第10話 真相 T

(フェイトの追求に、ブライトはついに正体を明かす。彼の口から語られる真実に、フェイトは決意を新たにする)

「シェイド――」
彼女の口から発せられた言葉に、ブライトはただその場に立っていることしかできなかった。
背を向けているのが幸いし、大きく目を見開いたことも唇を噛みしめていることも悟られずにすんだ。
だが、彼の動揺は空気を通じてフェイトに伝わってしまう。
「シェイドなんでしょ――?」
彼女は尋ねてはいなかった。
たったひと言、彼の口から「そうだ」という答えを聞くために彼女は呟く。
彼はゆっくりと振り向いた。
「何を言ってるんだ、フェイトさん。・・・・・・僕はブライドだよ」
この空間を流れる時間が止まる。
彼は彼であることを悟られないよう、婉曲な表現を避けて直截簡明な言葉を慎重に選んだ。
しかしそれがかえって不自然な口調となり、彼の動揺はますます大きくなる。
「シェイド」
彼女はもう一度その名を呼んだ。
「・・・・・・なぜそう思うんだ?」
彼は自分でも驚くほど強い語気で尋ねていた。
「あなたはシェイドと同じ力を使ってる。プラーナを・・・・・・」
「ムドラなら誰もが持ってる力だ」
「ううん、違う。あなたの力、剣技・・・・・・どれもあなたなんだよ」
「シェイド・・・・・・彼の名前は僕も知ってるよ。僕たちにとっては英雄だからね」
聞きながらフェイトは彼の仕草を観察した。
「もしかして僕と似ていたのか? それで重ね合わせてしまったとか・・・・・・?」
彼はおそらく来るであろう彼女からの追求を逃れるために思考をフル回転させた。
決して矛盾があってはならない。
「それだけじゃないよ」
そうだろう。
彼がシェイドであると考えられる要素はいくらでもある。
彼はできるだけ呼吸を乱さないようにして待った。
「ごまかさないで、シェイド」
彼女の瞳はいつも潤っていて優しいが、今日、この瞬間、彼女の瞳は滾(たぎ)っていた。
あらゆる感情が混ざり合い、せめぎ合い、今の彼女を形作っている。
「きみはどうかしているんじゃないか? 僕がシェイドなどと――」
「だったら――」
フェイトの視線が彼を射抜いた。
「どうしてムドラの秘術の――あの巨大なサソリの名前を知っていたの?」
「ムドラの民なら皆知っているよ。あれぐらいは――」
「ヴォルドーさんは知らなかった!」
虚しいウソをつくな、フェイトの目はそう言っていた。
「ド・ジェムソ・・・・・・そう呼んでいたのはシェイドだけだった」
彼は目を閉じ、ゆっくりと息を吐いた。
「たまたまだろう。本を読めばあのサソリの事くらいはいくらでも載ってるんだ」
「本は・・・・・・アンヴァークラウンではほとんど焚かれてる」
「・・・・・・・・・」
ダメだ。
彼女の追及を躱そうとすると、必ずどこかにほころびが生じる。
フェイトはそのほころびを目ざとく見つけ、繕うこともしないで新たな質問をぶつけてくる。
だが彼女にとってそれらは疑問ではない。
彼を追い詰めるための計でもない。
ただ、確かめたいだけなのだ。
彼が”彼”であることを。
フェイトはすでに彼がシェイドであると分かっている。
あの時から――。
「・・・・・・・・・」
彼の思考はほとんど止まってしまっている。
この空間に流れるこの瞬間が、とてつもなく巨大な怪物のように感じられる。
怪物は金色に輝く鋭い歯牙を彼の心臓にあてがっている。
「・・・・・・・・・」
彼はもう一度息を吐き出すと、
「いつからだ?」
と問うた。
フェイトは目を閉じて答えた。
「初めてあなたと逢った時からだよ」
まるで母親のような優しい口調だった。
ブライトは目を瞬かせた。
「まさか・・・・・・」
「憶えてる?」
動揺するブライトを、フェイトは真っ直ぐに見つめた。
「初めて逢った時、私がまだ名乗らないうちに、あなたは私の名前を呼んだでしょ?」

 

「分かったよ、フェイトさん。そこまで・・・・・・そこまで言うなら君たちの艦に行こうじゃないか」

 

「あ、あれは・・・・・・」
慌てて弁明しようとして、彼はつい先ほどフェイトがした質問を思い出した。
”パレードを見ていたか?”
”私のことを知っていたか?”
彼はそれに「見ていない」「知らなかった」と答えてしまった。
(あの質問にはそんな意味があったのか・・・・・・)
不覚にもフェイトの追求に対し、その身を窮地に追い込んだのは彼自身だった。
(やはり鋭い。フェイトさん・・・・・・きみは天才だよ)
彼女ほど鋭敏な人間がこの世界にいるだろうか。
強さと優しさと知力を兼ね備えた人間が。
(語る時かもしれない)
フェイトはふたつの光で彼の心を照らした。
全てを吐き出そう。
彼は決心した。
「ああ、そうだよ、フェイトさん。きみの言う通り・・・・・・僕はシェイドだ――」
瞬間、彼は奇妙な感覚を味わった。
体の中から何かがもの凄い勢いで抜け出たような感覚。
それと入れ替わるように、暖かな風が彼の中に舞い込んで来る。
「シェイド・・・・・・ッ!!」
零れた涙がフェイトの頬を濡らした。
潤んだ双眸が彼の意識を捉えて離さない。
(この娘はこんなに綺麗な瞳をしていたのか・・・・・・)
「フェイトさん・・・・・・?」
気が付くと、フェイトはすがるように彼の背に両腕を回していた。
「本当に・・・・・・本当にあなたなんだね・・・・・・?」
彼が今、確かにここに存在していることを体温によっで感じ取っている。
彼もまた、自分もフェイトもこの世界で生きていることを実感する。
「――会いたかった」
フェイトは囁くように言った。
そのたった一言が、彼に生きる意味を与えた。
たった一言が、彼に闇と戦う理由を教えた。
「僕もだ・・・・・・僕もだよ、フェイトさん」
今、彼は偽りの鎧を脱ぎ捨てた。
彼女の前ではついに真実を貫き通す理由ができたのだ。
「どれほど名乗りたかったか・・・・・・僕はここだと。どれほど、きみに伝えたかったか」
この感情を行為で表すには――。
彼は同じように彼女の背に手を回した。
これが抱擁というものなのか。
された覚えはあるが、自分からそうしたのはこれが初めてだった。
彼は体と心でフェイトの体温を感じた。
「私もだよ・・・・・・。シェイドが生きていたらって、ずっと願ってた・・・・・・!」
フェイトは無意識のうちに、自分でも気付かないほどの微弱な結界を部屋に巡らせた。
感情の爆発が外に漏れてしまうのを防ぐためだ。
「あなたを見ていて・・・・・・シェイドなんじゃないかって思ってた。受け容れたつもりだったのに・・・・・・!
なのにあなたを見ていると、どうしてもシェイドと重ねてしまう――」
彼の胸の中でフェイトは涕泣した。
「あなたの目も声も話し方もみんな違うのに、どうしてだろうって思ってた」
「ブライトとして徹してきたつもりだったけど・・・・・・。そうか・・・・・・きみはずっと前から気付いていたんだな」
(僕のせいだ。僕が中途半端だったせいで彼女につらい想いをさせてしまったんだ)
彼はより強く彼女を抱きしめた。
小さな震えが全身を伝っていく。
「考えてみればおかしな話だ。死んだ人間がこんなにもあっさり戻ってくるなんて」
彼は自嘲的な笑みを浮かべた。
「結果的に戻ってきたけど、今でも時々思うんだ。僕は――間違ってるんじゃないかと」
「シェイド――」
「ん・・・・・・?」
「わたしは・・・・・・嬉しかったよ。あなたが戻ってきてくれて」
言いながらフェイトは、もはや言葉はいらないと思った。
言葉によらなくても、こうして心を通わすことができるじゃないか。
(シェイド・・・・・・)
温もりを感じる。
彼の、確かな温もりが。
しかしひとつの疑問が湧きあがってくる。
「でも、一体どうやって――? 今のあなたは・・・・・・?」
ユーノの言う輪廻から外れている現象だ。
フェイトは再会を歓喜する反面、冷静さをも確立させていた。
「ああ、これか・・・・・・」
彼は他人事のように呟きながら、ダークブラウンのケープの裾を引っ張った。
「この体の持ち主は少し前に死んだ。どうやら登山中だったらしくて、アンヴァークラウンの山麓に倒れていたんだ」
ブライトはそう言うと、ここに戻ってくるまでの経緯を語りだした。
「幸い、体のどこにも傷はついていなかったし、以前の僕の体格にも近かった。だから僕はこの体を借りた」
「・・・・・・・・・」
難しい話ではない。
死んだ者の魂が、別の死者の体に乗り移ったというだけのことだ。
だからフェイトにも分かる。
が、分かることと理解することは違う。
そんなことがあり得るのだろうか、というのがフェイトの感想だった。
「信じられないかい? 無理もないよ、僕だって最初はそうだったしね」
理解はできないが、ブライトの言う事に間違いはないだろう。
それでなければ彼がシェイドであるハズがない。
「でも疑ってはいないだろう? 僕が――かつてシェイドだったことは」
「うん・・・・・・」
これだけはハッキリと言える。
彼はシェイドだ。
2人は永遠とも錯覚してしまう抱擁を続けた。
より強く、より深くつながっていたいという欲求がそうさせた。
「フェイトさん・・・・・・」
ブライトは無意識に彼女の名を呼んでいた。
(これが・・・・・・愛?)
ブライトは惑った。
自分は今、彼女を愛おしく想っている。
できることなら、いつまでもこうしていたいという単純で複雑な欲求だった。
だがブライトはフェイトを求めている一方で、自分にはそうする資格がないことを自覚していた。
彼は名残惜しそうに少女の体を離すと、深く息を吸い込んだ。
甘酸っぱいレモングラスの芳香が、彼の昂ぶった精神をいくらか鎮めてくれる。
ブライトは少女の瞳に吸い込まれそうな感覚に酔いながら、しかし意識をしっかり保って言った。
「――話すよ。今、何が起こっているのか。聞いてくれるか・・・・・・?」
フェイトは静かに頷いた。

 

「はい、これ」
すぐに戻ってくると言って出て行ったフェイトが、湯飲みを持って戻ってきた。
「ありがとう」
湯飲みから立ちのぼる湯気に懐かしさを感じながら、ブライトは一口含んだ。
だがすぐに物足りなさを覚え、テーブルに置いた。
「やっぱりこれがないと」
どこから持って来たのか、手には角砂糖が隠れていた。
「きみもいるか?」
自分の湯飲みに2つ落としたブライトは、その手をフェイトに見せた。
「私はいいよ・・・・・・」
白い気泡が浮かび上がるのを見て、フェイトは少しだけ不快そうな顔をした。
ブライトは甘味の効いた緑茶を口に含むと、感嘆の息を漏らした。
「話す前にいま一度確かめておくよ。僕をシェイドだと思うかい?」
その問いにフェイトは迷うことなく頷いた。
「ありがとう」
ブライトは一呼吸置き、室内に漂う芳香を体内に取り込んだ。
「僕はあの時、確かに死んだ。それに間違いはないよ」
「うん・・・・・・」
「だけどあの後・・・・・・僕はツィラたちに会った」
「ツィラに?」
フェイトの声が大きくなる。
「ああ。言われたよ。”僕にはまだやるべき事がある”ってな」
「やるべき事?」
「端的に言えば、”闇を滅ぼすこと”だ」
ブライトは渇いた喉を潤し、
「訊くまでもないだろうけど、きみは僕の死を最も間近で看取ってくれたね?」
フェイトは複雑な感情に駆られながらも、小さく頷く。
「あの時、僕の体から抜け出た闇は夜の宇宙を彷徨った。大部分は光に照らされて消滅したが、生き残った闇は光から逃げ続けたんだ」
フェイトは数秒目を閉じ、シェイドとの戦いを思い返した。
黄金の光刃が彼を貫いた瞬間、確かに彼の中から溢れ出た闇が飛散したのを見ていた。
「そうして逃げるうちに闇は生き延びるために知恵をつけた。やがて自我が目覚め、人格を持つようになり今、闇は世界を覆おうとしてる」
「生き延びるためって?」
「僕たちと同じように子孫を残して数を増やすのさ。ただ奴らには実態がないから、交尾の必要はない。
それよりももっと簡単で確実な方法があるからだ」
「私たちを襲うこと?」
「近いけど違う。闇は影を使って増殖することを学んだ。闇、影、夜・・・・・・言葉は違うが、それらが意味するものにほとんど違いはない」
ブライトは足下を指差して言った。
「ここにもあるだろう。影が生まれるには光を遮るものが必要だが、そんなものはどこにでもある」
つまり敵はどこにでもいるということか。
言ってからブライトは闇の恐ろしさを改めて実感した。
「人間じゃなくてもいいってこと?」
「ああ、そうだ。あそこの観葉植物の後ろ、食堂のテーブルの下、キャビネットの隅・・・・・・。
きみなら分かるだろう? 闇はどこにでも現れる・・・・・・」
フェイトは闇については彼に対して親近感以上の感情を持っている。
同じように闇を見た唯一の相手という理由もあるだろう。
が、それ以上に同じ目線に立ってものを考えられる人物、としてフェイトは見ている。
9歳の少女が6歳も年長の者に対してずいぶん傲慢な考え方をしている、と思うのが普通だろう。
しかし彼女はその年齢にしては多くの出来事を経験してきた。
それこそ自暴自棄になってもおかしくない辛辣な言葉を投げられたこともある。
それらを乗り越えて今、彼女はここにいる。
彼女の精神を年齢で測ることはできない。
「あなたは・・・・・・?」
フェイトが問うた。
「あなたは闇は光よりも強いと思ってる? それとも――」
ブライトはしぼり出すように言った。
「光がある限り、闇も必ず現れる。光がなければ全ては闇だ。結局、闇を消し去ることはできない。
そう考えると、光は永遠に闇に敵わないことになる」
そう言うブライトは傍目にも落魄していることが分かった。
彼は魔導師への憎悪を抱いている間は闇を拠りどころとしていたが、今はもう違う。
フェイトと同じように光の側に立って闇を見ている。
だからこそ光が闇の侵食を止められない事実に落魄しているのだ。
「ならどうして、あなたは闇と闘うの? 勝てないって分かってる戦いに――」
「きみが僕なら闘うのを諦めたか?」
フェイトはかぶりを振った。
「――同じことだよ」
ブライトは湯気の立たなくなった緑茶を一気に飲み干した。
「おかわり淹れてくるよ」
と言ってブライトが立ちかけたが、
「あ、私が行ってくるから!」
と慌ててフェイトが立ち上がった。
「うん?」
「だって、ほら・・・・・・。部屋から出るところを誰かに見られたら・・・・・・」
「あっ・・・・・・」
ブライトは力を抜かれたように座りなおした。
誰かに見られでもしたら、ちょっとした騒ぎになる。
フェイトにとってもブライトにとっても好ましくないことだ。
(僕としたことが軽率だった)
ブライトは自分の迂闊さを恥じた。

 

 砂糖入りのお茶はブライトの精神を落ち着けると共に、一種の自覚剤のような効果を持っている。
「手はある」
ブライトはフェイトの目をまっすぐに見て言った。
「本体を探すんだ。本体さえ倒せば闇は消えるハズだ」
「本体?」
「僕の中にいた最初の闇だ。あれが全ての闇を動かしてる」
2人はほとんど同時にキャビネットのほうに目を向けた。
あの質素な外装のキャビネットの隅に、闇が蠢いた気がしたからだ。
「奴らはアリと同じだ。統率力を失えば潰滅する」
「でも闇は増え続けてるし、それにどんどん強くなってる・・・・・・」
「確かにそうだ」
フェイトは初めて影と戦ってから今日までを思い起こした。
彼女にとって数で迫るだけの雑兵だと思っていた闇が、いつの間にか互角以上の力を持った怪物に変わっている。
ヒューゴ、ソルシア。
フェイトが戦った強敵とはこの2体だけだが、広い世界にはまだまだ脅威となる存在があるかもしれない。
「でもそこまで深刻になることはないよ。奴らは奴らのルールに基づいて行動してるから」
「どういうこと?」
「僕たちが戦っているのは、誰かの影なんだ。つまりこの世界に存在するもののコピーでしかないんだよ。
きみや僕、管理局の魔導師やあのベルカの騎士も例外じゃない。僕たちが光を遮っているからだ」
それなら、とフェイトが身を乗り出した。
「ソルシアがなのはと同じ力を使ったのも、そういうことだったの?」
「なのはさんだけじゃない。奴はプラーナも使った。おそらく僕か・・・・・・ムドラの民の影が具現化したんだろう」
「だからあんなに強かったんだ・・・・・・」
フェイトは曖昧に納得した。
「コピーである以上、僕たちを超える強さを獲得することは絶対にできない。もっとも――」
ブライトは一呼吸おいて言った。
「僕たちが苦心して手にした力をたやすく奪われることにもなる。だから僕たちが力をつけても、闇はすぐに追いついてくる」
「私はなのはと戦ったことになるのかな?」
「それは違うぞ。正確にはなのはさんの負の感情と戦ったことになる」
「負の・・・・・・感情?」
フェイトは厭な感じがした。
なぜかこの先を聞くことが躊躇われるような気がした。
「きみは誰よりも――おそらく僕以上に闇のことをよく知っているハズだ。奴らに付け込まれないようにするためにはどうすべきか――。
これについてもきみはよく分かっているハズだ」
「・・・・・・・・・」
フェイトは何も言えなかった。
彼の試すような視線が、彼女を逡巡させる。
「怒り、憎悪、恐れ、嫉妬・・・・・いわゆる負の感情を闇は好む。奴らは鼻が利くからね。
そういう感情の持ち主をすぐに見つけ出し、負の部分だけを喰って力をつけているんだ」
ブライトの言葉はフェイトにとって辛辣だった。
彼の意見を容れれば、なのはに負の感情があったことになる。
怒り? 憎悪? 恐れ? 嫉妬?
フェイトが観るなのはは優しく、活発で、前向きで。
およそ彼の言う負の感情を持っているとは思えなかった。
一方でフェイトは、自分にはそういう感情がなかったかと考えた。
何をもってそれを”負”と捉えるのかは人によって違うが、フェイトにも闇に通じる心はあった。
なのはの家に招かれた時だ。
自分と違い、優しい父と母がいるなのはを羨ましく思ったことがある。
彼女自身はおそらく気付いてはいないだろうが、羨みはやがて恨みに変わる時が来る。
彼女がなのはを強く想えば想うほど、その感情は闇に傾いていく。
「コウモリやサソリの姿をしていたのはなぜ?」
フェイトは自分の中の闇を祓うように、無理やりに話題を変えた。
ブライトは彼女の不自然な表情の変化を訝りつつも、その質問に的確に答えた。
「誰かがそれらに対して悪い感情を持っていたのだろう。たとえば幼いころに、襲われた経験があるとかね。
その経験が心に小さな闇を生んだか、あるいは・・・・・・」
これは考えにくいことだけど、と前置きしブライトは付け足した。
「あるいはコウモリやサソリにも負の感情があった、か」
ブライトは目を伏せた。
彼は何となく、フェイトがそろそろ核心を衝いた質問をしてくるのではないかという気がしていた。
フェイトは無言でお茶を啜る。
ブライトもそれを真似た。
心を落ち着けるはずの甘酸っぱい芳香が、なぜか彼の心をかき乱す刺激臭に感じられる。
不意に彼の頭に、過ぎ去ったフェイトとの会話が蘇ってきた。
「思うんだけど、フェイトさん」
「えっ?」
「よく考えたら、僕がここに来たところを誰かに見られてる可能性もあるね」
「あっ・・・・・・」
フェイトは赤面した。
これこそ迂闊だったかもしれない。
クルーが彼の正体に気付いているとは思えないが、思春期の少年が少女の部屋を訪れたのだ。
しかも何分経ってもいっこうに出てこないとなると、2人の関係をどう思うだろう。
「少し場所を変えようか?」
ブライトの提案に、フェイトは顔を赤くして俯いた。

 

「ここなら不自然じゃないだろう」
2人はトレーニングルームのドアを開けた。
フェイトが慣れた手つきで壁面のパネルを叩く。
中には誰もいないが、これは予想できた。
クルーは療養中か任務を遂行しているかのどちらかで、とても魔法の腕を磨いているヒマはない。
それを言えば2人もそうだが、任地から戻ってきたばかりということもあり、休息しているという名目が成立する。
「懐かしい感じがする」
2人は壁面に据えつけられた長椅子に腰をおろした。
だがブライトはすぐに立ち上がり、再び壁面パネルを操作してトレーニングルームを「高レベル魔法使用中・入出室禁止」に設定した。
この設定が解除されない限り、誰もここに入ることはできない。
彼は部屋の中央に立ち、ケープの裾に隠してあったエダールセイバーを抜いた。
金属製のグリップが右手に収まり、冷たい感触を彼に与える。
風を斬る音がし、先端からアメジスト色の光刃が伸びた。
ブライトはそれを2、3度左右に振ってから、おもむろに両手で構えた。
フェイトは壁にもたれるようにしてじっと見ていた。
室内の空気の流れが変わった。
わずかに魔力を含んでいる穏やかな空気の流れが、針のように鋭いものへと変わる。
それは身動きしないフェイトにすら冷たく突き刺さるような感覚があった。
「・・・・・・・・・」
ブライトは光刃を床と水平に構えると、一歩踏み込み、大きく円を描くようになぎ払った。
鋭い太刀筋が残像となって、フェイトの視界にアメジスト色の軌跡を描いた。
彼はさらにグリップを右手に持ちかえると、手の中で光刃を自在に踊らせた。
回り、滑り、流れていく光刃が想像上の敵を斬り伏せていく。
(・・・・・・・・・)
フェイトは時々、首をかしげた。
剣技に以前の鋭さがない。
彼がシェイドであることに間違いはないが、それを疑いたくなるほどの剣さばきだ。
しかしすぐにその理由が思い当たり、フェイトはしきりに頷いた。
あの体はシェイドのものではないからだ。
そのためにムドラの民でメタリオンの長だった彼が、エダールセイバーと一体になることができないのだ。
彼の抱えるハンデを差し引いてみれば、この剣技は見事なものだった。
光の刃が時に敵を斬る武器となり、時に身を護る盾となる。
フェイトには彼を取り巻く無数の敵の姿が想像できた。
それらは無謀にも彼の間合いに飛び込み、たった一度の剣撃になす術もなく沈んでいく。
想像上の敵が全て消えた時、ブライトは静かに刃を収めた。
振り返った彼は恥ずかしそうにグリップをケープの裾に戻す。
「きみがこれを渡してくれた時、何となくそんな気がしたよ」
ブライトは再びフェイトの隣に腰をおろした。
「僕の正体に気付いているんだ、ってね」
彼は頬を赤らめて笑い、額の汗を拭った。
(この程度で息があがってしまうか・・・・・・)
ブライトは両手をじっと見た。
(この体の持ち主はずいぶんと運動不足だったようだな)
ため息をついて、彼はフェイトに目を向けた。
彼女はいつものように静かな瞳に情熱の炎を滾らせて彼を見つめていた。
その視線に不覚にもブライトは目をそらせてしまう。
「言ってくれ。僕に訊きたいことがあるだろう?」
フェイトは小さく頷いた。
「あまり訊きたくないことだけど・・・・・・」
フェイトは目を伏せた。
これからすべき質問について、フェイトはおおかた答えを予想している。
しかもその答えがほぼ正しいことも彼女は分かっている。
だが――。
訊かなければならない。
彼の口から真実を述べてもらわなければならない。
フェイトは彼に問うた。
「闇は・・・・・・どうして世界を支配しようとしているの?」
フェイトは、”世界を覆う”という言葉を”世界を支配する”という表現に置き換えた。
(思ったとおりの質問だ)
ブライトは呼吸を整えてそれに答えた。
「あれは僕の闇だからだ――」
ブライトは続けた。
「僕が君たちを憎んでいた、あの時の闇なんだ。魔導師を滅ぼし、ムドラの民が世界を手にする。僕はそう思っていた。
きみと闘い、敗れ、野心が消えても闇だけは残った・・・・・・”世界を支配したい”という部分だけが」
彼は彼女を見つめた。
彼女も彼を見返したが、今度は彼は目をそらさなかった。
「僕が戻ってきたのは・・・・・・罪を償う意味もあるが。何より、闇を祓うためだ」
「・・・・・・」
「僕の不始末で闇を蔓延させてしまった。だから・・・・・・僕が片をつける!」
普段、感情を露にしない彼は激しく憤った。
もちろん自分に対してだ。
フェイトは息を吐いた。
「全ての責任は僕にある」
ブライトはもう一度言った。
「だから、独りで戦おうとしたの?」
「そうするつもりだった。それが僕のなすべき事だと思ったから。でも――」
ブライトは唇を噛んだ。
「無理かも知れない。もう・・・僕ひとりでは・・・・・・」
「シェイド・・・・・・?」
ブライトの心が空気を通してフェイトに伝わった。
「僕は力を失った。闇に奪われたんだ」
彼にはまだ自尊心が残っている。
が、それは触れるだけで瓦解してしまうほどの脆く小さなものだ。
彼が闇に克つためには、この最後の自尊心を捨てなければならない。
「闇は僕から力を奪って逃げた。奴らのプラーナが強いのはそのせいだ」
ブライトは怒りと侮蔑の混ざった感情を自分自身にぶつけた。
今の彼は目の前の少女はおろか、武装局員のトップにさえ勝てないのではないか。
闇は今、この瞬間にも力を増しているというのに。
「フェイトさん・・・・・・力を貸してくれ。きみの力が必要なんだ」
自嘲を終えると、ブライトはフェイトの手を強く握った。
「そのつもりだよ。でも――」
「・・・・・・?」
「本当なの? 力を失ったって・・・・・・」
ブライトは頷いた。
「自分の体じゃないことも影響してるんだろうけど・・・・・・今の僕は以前の半分の力も出せない」
力の出し方は憶えているのに、と彼は呟いた。
「闇を倒せば――」
フェイトが手を握り返した。
「闇を倒せば、あなたは力を取り戻せる?」
「それは・・・・・・」
どういう意味だ、と問いかけてブライトは口をつぐんだ。
「分からない。こんな事は初めてだから。でも闇さえ倒すことができれば、力なんてどうでもいいよ」
彼の口調はフェイトには諦めているように感じられた。
「そんなこと言わないでッ!」
フェイトはブライトの瞳を覗き込むようにして言った。
「私の知ってるシェイドはこんなのじゃなかった・・・・・・!」
「フェイトさん・・・・・・?」
「あなたはもっと強かった! どんなことがあっても絶対に諦めない人だった! たとえそれがどんな理由だったとしても・・・・・・!」
フェイトは立ち上がり、睨みつけるようにブライトを見下ろした。
「あなたは自分の意志を曲げるような人じゃない! ・・・・・・そうでしょ?」
フェイトの視線がブライトには痛かった。
「僕はそうだったか・・・・・・?」
ブライトは惑った。
フェイトがここまで感情を露にする性質だとは思ってもみなかったからだ。
彼女は僕の事をよく知っているが、僕はどうなんだろう?
実は彼女について何も知らないんじゃないか?
ブライトにはフェイトがとてつもなく大きな存在に感じられた。
(ウソを言ってるわけじゃないんだ。闇を倒せば言葉通り、僕の力なんてどうでもよくなる)
ブライトはこの言葉を必死に胸中に押しとどめた。
「シェイドなら・・・・・・あなたがシェイドなら、そんな弱音を吐かないハズだよ!」
フェイトは涙ぐんでいた。
「ああ、すまなかった。弱気になっている場合じゃなかったね」
なのはが心配していたことが、フェイトに起こりつつある。
シェイドが逝去してから、そう時間は経っていない。
彼と関わった多くの人間は目を閉じれば彼の顔を思い出すことができたし、耳を澄ませば彼の声を思い起こすこともできた。
フェイトは少し違う。
彼女の記憶の中のシェイドは、時を経るごとに強くなっていく。
純粋に美化された彼のイメージが、実際の彼を超越した存在になろうとしている。
ブライトは立ち上がり、壁にそっと手を当てた。
「弱気になっている場合じゃない・・・・・・。これこそ闇が好む感情じゃないか」
ブライトは内心、フェイトに感謝しつつ壁にそえた手に意識を集中した。
するとアースラの全容がブライトの中に情報として流れ込んでくる。
「きみも見えるハズだ。さあ、ここに手をあてて」
ブライトに言われるまま、フェイトも彼を真似た。
しかし彼女には何の変化も起こらない。
「私には何も見えないよ」
ブライトと同じものを見たいと思っているフェイトは、一瞬だけ物憂げな表情をした。
「無理か? ・・・・・・なら、デバイスの力を借りるといいよ。きみの・・・・・・何だっけ?」
「バルディッシュ」
「そう。バルディッシュを貸してくれないか? すぐに返すから」
フェイトは金色に輝く宝石を取り出した。
「ああ、起動しなくていい。そのままで」
フェイトは魔導師にとって命にも近いデバイスを手渡すことに、何の躊躇いもなかった。
それだけ彼を信頼しているということだが、もちろん彼女自身は深くは考えていない。
ブライトは待機状態のバルディッシュを手の平に乗せると、何事かを呟いた。
おそらくムドラの言語なのだろう。傍で聞いていたフェイトには何を言っているのかは分からなかった。
「きみの主人に新たな力を宿すためだ。いいね?」
ブライトが囁くと、バルディッシュは淡い光を放ってそれに答えた。
了解した、ということだな。
ブライトは直感すると、自分の力をバルディッシュの表面に滑らせた。
「これでいいだろう。これからはバルディッシュがきみの眼となって、闇を感じるのを助けてくれるだろう」
「闇を見るってこと?」
「”見る”んじゃない。”視る”んだ。さあ――」
フェイトはもう一度、壁に手を当てて意識を集中させた。
『”Particle vision”』
バルディッシュが明滅し、キーワードを発した。
途端、フェイトの中にアースラの全容が浮かび上がった。
どうだ、というブライトの問いに、フェイトは無言で頷く。
フェイトの眼には、粒子で構成されたアースラが浮かび上がっている。
無数の点が集まり、点は線へ、線は面となり、ひとつの全体が明らかとなってくる。
「きみが視ているそれがアースラだ。壁や天井や床は、緑色に視えるハズだ」
ブライトの言うように、フェイトの眼には緑色の粒子でできたアースラが視えている。
その中に黄色の粒子で構成された塊がいくつも見える。
「黄色に視えるのは、ここにいる人たちだよ。僕やきみを含め、全ての人間はそう視えるんだ」
「視えない部分は?」
「それだ」
フェイトの問いにブライトは即答した。
「もやがかかっているみたいに、視えない場所がある。それが闇だ。僕たちの力をもってしても闇を直接に視ることはできないが、
視えないからこそ視えるんだ。闇への脅威を感じたら、まず闇ではなく、その周囲に気を配るんだ」
緑色の粒子で構成されたアースラには、あちこちに虫食いがある。
何かに削り取られたような深い闇は、粒子の中を泳ぎまわっている。
フェイトはそっと壁から離れた。
額にはうっすらと汗を浮かべていた。

 

「アースラの周囲だけ闇が多いと思ったことはないか?」
再び長椅子に腰をおろした2人は、この話題から離れようとはしなかった。
「何度か思ったよ。その度に私やアルフが駆けつけたけど」
「それも多分、僕が関係してるんだ」
フェイトはそっとブライトを見た。
「さっきも言ったように、あの闇は僕の体から抜け出たものだ。そのせいか、僕がいた場所には闇が多い」
「じゃあ・・・・・・」
「うん。僕は人生のほとんどをアンヴァークラウンで過ごした。その次に長いのはアースラだよ。きみが考えている通り、
アンヴァークラウンにも闇の姿はあった」
わずか15歳で命を落とした少年が、人生という言葉を使うことに彼自身、違和感があった。
「本体がいるとしたら、このどちらかだろう。アースラにいるなんて考えたくないけど・・・・・・」
「でもその可能性があるから、アースラに”戻ってきた”んじゃないの?」
フェイトが何気なく言ったことに、ブライトは自嘲気味に返した。
「いや、これは偶然だよ。本体の居場所としてここを疑ったこともあるけど、留まるつもりはなかった」
「きっと――」
フェイトはブライトの目を見て言った。
「きっと運命なんだよ。あなたが戻ってきたことも。こうしてあなたと逢えたことも・・・・・・」
「運命、ね」
ブライトは運命という言葉が好きではなかった。
自分の力ではどうにもできない事に対する言い訳のように聞こえるからだ。
事実、彼はここに戻ってくることを拒めなかった。
フェイトの言うとおり運命がそうさせたのか、それとも彼に拒むだけの力が無かったのかは分からない。
しかしその理由を運命という一言で片付けたくはなかった。
「――単なる偶然だよ」
2度目の言葉には覇気がなかった。
「・・・・・・」
もはや彼がシェイドであると分かったフェイトには、彼の感情の機微まで感じ取ることができた。
どうやら彼はこの話題に触れられたくないらしい。
ならば、とフェイトは話題を変える意味も込めて、
「気になっていることがあるんだ」
と切り出した。
「どうして・・・・・・黙っていたの?」
「何を・・・・・・」
と言いかけてブライトは口をつぐんだ。
「あなたがシェイドだってこと――」
話題を変えたつもりが、この問いはかえって彼の心に深く突き刺さるものだった。
「私が言わなかったら・・・・・・あなたはずっとブライトのままだったの?」
「難しい質問だけど、それに答えるのは簡単だよ。フェイトさん」
ブライトはあえてフェイトから目をそらした。
「僕はブライトに徹するつもりだった。もちろん疑われることも考えたけど、それでも隠し通そうと思ったよ。
ここまで鮮やかにきみに見破られるとは思って――いや、少しは思っていたかもしれないな」
「どうして?」
フェイトは身を乗り出した。
(きみは残酷だな。”どうして”だって? 決まっているじゃないか――)
ブライトは真意を呑み込み、もうひとつの理由を答えることにした。
「いろいろと面倒じゃないか。僕が生きていると知れたら。僕は今、他人の体を借りてるんだ。どこの誰かは知らないけど、死んだ体をね。
彼の身内が生きていると知ったら、中身の違う僕はどう説明すればいいんだい?」
あっ、とフェイトが情けない声をあげた。
「だから、できるだけ目立ちたくはなかった。誰の目にも触れずに闇を打ち倒したかった。ここに来たくなかったのもそのためだ」
ブライトはウソはついていない。
彼女の質問にブライトは真実で答えている。
が、最も重大な部分だけは伏せた。
「でも、そうしていたら私たちは逢えなかった――」
フェイトは少女らしからぬ憂えた顔をした。
この表情は彼女だからこそ真に悲壮感が迫って見える。
「そのことだけが引っかかってた」
これもウソではない。
ブライトは彼女を想うあまり真実を隠すことはあっても、真実をねじ曲げるようなことはしない。
「それなら、このことは黙っていたほうがいいよね?」
首をかしげてブライトが返した。
「フェイトさん、きみは答えが分かっていて、その質問をしてるな?」
と言って彼は苦笑した。
「僕が正体を明かすつもりでいたなら、きみたちはずっと前から僕がシェイドだと知っていたハズだ」
それを聞いたフェイトも苦笑した。
この婉曲な表現は、やはりシェイドだ。
一度聞いただけではその全ては分からない。
二度、三度と繰り返してようやく意味が分かる言い回しは、シェイド特有の話し方だ。
「みんなの前では僕はブライトだ。いいね?」
フェイトは頷いた。
「気付いているのは、たぶんきみだけだろう。これから先、僕を疑う人が出てくるかもしれないけど、僕はブライトで通す。
僕はきみだから本当のことを話しただけだ」
ブライトの言葉には冷徹さと情熱が混じっている。
フェイトはもう一度、今度はさっきよりも強く頷いた。
「シェイド・・・・・・」
少女は少年の名を呼んだ。
「言ってるそばから・・・・・・僕はブライトだと――」
少年の口を少女の口が塞いだ。
(・・・・・・ッ!?)
何が起きているのか分からず、ブライトはただ流れに身を任せるしかなかった。
彼の記憶の中で、これほど彼女に近づいた出来事はない。
今は物理的な距離だけでなく、精神的な距離も限りなくゼロに近かった。
やがて口づけを解いたフェイトは、
「2人だけの時はシェイドでいいってことだよね?」
と言って笑った。
ブライトは唇に残る感触をいつまでも忘れられないでいた。

 

 

 

 フェイトは闇との闘いにエダールモードを使うことをリンディに申し出た。
本部からはエダールモード解除の命令が出ているため、本来なら彼女の行動は許されないことだった。
もちろんそれを知っていて本部に申告しないリンディも、咎を受けるべき立場にある。
が、リンディは許可した。
フェイトに何か深い考えがあると、咄嗟に気付いたからだ。
今や闇は魔導師とムドラにとって共通の敵だ。
手段を選んでいる場合ではない。
エダールモード使用の許可を得たフェイトは、続いてシェイドの遺品をブライトに託したことを告げた。
これには流石にリンディも驚きを隠せなかった。
フェイトがシェイドに対してどのような感情を抱いていたか、リンディはある程度知っている。
その彼女が思い出の品とも言うべき遺品を、出会ったばかりの少年に託した。
理由は分からないが、おそらくこれも彼女なりの考えがあってのことだろう。
そう推察したリンディは感嘆の息を漏らしながらも、それについてフェイトに何か言うことはなかった。
そもそもリンディに口を挟む権利はない。
彼女はただひと言、
「あなたなら大丈夫よ」
とだけ述べた。
つまり、自分の信じる道を進めということになる。
フェイトはリンディに感謝し、艦橋を後にした。
窓の外には夥しい数の粒子が、それぞれが違う速度で同じ方向に流れていく。
そのひとつをフェイトはじっと見つめた。
手を伸ばせば届きそうなところにある粒子は、初め金色に輝き、明滅し、アメジスト色に変わった。

 

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