第16話 喪失点
(ついに”本体”の居場所を突き止めたブライトは、フェイトたちと共に闇を払うために最後の戦いに赴く)
金色の光刃がうごめく闇を斬り、光を与える。
何者も彼女たちの進行を阻むことはできない。
「まったく、しつこい奴らだね!」
からくも宮殿を脱した2人を待っていたのは、おびただしい数の悪鬼の群れだった。
「もう少しの我慢だよ。ブライトが必ず”本体”を倒すから」
「そうだといいけど・・・・・・ねっ!」
フェイトはそう言うが、心なしか影の力がこれまで以上に増している気がする。
一刻も早くアースラに帰艦したいところだが、影に囲まれているためにそれができない。
アルフが大きく飛び上がって拳を打つ。
この直撃を受けて戦士が地面に叩きつけられた。
すぐに追撃をかけようとした俯瞰したアルフは、彼方に少女の姿を認めた。
「あれは・・・・・・?」
背後から迫る悪鬼の槍を軽くいなし、アルフは地上に降りた。
「フェイト、なのはがいる!」
彼女からやや離れて戦っていたフェイトは、驚いた顔でアルフを見た。
「まさか・・・・・・」
剣撃の合い間を縫って視線をすべらせたフェイトは、たしかに向こうになのはの姿を見た。
桜色の光刃がここからでもハッキリと見える。
(どうやってここまで?)
という疑問が一瞬かすめたが、孤戦しているなのはを助けなければという思考がそれを打ち消した。
光のほとんど見えない惑星NECTORにふたつの光が見える。
フェイトは光刃一振りで3体の悪鬼を斬り捨てると、一足飛びになのはの元へ向かった。
それを見ていたアルフも包囲網をかいくぐり、なのはの救援に向かった。
「なのは!!」
少女の目の前でバルディッシュが瞬く。
「フェイトちゃんっ!」
親友の勇姿に元気づけられたのか、なのはのレイジングハートもより強い光を放つ。
「どうしてここに?」
「フェイトちゃんを追ってきたの。闇を倒せるかもしれないんでしょう?」
レイジングハートから発せられた桜色の光刃が、数で攻めて来る悪鬼たちをことごとく斬り伏せていく。
フェイトはなのはからやや距離をとって影を迎え撃つ。
「驚いたね。なのはがいるなんて」
遅れてやってきたアルフもフェイトと同じようなことを言った。
「アースラは大丈夫なのかい?」
というアルフの問いに、なのはは、
「うん、もう終わったよ」
と答えた。
その返し方に疑問を抱いたフェイトは戦いの最中、ちらりとなのはを見やった。
バリアジャケット、デバイス、姿、声。
どこを見てもなのは本人だ。
その証拠になのはは愛杖・レイジングハートで敵を斬り裂いている。
フェイトはもう一度、なのはを見た。
彼女は2体の悪鬼を相手に光刃を巧みに振るう。
「そいつから離れろッ!!」
叫び声にフェイトとアルフは闇の中に光明を見出したように鼓舞された。
「ブライト!!」
超低空から滑り降りてきたブライトは、フェイトとなのはを分断するように降り立った。
そしてすぐさま光刃をなのはに向ける。
「ブライト?」
「こいつはなのはさんじゃない!
ブライトは肩を激しく上下させながら、なのはに詰め寄る。
「見ろ」
ブライトがなのはの足元を指差した。
それを見たフェイトとアルフはほとんど同時に声をあげた。
なのはの地につけた足からは、あるハズのものが伸びていない。
影だ。
彼女には影がない。
「面白くない奴だ。もう少しで始末できると思っていたのによ」
なのはの姿をした影は、体をくねらせると悪鬼の姿に戻った。
「やっぱりな。お前たちの考えそうなことだ」
悪鬼の持っていたレイジングハートは槍だった。
ブライトは突き出された槍を難なく躱すと、エダールセイバーで悪鬼の喉を一突きにした。
「ブライト・・・・・・良かった、無事で・・・・・・」
まだ敵が残っているというのに、フェイトは珍しく感情を露にした。
「ありがとう」
ブライトもまた感謝の言葉をストレートに述べた。
「”本体”はどうなったんだい?」
アルフが訊いた途端、ブライトの顔つきが厳しくなった。
「ああ、それがな・・・・・・」
彼はここで言葉を一度切り、自分たちを取り囲んでいる影を斬りはじめた。
掃討には数分を要した。
影を一撃で叩き伏せられるのはフェイトとブライトだけだ。
2人は競うように影を斬り、その力を存分に知らしめた。
終わった頃には3人とも額に汗を浮かべていた。
「さっき途中になったけど、”本体”は?」
アルフは答えを聞きたくてウズウズしている。
「僕たちのすぐ近くにいた」
彼の言葉はフェイトとアルフを大いに驚かせた。
「近くって?」
「厳密には――やはり僕が睨んだとおりアースラの中さ」
心当たりのあるフェイトは目を伏せた。
気付くチャンスはいくらでもあった。
哭礼の日、自分に語りかけてきたのは、”本体”だったのではないか。
「もうひとつ。そいつは僕たちがよく知っている人物を宿主に寄生してる」
アルフは呼吸が止まったのを感じた。
「誰――?」
ここまで来たらフェイトには見当がついている。
彼女が今できるのは訊ねることと、答えが予想とかけ離れていることを祈ることだけだ。
「さっき見ただろう」
吐き捨てるような口調にアルフはイラだった。
「ハッキリ言いなよ。いったい誰なんだい?」
ブライトはあえてアルフを直視して言った。
「なのはさんだ」
アルフは信じられないという顔をした。
フェイトはやっぱりという顔をした。
「まさか・・・・・・」
「闇を相手に”まさか”なんて言葉に意味はないよ。”本体”はおそらく、ずっと前からなのはさんの傍にいたんだと思う」
フェイトは思った。
闇は初めからなのはに寄生して彼女を冒し、自分と戦わせるように仕向けたのだ。
なのはやフェイトが脅威であることを知っていたから。
これはブライトがシェイドだった頃、彼が使っていた手段でもある。
そのことにフェイトはおろか、ブライトですらも気付けなかった――確信が持てなかった――という事実。
直感を信じるべきだったとフェイトは自分を責めたがもう遲い。
問題がある。
ブライトが”本体”の居場所を知った事を、”本体”が知っているかどうか。
もし知っていたら、事態は最悪の方向に向かう。
「戻ろう。とにかく急いで戻るんだ」
ブライトはクレリックについては何も問わなかった。
そのことが少しだけ気にかかったフェイトだったが些細なことだ。
3人は円陣を組んだ。
時間がない。
闇を祓わなければならない。
その一心で3人はアースラに跳んだ。
対決の時は近い。
ブライトは思った。
3人は一度、惑星ラダに戻りそこからアースラへと跳躍した。
その途中、敏感なアルフがまず異変に気付いた。
闇が濃くなっているのだ。
目に見える変化ではない。
大気の中に小さな小さな黒い粒子が溶け込んでいるのだ。
この粒子は影にとって一種の強壮剤となっている。
粒子を吸い込んだ影は、自分がこの世で一番強いと思うようになる。
逆にこれを吸い込んだ人間は、陰鬱な気持ちにさせられ生きる気力を失う。
「なんだかイヤな感じだね」
アルフが不快そうな顔をした。
「ああ・・・・・・」
相槌を打ったブライトは別のことを考えていた。
この艦のどこかに”本体”がいる。
そう考えただけで体が熱くなる。
フェイトは眉をひそめた。
自分たちが戻ってきたというのに誰も注意を払わない。
というより人の気配がない。
アースラを離れていた数十分の間に、ひとり残らず消えてしまったような感じがした。
しかし実際にはそうではない。
今も多くの局員が神出鬼没の影と戦っている。
(なのは、どこにいるの?)
フェイトは思念を送った。
普通ならすぐに来るハズの返事が数秒待っても返ってこない。
「いないのか?」
「分からない」
フェイトがかぶりを振ると、ブライトが壁に手を添えて何かを唱えた。
すぐに彼の頭の中に粒子で構成されたアースラの全容が浮かび上がる。
あちこちで戦闘が行われているらしく、粒子は激しく乱れ飛び、細部が視えてこない。
「おかしい・・・・・・なのはさん、ここにはいないみたいだ」
「どういうことだい?」
「さあ・・・・・・」
ブライトが首をかしげた時、3人の頭にクロノの声が響いた。
(どこにいたんだ! 勝手な行動はするなとあれほど――)
(クロノ! なのはは? なのははどこに行ったの!?)
怒鳴ったつもりが逆に怒鳴りつけられ、クロノは言葉に詰まった。
(アルテアの受信施設が襲撃を受けた。今、なのはとユーノが向かってる)
「受信施設・・・・・・」
ブライトはパッと顔をあげた。
「そうか! 本部とアースラの連絡を断つのが狙いか!」
「どうしたんだよ、急に大きな声出して」
「ラダの時もそうだったけど、あいつら、通信施設のある星ばかり襲ってる。たぶん管理局の通信網を分断して、艦を孤立させるつもりなんだ」
(ブライトか? なんでそう思うんだ? きみは――)
3人はすでに走っていた。
(クロノ、ごめん!)
(あ、おい、ちょっと・・・・・・!!)
クロノとの思念通話を無理やり切ると、3人はゲートに向かう。
「いいのか、きみたち。勝手なことして、後で怒られないか?」
ブライトが問うとアルフが笑い飛ばした。
「こんな事、しょっちゅうだよ。今さら気にしてたってしょうがないしね」
フェイトは頷いた。
「それに私たちにはそうしなければならない理由がある」
クロノ率いる武装隊がいれば、アースラは大丈夫だろう。
気がかりはなのはと、彼女のそばにいるユーノだ。
何としてもこれで終わらせたいと想うブライトは、腰にさげたグリップの位置を確認した。
闇を相手に戦うには、行動の全てが後手になることを覚悟しなければならない。
ブライトにはその覚悟ができていたが、フェイトとアルフはその認識がやや甘かったといわざるを得ない。
降り立った3人の前には昏倒した十数名の局員たち。
魔力を失っただけの者もいるが、中には命を落とした者もいるようだ。
フェイトはそれらから目をそむけた。
アルテアは第7太陽から近く、一日の日照時間が長い。
にもかかわらず影が姿を見せたのは、やはり巨大な通信施設があるからだろう。
ここは管理局の通信網の要で普通、本部から各艦に情報を伝達する際はまずアルテアを経由する。
アルテアは集束した情報を周辺に散らした衛星に送り、その後何度か衛星を経由して艦に届くようになっている。
「考えたな」
ブライトはつぶやいた。
アルテアを潰しておけば本部からの情報は航行中の艦にほとんど届かなくなる。
つまり影の総攻撃を受けた本部が各艦に援護を要請しても、その要請はむなしく宇宙空間を漂うことになるのだ。
(ということは、奴らはじきに本部を襲うつもりなのか?)
ブライトには次第に闇の動きが読めてきた。
まずアルテアを潰して管理局の通信網を断つ。
そうして孤立した本部に闇が攻撃をしかけ、これを落とす。
本部を支配下に置き、今度はアルテアを復旧させて通信網を回復する。
ここまでくれば闇の勝利はほぼ確実だ。
後は本部局員になりすました影が航行中の艦にデタラメの情報を送り、自滅させるなり誘き出したところを叩くなりすればいい。
(僕も以前、そういうことを考えたからな・・・・・・)
意志を固めた3人は施設の扉をくぐる。
戦闘はすでに終わっていた。
全ての局員が昏倒し、しかも影の姿が見えない。
勝負は引き分けに終わったようだ。
いや、違う。
このままでは闇の勝利だ。
しかしブライトたちがそれを覆しに行く。
「この奥みたいだね」
不気味なほど静まり返った廊下を進んだ3人は、突き当たりの鉄扉を前に立ち止まった。
ハッキリとはしないが、この奥から邪悪な念を感じる。
「これが最後だ。”本体”さえ倒せばすべて終わる!」
ブライトが拳を握りしめた。
「ああ、そうしたらブライト、分かってるだろうね?」
「・・・・・・?」
挑戦的なアルフの視線に、ブライトは首をかしげた。
「あんたの正体、教えてくれよ」
そう言ってアルフが無邪気に笑った。
それを見たブライトも笑みを浮かべ、
「ああ・・・・・・ああ、いいとも」
と短く返した。
「行くぞ――」
ブライトは2人の返事を待たずに扉を開けた。
扉を開けて入ってきた3人を見て、少女と少年はまず驚いた。
一方で3人は間に合ったと安堵した。
制御装置が壁一面を埋め尽くすこの大部屋で、なのはとユーノはちょうど最後の影を倒したところだった。
”間に合った”とは2人が健在であることを言う。
「あ、フェイトちゃ・・・・・・」
「ユーノ、今すぐなのはから離れて!」
フェイトが鋭い視線を2人に向ける。
(それはまずいぞ)
彼女の大胆な行動にブライトは焦った。
ユーノがなのはの傍にいる時に、なのはが”本体”だと匂わせる発言はまずい。
気付くかどうかは分からないが、”本体”がユーノを人質にとるかもしれない。
ユーノはきょとんとした顔でフェイトを見ている。
なのはは・・・・・・ユーノに背を向けてうな垂れている。
どうすべきかブライトが逡巡していると、横を誰かがかすめた。
アルフだ。
2人の間に割り込むように体をすべりこませ、彼女はユーノを抱かえて部屋の反対側まで駆けた。
「ちょっ!? アルフ、いったい――?」
アルフは答えず、代わりにあごをしゃくった。
振り向いたなのはは、ちょうどフェイトとブライトを正面に見据えた向きで直立している。
ブライトは何を思ったかエダールセイバーを抜くと、床に突きたてた。
淡いアメジスト色の光が先端から床をつたい、壁を這い上がり、天井を覆った。
その間、彼はなのはから一度も目を離さなかった。
フェイトはちらっとブライトを見た。
どちらが詰めるか? と問う視線だった。
ブライトが前に進み出る。
「なのはさん、きみに自覚があるかないかは別にして――」
彼は可能な限り感情を殺して叫んだ。
「そこから出て来いッッ!!」
フェイトもエダールモードを起動した。
2人の光刃はなのはの陰に隠れる闇に向けられている。
「彼女を盾にしているようだがムダだ。姿を見せないなら・・・・・・彼女ごとお前を斬る」
フェイトは無表情を装ったが内心は慌てていた。
ブライトの台詞はハッタリだろうが、それでも”本体”が姿を見せないなら本当に斬るかもしれない。
今の彼はただ、闇を祓いたいという一心で動いている。
存在していると言い換えてもいい。
本来の彼は目的のためなら手段を選ばない非情さを持っている。
犠牲者の勘定をブライトがしている可能性もあり、”本体”さえ倒せば今後誰ひとり犠牲者が出ないという結論に至れば、
なのは1人を斬ってでも闇を葬ろうとするのではないか。
フェイトは身構え、ブライトが早まらないように観察する。
「アルフ、これ・・・・・・どういうことなんだ? なのはがどうかしたのか?」
事情が分からないユーノはもどかしく感じた。
「あいつが・・・・・・正確にはなのはに取り憑いてる影が”本体”なんだ」
「・・・・・・?」
「つまり影の親玉さ。あいつさえ倒せば闇は消えるらしいんだ」
アルフはなのはから視線を外さずに言った。
当のなのはは黙ったままだが、それがかえって不気味さを増している。
その彼女がおもむろに顔をあげた。
「ねえ、ブライト君。いったい何の話をしてるの?」
「――ッ!」
「姿を見せるって? 私は私だよ?」
出てくるつもりはないのか・・・・・・。
ブライトは光刃を振り上げた。
フェイトが踏み出した足に力を入れる。
が、周囲を取り巻く空気に変化があった。
「フェイトちゃんもブライト君もひどいよ。どうして私を悪者にするの?」
声質も口調もなのはのものではない。
「本当にひどいね。あなたたちの方がよほど私たちに近いな」
言い終えたなのはの影からもうひとつ、別の影が床を這うように伸びてきた。
影は小さな渦を巻きながら今度は上に伸び、徐々にその姿が明らかになってくる。
フェイトはアルフとユーノを見比べ、すぐに叫んだ。
「ユーノ! なのはを連れてここから離れてッ!!」
なのはと”本体”とが分離した今、やるべき事はハッキリしている。
頭数からいってもアルフとユーノ、どちらかが残ることになるがユーノの繊細さからすると”本体”との戦いに集中できない危険がある。
さらにいえばなのはとユーノを近づけておくことは2人を守ることにもなる。
が、ユーノはすぐに動けなかった。
未だに事態を把握できていないことと、展開の速さに混乱している様子だ。
一刻の猶予もない。
「ユーノッッ!!」
アルフも叫んだ。
彼女はユーノを奮い立たせるように背中を強く押した。
「あ、ああ、分かった・・・・・・!」
ほとんど何も分かっていないのだが、なのはに起きた異変を見る限りではフェイトたちに従うのが賢明だ。
自身に潜む影を吐き出したなのはは、覚醒しているのか眠っているのか分からない表情で直立している。
彼女に意識はないかもしれない。
影はもう間もなく実体化する。
ユーノはこれまで見せた事のないスピードでなのはを抱えると、躊躇することなく3人が入ってきた扉に飛んだ。
彼にしてみれば、闇を打ち倒したいというより、なのはを安全な場所に連れて行きたいという気持ちが強かったようだ。
ユーノの腕の中で、なのはの体が糸の切れた操り人形のように崩れ落ちた。
それによってユーノもバランスを崩し、退避が遅れる。
闇はこの一瞬の隙を衝いた。
先ほどブライトが部屋中にめぐらせた光のカーテンを、今度は闇が覆い尽くす。
黒い職種が真っ直ぐに伸び、扉を幾重にも囲い込む。
「あっ!」
ユーノが叫んだが遅い。
この部屋と外とをつなぐ唯一の扉は今、最後の闇によって閉ざされた。
しかしブライトにもフェイトにもアルフにも、それをどうにかすることはできなかった。
なぜなら彼らの目の前には、倒すべき影が具現化していたからだ。
「役立たずどもめ。やはり私が裁くしかないようだ」
冷たく言い放ったのはまぎれもなく”本体”だ。
しかしその姿はブライトやフェイトが予想していたものとは大きく乖離していた。
艶美な肢体と知性的な表情の女性。
冷たい瞳は影に共通した性質だ。
しなやかな体は、彼女が闇でなければ多くの男が振り向き虜にされたであろう。
「お前か――」
ブライトは短く言った。
”本体” ”主”
これまでそう呼ばれてきたが、彼女にも名がある。
”ダートムア”
闇の一部分を切り取り、それぞれに名前をつけることに意味はない。
名は個を識別するための記号でしかなく、個がひとつの全体を構成する闇にはそもそも区別の必要がないからだ。
しかし世界を覆い、闇の中で頂点に立つべきダートムアには名が必要だろう。
フェイトはなのはたちを庇うように移動した。
アルフは反対側からダートムアを挟撃する構えを見せる。
「ムダなことだ。闇の前に全ては無力だ・・・・・・光でさえも――」
暗く冷たい女性の声。
(・・・・・・やっぱり)
フェイトはこの声を聞いて確信した。
哭礼の日、自分に語りかけてきたのは彼女だ。
やはりあれが”本体”だったのだ。
「理由は訊かないよ・・・・・・あなたを・・・・・・」
フェイトがバルディッシュを握りしめ、一歩踏み込んだ。
「倒す!!」
彼女らしくない言葉だった。
なのはの意識が戻っていたら、まず対話を試みただろう。
「闇の支配はすでに始まっている。お前たちがいくらあがこうと結末は変わらない」
ダートムアは嗤った。
シェイドの支配欲を存分に吸い込んだ闇は、ダートムアの体を借りてその野心を満たそうとする。
「ずいぶん強気じゃないか」
アルフは挑戦的な視線を向ける。
彼女は少々のことでは動じない強さを持っている。
「愚か者どもめ。闇の恐ろしさを教えてやろう」
ダートムアは床を蹴って宙返りを打つと、ブライトの前に降り立った。
「・・・・・・・・・」
真の闇に直面すると人はこうなるのだろうか?
ブライトはダートムアを前にまるで魅入られたように、その暗い顔を見上げていた。
足はかろうじて後退しているが動きは重く、彼はつまずきそうになった。
ダートムアが右腕を振り上げた。
「ブライトッ!!」
大きく吹き飛ばされた彼はフェイトの声と、胸に走る痛みに我に返った。
「・・・・・・ッ!!」
ブライトの視界を赤いものが覆った。
炎だ。
胸の焼けるような痛みはこの炎によるものだったのか。
ブライトは見た。
ダートムアの指先から鮮血がしたたり落ちる。
その血液が床に触れた瞬間、小さな火柱をあげたのだ。
金色の光刃を振り上げてフェイトが跳んだ。
「・・・・・・・・・」
ダートムアは面倒くさそうにフェイトに向き直ると、先ほどと同じように右腕を振り上げた。
指先からおびただしい血液が飛び散り、フェイトの視界を遮る。
「くっ・・・・・・!」
フェイトは中空でブレーキをかけると、かろうじてそれを避けた。
標的を失った血液は背後の壁に張り付き炎上した。
(厄介だな・・・・・・)
ブライトが体にまとわりついた小火を払いのけた時、今度はアルフが挑んだ。
フェイトに気を取られ、ダートムアはアルフに背を向けている。
(よしっ!)
エダールセイバーを持ち直したブライトは、ダートムアの注意をひきつけるために大きく跳んだ。
が、ダートムアはそれには目もくれず振り向いた。
「しまっ――」
勢いのついたアルフは無防備な体勢で躍り出てしまう。
その時、風を斬る音がしてアメジスト色の閃光が走った。
腕を振り上げようとしたダートムアの右肩を光刃がかすめた。
「お前がッ!!」
ダートムアの右肩から血液が噴き出した。
「うわっ!?」
ブライトの眼前を炎が遮った。
(こいつ、闇のくせになんで血が?)
「食らえ!」
よろめいたダートムアにアルフの拳が突き刺さった。
予期せぬ攻撃にダートムアが吹き飛ばされる。
「大丈夫かい?」
「ちょっと火傷した・・・・・・」
体勢を立て直したブライトは慌てた。
(いない・・・・・・?)
アルフやフェイトも見失ってしまったようだ。
「あいつ、どこに行った?」
床では残り火がまだくすぶっている。
「上だ!!」
なのはを抱えたままユーノが叫んだ。
咄嗟に見上げる。
ダートムアは天井に逆さに立っていた。
肩からしたたる血液が床に落ちて燃えた。
「アルフ、2人をお願い」
フェイトが扉にもたれるようにして立っているユーノを見やった。
「・・・・・・分かった」
アルフが走り、フェイト、ブライトは互いに距離を空けつつダートムアに詰め寄る。
「諦めろ。僕がいる限り、闇の支配はない」
ブライトは光刃を下に向けた。
「諦めろ? 愚か者め。お前にはもう力はない。私を止めることはできない」
「なら私が止める」
フェイトが強い口調で言った。
ダートムアは下を見上げてフェイトを睨みつけると、ブライトに似た笑みを浮かべた。
「無駄だ。闇を恐れないお前は闇の深さを見たことがない・・・・・・」
ダートムアは地上に降り立つと、2人を見た。
この冷たい女性の眼を直視したブライトは目眩を覚えたが、フェイトはやはり動じない。
それを空気で感じ取ったブライトはフェイトを頼もしく感じた。
しかし、なぜ?
闇を祓うという強い意志でここまで来た彼が、なぜ最後の最後で立ち止まるのか。
まさか真の闇に恐怖したというのだろうか。
(違う。闇への恐れじゃない。僕が恐れているのは――)
フェイトがバルディッシュを振り上げた。
金色の光が弧を描いてダートムアを斬り裂いた。
胸を横一文字に裂かれたダートムアは、しかしよろめくこともなくフェイトの首を掴もうと手を伸ばす。
ブライトがその腕を斬ろうと地を蹴った。
「うあっ!」
ブライトは見誤った。
ダートムアは伸ばした腕を大きく払い、血液を散布したのだ。
血液が赤く赤く燃え上がる。
ブライトは全身に文字どおり焼けるような痛みを感じながら、エダールセイバーを振るった。
切っ先からダートムアを斬った感触が伝わってくるが、視界を炎に覆われて確かめることができない。
ブライトは慌ててその場から離れた。
まだ終わっていない。
彼はそう直感した。
「いったい、どういうつもりだ!」
前後左右、あらゆる方向から出現する影を相手にクロノは憤った。
フェイトたちが戻ってきたと思ったら、アルテアに向かったなのはたちを追いかけて行った。
「こっちだって手いっぱいだっていうのに!」
なのは、ユーノの抜けた穴をフェイトたちが埋めてくれると思っていたクロノは怒るしかなかった。
「何人か機関部に回ってくれ!」
「第4小隊、向かいます!」
「きみたちは艦尾の敵を頼む!」
「了解しました。ライオス少尉が援護を要請していますが?」
「僕たちはここから動けない! 療養中の局員で動ける者がいたら出るように言ってくれ!」
「了解!」
各隊に的確に指示を出しながら、クロノ自身ももう数え切れないほどの影を屠った。
今も彼の前には黒いクモとコウモリが行く手を遮るようにわだかまっている。
『”Orbital Cube”』
クロノの周囲に4個の球体が浮かび上がる。
『”Open Fire”』
S2Uの声に呼応して球体が輝き、威力を伴なった光の矢が次々と撃ち出された。
影の中でも下級に位置するクモが体を貫かれ、断末魔の叫びをあげて沈んでいく。
敏捷性に富むコウモリも狭所での戦いでは機動力を封じられるため、この矢の嵐から逃れるすべはなかった。
「お見事です、クロノ執務官」
彼が率いていた隊から賛辞の声があがる。
誉められて悪い気はしない。
が、今は賞賛の声に溺れている場合ではない。
クロノの直下の局員は片手で数えられるほどしか残っていない。
戦況は不利だ。
これは局員なら誰も感じ取っている事実だ。
「艦橋に行こう。それと通信室、この2ヵ所は何としても守りきれ」
闇についてほとんど無知な彼でさえ、要所かどうかの判断はすぐにできた。
大規模な攻撃を受けている以上、各艦と連絡を取り合う必要があった。
艦橋はリンディと数名の武装隊が守っているのみだし、通信室には逃げ遅れた文官がいるとの情報もある。
(せめて、なのはかフェイトがいてくれたら・・・・・・!)
クロノは強力な魔導師が奇跡的に集まっているこのアースラの、脆弱性を見た気がした。
今のアースラはあの2人で成り立っているのではないか。
敵が強すぎるからなのか、局員だけで対応できる事件は極めて小規模なものばかりだ。
彼自身、闇との戦いには2人の力に頼りきっている部分があった。
これが焦りとなれば、彼の持ち味を殺す刃になりかねない。
クロノは自分を奮い立たせると艦橋に向かった。
「なのは・・・・・・」
ユーノの腕の中で、なのはは死んだように眠っている。
室内の温度はダートムアが振りまいた炎のせいでかなり上昇している。
なのはを安全な場所まで避難させようとユーノは辺りを見回したが、唯一外とつながっている扉は黒い力で封じられている。
「アルフ、これはどういうことなんだ? どうして、なのはが・・・・・・?」
ユーノはダートムアの姿に恐怖した。
あんなものが、なのはの中にいたというのか。
「私もよく知らないんだ。ブライトはあいつが”本体”だって言ってる。あいつさえ倒せば闇は消えるって」
「そうじゃない。そうじゃなくて、どうしてあんなのが、なのはの中にいたんだ?」
部屋の中は無風だというのに、なぜか火の粉はこちらに飛んでくるような気がした。
ユーノは防御魔法を展開しようとするが、その手をアルフが止めた。
「だめだ。そんな事したらあいつに気付かれる」
ダートムアの注意はフェイトたちが引き付けている。
というより、あの2人でなければダートムアは倒せないだろう。
アルフは先ほどのわずかな攻防でそう感じた。
闇の”本体”だけあって、ダートムアという存在の大きさは恐怖心となって現れる。
なのはがこんな状態でなければ、5対1と数で押すことができた。
しかし現状ではユーノがなのはの傍についている必要があり、もしダートムアがフェイトたちを振り切ってなのはだけを狙ってきた場合、
彼だけではそれを防ぐことはできない。
結果的にアルフもここに留まることになるが、この選択は間違いではないだろう。
むしろ”本体”がなのはから離れたことを幸運に思うべきだ。
ブライトはたった1体の影を前に攻めあぐねていた。
近づけば大量の血液を浴びる。
といって離れれば勝負にならない。
これまでの経験から、首を斬れば消滅すると思われるが、相手は”本体”だ。
そう簡単に弱点を衝かせてくれるとは思えない。
こんな時でもフェイトは希望を捨てていないのか、瞳には強い光が宿っている。
彼女もあの血液を何度か浴びている。
その度に邪気を帯びた炎に包まれているハズだが、彼女は痛みを感じずにすむ方法を心得ているのか。
今もバルディッシュをしっかりと握り、その構えには迷いも乱れもない。
「あなたたちは沢山の人を傷つけた。多くの人を巻き込んだ・・・・・・。あなただけは絶対に許せない」
フェイトの言葉にブライトは胸が締めつけられるような思いがした。
闇のしている事はそのままシェイドだった頃の自分に当てはまる。
ひとつの目的のためには手段を選ばない非情さが、確かに多くの無辜の民を巻き込んだ。
闇のほぼ全てがそのままシェイドを――つまりはブライトを――克明にコピーした存在であると、フェイトは気付いているのだろうか?
彼女の闇への非難は、飾ることも隠すこともなくブライトに突き刺さる。
その事について言い逃れをしたりごまかしたりするつもりはなかった。
もともと死んだハズの自分が戻ってきてまでやるべきことは、闇を祓う――つまり自分の犯した罪に対するせめてもの贖罪だ。
フェイトの言葉は甘んじて受け容れなければならない。
「許さない? お前がどう思おうと結果は変わらない。この世界のあらゆるものは闇に覆われる。そして闇が全てを支配する」
ソルシアもそうだったが、闇は表現を変えて同じことを何度も言っている。
闇が全てを支配する。
その先については一切触れていないし、そもそもこの言葉自体に具体性がない。
だから誰もが、闇が何を目指しているのか分からず、ただ影の出現によって人が傷つけられる結果だけが色濃く残ってしまう。
目的の見えない殺戮、というのが影について知りえない者が抱く印象だ。
その不気味さと残忍さが恐怖心を増し、闇は恐ろしいほどのスピードで増殖していく。
闇の意図がはっきりしない理由もやはりブライトにある。
シェイドには魔導師への復讐と、ムドラの復活という明確な目的があった。
そしてその延長線上には、”ムドラによる世界支配”も含まれていた。
ただし、そこまでだ。
ムドラが世界を支配した後、どのような世界を構築するかまではシェイドの計画には無かった。
それを計画する前に彼は死んだ。
独断的で視野が狭く、しかも魔導師への憎悪とともに育ってきた彼にそこまで先を考える余裕がなかったのかもしれない。
彼が描けなかった未来を、彼のコピーに描けるハズがない。
しかしこれは闇が、具体的な発言をしないことに対する理由でしかない。
これは影との戦いを経験してきたフェイトたちなら実感していることだが、闇は確実に成長している。
それも恐ろしい速度でだ。
最初に影が確認されてから数日で、局員の力は影に及ばなくなった。
さらに数日すると影の強さはフェイトたちに匹敵するまでになった。
闇が成長するのなら、思考も成長するに違いない。
(まさかとは思うが・・・・・・)
闇はもしかしたらブライトにも想像がつかないような未来を描いているかもしれない。
もしそうだとしたら、少なくとも闇の精神レベルでの成長はブライトを超えたことになる。
「で、支配した後はどうするんだ?」
彼はためしに訊いてみた。
どうせここで闇との戦いを終わらせるのだ。
何を言っても、何を訊いてもこちらに不利になることはない。
「闇の世界を創る。光の存在しない、完全なる闇の世界だ」
相変わらず抽象的なことしか言わない。
(結局、その先は考えていない・・・・・・考えられないということか)
ブライトは軽く息を吐いた。
その先がどうであれ、放っておけばこの世界に生きるあらゆる生物が死ぬことに変わりはない。
「お前たちの絶望する様を見せてもらおう。まずはお前からだ」
ダートムアはフェイトを指差した。
「お前の最も親しい者が死ねば、お前はきっと悲しむに違いない。たとえば――」
含みのある笑みを浮かべてダートムアはなのはを見た。
その視線は正確にはアルフを捉えていたのだが、それを外から見ていたブライトはダートムアがなのはの死を仄めかしたように感じた。
「母親となるであろう者と、お前が最も信頼する者・・・・・・」
これはリンディとなのは、あるいはリンディとブライトを指している。
「お前・・・・・・!!」
この言葉に激昂したのはフェイトではなくブライトだった。
ダートムアはフェイトに最大の恐怖と最大の悲しみを植え付けてから殺すつもりだ。
フェイトの悲しむ姿を想像したブライトは、激しく憤った。
「殺す! お前を今すぐ殺してやるッ!」
彼は砕けそうなほど強くグリップを握りしめると、信じられないほどのスピードで躍りかかった。
狙いはダートムアの細首のみ。
「愚か者め」
だがダートムアもまた、ブライトを凌駕するほどの速度で弧を描きながらアメジスト色の光刃から逃れた。
直後に嘲笑。
ブライトの目に映るダートムアは祓うべき闇の王者ではなく、フェイトを不幸にする怨敵にすり替わっている。
彼はやはり心底からフェイトを愛しているようだ。
その証拠にこれまで影から幾度となく受けてきた挑発に決して乗らなかった彼が、ダートムアの言葉に過敏に反応している。
それも自分にではなく、フェイトに対して発せられた言葉に。
アメジスト色の光刃はわずかに輝きを失い、太刀筋は乱れた。
闇雲に振るう彼の剣はダートムアを捉えられない。
「ブライト!!」
フェイトの叫びで彼は我に返った。
「怒らないで! 挑発に乗っちゃダメだ!」
「・・・・・・・・・ッ!」
そうだ。怒りは闇に力を与えるだけだ。
間違いなく勝利できたハズのブライトの神速の一撃を、ダートムアが難なく躱せたのも彼の怒りを吸ったからに違いない。
(フェイトさん、きみは僕なんかよりも遥かに冷静で・・・・・・そして強い)
ブライトはダートムアを見た。
今度は彼が嗤う番だ。