第10話 ムドラの攻撃
(辛くもアースラを守りきったリンディたち。しかしフェイトはなのはを助けられなかったことを悔やんでいた)
落魄したフェイトを、リンディたちが迎えた。
「リンディ提督・・・・・・」
合わせる顔がないと思っていたフェイトは、リンディの顔を直視できない。
リンディもまた、この場になのはがいないことからフェイトが失敗したことを悟った。
「お疲れ様、フェイトさん・・・・・・その・・・・・・」
リンディが言いにくそうにしている事をフェイトは分かっていた。
「すみません、提督。なのはを・・・救えませんでした・・・・・・」
「フェイトさん・・・・・・」
「ムドラの戦艦がなのはを連れて行ってしまったんです。そこにシェイドもいました・・・・・・」
「そう・・・・・・」
彼女らは多くを語った。
それぞれの場所で起きた事を。
リートランドでの出来事。アースラでの出来事。
「ユーノの容態は?」
アルフがクロノに訊いた。
実は医務室で最後まで付き添っていたのはクロノだった。
「先生が言うには、命に別状はないそうだ。ただ・・・・・・」
クロノの表情が曇った。
「魔力をほとんど失っているらしい。物理的な傷痕はないそうだけど」
「そっか・・・・・・」
あの光刃で一突きにされたのに、それで済んだのは幸い以外のなにものでもない。
「エダールセイバー・・・・・・恐ろしい武器だわ」
リンディが唸った。
「物理的なダメージはほとんど無い代わりに、相手のリンカーコアをダイレクトに攻撃するようにできてるわ」
「リンカーコアを?」
「ええ。あの光刃はプラーナの結晶なの。斬られるということは、そのプラーナが体内に入り込むということ・・・・・・」
「プラーナは体内を走り、リンカーコアを侵食する・・・・・・」
リンディの説明にクロノが付け足した。
「アースラのクルー・・・・・・死者5名、負傷者86名・・・・・・」
リンディが静かに言った。
「負傷者のほとんどがリンカーコアに甚大なダメージを受けているわ」
シェイドの戦いで負傷した者は主に武装局員だ。
戦闘には慣れているハズの彼らが、たった1人の少年に散っていった。
「これから、どうなるんだい・・・・・・?」
アルフが誰にとはなく訊いた。
「分からない。だがシェイドが正体を表わした以上、ムドラとの全面対決は必至だろうな」
そう言いながら、クロノはムドラの顔を順番に思い浮かべた。
シェイド、レメク、ツィラ、ミルカ、イエレド。
そして・・・・・・もうひとり。
「なのはは私が絶対に助ける」
なのはは数に入れるなと言うように、フェイトが強い口調で言った。
「今はクルーたちの回復を待ちましょう。ムドラとはできるだけ接触しないようにして・・・・・・」
リンディはしぼり出すような声で言った。
クルーのケガは、艦長であるリンディにとって自分のケガでもある。
誰かが負傷すると、自分も同じように傷つく。
特に身近にいるユーノが昏睡状態にあることが、今は何よりも辛い。
「でもユーノが無事で良かった」
そんなリンディの気持ちを察してか、フェイトが明るい声で言った。
自分だって辛いハズなのに・・・・・・。
「あなたたちも少し休んで。疲れたでしょう?」
「でも提督は?」
「私もアースラを安全な場所に移したら少し休むわ」
リンディが苦笑した。
まさかムドラから逃げ回らなければならないとは何という皮肉だろうか。
「僕はシェイドの部屋に行く。私物の中に何か役に立つものでもあれば・・・・・・」
「それなら私が行くよ。クロノはユーノに付いていてあげて」
アルフが言った。
この中でユーノを一番心配しているのは実はクロノだということを彼女は知っていた。
「え、でも・・・・・・」
「いいからさ、ね?」
アルフがフェイトにウインクした。
「うん。私とアルフで調べるから」
「・・・・・・分かったよ。僕は治癒魔法はあまり得意じゃないけど・・・・・・」
そう言ってクロノは足早に医務室に向かった。
「まったく素直じゃないんだから」
アルフが苦笑し、フェイトもつられて笑った。
だがその笑みも、すぐにぎこちないものに変わっていく。
シェイドは倒さねばならない敵となった。
だがフェイトたちの知っているムドラの過去が本物なら。
ただ倒さねばならない敵と決めつけていいのだろうか。
ムドラの受けた苦痛、屈辱は計り知れない。
フェイトはいっそのこと、自分の知っているムドラの過去がウソであればいいと思った。
そうすればシェイドはただ私利私欲のために、管理局に戦いを挑んだことになる。
シェイドの部屋を捜索して、いったい何が見つかり、何が見つかってしまうのだろうか。
フェイトは右手に赤い宝石を握りしめた。
なのはの愛杖レイジングハート。
今、主を失い彼女は何を思っているのだろうか?
邪気と憎悪の満ちる空間。
簡素なベッドに横たわるなのは。
そしてなのはを悲しげに見下ろすシェイド。
シェイドは長い時間を待った。
なのはがゆっくりと目を開く。
「・・・・・・シェイド・・・く・・・ん・・・・・・?」
目の前の少年を見て、なのはは今まで気絶していたことを知る。
「わたし・・・・・・?」
戸惑いを隠せないなのはに、シェイドは優しく言った。
「ああ、なのはさん・・・・・・。僕の可愛いアプレンティスよ・・・・・・」
言いながらシェイドはなのはの前髪をかきあげ、優しく優しく撫でた。
「こんなに傷だらけになって・・・・・・」
「・・・・・・」
なのははようやく思い出した。
リートランドでフェイトと戦ったこと。そしてフェイトに敗れたことを。
「まだ寝ていていいよ。傷は浅いが、何かあっては困るからね」
起き上がろうとしたなのはをシェイドが制する。
だがそれよりも早く、なのはは起き上がり、
「・・・・・・・・・ッ!!」
そして見た。
シェイドの後ろに、4人のムドラの民がいるのを。
「・・・・・・シェイド君・・・・・・」
なのははシェイドの後方を恍然と見つめた。
「ごめん、なのはさん・・・。僕がムドラの民だってこと、隠してて・・・・・・」
シェイドは搾り出すように言った。
「騙すつもりは・・・なかった。でも僕がムドラの民だとバレたら、管理局に殺されてしまうから・・・・・・」
もはや言い訳の必要はないと知りながら、シェイドは精一杯のごまかしに出た。
この時点でシェイドの言葉にはいくつかの矛盾が生じている。
「そんな・・・・・・シェイド君がムドラ・・・・・・だった・・・なんて・・・・・・」
なのははもう一度、気を失いそうになった。
目の前が真っ暗になり、現状がまるで把握できない。
だが彼女は頭の中でこう繰り返していた。
”フェイトちゃんたちの言っていたことは本当だった・・・・・・”
自分は取り返しのつかないことをしてしまった。
後戻りできない事態に自らを追い込んでしまった。
「そうだよ。僕はムドラの民なんだ。彼らの仲間なんだよ・・・・・・」
そう言うシェイドの口調はさっきまでとはまるで変わっていた。
唇をほとんど動かさず、口先だけで発したような声。
それがかえって現実味を帯びた言霊となって、なのはを襲う。
「僕が嫌いになったかい? 僕が信じられなくなったかい?」
「・・・・・・」
なのはは何も答えない。シェイドは続けた。
「だけど僕は復讐がしたかっただけなんだ。ムドラを滅ぼし、のうのうと振舞う管理局にね・・・・・・」
「・・・・・・」
「放っておけば管理局は侵略を続ける。君の世界をも。これは本当なんだ」
「・・・・・・」
なのはは、シェイドの言葉を一応聞いている。
ただそれに返事をするだけの気力がないのだ。
「第二、第三のムドラを生み出さないためにも・・・・・・どうしても管理局と戦う必要があった」
「うん・・・・・・」
なのはは辛うじてそれだけ言った。
だがシェイドは気づいていた。
なのはが少なからず、自分たちの元を離れ管理局に戻りたいと願っていることを。
「管理局に戻りたいかい・・・・・・?」
「・・・・・・ッ!!」
なのはの体が硬直した。
なぜだろう。
シェイドの言葉、シェイドのわずかな動作が、なのはの全てを支配するかのような錯覚に陥ってしまう。
「でも君はクロノ君のデバイスを斬り、フェイトさんと戦った・・・・・・」
知らなかったとはいえ、なのはが管理局を相手に戦ったことは事実だ。
「もし今、君が管理局に戻ったら・・・・・・連中はきっと君を・・・・・・」
シェイドはその先を言わなかった。
その先はなのは自身に考えさせるのだ。
シェイドの言葉が、なのはに後戻りできない状況を植えつけていく。
そしてシェイドはなのはに、最後の試練を課した。
「ムドラに生きるか、管理局に死すか・・・・・・。なのはさん。今こそ選択するんだ・・・・・・」
これこそが最後の試練。最後の選択。
「管理局に戻れば、君の安全は保証できない・・・・・・」
シェイドは真っ直ぐになのはの眼を見て言った。
なのはの瞳孔が開く。
シェイドは人の心を読み、人の心を操る術に長けている。
彼にとって、なのはの心を読み解き、それを操ることなど造作もないことだった。
目線の動き、頬を中心とした筋肉の動き、口調、瞬きの回数、呼吸・・・・・・。
あらゆる情報を駆使し、彼はなのはの精神に忍び込む。
シェイドはなのはに術をかける時、いつもなのはを真正面から見つめる。
逆になのははそんなシェイドから眼をそらす傾向にあるため、シェイドの心を読まれる心配は無い。
「シェイドくん・・・・・・ひとつ・・・訊いてもいい?」
なのはの声はもはや声ではなく、ささやかな吐息。
「僕に答えられることなら」
「管理局が私の住んでる世界を侵略するっていうのは本当なの?」
「本当の話だ。君が魔法の才能に目覚めなければ、侵略はもう少し遅れたと思うけど・・・・・・。君が魔法に目覚めることで、
管理局は君の住む世界に魔法が存在することを知ってしまった・・・・・・」
なのはが小さく頷く。
「連中は勢力を増強するために、君の世界の魔法を利用するつもりだ。そしてなのはさん。当然君が拒むことを、
管理局は知っている。だから連中は君に何も教えなかったんだ」
「・・・・・・もし私が拒んだら・・・・・・?」
「決まってる。君の家族や友だちを人質にとり、君に協力を迫る。管理局の連中が君の世界に居座り、君の家族や友だちと
接触していたのはそういう理由があるからだ」
シェイドはこの脚本を3日もかけて練り上げていた。
矛盾なく管理局への不信感を募らせる手段としてはかなり効果がある。
「来てくれ。君に見てほしいものがある」
そう言ってシェイドは、なのはを船外に連れ出した。
ツィラたちには艦に残るように言い、2人は外に出る。
「これ・・・は・・・・・・?」
なのはの眼前には、想像もしなかった世界が広がっていた。
荒涼とした荒地と雪原。
おそらく昼間であるのに、太陽の光はまるで届いていない。
上も下も同じように鈍色のカーテンが覆っている。
「これが・・・・・・僕たちムドラの民が生まれ育った星だ・・・・・・」
刺すような冷たい風が、なのはの頬を容赦なく襲った。
「こんな環境だからね。祖先は穴を掘って洞窟で生活せざるを得なかった」
「・・・・・・」
「多くの民が寒さのために死んだそうだよ。僕がこうして生きているのも不思議なくらいさ」
獣の唸るような声がどこかから聞こえる。
これは風が谷間を駆け抜ける時の音だとシェイドは言った。
もう分かるだろう、とシェイドはなのはに迫る。
「管理局が僕たちをこんな辺境の星に追い詰めたのさ。僕たちからほとんど全ての文明を奪い取った後でね」
「ヒドイ・・・・・・」
なのはのその言葉は、真に心から出たものだった。
「昔のことを調べようにも、ほとんどの書物は暖をとるために焚いてしまった・・・・・・」
過去を知りたい、とシェイドは大袈裟に嘆いてみせた。
「なのはさん。君はそんなことを平気でやってのける管理局を支持するか?」
なのはは首を横に振った。
「もし君が管理局を支持しないとなると、彼らは君の家族や友だちを人質に協力を迫るだろう」
「・・・・・・・・・」
「君は家族や友だちを護るために、やむなく管理局の駒にされる。そして彼らと同様、侵略を続けていくんだ・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
シェイドはこの最後のセリフが、なのはの脳に浸透するのを待った。
彼は分かっている。
なのはが先ほど、あのような質問をぶつけてきた意図を。
彼女はすでに、後戻りできない状況にあることを十分に理解している。
だから自分を正当化する理由を、シェイドに語って欲しかったのだと。
「わたしは・・・・・・家族や友だちを守りたい・・・・・・・」
なのはのその言葉に、シェイドは天を仰いだ。
「そのために管理局を倒さなきゃならないなら・・・・・・」
「・・・・・・」
「管理局を倒す・・・・・・」
シェイドは一瞬だけ笑みを浮かべ、なのはの肩に手をおいた。
「戻ろう。風邪を引くといけないから」
艦内に戻った2人は、メタリオンの元へ急いだ。
シェイドが4人に目配せする。
4人が互いに顔を見合わせてほくそ笑んだ。
ツィラだけはぎこちない笑みを返していたが。
「なのはさん、僕たちと共に管理局を倒そう。そして・・・・・・世界に平和を!」
4人がなのはとシェイドを囲んだ。
これは儀式だ。
魔導師が、ムドラの中に生きるための。
シェイドが懐から何かを取り出した。
「これを使うといい。君のために特別に作ったものだよ」
なのはに手渡されたそれは、ムドラの伝統的な武器、エダールセイバー。
彼女の手に馴染むように、シェイドの物より少し小さめに出来ている。
金属製のグリップを受け取りながら、なのははレイジングハートの存在を思い出す。
「レイジングハートは・・・・・・?」
彼女のもう1人のパートナーともいうべきインテリジェント・デバイス。
シェイドはあの忌々しい杖の姿を思い浮かべながら、そっとささやいた。
「あれは君を倒したフェイトさんが奪い去ってしまったよ」
「・・・・・・」
「僕たちは君がフェイトさんに止めを刺されそうなところを、助け出すのが精一杯だった・・・・・・」
でも、とシェイドが付け加える。
「もう君には必要ないよ。管理局を倒すためには彼らと同じ魔法を使っていては勝てない。
僕は君にもプラーナが使えると確信しているんだ。
「プラーナ・・・・・・」
「そう。管理局に対抗しうる唯一の力。ムドラの秘術のひとつさ。これを使って君は管理局を、
魔導師たちを倒すんだ・・・・・・」
魔導師という言葉に、なのはは1人の少女を思い浮かべた。
「フェイトさんのことを考えてるね」
もちろん、彼女の思考をシェイドが読み誤るハズがない。
「フェイトさんは君を倒した。君はフェイトさんに敗れたんだ・・・・・・」
「うん・・・・・・」
「悔しいかい?」
「・・・・・・」
なのははわずかな沈黙のあと、こくんと頷いた。
「その気持ちが大切だ。その気持ちを忘れなければ君はもっともっと強くなれる。彼女よりも――」
「わたし・・・もっと強くなり・・・たい・・・・・・」
なのはは俯いていたため、シェイドが蔑(さげす)むような笑みを浮かべていたのに気付かなかった。
「プラーナは僕が教える。エダール剣技はミルカに教わるといい」
ミルカがなのはの前に立った。
「お前には素質がある。私がその才能を開花させてやろう」
レメクよりも表情は優しいものの、口調は騎士と呼ぶに相応しい無機質なものだった。
「お願いします・・・・・・ミルカさん・・・・・・」
「君たちはイエレドをリーダーとし、残りのジュエルシードの回収を」
「了解いたしました」
イエレドが恭しく頭を下げる。
ツィラ、レメクもそれに倣った。
「いよいよ復讐の時だ・・・・・・」
シェイドの両眼が怪しく光った。
「まだ寝ていた方がいいんじゃないのか?」
極めて事務的な口調でクロノが訊いた。
「そうはいかないよ。こんな大変な時に、いつまでも寝ているわけには・・・・・・」
ユーノがよろよろと立ち上がる。
「なのはが心配だ。あいつらのこと、もっと調べなきゃ・・・・・・」
だが言葉から伝わる意思とは裏腹に、彼の足取りはおぼつかない。
エダールセイバーに貫かれた体は、見た目以上のダメージを残していた。
「ムドラの・・・・・・」
「おっと・・・!」
バランスを崩し、倒れかけたところをクロノがしっかりと受け止める。
「だからムリするなって」
「ムリなんてしてないっ」
クロノに支えられていることに何となく苛立ちを覚え、ユーノの口調が強くなる。
しかしそれも今は覇気を伴わない弱々しいものだった。
「僕たちはムドラについて何も知らないんだ。書庫に行けば情報を集められる・・・・・・」
ユーノはつい最近までずっと書庫の整理をしていた。
ムドラの民についての記述があれば、すぐにでも発見できるほどに整理がされている。
「待てって言ってるだろ!」
クロノの手を強引に振りほどき、医務室を出ようとするユーノの腕をクロノが掴んだ。
「そんな体でムリしたらまた倒れるぞ!」
「だからムリなんかしてないって!」
「してるだろ!!」
2人はしばらく睨み合った。
「僕を庇ったりするからだ・・・・・・・」
クロノが俯き加減に言った。
「べつに庇ったつもりは・・・・・・」
ユーノは搾り出すようにつぶやく。
「僕が気付いてないとでも思っているのか?」
「・・・・・・・・・」
クロノは知っていた。
ホールでのシェイドとの戦いで、本当なら自分が医務室で昏睡しているハズだったのを。
競り合っていた時、シェイドがプラーナを使って自分の四肢の自由を奪いかけていたこと。
それに気付いたユーノが、シェイドの背後で一気に魔力を解放して注意を引きつけ、囮となったこと。
「ユーノに助けられなくても、僕1人でシェイドを倒せたんだ」
その言葉に、ユーノは頬を紅潮させて反論した。
「よく言うよ。僕の助けがなければ君はとっくにやられてたね」
「いいや、違うね」
「・・・・・・」
クロノは咳払いして言った。
「とにかくだ。今後、こんなことはしないでくれ」
「そんな言い方――」
「仲間を守れなかったことで執務官としての資質が問われることになる。その、つまりだな・・・・・・」
「・・・・・・!」
ユーノは、クロノが何を言わんとしているかすぐに理解した。
「君がそんな傷を負うと・・・・・・みんなが心配するだろ・・・・・・」
クロノのその言葉は、ユーノが概ね予想していたとおりだった。
「素直じゃない・・・・・・」
「う、うるさいっ!」
ユーノを相手にすると、日頃は朴訥なクロノもまるで子どもに帰ったようにころころと表情を変える。
「早く書庫に行って調べたい気持ちは分かるけど、焦りは禁物だ。まずはその傷を治すことに専念しろ」
最後はやっぱり事務的な口調に戻って、クロノは医務室を出ようとする。
「僕たちでもムドラに関する情報を集め始めてる。心配するな。なのははきっと戻ってくるさ」
そう言って去っていくクロノに。
「ありがとう」という言葉がどうしても出せないユーノだった。
数日後。
アースラに重苦しい雰囲気が漂っていた。
「エイミィ」
リンディが通信士の名を呼んだ。
「提督。本部からのデータ届きました」
アースラの中で唯一快活な口調でエイミィが言った。
彼女はシェイドの襲撃の際、機関室にいたため難を逃れた。
だがあの時の出来事がトラウマとなったのか、ムドラという言葉に過敏に反応するようになった。
「ノーデンス、ティアマト、ハスター・・・・・・。この数日で襲撃された管理局の艦船は3隻か・・・・・・」
本部から送られてきた戦況を見て、リンディは思わずため息をついた。
「ええ、それに・・・・・・」
「全ての現場でシェイドとなのはの姿が確認されてる」
背後からの声に2人は振り返った。
「クロノ君」
エイミィが複雑な表情で迎えた。
「ユーノ君の具合は?」
「もう大丈夫だ。治ったと知るなりすぐに書庫に駆け込んで行ったよ」
「そう、良かった・・・・・・」
武装局員たちも順調に快方に向かい、数日で完治するとのことだ。
それにしても、とクロノが深刻な表情を向ける。
「全艦に緊急警戒が出されているにも関わらず、この短時間で3隻も・・・・・・?」
「管理局の艦船はムドラの艦に比べて武装が弱いのよ」
リンディが言った。
「その上、シェイド君やメタリオン、なのはちゃんもいる。一度敵の艦に張り付かれた終わりよ」
言いながら、エイミィはまだ”シェイド君”と呼んでいることに気付く。
彼女にとってシェイドは本性を表わしたとはいえ、今でも可愛い弟としてしか見ることができないでいる。
リンディは完全に切り替えられたようだが。
「本部を攻撃しないところを見ると、艦船を片っ端から潰していくつもりか?」
クロノが唸った。
ムドラの行動は、管理局との戦いを楽しんでいるようにも感じられる。
「3隻もやられたのかい?」
振り向くと、アルフとフェイトが入ってきていた。
「ああ。辛い話だが、襲撃の現場になのはの姿が確認されてる」
フェイトはまたも悔恨と自責の念にかられた。
あの時、助けられたら・・・・・・。
そんな悪循環が小さな彼女の心を抉っていく。
早くなんとかしなければ、なのははどんどん罪を重ねていってしまう。
もはや取り返しのつかない事態にはなっているが、これ以上なのはに悪事を重ねてほしくなかった。
リンディは制御盤を叩き、データベースにアクセスした。
そういえばムドラに関してちゃんと調べていないことを思い出したのだ。
情報収集に関してはおそらくユーノの方が得意だろう。
今も書庫で、彼にしか見つけられない情報を掴んでいるかもしれないのだ。
「あら・・・・・・?」
不意にリンディが声を漏らした。
検索結果の中に、『ムドラ』の文字があったのだ。
それ自体はなんら不思議なことはない。
もともとムドラについて調べるつもりだったのだから。
リンディが違和感を覚えたのは、その記事の更新日時だった。
(10日前・・・・・・?)
「この記事、最近書かれたものみたいだねえ」
横からアルフもその点を指摘する。
「でもこんな状況でデータの更新なんてしてるヒマは・・・・・・」
クロノは何か嫌な感じがしていた。
それは彼女ら全員に伝わり、言いようの無い不安に襲われる。
「提督・・・・・・」
エイミィが呟いた時、リンディはその記事を開いていた。
ムドラ:(名) -Mudrah‐
天地開闢の頃より栄えた、自然界との調和を礎とする帝国、またはその民を指す。
かつて陋劣無慈悲な魔導師たちにより蹂躙され、滅ぼされた。
ムドラを襲った嗜虐残忍な魔導師たちは後に時空管理局を作り、いくつもの次元を手中に収めた。
しかし永遠と思われた彼らの支配は、生き延びたムドラの民の末裔により粛正される。
魔導師に虐げられ、劣悪な環境で生きる事を強いられてきたムドラの民の必死の抵抗である。
そして彼らの悲願は成就され、管理局は潰え、彼らの正義のための戦いは終わる。
彼らはムドラ帝国を再興し、世界に秩序と平和と安全を取り戻した。
魔導師たちに葬り去られたムドラの秘術、プラーナとともに・・・・・・。
「これは・・・・・・」
リンディは一瞬にして全てを悟った。
あの時・・・・・・クルーを襲った後、シェイドは艦首にいた。
この文章は、その時彼が書き上げたものだろう。
「なんだか難しい言葉ばっかり・・・・・・」
「ん〜っと、つまり・・・・・・」
エイミィはフェイトに分かるように平易な言葉に変換した。
「ムドラは世界が誕生してすぐに栄えた。ろうれつ・・・・・・つまり卑しく劣る魔導師たちがそれを滅ぼした。
そんな残酷な魔導師は後に管理局を作り、いくつもの次元を手に入れた。
永遠と思われた彼らの支配は、ムドラの生き残りの必死の抵抗で滅び、プラーナとともにムドラが復活した」
こんなところでしょうか、とエイミィはリンディに訊ねる。
「上出来よ」
リンディは力なく言った。
「あいつはウソつきだけど・・・・・・これは真実なんだろうね・・・・・・」
アルフがなぜか悲しそうな眼で言った。
「ええ・・・・・・かつて私たちの祖先はムドラ帝国と戦い、そして勝利した・・・・・・」
リンディの声はかすれ、注意しなければ聞き取れないほどか細い。
「戦いに勝利した者は繁栄し、敗れた者は滅び去っていく・・・・・・」
その時、ユーノが駆け込んできた。
「ユーノ君? どうしたの?」
「て、提督! ジュエルシードはやっぱりムドラの民が作り出した物でした!」
「え・・・・・・?」
「そんなハズないだろ? だってムドラは魔法は使わないんだ。ジュエルシードには魔力が込められてるんだから・・・・・・」
ユーノはクロノの反論を即座に覆した。
「ムドラが滅びた直後に魔導師が自分たちの支配力を強めるために細工したんだ。その結果、ジュエルシードには
膨大な魔力が蓄積されるようになったんだ」
ユーノはさらに続けた。
「でもあまりに力が強くなりすぎて制御できず、魔導師たちはそれを封印することにした。それが・・・・・・」
「今のジュエルシードってこと?」
フェイトの問いにユーノは強く頷いた。
「ということは、あれは元々ムドラの民がプラーナの容れ物として作ったってこと?」
今度はリンディが訊いた。
「そうです。ジュエルシードが本来の機能を、プラーナの器としての機能を取り戻したら大変なことになります!」
「何が起こるんだい?」
「今のままでいけば、2個もあれば世界の半分を消滅させるかも・・・・・・」
「そんなバカな・・・・・・」
あまりに現実離れした規模に、クロノも半ば呆れ顔で言った。
だがユーノは真剣だ。
「冗談なんかじゃない。プラーナは魔法と同じで、術者の想いが強いほどその効果も強くなっていく。
シェイドがジュエルシードを起動させれば、それくらいのことは訳ないと思います」
「彼の、魔導師に対する強い憎悪がそれだけの破壊力を生み出すってことね」
リンディは顎に手をあて唸った。
「ええ、でもシェイドはまだそれに気付いていません。ジュエルシードがムドラの物だと分かっていても、
その起動方法までは知らないのでしょう」
しかし、とユーノは付け加える。
「気付くのは時間の問題です。それより早くジュエルシードを取り戻さないと取り返しのつかないことになります」
「それならジュエルシードを探すより、ムドラを倒した方が手っ取り早いね」
言うか言うまいか迷ったあげく、アルフが言った。
「シェイドたちの気持ち、分からないでもないけど・・・・・・でもこんな方法は間違ってると思わないかい?」
「そうだね」
フェイトは力なくアルフに同意した。
「私たちは・・・・・・彼らに謝罪しなければならないわ・・・・・・。彼らにこんな過去と現在を作ってしまった私たちの祖先に代わって」
リンディが言った。
今の彼女にはまだシェイドを完全に許せるわけではなかったが、それでも歩み寄ろうという意思はあった。
「でもその前に止めなくちゃ。力ずくでもね」
そうするしかない事を、この場にいる誰もが分かっていた。
「喜!」
シェイドが怒鳴る。
「哀!」
シェイドの放つ単語に、イエレドは四苦八苦しながら言われた通りの表情を作る。
「楽・・・・・・じゃなくって怒っ!」
「あの、シェイド様」
イエレドがおずおずと切り出した。
「もうこんな練習は必要ないのでは・・・・・・」
イエレドは今、シェイド教官の下で演技の特訓を受けている。
シェイドはイエレドに本気で斬られたことをまだ根に持っているらしい。
「そうだね。もう必要ないね」
「ではなぜ・・・・・・?」
「何となく」
「なっ・・・・・・」
イエレドは二の句が継げなかった。
「ふ・・・」
「笑うなっ!」
少し離れたところで、ミルカとなのはが見ていた。
剣技の訓練を休憩し、ちょうどくつろいでいるところだった。
「やあ、なのはさん。ミルカから聞いたよ。ずいぶん強くなったってね」
シェイドに誉められ、なのはは頬を赤く染めた。
「君は飲み込みが早いな。感心するよ」
「でも、プラーナはまだ全然・・・・・・」
「焦ることはないよ。君のことだ。僕の教えを守ればきっとプラーナをも使いこなせるようになる。
そう・・・・・・管理局でさえ震撼させるくらいにね」
「そう・・・・・・かな・・・・・・」
シェイドはなのはの謙遜さえ利用してささやいた。
「それに、君も気づいているんじゃないか? 自分の才能に」
「え・・・・・・?」
「フェイトさんは何年も前から魔法に触れていた。しかし君は魔法というものに初めて出会ってから
ごく短期間でそれをマスターし、ついには彼女を凌ぐほどにまでなった・・・・・・」
シェイドはジュエルシード事件解決直前の、なのはとフェイトの対決を記録したビデオを観たことがある。
激しい空中戦の末になのはが制したあの戦いを。
「それが君の才能なんだ。未知のものでも理解し、取り込み、そしてそれを手足同然に操れるようになる」
シェイドはなのはの髪をやさしく撫でた。
「僕を見るんだ。そして僕からプラーナを盗め。君ならできるよ」
「できるかな・・・・・・私にも・・・・・・」
「できるよ。だって――」
シェイドはなのはの耳元でささやいた。
「僕にとって、君はかわいい徒弟なんだから」
その時、レメクが駆け込んできた。
「シェイド様に申し上げます。ディーモス地区においてジュエルシード1個の反応がありました」
「ご苦労様、レメク。さて誰が行こうか?」
シェイドは面々を見渡した。
ツィラは別の任務を遂行中のため不在だ。
なのははまだ教えを十分に施しておらず、単独で管理局の連中と接触させるのは危険だ。
「イエレド、お前に任せてもいいか?」
「お任せ下さい! 必ずやジュエルシードを持ち帰ります」
イエレドが身を乗り出して言った。
「ずいぶん張り切っているな。そんなに僕の練習がイヤか?」
「そ、それは・・・・・・」
ズバリ心の中を見破られ、イエレドは返事につまった。
やはり心理に関してはシェイドに敵う者などいないのである。
「まあいいや。今、全てが順調なんだ。ここで勢いに乗ることは大事だからね」
シェイドは長身のイエレドを見上げて言った。
「少々物足りない仕事だけど、油断だけはしないようにな」
「心得ます、シェイド様」
イエレドは恭しく頭を下げると、艦後部のゲートに消えた。
「レメクは引き続き調査を。ミルカはなのはさんに剣技の訓練をつけてくれ」
「了解しました」
「僕はツィラの帰りを待ちながら、今後の素晴らしい展開に想いを馳せているよ」
シェイドはよく分からないことを言いながら、艦首に消えた。
残された3人はシェイドの後姿に頭を下げる。
ガラスの向こうに広がる、次元間を航行中特有の彩光を眺めながら、シェイドは1人悦に入っていた。
彼の脳内では管理局が無様に滅ぶ様ができあがっている。
そこに至るまでのシナリオは完成しており、後はそれを自らが主役となってシナリオどおりに演じるだけ。
シェイドはまだ達成していないにもかかわらず、達成感に溺れた。
彼の夢見る、輝かしい未来に想いを馳せて。
しかし彼の思い描く未来が徐々に崩れ去っていくのを、慢心していた彼が気付く事はなかった。
フェイトはひとり、トレーニングルームにいた。
愛杖バルディッシュと共に、技を磨き、己を磨くために。
風を斬る音とともに、金色の光刃が鋭い太刀筋を刻んでいく。
なのはを救う手段が、彼女を唆しムドラの復讐の道に引き込んだシェイドから学んだ剣技とはなんという皮肉だろう。
だがフェイトはそんな現実を真正面から受け止め、いま剣技を昇華させている。
流れるような体の運び、電光石火の剣捌き、そして一切の迷いのない強く真っ直ぐな意志。
これが彼女の武器であり、防具であった。
今となってはもはや、クロノなどは剣の練習相手にはならなかった。
フェイトが本気になれば、模擬戦はわずか数秒で決着がつく。
クロノが弱いわけではない。
彼も双刃のS2Uを巧みに使いこなし、数々の任務をこなしている。
敵がムドラの民である以上、これまでのように魔法を中心に作戦を展開することはできない。
彼らが剣技の腕を上達させることは必然ともいえた。
剣技に必要なのは、才能と鍛錬と心だ。
フェイトはその全てを持っている。
だからこそバルディッシュと一体となり、あらゆる敵に臆することなく挑めるのだ。
だがこれからフェイトが戦う相手は敵ではない。
”友だち”なのだ。
なのはという名の少女と。
シェイドという悲しい運命を背負った少年と。
今、フェイトがこの2人に抱く気持ちは全く同じであった。
”救いたい”
その確かな気持ちだけを頼りに、彼女は剣技の腕を磨いている。
煌めく軌跡は温かな慈悲の心と、燃え上がるような熱い心とに包まれている。
(絶対に助けてあげるからね)
少女の心を受け、バルディッシュがわずかに輝いた。