第2話 迫り来る恐怖

(幽霊騒動は意外なかたちでクルーたちにさらなる混乱を巻き起こす。再び戦いの場に身を投じるフェイトたち。そして・・・・・・)

 ダメだった。
力が及ばなかったのかも知れない。
あるいはすでにその力を失ってしまったのか。
フェイトは闇にアクセスしようと試みたが、何度やってもできなかった。
もしアースラに現れたのが闇なら、フェイトはその闇と対話できると思っていた。
やはり違うのだろうか。
闇でないとすれば、クルーや自分が医務室で見たものは何だったのか。
フェイトはふらふらと立ち上がり自室を出た。
行くあてはなかったのだが、彼女の足は自然と艦橋に向かっていた。
リンディならきっと力になってくれる。
艦橋前まで来ると、中から言い争う声が聞こえてきた。
(なんだろう? なんだかイヤな予感がする)
背筋を冷たいものが走るのを感じ、フェイトはおそるおそる中の様子に耳をすませた。
「もう噂のレベルではないのです。局員からも不満の声があがってます」
「調査したけれど、何も確認できなかったわ。それにその件に関しては一応決着はしたでしょう?」
「決着したと? ならどうして今もあんな噂が立つのです?」
「失礼ですが提督は何もご存知ないのです。私も実際に見たのですから間違いありません」
どうやら数名のクルーがリンディに食ってかかっているようだ。
言葉の端々から、内容については窺い知ることができる。
「あなたは隊長よ? 部下の不安を煽るような発言は慎みなさい」
リンディはいつになく厳しい口調で言ったが、クルーはそれでも退かなかった。
「不安なのは私のほうです! 私も部下にあれは見間違いだと言い聞かせてきましたが、それでは納得しません。
できればもう一度、調査をお願いしたい・・・・・・」
「あまり騒ぎを大きくしたくないのよ」
「そうですか。ご自分の目で見るまでは信じないでしょうな。それなら私がいくら申し上げてもムダです」
クルーのこれは明らかに失言だ。
リンディの受け答えが、クルーの不満をさらに大きくしているような気がする。
「そういうわけじゃ・・・・・・」
リンディが口ごもった。
「・・・・・・分かったわ。もう一度調査しましょう」
しばらく間をおいて彼女が言った。
「どこでそれを見たのか、あなたたちは情報を集めて。目撃される頻度が高い場所を重点的に調べるから」
「それで・・・・・・もし何も現れなかったらどうするんです・・・・・・?」
「こんな言い方したくないけど、噂はデマだったってことになるわ」
「デマだなんて・・・・・・! 私はたしかに見ましたよ! 大きなコウモリのような・・・・・・」
「提督。噂の真偽を確かめるのではなく、影の正体を暴くための調査をしてください」
「僕からもお願いです。でなければ幽霊説がまかり通ることになってしまいます」
まただ。
また”幽霊”だ。
「あなたたちはその影が何だと思ってるの?」
「クルーのほとんどは幽霊だと思っています。先の戦いで死んだ武装局員たちの・・・・・・」
「あなたも・・・・・・?」
「今ではそう思うようになりました・・・・・・」
「・・・・・・・・・」
「待ってください」
フェイトが艦橋に足を踏み入れた。
「フェイトさん?」
リンディは驚いてフェイトを見た。
「すみません、盗み聞きするつもりはなかったんですが・・・・・・さっきの話・・・・・・」
「フェイトさん、まさかあなたも?」
リンディの不安げな視線をはねのけ、フェイトはクルーに向き直った。
「局員の幽霊というのは違う気がするんです」
彼女はあくまでも下手に、クルーの自尊心を傷つけないように切り出す。
「何が違うんだ?」
リンディとの埒の明かない問答の直後でクルーたちも興奮気味のようだった。
「幽霊なら人の姿をしていると思うんです。ですが話では動物の姿で現れることもあると聞いています。
おかしいと思いませんか?」
「うん・・・・・・たしかにそうだな・・・・・・」
みな頭から幽霊と決めつけていたせいで、そんな単純なことにも気付かなかった。
フェイトの指摘は的を射ており、それまで憤っていたクルーは冷水をかけられたようなショックを受けた。
「うん、君の言うとおりだ。たしかにおかしい。ってことはクルーの幽霊ではないということか」
クルーたちは納得したように何度も頷いた。
だが解決は新たな問題を生む。
「じゃあ幽霊じゃないなら、連中が見たものは何なんだ?」
「それは・・・・・・」
分からない。
そもそも彼女はその答えを探すためにここに来たのだ。
「とりあえずクルーの霊という線は消えたわね」
ここにおいてリンディの言葉はまさに鶴の一声だ。
「とにかく噂がこれ以上肥大しないようにしましょう。クルーの混乱だけは何としても避けたいから」
「分かりました」
「我々も独自に調査いたします」
クルーはリンディに頭を下げ、それからフェイトに向き直って、
「ありがとう。君のおかげで少し進展したよ」
そう述べて艦橋から姿を消した。
彼らはそれでよかったが、フェイトにとっては何の解決にもなっていなかった。
「フェイトさん、あなたのおかげよ。報告を一番に受けていた私が気付かなきゃいけなかったことなのに」
力でも知恵でも少女に敵わないことに、リンディは少し寂しそうな表情になった。
「そ、そんなっ。たまたま思いついただけですから・・・・・・!」
謙遜になっていない。
必死にフォローしようとするフェイトに苦笑したリンディは、急に真顔になって言った。
「ところで私に何か用事があるんじゃないの?」
リンディの瞳に凝視され、フェイトは反射的に目をそらした。
(どうしよう・・・・・・言ったほうがいいのかな・・・・・・?)
フェイトは迷ったが、リンディは彼女が何か隠し事をしていることにすぐに気付いた。
「よければ話してくれないかしら?」
ここで黙っていても、リンディとの間にしこりを残すだけだ。
そう判断したフェイトは小さな声で、
「私たちだけの秘密にしてもらえますか?」
と前置きした上で、医務室での出来事を話した。
「・・・・・・そう、あなたも・・・・・・」
怒られるんじゃないかとフェイトは思った。
あなたまで何を言いだすの、と叱責されるのではないかと。
だがリンディの反応は冷静だった。
「その種の報告は毎日のように受けているわ」
「それじゃあ・・・・・・」
「黒いヘビというのは初めてだけどね」
これまでに見られたものは動物の姿だとライオン、コウモリ、サソリ。
それにフェイトが見たヘビを含めて4種。
それ以外のものでは水たまりや、円環状のものもあるという。
目撃される場所や影の形状の不定性から、今のところその正体については何ともいえない。
「私はクルーの証言を信じているの」
リンディが人目を憚るように言った。
「だってウソをつく理由が考えられないもの」
「でもさっきは・・・・・・」
「ええ。でも私までそれを認めるところを見せると、クルーに動揺が広がるわ。だからここは毅然とした態度が必要なの」
なるほど、とフェイトはしきりに頷いた。
でも、ということは・・・・・・。
「リンディ提督は見たことが――」
「それがないのよ。エイミィやクロノもよ。どうして私たちの時だけ姿を見せないのかしら」
なぜかこの時、フェイトは近いうちにリンディたちの前にもあの影が姿を現すような気がした。
「とにかくこの事は誰にも・・・・・・あら、メールだわ」
アラート音にリンディは背後の制御盤を片手で叩いた。
<緊急><重要>とタグのつけられたメールを受信する。
「本部からね・・・・・・」
リンディは明らかにイヤそうな顔をした。
本部から来るメッセージにはロクなものがない。
大抵は無理難題を押し付けられるか、責任のなすりつけ合いが必定の緊急会議に駆り出されるかだ。
今度はどんな問題を持ち込んでくるのか。
リンディは大儀そうに受信ボックスを開いた。
そしてすぐに険しい顔つきになる。
「あの――」
フェイトがおずおずと声をかけた時、
「5日後、予備審問が予定どおり開かれるわ」
本文をおおかた読み終えたリンディがフェイトに向き直っていった。
「なのはのですか?」
訊くまでもないことだ。
リンディがうなだれた。
「力は尽くしたつもりだったけれど・・・・・・」
リンディ、フェイトをはじめ多くのクルーがなのはへの提訴取り下げを要求した。
なのははただ、彼に利用されただけだ。
フェイトの活躍と彼の死が魔導師とムドラの和平に貢献したのなら、なのはの凶行もまた無駄ではない。
むしろ両者を結びつけるための行動だった。というのがアースラの総意である。
もちろん彼女の行いを考えればそれが詭弁であることは誰の目にも明らかなことだ。
アースラ――特にフェイト――は本部に何度も恩赦を求めたが、それが通ることはなかった。
なのはへの精神鑑定が実施され、犯行時点での正常な判断が可能だったことが立証されると、立場はますます不利になった。
本部が見せた温情は、せめて予備審問までの間はなのはの身柄を自由にすることだけだった。
自由といってもおそらくその間のなのはの挙動も、本部は監視しているだろう。
「血も涙もない連中だわ」
リンディが拳を握りしめた。
式典の後、なのはが裁判にかけられることを知ったムドラの民がフェイトと共に提訴取り下げを求めたことがあった。
ムドラの民のこの行動は歴史的にも大きなことだったが、それでも本部は姿勢を変えなかった。
なのはの凶行で犠牲に遭ったのは管理局だからだ。
艦3隻、リートランド通信基地、局員40余名を失った管理局は裁判にことよせて彼女に全責任を押し付けるつもりなのか。
「でも有罪と決まったわけじゃないわ。まだまだチャンスはある」
フェイトの不安を察してかリンディはきわめて明るい口調で言った。
できれば今回の事件では誰ひとりとして犯罪者になって欲しくはなかった。
彼は自分を戦犯と言ってしまったが、少なくともリンディはそうは思っていない。
「あの、予備審問まではなのはは自由なんですよね?」
「ええ、そうよ。本格的に裁判が始まったら、かなり行動に制限を課せられるけれど」
「なのはには私から伝えます」
フェイトが許可を求めるようにリンディを見た。
「お願いね」
責任逃れのつもりはなかったが、リンディは辛い役目をフェイトに負わせてしまうことを悔いた。
だがこの眼差しを見せるフェイトには、何を言っても通用しないだろう。
フェイトは深く頭を下げると、その場をゆっくりと去った。

 なのははどう思うだろう。。
私は高鳴る鼓動を抑えて医務室に向かった。
この頃なのはに元気が無かったのは、やっぱり裁判に対する不安があったからじゃないかと思う。
悩みや不安をあまり口にしないのは、私たちを心配させたくないからだろう。
だけど私には、なのはが苦しんでいるのは分かっていた。
私だっていざ裁判を受けるとなった時、不安で体がバラバラになりそうな気持ちにさせられたから。
でもリンディ提督やクロノのおかげで今、私はこうしてアースラの魔導師として戦うことができる。
その事に対する感謝の気持ちは一日だって忘れたことはない。
もちろん、私を孤独から救ってくれたなのはに対してもそれは同じだ。
だからこの報せは私の口からなのはに伝えたい。
おそらく動揺するだろう彼女を私がしっかりと支えてあげられるように。
「マラカイ! 手を貸せッ!」
背後からそんな叫び声が聞こえ、私はとっさに駆け出していた。

 まさかアースラで戦闘が行われるなどとは誰も思わなかっただろう。
だが、実際にそれは起こっている。
それまで多くの人の目に映り、蠢いていたそれが今、はっきりと脅威となって具現化した。
「く、くそッ!」
数名の武装隊がデバイスを構えてそれと対峙していた。
通路のほぼ中央にできた黒い水たまりが柱のように立ち上がり、やがて人の姿を形成した。
奥行きのないまるで立体感を感じさせない黒い人影が、局員のひとりを襲った。
影の右腕がまるでゴムのように伸び、局員の首を締め上げたのだ。
「あの腕を狙えっ!」
武装隊が威力を落とした射撃魔法を撃ち込む。
ただでさえ狭い場所であるうえに、艦内であるために威力を加減しなくてはならない。
放たれた光弾が伸びた右腕を焼いていく。
「ヴォォォォ・・・・・・!」
影のあげる断末魔に艦が揺れた。
数回の魔力を浴び、右腕が肩から落ちた。
「ごほっ・・・!」
黒い影から解放されたクルーが苦悶の表情を浮かべる。
ちぎれた右腕が床に溶けるように消えた。
だがまだ終わりではない。
今度は左腕が巨大なツメのように裂け、局員たちを斬り払った。
この立体感を感じさせない影には目測を誤らせる能力があるのか。
避けたハズの局員の肩を、腕を、足を黒いツメが切り裂いていく。
『”Scythe Slash”』
その時、影の背後から躍り出た少女が黄金の鎌を振り上げ――。
自ら巻き起こした風とともに力まかせに斬りつけた。
不意の一撃に黒い影は叫び声をあげることもなく、真っ二つに割れた体を地面に没した。
「今のは・・・・・・?」
フェイトは影が沈んだ床を凝視しながら言った。
「分からん。突然目の前に現れたんだ」
局員たちは少女にすら動揺を隠せなかった。
連日の幽霊騒動から一転、今度は影が局員を襲撃したという異常事態だ。
「これまで実害が無いということで噂だけに留まっていたが・・・・・・」
局員のひとりは武装隊の隊長だった。
「あれが襲ってきたとなると、いよいよ対策を考えないといけないな」
「それは・・・・・・」
フェイトは何か言いかけてやめた。
彼女なりに影について考えているが、いまだ形になっていない。
揣摩臆測は混乱を招くだけだ。
「あちこちに現れていることを考えると、いつどこで襲われてもおかしくない。提督に報告しよう」
「しかし提督はあまり積極的ではありませんが?」
「アースラに所属する者が提督に報告するのは義務だ。もし提督が動かないなら、私たちだけで何とかするしかない」
「あ、あの・・・・・・」
口々に言い始めた局員にフェイトがおずおずと言った。
「リンディ提督ならきっと良い方法を考えてくれていると思います」
リンディとの約束もあり、フェイトは彼女が影に対して少なからず不安を抱いていることは伏せておいた。
しかし彼女とクルーの間に軋轢ができ始めているのを見過ごすこともできない。
結局、フェイトはやや曖昧な表現で両方の仲を取り持とうとした。
「うむ、まあいずれにせよ報告はしなければな」
「その必要はないわ」
凛々しい声に振り返ると、リンディがクロノを伴なってやってきた。
「提督? ちょうどいいところへ。実は――」
「分かってる。影に襲われたんでしょう?」
「どうしてそれを・・・・・・」
言いかけてクルーはリンディの右手に血が滲んでいるのを見止めた。
「実は私たちもさっき襲われたのよ。あなたたちが遭遇したのと同じかどうかは分からないけど」
まだまだ調べる余地があることを暗に示しながらリンディは右手を隠した。
「それよりケガはない?」
リンディが途端に柔和な顔つきに戻った。
「え、ええ。提督こそその手・・・・・・」
「私は大丈夫よ。クロノ、手の空いている武装局員を集めて」
どうやら本格的に艦内を調べるつもりらしい。
実際にクルーが襲われたとあっては、これ以上見過ごすわけにはいかない。
「分かりました」
クロノは一礼すると、急いで武装隊の待機している部屋へ向かった。
「目撃証言を元に行動しましょう。まずは――」

「なのはッ!!」
私はノックするのももどかしく、医務室に飛び込んだ。
あの黒いヘビがまだ彼女のそばにいるんじゃないかと思うと気が気じゃなかった。
どうか無事でいて!
そんな願いを込めながらドアを開けると、
「あれ、フェイトちゃん?」
やけに間延びした声が聞こえた。
見るとなのははすでに起き上がっていて、着替えをすませていた。
「え、あ・・・・・・大丈夫・・・・・・なの?」
緊張が一気に緩み、足に力が入らなくなる。
「うん、大丈夫だよ? どうしたの?」
その言葉と表情から察するに、本当に何事もなかったみたいだ。
「よかった・・・・・・」
とりあえずそう呟いておく。
彼女にもあの事は話さなければならないけど、今はまだいい。
なのはが無事ならそれで・・・・・・。
「ごめんね、心配かけて」
リボンを結いなおしてなのはが笑った。
まだその笑みはぎこちないけれど、私は嬉しかった。
だからあの事を伝えることには戸惑いがあったけれど、私は事実を彼女に話した。
「そう・・・・・・」
なのはからは思ったとおりの反応が返ってきた。
「なのはは今までにいくつも功績をあげてるから、悪いようにはならないと思う」
善と悪を相殺するなんて正しい考えではないと思うけれど。
だけどなのはの悲しむ顔を見たくなかった私は、ついそんなことを言ってしまっていた。
「でも、私のしたことは消えないんだよね・・・・・・」
そのことには触れずにいたが、彼女は気付いてしまった。
どれだけ善い事をしても罪が消えるわけじゃない。
なのはの犯した罪は重い。
こればかりはどんなに彼女をかばってあげたくても、消えない事実だ。
現に3隻の艦の破壊に関わっていたという証拠も残ってる。
「事実は受け止めよう。でもね・・・・・・」
私は一呼吸おいて続けた。
「それは生きていく中で・・・・・・なのはにとっては魔導師として生きていく中で償えばいいと思う」
「フェイトちゃん・・・・・・」
「私も手伝うから・・・・・・。だから思いつめないで欲しいんだ・・・・・・」
今のなのはを見ていると、彼を思い出しそうになる。
犯した罪の重さに耐えかね、自ら命を絶ってしまった彼を――。
「なのは・・・・・・」
この娘は物事をなんでも真剣すぎるくらい真剣に受け止めるところがある。
自分には直接関係のないことでも、責任を感じてしまう癖がある。
真面目な性格がそうさせているんだろうけど。
「ありがとう・・・・・・ありがとう、フェイトちゃん・・・・・・」
なのはは顔をくしゃくしゃにして泣いた。
戦闘になれば恐ろしいくらい強い彼女だけど。
今はこんなに脆くて弱い。
私はそっと彼女の背中に両腕を回した。
密着した体からなのはの少し速い鼓動を感じる。
「一度、家に帰ろう。なのはのご家族も心配してるよ」
これは私が決められることじゃないけど。
この提案は間違ってはいないだろう。
ムドラとの戦いが始まってから、なのははほとんど家に帰っていない。
家族が近くにいれば、それだけでずいぶんと気分は変わる。
ここのところ、暗い話ばっかりだったからきっと彼女も喜ぶだろう。
今夜にでもリンディ提督にそう提案してみよう。
なのはにもうひとつの悪い話をするのはその後でもいい。
(・・・・・・・・・?)
外が騒がしい。
「なに・・・・・・?」
なのはが不安そうな視線を私に向ける。
なんだかイヤな予感がする。
「ちょっと見てくる。なのははここに居て」
「え、でも・・・・・・」
「大丈夫、すぐに戻るから」
私は不安をなのはに悟られないようにして医務室を出た。
何が起こっているのかは大体分かってる。

 ユーノの戦闘はまずバインドで相手の動きを封じるところから始まる。
緩慢な影の動きを彼の緑色に輝く鎖がさらに鈍くする。
「アルフ、今だ!」
「OK!」
アルフが影の数倍高いところからダイブし、拳を叩きつけた。
拳のただ一点に集中された彼女の魔力が、実在しているのかすら怪しい影の体を貫く。
「これじゃあ僕の出番はないかもね」
物足りなさを感じてユーノがうな垂れた。
突如、アースラに現れた影は各所でクルーを襲い始めた。
影の動きは緩慢で油断さえしなければ、魔力を持つ彼らにとっては脅威ではない。
牽制を兼ねたバインドを得意とするユーノは、改めてバインドそのものの必要性を考えた。
「そんなこと言うもんじゃないよ。ユーノの先制のおかげで私もやりやすいんだしさ」
アルフは額の汗を拭って言った。
前述の通り、影の動きは遅い。
油断しなければ恐れることはない。
ただ問題はその数と出現位置だった。
この影を数える単位を決める必要があるが、外見からすると「人(にん)」が妥当だろう。
しかし実際、現段階では単位についてはどうでもよかった。
影の総数が「無限」であることに変わりはないのだから。
その点ではアルフの言葉はお世辞でもなんでもない。
いつ倒しきるか分からない敵と戦うのに、余分な体力は使いたくない。
加えてその出現の仕方がクルーを苦しめていた。
端的に言えば、どこからでも現れるのだ。
床、壁、天井、とにかくアースラ内のあらゆるところから現れる。
それも際限なく、だ。
ユーノたちはそんな影を片っ端から倒していく遊撃隊を任じている。
『シャドウハンター』とアルフが勝手に名づけたのはこの際置いておくとして。
決して楽な任務ではない。
ほとんどの影がほぼ不意打ちぎみに彼らを襲ってくる。
音もなく現れる影に、気配を感じ取ることもできない。
この場合、魔法は攻撃にのみ役立つもので、影の位置や出現を察知する用を成していなかった。
こうなるとやはり”幽霊”という表現がピッタリくる。
「クロノたち、大丈夫かな?」
アルフはふと不安になった。
彼は多数の武装局員を率いているが、だからといって安全というわけではない。
「まあ、放っておいていいんじゃないか?」
普段、自分のことをフェレットもどきとか言ってる馬鹿にしてるんだ。
少しくらい痛い目に遭ったほうがいい。
ユーノは唇をゆがめてそう言い捨てた。
「それより僕の仕事が遅れて困るんだ」
ユーノは恨むような目つきでアルフを見た。
リンディから報せを受けたアルフは、無言のままユーノを書庫から引きずり出した。
そして有無を言わさず『シャドウハンター』の一員に加えてしまったのだ。
「まあまあ、これが終わったらまた戻ればいいじゃないか」
終われば、の話だ。
言った本人も分かっていることだが、まだまだ終わりが見えないのが『シャドウハンター』の仕事だ。
 一方でクロノたちも苦戦を強いられていた。
食堂の天井から降ってきた黒い塊がテーブル上で跳ね、巨大な獅子の姿になった。
「油断するな!」
クロノが叫んだが、誰ひとり油断できる状態ではない。
獅子の姿をした影と戦うのはこれが初めてなのだから。
「グルルルルル・・・・・・」
影のくせに唸り声は獅子そのものだ。
『”Break Impulse”』
獅子の足をすり抜けるようにクロノが接近し、デバイスの先端を胴体にあてがった。
ここでは高威力の魔法を乱発することはできない。
多少の危険をともなうが、接近しての攻撃を加える必要がある。
デバイスから送られた振動エネルギーが、影の獅子をバラバラに引き裂いた。
「グオオォォォ・・・・・・!」
16個に分断された破片が不気味な声をあげながら、壁に床に付着する。
張り付いた破片は波のようにうねり、そこから人の形をした影が生まれた。
「くそ、またか!」
武装局員第7中隊隊長・ハーレイは思わず汚い言葉を吐いた。
影はゆらゆらと陽炎のように体を揺すりながら迫ってくる。
その両腕に鋭いツメを生やし、局員を容赦なく斬りつけようとする。
『”Speed Cannon”』
局員は円陣を組んで影を取り囲むと、速射性の高い魔法で攻めた。
無数の光弾が影を貫く。
魔法に耐性が無いらしいこの影には、どのタイプの魔法でも効果をあげられる。
「ク・・・ロノ・・・・・・」
最後の影が消滅する瞬間、暗闇の奥にある口がそう呟いた。
「なん――?」
クロノはたじろいだ。
影がはっきりと聞き取れる言葉を発したからだったが、それ以前に自分の名を呼ばれる理由が分からない。
「どういうことだ? 今のは・・・・・・?」
クロノたちは辺りを見回したが、他に影が現れる気配はなかった。
「ここはもういいでしょう。別の場所に急ぎましょう」
ハーレイがクロノの肩をつかんで言った。

「バルディッシュ!」
フェイトは狭い艦内を高速で駆け回った。
次々に生まれる影を、出現した瞬間に倒すためだ。
彼女はここまでで既に60以上の影を葬っており、その中で次第にコツのようなものを掴みかけていた。
まず攻撃の際にはできるだけ威力の低い魔法を選択すること。
高威力の魔法攻撃ではダメージが大きすぎるために着弾時に影が破砕する可能性がある。
この時、飛散する破片が床や壁などに付着してしまうと、そこから新たな影が生まれてしまう。
さらにより効果的に戦うために、影が出現する瞬間を狙うことも重要だ。
動きこそ緩慢なものの、実際に攻撃のモーションに入るとその動きは驚くほど俊敏になる。
しかも立体感を伴なわないために目測を誤り、思わぬ痛手を受けることもなる。
フェイトも2度ほど、この影の素早い一撃を食らっている。
1度目は背後から迫ってきた黒いコウモリに。
2度目は天井から伸びた黒い手に。
「いったい何が起きてるの?」
サイズスラッシュでの一撃を見舞いながら、フェイトはふと呟いた。
『”I have a bad feeling about this.”(嫌な予感がします)』
持ち主の不安をさらに煽るかのようにバルディッシュが答えた。
彼女の背後で黒い水たまりが沸き立ち、巨大なクモの姿を形成した。
「しまった!」
遅かった。
だが狼狽したのはほんの一瞬。
フェイトは持ち前の俊敏さでクモの死角に飛び込む。
クモが噛み付こうと前かがみになった隙をついて、フェイトは大きく飛び上がった。
『”Scythe Slash”』
金色に輝く鎌が一閃し、クモの両足から胴体を引き裂いた。
「ちょっと危なかったね」
そう言うフェイトはまだまだ余裕そうだ。
「フェイト!」
多数の武装局員を率いてクロノが走ってきた。
「クロノ、そっちはどう?」
「ああ、大方は片付けた。君は?」
「こっちも。影もほとんど見なくなったし」
言ってから気付いたが、影の出現数が少なくなった気がする。
やはり無制限に現れるものではないのか。
「アルフやユーノもあたっているけど大丈夫かな?」
フェイトは急に2人のことが心配になった。
「ああ、さっき会ったよ。向こうも片付いたみたいだ。まあ、アルフがいたから心配はしてなかったけど」
素っ気なく言うクロノを見ながら、どうしてユーノと仲良くできないんだろうとフェイトは思った。
「とりあえず落ち着いたことを提督に報告に行かないと」
クロノは武装局員を率いて艦橋に向かった。
その途中、振り返って、
「もしなのはの調子が良かったら、彼女も一緒に艦橋に来るように言ってくれないか?」
そう言った。
「うん、分かった」
フェイトは強く頷くと、彼らとは逆の方向――医務室へ急いだ。

 

 突如アースラを襲った影は表面化していないだけで、世界のあらゆる場所に姿を現した。
ディーモス開発地区もその中のひとつだ。
ここに廃棄された研究所がある。
周囲を聳え立つビルに挟まれているため、昼間でもほとんど光が当たらない。
こういうところを闇が好むことは彼が一番よく分かっていた。
人の寄り付かなくなった研究所は闇の格好の棲みかだった。
作りかけのカプセルや推敲の途中で終わっている論文が散乱している。
送電はすでに止められ、施設内は真っ暗だった。
唯一窓から差し込む日光が室内をわずかに照らすが、それも空気中を漂う埃のせいで床までは届かない。
そんな中で影はかつてここにいた研究員の背格好で実体化した。
別に何をするわけでもない。
今はまだ、こうして影であり続けるだけだ。
だが時が来れば、この影はこの世界で光を浴びている全ての者にとって脅威となる。
「そこにいるのか?」
ダークブラウンのケープを羽織った少年が、躊躇うこともなく闇の中に足を踏み入れた。
フードの中からわずかに覗く銀髪が窓から差し込む陽光を反射して輝いた。
「なんだ貴様は・・・・・・」
影は少年の無粋な質問に振り返り、低く唸った。
しかし少年は臆することもなく、頭を垂れて言った。
「消えろ。お前はすでに”存在してはならない”存在なんだ」
深く被ったフードと長く垂らした前髪のせいで、少年の表情を見ることはできない。
ほとんど唇を動かさずに発する口調から察するに、彼は少々イラついているように思えた。
「消えろだと? 貴様、誰に言っているか分かっているのか?」
それに比し、影のほうは感情を露にして毒づいた。
もっともこちらも表情そのものがないため、本当に怒っているのかどうかは怪しい。
少年は悔いるようにため息をついた。
「自我が目覚めたのか・・・・・・それなら僕の言葉も分かるハズだ」
そう呟き、彼はそっと一歩を踏み出す。
「もう一度言う。・・・・・・消えろ、今すぐにだ」
「バカな奴め。オレが貴様を消してやろう」
影が足元の割れたカプセルを飛び越えて少年の前に立った。
「お前は・・・・・・僕の”言うこと”が聞けないのか・・・・・・?」
刃のようなツメを伸ばし、影が迫った。
だがあと数歩のところで少年の首を刎ねられる位置まで来た影は、不意にその歩みを止めた。
「貴様・・・・・・どこかで会ったな?」
目も鼻も口もない顔を近づけ、影が喉のある辺りから発音した。
「・・・・・・・・・」
「オレの記憶の中に貴様がいるぞ。どこだ? どこで会った?」
少年はまたため息をついた。
今度は呆れたような力のない口調で、
「僕を忘れたか?」
とだけ言った。
「誰だかは思い出せんが、まあいい。どうせ貴様はここで・・・・・・」
腕を振り上げた影が突如、何かに怯えるように後ずさった。
「お前が僕を見るのは初めてだろうが、僕のことはずっと前から知っているハズだ」
「き、貴様は・・・・・・!」
影の声が震える。
もしこの影に顔があったなら、その表情は恐怖か驚愕に彩られていたに違いない。
「貴様は・・・・・・貴様は、ル――」
少年の両手から放たれたアメジスト色の電撃が、何かを言いかけた影を吹き飛ばした。

 

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