第13話 帰還

(通信の向こうで起こった事件。狂気に彩られるシェイド。そんな彼を見て、フェイトは決意を新たにする)

 沈黙だった。
誰も何も言わず、動きもせず。
ただシェイドの次の言葉を待った。
この奇妙な静けさに苛立っているアルフは、拳を閉じたり開いたりしている。
そして数秒後。
大きく聞こえるようにため息をついたシェイドは、視線だけを後ろに向けて言った。
『まさかとは思うが、僕を撃つつもりじゃないだろうね?』
『あなたの返答次第です』
そんな奇妙なやりとりが交わされる。
女性の声だった。
おそらくシェイドの後ろにいるであろう彼女は、おそらく何らかの武器を彼に向けていると思われる。
『悪趣味な冗談だよ。でも冗談ならすぐにそれを下ろしてくれないか?』
『シェイド様・・・・・・私の質問に答えてください』
その女性の声には聞き覚えがある。
おそらくもっとも身近にその声を聞いていたのはクロノだろう。
モニター越しに展開される何かを、リンディたちは固唾を呑んで見守った。
『私たちは・・・・・・何のために戦っているのですか?』
やや怯えた口調の女性。
姿は見えないが、やはり多少は怯えているのではないだろうか。
『僕たちはムドラ帝国を復活させるために戦っているんだ。魔導師に復讐を果たした暁には、ムドラ帝国が世界を支配する。
・・・・・・って今になってする質問じゃないね。どういう意味があるんだい?』
シェイドは視線を後ろに向けたまま、目を少しだけ細めた。
こういう表情をする時の彼の言葉は信用できない。
言葉とは裏腹に、彼は”もう”知っているハズだ。
『私はそうは思いません。あなたはただ魔導師に復讐したいだけなのではないですか?』
『言ったろう。ムドラの復活のためには魔導師を滅さなくてはならない。そして魔導師を滅する理由はムドラの復活のためだ』
『ですが、あなたからはムドラ帝国の希望の光が見えません。あなたは・・・・・・』
『僕は?』
『あなたは私たちが最も畏れる”プラーナの闇”に取り憑かれてしまったのですね・・・・・・』
金属がこすれるような乾いた音が響いた。
『仮にそうだとして、それが何だというんだ? 君が僕にそれを向ける理由にはならないと思うが?』
シェイドはこの展開を、わざとアースラに見せ付けているのだろうか。
ふとフェイトはそんなことを考えた。
やりとりから何が起こっているのか大方見当がつく。
背後をとられているのに、なぜ彼は振り向くこともしないでいるのか。
それともあまりの展開に、通信していたことを忘れているのか。
『本気だな・・・・・・?』
不意にシェイドの表情が険しくなった。
「なぜだ? 僕が魔導師打倒を掲げた時、一番に名乗りを上げたのは君だったぞ。それがなぜ・・・・・・』
シェイドは狼狽しているように見えた。
いつも傲慢で狡猾で、決して狼狽する素振りなど見せない彼が。
それはその言葉にも表れていた。
『私はムドラの復活のために戦ったまでです』
『どういうことだ?』
『魔導師・・・・・・つまり管理局が何の反応も示さず、私たちを葬ろうとするなら、復讐も辞さない覚悟でした。
しかし先ほど、リンディ・ハラオウンは過去の罪を認め、謝罪しました。私はそれを管理局の意思と受け止めます』
『・・・・・・いいよ、続けて』
『ムドラの復活という私たちの目的は果たされるのです。今も故郷で飢えと寒さに苦しむ民を救うことができるのです。
あなたはそれを受け入れなかった・・・・・・。あなたは目的を見失っているのです・・・・・・』
『民を救う? 本当にそう思っているとしたら、僕は君を買いかぶっていたことになるな。よく考えろ。
奴らは僕たちが現れるまで、ムドラの民のことを知っていたか?』
『いえ・・・・・・』
『そうだ。奴らは”忘れた”んだよ。過去の大罪をね。そして自分たちに都合のいいように記憶をすり替えた。
そんな奴らの謝罪など、本当の謝罪ではない』
「それは・・・・・・」
言いかけてリンディは口をつぐんだ。
いま口を挟んではいけないような気がしたのだ。
『リンディ・ハラオウン。ムドラの民はあなた方の提案を受け入れる。そしてこのような悲劇を二度と起こさないことを誓おう』
だが女性がリンディに呼びかけた。
「あなたはレメクね? 私たちが犯した罪は計り知れないわ。今、和平の道を見出すことができたわ。管理局は・・・・・・」
『おっと、勝手に話を進めないでもらいたいね。和平の道など存在しない! 魔導師はムドラの前に滅ぶのだからな』
『あなたの目的は復讐でしかないのです、シェイド様。それに・・・・・・』
レメクはわずかに間を置いて続けた。
『肉親を平気で殺すような人に付いていけません』
『彼女らは裏切り者だった。彼女らは自分から、もう必要のない人間に成り下がったんだよ』
『では私もその1人になりましょう』
シェイドは再び大きなため息をつくと、天を仰いだ。
『やれやれ・・・・・・。こうなるとイエレドの死がますます尊い犠牲になるな』
『彼が生きていれば、おそらく私と同じ行動をとったでしょう』
『・・・・・・過去に”もしも”は必要ないよ、レメク。ひとつ訊いておく。ミルカはどうした?』
『彼女はメタリオンを絶やさぬためと、この艦を去りました』
『そうか、そんなことを言って逃げたか』
そんなやりとりを、なのはは夢現で見ていた。
言葉のほとんどは入ってこないが、彼が何を言っているかくらいは理解できた。
『残念だ・・・・・・本当に残念だ。これは・・・・・・重大な背信行為だよ・・・・・・』
シェイドは何かを諦めたような目をした。
フェイトは彼のこの表情をしっかりと脳裏に焼き付けた。
怒っているのか、泣いているのか、憂えているのか・・・・・・。
そんなよく分からない、しかし何らかの感情が混じった表情を浮かべ彼は・・・・・・。
双眸を大きく見開いた。
その時、モニターの映像が不意に消えた。
エイミィの制御盤には” intercepted ”と表示されている。
真っ暗なモニターの中で。
それは起こった。
エダールセイバーの風を斬るような起動音。
続いて銃声。
さらに光刃を振るう音。
何発かの銃声の後、たった1回の光刃を振る音。
そして女性の悲鳴。
・・・・・・それで終わりだった。
音だけが送受信されていた通信は、シェイドの手によって完全に遮断された。
「・・・・・・・・・」
フェイトはなのはの傍らに崩れ落ちた。
リンディは唇を噛みしめ。
エイミィはモニターから目を逸らし。
ユーノは眩暈を覚え。
クロノは力なく壁にもたれかかり。
アルフはやりきれない気持ちにただ拳を握るだけだった。
誰もが分かっていた。
あの真っ暗なモニターの向こうの惨劇を。
ムドラの民の命がひとつ、残酷にも奪われたことを。
なんという悲劇か。
ようやく見出せた光明が、目の前で無惨にも消滅した瞬間を彼女らは体験した。
彼女らはただ怒り、悲しみ、そして涙するしかなかった。
しかしこのあまりの悲劇に、もはや涙すら枯れ果てていた。
「これより――」
リンディが立ち上がって言った。
全員が彼女の揺るぎない信念に満ちた瞳を注視した。
「本作戦の最終目的を、ムドラの救済に切り替えます――」
そうだ。それでこそ彼女だ。
あの残忍な少年を、心底から許すにはまだ時間がかかる。
和平の道を自ら閉ざした彼には。
しかし彼もまた、”被害者”だ。
レメクの言ったとおり、”プラーナの闇”に呑み込まれてしまった被害者だ。
それを救えるのは彼女らしかいない。
だがその方法が彼との闘い以外に無いとはなんたる皮肉か。
フェイトは今は落魄しているなのはを見た。
なのはは戻ってきた。
それは素直に喜んでもいいのではないか。

 通信を切断したシェイドはまるで泥酔しているかのようにフラフラと2、3歩歩いた後、腰の高さほどの
制御盤に両手をついて、深く長いため息をついた。
彼にはまだ、絶望に近い感情を表現する術が残っていた。
たとえば彼が両手を制御盤から離せば、その小さな体はたちまち重力に従って崩れ落ちるだろう。
恐ろしい闇が。
シェイドという少年の心に巣くう恐ろしい闇が、より一層強く大きくなり、彼を包み込んだ。
そして闇は彼に囁いた。
”絶望を味わうのはお前ではない。お前を絶望に追いやった奴らにこそ味わわせるのだ”
彼は偉大な闇にひれ伏し、そして告げた。
”分かっているさ。ああ、分かっているとも。今、そう考えていたところさ”
そして彼はつぶやいた。
「イエレドが死に、ツィラが裏切り、レメクは叛旗を翻し、ミルカは僕の元を去った・・・・・・。
そしてようやく手に入れた駒は最後まで役立たずのまま居るべき場所に戻ってしまった・・・・・・。
僕は・・・・・・行動を起こすタイミングを間違ったのか・・・・・・・・・?」
シェイドがまたため息をついた。
「いいえ、そんなことはないわ」
「そうよ。正しいのはいつもあなたよ」
不意に後ろから声がした。
艶かしい、しかしシェイドにとっては神経を逆撫でするような女性の声がする。
彼と同じように真っ黒な服を好み、背中から不気味な翼を広げる2人の女性。
「ああ、君たちだけだよ、そう言ってくれるのは・・・・・・」
シェイドが支え――制御盤――から手を離す。
「マカシ、ソレス・・・・・・」
そして2人の名を呼び、愛撫する。
2人は嬉しそうに黒い翼を狂ったようにばたつかせた。
彼女らはアンヴァークラウンの洞窟に棲むコウモリだった。
シェイドが管理局に潜り込むために魔法を研究していた時、たまたま彼の前に現れた。
ちょうど使い魔の項目に目をやっていた彼は、実験もかねて2羽のコウモリに魔法をかけた。
試みは見事成功し、彼は正式な儀式も踏むことなく2人の使い魔を手に入れた。
ただそれだけだった。
この従順な使い魔に対する愛を、彼は微塵も持ち合わせていなかった。
それどころか憎んでいた。
姿こそ自分と同じものの、魔法から作られたこの擬似人格が、彼にとってはたまらない苦痛だった。
幸いにも正しい手順で作られなかったため、彼と彼女らは精神リンクすることはなかったが。
「ジュエルシードはいくつある?」
シェイドが唐突に訊いた。
その質問をするだろうと分かっていたマカシは指折り数える。
「全部で9個ね。厳重に保管してあるわ」
「9個か。もう少しあると思っていたけどね。まあ、いいや。ソレス」
ソレスが向き直った。
「1個を残して、全てをあの場所に移せ。いいか、くれぐれも慎重にだぞ」
「あの場所? それじゃあ、いよいよアレを使うのね?」
シェイドは露骨に憎悪の視線をソレスに向けた。
言われたことに素直に従っていればいいのに、いちいち詮索するコウモリが彼は大嫌いだった。
彼はそれには答えず、もうひとつ命令を付け足した。
「これからは君たちにも手伝ってもらう。難しいことはない。ただその力を振るってくれればいいんだから」
「任せといて。シェイドの期待は裏切らないよ!」
「頼もしいな」
シェイドはマカシを愛撫した。
「まず手始めに逃げたミルカを始末しておくよ」
上機嫌になったマカシが翼を揺すりながら言った。
「2人でいくんだ。彼女はエダールセイバーの名手。不意を衝け。撹乱するんだ」
「大丈夫だって! シェイドに教わった力を使えば」
「僕は何度も油断してしまった。その結果がこれだ。いいか、絶対に油断はするな。彼女は今、いつも以上に警戒しているぞ。
彼女の行動を予測し、隙を狙え」
シェイドの口調は厳しかった。
その言葉のいくらかは自分自身に向けた反省の意味も込められている。
「分かったよ。それじゃ、行ってくるね! さっさと終わらせるから!」
2人は踵を返し、通信室のドアを開けた。
「ああ、ちょっと待て」
2人の背中にシェイドが呼びかける。
ソレスが振り返り怪訝な顔つきになった。
「行く前に”これ”を片付けておいてくれないか?」
そう言ってシェイドは、彼の足元に転がるムドラの民を指差した。

 フェイトは医務室のベッドに横たわるなのはを見つめた。
意識があるのかないのか、それさえも分からない瞳がフェイトを見つめ返す。
「・・・・・・なのは・・・・・・」
こんな時には何と声をかければいいのか。
残念ながらフェイトのおよそ10年間の記憶の中に、これと同じ経験はない。
したがって彼女がかけるべき言葉も見つからなかった。
「フェイトちゃん・・・・・・」
なのはもまた、フェイトとそう変わらない気持ちを抱いていた。
彼女は裏切った。
フェイトの再三の説得を退け、闇雲にシェイドを信じ、そして最後には彼に捨てられた。
いや、”最後に”ではなく、彼女は”始めから”捨てられていた。
彼女は裁きを受けるべき立場に立たされた。
法的な問題だけではなく、彼女を信じていた者を裏切った罪。
なのはにとっては後者のほうがよほど重みがあり、身を切られる思いであった。
「おかえり、なのは・・・・・・」
フェイトはそう言って自身をなのはに寄せた。
「・・・・・・!?」
そして恐怖と不安と悔恨の念にかられているなのはの頭を撫でた。
とても心地よかった。
できることなら、ずっとこうしていて欲しい。
フェイトのぬくもりが、手を通してなのはに伝わる。
なのはのぬくもりが、手を通してフェイトに返ってくる。
そうしているだけで良かった。
しかしなのはは、こうしてもらえる資格がないことを思い出した。
ゆっくりと自分を愛撫してくれるフェイトの手を退ける。
フェイトは怒っているんじゃないか?
みんなを失望させてしまったんじゃないか?
そんな苦痛を、フェイトはなのはの様子から瞬時に感じ取った。
「大丈夫だよ・・・・・・。誰もなのはを責めたりしないから。だから心配しないで」
これはフェイトの想いだった。
まだ幼い彼女には人の心は理解できても、法的な問題までは知りえない。
だが知らなくてもよかった。
こうしてなのはを助けることができたのだから。
「ごめん・・・・・・なさい・・・・・・」
なのはが上体を起こし、フェイトにしがみついた。
「・・・・・・ごめんなさい! ごめんなさいっ! ・・・・・・ごめんなさいッ!!」
なのはは医務室の外にまで聞こえるような声で何度も繰り返した。
何度も何度も。
言葉に出す謝罪が、過去を変えることもなければ自分の罪を軽くすることもないのは彼女もよく分かっていた。
分かっていても彼女にはそうする以外、罪を償う方法がなかった。
「もういい・・・・・・もういいよ、なのは・・・・・・」
しかしそんな優しい言葉も、今のなのはにとっては傷をさらに広げる刃でしかなかった。
「わたし・・・・・・分かってたかもしれない! ううん、分かってた! 間違ってるのはシェイド君だって!
でもわたし・・・・・・どうしていいか分からなくて・・・・・・それで、それで・・・・・・ッ!!」
フェイトは涙を流し続けるなのはの手をとった。
「気がついたらクロノ君を・・・・・・。後に退けないんじゃないかって思ったら怖くて・・・・・・!」
なのははひどく混乱していた。
ユナイトでのあの惨事から今日まで。
彼女の記憶は鮮明だったし、無意識の行動でもなかった。
今でもS2Uを斬った感触や、フェイトと斬り結んだ感覚を彼女は覚えている。
彼女は”自分の意思”でそうしたのだ。
今さら言い訳などできるハズもない。
それは分かっていた。
「大丈夫! 大丈夫だからっ! なのはは私が護ってあげる! だから何も心配しないでッ!」
フェイトはただ泣きじゃくる彼女を抱きしめることしかできなかった。
そうすることで彼女の痛みが少しでも和らぐなら、フェイトはずっとそうしていようと思った。
「なのは・・・大丈夫だよ。だってこうして帰って来てくれたんだから・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
だがなのはからの返事はなかった。
不審に思ったフェイトはそっと顔を覗きこんだ。
眠っている。
身体的な疲れよりも、精神的な疲れのほうが大きかっただろう。
モニター越しとはいえ、辛辣な事実を告げられたなのはには・・・・・・。
慣れてはいけないことだが、フェイトにはこうした状況に抵抗力があった。
だからまだこうして自分の足で立っていられるのだ。
フェイトはなのはをベッドに寝かせると、音を立てないようにして医務室を出た。
実際、彼女も疲れていた。彼女だけでなく、クルー全員が。
「フェイト」
医務室を出たところで、後ろからクロノに呼び止められた。
彼は複雑な表情で尋ねる。
「なのはは・・・・・・?」
「うん・・・・・・。まだ混乱してるみたい。ていうよりショックが大きすぎたのかも・・・・・・」
「そうか・・・・・・。時間が経てば彼女も落ち着くだろう。ところでフェイト」
「なに?」
「これは・・・・・・言い難いことなんだが・・・・・・」
クロノが渋った。
しかしいずれ話さねばならないことだ。クロノは重い口を開いた。
そしてフェイトにとっては衝撃的な事実を述べた。
なのはは帰還したのではなく、アースラに拘留されているという扱いになっていると。
今は医務室で眠っているが、彼女が正常に戻った時には常に数名の局員が彼女の行動を監視することになっていると。
「僕も辛いが・・・・・・この処遇は管理局でも軽い方だよ」
クロノはフェイトから目を背けるようにして言った。
「なのはが管理局の艦や局員を襲撃したのは事実だ。実際に僕も・・・・・・」
言いかけて彼は止めた。
「なのははどうなるの?」
「裁判にかけられることは間違いない。ただ、判決がどう下されるかは・・・・・・」
「無罪なんでしょ?」
フェイトは信じられないという表情で問うた。
「難しいかも知れない。シェイドに唆されてやったことは事実だが、その時点ではなのはの意識は正常だったハズだ。
当時の彼女は善悪の判断ができる状態だった。心神喪失を理由に無罪に持ち込むのは無理がある」
「そんな・・・・・・!?」
なのはが犯罪者になってしまうかもしれない事態に、フェイトは愕然とした。
「でもなのはは管理局局員じゃないよ? 民間協力者だから、同じように裁くのは・・・・・・」
「これだけ事件に深く関わっていれば、その言い訳も苦しくなる・・・・・・」
何とかなのはを救う口実を見つけようとするが、クロノは手厳しい現実を突きつけて一蹴する。
「P・T事件と闇の書事件。なのははこの両件に大きく貢献した。過去の功績を引き換えになら、多少罪を軽くできるかも」
クロノもなのはを救おうと考えていた。
そのために彼女が残した偉大な功績を失うことになろうとも、無罪に運ぶことができるならそれでよかった。
「どちらにせよ起訴されてしまえば、なのはの自由は奪われる。それまでに弁護士にかけあって・・・・・・」
「ねえ、クロノ・・・・・・」
俯き加減にフェイトが言った。
「過去の功績を失うかわりに、なのはの罪は軽くなるんだよね?」
「え? あ、ああ。無罪とまではいかないまでも、裁判官はその点を斟酌してくれるハズだ」
「じゃあ未来の功績は?」
「・・・・・・?」
フェイトが何を言わんとしているのか分からず、クロノは首をひねった。
「もし今後、なのはが事件解決に貢献したら?」
「当然、それも斟酌されるだろうけど。でもそれは無理だ。裁判が始まれば、なのはは・・・・・・」
「だから裁判が始まるまでなら・・・・・・もしなのはがシェイドを捕らえたら?」
この小さな魔導師はなんてことを言い出すんだ。
クロノは内心で舌を巻いた。
フェイトは裁判まで、まだまだ時間があることは分かっていた。
つまるところ、なのはにこの事件を解決させようというのだ。
それがいかに危険なことか。
またシェイドに操られる危険だって無いわけではない。
危険で無謀な提案だった。
しかしフェイトが言うと、それが成功しそうに思えるから不思議だ。
「危険すぎるよ・・・・・・」
フェイトにしてやられたクロノは力なくそう答えるしかなかった。
「ところでフェイト」
いつになく真剣な眼差しでクロノが切り出した。
「僕に剣技を教えてくれないか?」
「私がクロノに?」
「ああ・・・・・・」
この申し出はフェイトにとっては不自然だった。
「私が教えられる側だよ。だってクロノは・・・・・・」
「いや、剣技に関しては君の方が僕よりもはるかに上だ」
クロノはこんな冗談は決して言わない。
フェイトは惑った。
「君となのはの闘いを見れば一目瞭然だ。僕もいずれはシェイドと・・・・・・いや今回に限らず剣の腕を磨いておく必要がある」
クロノは自分を含めて各々の剣技の腕を冷静に分析していた。
彼の中では自分よりもなのはが強く、なのはよりもフェイトが強い。
「どうか頼む」
フェイトは少し迷ったがやがて、
「うん、分かった」
笑顔でそう言った。
「でも私の訓練は厳しいよ?」
「平気さ。厳しいのには慣れてるから」
クロノも苦笑まじりにそう返した。

 絶望に近い感情を抱いていたのはリンディも同じだった。
ここ数日で激変した心情を落ち着けるため、エイミィを誘って小さな茶会を開いている。
「時々、提督としての自分に疑問を抱くわ」
主催者たるリンディはお茶をすすりながら、主賓たるエイミィに愚痴をこぼした。
「シェイド君のことですね」
エイミィはリンディが湯呑みに口をつけたのを確認してから、自分もお茶をすすった。
「彼も含めて、と言ったほうがいいかも知れないわね・・・・・・」
「私はリンディ提督の艦に乗ることができて幸せだと思ってますよ?」
それはエイミィの正直な感想だった。
「でも皆はどう思ってるかしら・・・・・・」
リンディはため息をついた。
「私が艦を離れたことで、多くの死傷者を出してしまったわ・・・・・・。私が息子を・・・クロノを案じたために」
「それは母親として当然の行動です。艦長としての責任はありませんよ」
エイミィにとって、これは大きな分岐点かもしれない。
ここでリンディをうまく立ち直らせることができるか否かが、今後事件を解決に導くうえで重要になる。
なぜなら彼女は提督でありアースラの艦長であるからだ。
彼女の意思が、彼女の動揺が、彼女の迷いが、そのままクルーに伝わることになる。
命を懸けたこの闘いに、ムドラに対する優しさは必要でも迷いは必要ではない。
「亡くなったクルーのことは忘れてはいけないと思います。でもフェイトちゃんたちのおかげでなのはちゃんは戻ってきました。
これは私たちの成功の証です」
だが命を落としたのは、アースラのクルーだけではない。
メタリオンもまた、彼によって命を落としたのだ。
そのことが2人に重くのしかかっていた。
「これ以上、犠牲者を出さないためにも早急に事件を解決させる必要があるわね」
リンディはごく当たり前のことを言った。
しかし今はその言葉が何よりも凛々しく感じられる。
2人はしばらく無言のままお茶を飲み交わした。
彼女らは分かっていた。
もうすぐ・・・・・・。
今度こそ、もう間もなくこの事件が終焉を迎えることを。
それがどんな形にしろ、必ず幕を閉じると。
この悲劇はエピローグにさしかかっていた。
だがそこに至るまでの道筋は誰にも読めていない。
魔導師が滅びムドラの勝利に終わるのか。
それともムドラの復讐が終わり魔導師が救済するのか。
誰にも分からなかった。
「なのはちゃん・・・・・・どうなるでしょうか・・・・・・」
ふとエイミィが漏らした。
「分からないわ・・・・・・。フェイトさんの時と違って弁明は難しいかもしれない・・・・・・」
「そう・・・ですよね・・・・・・やっぱり・・・・・・」
落胆しながらも、皆がなのはの無罪を主張してくれるだろうことは2人もよく分かっていた。
なのはは何も悪くない。
悪いのは彼女を唆したシェイドだ。
だがシェイドも悪くない。
悪いのはシェイドではなく、シェイドが抱いている憎悪だ。
だがその憎悪も、元を辿れば魔導師の過去に起因する。
この問題はつまり、全て魔導師が引き起こしたことに他ならない。
「検事や裁判官がそこまで遡って原因を追究してくれればいいんだけど・・・・・・」
最大の争点はそこだろう。
彼女らがいくらムドラに詫びても、本部の人間はまた別だ。
本部にいるのは目先のことしか考えない連中ばかりだ。
それはこの事件の発端、ジュエルシードが飛散した時の本部の対応を見れば明らかだ。
連中は自分たちの管理の甘さには一切触れず、哨戒船の職務怠慢に責任を転嫁した。
審判を下す者がそんな自分勝手な考えしかしないで、公平な裁判が行われるとは思えない。
よほど巧く、なのはの無罪を主張するしかない。
無罪を勝ち取るのは難しいが、やるしかない。
リンディたちは内と外の両方の敵と戦うこととなった。

 クロノの攻撃は精確且つ素早い。
おまけに両刃による巧みな攻めが、彼の強さを2倍にも3倍にもする。
このトリッキーな動きに、フェイトはしばらく防戦一方となった。
元々、通常のエダールセイバー使いと戦う前提でトレーニングしてきた。
S2Uのような特殊な武器を使う相手との戦いを想定したトレーニングは行っていない。
しかし数分もするとクロノの出方を読み終えたフェイトが反撃にでる。
こうなると、もはやクロノに勝ち目はない。
接近戦においては武器の特殊性は勝敗を分ける重要な要素だ。
攻撃に特化しているものもあれば、防御に優れているものもある。
問題はその特性を理解し、実戦に生かすことができるかである。
フェイトはかなり以前から既にバルディッシュと一体となっていた。
クロノのフェイントを織り交ぜた攻撃も、力に任せた直線的な攻撃も。
フェイトを捉えることはできない。
「や、やるな・・・・・・フェイト・・・!」
「クロノこそ」
言葉とは裏腹に、クロノにはもうわずかな余裕もない。
喋るだけで体力は失われ、斬撃にも乱れが生じる。
その一瞬の隙を突き、フェイトが光刃を素早く斬り返した。
力を逆流され、クロノは大きくバランスを崩す。
彼が体勢を立て直す間に、フェイトは合計で3回もの斬撃を振るった。
上段から中段、間髪を入れず下段へ斬り返す。
疾風怒濤の攻撃にS2Uは持ち主の手を離れ、後方へ滑り落ちた。
「さすがだな・・・・・・今のままじゃ到底君には勝てないか」
クロノは実力の差を痛感させられた。
元々フェイトは近接戦が得意ではあったが、こうも実力に開きがあるとは思っていなかった。
このままではフェイトの足手まといとなるばかりか、シェイドにも到底敵わない。
彼はどうしても強くなる必要があった。それも短期間で。
それを可能にしてくれるのはフェイトしかいない。
「何が悪いのか・・・・・・どこに注意すればいいかな?」
クロノが訊いた。
「え? えっと・・・・・・」
「君がコーチなんだ。僕に欠点があったら遠慮なく言ってくれ」
クロノの口調からは焦りが感じられた。
「攻撃がワンパターンなところかな? あと、踏み込む時のモーションが大きいから相手に簡単に読まれるよ。
それに次の動きを考えずに構えてるから、防御したあと少しだけど硬直してる」
「ず、随分たくさんあるんだな・・・・・・」
クロノが苦笑した。
「だって遠慮なく言ってって言うから・・・・・・」
フェイトは拗ねたような表情を見せた。
「あ、いや、責めてるわけじゃないんだ。ただ、改善すべき課題が多いなと思って」
「ふふ、言ったでしょ? 私の訓練は厳しいって」
「思ってた以上だよ」
クロノはS2Uを拾い上げた。
「じゃあそれを踏まえて、もう一戦頼めないか?」
「少し休んだほうがいいんじゃない? 息もあがってるみたいだし」
そういうフェイトはまった呼吸が乱れていない。
「僕は大丈夫だ」
クロノもけっこう頑固なところがある。
フェイトは苦笑しつつバルディッシュを構えた。
「分かった。それじゃ行くよ?」
「今度はさっきのようにはいかないぞ」
その日、2人のトレーニングは遅くまで続いた。
いい加減切り上げようとするフェイトに、もう少しだけとクロノが食い下がったためだ。
トレーニングの時間が長ければ長いほど、実力が身につくというわけではない。
当人のスキルから効率のよいプログラムを組まなければ、大半の時間は体力を消耗するだけになってしまう。
クロノはそれを分かっていたハズだ。
だが彼の悪い癖が出てしまったらしい。あるいは執務官としての責任感が足かせとなっているのか。
単純に力をつけたい、という想いが彼を焦らせる。
「だいぶ腕を上げたつもり・・・・・・だけど・・・・・・」
「クロノ・・・・・・」
肩で息をするクロノに、フェイトは落ち着いた口調で言った。
「ただ闇雲に練習したって強くはなれないよ・・・・・・」
「ああ・・・・・・分かってる・・・・・・」
事実を告げられクロノは俯いた。
「僕もどうしてこんなに熱くなってるのか分からない。執務官としての義務ってのもあるだろうけど・・・・・・」
「きっと疲れてるんだよ、クロノは」
フェイトは優しく笑った。
自分だって疲れてるくせに。
クロノは思った。
どうしてこの少女はここまで強くなれるんだろう。
自分よりずっと年下なのに、自分よりずっと年配に見える。
辛い過去を持つ者ほど強くなれるのだろうか。
そう考えればシェイドが異常なほど強いのも納得がいく。
ではなのはは? 彼女にはどんな過去が?
そして自分の過去は?
・・・・・・・・・。
クロノは考えるのをやめた。
考えること自体がムダだ。
「ああ、そうだな。疲れるかもしれない・・・・・・」
ややあってクロノはそう答えた。
疲れているのならば休めばいい。
「ありがとう、フェイト。ちょっと頭を冷やしてくるよ・・・・・・」
力なくそう言った。
「私もそうする」
フェイトは立ち上がった。
そういえば、まだ彼女に返していなかった。
彼女もそろそろ落ち着いただろう。
もうあの子を返してもいい頃だ。

 

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