第14話 休息
(フェイト、なのは。そしてシェイド・・・・・・。彼女らは戦いの場を離れ、しばしの休息をとる)
シェイドは朝からずっと艦の外を眺めていた。
後ろに流れていく粒子の波をただただ眺めていた。
本当は何も見たくなかった。
何も聞きたくなかった。
何も考えたくなかった。
だが彼の意思に反して、彼が眠っている時以外はあらゆる感覚が否応なく彼の中に流れ込んでくる。
それは彼が見る艦内であり、艦の駆動音であり、金属特有の錆びたような臭いであった。
唯一の救いは、彼が毛嫌いする2人の使い魔がここにいないことだった。
「何だ・・・・・・何を間違ったっていうんだ・・・・・・?」
彼はふと呟いた。
彼の口から発せられた言葉が、空気を振動させて彼の耳に戻っていく。
粒子の波は無情にも彼の小さな愚痴すらも聞き取らず、艦が進むのと同じ速さで後ろに流れていく。
「・・・・・・いや、そもそも僕が間違ったのか・・・・・・? ・・・・・・そんなハズはない・・・・・・」
自問自答した。
意味のない質問だったし、この質問には答えがなかった。
だから彼は自分に問いかけ、自分で答えるという遊びに耽った。
誰にも理解されない、彼だけの遊びだ。
シェイドという名の少年は先日、耐え難い苦痛を味わった。
過酷な環境の故郷に生きるよりも、もっともっと屈辱的な苦痛を。
彼が心から憎み続けてきた怨敵の前で、多くのものを失った。
4人の仲間と1つの駒を。
如何ともしがたい悔しさと憎悪が黒い渦を巻き、シェイドを包み込む。
最近ではそれが快感となってしまっている自分の狂気に気付きながら、それを甘んじて受け入れてしまう。
ふと彼は思った。
あの役立たずたちは、自分の命令を遂行しているだろうか。
メタリオンのように自分を裏切ったりしないだろうか。
彼はもう、自分以外のものは全て信じられなくなっていた。
もしかしたら自分すらも偽りの姿なのかもしれない。
しかし彼の心の中にある闇だけは本物のハズだ。
疑心暗鬼に陥った彼は少し眠ることにした。
簡素なベッドだが疲れをとるには十分だった。
医務室のドアが開いたのを感じたなのはは、ゆっくりと起き上がった。
「フェイトちゃん・・・・・・」
なのははまだ、フェイトの目を見て話すことができなかった。
罪の意識が、9歳の少女にしては重すぎる罪の意識がそうさせているのだ。
「わたし・・・・・・どうなるの・・・・・・?」
問いかけたがフェイトからの反応はなかった。
「フェイトちゃん・・・・・・?」
「なのはは裁判を受けるんだ・・・・・・」
それは分かっていた。
なのはが管理局に対して行った行為は重罪だ。
「でも大丈夫だよ。なのはは絶対罪には問われないから」
「無理だよ・・・・・・」
フェイトの励ましになのはは冷たく答えた。
「わたし・・・・・・何をしたのか覚えてる・・・・・・」
彼女の記憶はそのまま罪に直結していた。
思えばシェイドの元に身を置いてからの全ての行動が、今の彼女を不利な立場に立たせている。
自虐的になってしまうのはなのはの悪い癖だ。
しかし過去を振り返ることができるということは、彼女も多少は落ち着いてはいるのだろう。
フェイトはポケットから赤い宝石を取り出し、なのはに握らせた。
「レイジングハート・・・・・・」
なのはの手の中で、レイジングハートが淡く輝いた。
「”You're home, my master.”(おかえりなさい、マスター)」
レイジングハートはこの時を待っていた。
光が少し強くなり、温もりとなってなのはを癒す。
「フェイトちゃん・・・・・・」
なのはが不意に名を呼んだ。
「なに?」
「シェイド君は・・・・・・ずっと私を騙してたのかな・・・・・・」
シェイドが異常なほど人を信じないように、なのはは極端なほど人を信じすぎる傾向がある。
彼女はシェイドの言葉を聞いて管理局に猜疑心を抱いたのではなく、シェイドの言葉を信じたにすぎない。
結果それが管理局に背くことになったのだが。
「分からない。私たちは誰もシェイドの過去を知らないから・・・・・・」
そう言いながらフェイトは、シェイドのこれまでの言動を振り返ってみた。
彼の言動が全て偽りとは思えない。
先日の通信でシェイドが語ったのはおそらく真実だろう。
そしてこれはフェイトの憶測ではあるが。
興奮して取り乱した彼は、やはり事実を(少なくとも彼の真実な感情を)示しているのだろう。
始めからなのはを利用するために騙っていたことをフェイトは伏せた。
それを言うことでなのはの傷がどれほど抉られるかは分かっているし、おそらくなのは自身も分かっているだろう。
「でも私たちは理解し合えるって信じてる。シェイドだってただ復讐心から動いてるわけじゃないと思うし」
「・・・・・・うん・・・・・・」
しかし返ってくるなのはの反応はぎこちない。
なのはがこんなにも塞ぎこむと思っていなかったフェイトは、かける言葉が見つからなかった。
無理もない。彼女は自分の手で数え切れないほとの局員を斬ってきたのだから。
しかしそれよりもはるかに重くのしかかっているのは、フェイトと2度も闘ってしまったことだった。
なのはは運が悪かったんだ。
フェイトはそう思い込むことにした。
本当なら自分がなのはの立場に立っていたハズなんだと。
「なのはの助けが必要なんだ」
唐突にフェイトが言った。
「シェイドを捕まえるまでこの戦いは終わらない。そのためにはなのはの力が――」
「もし・・・・・・また私が裏切ったら・・・?」
なのはが怯えた瞳をフェイトに向けた。
フェイトはそんななのはを真っ直ぐに見返し、
「なのははそんなコトしないよ。だって人の心を誰よりも分かってるんだから」
精一杯の笑みをうかべた。
彼女は裏切る辛さも、裏切られる悲しさも知っている。
フェイトは信じていた。
なのはは強くなったのだと。
「ごめんね、長居しちゃって。疲れたよね?」
フェイトは立ち上がった。
「また来るから」
そう言って踵を返したフェイトの腕をなのはが掴んだ。
(え・・・・・・?)
予想もしないことにフェイトが驚く。
「行かないで・・・・・・・・・」
なのはは泣いていた。
フェイトの腕を掴む力が少し強くなる。
「なのは・・・・・・?」
振り返ったフェイトが見たなのはは、まるで子犬のように怯えた表情を自分に向けていた。
心なしか体も震えているようだ。
無意識のうちにフェイトは体をかがめ、なのはを正面から抱きしめていた。
なのはの震えが全身に伝わってくる。
震えに混じって伝わるかすかな鼓動が、互いが生きていることを実感させる。
フェイトは全身でなのはの全てを受け止めた。
痛みも苦しみも悲しみも。
なのはは・・・・・・フェイトが思っているほど強くはなかった。
戦闘時にはどんな相手も畏怖させるような強大な魔力を持っている彼女も。
この時ばかりは無力で無垢なひとりの少女だった。
ならば自分も同じ目線で見よう。
フェイトは魔導師としてでも管理局局員としてでもなく。
ひとりの少女として。
なのはの友だちとして。
彼女を抱いた。
このまま、何もかも捨ててどこかに逃げ出したいという気持ちが、フェイトには少なからずあった。
あまりにも凄惨で悲しすぎる事件に、これ以上なのはを晒したくなかった。
それはまた、自分を護りたいという想いでもあった。
9歳の少女には重過ぎる任務を2人は背負っていた。
戦わなければならない。
逃げることなど許されない。
「なのは・・・・・・」
だからフェイトは愛しい少女の名を呼んだ。
かつてなのはがそうしてくれたように。
そしてフェイトは叶わぬと知りながらも願った。
どうかこの時が永遠でありますように。
「ちょっと休んだほうがいいんじゃないのかい?」
中空を漂いながらアルフが言った。
「ああ。もう少し調べたら休むよ」
あしらうようなユーノの態度に、彼が休憩を取る気など全くないことにアルフは気付いた。
「そんなんじゃ体がもたないよッ! ・・・・・・っと」
高速で滑空したアルフはユーノが手にしていた書物を横から取り上げた。
「あ、何するんだよ」
ユーノが慌てて奪い返そうとする。
しかし中空を自在に飛び回るアルフがそれを許さなかった。
「そこがあんたの悪い癖だよ」
アルフがため息をついた。
”悪い癖”を自覚しているユーノは赤面した。
「しょうがないだろ。僕にできるのはこれくらいしかないんだから・・・・・・」
「他にもあるだろ? もっと大事なことが」
「・・・・・・?」
「なのはの傍についていてあげなよ」
「・・・・・・・・・」
アルフが意地悪く笑い、ユーノはさらに口ごもった。
「なのはには・・・・・・フェイトがついてるだろ・・・・・・」
「・・・もしかしてヤキモチ焼いてるのかい?」
「なっ!? 誰が――」
言いながら、ついムキになってしまっている自分に気づく。
「ま、たしかにあの2人は仲がよろしすぎるからねぇ」
頭の後ろで腕を組みながらアルフはふわふわと書庫をさまよった。
「なんだよ。嫌味を言いに来たのか?」
ユーノが悪態をつく。
「冗談だよ、冗談。本気にするんじゃないよ?」
屈託なく笑うアルフにユーノはどう反応していいか分からない。
「それにしてもさ。あんた、ちょっと根詰めすぎじゃないか?」
急に真剣な表情でアルフが言う。
「責任を感じてるのは分かるけど、もう少し肩の力を抜いてもいいんじゃないかい?」
「それは・・・・・・でもなのはがあんな目に遭ったのは僕の力不足が原因でもあるし」
ユーノには前線でシェイドとやり合うほどの力はない。
得意なのは支援だが、それでは結果的になのはたちを戦わせるのと変わりはない。
だから彼は勇よりも智を磨くことに努めた。
力で押すのではなく、知識で相手を倒すのだ。
「あいつの力はハンパじゃない。それはみんなよく分かってるんだよ」
「だったら、なおさら・・・・・・」
言いかけてユーノは口をつぐんだ。
なおさら彼女たちを戦わせるわけにはいかない。
しかしこの艦に、彼女たちに並ぶ魔導師が一人しかいないことを知っている。
とはいえ4人がかりでも勝てなかった相手に、彼女たちを戦わせたくはなかった。
「あいつは私たちを憎んでる。それがあいつの力なんだよ」
アルフは遠い目をして言った。
「何かに執着してるヤツってのは、時にとんでもない力を引き出すからねえ・・・・・・」
それはきっとプレシアのことだろう。
「そんなヤツに真っ向から勝負しても勝てっこないよ」
「でも僕ができることは情報を集めることだ」
「違うね」
アルフは人差し指を立てて左右に振った。
「あんたの役目はなのはのサポートをしてあげることさ。もちろん、闘いの中だけじゃないよ」
「アルフ・・・・・・?」
ユーノは戸惑い、怪訝そうな顔つきになった。
これではまるで分からず屋の弟を優しく諭すお姉さんだ。
いつもと違う彼女に、ユーノは自然と頬を朱に染めていた。
「移り気だね、あんた・・・・・・」
そんなユーノの可愛い反応に、アルフは半ば呆れ顔で返した。
仮眠から覚めたシェイドは、眠る前と何ひとつ変わらない艦内の様子にため息をついた。
身体的な疲れはとれたが、精神的な疲れは逆に溜まっているようだった。
閑散とした艦内を見渡し、シェイドは複雑な想いに駆られた。
仲間がいないのは心許ないし寂しいことだが、逆に裏切られる心配もない。
実際、彼の元にいた4人のうち3人が叛旗を翻したのだ。
彼にとってイエレドの死、ツィラの謀叛は予想外だったが、レメクの行動については察しがついていた。
彼が4人の管理局メンバーを相手に戦っているにも関わらず、援軍として来なかったからだ。
この時点で彼女らの裏切りは決定していた。
だから彼は気持ちをすぐに切り替え、彼女らの裏切りに備えた。
心の闇に喰われ、異常なまでに憎悪を抱いていたシェイドがレメクを倒すのは簡単だった。
これによってシェイドの憎悪はさらに強くなり、それが彼の力となる。
しかし彼の頭に、ひっかかっていることがある。
”僕の成すべき事は何だったか?”
ツィラにもレメクにも言われた言葉が、ずっと彼を悩ませる。
管理局を倒し、ムドラ帝国を復活させること。
言葉にすればたったそれだけのことだ。
そのためにとった手段も間違ってはいまい。
だがそれなら、なぜあの3人は自分の元を去ったのだ。
なぜ自分はツィラやレメクを倒さなければならなくなったのだ。
彼は自分の中にいる闇に問うてみた。
答えはすぐに返ってきた。
”彼女らはムドラの姿をした悪魔だったのだ”
闇が音もなく這いより、シェイドの足にからみついた。
”あるいはお前が最も忌み嫌う魔導師に操られたのだ”
シェイドは2つ目の意見に賛成した。
そうだ。これはあの忌まわしき管理局が周到に練ったワナだったのだ。
アースラに潜り込んだと思っていたシェイドが気付かぬうちに、奴らはメタリオンに忍び寄っていたのだ。
そうしてシェイドに背くよう囁いた。
なんと狡猾で。なんと卑劣で。そして何と洗練されたワナだろうか。
やはり真に倒すべきは管理局なのだ。
もう彼は誰の言葉にも耳を貸さない、誰の意思にも従わない。
心の闇の進言するとおり魔導師を滅ぼし、ムドラ帝国の安寧秩序のために命を捧げる。
彼の決心はついた。
そうとなれば、早々に行動を起こさねばならない。
幸いなことに彼の2つの手駒が吉報を持って戻ってきた。