第16話 ムドラの秘術

(ムドラの秘術を手にしたシェイドは、迫り来る管理局を滅ぼそうとする。だが戦いが長引いた時、異変が起こった)

 闇から這い出たシェイドは客人をもてなす準備にとりかかった。
多くの招かれざる客がやって来るのだ。鄭重なもてなしをしなければ機嫌を損ねてしまう。
シェイドは右手をさっと一振りして、ムドラに伝わる呪文を唱えた。
すると床が、壁が、天井が水面のようにたわみ、見る見るうちに盛り上がってくる。
やがてそれは人ほどの大きさになり、次の瞬間には長剣と盾を構えた戦士に化けた。
これと同様のことが外でも起きている。
彼にのみ従い、彼のためにのみ戦う、傀儡の戦士。
この神殿だからこそできる、ムドラの秘術である。
「これなに!?」
血相を変えて飛び込んできたのはマカシだ。
「ああ、これか。見ての通り、僕たちを守ってくれる戦士団だよ」
しかし”僕たち”の中にマカシとソレスは含まれていない。
そんなことなど知る由もないこの使い魔は、群れをなす戦士を見て大仰に驚いた。
「へぇ、ムドラって凄いんだね!」
そして無邪気に笑う彼女を見て、シェイドは思った。
(この顔を見るのも今日で最後だな)
もちろん、そこに未練などない。
彼は先ほどから、あの巨大扉を背に立っている。
決してそこから動こうとしないのにはおそらくワケがあるのだが、その点は使い魔には話していない。
もうすぐ消え行く運命にある2人に、手の内を明かしたところでどうなる。
「ソレスを呼んできてくれないか? 僕たちはここにいる必要がある」
マカシは戦士を右に左によけながら、外にいるソレスを呼びに走った。
背中に闇のぬくもりと冷ややかさを感じながら、シェイドは大きくため息をついた。
間もなく連中がやって来る。
僕を捕らえねばならないという焦燥感と、僕が何をしようとしているのか知りたいという好奇心から。
だが、そのどちらも僕にとっては好都合だ。
焦燥感は思考を鈍らせ、好奇心は真実を見る目を覆い隠す。
なにより闇の中にいる限り、僕は無敵だ。

 アースラが遺跡上空に現れた。
間を置かずに、武装局員400名が神殿を取り囲むように配置につく。
その瞬間から、捜索は戦闘に切り替えられた。
数百体の土塊(つちくれ)の戦士が、彼らを襲ったからだ。
「こちらA班! 正体不明の敵から攻撃を受けています!」
ストレージ・デバイスの両刃を振りかざしながら、隊長が叫んだ。
土塊の戦士は見た目からは想像もつかないほど敏捷性に秀でている。
数では管理局側に分があるが、戦力的には互角といえた。
こうなってはシェイドの捕獲どころではない。
その時、戦場を2人の少女が駆け抜けた。
金色の光刃と桜色の光刃が煌めくたび、戦士たちが土に還っていく。
ひとたび戦場に出ると、なのはから迷いが消えた。
迷っているヒマなどない。
少しでも空虚になればあの長剣の餌食だ。
なのはの戦いぶりを横目に、フェイトはようやく胸をなでおろした。
『フェイトちゃんとなのはちゃんを先に行かせてッ!』
エイミィが遠隔通信で各隊に指示を送る。
「了解! 各隊、活路を開け! シェイドを捕らえられるのは彼女たちだけだ!!」
武装局員たちは目の前の敵を倒すよりも、2人の道を作ることに集中した。
この点、クロノはもう少し冷静だ。
彼は瞬時に状況を把握すると、敵の最も手薄なところを執拗に衝いた。
その後をユーノ、アルフが続く。
が、ユーノはどちらかというとこの2人に守られている形だ。
「”anvyaaka dol mello !”」
土塊が何か叫んだ。
おそらくムドラの古代の言語なのだろうが、さすがのユーノもそこまでは分からない。
それがどんな意味の言葉にせよ、手心を加えてくれるつもりはなさそうだ。

 外が騒がしい。
管理局の連中がやって来た証拠だ。
もっともシェイドはこうなることを、少なくとも2時間前までには分かっていた。
「奴らが来るぞ」
シェイドは2人の使い魔に言った。
「2人・・・・・・? いや、5人だ。その後、まず10人ほどがやって来る」
彼はそう遠くない未来を見た。
光刃が風を斬る音が向こうから聞こえてくる。
入り口付近にいた戦士が倒れた。
「相変わらず強いな・・・・・・」
シェイドはぼそっと呟き、ここから離れないように2人に付け足した。
「いたっ! あそこだっ!」
聞き覚えのある女性の声。
無謀にも素手で敵と渡り歩いている狼。
その後ろに青い光刃を手足のごとく操る少年もいる。
入り口の防備を切り崩され、そこから敵が一気になだれ込んでくる。
「シェイドッ!」
彼の名を呼んだのはフェイトだ。
どうもこの固有名詞には、”君は包囲されている。私たちは決して戦いに来たわけじゃない。私たちと一緒に来て欲しい”
という意味が含まれているようだ。
シェイドはこれを拒否した。
当然だ。
圧倒的有利な状況にいて、なぜ降伏するような真似をしなければならないのだ。
彼に投降を迫るなら、ここにいる彼以外の戦力を全て蹴散らしてからにすべきだ。
やがて神殿内のあちこちで光刃が閃くようになった。
活路を開いた武装局員が流れ込んできたのだ。
その数は時間とともに増し、ついには20名を超えた。
最も早く、シェイドに接近したのはクロノだった。
「シェイド・・・・・・これが最後のチャンスだ」
段上のシェイドを睨みつけてクロノが言った。
フェイトとクロノには見解の相違があるのか?
ふとシェイドはそんなことを思った。
フェイトは協力を迫ろうとしているが、クロノは高圧的に威嚇してくる。
このあたりは嘱託魔導師と執務官で異なるのか。
だがどちらにしろ、彼らの要求を聞き入れる必要はない。
「チャンスだって? 君たちが僕にチャンスを与えるっていうのか?」
シェイドはぎりぎり平常心を保って答えた。
だがその声は震え、目は血走っている。
「君たちは・・・・・・いや、君はまだ自分の置かれている立場がよく分かっていないと見えるな」
シェイドは両手を前で組んで言った。
僕は丸腰だぞ。さあ、今のうちに僕を捕まえたらどうだ。
彼はそう言っていた。
クロノは慎重にシェイドとの距離をつめる。
クロノには、彼の脇にいる使い魔が見えていなかった。
ただ400名の局員がここにいる、ということが彼の気をいくらか大きくしてしまっていた。
「降伏しろ。身柄の安全は保障する」
あくまで事務的な口調でさらにつめ寄る。
「だが僕は君の安全は保障できないぞ」
シェイドのこのセリフは、クロノにしてみれば恫喝罪か脅迫罪と受け取ったのだろう。
「シェイドッ!」
先に平常心を失ったのはクロノのほうだった。
彼は相手が無防備と知りながら、青い光刃を振り上げて躍りかかった。
この執務官は間違いなく焦っていた。
たった1人の少年に管理局全体が翻弄され、死者まで出した。
そればかりかこの少年はアースラに潜り込み、自分の母を惑わした。
挙句にはなのはを誑(たぶら)かし、背かせた。
それら全てが彼の焦燥感を駆り立てた。
ゆえにクロノはこのような血気にはやった行動をとったのだ。
だが焦りが物事を成功させたためしは無い。
青い光刃がシェイドに届く瞬間、左右から伸びた緑色の光刃がそれを食い止めた。
「クロノ君・・・・・・君は優秀だよ」
シェイドは白い歯を見せて笑った。
「知的で、力強くて、大胆で・・・・・・そして愚かだ!」
邪悪な眼でクロノを睨みつけ、シェイドが二人の使い魔に目配せした。
「マカシ、ソレス、相手をしてやれ。殺してもかまわんぞ」
シェイドはその残忍性をついにクロノに向けた。
彼の残酷さがストレートに言葉に表れている。
クロノがバックジャンプで距離をとる。
だがその後をマカシ、ソレスが追った。
「あんたの相手は・・・・・・」
「私たちよ・・・・・・」
2人の使い魔は、主の役に立てることを悦んだ。
しかもその成果を彼の目の前で披露することができる。
クロノはシェイドを捕らえ損なった自分を恥じたが、すぐに目の前の敵に意識を集中した。
青い光刃を回転させてシェイドが迫る。
S2Uがかん高いうなり声をあげてマカシの武器を衝いた。
だが左から迫ったソレスの一撃が、クロノの攻撃を遮る。
「いいぞ、2人とも。そのまま一気に勝負をつけろ」
シェイドの声が使い魔たちに力を与えた。
コウモリ特有のスピードを活かした空中戦が展開される。

 つかの間、クロノの演舞を見物していたシェイドは、いつの間にか目の前にいた少女に視線を移した。
彼はその少女の名を呼ぶことをためらった。
というより、”ためらったフリ”をした。
それが最も効果的だと知っているからだ。
「シェイド君・・・・・・」
少女は桜色の光刃を携えていた。
「君もか?」
シェイドはしぼり出すように言った。
「君も僕を倒そうとするのか? 彼のように」
シェイドはクロノを指差した。
「違う! 違うの、シェイド君!」
「だったら・・・・・・!」
狼狽したふうにシェイドが叫んだ。
「まずはそれを収めてくれ。そうでなければ話し合いには応じない・・・・・・」
「・・・・・・」
なのはは迷った末、光刃を――。
瞬間、シェイドが五指から閃電を放った。
光刃を収めるそぶりを見せたなのはは、しっかりとそれを構えなおしシェイドの電撃を弾き返した。
「ちっ・・・・・・」
シェイドが小さく舌打ちした。
「君もずいぶんと演技が巧くなったね・・・・・・」
9歳の少女にはめられたシェイドは、顔には出していないものの苛立ってはいた。
「お願い、シェイド君! 私の話を聞いてッ!」
「もう聞いたよ。ずっと前にね」
「えっ・・・・・・?」
なのははシェイドから少しだけ目をそらした。
「君が僕に出会ってから言った言葉は全て聞いているよ。それに・・・・・・」
彼はまだなのはには見せていない笑みを浮かべた。
「君がこれから話すことは管理局の声だからね」
つまりは聞く必要はないと、シェイドは言った。
そして数秒の沈黙の後、シェイドは紫色に輝く光刃を起動した。
だが彼の視線はなのはにではなく、土塊との死闘を演じるフェイトやアルフに注がれた。
彼にとっては、なのはよりも遥かに警戒すべき敵だ。
「シェイド君と話がしたいの・・・・・・でも・・・・・・そのために戦わなきゃいけないなら・・・・・・」
なのははレイジングハートをしっかりと構えた。
桜色の光刃は力強く輝き、今のなのはに力を与える。
「なるほど、君の”お得意”のやり方か。勝った者が自分の欲求を押し付けることができるという――。
君はそうやって2度ほど満足感を得たハズだけど・・・・・・」
シェイドの手が怒りに震えた。
「僕に対してもそうするとは思わなかったな!」
言い終わらないうちにシェイドが躍りかかった。
自分よりもずっと剣術の劣る少女に、シェイドは力の半分も出さないようにして斬りかかった。
もう半分は彼の巧みな話術が補ってくれる。
シェイドが振りかぶった。
なのはは受けた。
「僕と話がしたい? だが君は僕の言葉を信用するかい?」
なのはの太刀筋がわずかに鈍った。
「僕が発した言葉の中で、どれが真実でどれがウソなのか・・・・・・なのはさんに見抜けるのかな?」
なのはが距離をとり、シェイドが詰めた。
「無理だろうね、もちろん。それくらいは君にも分かるだろう?」
シェイドの眼光がなのはを捉えた。
それとは逆になのはがシェイドを捉えられなくなる。
「こんな言葉にすら惑わされているようじゃ、ね・・・・・・」
シェイドが突いた。が、それは視界の外から来た青い光刃に阻まれる。
「クロノ君? なのはさんは僕と”話をしている”んだよ? 邪魔しないでくれないか?」
そう言って彼はチラっと使い魔を見やった。
(何をやってる? 彼を僕から遠ざけるのが君たちの仕事だぞ)
そういう意味の思念を送った。
マカシはそうした。彼女は主の意思に答えるため、クロノをシェイドから引き離すことに成功した。
なのはが構えなおす。
「ふふ、なのはさん・・・・・・。君に僕を攻撃する資格があるとは思えないな」
「資格とかそんなのじゃない! 私はシェイド君を助けたいの!」
なのはが素早く斬り払う。
シェイドはそれを余裕で躱し、そして余裕の笑みを浮かべる。
「・・・・・・君は一度、僕の言葉を信じて管理局を裏切ったね。だけどフェイトさんとの戦いに敗れ、僕の元を去った。
そして今度は僕に刃を向けている・・・・・・」
シェイドはなのはの瞳から脳に入り込むように、妖しく光る両眼を彼女に向けた。
「君はどれだけ他人を裏切れば気がすむんだ・・・・・・?」
「・・・・・・ッ!?」
なのはは声を失った。
彼の言葉には、その一語一語に強大な魔力が宿っている。
AAAクラスの魔導師ですら抗いがたいほどの強大な魔力が宿っている。
なのはは我を忘れて構えを解いた。
その一瞬をシェイドは見逃さなかった。
紫色の光刃が振り上げられた。
「なのはッ!!」
だが誰かに名を呼ばれ、なのはは反射的にシェイドの一撃を斬り返した。
「・・・・・・!?」
逆に不意を衝かれたシェイドは慌ててバックジャンプで距離をとった。
今のは・・・・・・。
シェイドはなのはの名前を叫んだ者を探した。
・・・・・・やっぱりそうか。
彼は妙に納得して、なのはに向き合った。
「シェイドの言葉に惑わされないで! なのははなのはだよッ!!」
探すまでもなかった。
もう1人の魔法少女がなのはの横に現れたのだから。
「やあ、フェイトさん。久しぶりだね」
シェイドはそう言いながら、ここでようやく彼女らの作戦を知った。
そうか、なのはに僕を捕まえさせるつもりだな。
管理局における彼女の罪が重いため、それを少しでも軽減させるために。
先鋒のクロノはなのはの補佐を務めたというわけか。
彼の考えを裏付けるように、周囲では土塊の戦士たちが次々と倒れていく。
フェイトは何も答えず金色の光刃をシェイドに向けた。
シェイドは2人から目を離さないようにして周囲の様子を探った。
武装局員はずいぶんと頑張ったらしい。
一見しただけでも土塊の戦士がほとんどいないことが分かる。
(そろそろだ・・・・・・)
シェイドがそう思ったとき、異変が起こった。
神殿のどこかから銅鑼のような音が鳴り響いた。
音源は知れないが、その音は空気を振動させ、地面と壁と天井を振るわせた。
「な、なんだ・・・・・・?」
後方で支援に当たっていたユーノは身震いした。
この現象は彼が調べ上げたデータにはない。
土塊でさえ一時は戦闘の手を止め、辺りを見回したほどだ。
シェイドだけは知っている。
この音と振動がもたらすものを。
やがて金属のこすれ合う鈍い音とともに、正面の巨大な扉が開いた。
扉の向こうは距離も速度も時間さえも無にしてしまうほどの闇が広がっている。
その中から――。
巨大なツメが姿を現した。
ツメは手近な柱をつかむと、それを使って一気に扉から這い出てきた。
「な、何なんだい・・・・・・あれは・・・・・・?」
アルフは恐ろしくなってユーノに尋ねた。
もちろん彼に分かるハズがない。
この姿を晒したのは、今日がはじめてなのだから。
闇から這い出たそれは、巨大なサソリだった。
10メートルをゆうに超える巨体と、全てを切り裂くハサミと、触れるだけで全てを溶かす猛毒の尾が。
フェイトたちの目を奪った。
だが彼女らが知っているサソリとは少し違った。
サソリの頭から上が人間の上半身に置き換わった姿をしていた。
その人間の両腕もまた、強靭な鈍く輝く巨大なハサミだった。
シェイドはこの巨大な化け物の影に隠れるように、フェイトたちと距離をとった。
「ド・ジェムソ。お前の力を見せつけてやれ」
巨大な化け物は神殿を振るわせるほどの雄叫びをあげると、その巨体からは想像もつかないほど跳躍した。
そしてクロノと戦っているマカシ、ソレスの前に降り立つ。
ド・ジェムソと呼ばれた怪物が右のハサミを振り上げ――。
マカシを刺した。
傷口から溢れ出た鮮血が、突き抜けたハサミの先端を赤く染めた。
「・・・・・・どう・・・・・して・・・・・・?」
マカシは肩越しに振り返り、嘲笑するシェイドを見た。
呆然とシェイドを見つめるマカシに、彼はマカシにぎりぎり届く声量で言った。
「自分で考えろ」
その瞬間、マカシの体がするりと抜け落ち、地に伏した。
命の源を絶たれたマカシは人間の姿を保てなくなり、まもなく光になって空気に溶けた。
「もう一匹残っているぞ」
ド・ジェムソが振り返りざまに今度は左のハサミを突き出した。
ハサミは驚くほど滑らかにソレスの肉体を破り、同じように鮮血が滴り落ちる。
ほぼ即死状態だったのか、ソレスは何も言わないまま光に還った。
あまりに呆気ない使い魔の終わりに、シェイドはいくらか物足りなさを感じていた。
この事実は彼に2つの考えをもたらした。
自分の使い魔を作る技術が――つまるところ自分の力が――足りなかったためなのか。
あるいはムドラの秘術――つまるところド・ジェムソが――あまりに強すぎたためか。
そのどちらでもあって欲しかった。
「あいつら・・・・・・あんたの仲間だったんだろ!?」
アルフが我慢しきれずに叫んだ。
全く、この狼は考えていることが分かりやすい。
シェイドは冷ややかな視線を送って切り返した。
「だが、そのおかげでクロノ君は窮地を脱した。あのまま2人と戦い続けていれば彼はどうなっただろう?」
彼はマカシ、ソレスの力を把握していた。
当然だ。彼が彼女らを作ったのだから。
エダールセイバーの贋作を作って与え、剣術を教えたのも彼だ。
だからこそ分かる。クロノは負けていた。
「それにこういう光景にもそろそろ免疫ができてほしいものだね。アルフさん?」
「く・・・・・・!」
アルフは歯ぎしりした。会話ではどうあがいても彼のペースだ。
「使い魔というものは死ねば土ではなく光に還る・・・・・・。ふふ、次は君の番かな?」
ド・ジェムソがハサミを天高く掲げて咆哮した。
フェイト、なのはは一旦その場を退き、ド・ジェムソの正面に移動した。
「ああ、僕を捕まえるどころじゃなくなったね・・・・・・」
シェイドは笑った。
と、これまでの彼ならここで終わっていただろう。
だが、もう違う。
ド・ジェムソがフェイトたちの相手をしている間、シェイドはエダールセイバーを構えなおし――。
宙を舞った。
そして光刃が一閃し、武装局員が倒れた。
これが今の彼だ。
凶悪なまでの残忍性が今の彼を支えている。

 フェイトたちは、この巨大なサソリに苦戦を強いられていた。
見た目にはジュエルシードによる暴走体だが、その実は全く違う。
剽悍で知性が高く、そして容赦ない。
このような相手には魔法による遠距離攻撃が望ましいが、今はそれはできない。
なぜならここにはシェイドがいるからだ。
この神殿の中で、エダールモードだけが唯一彼から身を守る武具だ。
ド・ジェムソがハサミを振り上げて迫ってきた。
「くそっ!」
クロノが後ずさる。
頑丈な外骨格がクロノの青く輝く光刃を弾き返した。
フェイト、なのはが波状攻撃をしかけるが、ド・ジェムソはハサミを巧みに動かし攻撃を躱す。
『みんな、聞いてッ!』
その時、エイミィの通信が局員全員に届いた。
『そいつを神殿の外に出しちゃダメ!』
「な、どういうことだ?」
クロノがハサミの攻撃範囲外から聞き返した。
『そいつは次元間移動能力を持ってるわ! もし神殿の外に出たら追跡できなくなる!』
「なんだって!?」
緑色の鎖がド・ジェムソの右腕を捕らえた。
その隙を逃さずなのはが斬りかかる。
だが左腕のハサミがなのはの小さな体をなぎ払った。
「う・・・くっ・・・・・・」
なのはが小さくうめいた。
「なのはっ!」
フェイトはなのはに駆け寄ろうとしたがやめた。
4本のハサミが今度はフェイトを狙ったからだ。
悲鳴をあげたのはド・ジェムソのほうだった。
金色の光刃が閃くと、下の方の右腕が斬り飛ばされた。
胴体から斬り落とされたハサミは神殿の壁にぶつかると、2、3度開閉して動かなくなった。

 シェイドは横目でその光景を見ていた。
彼の目の前には白色の光刃を煌めかせた武装局員が大勢いる。
土塊の戦士たちはほとんど姿を消していたが、それは構わなかった。
彼はここにいる管理局の雑兵だけを相手にすればいい。
フェイトやなのはなどの”少し強い敵”はド・ジェムソに任せればいい。
眼前に白色の光刃が舞った。
武装局員が数を頼りにシェイドを攻撃する。
「お前を逮捕する!」
シェイドは構えなおした。
「聞き飽きたよ。できもしないことをそう何度も口にしないほうがいいんじゃないか?」
そう言って彼は華麗なダンスを披露した。
彼は跳ね、回り、舞い、共演者たるバックダンサーを次々と屠っていく。
観客が物言わぬ土塊であることだけが不満だった。
「ド・ジェムソ! 何やってる! さっさと始末しろ!」
シェイドが感情を露にして叫んだ。
倒し損ねた局員が背後で光刃を振り上げるのを感じた。
シェイドは振り向きざまに剣を振りかぶった。
そのまま一直線に振り下ろす。
神殿の外から別の武装局員たちがなだれ込んできた。
「やれやれ・・・・・・」
彼はそう呟くも、はっきりと違和感を覚えた。
(なぜだ・・・・・・?)
分からないことがあった。
ド・ジェムソが彼に返事をしなくなったのだ。
その理由は彼には分からなかった。
深刻な悩みではあったが背後で無数の光刃が煌めく音がすると、彼はその疑問を一度は封印した。

 この巨大サソリには次元間を移動する能力がある。
もし神殿の外に出、その能力が発動すれば・・・・・・。
おそらく管理局の艦を総動員しても、その行方を追うのは難しいだろう。
そしてこの巨大なサソリは音もなく忍び寄り、彼らの艦を一隻ずつ襲うのだ。
クロノは身震いした。
この時、なのはは意外な行動に出た。
ド・ジェムソから離れた位置にいた彼女は、あろうことかエダールモードを解除したのだ。
「なのは・・・・・・?」
ユーノが怪訝な表情をした。
おそらく自分の剣術の腕ではド・ジェムソに接近することさえできないと悟ったのだろう。
「無茶だ!」
クロノがそう叫んだが、フェイトがバルディッシュを水平に構えて言った。
「クロノ、シェイドがなのはに近づかないようにして」
それはつまり、向こうで次々と屠られていく武装局員を助けに行け、という意味でもあった。
「何言ってるんだ? あいつを始末しないと・・・・・・」
「なのはも気付いたんだ。あいつの中にジュエルシードがあるって」
「え・・・・・・?」
フェイトの言葉はクロノだけでなく、アルフとユーノも驚かせた。
「ジュエルシードが・・・・・・?」
「うん」
フェイトは確信を持って頷いた。
「なのははきっと、ジュエルシードが裸出したと同時に封印するつもりなんだ」
なぜ分かる、と問いかけたクロノはすでにその答えを知っている自分に気がついた。
彼女らには自分よりもはるかに優れた才能がある。
それが何よりの答えだ。
「分かった。アルフ、ユーノ、2人の援護を頼む」
「任せときな」
アルフの力強い返事を背中に、クロノは単身、シェイドに挑んだ。
この時、フェイトはすでに先のことを考えていた。
あの巨大サソリには、少なくとも3個以上のジュエルシードがある。
それら全てをなのはが封印したら。
彼女の罪は消えるのではないか。
ここは彼女の功績をできるだけ立てておくべきだ。

 シェイドは視界に入った青い光刃に、あやうくケガをしそうになった。
ケガといっても、切っ先がほんの少しだけ彼の腕をかすめる程度だ。
彼が正体を明かしてから今日まで、クロノの剣術はほとんど成長していない。
少なくともシェイドはそう見ている。
実際、武装局員もクロノも、”本気を出さなくても勝てる”という点ではほとんど違いはない。
だからシェイドはダンスをやめなかった。
さしずめクロノは、最も華やかなバックダンサーといったところだった。
「よほど命が惜しくないと見えるね」
シェイドは激しい運動の中、まったく呼吸を乱さず言った。
「ド・ジェムソの相手をしていればもう少し長生きできたかも知れないのに?」
「そう言っていられるのも今のうちだ」
クロノは感情に流されず、彼の口撃を軽くかわした。
「・・・・・・? ああ、そうだろうね。君が死ねば、こんなことを言う必要もなくなるのだからね」
クロノの反応が面白く、シェイドは剣舞を演じながら視線を彼に向けた。
ああ、このクロノという少年は懸命なのか。
僕を負かすために、僕を逮捕するために。
拙い腕前で僕に挑みかかってくる。
そのことが・・・・・・彼は快感だった。
全力でかかってくる相手を左手一本で倒す瞬間が。
満たされない彼の心を少しだけ埋めた。
「くくっ・・・・・・」
シェイドの光刃を受けるので精一杯だったクロノは、プラーナの波に吹き飛ばされた。
したたかに背中を打ちつけ、彼の呼吸が一瞬止まる。
「きみの・・・・・・いや、”きみだけの”相手をしているわけにはいかないんでね」
シェイドはあの巨大サソリを見た。
クロノがここにいるということは、クロノ抜きでも奴を倒す算段があるのか?
シェイドは急に不安になった。
不安という感情とは無縁だった彼が、珍しく恐怖に近い不安を感じていた。
その場を残った土塊に任せ、シェイドは再び神殿内を駆けた。

 ド・ジェムソは4人の包囲網から抜け出せないでいた。
ユーノとアルフがその巨体の自由を奪い、フェイトが斬りつけ、なのはのディバイン・シューターが迫る。
(ありえない・・・・・・)
シェイドはこれまでいくつかの想定外の出来事に出くわしたが、これにはショックを隠しきれなかった。
なぜド・ジェムソがたった4人に苦戦しているんだ。
あれはムドラの秘術だぞ?
覚醒を急いだせいか?
シェイドが一足飛びにド・ジェムソの元に駆けた。
そして自由を奪っている2本の鎖を断ち切った。
「しまったっ!」
ユーノが慌ててバリアとバインドを同時展開しようとする。
まずはあの2人を始末するか。
だが彼にはできなかった。
巨大なハサミが彼めがけて振り下ろされたのだ。
「なん――?」
紙一重でそれをかわしたものの、シェイドは呆然とド・ジェムソを見上げていた。
そして理解した。
なぜならあの巨大なハサミが、執拗に彼を攻めたからだ。
「お前の敵は僕じゃないッ!」
シェイドは無駄だと分かっていながらそう叫んだ。
フェイトたちはまるで魅入られたように、そのやりとりを見ているしかできなかった。
ド・ジェムソが狂ったようにシェイドを、土塊を、武装局員を無差別に狙う。
光の速さでド・ジェムソから離れたシェイドは、3本のハサミを振るうサソリを見た。
あれではただの暴走体だ。
事実そうだった。
ド。ジェムソに必要なのは時間だった。
焦りが物事を成功させたためしは無い。
彼は失敗した。
ムドラの秘術を目覚めさせるのが早すぎた。
8個ものジュエルシードを力の源としているこのバイオ兵器には――。
長い時間が必要だった。
ジュエルシードがその巨体になじむための。
長い時間が。
だが、それが――全く分かっていなかった。
彼は失敗した。
そして失敗に気付いた時、事態はすでに取り返しのつかない段階にきている。
シェイドは自分を笑った。
そしてド・ジェムソを一瞥すると、彼はこの神殿からいなくなった。
ムドラの民が、突如としてこの神殿から消えた。

 全てを破壊するほどの勢いで暴れるド・ジェムソに、フェイトたちは翻弄されていた。
あまりに素早く、ユーノもアルフもその動きを封じることができない。
フェイトたちにとって幸いだったのは、ド・ジェムソの暴走で土塊が全滅したことだった。
そのため、この巨大サソリとの戦いに集中することができた。
といってもジュエルシードを体内に持つ暴走体が相手では、闇雲に攻撃することはできない。
ド・ジェムソはなのはの世界でのように、既存の動物に取り憑いたわけではない。
そのため本体の負担を考慮にいれなくていい分、多少強引な方法もとれる。
まずは動きを抑えること。
その上で可能な限り敵の魔力を封じ、ジュエルシードを引きずり出す方法が効果的だ。
第一段階を引き受けるのはユーノ、アルフだ。
「ユーノ、行くよ!」
アルフは飛び上がり、ド・ジェムソの頭上をとった。
ここからなら敵がどう動こうが、常に視界に捉えられる。
チェーンバインドがド・ジェムソの足に絡みついた。
その隙を逃がさずユーノも捕縛にかかる。
緑色の鎖がハサミを捕らえた瞬間、フェイトはド・ジェムソの右肩めがけて光刃を振り下ろした。
人間部分には身を守る外骨格がない。
黄金色の光刃を受け、ド・ジェムソが後ずさる。
肩には生々しい傷痕があるが、どうやらこの暴走体は痛みを感じないようだ。
2人のバインドを無理やり引きちぎり、咆哮する。
だがこの時、なのははド・ジェムソの背後に回りこんでいた。
「レイジングハート・・・・・・お願いっ!!」
そしてレイジングハートをその背中に押し当て・・・・・・。
巨大サソリからジュエルシードを抜き取った。
すかさず封印に入る。
「やったっ!」
ユーノが叫んだ。
”命を削られた”ド・ジェムソが振り返り、なのはめがけてハサミを振り下ろした。
「なのはッ!」
だがこの光景を読んでいたフェイトが、光刃をもってその攻撃を抑えた。
「フェイトちゃんッ!」
そしてこの時。
ド・ジェムソと最も接近したフェイトは体内にまだジュエルシードが残っているのを感じた。
「なのは、あと2つ! 急いで!」
ド・ジェムソの一撃は重い。
とても少女が耐えられる衝撃ではなかった。
だがフェイトは耐えた。
ジュエルシードの封印にはある程度の精度が要求される。
彼女が身を呈してまでこの暴走体の動きを封じる理由がある。
「フェイトちゃん・・・・・・ありがとっ!」
なのはは宙を舞い、ド・ジェムソの腹部のジュエルシードを狙った。
そうだ。それでいい。
なのはが全てのジュエルシードを封印したんだ。
このことは生き残っている武装局員も見ている。
ただ気がかりなのは・・・・・・。

 フェイトがもっとも気にかけていた少年は、神殿の外にいた。
この神殿がちかく陥落するのは目に見えている。
そして彼がやっとのことで奪い返した8個のジュエルシードが再び管理局の手に落ちることも。
彼は表情にこそ出していないものの疲弊していた。
とてもド・ジェムソとあの魔法少女たちを相手にする気にはなれなかった。
帰ろう。
彼は思った。
艦に戻り、つかの間仮眠しよう。
眠気に近い感覚が彼を襲った時、彼の前に女性が現れた。
その顔を見るのも、その名を呼ぶのも、今の彼には煩わしかった。
しかし彼女をどうにかしなければ艦には戻れない。
シェイドは仕方なく彼女の名を口にした。
「リンディ艦長」
彼にとって、リンディは最後まで”艦長”だった。
特に理由があってそう付け足したわけではなかった。
「あなたも随分としつこい人ですね。僕に何の用だというんです?」
シェイドが浮かべた嘲笑は、いくらかは自分にも向けていた。
「言ったハズよ。あなたたちに償いをしなくちゃならないって」
リンディは情熱的な視線で彼を見た。
「だったらさっさとそうしてくれ。あんな回りくどいことはせずに・・・・・・」
シェイドは神殿の奥を指差して言った。
クロノがシェイドの後を追って外に出てきていた。
「あなたと話がしたいの。私たちとあなたたちの未来のために」
リンディは無防備に見えたが、実はエダールセイバーのレプリカを隠し持っていることをシェイドは見抜いた。
「ああ、それは誠意に欠けた言動だな。前にも言ったハズだぞ。あんたたちの苦痛こそが僕たちへの唯一の償いだとね」
一方でシェイドも身構えた。
この女性だけは油断できない。
アースラで斬り結んだ彼はそう直感した。
「それともまさか、”私たちはもう充分に苦しんだ”なんて言うつもりではないでしょうね」
シェイドは傲慢な態度になったかと思うと、急に慇懃な姿勢になったりする。
そのせいでリンディはシェイドの本心を探れないでいた。
「償いはするわ。約束する。でもその前にあなたと話し合いたいの。ムドラの代表として・・・・・・」
平行線をたどる会話にシェイドは疲れ、リンディに見えないように左手の人差し指を軽く曲げた。
「間もなく死ぬ人間と話し合うことに何の意味があるッ!」
シェイドが凄まじい勢いでリンディに迫った。
リンディは素早く光刃を起動させ、シェイドの一撃に備える。
「感情に流されないで! あなたとは分かり合えるハズなのよ!」
リンディはなのはと同じようなことを言った。
「僕は冷静さ。ただ少しだけ短気だけどね」
シェイドのトリッキーな動きが、リンディの追撃を完全に封じ込めた。
その時、背後からクロノが迫ってきた。
シェイドはリンディの光刃と競り合いながら、左手を後ろに向け閃電を放つ。
だが狙いが定まっていない。
クロノはシェイドの拡散された電撃を弾くと、光刃を振り上げた。
シェイドは素早く身を躱し、いったん距離をおいた。
(クロノがここにいるということは、すでにド・ジェムソは土に還ったのか?)
ならばなおさら、ここにいる理由はない。
疲れているのだ。
彼はそう呟くと、クロノに狙いをつけた。
「・・・・・・ッ!?」
彼が危機を感じた時には遅かった。
シェイドが本気で放ったプラーナがクロノを持ち上げ、監視塔に叩きつけた。
「クロノ!」
母が子の名を呼んだ。
リンディの叫びに悦びを感じたシェイドは、監視塔に向かってひときわ大きな波のプラーナを放つ。
朽ちていた監視塔がその力にあおられて振動した。
そして内側から音を立て、倒壊を始める。
クロノはその下で起き上がることすらできないでいる。
このままでは彼は倒壊した監視塔の下敷きになってしまう。
「クロノ!」
リンディはもう一度叫び、クロノの元に駆けた。
シェイドは何もせず、リンディが息子を抱えてその場を離れるところまでを見ていた。
その時、ちょうどシン・ドローリクが彼の真上に現れた。
彼が遠隔操作をしてからしばらく時間がかかったが、彼はそれに苛立つこともなかった。
ただ疲労だけが残っている。
「待ってっ!」
リンディの制止が聞こえていないのか、シェイドはふらふらと艦に姿を消した。

 最後のジュエルシードを失ったド・ジェムソがその活動を停止した。
まず巨大なハサミがもげ落ち、続いて節足が砂と化した。
上半身を構成していた人間部分が身震いをはじめ、空気に溶けた。
残った下半身は原形を留めていたが、それもやがて土に還った。
「みんな、見たかい!? なのはがあいつを倒したんだよ!」
アルフが生き残った局員に言った。
彼らはなのはの活躍を証言する証人だ。
8個のジュエルシードは全てなのはの愛杖・レイジングハートに格納されている。
「やったね、なのは」
もう無罪が確定していると思っているのか、ユーノが大仰に喜んだ。
「うん・・・・・・」
だが、なのはは複雑そうな表情を浮かべた。
「大丈夫だよ。私たちを信じて」
フェイトが不安がるなのはに手を差し伸べた。
なのはは少し迷ったように視線をさまよわせたが、やがて大きく頷いて彼女の手をとった。
フェイトはなのはの柔らかくて小さな手に血がついているのを見て取った。
「ケガしてる・・・・・・ちょっと待ってて」
フェイトがそっと手をかざす。
そしてユーノから教わったばかりの治癒魔法を発動させた。
彼女は治癒に関しては未熟だった。
しかし魔法は術者の想いが強く反映される。
彼女の、なのはを癒したいという切実な想いが拙い治癒魔法の効果を何倍にも増大させる。
緊張の糸が切れたのか、なのはは温かな魔力光の中で眠りについた。
「なのは・・・・・・よくがんばったね・・・・・・」
フェイトは腕の中になのはを抱き、頬を何度も撫でた。
「なのは・・・・・・」
フェイトはド・ジェムソの骸があった場所を見た。
土が堆積している。
多くのムドラの民がここで滅びたように、あの巨大なサソリもまたここで滅んだ。
しかしシェイドは・・・・・・。
彼はまだ生きている・・・・・・。

 

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