第9話 彼の名は……

(単身、影と戦うブライトを援護すべく現場に向かったフェイトたち。激戦の中、フェイトはそこで真実に触れることになる)

「あ、フェイトちゃん! アルフ!」
帰艦した2人にエイミィがすがるような視線を送った。
「どうしたんだよ? そんなに慌てて」
あちこちに擦り傷を作ったアルフが肩の関節を鳴らしながら言った。
「ブライト君が・・・・・・!」
「ブライトがどうしたの!?」
エイミィが言いかけたところを、フェイトが詰め寄るように尋ねた。
「コーテック駐屯地が襲われたって聞いて、ひとりで・・・・・・」
言葉足らずだが2人は充分に理解できた。
「あいつ・・・・・・勝手なことして・・・・・・!」
アルフは明らかに不快の念を表わした。
彼女よりいくらか冷静なフェイトはエイミィが言わんとしていることを理解して、
「私たちが行くよ、エイミィ、場所を教えて」
凛とした表情で申し出た。
「うん、お願い。・・・・・・でも大丈夫?」
フェイトたちはたった今、戦いを終えて戻ってきたばかりだ。
元より力のある魔導師に支援を頼むつもりではあったが、いざその時になるとやはり躊躇ってしまう。
ましてや9歳の少女にとなると尚更だ。
「平気だよ」
フェイトの気持ちはこの短いひと言に集約されている。
アルフも強く頷いている。
「場所はコーテック駐屯地の南塔。かなりの数がいるから気をつけて」
エイミィにできるのはオペレーターとしての仕事を除けば、このように戦地に赴く者の無事を祈ることだけだ。
第一線で戦う魔導師たちの生還率を高めるために、オペレーターとしての彼女がいるわけだが、
当の本人はまだまだ管理局員としては力不足だと感じている。
「ありがとう、エイミィ。アルフ、行こう」
「あんな奴ら、すぐに片付けてくるよ」
これがたとえ虚勢であっても、戦力不足の管理局には心強い言葉だった。

「アルフ」
ゲートへ向かう途中でフェイトが立ち止まった。
「先に行ってて。すぐに追いつくから」
「・・・・・・?」
突然の申し出にアルフは怪訝な表情をフェイトに向けた。
フェイトはそれ以上、何も言わない。
先に行けという理由が分からないアルフは、とりあえず自分が居合わせることが不都合であると分かり、
「すぐに終わる用事かい?」
と問う。
フェイトが頷いたのを見て、
「分かった。ならゲートで待ってるよ」
それでいいか、というアルフの問いにフェイトはもう一度頷いた。
アルフと別れたフェイトは長い通路を右に折れ、自分の部屋に入った。
事は急を要するため時間をかけるわけにはいかない。
フェイトは自室のドアを閉めた後、しばらく考え込んでから窓際のキャビネットを開けた。
ここには”彼”の遺品が納められている。
宇宙葬を執り行った際、彼女が無理を言って引き取ったものだ。
もう手にすることもないだろうと思っていたそれを、フェイトは丁寧に掴みあげた。
ずっしりと重いそれは、彼がたしかに存在していたことを示す数少ない品だ。
フェイトは腰のベルトにそれをしっかりと固定した。
できればこの遺品を再び戦場に持ち出したくはなかった。
(確かめるにはこれしかない・・・・・・)
ユーノの言葉で一度は疑念を消し去ったハズだが、やはり確かめたいという気持ちが強く残った。
彼は本当に――?
疑念が確信に変わる時はそう遠くはなさそうだ。
部屋を出たところでアルフと合流し、ゲートへ向かう。
「何の用事だったんだい?」
使い魔の質問に主はとうとう答えることはなかった。

 コーテック駐屯地は事実上、潰滅している。
施設としての機能に問題は無い。
観測機器や通信設備などに破損は見られず、正常に作動することも確認されている。
ただしそれらを動かすべき局員がここにはいない。
影の襲撃に遭い命を落としたか、あるいは逃亡を図ったのか。
局員の姿はなかった。
 ブライトは勇敢なムドラだ。
南塔に現れた無数の影を相手に、たった1人で健闘している。
数百メートル離れたところには北塔と武器庫がある。
そこにはまだ生き残っている局員がいるかもしれない。
ブライトが今、連中と戦っている理由はその可能性に賭けているからだ。
自分がいることで1人でも助かる人間がいるのなら、彼は戦い続けるだろう。
「お前たちの好きにはさせない」
彼はつとめて感情を露にしないようにして、プラーナを放つ。
五指から伸びた閃電は中空をただようコウモリを焼き、地を這うサソリを粉砕した。
「なぜ我らに手向かう?」
影の1体が長く伸びた右腕をひきずりながら彼に迫った。
「安楽の死を受け容れよ。そして我らの一部となれ」
その右腕がさらに伸び、ブライトの首を掴んだ。
呼吸を奪われた彼は影の右腕を両手で掴み、ありったけのプラーナを注ぐ。
首を掴む力がゆるみ、ブライトは地を蹴って中空に逃げた。
が、この進路を阻むように上から黒い槍が降ってきた。
ブライトは咄嗟に身をひねり、さらに後退した。
彼の頭上には不気味な翼を生やした悪鬼がいる。
先ほどの槍はこいつが投げたものか。ブライトは右手を突き出しプラーナを撃った。
悪鬼の体が重力とは逆方向に持ち上げられ、壁に叩きつけられる。
敵は多数だ。
ブライトは常に周囲に気を配り、自身の力を最も効果的に発揮できる位置を保つ。
「ムダだ。貴様の力など我らには通じない」
いつの間にか悪鬼が彼の背後に立っていた。
振り向いた時にはブライトの体は宙に持ち上げられていた。
「・・・・・・ッ!?」
ブライトはプラーナの拘束から逃れようともがいた。
しかし彼を縛る力は彼が思っている以上に強いようだ。
(こいつめ・・・・・・)
ブライトは指を軽く曲げ、悪鬼の放つプラーナの波を逆流させた。
再び地を踏んだブライトは足元の槍を拾って投げた。
心臓を貫かれた悪鬼は断末魔の叫びをあげて空気に溶けた。
彼はたった1体の影を倒すのに時間をかけすぎた。
すでに別の悪鬼が彼を前後から挟撃しようと、包囲網を狭めてきている。
ブライトは2方向から迫る槍の猛攻を、ほとんど勘で避けた。
この状況でプラーナを使われたら終わりだ。
そう考えたブライトは巧みに体を動かし、常に2体の悪鬼を視界に捉える位置関係を保つ。
「息があがっているな?」
悪鬼が表情の無い顔で笑った。
「まだまだ、これからだ!」
悪鬼の撃つプラーナを躱し、突き出される槍を弾いて、彼は敵のふところに飛び込んだ。
気が付くとブライトは悪鬼を殴っていた。
格闘の技術を何ひとつ持たず、彼はひたすらただ一点を狙って連打した。
がむしゃらで、幼稚で、まるで戦略性のない原始的な攻撃手段だ。
彼が最後に打ったストレートに吹き飛ばされた影は、壁面モニターに背を叩きつけられ闇の中に消えた。
ブライトは間髪入れず左手を後ろに向け、もう何度放ったか分からない閃電を飛ばした。
彼は攻勢に転じた後に訪れる危険をよく知っている。
上空、背後・・・・・・常に死角から来る攻撃をブライトはぎりぎりで躱す。
彼が苦闘の末に影を1体倒すたびに、新たな影が姿を現す。
敵の数はすでに30体を超えている。
もはや彼ひとりの手に負える状況ではない。
しかし彼は果敢に闘った。
物理と精神とを交錯させ、彼は黒い脅威に抗った。
風を斬る音はブライトのケープを引き裂き、飛び交う黒いプラーナはブライトの体を容赦なく叩いた。
ブライトは天井を這う配電パイプに目をやった。
ちょうどいい。
槍の嵐を躱して飛び上がったブライトは、プラーナを配電パイプの一点に向けた。
パイプの接合部分がきしむ。
異変に気付いた影が見上げた時には、すでに支えを失ったパイプが落下を始めていた。
なす術もなくパイプの下敷きになる影を見て、ブライトは少しだけ後悔した。
(弁償・・・・・・させられるかもな・・・・・・)
今だ戦いの渦中にありながら、ブライトはどこか間の抜けた思考をする。
落下したパイプの重量と切断面からの放電が、押しつぶされた影をこの世界から消滅させた。
運よく難を逃れた影が、仲間の残骸を飛び越えてブライトに襲いかかる。
敵は強大だ。
ブライトは足元に転がる瓦礫を掴みあげ、背面のガラス窓に投げつけた。
破裂音とともに飛び散ったガラス片が陽光を浴びてキラキラと輝く。
ブライトが左手を軽く振った。
ガラス片は一度空中で停止し、それぞれが最も鋭利な部分を前に向けて飛んだ。
勇み足で向かってくる影は、前方から迫る無数の刃の餌食になった。
が、盾を持った戦士と飛翔する悪鬼には通じなかった。
「諦めろ。貴様の運命は決まっている」
戦士が盾を掲げながら詰めてくる。
「しつこい連中だな」
ブライトは強がりながら周囲を窺う。
もはや戦いに利用できるものはない。
影は知力が高いのか、環境を利用した彼の2度の攻撃に万全の備えを敷いている。
ブライトは影を一睨すると、右腕をそっと突き出し手招きした。

「ここだね」
ブライトから遅れること20分。
コーテック駐屯地に降り立った2人は、魔力とプラーナの入り混じった空気を肌で感じた。
事態は思っていた以上に深刻かもしれない。
中空を飛ぶフェイトたちは、南塔の窓から一筋の閃電が漏れるのを見た。
「ブライトだ」
アルフが言った。
アメジスト色の光が2度3度閃き、その度に影の気配がひとつ減る。
「あッ!?」
突然、アルフは空中で停止した。
そして背後の北塔を見やる。
アルフが感じたものを、一瞬遅れてフェイトも感じ取った。
影だ。おそらく10体以上の影が北塔に出現した。
「アルフは北塔に行って。ブライトの援護は私がするから」
「だけど・・・・・・」
危険だ、とアルフは言った。
これまで戦ってきた中で分かったことだが、影の力にはその形態により大きなバラつきがある。
たとえば相手がサソリや、ゴムのように伸縮する腕を持つ人型なら大したことはない。
フェイトほどの力の持ち主なら、1人で数体同時に相手できるだろう。
しかし武具を手にした戦士は少々厄介だ。
武装している分、攻撃手段が多様なうえに、魔力をせきとめる盾が防御能力を向上させている。
アルフが心配しているのはそれ以上の脅威だ。
もしヒューゴやソルシアが現れたらどうなる?
主の身を想うと、やはり戦力を分散させるのは得策ではない。
アルフがもう一度、この点を指摘しようとした時、
「大丈夫だから、私を信じて」
とフェイトが真顔で言ったため、アルフは反論できなかった。
「分かったよ。北塔の奴らを始末したらすぐに応援に行くから」
ここでグズグズしている場合ではない。
フェイトが考えを変えないなら、アルフが変わるまでだ。
アルフは宙を蹴ると、超高速で北塔へ飛んだ。
それを見届けたフェイトは腰のベルトに固定されたものを確かめると、自らも高く飛翔した。
今、ブライトがたった独りで影と戦っている。
この戦いは彼にとっても彼女にとっても大きなターニングポイントだ。
「・・・・・・・・・」
フェイトは魔力とプラーナとを発散させている南塔を睥睨した。
疑念を確信に変えるときだ。

 ブライトと影の戦いの場は、いつしか通信室から司令室に移っていた。
数の差で迫る影に、ブライトは善戦しながらも後退を余儀なくされる。
(いた・・・・・・)
南塔にたどり着いたフェイトは複数の力の気配を感じた。
しかし彼女はすぐには援護に向かわず、おもむろに空を見上げた。
バルディッシュを掲げ、彼女は何事かを念じる。
金色の光がバルディッシュから迸る。
ドーム型に拡散した光が南塔を覆う巨大な結界となった。
今のフェイトなら、この程度の魔法に詠唱は必要ない。
フェイトはバルディッシュを待機状態に戻すと、悠然と塔に足を踏み入れた。
一方で影との戦いに全力を傾けているブライトは、フェイトが結界を張ったことに気付かない。
ましてや彼女がすでに塔内にいることなど――。
悪鬼の槍がブライトの脇腹をかすめた。
「・・・・・・ッ!」
咄嗟に身をひねったが、先端が彼の皮膚をわずかに裂いた。
血が滴り落ち、司令室の床に小さな水たまりを作る。
(ずいぶんと強くなったものだ・・・・・・)
この敵はブライトについての多くを知っているに違いない。
たとえば戦いの場にあっては、彼が見せる動きや隠しきれない癖の数々を。
相手は見切っている。
逆に彼は影を前にすると、得意の”読み”が全く通用しなくなっている。
それは影が強くなったからか、彼が弱くなったからか。
(どちらもだろう、が・・・・・・)
ブライトは両手の平にプラーナを集束させた。
「それを認めるわけにはいかないッ!」
魔法と同様、プラーナもまた術者の想いが威力に大きく影響する。
彼は全身の血をわき立たせるほどに激昂して閃電を撃った。
アメジスト色の光が悪鬼を灰にし、戦士の盾を撃ち抜いた。
1度目はこれでよかった。
だがブライトが再び構えた時には、戦士が彼の背中に斬りつけていた。
「うっ・・・・・・!?」
ブライトは振り向くよりも先にその場を離れた。
背中がわずかに痛む。
彼の怒気をはらんだプラーナに圧されたか、戦士の一撃はほとんど空を斬ったようだ。
――助かった。
とは思わなかった。
敵の攻撃が失敗に終わった事が、運のよさによるものだとは思いたくはなかった。
彼は運というものを信じない。
運がよければ彼はここにいないし、運が悪ければとっくに冷たい骸になっているハズだ。
ブライトは影の数を一瞬で数えた。
18体。
決して多くはないが、個々の強さが問題だ。
敵は素早く、強い。
ブライトは巧みにプラーナを放つが、この力はもはや相手を倒すものではなく身を護る防具でしかなくなっている。
(まずい・・・・・・)
逃げ場のない司令室に場を移したことが災いした。
四方から迫る槍と剣とが、彼の体を確実に傷つけていく。

 フェイトは結界が正常に機能していることを確かめると、南塔に踏み込んだ。
この結界には外敵の通過を妨害する以外に、アースラを含むあらゆる場所からの通信を遮断する能力がある。
通信を遮断ということは、つまりエイミィやリンディとの対話が不可能ということである。
そればかりかアースラからは南塔周辺の様子を探ることができない。
ここまでする必要はないハズだが、フェイトはためらうことなくそうした。
なぜか自分がこれからする事を、誰にも知られてはいけないような気がしたのだ。
彼女はまず通信室に行き、それから司令室に向かった。
魔力の移動した跡をたどったための道順だが、それにしても遠回りだった。
彼女が司令室に入った時には、すでにブライトは窮地に立たされていた。
司令室の入り口は一段高いプラットホームになっており、フェイトはやや俯瞰ぎみに戦いを見守った。
フェイトがあまりにも静かに――気配を隠して――入ってきたため、ブライトはおろか、
彼と死闘を演じる影ですら彼女に気付かないでいる。
ブライトが斬られた。
影の動きは俊敏に滑らかになっている。
しかも初期には見られなかった連携という戦術をも用いている。
そのために孤立しているブライトは迂闊に動くことができない。
戦士の振り下ろした剣をかろうじて避けるブライト。
そこに悪鬼の槍が突き出される。
このままでは彼が凶刃に倒れるのは間もなくだろう。
「ブライトッッ!!」
フェイトは腰のベルトに固定してあった”それ”を手に取ると、ブライトに向かって投げつけた。
金属製のそれは回転しながら宙を滑り、まるで導かれるようにブライトの手に収まった。
「これは・・・・・・!?」
ブライトは考えるよりも先に、それを起動した。
風を斬る唸り声とともに、グリップの先からアメジスト色の光刃が伸びた。
取り巻いていた影たちは突然の侵入者よりも、彼の手に燦然と輝く光の刃に惑った。
ブライトに最も近い位置にいた悪鬼たちが、槍をひっさげ踊りかかる。
が、今の彼は水を得た魚。
ムドラの民最大の武器を手にしたブライトは地を滑り、宙を舞って迫り来る影をことごとく斬り伏せた。
光刃の前には悪鬼の槍も戦士の剣も、武器とは成り得ない。戦士の盾と鎧はただの鉄くずに成り果てた。
アメジスト色の光が瞬き、影が消滅する。
「貴様・・・・・・ッ!!」
悪鬼は明らかに狼狽していた。
刃から発せられるアメジスト色の光が闇を照らす。
光を浴びた闇が断末魔をあげる。
影は光刃の恐ろしさを見て、後ずさった。
「調子にのるなよ。貴様など闇の前では何もできないことを教えてやる」
しばらく様子を見ていた戦士が剣を高々と掲げた。
それを合図に周囲でくすぶっていた悪鬼たちが、一斉にブライトめがけて踊りかかる。
光刃が一閃してまず前方の3体が沈んだ。
ブライトはグリップを両手に持ちなおし、力任せに振り下ろした。
アメジスト色の軌跡が戦士の体躯を真っ二つに割った。
この時、彼の背後から数体の悪鬼が迫っていた。
彼はそれには目もくれず、体を軽く捻った。
返す刃が悪鬼の胴体を二分する。
「ギャッ!」
悪鬼は死ぬ間際まで不気味な声をあげた。
ブライトは迫り来る影を前に、華麗なダンスを披露した。
影はただ数を恃みに愚かにも蛮勇を振るい、光の前に倒れていく。
それを見ていたフェイトはついに確信した。
あの勇ましい刃。
唸るような音。
そして彼の磨き上げられた剣技。
どことなくぎこちなさが残るが、あの身のこなしは間違いなく”彼”のものだ。
まるで流れの全てを見通しているかのような光刃の軌跡が、敵をなぎ払い、焼いていく。
あれを出来るのは彼しかいない。
アメジスト色の光刃と一体となった体捌きは、まさに「死の舞」キリング・ステップだった。

 

「あ、ブライト君!」
帰艦するなりエイミィが、激戦を切り抜けた3人を出迎えた。
「よかった・・・・・・途中で通信できなくなっちゃうし、様子も分からなかったから・・・・・・」
エイミィの口調と視線は、わずかながらフェイトへの怨嗟が込められているようだった。
「ごめんね、エイミィ。敵が多かったから、ああするしかなかったんだ」
彼女が突然、自分たちをも窮地に立たせてしまうかもしれない結果を張ったことを、アルフもずいぶんと責めた。
その時もフェイトは今と同じように理由を述べたが、もちろんこれは本意ではない。
フェイトはちらっとブライトを見た。
彼は無事の帰艦を喜ばず、ただ俯いているだけだった。
「まったく、心配させないでよね。それからブライト君も――」
冗談まじりのエイミィに、ブライトは小さく頷いた。
 3人はエイミィに促され、艦橋で指揮を執るリンディの元に向かった。
状況を報告するためだ。
「他のクルーにやらせればいいのに」
艦橋に着くまでの間、ブライトは何度もそう思った。
大体、被害状況を説明するだけなら、その場にいた1人がすればよいのだ。
民間協力者であるブライトは、当然その役目から外されるハズだった。
「失礼いたします」
ブライトとフェイトはほぼ同時に頭を下げた。
「お疲れ様。ブライト君、だいぶ無茶したようね?」
ところどころ破れているケープを見て、リンディが苦笑した。
「ええ・・・・・・」
黙っているのも悪いと思い、ブライトは相槌を打った。
3人は状況を簡潔に説明した。
駐屯地は潰滅。ただし施設設備は正常に稼働する。
局員に関してはほとんどが負傷しているものの、死亡者は出ていない。
これは北塔に向かったアルフが確認している。
北塔に退避した局員が近くの武器庫を守りつつ、影への抵抗を試みていたのだ。
アルフの到着が遅れていたら、死者が出ていたかもしれない。
「そう・・・・・・少ない犠牲で良かったわ・・・・・・」
この場合の犠牲はいくらかの出費だけで挽回できる。
「それにしても、フェイトさん。もうあんな危険な事しちゃだめよ?」
リンディはフェイトが独断でやった結界について咎めた。
母親に叱られた子どものように、フェイトは首をすくめてひと言、
「すみませんでした」
と言った。
リンディは再び苦笑し、
「分かればいいわ」
と言って、それ以上結界については触れなかった。
フェイトは多少、無茶をすることがある。リンディはよく分かっていた。
己の力もわきまえず、ただ蛮勇を振るうだけならリンディは厳しく叱責しただろう。
だが彼女には無茶をしても許されるだけの力がある。
単なる魔力という表面的な力に留まらず、人の心を惹きつける人格や物事を冷静に見る目がそれだ。
実際、彼女が起こす無茶な行動には全て意味がある。
リンディはそれを充分に分かっているが、提督としての立場上、咎めざるを得ない。

 10分後。
フェイトたちにとっては業務、ブライトにとっては拷問とも思える報告が終了した。
3人は多少の雑談を交えながら、アースラの長い通路を歩く。
「――まあ、そういうわけだけど・・・・・・あんたはどう思う?」
前を歩いていたアルフが肩越しに振り返り、ブライトに問うた。
アルフが単純なせいかも知れないが、幾多の戦いを経てブライトに対するアルフの嫌悪はなくなった。
端的に表わせば戦友ということだろうか。
今も彼女は自分の考えを述べ、それについての意見を求めている。
「僕も同じかな。時と場合によると思うけどね」
大した話題ではないから、ブライトも適当に答えておく。
ほどなくしてブライトの部屋が見えてくる。
話を打ち切ったブライトは軽く手を振ると、ドアを開けた。
「じゃあね。しっかり休んでおきなよ」
アルフはこんな軽口も叩けるようになっている。
「ああ、ありがとう・・・・・・」
ブライトはわざと疲れた風を装うと、後ろ手にドアを閉めた。
その瞬間、
(あとで私の部屋に来て)
というフェイトの声がひそかに送られた。
シェイドは一瞬、答えに窮したが、
(分かった)
とだけ言い、ベッドに身を埋めた。

 

 アルフと別れたフェイトは、質素な部屋の中央で静かに目を閉じた。
彼女の中では、これから起こる出来事が展開されている。
闇と対話する能力は失ってしまったが、”読む”ことに関してはまだ鋭利な感覚を残している。
フェイトは使い魔との精神リンクを完全に遮断した。
ここからは2人だけの空間だ。
秒針が時を刻む音を聞きながら、彼女は待ち続けた。
もうすぐだ。
もうすぐ来る。
「失礼するよ」
フェイトが長い瞑想から抜け出した時、ドアが静かに開いた。

(普通ならこういう状況は喜ぶべきなんだろうな)
ブライトはフェイトの部屋の前に立って、そんなことを考えた。
「失礼するよ」
礼儀として一声かけてから、彼はドアを開けた。
踏み込んだ瞬間、彼の鼻を甘酸っぱい香りが刺した。
(レモングラス?)
彼女らしい、とブライトは思った。
「ありがとう、来てくれて」
フェイトはそう言って彼に背を向け、数歩離れた。
「どうしたんだ? わざわざ僕を呼ぶなんて」
ブライトの背後でドアが自動的に閉じられた。
「うん・・・・・・あなたと少し話がしたいと思って」
「話? それなら別にここでなくても――」
ブライトは苦笑したがすぐにその笑みがひきつったものに変わる。
彼女が本気だったからだ。
ただの歓談のために呼びつけたのではない。
「訊いてもいい?」
フェイトが背を向けたまま言った。
「いいよ。僕に答えられることなら」
(だめだと言ったらどうするつもりだったんだ?)
フェイトが向き直った。
彼を見る彼女の瞳は、凛としているが端々に怯えのようなものが見える。
小さく息を吸い込み、フェイトが口を開いた。
「あの剣技はどこで習ったの?」
フェイトは真っ直ぐにブライトを見た。
「あれはアンヴァークラウン・・・・・・故郷にいた頃に教えてもらったんだ」
「誰に?」
「・・・・・・もちろん先生さ。ムドラには伝統的な剣技があるんだ。多分、今も大勢が習ってるよ」
ブライトはフェイトが次の言葉を述べる前にまくし立てた。
「それにしても助かったよ。どこで手に入れたのか知らないけど、あの時エダールセイバーが無かったら僕は危なかった」
フェイトが結界を張ったため、コーテック駐屯地で彼がエダールセイバーを振るったことを知っているのは、この2人だけだ。
「・・・・・・・・・」
沈黙だった。
ブライトは話し終え、フェイトもまた口を開かないために物音ひとつしない。
長引く静寂を破ったのはブライトだった。
「ごめん・・・・・・少し疲れているみたいだ。悪いけど、話ならまた別の日にしてくれないか?」
そう言ってブライトはわざとらしく額を押さえると、部屋を出ようとした。
「待って!」
もうひとつ訊きたいことがあるんだ、と言ってフェイトは呼び止めた。
「影のこと・・・・・・あなたはどう思う?」
ブライトは小さくため息をついた跡、短く答えた。
「野放しにしておけない存在だよ。このままじゃ闇が全てを覆ってしまう」
口調は力なく、しかし固く意志を貫こうと決めた者が発する覇気が感じられた。
「ブライト」
妙にハッキリした口調で彼女が呼んだ。
「あなたは・・・・・・あのパレードを見ていたの?」
「なんだって?」
ブライトが眉をひそめた。
何を言っているんだ。
不意に話を変えたのにも驚いたが、このタイミングでパレードだって?
「パレードって・・・・・・?」
「魔導師とムドラの和平を約束したパレードだよ」
「いや・・・・・・最近までずっとアンヴァークラウンに住んでいたから、見てないよ」
一体どういう質問なんだ。
回答を拒否する理由がないから答えているが、彼女の問いにはまるで意味がないように思われる。
そう思っていると、彼女はまたしても妙な質問をした。
「じゃあ私のことも知らなかったんだね?」
「ああ、和平の使者であるきみのことを知らなかったのは恥ずかしいことだけど・・・・・・。
正直、あの時会うまで名前すら知らなかったよ」
ブライトは面倒くさそうに、しかしくどいほど説明した。
中途半端な答え方をして、後であれこれ追求されるのはゴメンだ。
フェイトは何か考えているらしく、それ以上彼に問うことはなかった。
チャンスだ。
「じゃあ僕はこれで――」
ブライトは半ば強引に話を切り上げた。
部屋を出ようと彼は踵を返して、壁のコントロールパネルに手をかけた。
その背中に向かって、
「――シェイド」
彼女は彼の名を呼んだ。
「・・・・・・・・・ッ!!」
ブライトは何もできなかった。
何も言えなかった。
体が焼けるように熱い。
呼吸ができない。
「・・・・・・・・・」
全身の血が一気に駆け巡り、彼から冷静さをことごとく奪った。
(何と言った・・・・・・?)
ブライトは渇いた喉から声を出そうとした。
(きみは・・・・・・今、何と言ったんだ・・・・・・?)
だが声にならない。
見えない力が彼のあらゆる行動を制しているようだった。
思考が追いつかない。
ブライトはパネルにかけた手を力なく下ろした。
「あなたなんでしょ――?」
フェイトは静かに言った。

 

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