第17話 光と闇

(遺跡捜索から数日が経った。つかの間の休息をとっていたアースラに、シェイドからの最後の通信が入る)

 3日後。
遺跡捜索は管理局に多くの収獲と多くの犠牲をもたらした。
収獲とは8個のジュエルシードをいう。
犠牲とは命を落とした管理局員20余名をいう。
ただし帰艦した管理局員については大半が現在も治療中である。
「力が及ばなかったわ・・・・・・」
リンディはふと、エイミィに漏らした。
「そんなことありませんよ。誰だってあの状況では・・・・・・」
彼女はそう言ってもらえるのを待っていたのかもしれない。
クロノもまた、自分のせいでシェイドを取り逃がしたことを悔やんでいた。
もちろん彼ひとりが頑張ったところで足止めにしかならないことは分かっている。
だがそれでも、執務官としての使命は果たしたかった。
クロノにはもうひとつの仕事がある。
それは裁判において、なのはの無罪を主張することだ。
なのはがド・ジェムソを倒し、ジュエルシードを奪回したことはあの場に居合わせた誰もが見ている。
証言としての正確性は充分だし、この功績はきわめて大きいものだ。
これになのはの過去の功績も加え、この点を強く主張すればかなり有利に傾く。
さらに彼女がシェイドを倒す、あるいは捕らえることができれば無罪はほぼ確実だろう。

「どうしたんだい? ぼーっとして?」
アルフがクロノの顔を覗きこむようにして言った。
「うん? あ、ああ・・・・・・」
クロノは根が実直すぎるために、自分の失敗を必要以上に責めるクセがある。
大方、シェイドを逃がしたことを後悔しているのだろうと見たアルフは、
「それにしても良かったね。なのはが無罪になって」
と明るく振る舞ってみせた。
「いや、まだ無罪と決まったわけじゃ・・・・・・」
「でもそうしたいだろ?」
「・・・・・・うん」
クロノは苦笑して呟いた。
彼にはまだ誰にも話していない懸念がある。
シェイドのことだ。
彼にどう対処すればいいのか。
認めたくはないが、正直に言って彼は強い。
強すぎる。
あの巨大なサソリを(おそらく)ひとりで目覚めさせたことからもそれは窺える。
何より、彼自身が――。
あまりにも強すぎる。
クロノは自分の力を過信したことはほとんどない。
だが彼は管理局でも屈指の、「AAA+」魔導師だ。
その彼が武装局員数名と力を合わせてもシェイドには勝てない。
あの時のシェイドには、余裕さえ感じられた。
「単純に数ではダメなんだ・・・・・・」
「え?」
クロノの呟きはアルフには聞こえなかった。

 シン・ドローリクのクルーはついに彼ひとりとなった。
この艦がもつ強力な主砲も、広範囲を索敵できるレーダーも彼には手に余る代物だった。
主砲を動かすには砲手が、レーダーを読み取るには管制官がいる。
だが彼は今、ひとりだ。
厳密に言えば、彼の仲間はまだいる。
だが人としての姿を持っているのは彼ひとりだった。
「僕はどうすればいい?」
彼は艦内の中空に向かって問うた。
”お前がなすべきことは魔導師への復讐・・・・・・ただそれだけだ”
目に見えない、しかし常に彼のそばにいる闇が答えた。
「そんなことは分かっている。そのためにどうすればいいか訊いているんだ」
シェイドは念ではなく、声に出して闇と対話した。
もうここには彼以外、誰もいない。
わざわざ口を閉ざして話す必要はもうなくなったのだ。
”お前はただ、お前の気のおもむくままに行動すればいい。お前が行動を終えた時、全ては終わっている”
闇が冷たい吐息をシェイドの脳に吹きつけた。
「ド・ジェムソはムドラの秘術ではなかったのか?」
シェイドはイライラしながら訊いた。
”ムドラの秘術はここにある”
シェイドの首筋を、暗闇が撫でた。
さらに天井からも闇が滴り落ち、彼の足元を黒く濡らした。
”お前の望む世界はもうそこまで来ている。ためらうな。成すべきことを成せ”
暗く冷たい闇が、シェイドがいつかなのはに言ったことを彼に言った。
気がつくと、彼の周りには光はひとつもなかった。
艦の外を流れていく粒子の粒も。
艦内の照明も。
「そうか・・・・・・ずっとそうだったのか・・・・・・」
シェイドは今になって闇の寛大さ、偉大さを知った。
”お前は滅びの最初となるのだ”
いつの間にか彼の中に入り込んだ闇が、彼にそうささやいた。
「ではそうしよう。だけどその前に・・・・・・」
彼は体内を這う闇を振り払い、ベッドに身を埋めた。
疲労が一気に彼を襲った。
そのまま彼は吸い込まれるように意識を深い眠りの底に押しやった。

 フェイトとなのはは、アースラの通路から外を眺めていた。
粒子の粒がまるで宇宙空間のような幻想的な世界を作り出している。
「私も証言台に立つよ。なのはの無罪を主張する」
これからどうなるのかと不安がるなのはに、フェイトはそう優しく声をかけた。
彼女たちはその年齢には不相応なほど過酷な日々を送っている。
現実離れした事件の数々に、フェイトもなのはも胸を痛めていた。
「ありがとう・・・・・・ありがとう、フェイトちゃん・・・・・・」
この数日間でなのはは何度、涙を流しただろう。
その度にフェイトがそばにいてくれた。
そして優しく包み込むように、自分をしっかりと支えてくれた。
今だってそうだ。
堪えきれず泣き出したなのはの背中を、フェイトが力強く抱きしめる。
それだけで充分だった。
それだけで彼女の強さ、優しさが伝わってくる。
「なのははこんなに辛い想いをしているのに・・・・・・」
フェイトが耳元で呟いた。
「私にはこれくらいしか・・・・・・なのはにしてあげられる事がなくて・・・・・・」
なのはの受けた傷は魔法では治癒できない。
どんなに優れた魔導師にも、彼女の傷を癒すことはできない。
「フェイトちゃん・・・・・・」
背中にフェイトのぬくもりを感じながら。
なのはは自分を恥じた。
先のことに不安を抱き、法廷でどう裁かれるのかばかり気にしていた。
自分のことばかり考えていた。
だがフェイトは・・・・・・。
自分よりもずっと傷ついてきたのに・・・・・・。
なのに彼女は、そんな素振りも見せずに私を抱いてくれた。
私を嫌いになるわけでもなく、私を怒るわけでもなく。
ただ私を抱いてくれた。
本当に傷ついたのは彼女のほうなのに。
少なくとも、なのはがシェイドの元に走って剣を交えた時、フェイトは傷ついたハズだ。
自分がフェイトを傷つけた。
そのことがずっと引っかかっていた。
なのははフェイトを愛していた。
フェイトもなのはを愛していた。
突然、なのはを抱くフェイトの手から力が抜けた。
「・・・・・・?」
フェイトは数歩後ずさり、呆然と中空を眺めた。
「フェイト・・・・・・ちゃん・・・・・・?」
なのはがフェイトの顔を覗きこむ。
フェイトは何も答えない。
「フェイトちゃんッ!」
なのはは何度も彼女の名を呼んだ。





まただ。
フェイトは思った。
闇が彼女を包んでいた。
彼女は迷うことなく五感を捨てた。
心を解き放ち、闇からの声を待った。
”お前は滅びの最初を見るのだ”
あの時と同じ声だ。
フェイトは心でその声を聞き、心で闇を見た。
”滅びの最初・・・・・・?”
そして心で闇に問いかけた。
反応は期待していなかった。
だが彼女は無意識にそうしていた。
そうする必要があったからだ。
”そうだ。お前は滅びの最初を見る”
闇が答えた。
その声はフェイトの中から聞こえたようだった。
フェイトはそっと目の前の闇に手を伸ばした。
凍りつくようほど冷たい何かが、フェイトの手に腕に噛みついた。
”・・・・・・!?”
だがフェイトはかまわず手を伸ばした。
指先に何かが触れた。
この冷たく暗い闇の中で、フェイトの指先に触れたそれは唯一温かかった。
”教えて。滅びの最初という言葉の意味を”
フェイトは少しだけ闇を理解した。
だからこのように問いかけることもできるし、答えを聞き出すこともできる。
”お前は彼の滅びの最初を見る”
だが彼女の問いには答えず、闇は同じことを言った。
いや、違う。
フェイトは今聞いたばかりの言葉を反芻した。
”彼の・・・・・・?”
確かにそう言っていた。
言葉の意味は分からないが、闇は自分に何かヒントを与えようとしているのではないか。
”それはどういう・・・・・・?”
フェイトが問いかけた時、闇は彼女の中から去った。
だが去り際、闇が言い残したことを彼女はしっかりと感じ取っていた。
”彼が待っている・・・・・・”





「ごめん、なのは」
自分の腕を掴んでいるなのはに気付き、フェイトがたしなめるように言った。
「よかった、返事がないからどうしたのかと思っちゃった・・・・・・。大丈夫?」
「うん、大丈夫だよ」
そう言うフェイトの顔色はすぐれない。
「少し休んだほうがいいんじゃ・・・・・・」
なのはがそう言いかけた時、フェイトは艦橋に向けて歩き出していた。
「ど、どうしたの?」
小走りで追いつき、フェイトの横に並んでなのはが言った。
「なのははここに居て。すぐ戻るから」
「え・・・・・・?」
こんなことは初めてだ。
まるで自分を突き放すようなフェイトの言葉に、なのはは惑った。
「でも・・・・・・」
「大丈夫、すぐに戻るよ」
フェイトの表情が険しくなる。
これは何か大きな出来事に直面したときに見せる表情だ。
なのはは急に彼女のことが心配になった。
「私もついて行く。だって・・・・・・心配だから・・・・・・」
なのはは自分がフェイトに対して抱く不安を、うまく言葉にできなかった。
が、フェイトには言葉なんかなくても、なのはの想いは充分に伝わっている。
「ありがとう」
彼女は短くそれだけ言った。
もうなのはの同行を拒もうとはしなかった。
彼女はただ、他人から受ける優しさにうまく応えられなかっただけだ。

 フェイトが闇から目覚めた時、シェイドもまた眠りから覚めた。
シェイドが粗末なベッドから降りると、どこからか闇が集まり彼に群がった。
(妙だな)
シェイドは思った。
この闇はいつも自分と一緒のハズなのに、時々どこかへ行っている気がする。
それも自分が何かに強烈に意識を集中している時か、眠っている時に限って。
(まあいいか)
彼は考えるのをやめた。
疲れはもうとれている。
「さて・・・・・・」
ムドラの誇る戦艦「シン・ドローリク」の最後の仕事だ。
シェイドは片手で制御盤を操作し、応答を待った。
目的の場所からは距離があるのか、しばらく待ってみたが反応はない。
だが彼は待った。
待つことにはもう慣れた。

 クルーから遅れること三日。
ひとり遺跡に残り調査していたユーノがアースラに戻ってきた。
驚いたことに彼の帰艦を一番に出迎えたのは、
「遅すぎるぞ、フェレットもどき」
クロノだった。
その後ろにはアルフがいるが、彼女は2人がどんな口論を始めるか見物していた。
「――うるさい」
ユーノはそう言い返すのが精一杯だった。
よく見ると、ユーノは顔面蒼白だ。
「どうかしたのか?」
クロノが急に真面目になって訊いた。
「提督に報告してくる・・・・・・」
「あ、ちょっと、待てよっ」
クロノの制止をするりと抜け、ユーノは重い足を引きずるようにして艦橋に向かった。
「ユーノ、一体どうしたんだろうね?」
アルフが頭の後ろで手を組んで言った。
「さあ・・・・・・でも何か嫌な予感がする」
クロノの予感は悪い事ばかりが当たるようにできている。
彼は動悸を抑えてユーノの後を追った。
アルフもそれに続いた。
リンディ提督はたいてい艦長室か艦橋にいる。
ユーノは艦橋に出ると一礼してリンディを呼び止めた。
「お疲れ様、ユーノ君」
どこに持っていたのか、リンディが湯気をあげる湯飲みをユーノに手渡した。
ユーノはそれをそっと受け取る。
「ユーノ君? 顔色が悪いわ。何か良くないことでも?」
リンディがユーノの顔を覗きこんだ。
「・・・・・・最近は何もかもがそうです」
その呟きはリンディにしか聞こえなかった。
「調査結果を報告に来ました」
彼からはまるで覇気が感じられない。
遺跡に残り単独で調査をしたいと申し出たのはユーノだった。
本来ならば調査団を編成し、厳密なスケジュールの中で行わなければならない。
だがリンディはそれを許可し、ユーノの調査は個人的なものとして取り扱った。
そのため、彼には調査結果を報告する義務はない。
とはいえ特別に計らってもらった負い目もあって、彼は調査で得たことを全て話すつもりでいた。
彼の報告には事態を好転させるキッカケとなるものは何もなかった。
もともとが1人の調査であるため、得られる成果には限界がある。
彼ができるのはせいぜい、碑などに刻まれた古代文字を収集し解読する程度にとどまる。
「やはりあそこはムドラの民が滅びた地に間違いありません」
もっとも、シェイドが生きていることを考えれば”滅びた”は厳密には誤りかもしれない。
「ただムドラの民にとって、あの神殿が重要な場所であることには間違いないのですが・・・・・・」
ユーノが言いよどんだ。
「ユーノ、どうしたんだい?」
先を話そうとしないユーノに、アルフが急かすように訊いた。
「シェイドがあれほどあっさりと神殿を捨てたのが気になります。もしかしたら、まだ何か・・・・・・。
これは僕の予想ですが、まだ切り札を持っているのかも知れません」
クロノが小さくため息をついた。
あの巨大サソリの他にまだ何か持っているというのか?
彼の目はそう言いたげだった。
その時、フェイトとなのはが入ってきた。
「どうしたの?」
フェイトの顔を見たリンディは、瞬時に彼女の異変に気付いた。
そしてリンディよりもフェイトのことをよく分かっているアルフが、
「何か・・・・・・あったのかい?」
気遣うようにささやいた。
この時点でフェイトには分かっていた。
だから彼女はリンディにもアルフにも何も答えず、エイミィに、
「もうすぐ通信が来る」
とだけ言った。
「え? フェイトちゃん、今なんて?」
エイミィが制御盤から手を離した時、アラームが鳴った。
「・・・・・・通信・・・・・・シェイドからだわ」
リンディが呆然とするエイミィを押しのけるようにして、通信ポートを開いた。
中央のモニターに彼の姿が映し出される。
艦橋にいた全員が彼に注目した。
エイミィはちらっとフェイトを見やった。
彼女はさっき、このことを言っていたのか?
『こうやって通信回線を使ってあんたたちと話をするのもこれが最後かもしれない』
シェイドは明らかにいつもと違う口調で言った。
「どういうこと?」
リンディが慎重に対話を試みる。
『言葉どおりさ』
「・・・・・・」
クルーたちは彼の出方を窺った。
戦いは常に彼のペースだったが、今追いつめられているのは明らかに彼のほうだ。
『あの神殿は僕にとって切り札のようなものだった。ド・ジェムソも。あの使い魔は別だけれどね』
彼の独白はユーノの不安をいくらか煽った。
クロノは彼の目の動きや口調から真意を探ろうと試みた。
が、できなかった。クロノにはその能力はない。
「シェイド君・・・・・・もうこんなことやめようよ。もうこれ以上・・・・・・誰も傷ついて欲しくないの・・・・・・」
なのはは落涙して訴えた。
もちろんそんな稚拙な要求がシェイドを動かすハズもなかった。
『傷つきたくないのは君だろう、なのはさん? 君はいつも自分のことだけを考えていたね。今もそうだ。
僕には分かってるんだよ。君が僕を捕らえて過去の罪を洗い流そうとしていることがね』
しまった、とフェイトは思った。
言葉のやりとりだけでは、ここにいる全員が彼の能力に丸め込まれるかもしれない。
『あんたたちも知ってのとおり今、僕はひとりだ。今度こそね。そして僕にはもう、使えるものがない』
この後、彼が言う事を知っているのはフェイトだけだった。
だがそれをアルフが先延ばしした。
「だったらもう戦う必要なんてないだろ? あんたも別の道があると思ってるんじゃないのかい?」
『アルフさんにしては随分と冷静な発言だね。それにどこか建設的意見にも聞こえるぞ』
通信が始まってから1分あまり。
シェイドは次第にいつもの調子を取り戻していた。
『だがその意見は管理局側に寄った見解だ。ゆえに僕はその質問に対してはノーと答える』
アルフが拳を握りしめた。
「本当に? 本当にあなたたちとの和平の道はないのかしら? もし少しでもその可能性が残っているなら・・・・・・」
リンディは腫れ物に触るように、下から言った。
彼の自尊心を傷つけず、彼の冷静さを失わせず、かつ卑屈にならない外交だった。
『僕の望みは魔導師の滅亡だけだ。あんたたちへの復讐・・・・・・僕はそれだけのために生きてきた・・・・・・』
その声は少年のものとは思えないほど冷たかった。
『だが今となっては、それができるのは僕だけだ。だから・・・・・・これを最後の戦いにしよう・・・・・・』
シェイドの瞳が不気味に光った。
フェイトは反射的に目をそらした。
あの瞳に呑み込まれれば、自分が自分でなくなってしまうかも知れない恐怖があった。
「そうするしかないのね?」
リンディが訊いた。
『ああ、もちろん』
シェイドが答えた。
『この艦は破壊するよ。もう必要のないものだしね。どういう意味かは分かるだろうね?』
シェイドは挑戦的な視線をリンディとエイミィに送った。
『この広大な世界に僕ひとりを探すことは不可能だ。つまりあんたたちは僕に接触する機会を失う――』
「あなたこそ、そこから動けなくなるわよ?」
『その気遣いには感謝するよ。だけど残念なことにあんたの懸念に反して、僕には管理局の艦を奪う能力があるんだ』
彼はかつて、それをやりかけたことがある。
ターゲットはこのアースラだった。
「シェイド・・・・・・」
フェイトがモニターの向こうの彼に言った。
『質問なら手短に頼むよ、フェイトさん』
シェイドは笑みを浮かべた。
この笑みは会話を自分のペースに引き込めた喜びを表わしているようだ。
「争いからは何も生まれないよ。それに気付いて」
これは彼女の心から発せられた訴えだった。
彼女の語彙ではこう言い表すことしかできなかった。
だがそれすらもシェイドは一笑に付した。
『ああ、それは敗北者の側のことだね? 確かに敗れた者にとって、争いはムダな事だろうね。ただし勝者には・・・・・・。
今、この瞬間に次元間で幅を利かせられるという特典があるじゃないか?』
かつての勝者の末裔のことだよ、とシェイドは付け足した。
フェイトは何かを覚悟したように頷くと、憐れむような目でシェイドを見た。
『制約は課さないよ。僕の敵は魔導師だけだから。戦艦何隻で来ようと、何人の局員を派遣しようと構わない。
もちろん、執務官やエース魔導師が来るなら大歓迎だよ』
シェイドはクロノ、なのは、そして最後にフェイトの順番に視線を移した。
もとよりユーノ、アルフは彼の敵ではないらしい。
そして彼はリンディが当然やって来るものと思っている。
『これは最後の戦いだ。よく考えるんだね。あんたたちの考えが決まったら、僕はここにいる』
シェイドは去り際に宇宙図を表示させた。
その一点が赤く明滅している。
しばらくしてシェイドは通信を切断した。
誰も何も言わなかった。
考えることが多すぎる。
エイミィだけはシェイドが指定した対決の場所をスキャンしている。
「――とにかく」
リンディがパンと手を叩いて言った。
「他の艦に連絡を取ってみましょう。できるだけ多くの武装隊に呼びかけて――」
「あのっ・・・・・・」
フェイトがリンディの言葉を遮って言った。
「どうしたの、フェイトさん?」
全員がフェイトに注目した。
なのはは心配そうにフェイトを見つめる。
「私に・・・・・・私に行かせてください」
彼女のそのひと言は、この場にいる全員を震撼させた。
「なに言ってるんだい!」
真っ先にそう怒鳴ったのはアルフだった。
どういうわけか精神リンクしているハズのアルフにも、彼女がこのように考えていた事は分からなかった。
「もちろん、あなたにも協力をお願いするわ。だけど・・・・・・」
リンディは娘になるかもしれない少女の肩をつかんだ。
「あなたの言っているそれは・・・・・・つまり”1人で”っていう意味でしょう?」
リンディの問いに、フェイトははっきりと頷いた。
「シェイドの強さは君も知ってるだろ? それを1人でなんて・・・・・・」
当然、この申し出にはクロノも猛反対した。
「絶対にダメだ。正直、僕たち全員でかかっても勝てないかもしれないんだぞ」
なのは、ユーノも口は挟んでいないが彼女らが反対していることは顔を見ればすぐに分かった。
フェイトは俯き加減に言った。
「たしかにその通りです。無謀なことかも知れません・・・・・・でも・・・・・・それでも・・・・・・」
彼女は何か運命めいたことを感じていたのかもしれない。
それとも闇に近づき、何かを得たのかもしれない。
「勝算があるのか?」
クロノが訊いた。
フェイトが首を横に振った。
「ならダメだ。いいか、シェイドとの戦いには万全の準備をして挑む。失敗は許されないんだぞ」
クロノがそう言っても、フェイトは意志を曲げそうになかった。
「フェイトちゃん・・・・・・」
なのはが顔を覗きこんだ。
伏せ目がちだが、その瞳には強い意志を宿しているようだった。
先ほどまで反対していたクロノは、フェイトの瞳に何かを感じて言った。
「提督、フェイトの申し出は無謀だと思いますが、ひとつだけテストをさせてください」
「テスト・・・・・・?」
リンディが怪訝そうな顔でクロノを見た。
「はい。もしこのテストにフェイトが合格したら・・・・・・彼女の申し出を許可してください」
「なっ! 何を言い出すんだい!?」
アルフは今にもクロノに掴みかからん勢いで問い詰めた。
「あんたがそんなこと言ってどうするのさ!」
「そうだよ! そんな無茶なことっ!」
それまで黙っていたユーノも反論する。
だがクロノには何か考えがあるようだった。
リンディが言った。
「・・・・・・いいでしょう」
「リンディ提督!」
「リンディさん!」
フェイトがなのはの手をとった。
「大丈夫、心配しないで」
「だって・・・・・・!」
なのはは今にも泣きそうだ。
リンディがクロノに向き直った。
「そのテストの内容は――?」

 トレーニングルームを開放しておこなわれるこのテストには。
実戦を遥かに超越した過酷なプログラムが組まれている。
部屋の中央に立っているフェイトは目を閉じ、しばらく瞑想した。
その正面にクロノ、左右にはなのはとリンディがそれぞれフェイトの退路を断つように佇んでいる。
ユーノ、アルフはそれを壁際で見守る。
「なんでこんなことに・・・・・・」
ユーノはめまいを覚えた。
幸い、背後の壁が彼が倒れかけたのを防いでくれた。
「まったくだよ、こんな大事な時に」
アルフはイライラして拳を握りしめた。
彼女としては主の力を信じたいが、このテストは力を消耗するだけのムダな時間を過ごしているように思えた。
「なのは、手加減する必要はないぞ」
クロノが言った。
「でも・・・・・・」
「フェイトをひとりで戦わせたくはないだろう? だったら手加減せずに本気で臨むんだ」
「・・・・・・うん、わかった」
なのはは覚悟したように頷いた。
「提督もです。本気でお願いします」
続いてクロノはリンディにもそう言った。
「分かったわ。だけどまさかこんなテストだったなんて」
リンディもなのは同様、このテストには乗り気ではないらしい。
だがこれがムドラとの戦いを左右するターニングポイントとなると、真剣に臨まざるを得ない。
「フェイト、準備はいいか?」
クロノが言った。
フェイトはゆっくりと目を開き、右手の愛杖を掴む手に力を込めた。
「いいよ」
そう言って、彼女は金色の光刃を起動した。
それを合図に、三方でエダールモードが起動された。
最初に動いたのはクロノだった。
双刃のS2Uを振り上げ、フェイトを正面から突こうと躍りかかった。
が、フェイトはそれを無視して背を向けると、次に迫ってきたリンディの光刃を受けた。
2本の光刃が交錯し悲鳴を上げる。
その間にもなのはが愛杖レイジングハートを振りかぶって、フェイトめがけて斬りつけた。
フェイトはリンディを盾にするように素早く立ち位置を替え、なのはの攻撃を剣を振らずに抑えた。
リンディがバックジャンプで距離をとる。と同時にクロノがリンディを飛び越えるようにして迫ってくる。
「くっ・・・・・・!!」
完全に虚を突いたハズのクロノの光刃は、フェイトのぎりぎり手前で振り下ろされる。
フェイトは間髪をいれずに身を翻すと、バックハンドでなのはの光刃を激しく叩いた。
「ああッ・・・・・・!」
なのはの両手が激痛に痺れる。
なのはは戦慄した。
フェイトの戦いはこれまで間近で何度も見てきたが、今日はそのどれとも違う。
桜色の光刃が大きく弧を描いた。
フェイトはなのはのふところに飛び込むように素早く体をさばく。
「・・・・・・!?」
フォローの効かない大振りになのはの動きが一瞬だけ硬直する。
その隙を逃さず、金色の光刃が一閃。
なのはの手からレイジングハートがすべり落ちた。
「すごい・・・・・・」
その様子を見ていたユーノが思わずそう漏らした。
だがその感想を述べるのは少し早い。
まだリンディとクロノが残っている。
クロノはフェイトの強さに何かを確信したように再び飛び込んだ。
すでになのはがリタイアしていることもあって、彼は先ほどよりも慎重に斬撃を見舞う。
だが彼の慎重さはフェイトに、2人の攻撃を別々に受けるというチャンスを与えてしまった。
フェイトはすでに背後から迫っていたリンディの攻撃を躱し、緑色に輝く光刃を素早く叩くと、
宙返りを打ってクロノの真横に着地した。
フェイトの行動は予想外だったがさすがはクロノ、反射的に身をひねってフェイトの攻撃を紙一重で避ける。
さらに左足を軸にクロノが双刃を回転させて攻防一体の構えをとった。
互いの光刃がうなりをあげる。
フェイトが駆け、クロノが防御した。
が、フェイトの攻撃は速い。
クロノのストレージ・デバイスは防御に適した武器だが、フェイトの攻撃を防ぎきるほど彼の腕は上達していなかった。
同時に2方向からの攻撃を防御できる彼のデバイスは、たった1方向からの攻撃に崩されそうになる。
「うわっ!!」
1秒間に3回繰り出されるフェイトの攻撃に、クロノがバランスを崩した。
ビュンという風を斬る音がし、S2Uは持ち主の手を離れて吹き飛ばされた。
あとはリンディだけだ。
ただ攻めて来るだけの2人とは違い、彼女はいくらか冷静に状況を見ていた。
「頼むよ・・・・・・頼むから勝たないでくれよ」
アルフは主が負けることを祈っている自分の矛盾に気付いた。
このテストの発案者であるクロノは、リンディにある約束をさせた。
それはフェイトがこのテストにパスすれば、彼女の申し出を許可することだった。
リンディはかなり迷ったが、最後にはこれに応じている。
もちろんなのはは今でも反対なのだが、最終決定権はリンディにあるためこれを覆すことはできない。
リンディが承諾した理由には、クロノの「単純に数の差では勝てない」という言葉だった。
どういう意味かというリンディの問いに、クロノは「テストをすれば分かります」とだけ言った。
「頼むから・・・・・・」
もしここでリンディまでもがリタイアすれば、彼女はフェイトの申し出を許可しなければならない。
それは最後のメタリオンとの戦いに1人で臨むことであり、そうなれば主は・・・・・・。
だがアルフの切なる願いは無情にも、十数秒後に打ち砕かれた。
フェイトが片手でバルディッシュを掲げ、直後に飛んだ。
この軌道を読んだつもりでいたリンディは半歩下がってフェイトの一撃に備えた。
だがリンディは読みすぎた。
彼女はフェイトの一撃に集中するあまり、彼女ではなく金色の光刃だけを見ていたのだ。
たしかにリンディは上空から迫る金色の光刃を受け止めた。
だが両者の光刃が触れる瞬間、バルディッシュを手放したフェイトが視界の下にいた。
持ち主を離れたバルディッシュは黄金に輝く光刃を消失させ、落下した。
競り合うハズだった相手の光刃が消え、リンディは何もない中空めがけて光刃を振るうかたちとなる。
リンディが慌てて視線を下に向けた時には、フェイトはすでにバルディッシュをしっかりと掴んでおり、、
直後に再び起動した光刃がリンディのエダールセイバーのレプリカを斬り飛ばしていた。
「・・・・・・・・・・・・」
ユーノは何も言わなかった。
アルフは何も言えなかった。
なのはは少し離れたところで、クロノはフェイトの後ろからそれを見ていた。
そしてここにいる誰もが思った。
彼女は強い。管理局の誰よりも強い。
もしかしたらシェイドに迫るか、あるいはそれ以上の強さかもしれない。
3人を相手に勝ったことももちろんだが、同時に相手にせず常に1対1の状況に持ち込んだ彼女の機転。
(クロノはテストに先立ち、できるだけ攻撃に同期をとり、同時複数攻撃を心がけるように2人に言っていた)
一度、バルディッシュを手放す危険を冒してまでリンディに迫り、その危険な戦術を成功させた彼女の技量。
そしてなにより、相手に傷ひとつつけず、あくまで光刃だけを狙ってリタイアさせた彼女の強さ。
「決まったわね・・・・・・」
額の汗を拭いながらリンディが言った。
彼女は今も恐怖している。
目の前の少女が先ほど見せた眼光の鋭さに。
「はい・・・・・・ありがとうございます」
礼儀正しいフェイトは、リンディに深々と頭を下げた。
これがあの電光石火の早業を見せた少女なのか。
クロノは彼女が少し恐くなったと同時に確信を持った。
「提督、数の差ではないというのはこういうことです」
そして彼は強く主張した。
「シェイドと戦うのに、ただ大勢で攻めても勝ち目はありません。それは僕たちがフェイトを相手にしたのと同じ事です」
なのははクロノの言う事を黙って聞いていた。
この流れはもう変えられないのだろうか。
「シェイドと互角に戦える魔導師がいるとすれば・・・・・・それはフェイトだけです」
彼ははっきりそう言った。
「それは今のテストでよく分かったわ」
リンディもそれには頷いた。
「数の差ではないというのは、僕たちがフェイトと共に戦っても彼女の足手まといにしかならないということです」
「どういう・・・・・・こと?」
なのはが尋ねた。
「僕たちとフェイトとの実力差は開きすぎてる。フェイトのことだ、僕たちを庇おうとして無茶なことをやりかねない」
そう言っているが、クロノはフェイトに何の雑念も抱かせずシェイドとの戦いに集中させてやりたいようだ。
「うん・・・・・・」
それが最善の策だととりあえず理解したなのはは、曖昧な返事をした。
「つまりフェイトさんが私たちの力量に合わせることは得策じゃない、ってことね?」
「そうです。ましてや相手があのシェイドではそれは命取りです」
クロノはフェイトひとりが戦うことの利点を説くが、リンディはいまひとつ納得していないようだ。
「でも彼女ひとりを戦わせるなんて・・・・・・」
「もちろん危険を伴ないます。しかしシェイドに勝つにはこれ以外に方法がありません」
しばらく親子での口論となった。
なのはは2人のやりとりを不安げに見つめる。
「リンディ提督」
その時、フェイトが割って入った。
「お願いです。無茶はしないって約束しますから、私に行かせてください」
フェイトの眼は――。
真っ直ぐにリンディを見つめるフェイトの眼は、シェイドのものに少し似ていた。
強い意志が彼女の眼には宿っている。
リンディは彼女の瞳に吸い込まれるように、
「――分かったわ。あなたがそこまで言うなら・・・・・・」
「リンディさん!」
なのはが慌てて止めようとするが、リンディはそれには構わず続けた。
「あなたの意志を尊重します。フェイトさん・・・・・・だけど、ひとつだけ約束してちょうだい」
「はい」
「必ず・・・・・・無事で還ってくること。約束、できるわね?」
フェイトは少し間を置いて、
「もちろんです」
頷いた。
「あなたは私の娘よ・・・・・・」
そう言ってリンディはフェイトの頭を抱くようにして撫でた。
「リンディ・・・・・・提督・・・・・・」
この瞬間、シェイドとの最後の戦いに挑むメンバーが決まった。

「フェイト・・・・・・」
アルフは主の身を案じた。

「フェイトちゃん・・・・・・」
なのはは愛する少女の名を呼んだ。

クロノは何も言わなかった。
この選択は間違っていないハズだ、彼は自分にそう言い聞かせていた。

ユーノは生まれて初めて憎しみを込めてクロノを睨んだ。
彼女の申し出を拒否できる立場にいて、なぜそうしなかったんだ。

 様々な感情が渦巻き、渦巻いては消えていく。
それらの中心にいたフェイトは、それら全ての感情を受け容れた。
もうすぐ戦いが始まる。
そしてもうすぐ戦いが終わる。

 

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