は思った以上にあっさりと済んだ。
特に予定のなかったみさおはすぐに承諾。
あやのも遠慮がちにだが是非お邪魔したい、とみゆきに似た奥ゆかしさで話に乗った。
その時、みさおがデートの予定はないのかと茶化したが生憎、時間の都合が合わないらしかった。
「みゆきが言うには船で1時間ほどの島にあるらしいわ」
断片的に伝わっている別荘の場所をかがみは誤りなく伝えた。
「ん、水着持って行ったほうがいいか?」
「そう、ね。私は一応持って行くけど」
「釣りとかもできるのかしら」
「あれ、峰岸って釣りするんだ?」
「ちょっとだけね。あ、でも釣ってもちゃんと海に帰すのよ」
「ん〜、そのへんはみゆきに聞いてみないと分からないわね」
あやのにしては珍しく乗り気のようだった。
普段キャラの強いみさおに隠れておっとりした面しか見せない彼女だが、アウトドアを嗜むこともある。
もちろんこれはみさおの影響だ。
小さな頃から男の子と見紛うほどに活発だったみさおは、夏になると山に虫捕りに出かけていた。
その際、虫カゴを持ってついて回るのがあやのの役どころだった。
活動的なみさおと、それに付き合うあやの。
それを繰り返しているうち次第に彼女も外に出る楽しさを知ったようだ。
「でもいいのかしら……?」
あやのはふと不安げにこう漏らした。
「私たち、高良ちゃんと知りあって日が浅いし、お邪魔じゃないかしら?」
ちらっ、とみさおがあやのを見やる。
「みゆきはそんな風に思わないわよ。むしろこれを機会にもっと仲良くなろうって考えてるんじゃないかな」
瑣末な悩みだと言わんばかりにかがみが流した。
「まあ……私がもっと早くお互い紹介していればよかったんだけど」
あやのの抱いた悩みは自分の所為だ、とかがみは言った。
これはどちらが悪いとも言えない。
かがみにはそれぞれの付き合いがあり、そのそれぞれが今回は一緒に行動するという話で繋がっただけだ。
「そっか、なんか悪いな」
取り持つようにみさおが言う。
「気にすることないわよ。せっかく招待してくれてるんだから楽しまないと逆に失礼じゃない」
かがみの見事な切り返しにみさおは小さく唸った。
しかしそのお陰で、
「そういう事なら――」
と漸く2人も誘いに乗ることができた。



――1日目。


 空を覆う青と海に広がる青は一見すると似ているが、目を凝らしてみるとその違いがよく分かる。
都会の港から見れば黒に近い海でも、遠く離れればそこには宝石を敷き詰めたような蒼がどこまでも広がっている。
「キレイだね〜」
天を仰いでゆたかが言った。
強過ぎない日差しと心地よい潮風は、病弱な彼女を守る息吹のようにも感じられる。
うん、と無言で頷き、その横でみなみも倣って空を見上げた。
「ほんとキレイだよ」
その後に”お2人さん”と小さく付け足して、ひよりは空と彼女たちを交互に見やる。
「またとないシチュエーションっス」
目を輝かせたひよりはメモ帳を取り出してしきりに何かを書き込んでいる。
「ニホンにもこんなビューティフルな海があったのデスネ!」
金髪を靡かせながらパティが目を輝かせて言う。
1年生組がそれぞれに感嘆の声を上げている一方。
反対側では妙に大人のやりとりが展開されていた。
「高良ちゃん、今日は誘ってくれてありがとう。ご迷惑じゃなかったかしら?」
「いえいえ、とんでもない。以前から一度、お誘いしたいと思っていたのですよ」
「眼鏡ちゃん家ってすっごいお金持ちだったんだな〜」
「そんな、大したことはありませんよ」
「でもこの船もみゆきのお母さんの所有なのよね?」
「ええ、まあ……」
口々に褒めそやされ、みゆきは困ったように俯いた。
少し離れたところではこなたとつかさが船縁から身を乗り出して、並行して泳ぐ魚群を眺めていた。
「魚ってあんなに小さいのになんで速く泳げるんだろうね」
「ヒレとかあるからじゃない?」
「う〜ん、それはそうなんだけど……」
彼女たちの乗る船はかなりの速力を出している。
海面近くを泳いでいる魚たちはまるで船を護衛するかのようにぴったりと付いている。
「岩倉さん、お忙しいところすみません」
まだ赤面したままのみゆきが操舵席の男に向かって一礼した。
「いやいや、高良さんところの船を動かせるんだから忙しいなんて言ってられねえですよ。
それにここんところ天気もぐずついちまって漁にも出られなかったからちょうどいいや」
岩倉と呼ばれた男は真っ黒に日焼けした腕を振りながら笑顔で答えた。
”ガンさん”の愛称で通っている彼は漁師として海に出る傍ら、時間が空いた時には送迎役も務めている。
港には高良家所有の船があと2隻あるが、どちらも短距離用客船のため滅多に動くことはない。
「昔はあっちの方も忙しかったのに、最近はどうしたんです? あれじゃせっかくの船も台無しだわな」
「ええ、以前はよくクルージングまがいの小旅行を楽しんでいたのですが……」
みゆきが申し訳なさそうに言った。
3隻の船は元々、高良家の親類縁者がプライベートで小旅行を催す際に使用していたものだ。
しかし小型の船では航行範囲も狭い。
何度かの旅行で飽きてしまった高良家は船を半ば放り出す形で一般客用に開放した。
捨て値同然の渡し料に設定するも、最近は格安のツアーが多いために利用は殆どない。
結果、船としては機能するも港に係留される羽目になっている。
「すげえよな〜。自分家の船持ってるなんてさ」
目を細めて水平線を眺めながらみさおが呟いた。
「そうよね。なんだか違う世界に住んでるみたい」
あやのもそれに同調する。
「話には聞いてたけど実際に見るとね……家なんていまだに黒電話よ?」
「そういやそうだったよな」
古風な家屋という佇まいも、一般人の価値観では資産家との対比にしか用いられない。
「あ、! みんな、見て!」
突然、つかさが舳先の方を指さして叫んだ。
その声に全員が海の向こうを見やる。
深い青の向こうに小さな島が浮かんでいた。
「我ラ無人島ヲ発見セリ!」
揺れる船の上で不恰好に敬礼したこなたが、どこかの将軍を気取って吠えた。
「バカね。あれはみゆきん家の島でしょ。無人島じゃないわよ」
「でも今は無人でしょ?」
「え? ああ……そうなるのかしらね……」
下手なツッコミをしてしまった為に、かがみは無人島の定義について考えなければならなくなった。
「一応みゆきの家が所有してるんだし……いや、今は誰もいないから無人島でいいのか? でも別荘が建ってるのよね?
いや建物は関係ないのか。あれ? ……ってことは私たちが着いた瞬間には無人島じゃなくなるってことに……?
じゃあ無人島には永遠に上陸できないじゃない。いやいや、そもそも無人島ってどういう状態を言うんだ?」
生真面目な彼女は律儀にパラドックスを解き明かそうとしたが、その悩みも直後に沸き起こる喚声にかき消される。
「うおー、スゲー!!」
子供の頃そのままにみさおは興奮して船縁を掴んで身を乗り出した。
その後ろではあやのがハラハラしながら袖を引っ張っている。
「よっし、5分もすりゃ着くからな。お嬢ちゃんたち、もうちっと辛抱してくんな」
岩倉は波の動きに合わせて船体を傾け、揺れの小さくなるように船を走らせた。
「砂浜もとても綺麗なんですよ」
「それじゃ砂の城とかも作れるんスか?」
「ふふふ、テレビで見るようなものは……さすがに砂の種類が違いますから。でも十分楽しめますよ」
「だって、みなみちゃん。一緒にお城作ろうよ」
「うん」
3人よれば姦しい女は、10人も集えば祭りの如き賑やかさとなる。
今になって気持ちが悪くなってきたと訴えるつかさを介抱しながら、かがみは次第に大きくなる島を見やる。
絵に描いたような南の島――というわけではなかった。
明らかになってきた輪郭は意外に歪で、ところによっては峻峭な絶壁も見える。
”南島=ヤシの木”という構図はフィクションの産物らしかった。
「まあ日本だしね」
むしろこのほうが自然だ、とかがみは呟いた。
船は俄かに速度を落として砂浜の一部から突き出した桟橋を目指す。
まるで車のように巧みに方向転換し、岩倉は慣れた手つきで杭に舫(もや)った。
「ほいほい。あっと気をつけなよ。いま寄せるからな」
男は逞しい腕で杭を掴み、ぐいっと引っ張った。
その力を受けて船が小さく揺らぎ、桟橋との距離をかなり縮める。
「よっしゃ、一番乗りだぜー!!」
みさおがまず降り立った。
「あんたは子供か」
その後ろを呆れ顔のかがみ。
さらにつかさ。
いつもながらのにこやかな笑顔であやのと続く。
「よいしょっと」
こなたが降りても船があまり揺れなかったのは、彼女が軽いせいかもしれない。
「ゆたか、大丈夫?」
「うん、平気だよ」
みなみが先に降りて、後からくるゆたかを支えた。
「ああ、まるでバージンロードを歩く新郎新婦みたい……」
その様を良からぬ顔で眺めながら、ひよりがそっと足を踏み出す。
「だったらワタシたちも百合百合シマショー!!」
「うわっ! 危ない! 危ないってぇーー!!」
パティがひよりに抱きついた。
2人は転げるようにして桟橋を駆けて行く。
「うふふ」
そんな彼女たちの様子を微笑ましげに見つめた後、みゆきは船頭に向きなおった。
「岩倉さん、ありがとうございました」
恭しく頭を下げる。
「いやいや、もう何度も通った道だ。ワケねえですよ」
改まった彼女の態度に岩倉は恥ずかしそうに鼻の頭を掻いた。
「ところでお迎えは予定どおり、3日後の昼頃でいいんですかい?」
「ええ、お願いします」
「高良さんがそう言うならしょうがねえが……心配だなあ。誰か大人がついていたほうがいいと思うんだがねえ」
「大丈夫ですよ。この島は高良家の所有ですし、危険な生物もいませんしね」
「う〜ん…………」
「それに食料等、前もっていろいろと準備していますからご心配には及びませんよ」
この岩倉という男、自分にも近い年頃の娘がいるために、子供だけの宿泊にはいくらか不安感を持っているようだ。
それにここまで案内したという事実もある。
もし彼女たちに何かがあれば、送迎した彼もその咎を受けかねない。
「いや、そういうワケじゃないんですがね……」
それまで苦笑交じりだった岩倉の表情が一転して険しくなる。
こなたたちは既に桟橋の向こう、砂浜で思い思いに小旅行を満喫している。
「脅かすつもりはねえんですが最近、この辺りで不審な人物を見かけたっていう話がありましてね」
「え…………?」
「いや、ほんと脅かすつもりはねえんですぜ? でもちょっと心配だなあ……」
「あの、どういうお話なんですか?」
みゆきが怪訝そうな顔で訊ねた。
「あんまり気分のいい話じゃないんで……」
岩倉はこなたたちに聞かれないよう声を落とした。
「そこまで聞いたら気になるじゃないですか」
みゆきは半ば怒ったように身を乗り出した。
口を噤んでいた岩倉は顔をしかめた。
だがやがて観念したように、
「あの子たちには言わないでやって下さいよ」
と前置きして彼は状況を説明しだした。
「不審者がいるって噂されるちょっと前だったかな。野良犬や猫の屍骸があちこちで見つかったんですがね。
それがひどい殺され方だったもんで弔ったんですがね。あれは絶対その不審者の仕業に違いねえですよ。
警察の捜査も始まってるんですが、まだ捕まってないらしくてね。気味の悪い話でしょ?
高校生つってもまだ子どもだからなあ、何人か大人がついてると安心なんですわ」
「そういうことでしたか……」
みゆきは頬に手を当てた。
「でもそれでしたら心配はいりませんよ」
「うーん……」
「ここは本島から離れた海の上です。その不審者もわざわざこんな島まで来る理由はありませんから」
「そりゃあなあ。高良さんの連絡なしにここまで送迎することはないから大丈夫とは思うが……」
「それより港にいらっしゃる皆さんのほうが心配です」
「………………」
今からでも保護者を同伴させては、という岩倉に対し、みゆきはかぶりを振った。
「――分かりました。ご友人同士、時には親元を離れて遊びたい盛りでしょう」
オーナーの娘の意向には逆らえない。
結局は岩倉が折れ、みゆきの言うとおり3日後の昼に迎えに来るという結論に落ち着く。
「ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします」
淑女たるみゆきは再び深々と頭を下げた。
では、と一礼して踵を返す。
桟橋を降りると柔らかな砂に足をとられそうになる。
普段アスファルトの上ばかり歩く都会人には、手に掬うとさらさらと零れ落ちる砂浜は慣れないうちは歩きにくい。
「お待たせしました」
波打ち際で戯れる面々にみゆきが寄る。
「皆さん、ひとまず荷物を部屋に置いてきましょう」
と言って彼女は島の奥に歩き出す。
「あ、はい」
砂山にトンネルを掘りかけていたゆたかとみなみは慌てて立ち上がり、その後を追った。
「すげぇな。この島全部、眼鏡ちゃん家が持ってるのか?」
高木が生い茂る林を進みながらみさおが問うた。
「ええ、島と別荘全て所有しています。指定生物以外なら釣りもできますよ」
「へぇ〜……」
スケールの違う話にかがみがため息をついた。
「いいなあ。ゆきちゃん、しょっちゅうここに来られるんだね」
「そうですね。といってもここ何年かは数えるほどしか来ていませんが」
「もったいないね」
一行はなだらかな斜面を進む。
アーチ状に伸びた枝葉が天然のトンネルを形成し、下を歩く彼女たちにちょうどよい日差しを提供してくれていた。
人の手の殆ど加えられていない道は足に優しく、土本来の反発性を全身に感じられる。
名前も知らない草が足首に絡み付き、つかさは時おりよろめきながらかがみの後を追う。
「別荘は遠いんですか?」
ちらり、とゆたかを横目に見てひよりが訊ねた。
ゆたかの額にうっすら汗が浮かんでいる。
「いえいえ、もう5分とかかりません」
律儀な彼女はいちいち振り返ってそれに答える。
「Oh! アレですネ!!」
みさおとはまた少し違うハイテンションなパティが、跳ねるように駆けた。
その先にある別荘――。
「It's a mansion......」
先頭に立ったパティは呆然とその光景を眺めていた。
「ほえぇ〜〜」
その横でみさおも同じような表情を浮かべる。
”別荘”という言葉が持つ安直な響きに裏切られ、彼女たちはその建物をじっと見つめた。
孤島に佇むそれはロッジ風の大きな戸建、と誰もがイメージしていたようだ。
しかし現実に目の前にあるのは想像を超越した洋館だった。
コの字型のシンメトリー。
様相は欧州あたりのモダンな館だが、外装は最近改修されたのか鮮やかな色合いだ。
「別荘っていうよりお屋敷じゃない」
かがみも息を呑む。
林を抜けた丘陵に鎮座する館。
それだけで充分に画になりそうな迫力がある。
「ではこちらへ……」
この洋館を前にすると、みゆきの後ろ姿は途端に貴婦人に化ける。
「外壁とか門はないんだね」
自分の何倍もの高さの屋根を見上げながら、こなたは呟いた。
緩やかとはいえ丘の頂上に建つ館は平地のそれと違って外壁を造りにくい。
どうしても歪な形になるし、石造りになるとその歪さのせいで脆くなり、精彩さにも欠けてくる。
近づいてみると、”別荘”という表現も強ち間違いでないと分かる。
両開きの正面扉は年季の入った木製なのだが、その横にはインターフォンがついている。
「あれ、こういうのってノッカーじゃないの?」
そこを目聡く見つけたつかさが言った。
「取っ手の部分がライオンになってるやつとか……」
「おそらく祖父が注文したのでしょう。いずれ時代遅れになるのを嫌ってのことかも知れません。そういう人でしたから……」
みゆきが遠い目をして言った。
彼女は鞄から取り出した鈍色の鍵を差し込む。
安っぽいお化け屋敷を思わせる軋轢音が響き、外観に負けない内側の美が明らかになる。
丘を登りきった時には荘厳な館に喚声をあげていた彼女たちだが、扉の向こうの光景には驚嘆の息が漏れるばかりだった。
ワインレッドのカーペットが足元から伸びている。
重厚な赤の花道はエントランスホールの中ほどで二手に分かれ、2階へと続く階段を案内している。
「うわぁ〜〜」
こういう時、最も素直に感情を表現できるのはゆたかである。
小学生にも見紛う彼女は短身のせいでか、他人よりも物が大きく見えてしまう。
入ってすぐ右に聳立している西洋甲冑。
天井に届きそうなほどの振り子時計。
全てが金銀珠玉でできているようなシャンデリア。
渋みのあるソファ。
それら全てが日常の生活にはまず縁のないものばかりで、一同はただ口をぽかんと開けて内外の美を堪能していた。
「改めて……すごいッスね……」
創造する側のオタクも想像を超えた世界に対しては極端に言葉を少なくする。
”すごい”という誉め言葉も陳腐に感じられるほどの絢爛ぶりである。
「こんなの漫画でしか観たことないよ……」
「ほんとにね」
こなたとつかさは呆けたように口を開けて階段の向こうを見つめていた。
「えーっとですね――」
コホン、と小さく咳払いをして注目を集めるみゆき。
「まずは中を案内しますね。といっても殆ど使っていない部屋ばかりですが……」
一同、みゆきを先頭にまず館左手側を進む。
コの字型に建てられた館は豪奢な廊下で繋がっているため、棟という区切りはない。
ホールを含む中央部分から便宜上3棟に分けるとすると、共有スペースは中央の棟に集約されている。
厨房、食堂、浴室などは1階に。
集会などに使うと思われるホールは2階の半分ほどを占めていた。
「左右の棟は同じ間取りの部屋が続いていまして、皆さんのお部屋は1階と2階に用意しています」
設備をあらかた案内したみゆきは簡単な見取り図を取り出した。
「このようになっています。お好きな場所をお選びください」
”選ぶ”という言葉はこの場合適切だ。
1階に6部屋、2階に6部屋。両棟とも同じ構造なので合計で24室ということになる。
「どこでもいいの?」
あやのが問うた。
「ええ、どこでも結構です。突き当たりは物置ですので、この中からお選びください」
みゆきは図面の×印を指さした。
各部屋の広さに差異はない。
「みゆきはどこにするの?」
かがみが訊ねた。
やはり招待客の立場で家主を差し置いて部屋を希望するのは気が引けるのか、
彼女は自ら進んで部屋を決めるよりみゆきに采配を委ねたがっているようである。
「私はここ――管理人室で寝起きしますので」
みゆきが示したのは食堂に近い部屋だ。
管理人であり世話役を務める彼女なら当然の割り当てだろう。
「なるほど……」
かがみは目を細めた。
高良家の別荘だというのに、”管理人室”という役割の部屋が存在することから、
この館は大勢の客を招くために建てられたものと考えられる。
そうでなければ多すぎる部屋の説明がつかない。
「なるほど」
かがみはもう一度呟き、間取り図をじっと見つめた。
「じゃあ私ここ〜」
「私は……」
「ここがいいな」
どの部屋も大差はないので結局は1階か2階か、が選択肢となる。
9人に対して24の部屋があるため希望が重なることはなかった。
こなたは東側2階の本館寄り。
つかさは西側2階の本館寄り。
かがみはその隣を選ぶ。
みさおは東側2階の真ん中。
あやのはその隣の部屋。
ゆたかの体調に配慮して彼女とみなみ、ひより、パティは東側1階に並んで部屋をとる。
ちょうど上級生組(みゆきを除いて)が2階、下級生組が1階を占有する格好となる。
「では決まりましたね」
みゆきは手にした見取り図に誰がどの部屋をとったかを手際よく書き込んでいく。
「プライバシーもあるかと思いますので、それぞれの鍵をお渡しします。管理人室まで来て下さい」
再びみゆきを頭に9人がぞろぞろと続く。
まるで観光案内の風にあやのは苦笑した。
管理人室は食堂の2つ隣にある。
中間の一室は掃除用具などを収納する物置だ。
「ええっと……」
管理人室は他の客室よりいくらか広い。
ベッドやキャビネットなど、置いてある物はこの館の雰囲気に似合わず質素である。
「これですね」
みゆきが入口近くの壁に供えられたキーボックスを開く。
40個以上の鍵がフックに掛けられ、フック上部と鍵のそれぞれにどのドアのものかを示すシールが貼られている。
先ほどメモした見取り図と照らしながら9人の部屋に対応する鍵を手渡す。
「皆さん、ご自分のに間違いがないか確認してください」
客室のものには”1−2”のように書かれたシールが貼付されている。
これは1階の東棟外側の端から数えて2番目の部屋を示している。
「じゃあ一度部屋に荷物置きに行こうよ」
「そうですね。ではそれから水着に着替えて浜に行きましょう」
こなた、みゆきの言葉を発端に各々は鍵の確認もかねてそれぞれの部屋に向かう。


 白地に桃色の花が描かれた壺を見つめながら、かがみはふっと息を漏らした。
もてなしの精神というのか、8畳ほどの客室には調度品が多い。
どれもそれなりに値の張りそうなものばかりで、中には鑑賞以外に用途のなさそうな品もある。
「これ……どれくらいするのかしら?」
もちろん値段の話だ。
「なんか落ち着かないわね……」
家柄からして”和”の一色に染まっていた彼女は、中世欧羅巴に放り込まれたこの内装に目を瞬かせた。
「ま、いいわ。こんな機会まずないし、楽しみましょ」
荷物を丁寧に部屋の隅に置き、水着に着替えたかがみは足早に部屋を出た。
「あ、お姉ちゃん」
ちょうどつかさが出てきたところだった。
「早かったじゃない?」
「うん。なんかいろいろあってビックリしちゃった」
つかさの部屋にも上等な芸術品がいくつかあったらしい。
「どの部屋にもあんなのがあるのかしら?」
「さあ……ゆきちゃん家、すごいよね」
「すごいってレベル超えてるわよ……」
柊家の財産を寄せ集めてもこの館の一部屋だって買えないに違いない。
2人は島に来てから高良家の財力に圧倒されっぱなしだった。
「皆さん、お揃いのようですね」
2人がホールに降りると、既に全員が集まっていた。
「私たちが最後だったみたいね」
苦笑まじりのかがみに、
「もしかして水着が入らなくて手間取ってたんじゃないのー?」
お約束どおり、こなたが唇の端をつり上げて言った。
「失礼ね。あんたこそ逆にそれ、ブカブカなんじゃないの?」
こなたは青を基調にしたセパレートタイプの水着だった。
そのチョイスは間違いではないのだが、体格のせいでデザインよりも幼く見えてしまう。
「チビッ子はスクール水着ってイメージだよな〜」
「着てたわよ、去年。しかも小6の」
「マジか!?」
みさおはこなたの爪先から頭頂を視線でなぞった。
「――納得だ」
「むぅ…………」
こなたは難しい顔をした。
みゆきの一声で一行は館を出て浜へ向かう。
来た道を逆に辿るだけなので皆の足取りは軽い。
「え、じゃああの壺とか絵って全部の部屋にあるの?」
「はい。スペースをとるのでどこかに集めようとも思ったのですが……」
「割ったりしても弁償できないッスよ……」
「ひよりん、同人作家なんだからその売り上げで払えばいいじゃん」
「無茶苦茶言わないで下さいッス。何十年かかるやら――」
「大丈夫だよ〜。ネタに困ったら私も一緒に考えるから」
「はあ……助かります……」
「ヒヨリ、勝つと思うな思えば負けよって言います。当たって砕けろです」
「いや、パトリシアさん、難しい言葉よく知ってると思うけど砕けちゃダメよ」
などと談笑している間に林を抜け、開けた視界いっぱいに真っ白な砂浜が現れる。
「島って感じだよね」
桟橋以外、人工物の殆ど見当たらない海浜はそこにいるだけで人を爽快な気分にさせる。
都会にいては不愉快なだけの強い日差しも、ここでなら風光明媚を演出する名役者だ。
ゆたかとみなみはさっそく砂の城の製作にとりかかっている。
活動的なみさおとこなたはかがみを巻き込んで波打ち際で戯れた後、どちらが速く泳げるかで競い合っている。
ひよりとパティはしばらく走り回った後、ゆたかたちに加わって巨大な砂のオブジェを作り始める。
その様を微笑ましげに見つめるのは、ビーチパラソルの陰に腰をおろすみゆきとつかさだ。
両者、水泳が苦手とあって積極的に海に飛び込むタイプではない。
そこにあやのがやって来た。
「あら、峰岸さんは泳がないのですか?」
みゆきは失礼にならないようにあやのの全身を見やる。
異性の目を集めるスタイルで言えばみゆきに分があるのだが、女性の魅力は豊胸だけではない。
現に彼氏持ちのあやのはいつも傍にいるみさおに比べればずいぶんと華奢で、大和撫子と表現して差し支えない佇まいだ。
「泳ぐのはちょっと苦手だから……」
「あ、私も〜〜」
仲間が増えたことにつかさは喜んでいる。
「綺麗なところね」
あやのは何度目か知れない誉め言葉を口にした。
「ありがとうございます」
恭しく頭を下げるみゆきはその所作が既に画になる。
どちらかと言えば保護者的な立場にある2人は、それぞれに夏を満喫する友人たちを眺めた。
静と動。
場所や場合が違っても、この立ち位置はそう変わらない。
「ふぃ〜〜。やるなぁ、チビッ子」
嬉々とした表情でみさおが言う。
「みさきちこそ。それでこそ私のライバルだよ」
先にゴールした方がかがみに何でも要求できる、という当人を無視した勝手なルールで競泳を楽しんでいた2人は、
ジト目で自分たちを見つめる少女に向きなおる。
「で、どっちの勝ちだった?」
「知らないわよ。引き分けでいいんじゃない?」
どっちの勝ちを宣言しても迷惑事に巻き込まれるかがみは曖昧に答える。
「ちぇ、つまんねー。ってかチビッ子と引き分けなんて納得いかねー」
「ふふふん、みさきちは知らないと思うけど私だってけっこう体力使ってるんだよ?」
「コミケとかいうやつか?」
「まあ、いろいろ。そのへんはかがみが詳しいよ」
「なんで私に振る?」
ひと勝負終えてそれなりに充実した顔の2人は、みゆきたちのいるパラソルの方へ向かう。
小麦色の肌に日差しを受ける者たちと、かたや日陰で寛ぐ色白の少女たちである。
「ビーチボール持ってくればよかったね」
こなたが残念そうに言った。
「そだな」
海といえば泳げる者は泳ぐが、そうでない者は自然と浜にいることが多くなる。
ゆたかたちのように砂の造形以外で楽しめるものといえばビーチバレーくらいしかない。
せっかく来たのだから皆で遊びたい。
それが彼女たちの考えである。
「あの……」
「うわっ、ビックリした!」
いつの間にか背後にみなみが立っていた。
「ビーチボール、一応持って来てます」
そう言って木陰に置いてある鞄を指さす。
「おお! みなみちゃんナイス!!」
こなたが親指を立てた。
「じゃあさ、クラス対抗でやろうぜ。ネットとかないからルールは適当になるけどいいよな?」
「いいとも!!」
「ちょっと待って下さい」
浜辺で思い思いに楽しんでいる皆に声をかけようと2人が踵を返したところに、みゆきが立ち上がって呼びとめた。
「ネットならあったハズです。取って来ますから暫くお待ち下さい」
「オッケー!」
「あ、高良ちゃん、私も一緒に行くわ。1人じゃ重いでしょ?」
というあやのの申し出に、
「いえいえ、すぐそこですし大丈夫ですよ」
みゆきはにっこり笑って別荘の方へ消えた。
残った9人はみゆきが戻ってくるまでの間、大まかなルール決めで盛り上がった。
10分ほどして折りたたまれたネットを持ってみゆきが戻ってくる。
「こんな感じでいいよね。ちょっと歪んでるけど……」
「こういうのは適当でいいんだよ」
「そうそう」
落ちていた枝でコートの外周を描いたつかさとあやのは、うっすら額に汗を浮かべていた。
「私たちだけ4人になっちゃうから私は見てようかな……」
クラス対抗という話になった時から、すぐに人数が合わないことに気付いたゆたかはこう切り出すタイミングを計っていたようだ。
「そんなの気にしなくていーよ……おチビちゃん。3人も4人も変わらないんだしさ」
それをみさおは軽く受け流す。
みなみがちらっとみさおを見、次いでゆたかに目を向けた。
「あ、はい……ありがとうございます、日下部先輩」
なぜかみなみが礼を言う。
「じゃあやろっか」
やりとりを見ていたこなたの一声でクラス対抗のビーチバレーが始まった。
どのチームにもそれぞれにスポーツの得意な者がいる。
こなた、みゆき、みさお、かがみ、みなみ。
彼女たちが主軸になってゲームを進めると、戦力は思いのほか均衡する。
「クールちゃん、なかなかやるなあ」
「なんか私ばっかり狙われてる気がする……」
「つかさ、顔……大丈夫?」
「峰岸ナイス!!」
白熱した試合は2時間ほどに及び、いつの間にかこなた・みゆき対かがみ・みさおの戦いに転じていた。
みなみはといえば、疲れが出たのか木陰で休むゆたかに付き添っている。
「みゆきさん、任せた!」
サーブ権がこなた側に渡った時、ぽつぽつと雨が降ってきた。
「あ、雨だ」
先ほどまで快晴だったというのに、いつの間にか曇天となって灰色の雲が空全体を覆っている。
沛然と降る雨は少女たちを容赦なく叩く。
「風邪をひくといけません。戻りましょう」
1年生組を先に帰らせ、みゆきたちは手早くネットを畳んで早足でその後を追った。
「それにしても急に降ってきたね」
つかさが天を仰いだ。
「夢中だったからね、私たち」
答えたのはかがみだった。
肥沃な土壌は水を吸って弾力性を増している。
安定しない地面に彼女たちは足を滑らせないように注意しながら進む。
丘の上に館が見えてきた。
1年生組は雨を避けるために館の外壁に張り付くようにして立っている。
「あら…………?」
玄関扉の前でみゆきがもたついている。
「どうかしたんスか?」
すぐ隣にいたひよりが訊いた。
「鍵が…………」
呟きながらみゆきが一度鍵を抜き、再び差して回す。
かちゃりと音がするのを確かめて扉を開ける。
「開いてたってこと?」
その様子を見ていたかがみが口を挟む。
「え、ええ。出る時に確かに閉めたハズなのですが……?」
「あれじゃない? みゆき、一度ネット取りに戻ったでしょ。その時に閉め忘れたのかもしれないわよ?」
「でも確かに……」
みゆきは訝しげに扉を見やる。
「この島には私たちしかいないんだから別に鍵なくてもいいじゃん」
こなたが人差し指を立てて言った。
「え、ええ、それはそうなのですが……」
みゆきは何か言いかけたが、まずは全濡(ずぶぬ)れの体をどうにかするほうが先だ。
玄関先で足の泥を落としてホールに流れ込む。
「ずいぶん濡れちゃったね」
「どうしましょう。今からお湯を張ったのでは時間がかかってしまいます。シャワーでもよろしいでしょうか?」
みゆきが申し訳なさそうに切り出した。
「私はいいと思うわ」
もてなす側として責任を感じている風のみゆきを庇うように、あやのが一番に賛同する。
その声に次々と肯(うべな)いの声が上がり、ひとまずシャワーで汚れを洗い流すことで落ち着く。
体調に配慮してゆたかを先手に1年生組。
その後はジャンケンで3年生組の順番を決める。
順番待ちをしている者はとりあえず濡れた体を拭き、やや厚めの上着を羽織るなどしてしのぐ。





全員が浴室を出た頃には夕方5時を回っていた。
「そろそろお腹が空いてきたわね」
ぽつりと呟いたかがみは、こなたとみさおが自分を見ているのに気づいた。
「な、なによ? 普通は晩ごはんの時間でしょ!?」
主に食べる側につくかがみは顔を赤くした。
「そうですね。では準備にとりかかりますので、皆さんはしばらくお寛ぎください」
「私、手伝うよ。10人分作るの大変だし」
つかさが名乗りを上げた。
「だったら私も。一緒に作りましょ」
あやのも進み出る。
「そ、そんな悪いですよ。お手伝いいただくなんて……」
「いいのいいの、好きでやるんだし。それにゆきちゃんばかり動いてちゃ大変だよ」
招いたのは自分だから世話も1人でこなすと言い張るみゆきに、2人は再三協力を申し出る。
「じゃあ戦力になれないうちらは食堂の片づけでもすっか」
勉強と料理においては到底及ばないみさおは進んで食堂に向かう。
その後をかがみ、ひより以下1年生組が追う。
「私も手伝うよ」
やや遅れてこなたはみゆきたちについて行く。
「みなさん、本当にすみません……」
廊下を進みながら、みゆきは何度も謝った。
「料理して配膳して……って全部やってたら大変だよ」
「そうそう。私たち、お客さんってワケじゃないんだから」
気の配り合いが厨房まで続き、4人は終始和やかな雰囲気で食事を作っていく。
その一方で食堂の片づけをする6人は、作業の手も恐々で人数の割には捗っていない。
純白のテーブルクロスに黄金色の燭台。
後ろの壁には暖炉まである。
「あの先輩、私たちはどうしたら……?」
みなみが珍しく困った顔をした。
そもそも大人数で片づけるような場所がない。
広い場所だけに隅々に埃こそ見えるが中央にある、ゆうに20人は着席できるような長テーブルで食べる分には問題はない。
「と、とりあえず……」
手持ち無沙汰の彼女たちはぞろぞろと厨房に向かい、食器類などを並べにかかった。
4人の手が加わると調理はスムーズだ。
肉料理はつかさとあやの、サラダなどの軽いものはこなた、全体を見渡しながらスープなどをみゆきが担当する。
かがみたちはそれらを盛りつけ、順番に食堂に運び込んでいく。
最後にみゆきが飲み物を淹れる。
料理から配膳まで大勢の手で行われたため、彼女たちは空腹に悩まされることなく食欲を満たすことができる。

「いただきまーす!!」
牛肉のビール煮込みとコールスロー、少し熱めのコーンスープ。
各々、値段の想像もつかないクロスを汚さないようにそれらを口に運ぶ。
「おいしいっ!!」
あちこちでそんな声が上がる。
味はもちろん、こうして気の合う者たちで食べるという状況がさらに旨さを引き出しているようである。
「こんなに美味しいのは初めてデス!」
パティは感情をそのままに表現する。
「おかわりあるよ。入れて来ようか?」
自分の料理を褒められ、あやのは嬉しくなった。
「柊の妹も料理上手いな〜」
「えへへ、ありがとう」
「ま、でもあやのには敵わないけどな」
「なにおぅ!?」
こなたがすかさず反駁する。
どちらの方が腕があるかで小競り合いする2人に、
「あんたら、またかよ……」
かがみはジト目で呟く。
「でもビールで煮込んだらお肉が柔らかくなるって教えてくれたのはあやちゃんなんだよ」
つかさが仲裁するように言った。
「むむ…………」
つかさが負けを認めるような発言をしたため、こなたもそれ以上は言えなくなる。
「でも本当においしいですよ。私も教えてほしいです」
ゆたかがそう口を挟んだのは、泉家に居候する傍らでせめて料理の腕くらいは上達させて恩返ししたいという思いからだ。
「いいわよ。それじゃあ、今度一緒に作りましょ」
「ありがとうございます」
「あ、私もいいッスか?」
「もちろん」
という話に、みさおとかがみは乗ってこない。
「う〜ん、2人はやっぱり消費専門か〜」
こなたがにやりと笑った。




 準備には得手不得手から担当が分かれたが、後片付けは誰にでもできる。
何人かはクロスを汚していないことを確かめながら、手際よく食器を片づけていく。
「十分に蓄えてありますよ」
厨房にて、みゆきはつかさとあやのに頼まれて冷蔵庫の中を見せた。
料理の方面に興味のある2人は、市場ではあまり見かけない食材の数々に目を輝かせていた。
「こんな野菜、見たことないよね」
「こっちのは?」
という具合に、趣味も性格も似通った2人はごく短時間でずいぶん打ち解けたようだ。
「終わったよ〜〜」
こなたが洗い物を終えて戻ってくる。
「では行きましょうか」
食事の後はホール横の談話室に集まることになっている。
みゆきは調理担当の3人を率いて食堂を出る。
廊下を進むと先に談話室に戻っていたかがみたちの笑い声が聞こえてきた。
「お、なんか盛り上がってるね」
そう言うこなたもテンションは高い。
修学旅行のような雰囲気に誰の顔も明るい。
「私はやっぱ卒業式の時ッスね。なんか男子が急に大人っぽく見えたッスよ」
「へえ、田村さんでもそういうことあるんだ」
「あの時だけはリアルで……」
「逆に柊はそういう話ないよな」
「わ、私は別にいいじゃない」
「やっぱ凶暴だから誰も近づかないか」
「凶暴で悪かったな。パトリシアさんは? ボーイフレンドとかいたんじゃないの?」
「ボーイフレンドはいましたけど、ステディなカンケイにはなれませんデシタ」
「やっぱり私たちはロマンスには縁遠いんスかねえ……」
恋の話に花を咲かせているところにみゆきたちが合流する。
「そうですね、前を歩いている男性が落し物をしたので手渡した……というのなら何度かありましたけど」
「それでどうなったんですか?」
「どうもしませんよ? 素敵な殿方でしたけど、急いでいらしたようでしたので」
「もったいないわよ、高良ちゃん。出会いってどこにでも転がってるもの」
「峰岸さんは何がキッカケで付き合うことになったの? お相手はみさきちのお兄さんなんだよね?」
「あれは……」
「ストーップ! その話はナシ!」
「え〜? 気になるじゃん」
「兄貴の話ってなんか恥ずかしいんだよな。別に私のことじゃないからいいんだけどさ」
「そういやあんた、中学の時に女子からラブレター貰ってなかった?」
「ヴぁ!? 柊、それ忘れろって言っただろ!」
「なになに? ぜひ詳しく――」
という具合に話の尽きることはなかった。
お喋りはいくらしてもし足りないものだ。
「サイバーエンドドラゴンを召喚!」
「じゃあこっちは強欲な壺。デッキからカードを2枚ドロー」
「私はカードを一枚伏せてターンエンドね」
いつの間にかこなたが家から持ってきたというカードゲームに興じる面々。
本来のルールを作り変えて無理やり複数人でプレイしている。
「ゆたか、こっちのカードのほうがいい……」
「そうなの? ええと、じゃあタテコモールをライブ……でいいのかな?」
「リョウトクバイソンをAラインへ。あ、つかさ、そっちじゃないって」
「え〜? もう動かしちゃったよ……」
「甘いな、かがみん。トラップ発動! ずっと私のターン!」
「モンスター効果発動!」
「あやの、これでいいか?」
「駄目よ、みさちゃん。ゴーデルデンサザンは先にサモンイーグルを出さないと」
「株で大損、1千万ドル失うだって。ねえ、これ資産がマイナスになったらどうなるの?」
「負債を抱えた状態でもゲームは進められますよ。あ、四四は反則ですよ?」
「歩兵は前にしか動けないんだよ。香車も同じだけどこっちは何マスでも動かせるからね」
「ジャパニーズチェスですネ? なんでオウショウに点が付いてるんデスカ?」
「王将と区別をつけるためじゃないかな。つかさ、2個以上の駒は飛び越せないよ!」
「いいですよ、このまま勝負しましょう。コールです」
「私は……エースのスリーカードです」
「なんの! こっちはフラッシュだよ」
「甘いぜ! 私が神のフルハウス見せてやるよ!」
「先輩方、やるっスね。でも私、こう見えて実は透視ができるんスよ。だからトランクの中身なんて簡単に分かっちゃうんスよ」
「なにぃ!?」
「ですからいくら隠しても無駄っスよ……ふふふ、見えた見えた……ダウト1億っ!」
「ふふん、だから言ったでしょ? 中は空だって。慰謝料5000万もらうからね」
みゆきが前もってこの館にはテレビやパソコンがないと言っていたため、こなたをはじめ何人かはいろいろと遊び道具を持って来ていた。
トランプやボードゲームなど、持ち寄ったゲームをひととおり遊び終えた頃、
「はい、どうぞ」
みゆきがアイスココアを淹れてきた。
「いただきまーす」
ちょうど何か冷たい飲み物が欲しいと皆が思い始めた頃にこのサービスである。
「美味しい!」
「バンホーテンね」
甘みの中に渋みが混在する高級な味に、あやのは舌鼓を打った。
「あ、もうこんな時間じゃない」
かがみが柱時計を見て言った。
「あら、いつの間に……」
時刻は午後10時過ぎ。
こなたには宵の口だが、みゆきにとっては立派な夜更かしである。
「そろそろ眠くなってきちゃった……」
ゆたかが欠伸をかみ殺して言った。
その時――。

『我が声を聞け』

突然、どこからか声がした。
「な、なんだ!?」
みさおが慌てて見渡す。
「今のなに?」
つかさたちも落ち着きなく辺りを見回すが、おかしなところはない。

『我が声を聞け』

再び、声。
老婆のような嗄(しわが)れた不気味な声が館中に響き渡る。


『次に名を挙げる者たちはそれぞれ以下の罪を背負っている。


泉こなた 

汝はこの世に生を受けることによって実母を死に追いやった。
現実を省みず、遊蕩怠惰に日々を貪る行為は第一の罪である。


岩崎みなみ

汝は無二の友を愛するあまりに過度に庇護し、自立を妨げた。
己が欲望のみで他者を脆弱にするは第二の罪である。


日下部みさお

汝は実兄と友との好誼を祝さず、むしろかの友に嫉妬の炎を宿した。
眷族への独占欲により知己を憎む醜悪は第三の罪である。


小早川ゆたか

汝は病羸の波に溺れ、しばしば酔い、その上に依存の限りを尽くした。
自立を忘れ独歩を怠る姿勢は第四の罪である。


高良みゆき

汝は己が博学を鼻にかけ、他を見下し、たびたび不遜なる体を露にした。
謙譲の念を捨てたる人にあるまじき傲岸は罪悪の五である。


田村ひより

汝は友を穢れた目で見定め、しばしば嗜好の対象として弄んだ。
友愛の精神を忘れ尾籠に耽る痴態は罪悪の六である。


パトリシア・マーティン

汝は誤った日本の風土を曖昧に学び、またその真偽を熟慮することなく祖国に喧伝した。
誤解を招き得る誣告を重ねる国辱的行為は罪悪その七である。


柊かがみ

汝は血縁への寵愛の念から不当にかの者を束縛し、自由を妨げた。
また己を慕う者への邪険なる態度を革めようとせず、跋扈する陋劣な姿勢は罪悪その八である。


柊つかさ

汝は人間たる責務をなおざりにし、時に血縁を頼り、時に依存し、時に束縛した。
成熟を怠り、なおかつ庇護を求める堕落の体は罪悪の九に相当する。


峰岸あやの

汝は意中の者を恋慕の情で縛りながら、他の異性とも密やかに姦通した。
竹馬の友への重大なる背信行為は罪悪の十である。



罪人たちよ、悔い改めよ。
我は天に代わって裁きを下す者である。
穢れた魂を浄化し、この世に安寧秩序を取り戻す者である。
罪人たちよ、悔い改めよ。
十の罪背負いし者たちよ、己が汚れた道を示せ』



その場にいた全員が凍りついた。
怨嗟の念が込められた声は、天井から降り注いだのか地の底から湧き出たのかは分からない。
ただひとつ明らかなのは彼女たちの思考をすっかり支配してしまったことである。
「な、なに……いまの……?」
いち早く呪縛から解放されたかがみが誰にともなく問う。
しかしその問いに誰も答えない。
ある者は呆けたように天井を見つめ、ある者は恐怖に打ち震えて俯き、ある者は他人事のようによそを向いている。
「なんなのよ……」
「何かヘンなこと言ってなかったッスか? 罪人がなんとかって――」
ひよりがそれだけ口にする。
「私たちが犯罪者だって言うのか?」
みさおは吐き捨てるように言った。
「犯罪者って……でも罪が何とかって……」
「ちょっ、みゆきさん! 冗談きついって! 怪談やるならやるで前もって言ってくれても――」
額にびっしょりと汗をかいたこなたは縋るような目でみゆきを見た。
「わ、私なにもしてません!」
だが彼女は普段の振る舞いからは想像もつかないほどの狼狽ぶりだった。
「みゆきじゃ……ないの?」
「そんなわけないじゃないですかっ!! なんで私がこんなこと…………」
「じゃあさっきのは何なの!? 誰があんなデタラメなこと言ったの!?」
あやのが立ち上がってみゆきを睥睨した。
泣いたからか怒ったからか、眼は真っ赤に充血している。
「お、おい、あやの……落ち着けって」
みさおが慌てて宥めにかかる。
「Like "And Then There Were None"......」
天井を見つめながらパティが何事かを呟いた。
「お姉ちゃん、なんか怖いよぅ……」
ゆたかがこなたの腕にしがみついた。
「大丈夫。ゆたかは私が守るから」
敵愾心に満ちた目でみなみが囁く。
「気持ち悪いわね……っていうかさすがに今のはちょっと……」
かがみが息を吐いて、ちらりとみゆきを見やる。
「どこかにスピーカーがあるんでしょ?」
と、したり顔のかがみ。
だが余裕ぶっていた彼女の表情が徐々に固くなっていく。
追及されたみゆきは青白い顔をしていた。
「スピーカーなんてありません……私は何も……」
ふらりとみゆきが立ち上がる。
「誰の仕業なんですか? こんな悪趣味なことして……」
全員の視線が彼女に注がれる。
「笑える冗談ならまだしも、あんな……」
何人かの目が水平に揺れ、小学生と見紛う少女に集まった。
――こなただ。
「えっ!?」
こなたは慌てて立ち上がった。
「ち、違うって! 私こんなことしないもん!」
疑念の視線を振り払うように、こなたは口を尖らせて抗議した。
が、何人かはまだ冷ややかな目で彼女を見ている。
不意にあやのが立ち上がり、しずしずと談話室を出て行こうとする。
「どちらへ?」
「喉が渇いたの。飲み物を貰ってもいいかな?」
光の宿らない双眸がみゆきを捉える。
その様子にみさおは怪訝そうな顔をしたが、言葉はかけなかった。
「私も行きます。みなさんの分も用意しますので……」
2人が厨房に消えると先ほどまでの盛り上がりは一気に冷め、次いで湿った空気が流れた。
「ねえ、誰なの? あんなことしたの」
つかさがおずおずと訊ねた。
しかし数人はかぶりを振った。
かがみを含め殆ど全員が気まずそうに顔を伏せている。
「………………」
1分経ったか経たないかというところで、みゆきとあやのが戻ってきた。
2人とも何も持っていない。
「どうしたんだ?」
蒼白の顔でその場に立ち尽くす2人に、みさおが焦れたように声をかけた。
「食堂に――」


 食堂の暖炉がある側の壁面。
みゆきの指差した先に大きな模造紙が貼付されていた。
壁一面を覆うほどのそれには、先ほど謎の声が語ったのと同じ文句が書かれてある。
縦書きの告発文はガイドを使ったように体裁が整えられている。
毛筆で書かれているように見えるが、墨汁の滲みがないことから書体を似せて印刷されたものであると分かる。
それは頻繁に出てくる”汝”という字が全て均一であることからも明らかだ。
「これってさっきの声のやつと同じだよね?」
こなたの問いにつかさが頷いた。
「夕食の時はこんなの無かったッスよね?」
「だな。これ……”ケンゾク”って読むのか? どういう意味だ?」
「たしか身内とか血族という意味だったと思います」
みさおの呟きに近い問いかけにみゆきが蒼い顔で答えた。
「じゃあこっちの”チコ”っていうのは?」
「チコではなくチキです。知人や友人を指す言葉です……が、ずいぶん難しい言い回しですね……」
「気味悪いわね。悪趣味な冗談やめなさいよ」
かがみが口を尖らせた。
知らない単語はみゆきから教わり、前後の文脈から推して内容を読み取る。
そうした上でこの告発文がつまらない悪戯だと彼女は斬って捨てた。
「バカバカしいわ。ねえ、みんな。そろそろ部屋に戻らない? なんだか眠くなってきたわ」
くだらない怪文書に振り回されてたまるか、と言わんばかりにかがみが問うた。
「私も……そうしたほうがいいと思います」
真っ先に同調したのはみなみだ。
「そうですね。今日はたくさん遊びましたし、皆さんお疲れだと思います。
これは……気になりますがまた明日にしましょう……」
謎の文面と遊び疲れ、それに加えて夜更かしがみゆきから優雅さを奪っていた。
小旅行のまとめ役の言葉で面々は連れ立って食堂を出て行く。
徹夜が得意なこなたでさえ早々と引き揚げた。
「……峰岸さん?」
だが、あやのだけは皆が出て行っても魅了されたように告発文を凝視していた。
「あの、皆さん部屋に戻られましたよ? 峰岸さんもお休みになったほうが……」
「え? あ、そう……そうね。うん、ありがと高良ちゃん……」
みゆきに声をかけられ、あやのは弾かれたように顔を上げるとそそくさと食道を後にした。
「………………」
全員が部屋に戻ったのを確認するとみゆきも管理人室に向かった。

 

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