第17話 戦いの果て

(人々を震撼させた闇の脅威。世界を巻き込んだこの戦いは、優秀な魔導師たちによって終焉を迎える)

 また1人、誰かが倒れた。
死んだかどうかは分からない。
生死を確認できる者はいないし、もしいたとしても今はそうする余裕はない。
時空管理局本部は事実上、潰滅状態にあった。
常駐していた武装隊の数は充分であったが、影はその数倍で押し寄せてくる。
ゲートを守っていた局員が、「侵入者だ」と叫んだ時にはすでに敵は中枢まで来ていた。
官僚の避難を済ませた頃には本部内での情報伝達もままならないほどだった。
危険を感じた文官がすぐさま航行中の艦に援護を求めたが応答はなかった。
「応答ありません! 通信障害かあるいは・・・・・・あるいは艦そのものが機能していないと思われます」
憔悴しきった通信士が上官に報告するが、なぜか上官からも返事がない。
不審に思った通信士が振り向くと、高々と槍を掲げた悪鬼が自分を見下ろしていることに気付く。
風を斬る音がし、また1人倒れた。

 あらゆる所でこれと同じことが起こっていた。
セイシシの砂漠で、パラディゴの渓谷で、スラノーの極地で。
冷血無慈悲な影が、世界の均衡を保とうと戦う勇敢な者たちを屠っていく。
わずかに生き延びた局員は闇の恐ろしさに震え慄(おのの)き、それが闇をさらに増長させる。
「くそっ・・・・・・もう私たちだけか!」
管理局ではそこそこ名を馳せた武装隊が最後の抵抗を試みる。
わずか4人となってしまった彼らは、ぐるりと自分たちを取り囲む120体の影を睨みつけた。
この闇の圧倒的勝利を前に、中には逃げ出した局員もいる。
が、そういう連中のほとんどは逃亡の途中に自身の心の闇に喰われてしまった。
運よく逃れた者にはさらに過酷な現実が待っている。
結局は生きる時間が少し延びる程度でしかない。
勝利を前に影は無言で包囲網を狭めてくる。
「ここまでのようだな」
「ああ、どのみち死ぬ運命だったわけか」
影は上方、下方、あらゆる方向から4人を追い詰める。
「でもな、オレはまだ希望は捨ててないんだ」
1人がデバイスを持ち上げた。
「誰かがこの悲劇を終わらせてくれる。そう信じてるんだ」
「僕もそんな気がするよ」
「あの娘たちとかな」
「ああ・・・・・・アースラの――」
4人の脳裏に魔法少女たちの顔が浮かぶ。
すでに一部では伝説と化している奇蹟をもたらす少女たち。
彼女らなら闇を祓うことができるかもしれない。
少なくとも4人の記憶の中でそれができそうな人間は他にいない。
わずかな希望を抱き、局員たちは影に戦いを挑んだ。
ここで少しでも粘り闇をひきつけようというのだ。
強い使命感と自己犠牲の精神が備わっていなければできないことだが、この4人は誰が言うともなくそうするつもりだった。
勝ち目のない戦いだが、命を棄てるのではない。
今もどこかで戦っている誰かのために犠牲になるのだ。

 惑星バロックでは戦争が始まっていた。
総勢5万人の武装隊が地上で、空中で影との死闘を演じた。
敵はほぼ倍の9万体。
現時点で最も強いと思われる悪鬼と戦士の混成部隊だ。
薄暗い空を闇が覆い、その隙間から青い光が差し込む。
大勢の局員と影が入り乱れる戦場は、はっきり光と闇が分かれる。
幾度の戦いでストレージ・デバイスには改良が施されている。
プラーナを操る闇を相手に魔法による防御はほとんど無意味だ。
デバイスは攻撃魔法に集中して出力増加の改良を受けた。
戦士の鎧を一撃で撃ち抜くくらいの力は出る。
「A班、B班は南側に! 医療班、前に出すぎだ!」
主力部隊の指揮を執るヤムル将軍は先のムドラ事件でその活躍が認められ、将軍の地位にまで登りつめた。
魔法の資質も判断力もあり、一軍を率いるには充分な才覚がある。
「B班エンリコの部隊が壊滅状態に。遊撃隊を向かわせましょうか?」
観察隊がヤムルに耳打ちした。
この観察隊の仕事は文字通り、敵味方の戦況を観察し、上官が指揮するに際して有用な情報を集めることだ。
オペレーターと異なるのは彼らが戦地から離れた場所ではなく、現場にいることである。
映像を介していない分、より正確な状況を把握できるが、危険も伴なう重要な任務だ。
「いや、私が行く。エンリコにはその場からゆっくりと離れ、拠点に戻るように伝えろ」
「了解しました」
ヤムル将軍はB班の戦力の一部を下げ、自らも数十名の部下を率いて飛び立った。
彼とほぼ入れ替わりにエンリコの部隊が拠点に到着する。
ここからは医療班の出番だ。
すぐに各所で治癒魔法が展開される。
痛みも感じず恐怖も抱かない影は、たとえ腕をもがれても足を斬られても動きが鈍ることはない。
意思をもつ機械じかけの兵士。ただ戦うためだけに動く影はこう表現しても差し支えない。
「将軍、北側に新たな影を確認しました!」
B班に合流したばかりのヤムル将軍に、新たな情報が送られる。
戦況は不利だった。
影は倒せば倒した分だけ増える。
もともと数に制限のない影が9万体しかいないというのはおかしい。
その気になれば20万、30万・・・・・・いくらでも増殖できるのだ。
「ちっ、奴らめ・・・・・・遊んでいるのか!」
前線で戦う隊長が舌打ちした。
無限と有限。
どちらに分があるかは言うまでもない。
しかしこれを、光と闇に置き換えれば――。
望みはある。

 

 ブライトの五指からアメジスト色の閃電が走る。
ダートムアはジャンプしてそれを躱し、体をひねって天井に立った。
そこへフェイトがバルディッシュで斬りかかる。
金色の光刃を前にダートムアは背を反らしたが、切っ先は腹部をとらえた。
横一文字に裂けた腹からおびただしい血が噴き出す。
それらは壁に床に天井に付着して燃え上がった。
フェイトの攻撃は止まらない。
再び地を踏んだダートムアに一撃。
さすがに”本体”だけあって、動きは俊敏だ。
が、フェイトに追いつけない速さではない。
「ブライト!」
跳躍したダートムアはブライトのすぐ後ろに着地した。
「まかせろ!」
振り向きざま、ブライトはエダールセイバーを叩きつけるように振るった。
鋭い太刀筋にダートムアはのけぞるが、その間にもフェイトの追撃がある。
逃げ場を失ったダートムアが右手から大量の血液を散布する。
視界を遮られたブライトは思わず背を向けたが、フェイトはあえてこの炎の血の中に飛び込んだ。
この動きを予測できなかったダートムアは狼狽した。
「まさか――!?」
驚愕したダートムアの目の前で光刃が一閃する。
「がああぁぁぁッッ!!」
冷徹な女性からは想像もつかないような断末魔の叫びをあげ、ダートムアはその場に崩れた。
まだ消滅してはいない。
フェイトの一撃は大量の血液で視界を覆われたせいで乱れた。
金色の光刃は狙いを逸れ、ダートムアの左腕を斬り落としただけだった。
落ちた腕はなおも床を這いまわり、断面からこぼれる血が床を赤く照らす。
獣のような低いうなり声をあげてフェイトを睨みつけるダートムアを見て、ブライトはまたひとつ闇を理解した。
影は痛みを感じないハズだが、こいつは違うのか?
(そういえば”本体”の居場所を知っていたあの影も、痛みを感じていたようだったな)
考えてからブライトはどうでもいいことだと思いなおす。
「これで闇は滅ぶな」
うずくまるダートムアを前に、ブライトがエダールセイバーを振り上げた。
勝敗は決した。
ダートムアの首を刎ねる段になって、ブライトはもしかしたら慢心してしまったのかもしれない。
闇の脅威を知っている彼に限って油断することなど考えられないが、少なくとも周囲への注意を怠っていたのは確かだった。
つまり敵はダートムアのみ、という先入観が仇となった。
「避けてッ!」
フェイトが叫んだが遅かった。
光刃を振り下ろそうとしたブライトの首を、何者かがしっかりと掴んでいる。
(なにっ!?)
斬り落とされたダートムアの左腕が不気味に宙を舞ったかと思うと、すぐに彼の首にしがみつく。
ブライトは首に焼けるような痛みを感じた。
「動くな」
ダートムアはフェイトに言った。
「動けばこいつの首をねじ切る」
静かに言い放ったダートムアを見て、フェイトはその言葉に従わざるを得なかった。
本当にやりかねない。
というより、ダートムアがブライトを生かしておくことにメリットがない。
この条件はフェイトへの牽制でしかなく、結局はこの場にいる全員を殺すつもりだ。
しかし頭では分かっていてもブライトに対して特別な感情を抱いているフェイトには、彼を犠牲にしてダートムアを斬る勇気がない。
(フェイトさん)
ブライトはすぐに念を送った。
凄まじい力で首を締めあげられ、呼吸も満足にできない。
(かまわない! こいつを斬るんだ! 闇の消滅は目前なんだぞ・・・・・・)
躊躇うな、とブライトは言う。
どのみち彼の命は闇を祓うまでだ。
悪意ある闇がこの世界から消えた時点で彼の成すべきことは終わり、同時に彼がこの世界に存在する理由もなくなる。
自分ひとりのためにフェイトが躊躇い、その結果、多くの命を落とすような愚行だけは避けろ。
これが彼の言いたい事だった。
ダートムアは嘲笑しながら、しかしフェイトから視線を外すことはしなかった。
「うっ・・・・・・!」
フェイトに委ねる一方でブライトもこの邪悪な束縛から逃れようとするが、すでに全身に力が入らなくなっている。
ブライトの手からグリップがすべり落ちた。
金属製のグリップは重力に従いまっすぐに落ち、床を叩いて転がった。
それと同時に、誰もが予測できなかった事態が起こる。
あらぬ方向から飛んできた桜色の光弾が、ブライトの首を掴んでいた腕を吹き飛ばしたのだ。
その場にうずくまるブライト。彼が視線を横に滑らせた先には、レイジングハートを構えたなのはが立っていた。
(なのはさんか・・・・・・)
どうやら彼女の意識からは完全に闇が切り離されたようだ。
「お前・・・・・・!!」
片腕を失ったダートムアが赤く光る眼でなのはを睥睨した。
激しく憤り、残った腕を振って血液を撒き散らす。
今、ダートムアの注意はなのはにだけ注がれている。
飛び散った血液が中空を赤に染めた。
すかさずユーノ、アルフが前に出、結界を張る。
二重に展開された強固な結界が、魔法ともプラーナともつかない邪悪な血の飛来を防ぐ。
「フェイト!」
「ブライト!!」
ユーノとアルフが同時に叫ぶ。
この時を待っていたようにフェイトが跳んだ。
愛杖・バルディッシュの光刃がいっそう強く輝く。
振り向いたダートムアが宙返りを打って間合いから離れる。
ブライトが走った。
彼が狙うのはまず、先ほどなのはの攻撃で吹き飛んだ左腕。
不意打ちを防ぐための策だったが、これは簡単だった。
アメジスト色の光刃が這い回る腕を貫く。
光に焼かれた闇の腕はまたたく間に蒸発して消えた。
「ディバイン――」
なのはがレイジングハートを向けた。
この狭い空間で、5対1になることなどダートムアは想像もしていなかった。
彼女は今も斬りかかってくるフェイトの追撃を避けながら、ブライトの攻撃を躱し、しかもなのはの射撃の軌道も読まなければならない。
さらになのはの意識が戻ったことで、戦列に戻ってきたアルフとユーノも油断できない。
「バスターーッ!」
俊敏なダートムアに直射型の魔法攻撃は戦術的にみて効果的とはいえない。
容易に回避が可能なうえに、味方が密集している狭い空間では間違って味方に命中することもありえる。
しかしこの場合は彼女の強い魔力が奏功した。
ダートムアに回避以外の選択肢を与えなかったからだ。
フェイト、ブライトを相手にダートムアが立ち止まることはありえない。
それに2人ならなのはの攻撃の軌道を読んで、避けることは容易い。
結果、ダートムアはディバインバスターを回避することによって退路のひとつを断たれ、そこに新たな隙ができる。
「人間ごときがッ・・・・・・!!」
その見下していた人間たちに翻弄され、ダートムアは憤った。
しかし彼女の命運は尽きた。
ディバインバスターを避けた先に、ユーノとアルフがしかけた罠があった。
アルフが先読みして発動させたリングバインド、さらにユーノもチェーンバインドを展開する。
ふたつのバインドはダートムアの動きを完全に押さえた。
途端、ダートムアは恐怖心に襲われた。
目の前に2本の光刃が見える。
それらは徐々に自分に近づいてくる。
光の刃が視界を明るく照らす。
闇が最も嫌う強い光が、さらに輝きを増して迫ってくる。
「終わりだ!!」
2人は同時に宣言すると、ダートムアを斬った。
「オアアアアァァァァァッッッ!!!」
大地が震えた。
2本の傷痕から内部に眠る闇が噴き出す。
これはダートムアが闇への統制を失った証だ。
黒と赤の混ざった邪悪な血液が、一滴残らず流れ出た時、ダートムアの姿はどこからか吹いた風に流されて消えた。

 

「何だ、どうなってる?」
本部では混乱が続いている。
影の強襲を受けたかと思うと、今度はあちこちで影が消えたという報告が交わされた。
生き延びた文官が各艦と連絡をとろうとするが、やはり応答はない。
本部の連中が分かっていることは、少なくとも本部に現れた影が突如、消滅したということだけだった。
それも一瞬にして。
神出鬼没。
影のこうした特性を嫌というほど見せ付けられている局員たちは、これが終わりだとは思っていない。
狡猾な闇が何らかの策を講じた結果、一時的に姿を消したのだというのが誰もが達する結論だ。
「通信システムの復旧を急げ。できるだけ多くの艦と連絡をとるんだ」
何が理由であるにしろ、影の攻撃がひとまず収まっている間に体制を立て直す必要がある。
数分すると外で戦っていた武装隊が本部に戻ってきた。
一目見て疲弊していると分かる。
重傷を負っている者も多く、運よく全滅を免れた恰好だ。
「武装隊を医務室へ。動ける者は復旧を手伝ってくれ」
途端、本部内は慌しくなる。
医療班は負傷者への対応に追われ、技術工員は通信にかかる復旧作業に尽力した。
この間、本部は航行中の艦数隻とコンタクトをとることに成功した。
通信の要であるアルテアの受信施設がまだ機能していないため、画像も音声も不鮮明なままだ。
『こちら・・・・・・ラバエウス。・・・本部、応・・・願・・・ます・・・・・・』
ベテランの通信士がすぐに音声を拾った。
「スカラバエウスだな? そちらの状況は?」
通信士が問いかけたところで音声が切れた。
「通信ができるところを見ると、スカラバエウスは無事ですね。あの艦が航行しているのは今・・・・・・」
「ミーリング宙域だな。コースを外れていなければだが」
数名の通信士が集まって航行中の全ての艦を調べ上げた。
本部から最も近い艦から順に徐々に通信の幅を広げていき、被害の状況を把握するためだ。
数時間を要したこの作業で、少なくとも40隻の艦の無事が確認された。
この中にアースラは含まれていない。

 一方で本部上層では、待機中の艦を各地に派遣するかどうかが議論されていた。
この会議には局長を筆頭に24名の局員が参加する予定だったが、集まったのはその半分にも満たない9名のみだった。
「これだけか」
ひとまず局長が参加したため混乱は避けられたが、集った8名は互いの顔を見合わせてささやきあった。
「次長がいない。もしかしたら・・・・・・」
「ソウェルもだ」
「なんか嫌な感じだな・・・・・・」
消えた15名がどうなったのかは誰もが知っている。
口にこそしないが、その理由を知っているだけに会議に集まった者たちの顔は暗い。
15名は死んだ。正確には影に殺されたことになる。
次長、魔導師総括のソウェル、行政副官のメイドン、管理局法律顧問ガンレイといった、時空管理局の主だった人物が影に殺されている。
管理局に直接関係のない、有能な人間も多数が殺されている。
鋭い洞察力と深い見識で知られる、ジャック・ブリガンス弁護士も影によって命を落とした。
数々の裁判に赴き、司法に歴史を刻み続けてきた司法記録官のハーマンも同じくこの世を去っている。
残っているのはそれらの代理か書記官程度で、議論の体を成していなかった。
「話を元に戻そう。現在、本部に待機中の艦24隻を派遣するかどうか」
局長は威厳のある声で言ったが、その威厳は彼に付き従う下部の者がいるからこそであって、この場にあっては小山の大将と大差ない。
「調査は必要かと思いますが、影が消えてからまだ数時間しか経っていません。この会議自体、早計かと思います」
「賛成です。それに影は消えただけであって、いなくなったわけではありませんから、あまり大きく動くのは――」
発言者はそろって慎重だった。
みな闇がまだ生きている可能性が高いと判断している。
ここで影を刺激するような発言をして、それが連中に知れ渡ったら自分は危険人物として殺されるかもしれない。
次長やソウェルのような高官がそろって殺されているのも、影にとっては都合の悪い人間だったからだろう。
組織全体、ひいては民の安全や平和よりも自己保身に走る者ばかりが、ここにはいる。
「まず通信網の復旧、それから全艦との連絡を密にして状況を把握する。それが最善だと思います」
多数決でいくなら8対1。もちろん慎重論が8だ。
局長ひとりが残っている艦を派遣させたがっている。
「では現場の者を見殺しにするのか?」
局長は尻込みする局員に憤った。
「お言葉を返すようですが、調査を決行するなら、派遣された人間を見殺しにするのと同じです。私たちは、その、つまり・・・・・・」
「これ以上、本部から被害を出さないようにすべきではないかと」
「航行中の艦ももちろん心配ですが、今は時空管理局そのものの危機です。本部さえ無事なら巻き返しは可能です」
つまり、現場にいる者は見捨ててでも本部は生き延びろ、ということらしい。
これを聞いて局長は愕然とした。
同時に失った次長やソウェルが惜しくなった。
ここには正義のために、誰かのための戦おうという者がいない。
仮に動くとしても、自分の安全が充分に確認されてからになるだろう。
(それはいつだ?)
行動の是非について議論しようとした局長は、天を仰いで溜め息をついた。
彼の中では調査団派遣が決行される前提だった。
ここではその手順や予算、編成について詳細に詰めていくつもりだったのだ。
もう話し合いは必要ない。
非常時局長特権の行使しか――。
管理局を動かすことはできない。
局長は祈った。
どうか、どうか現場に向かう者たちが彼らのように臆病で自己保身に走らないように、と。

「夢じゃないだろうな?」
鋭い眼光を飛ばしながら局員が聞いた。
「分からない。でも生きてる。生きてるぞ、俺たち!」
四方を120体の影に囲まれていた局員たちは歓喜の声をあげた。
「あの娘たちだ。あの娘たちがやってくれたんだ」
数分前のことである。
今もどこかで戦う仲間のために命を賭けた4人の目の前で、影が突然消えたのだ。
風に溶けるように影はその場にいた証を何も残さず消えた。
「これからどうなる?」
デバイスを握る手に力を込めながら訊いた。
「ひとまず危険は去った。そう考えてもいいんじゃないかな」
話し合った4人は、本部からの指示があるまで安全な場所を見つけて待機するという結論を出した。

 惑星バロックの戦いに関しては、ヤムル将軍の采配による勝利ではない。
勝利ではなく、敗北でなかっただけだ。
「どういうことでしょう?」
観察隊はそろって首をひねった。
空を黒く染めるほどいた影が、今は1体も見られない。
余力のある部隊が周囲を油断なく見張っているが、異常はない。
逆にこの静けさは不気味だ。
一陣の風が吹いたかと思うと、次の瞬間には影の姿はかき消えていた。
だから一軍を率いて前線に躍り出たヤムル将軍は肩透かしをくらった恰好になった。
「C班、異常はないか?」
「ありません。私からすればこっちのほうが異常だと思いますが」
「どうなさいますか?」
「・・・・・・・・・」
問いかけられ、ヤムル将軍は答えに窮した。
率いている軍隊の規模が大きく、判断がつきかねていた。
自分の判断だけで5万人もの部隊を動かすべきではない。
「もう少し偵察を続けよう。異常がなければ全員、拠点に戻るんだ。あとのことは本部の指示を待つことにする」
勝利、と言い切れない幕切れだったためにヤムル将軍は何とも曖昧な命令しか出せなかった。

 

 強い魔力に恵まれた人間はたいてい、気配や他人の感情に対しても敏感だ。
闇は完全に消えた。
5人はほとんど同時に思った。
独特の、邪悪な気配がどこにも感じられない。
「なのは」
落ち着くのを見計らってユーノが駆け寄る。
彼女の顔は憔悴しているように見えるが、これは闇に乗っ取られていたからで、じきにいつもの明るさを取り戻すだろう。
「なのはさん、きみのお陰だ。きみが助けてくれたからこの世界から闇を祓うことができた」
ブライトはなのはの手を取った。
温かさと冷たさの混じった小さな手から生きた人間の心根が沁みわたる。
「なのは、ありがとう」
バルディッシュを待機状態に戻したフェイトもやって来た。
「ううん、私こそ・・・・・・ごめんなさい」
なのはは泣いていた。
「わたし・・・何もできなかった。近くにいたのは知っていたのに・・・・・・」
ダートムアの事を、なのはは知っていたと言った。
意識を乗っ取られていたとはいえ、どこかでは闇の接近を感じ取っていたのだろう。
ただ彼女の優しすぎる性格が、ものを疑わないという純真さが確信に至るのを妨げた。
闇は見えない。しかし感じ取ることはできる。
意識を取り戻したなのはが、ブライトやフェイトを追い詰めるダートムアを見てすぐに攻撃に移ったのは。
考えるより先に闇を感じたからだろう。
何より大好きなフェイトを苦しめる存在が、彼女には許せなかったに違いない。
「なのはは何も悪くないよ。悪いのは・・・・・・悪いのはそんななのはにつけ込む闇のほうだよ」
これはフェイトにしか言えないセリフだ。
彼女以外の誰が言っても、彼女ほどの説得力を持たない。
「でもその闇もやっと消えた・・・・・・だろ?」
アルフがブライトを見やった。
彼は静かに頷く。
「僕、まだよく分からないんだけど?」
ユーノはこの会話から疎外されたように感じていた。
「あとで説明するよ。といっても、私もよく分からないんだけどね」
アルフはそう言って笑いながら、こうして笑っているということはブライトの言う事を自分は信じているのだと気付く。
「不思議な奴だね、あんた」
「?」
言葉の意味が分からず、ブライトは目を白黒させた。
それを見たアルフがまた笑う。
これまでの緊張が一気に解け、アルフは解放感に酔いしれた。
終わった、という明るい結末をアルフの行動や口調が体現している。
「・・・・・・・・・」
(ブライト・・・・・・?)
ブライトの顔を横目に見たフェイトは、彼の表情が沈んでいることに気付いた。
「どうする? アースラに戻る?」
ユーノのこの質問にはブライトが答えるべきだと思ったフェイトは、彼に視線を送る。
「戻る」
彼は短く、そう言った。
「きみたちは先に戻ってくれないか? 僕はもう少しここに残る」
アルフは怪訝そうな顔をした。
ブライトが残る意味があるのか?
まだ自分たちに何かを隠しているのではないか?
彼女の中で彼に対する嫌悪は完全に無くなっているが、彼の不可解な行動の数々にはつい疑念を抱いてしまう。
「ユーノ」
フェイトが言った。
「なのはを連れてアースラに戻って」
「僕が?」
フェイトは頷いた。
「なのはの事が心配だ。早く医務室に連れていってあげて」
そう言われれば断る理由は無い。
事情を知らないユーノは事の真相がどうこうよりも、まずなのはの身を案じたくなる。
「あ、私なら大丈夫だから・・・・・・」
と言うなのはの口調からはとてもそうは思えない。
「う、うん・・・・・・」
いつも場に流されている感があるユーノにとっては、言われた通りに動く以外の選択肢がない。
「じゃあ僕はなのはを連れて戻るけど・・・・・・」
「うん、私たちはもうしばらくここにいるよ」
「いや、そうじゃなくて報告もしなくちゃならないから、もう1人・・・・・・」
「あ、そっか」
アルフがとぼけた口調で言った。
ユーノはなのはに付き添っていたい。その間にリンディに報告する誰かが必要だと言っているのだ。
「じゃあ、私が行くよ。フェイトは・・・・・・ブライトと一緒にあとで戻ってきたらいいからさ」
「えっ? うん、そうだね。まだ単独で動くのは危険かもしれないから」
うまい理由を思いついたな、とフェイトは自分を褒めた。
「なら急いだ方がいい。僕もなのはさんが心配だ」
ブライトはユーノの背中を押した。
早く戻れ、という意思を彼は口にすることなくユーノに伝えた。
「あ、ああ・・・・・・分かったよ。なのは、歩ける?」
アースラに戻るには一度、外に出なければならない。
ユーノはなのはを支えながら施設を出た。
それを見届けてからアルフも2人の後を追おうとする。
「アルフさん」
その背中に向かってブライトは言った。
「訊かないのか? 僕のこと」
本当は訊かれたくないことなのに、ブライトはなぜかそう言ってしまった。
アルフは笑う。
「どうでもよくなったよ。あんたがシェイドかも知れないって思ったけど、どっちでもいいじゃないか」
彼女の中ではブライトの正体は、どうでもいい、で片づくのか。
(アルフさんらしいな)
ブライトは苦笑した。
「もしホントに今のでこの事件が解決したんだったら、ブライト。パーティーやろうよ」
「うん? ああ、いいね」
彼は無理に笑顔を作った。
アルフは気付かなかったが、この笑顔にぎこちなさが残るのをフェイトは見逃さない。





アルフの姿が消えたところで、ブライトはエダールセイバーを起動した。
「どうしたの?」
予想もしなかった行動にフェイトは驚きを隠せなかった。
「僕が気にしすぎだと思うんだけど、まだ・・・・・・まだ終わっていないような気がしてね」
彼は油断なく周囲を窺った。
闇の気配はない。
「私も何も感じないよ。それどころか清々しい感じもする。ブライトの考えすぎじゃない?」
「うん・・・・・・そうだな。こういうところは僕の悪い癖だな」
ブライトは何度も頷いてから光刃を収めた。
それを見たフェイトは微笑み、ブライトの横に立った。
「終わったんだね・・・・・・」
「ああ・・・・・・」
ブライトは脱力感を覚えた。
闇との戦いはいつもこうだ。
いつ死ぬか分からないほど熾烈な戦いを繰り広げても、最後は実に呆気ない。
実体のない敵を相手にしているだけに、勝利したという実感が湧いてこない。
だからブライトはいつまで経っても終わったと思うことができないでいる。
「これから大変だね」
「いろいろとね」
この事件が残した傷痕は深い。
死傷者は数え切れないほど出ているし、物的な損害も計り知れない。
しかも真相を知らない者にとっては、永遠に解決を認識できない点も厄介だ。
人々はいつまた影に襲われるかも知れない恐怖を抱きつづける。
解決を知っているのはフェイトとブライトだけだが、この2人が世界にそれを知らせることは難しい。
(人間は忘れる生き物だ。闇のことも・・・・・・僕のことも・・・・・・)
ブライトにとってはこの事件、人々の記憶もろとも風化してくれたほうが都合がいい。
「ねえ、ブライト」
「・・・・・・?」
「さっき、”ここに残る”って言ったのは、それだけの理由?」
「・・・・・・・・・」
この娘は――。
魔導師という枠では収まらないのではないか、とブライトは思った。
「いや、それだけじゃないよ。僕が残るなら、きみも残ると思ってた」
「・・・・・・ブライト・・・・・・」
「僕たちだけがここに残る。そう望んでいたんだろうな、きっと――」
その言葉を彼は行為ででも表わした。
少女の腰にそっと手をまわす。
それだけで充分だった。
この時、フェイトは大きな思い違いをしていた。
ブライトがこういう展開に持っていったのは、戦いの終わりを2人だけで過ごしたいからだと思っていた。
誰にも邪魔されずに、余韻に浸りたいのだと思い込んでいた。
しかしブライトはそうは思っていなかった。
彼にとってこれは――。
この時は――。
フェイトと過ごせる、最後のチャンスなのだ。
(ブライト・・・・・・?)
空気を通して彼の感情を汲み取った彼女は、彼が何を考えているのかを訊く気にはなれなかった。
ブライトが思うこと、ブライトがしたいことに委ねよう。
そう思った時、
「フェイトさんッッ!!」
ブライトは突然、フェイトを抱きしめた。
強く、強く、何者も2人を引き裂けないように彼は強くフェイトを抱いた。
「逝きたくないっ! 僕は――僕は・・・・・・もうどこにも行きたくないんだ!」
「ブライト!? どうしたの!?」
あまりに強く抱きしめられているために、フェイトは息苦しさを覚えた。
が今はそれ以上に、取り乱したブライトのことが気になる。
「お願いだ! まだ終わってないと言ってくれっ! 闇は! 闇はまだ滅びていないって! きみなら分かるだろっっ!?」
「・・・ッ! ブライト・・・痛いよ・・・・・・。ねえ、どうしたの!? 何があったの! ブライトッ!」
「言ってくれ!! 闇はまだいる! あれは”本体”じゃなかった! 逝きたくないんだよ! お願いだッッ!!」
とてもブライトとは思えない。
「ブライト・・・・・・」
彼の激しい感情の乱れが、いくら拒んでもフェイトの中に流れ込んでくる。
迷った末、フェイトはブライトがしているのと同じように彼を強く抱きしめた。
こうすることでしか、今の彼を受け止めることはできない。
「お願いだ・・・・・・フェイトさん・・・・・・」
彼は泣いていた。

 

「だから私もよく分からないんだよ」
ユーノの鋭い追及に、アルフは的確な返答ができないでいた。
「分からないって、さっきはあんなに・・・・・・」
「あれが”本体”ってことは間違いないみたいだよ」
なのはを連れて施設を歩いていた3人は、ほどほどに警戒心を抱いていた。
フェイトやブライトの言葉を疑う理由はないが、逆に信じきるだけの根拠もない。
「どうしてそうだと分かるんだ?」
ユーノはさっきから質問ばかりしている。
「ブライトが言ってたんだ。闇の元を断たないかぎり、この戦いは終わらないって」
「それがその、さっきの奴だってこと?」
「まあ、そうだろうね」
確かにダートムアはこれまでに見たどの影とも異なっていた。
目立つ、という意味では並みの影ではないことは分かる。
「逆に言えば、そいつさえ倒せば闇はなくなるってことだけどね」
「どうしてブライトがそんな事を知ってるんだ? 僕にも分からな――」
ユーノは言葉を呑んだ。
それ以上言ってしまえば、自分が傲慢であることをさらけ出す惨めな結果になる。
「あいつはあいつなりに色々調べたみたいだよ」
ユーノはそれについて何も言わなかったが、何か引っかかるものを感じていた。
ブライトは知りすぎている気がする。
すっかり書庫生活が馴染んでいるユーノからすれば、書庫内の厖大な情報量には彼なりに誇りを持っていた。
現場でしか得られないコトもあると分かってはいるが、それにしてもブライトは知りすぎている。
というより情報を自分から作っているような節さえある。
「でも、これで終わりなんだよね?」
それまで黙っていたなのはが口を挟んだ。
「う、うん。ブライトの言っている事が本当ならね」
ユーノはわずかにトゲのある答え方をした。
「本当だって信じたいよ。こんな戦い・・・・・・もういやだから」
「なのは・・・・・・」
彼女がそう言うなら、自分も信じよう。ユーノは思った。
「じゃあリンディ提督にもそう伝えるの?」
「他に言いようがないじゃないか」
少なくともアースラの中で、闇との戦いが終わったかどうかを判断するのはリンディだ。
自分たちはその判断材料を持ち帰るにすぎない。
「それよりなのは、本当に大丈夫?」
「うん。ありがとう。もう平気だよ」
なのはの顔色は少しずつだが、元の赤みを取り戻している。
闇を完全に切り離され、ようやく本当の彼女が戻ってきたということか。
太陽のような笑顔のなのはを見ると、事件は本当に解決したような気になってくる。
ユーノもアルフも、そしておそらくフェイトやクロノも同じように思うに違いない。

 

 彼は泣いていた。
溢れ出る涙を止めることができない。
しかしようやく落ち着いてきたのか、先ほどのように取り乱すことはなかった。
彼はそっと、フェイトから離れた。
「ごめん、フェイトさん。僕としたことが・・・・・・」
「ううん、私はべつに・・・・・・。それよりブライト・・・・・・一体なにが――」
「少しでも永く、きみといたかった」
ブライトは目を細めた。
「こんな事、きみには言いたくない。でも・・・・・・言っておく」
そう言ったきり彼は黙った。
フェイトも彼が話してくれるのを待っている。
数分が経った。
不意に、
「――お別れだ」
ブライトが言った。
フェイトは茫然とした。が、それ以上に言った本人が深い闇の底に沈んだような錯覚に陥る。
「どういう・・・・・・こと・・・・・・?」
この問いはブライトに、さらなる独白を促す残酷な結果をもたらす。
だが問われなくても彼は続きを話すつもりでいた。
「僕はもう、”ここ”にはいられないんだ。きみを見ることも、きみと話すこともできなくなる・・・・・・!」
「どうして? 私はずっとアースラにいると思ってたのに?」
「忘れたのか? 僕は死んだんだぞ。自分がまいた種とはいえ、闇を祓うために戻ってきた・・・・・・だけだ」
「でも、だからって・・・・・・!」
フェイトは自分が涙を流していることに気がついた。
目の前の姿も声も変わってしまったとはいえ、まぎれもなくシェイドだった少年を、フェイトは必死にこの場に留めようとする。
「奇跡なんてそう何度も起こらないよ」
ブライトは吐き捨てた。
「”本体”を倒し闇が消えた今、僕がここに居る理由はなくなった。居ることは許されないし、居ることに意味がないんだよ」
「違うッッ!」
フェイトは否定した。
「それは違う! 違うよ、ブライト! あなたは戻ってきた! ここにいるでしょ!? どこにも行く理由なんて――!!」
「逆だ。ここにいる理由こそないんだ。僕は生きてるんじゃない、生かされているんだ。たぶん・・・・・・プラーナに」
「理由がいるなら――」
フェイトは体の震えを抑えて言った。
「私が理由になる。あなたに居てほしい・・・・・・! それじゃダメなの!?」
「・・・・・・・・・」
何か言いかけてブライトは口を噤んだ。
決して自惚れているわけではないが、フェイトならこの程度のことを言って引き留めるであろうと予想はしていた。
その優しさがかえって彼を苦しめる。
「きみの気持ちは嬉しいよ。だけどダメだ。僕がここに居られるのは闇を祓うまで。成すべきことは成したんだ」
「ねえ、ブライ――ううん、シェイド」
ブライトは一瞬、怪訝そうな顔をしたがすぐに納得した。
(そうか、2人だけの時はシェイドだったな)
「あなたは本当に死んだの?」
「なっ・・・・・・?」
何を言い出すんだ、と笑い飛ばそうとしたができなかった。
”死”という言葉をあまりにストレートに突きつけられて、ブライトは反応しそびれた恰好だ。
「ああ、死んだよ。ただし条件付きで生き返った、と言ってもいい。自然の世界では許されないことだけどね。
こればかりはどんな魔法もプラーナも曲げることのできない自然の摂理さ」
(言っていて自分がおかしくなる。僕の存在が僕の言葉を真っ向から否定しているのに)
フェイトとこういう問答をしているとブライトは時々、自分は本当に生きているのかどうか分からなくなってくる。
「じゃあ私も・・・・・・」
不意にフェイトの表情が翳った。
ブライトは慌てて取り繕う。
「きみは違うぞ。きみはアリシアの代わりでも分身でもない。妹だ。アリシアの妹なんだ」
彼は一気にまくし立てた。
「僕と違って、きみは生き返ったんじゃない。生まれたんだ。混同するな」
彼女が出生の秘密に胸を痛めていることは、ブライトもよく知っていた。
彼がシェイドだった頃にそれを利用して叛かせようと画策したこともある。
「僕はね、フェイトさん。今になって思うことだけど、きみが魔導師でいることには反対なんだ」
「どうして?」
「管理局の仕事で危険な場に身を晒してほしくないんだよ。きみが管理局の人間だと知られただけで命を狙ってくる者も現れる。
きみみたいな子供には早いし危険だ。命を粗末にしてほしくない」
「でも――」
「”そのお陰で僕に逢えた”・・・・・・だろ? それは結果論だよ。僕がいて、きみがいた。ただそれだけの偶然さ」
「偶然じゃなくて運命だよ」
またそれか、と言い返すことはしなかった。
少しずつ、少しずつだがブライトも運命という概念を受け容れ始めている。
「でも私が選んだ道だから」
「魔導師を?」
「うん」
(ウソだ。きみは母親の力を無理やり継がされたんだ。そうでなければこんな事・・・・・・)
沈黙。
ブライトが口を開いた。
「きみと離れたくない」
「私もだよ、シェイド」
2人は抱き合った。
強く強く抱きしめた。
「お別れだ」
ブライトはもう一度、同じことを言った。
「――勝手すぎる・・・・・・」
「えっ?」
フェイトが小さく漏らしたのをブライトは聞き逃してしまった。
「勝手すぎるよ、シェイド」
静かに、出来うる限り感情を抑えていると見えるフェイトは、眼に涙を溜めて言った。
「あなたはそれで良いかもしれない・・・・・・。でも私はどうなるの?」
「え? どうって・・・・・・?」
「私はもうシェイドに逢えないのにっ! 逢いたいと思っても逢えないのに、どうして別れるなんて・・・・・・ッ!」
フェイトが彼の背中を痛いほどに抱き包む。
「勝手に戻ってきて、勝手に私の前に現れて、勝手に私の心をかき乱して・・・・・・! ひどいよ・・・シェイド・・・・・・・・・」
瞬間、彼は悟った。
ああ、この少女は――。
フェイトは一度、僕の死を受け容れたのか。
納得のいかない僕の死を、自分なりに納得していたのか。
それを僕が惑わした。
僕が現れたことで彼女の僕に対する想いにしこりを残し、結果としてかき乱したのか。
自分が中途半端に戻ってきた所為で、彼女が区切りをつけた僕の死にまた深い渦を呼び戻してしまった。
(なじられるのももっともだな・・・・・・僕は・・・・・・)
彼女が泣いているのを見て、彼も涙した。
(死別の辛さを2度も彼女に味わわせるなんて・・・・・・)
彼女にとってはこれで3度目か。ブライトは思った。
いや、あるいは4度目かもしれない。
とにかくブライトは残酷な少年だ。
彼は自分の軽率さを呪った。
「どこにも行って欲しくない・・・・・・」
フェイトは懇願する。
「でも・・・それでも逝かなければ・・・・・・」
ブライトは拒んだ。
「こうしてきみを肌に感じることもできなくなるのか・・・・・・」
ブライトのつぶやきを、フェイトは聞かなかった。
2人はいつまでも抱き合った。
間もなく、2人は永遠に離れることになる。
逢いたいと願っても、決して逢えないところに彼は逝く。
今度こそ――。
今度こそ、もう声も聞こえない、感じることもできない世界に――。
彼は逝く。
だから少しでも、少しでも永く、2人はこうしていたかった。





抱擁を先に解いたのは意外にもフェイトの方だった。
「シェイドも辛いのに私が引き止めちゃダメだよね・・・・・・」
彼女はもう一度、今度はより完全な形で死を受け止める決意を固めた。
ブライトもそれに応える。
「ああ、僕こそ・・・・・・離れるのは――」
「言わないで」
フェイトがそっと遮った。
「その先は言わないで。また・・・また抱きしめたくなるから・・・・・・」
「――分かった」
あえてブライトも先を言おうとはしない。
「アンヴァークラウンに戻る。この体の持ち主は山麓で倒れていたからね」
ブライトは微笑んだ。
これでフェイトの記憶以外に、シェイドがこの世界に戻ってきた痕跡は消える。
体の持ち主・・・・・・この体にとっては時間が止まっていたようなもので、それがまた動き出す程度の影響しかない。
登山中の少年が行方不明になり、何十日も経って捜索済みの山麓で発見されるという珍事が起こるのは仕方がない。
「シェイド」
「フェイトさん」
2人は笑った。
最後は笑顔で別れたい。
2人が同時に思ったことだった。

 

「ありがとう」

 

 ブライトはもう一度、小さく笑うと施設を後にした。
入れ替わるように管理局の技術工員がなだれ込んで来た。

 

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