第3話 ブラックホール

(予備審問を前に一時帰宅を許されたなのはは、家族とのつかの間の団欒に身を休めた。しかし・・・・・・)

 アースラから影の存在が消えるのに1時間近くかかった。
初動が早かったのが幸いし、負傷したクルーはわずか数名にとどまった。
「情報によると、本部や他の艦にも現れたらしいわ」
会議室に集められた主力魔導師を見渡しながらリンディが言った。
「そのほとんどが人の姿をしているけれど、中には動物や植物の形態もいたそうよ」
この報告が何の役に立つというのだろう。
クロノはまるで実体のない敵にイラだった。
そもそも敵と判断するのも早すぎるかもしれないが、実際にクルーが襲われたのだ。
クロノ流に言うなら、立派な武力行使といえるだろう。
「まさかまたジュエルシードがらみかい?」
アルフが険しい顔つきで言った。
突然の、しかも得体の知れない事態というのはとりあえずジュエルシードが原因とした方が気が楽だった。
そうすれば深く考える必要がないからだ。
「それは無いと思うわ。ジュエルシードは本部で厳重に管理してるから。今度こそ――」
難しい局面に立たされた。リンディは思った。
まだまだ事件の一部分すら把握できていないが、今回は規模が大きそうだ。
「なぜ私たちを襲ってきたのでしょう?」
エイミィは幽霊存在説を信じていただけに、この件に関しては今まで以上に積極的な姿勢だ。
「分からないわ。まだあれの目的もハッキリしないし」
「僕は実際に戦いましたが、まるで実感がありませんでした。まるで何も無かったかのような――」
そう言ってクロノはフェイトをちらりと見やった。
君からもそう言ってくれ、と意思を込めた視線で。
「私もです。手ごたえがありませんでした」
これでいい? という視線をクロノに返す。
彼は頷いた。
実感がない、手ごたえがない、という表現は自分たちのとった行動を正当化する言葉だ。
リンディの方針により、アースラでは敵と思しき存在があった時は、まず対話することを第一としている。
そこで交渉を試み、できるだけ戦いにもつれないように事を運んでいく。
仮に戦闘せざるを得ない状況になった時でも、積極的な対話をおろそかにしてはいけない。
闇の書にからむベルカの騎士が初めて現れたときにも彼らはそうしていた。
しかし今回は少し事情が違う。
奇襲を受けたこともそうだが、何より”対話”が有効であるとは思えないのだ。
相手が人間ではない、あるいは知的生命体ではないからかもしれない。
ともかくも、彼らは歩み寄りの余地を捨てて戦った。
そうしなければ死者が出ていたかも知れないのだから、それはそれで正しい判断だったろう。
「狙いは管理局の討滅かしら?」
リンディは言ってから、しまったと思った。
そうなると当然、相手は管理局を憎んでいることになる。
そう判断するのはいくらなんでも早計だ。
とはいえあの影は管理局に対して無差別に攻撃をしかけていたようにも思える。
あまりに急な展開に、リンディ自身も整理ができていなかった。
「アルフはどう思う?」
フェイトの質問にアルフはお手上げのポーズをした。
「ユーノは?」
もちろん彼にも分かるハズがない。
するとクロノが横目でちらりと彼を見やって言った。
「ユーノにはお得意の方法で調べてもらおう」
お得意、というとちょっと皮肉のこもった言い回しになる。
ユーノはひと言、「書庫で調べてみます」と言ったが、それはクロノではなくリンディに向けて言った。
「今のところは警戒するよう呼びかけるしかないわね。正体も目的も分からないし・・・・・・」
リンディはすがるような視線をユーノに向けた。
独自に情報を集める能力については彼の右に出るものはいない。
ムドラの事件同様、彼の情報処理能力が役に立つとリンディは信じていた。
それを汲み取ったユーノが小さく頷く。
「それから、なのはさんの事だけれど」
アースラの艦長というのは常に心労をともなう仕事を持ち込まれる職業だ。
たとえば少女がこれから裁判を受けることをクルーに知らせるのもそのひとつだ。
「なのはさんは5日後、予備審問を受けることが決まっているわ」
本人の前でこう言い渡すことはリンディとしてはスマートなやり方ではなかった。
が、事実として伝えなければならないことでもある。
「弁護士はつけてあるけど、クロノやフェイトさんにも証言をお願いするわ」
これは以前から決まっていたことだ。
フェイトは隣に座っているなのはの手をぎゅっと握った。
(なのはは何も心配しないで)
握りしめた手からフェイトの想いがなのはに伝わる。
なのはは硬い表情をわずかに和らげた。
「裁判が始まったら行動を制限される。そこで予備審問までなのはさんを家に帰そうと思うのだけれどどうかしら?」
誰も何も言わなかった。
が、これはリンディの提案に反対しているからではない。
これは無言の了解だ。
この場にいる者としては何らかの発言をすることで話が長引き、結果的になのはの傷心を抉ることはしたくない。
ただフェイトはリンディの言葉に露骨に反応してしまったが、それは嬉しいという意味の反応だった。
彼女が言おうとしていたことをこの提督は代弁してくれた。
意思疎通が図れたようでフェイトは嬉しかった。
「・・・・・・異議はないわね?」
全員が頷くのを確認してからリンディは立ち上がった。
彼女はこの会議を早く切り上げたがっているように見えた。
なのはは皆より少し遅れて立ち上がり、ユーノに付き添われるようにして部屋に戻った。
「大丈夫よ」
そんななのはを心配そうに見送るフェイトに、リンディはそっと耳打ちした。
「さっき弁護士のブリガンス氏から話を聞いたの」
リンディはクロノやなのは本人にも告げていないことをフェイトに教えた。
「予備審問とは名ばかりで、実際は単なる事情聴取だって。なのはさんの行動の妥当性が証明されれば、
本部は提訴を取り下げるつもりらしいわ」
「え、それじゃあ・・・・・・?」
「そんなに深刻になることじゃないの。でもこの事は内緒よ? あくまで厳格に執り行われるものだから」
なるほど、そういうことなのか。
フェイトは彼女のウインクにようやく真意を理解した。
現状はクルーが思うほど深刻なものではないが、かといって楽観視できる事態でもない。
本部の追及に対ししっかりした受け答えをしなければ、なのはの立場は不利になるだけだ。
ブリガンス弁護士の言葉を事前に聞いてしまうと、証言に臨む彼女たちに油断を生じさせてしまう。
あくまで真摯に向かう必要がある、とリンディは言いたいのだ。
でもそうだとしたら、なぜフェイトにだけ教えたのだろうか?
フェイトはとうとうその疑問を口にすることはできなかった。

 調べ物がまったく進まないことにユーノは苛立った。
「闇」や「影」などの項目を調べると、必ずムドラの項にたどり着いてしまう。
当然そこから進展するものは何もない。
アースラや管理局に現れた”影”はきわめて稀な例か、あるいはこれまでに確認されていないものかもしれない。
そうなると書庫でユーノがやるべきことは無くなる。
できることがあるとすれば僅かな文献を元に彼の豊かな想像力と考察力を駆使して、”影”の正体を推測することだけだ。
しかしこの作業には危険がともなう。
推測の方向を一歩間違えば文字どおり事態を闇の中に葬ってしまうばかりか、最悪クルーの命にも関わりかねない。
鋭利な判断力があればいいが、そこまで責任の重いことをユーノはする気はなかった。
それにいくら司書の誘いが来るほど有能だからといって、なぜ自分ばかりがこんな任を?
ユーノは口には出さなかったが、管理局のやり方に多少の不満を抱いてはいた。
戦線で戦う魔導師に比べ、彼の仕事はじつに単調で地味なものだ。
だが必要なデータを適宜魔導師に送り込むことによって、魔導師はこれまで何度も勝利と事件解決という手柄を手にしてきた。
脚光を浴びるのは管理局のシンボルともいうべき魔導師ばかり。
なんともいえない無力感のようなものが襲う。
「まったく・・・・・・」
ユーノは彼らしくない憮然とした表情を浮かべた。
無理に明るく振る舞うこともできるが、彼は心身ともに疲れているようだった。
心の疲れは体に及び、体の疲労がまた心に波及する。
これが幾度か繰り返された時、彼の背後に影が忍び寄る。
「やっ、ユーノ」
陽気なアルフの声に、彼を強襲しようとした影は音もなく去っていった。
「どうだい?」
「見ての通りさ」
ユーノは自らの周囲に何冊もの本を浮かべて言った。
それだけ見て調べはほとんど捗っていないことが分かる。
「そういえば、この書庫にはあの影は出ないんだね」
「うん、今のところはね」
まさかすぐ後ろで影が現れたことなど露知らぬユーノは、事態に反して飄々と答えた。
アルフも手伝うが、やはり新たな情報は得られない。
”影”という言葉を聞いた時、ユーノはまず”闇”を連想した。
”闇”から考えられるのはムドラだ。
彼は誰にも言わなかったが、今回の件はムドラが引き起こしたことではないかと疑ったことがある。
表面上は和睦が成立していても、未だ魔導師への復讐心を胸に抱いている民がいても不思議ではない。
管理局に現れた影は、そうした者たちが密かに野望を果たすために放ったものではないか。
推理としては決して間違った方向ではなかったが、結果的にそれは誤りだった。
影はムドラをも襲い始めたのだ。
和睦成立前後から、アンヴァークラウンを発ったムドラの民はそれぞれの世界に散っていった。
気候の安定した穏やかな地で暮らす者もいれば、管理局に勤める者もいる。
プラーナに優れた者は魔導師とともに事件の解決に尽力し、必要となれば敵と戦うこともあった。
故郷アンヴァークラウンに残る民もいたが、このように彼らは第2の人生を歩み始めている。
わずかな時間で魔導師とムドラは対等の地位に立った。
聞くところではムドラの民も影の正体を突き止めるために動いているという。
これでユーノの考えは外れた。
「でも油断はしないほうがいいよ」
元が狼だからなのか、アルフは第六感に近い感覚で影を探ろうとしている。
「あいつらはいつ、どこから現れるか分からないからね」
出現するギリギリまで気配を感じ取ることのできない影は、アルフのような者にとっては厄介な敵だ。
「ところでさ」
難しい顔をしてページをめくるユーノに、アルフは絡みつくように言った。
「なのはたちの見送りには行かないのかい?」
「えっ?」
少女の名を出され、彼は反射的に顔をあげた。
「あれって今日だったの?」
「なんだ、知らなかったのかい。夕方には帰るらしいよ」
「そうか・・・・・・ん? でも、なのはたちって・・・・・・」
「フェイトも一緒に帰るんだよ。なのはのことが心配だからって」
「そっか」
2人は魔導師であるがそれ以前に、私立聖祥大学付属小学校に通う小学生だ。
ムドラとの戦いの最中もその本分を忘れることなく、魔導師と学生の間を生きてきた。
戦いが激しくなりアースラに常駐する必要があった時も、2人はなんとアースラから学校に通っていた。
まだまだ幼い2人にとっては精神的にも肉体的にも過酷であっただろう。
「あまり学校を休むわけにもいかないしね」
アルフが言っているのは、なのはが管理局から離れた数日間のことだ。
シェイドの讒言に唆された彼女は、やむをえず家庭の事情ということで学校を休んでいた。
アリサやすずかは魔導師としての仕事が忙しいのだろうという程度にしか思っていなかった。
家族にしても本分である学業を優先してほしいというのが本音だが、そこは理解のある人たちである。
最後にはなのはの選択を尊重し、無理に実情を聞き出すような無粋なことはしなかった。
それがかえって詳細を知らない家族を心配させないで済んだのは単なる偶然か。
とはいえあまり親元を離れて魔導師生活を続けることにはいろいろと無理がある。
なのはが罪を背負った事実は隠し、一度家に帰すほうが賢明だ。
「見送り、行くんだろ?」
アルフは調べものが進んでいないことを知っていたようだ。
進展のない作業を続けるほど苦痛なことはない。
彼女は以前から、書庫にこもりがちだった彼を外に連れ出そうと何度も試みた。
責任感が強く、使命感を背負っている彼はなかなかそれに応えようとはしなかった。
ところがどういうわけか、なのはが絡むと彼は目の色を変える。
今だってそうだ。
ユーノの可愛い反応に、アルフは思わず吹き出してしまった。

 

 その少年は世界を跳梁した。
次元の中心から辺境の地まで、彼が行く必要のある場所には必ず姿を現した。
新たな地に降り立つたびに影は容赦なく彼を切り裂こうと襲い来る。
それらは人の姿をし、時に昆虫や獣の姿に化けて暗黒のパワーをぶつけてくる。
「闇が全てを支配する」
こう嘯(うそぶ)く愚かな影を少年はアメジスト色に輝く閃電で屠っていった。
「これも違う・・・・・・」
影をひとつ葬るたびに彼はそう呟く。
「どこだ? どこにいる?」
少年の目の前で黒い水たまりがうねった。
水柱が聳え立ち、瞬く間にサソリの姿になる。
「またお前か・・・・・・」
少年はため息をついた。
この影は少し前、彼が倒した。
「ムダだ。貴様たちに闇を止めることはできない」
サソリの声は空気を振動させ、彼の聴覚に訴えかける。
「似たような事を言った覚えがあるよ。お前に対してではないけれど――」
彼は言い終わらないうちに五指から稲妻を放った。
この技は素晴らしい。
体内を流れるプラーナの方向性をほんの少し変えるだけで、このように目に見える力となる。
それは術者が望めば敵に甚大なダメージを与えるほどの刃となる。
「・・・・・・!?」
彼はしくじった。
狙いが定まらなかったのか、威力が振るわなかったのか、それとも閃電に勢いが足りなかったのか。
サソリは地を滑るように稲妻を躱すと、少年の真横からハサミでなぎ払った。
ダークブラウンのケープが裂け、皮膚を裂いた。
傷口からこぼれ落ちる鮮血にも構わず、少年はもう一度稲妻を放った。
至近距離で使う技ではないが、彼には”まだ”これしか攻撃手段がない。
今度はうまくいった。
アメジスト色の閃電がサソリの頤(あご)を焼き、文字通り光の速さで全身を駆け巡る。
少年が瞬きを2度する間に、影は光の中に消滅した。
「・・・・・・・・・」
寸劇が終わると、少年はふいに寂しそうな表情に戻る。
そして痛覚が訴える傷口を蔑むように見やる。
裂けた皮膚の隙間から赤い液体が流れている。
それは空気に触れ凝固を始めているが、まだ鮮やかな赤みを保っていた。
これを見ると、少年は何ともいえない感覚に襲われる。
懐かしさ。
邂逅と言ってもいい。
まさか自分がまだこんな風に血を流せるとは思わなかった。
自分の目で物を見、耳で聞き、鼻で嗅ぎ、肌で感じることができるなど。
当たり前のことのハズが彼にとっては懐かしく、また新鮮でもあった。
「お前はどこにいるんだ!?」
少年はわめきたいのを必死に抑えた。
こうやって感情を制御する方法はつい最近になって覚えたばかりだ。
静かに目を閉じ、息を深く吸い、風の流れを感じ取る。
ただそれだけで荒ぶる心を鎮めることができる。
「僕から逃げられると思うな・・・・・・」
少年はフードを深く被りなおすと、次元の狭間に消えた。

 

「おかえり、なのは」
彼女の父・士郎はずいぶん久しぶりに娘に会ったような錯覚を覚えた。
「ただいま」
このところ沈みがちだったなのはも、さすがに家族の顔を見ると花開いたように明るくなる。
「いろいろ聞きたいことはあるけど、まずは夕食だ。今日はご馳走を作るからな」
士郎は喜々としてキッチンに消えた。
「大変そうね。しばらくは家にいるんでしょ?」
美由希がなのはの頭を撫でながら言った。
「うん、そうしたいんだけど、すぐにまた行かなくちゃならないんだ」
その”すぐ”は5日後に迫っている。
家族に甘えるのが上手くないなのはは、少し翳のある表情で言った。
「でも大丈夫だよ。みんながいるから」
心配させまいという少女の精一杯のふるまいだ。
これから裁判を受けるなどと言ったら、家族はどんな顔をするだろう。
言えない。言うわけにはいかない。
母にも、父にも、兄にも、姉にも・・・・・・。
こればかりは絶対に口にしてはならない。
 その夜、高町家はにわかに明るくなった。
久しぶりに帰ってきた少女を囲み、ささやかなパーティーが開かれたのだ。
パーティーといっても、参加者は彼女を含めて5人しかいない。
だが場の盛り上がりに人数は関係ないのだ。
「それでね、フェイトちゃんが――」
なのははひと口大に切られたステーキをほおばりながら、心配する家族に近況を報告した。
士郎たちはすでに魔法の存在も、なのはが魔導師であることも聞き及んでいる。
彼女の口から発せられる世界のことは想像でしか理解することはできないが、頑張りだけは痛いほど伝わってくる。
「そうか、そんなことが・・・・・・」
少女が語る戦いと、ほんの少しのウソを4人は真摯に聞いていた。
話しながら、なのはは良心の痛むウソを悟られないかと少しだけ恐れた。
この家の者は彼女も含め、人の心に敏感だ。
ちょっとした変化にもすぐに気付く。
「なにか言い忘れていることがあるんじゃないか?」
恭也が優しく包み込むように言った。
やはり隠し通せるものではない。
なのははついに観念し、彼女が関わった事件の経緯、顛末を話した。
「・・・・・・・・・・・・」
誰も何も言わなかった。
当然だ。
自分の娘、あるいは妹がまさか異世界で裁判を受けるなどという言葉を誰が信じるだろうか。
が、なのはは冗談でもそんなウソをつくような娘ではない。
ただあまりにも現実離れした展開に、理解のある士郎たちもさすがに狼狽の色は隠せない。
「長引きそうなのか?」
恭也はそう問うのが精一杯だった。
「分からない・・・・・・」
なのははそう答えるのがやっとだった。
自分の犯した罪は痛いほど理解しているが、その後がどうなるかなんて分からない。
「リンディさんは大丈夫って言ってくれたけど・・・・・・」
その”大丈夫”という言葉だけなら信頼度は高い。
フェイトの裁判結果を見れば明らかなように、単なる気休めではなく何らかの確証があっての励ましだ。
しかし、なのはの場合は事情が異なる。
果たしてリンディの”大丈夫”が今回にも通用するかは疑問だった。
「不安なのね」
桃子が呟いた。
当たり前の発言が、彼女が言うとなぜか言葉以上の重みを帯びてなのはを包み込んだ。
「なのは」
士郎がいつも以上に真剣な眼差しで言った。
「魔法使いになったことに後悔はしてないか?」
どういう意味だろうか?
なのはは数秒迷った後、少女らしからぬ凛々しさで、
「してないよ」
と明言した。
「そうか――」
そのひと言で士郎は全てから解放されたような安堵に包まれた。
「なのはが後悔していないならそれでいい」
親として、士郎にはその事だけが引っかかっていた。
闇の書事件の後、なのはは全てを家族と友だちに打ち明けた。
彼女がユーノと出会ってから魔導師として送ってきた日々を。
その時、なのはは偶然に魔導師になったという言い方をした。
結果的に自分がやりたい事を魔法の中に見つけたとも言った。
そこが釈然としなかったのだ。
キッカケが偶然なら、過程やそこから導き出される結果も偶然を礎としていることになる。
だからなのはの「魔導師として目標を見つけた」という目標もまた、偶然から生まれたものではないか。
しかし今の凛とした表情、強い意志の宿る口調から察して士郎はようやく安心した。
「頑張れ、とは言わないが。大丈夫だ、きっとうまく行く」
最後には家族が再びひとつになった。
愛する娘が、愛おしい妹がこれから裁判を受けるというのに誰も不安を口にしなかった。
みんな信じているのだ。
なのはを――なのはを魔導師に導いた運命を――。
「うん、私、がんばるから」
そう答えるなのはに恭也がぼそりと言った。
「やっと笑ったな」
「えっ・・・・・・?」
見透かすような4人の視線に、なのはは恥ずかしそうに俯いた。
 4日後。
なのはは4人の声援を背中に、高町家を出た。
「なのはの信じた道を進め」
士郎が言ったのはそれだけだった。
彼は何も心配していない。
たとえ娘の向かう先が、自分たちの常識では測ることのできない世界だとしても。
魔法と魔導師という未知の要素に捕らわれているとしても。
だから彼女は――。
「行ってきます」
そう言った。
この決まり文句には、”他日、必ず戻ってくる”という意味が込められている。
それがいつかは分からない。
無事に裁判が終わったとしても、彼女が魔導師である以上すぐに戻れるとは限らない。
家族を心配させないため、なのははあらかじめそのことを伝えておいた。
(なのはは予備審問だけで裁判が行われないことを知らない)
『”Don't mind, my master”』
首から提げた赤い宝石が輝き、なのはに一握りの勇気を与えてくれた。

 2人の視線を前に、なのはは首をすくめた。
ひとりは控えめで優しそうな瞳でなのはを見つめ。
ひとりは怒っているような厳しい視線を注いだ。
「・・・・・・・・・」
なのはは何も言えずにいる。
「あんたねぇ、あたしたちがどれだけ心配したか分かってんの?」
最初に口を開いたのはなのはの親友であるアリサだった。
こういう沈黙が続くとまず口火を切るのは彼女と決まっていた。
「うん・・・・・・」
なのははまるで親に叱られた子どものように大人しい。
「事情だとか言って何日も休んで、家に行ってもいないっていうし――」
アリサの強い口調になのははつい顔をそむけてしまう。
「そりゃさ、あんたにはあんたの都合があるのは分かってるわよ。その・・・・・・魔導師をやってるんだからね。
あたしたちの知らない世界なわけだし」
誰かを責める時、アリサは気の毒なほど不器用だ。
ただ責めるだけでなく、そこには親友を純粋に心配する気持ちが込められている、
だが彼女の生来の性格のためか、厳しさに徹することも優しさに徹することもできない。
結局、怒りと安堵の入り混じった中途半端な言葉しかぶつけることができない。
「でも何の連絡もよこさないってのはどういうことなのよ?」
アリサは腕を組み、なのはを値踏みするように睨みつける。
「アリサ、それは私が・・・・・・」
それまで黙って聞いていたフェイトが口を挟んだ。
「フェイトは黙ってて。私はなのはに訊いてるんだから」
「・・・・・・・・・」
すずかはアリサとなのはを交互に見ているが口を開こうとはしなかった。
「ごめんね、アリサちゃん、すずかちゃん・・・・・・」
やがてなのはは静かにそう言った。
「なのはちゃん・・・・・・」
すずかが優しく肩を叩いた。
これが彼女の役目だ。
アリサとすずかは多くの面で対極だが、だからこそ2人がいることで調和がとれていた。
「アリサ、すずか・・・・・・詳しくは言えないけど・・・・・・」
謝ったきり黙りこんでしまったなのはに代わって、フェイトがこれまでの出来事を説明した。
彼女たちに分かるようにできるだけ専門的な用語は避けて、ことの経緯を語る。
なのはの裁判に関しては明言せず、いろいろとしなければならないことがある、という表現に置き換えた。
「そうだったの・・・・・・」
聞き終えたすずかは、現実離れした状況にそう呟くしかなかった。
一応聞いてはいたが、2人にはフェイトの言葉の半分ほどしか理解できていない。
そのため込み入った事情は分からなかったが、フェイトは学校に来ていたのに、なのはが休んでいた理由は分かった。
「・・・・・・・・・」
アリサは言いよどんだ。
大変だったね、という言葉はそれほど親しくないものが軽い気持ちで吐くセリフだ。
本当に相手の身を案じている者には、かける言葉すら見つからない。
「また行かなくちゃならないんだ・・・・・・」
なのははこぼれる涙を拭いながら言った。
「今度はいつ戻って来られるの?」
「――分からない」
なのはの知っている例では、フェイトで半年ほどかかっている。
自分の場合はそれより長いのか短いのかは分からない。
たとえ早い段階で審判が下されたとしても、それで終わりではない。
償うべきは償わなければならないのだ。
「でも絶対に戻ってくるんでしょ?」
アリサが怒りながら訊いた。
だが彼女の怒りはなのはにではなく、フェイトに向けられていた。
「うん、大丈夫だよ。だから心配しないで」
アリサの感情に気付いているフェイトは強く頷いた。
彼女がそろそろ口にすることも、もちろんフェイトは分かっている。
「フェイト」
アリサが低い声で言った。
「どうしてあたしたちに言ってくれなかったの?」
口にこそしなかったが、それはすずかも思っていたことだった。
なのはの休学が長引いたことを不審に思った2人はフェイトに事情を尋ねたことがある。
だが状況をうまく説明できなかったフェイトはその回答をうやむやにしていた。
なのはを庇いたいという気持ちが働いたからだが、2人に無用の心配をさせたくないと想いもあった。
フェイトは他人の気持ちが分かりすぎる。
どんな状況でも、どんな相手に対しても自分のことのように考えることができる。
それだけなら良かった。
フェイトの場合は”自分のことのように”ではなく、”自分そのもの”になってしまう。
つらい過去が彼女の感受性を豊かにし、つらすぎる過去の思い出が豊かな感受性を過敏にしてしまった。
なのはの現状をありのまま伝え、アリサとすずかはどう想うだろうか。
親友を救いたい。2人はまずそう思うだろう。
でも彼女たちには何もできない。
救いたいという気持ちと、何もできないもどかしさに、2人はどれほど苦しんだだろうか。
あるいは最悪のパターンも考えられる。
なのはが戦犯だと知ったら、2人はいつか戻ってくるなのはに今までどおり接することができるだろうか。
住む世界が違っていても、”戦犯”という言葉が表す意味は同じだ。
自分が打ち明けることでもともと仲の良かった3人の関係を壊すことになってしまうのではないか。
それは自分を孤独から救い、2人を紹介してくれたなのはに対する背徳だ。
言うべきではなかった。
フェイトはそこまで考え、敢えて実情を伏せた。
知らないほうがいいこともある。
幼くしてフェイトはそこまで達観していた。
「それは・・・・・・」
フェイトが口を開きかけた時、彼女が考えていたことをすずかが言った。
「もしかしてフェイトちゃん、私たちに心配させないために黙ってたんじゃ・・・・・・?」
「・・・・・・・・・」
彼女の張りめぐらせた思慮はすずかにあっさりと見破られた。
「そうなんでしょう?」
フェイトの表情を読み取り、すずかは自分の推測が正しいことを確信した。
「うん――」
すずかの潤んだ瞳にフェイトは小さく頷いた。
「そ、そんなこと、あたしだって分かってたわよッ!」
アリサが取り繕うように声をはりあげた。
「あたしが訊いてるのは、”どうして”話してくれなかったかってことよ」
アリサはなおも食い下がる。
彼女の問う”どうして”の答えに、先ほどすずかが言った理由は含まれないようだ。
というより彼女が納得していない。
アリサは、”なぜ自分たちに心配をかけないために黙っていたのか”に対する答えを求めている。
「・・・・・・アリサちゃん、お願い、フェイトちゃんを責めないで」
なのはがアリサの肩をつかんだ。
「私が悪いの。全部私が悪いの。フェイトちゃんのせいじゃ・・・・・・ないから・・・・・・」
一度は渇いた涙が再び堰を切ったように溢れ出した。
「私がしっかりしてたら――私が・・・・・・」
なのはは”私が”という言葉をしきりに口にし、2人に詫びた。
彼女の悲痛な謝罪はアリサから毒気を抜いてしまった。
「分かった、分かったわよ。だからもう泣かないの」
フェイトほどではないにしろ、アリサだって人の痛みはよく分かっている。
自分が詰問することでフェイトを苦しめ、またフェイトが隠し続けてきた意味を無に帰すくらいなら、
何も訊かずに黙っていたほうがいい。
「ああ、もう分かったわよ。今回の話は無かったことにしてあげるわッ」
アリサが右手を高々と掲げてから、フェイトを指差した。
「ごめんね、フェイトちゃん。アリサちゃんって素直じゃないから・・・・・・」
すずかが苦笑した。
「誰がよ。あたしはいつだって素直なんだからね」
アリサがすずかを見やった。
こういう自然なやりとりは良い。
なのはにとっても、フェイトにとっても救われた気持ちになるからだ。
「2人のしていることは理解してるつもりだけど――」
すずかが真摯な表情で2人を見つめた。
「やっぱり私たちには分からないことが多すぎるの」
仕方のないことだった。
口で何度言われても、彼女たちが魔導師にでもならない限り、魔法の世界のことは永遠に分からない。
「だから私たちには――」
「待つしかできない」
すずかの言葉に重ねるようにアリサが続けた。
「だから待ってる。なのはもフェイトも、無事で帰って来るまで」
2人は笑った。
「アリサちゃん・・・すずかちゃん・・・・・・」
なのはは目に涙を浮かべながら、2人の手を握った。
それをやや離れたところで見守るフェイトは、2人が言った”無事で”という言葉を繰り返した。
もしかしたら2人は感づいているのかもしれない。
具体的に裁判を受けるということではなく、なのはがやや不利な状況に立たされているということに。
これなら隠す必要はなかったんじゃないか。
涙ぐみ、そして笑顔を浮かべる3人を見てフェイトはふとそう思った。

 

 影の存在は魔導師やムドラの民にしつこく付きまとった。
艦の中、管理局本部、ミッドチルダをはじめとする各世界、アンヴァークラウン。
それはどこにでも現れ、無作為に選び出された人々を襲っていく。
同時多発の攻撃の中、最も激しい戦いを強いられていたのはアースラだった。
非戦闘員までもが最前線に駆り出されるほどの苛烈さだった。
もっとも、神出鬼没の影を相手に”最前線”という言葉は適さないが。
(B-47区に現れた! フェイト、来てくれ!)
クロノが艦橋近くにいたフェイトに思念を送った。
(分かった)
混戦状態から抜け出し、フェイトは風のようにアースラ内を翔けた。
途中、7体の影を屠り、4体の攻撃を避けてB-47区を目指す。
クロノが応援を求めるということは、おそらくかなりの数が出現したのだろう。
あるいは強敵か。
フェイトの胸にわずかに不安がよぎる。
クロノの元にはなのはとユーノがいるハズだ。
あの3人がいて苦戦するほどの相手がいるのだろうか。
行く手を遮る影を蹂躙しながら、フェイトは閃電のようにアースラを飛ぶ。
「・・・・・・ッ!」
応援に駆けつけたフェイトは、目の前の影に一瞬声を失った。
これまで見たものとは違う。
「フェイト、手を貸してくれ!」
クロノが叫んだ。
彼は左手を負傷しているらしく、不自然な格好でS2Uを構えている。
なのは、ユーノも連戦に継ぐ連戦で疲弊しているようだ。
フェイトは影とクロノの間に割り込むようにバルディッシュを構えた。
目の前の影は、もはや”影”という言葉だけでは言い表せない存在になっていた。
ヒトの姿をしているのだ。
輪郭が、ではない。
これまでと違い、この影には顔があった。
赤く光る双眸がフェイトを凝視した。
口の端をゆがめてフェイトを笑った。
この影には表情がある。
「バルディッシュッ!」
金色に輝く戦鎌を起動させ、フェイトが舞った。
「ダメだッ!」
クロノが制したが、すでにフェイトは影に向かって踊りかかっていた。
影は右手を伸ばすと五指を開いた。
「・・・・・・!?」
その指が再び閉じられた時、バルディッシュはそれにしっかりと掴まれていた。
完全に虚を衝かれ、唖然としてしまったフェイトを影の左腕がなぎ払う。
フェイトは空中で身をひねると影から離れるようにして着地した。
「今までのとは違う・・・・・・」
彼女は思ったとおりの言葉を口にした。
これほど俊敏で、戦術性の高い戦いをした影はいない。
そのうえ魔法に対する耐性まで持ち合わせている。
「ディバイン――」
フェイトに気をとられている隙に、影の死角からなのはがレイジングハートを向けた。
「バスターッ!!」
レイジングハートの先端から桜色の光がほとばしる。
一直線に放たれた光が影を追う。
だが戦術を誤った。
影は左手をかざすと、なのはの魔力の波をその手に受け止めた。
これに驚いたのはなのはだけではない。
彼女をよく知るユーノやフェイトも同様だった。
まるで吸い込まれるようにしてディバインバスターはその威力を失っていく。
「これは・・・・・・」
クロノは言いかけて慌てて口を噤んだ。
影が大きく跳躍し、なのはの前に立った。
「なのはっ!」
フェイトが素早く滑り込み、鋭い斬撃を見舞う。
側面からの攻撃を受けた影は金切り声をあげて地に沈んだ。
「大丈夫?」
影が消滅したのを確認してフェイトはなのはに駆け寄った。
「う、うん。ありがとう、フェイトちゃん・・・・・・」
裾のほこりを払いながらなのはが立ち上がる。
その目には恐怖とも困惑ともつかない感情が宿る。
4日間の自由を終えたなのはは、アースラに戻るなり影の襲撃に遭った。
慌ててユーノが駆けつけたが、その時にはすでに20体近い影に囲まれていた。
2人はからくもこれらを退けたが、その直後に先ほどの影が現れたという次第だ。
「あれが皆が言ってた・・・・・・?」
なのはの問いにフェイトは何も答えなかった。
いや、答えられなかった。
彼女らのすぐ横で、たった今沈んだハズの影が立ち上がったからだ。
「こいつ・・・・・・!」
ユーノが反射的にバインドを展開しようとした。
「なるほど、これが魔導師の力か」
影はそんなユーノを赤く光る眼で睨みつけながら言った。
その眼光に不覚にも彼は動きを止めてしまう。
まさか人語を操るとは思ってもみなかったようだ。
以前、別の影がクロノの名を呼んだことがあるが、それは発音であり会話ではなかった。
「うむ・・・・・・やはり何も変わっていないな」
首をかしげて呟く影にフェイトは一足飛びに近づき、金色の戦鎌を首にあてがった。
「あなたは?」
フェイトはいくつもの意味を込めて問うた。
「それはボクの名を訊いているのか?」
この影にはまだ余裕があるようだ。
飄々とした態度に、それをやや離れたところで見守るクロノは苛立っていた。
「ヒューゴだ」
影は言った。
「だが名乗ることにどれほどの意味がある?」
ヒューゴは抑揚のない声で言った。
「お前たちの目的は何だ?」
クロノはS2Uを構え、にじり寄るようにして問うた。
「全てを闇で覆うこと、と言えば分かってもらえるかな?」
ヒューゴは笑った。
この口調には聞き覚えがある。
ヒューゴの凝視から逃れたユーノは思った。
「全てを闇で・・・・・・? どういうこと?」
影がはっきりと人語を話す以上、ここはできるだけ対話を引き伸ばすべきだとフェイトは思った。
なぜクルーたちを襲ったのか。
彼らの目的は何なのか。
その暴挙を止める術はないのか。
「今に分かるさ」
ヒューゴはそう言い、音もなくバルディッシュの戦鎌から離れた。
「お前たちはまだ闇の偉大さを知らない。お前でさえも――」
不気味に光る双眸がフェイトを捉えた。
この瞬間、彼女は奇妙な感覚を味わった。
五感を奪われて、上も下もない空間に放り出されたような感覚。
確かにそこにいるのに、それを実感できない。
「待てッ!」
クロノの怒声に我に返ったフェイトが辺りを見回すと、影はすでに姿を消していた。
ふいになのはがフェイトの手をとった。
寄り添うように腕を絡めてくる。
「大丈夫だよ」
不安げに見上げるなのはに、フェイトは囁いた。
彼女にはこれ以上、辛い想いをさせたくない。
そう考えフェイトだけは影の存在をなのはには伏せていた。
が、実際に襲われてしまったからにはそうも言っていられない。
ひとまず危機が去ったことに安堵し、4人は艦橋に向かった。
不思議なことに際限なく出現した影の姿はどこにも見当たらなかった。
通路のあちこちで負傷した武装隊がその傷を治癒するのに手を焼いていた。
多くが背中に傷を負っていることから、常に不意を打とうとする影の狡猾さが見て取れる。
「もしかしたら、さっきのがリーダー格だったのかな?」
艦橋に向かう道程で、ふとユーノが漏らした。
「僕もそう思ってたところだ」
ユーノに先を越されたのが悔しいのか、クロノが語調を強めて言う。
「リーダーが消えたから、他の影も消えたってこと?」
なのはが訊いた。
「ああ、そう考えるのが自然だ」
クロノは言いながら辺りを見回した。
いるのは傷を負った武装隊ばかりで、ここで両戦力が激しくぶつかったようには見えなかった。
敵がいた痕跡がなにひとつない。
事情を知らない者が見れば、武装隊が同士討ちをしたように見えても不思議ではなかった。
「僕たちのことを知っていたみたいだけど?」
ユーノがはばかるように言った。
この中で”闇”を理解したのはフェイトだけだ。
なのはにしろ、クロノにしろ、闇を見たこともなければ対話したこともないハズだ。
だからフェイトだけはあの影の正体が分かったような気がした。
「どういうことだろう?」
クロノがいつにも増して真剣な表情で呟いた。
「僕たちに恨みを持ってるとか?」
それぞれが影の正体について揣摩臆測を述べている中で、なのはだけは少し違った感想を持った。
彼女はつとめて顔には出さないようにしているが、すっかり憔悴していた。
と同時にひとつの疑問が首をもたげる。
どうしていつも不意打ちなのだろう。
初めてフェイトに出会った時がそうだった。
その頃は話し合いの余地もなく突然襲われ、挙句にネコに気をとられたせいで昏倒した。
闇の書の時も彼女はヴィータの強襲になす術もなく倒れた。
最も近い出来事ではムドラの民との戦いだ。
そして今、新たな脅威が現実に目の前に現れた。
なのはが経験したこれらの出来事には、最後のひとつを除いて3つの共通点がある。
ひとつは彼女の意思に反して不意打ちであること。
何の構えもできていない隙を衝いての攻撃は、表面的に無防備であるばかりか精神的にも動揺しているために、
たやすく彼女の心身を傷つける。
もうひとつは話し合いの余地が無いこと。
たとえ敵愾心(てきがいしん)を持った敵であっても、なのははまず対話を試みる。
話し合うことで直接の戦いを回避できたり、戦う以外に解決の方法があると信じているからだ。
だがそれはたいてい失敗し、彼女は手痛い目に遭っている。
最後のひとつは必ず分かり合えるということ。
これはフェイトとの出会いが良い例だが、過酷な戦いの終わりには必ず互いの気持ちが理解し合えるようになっている。
あの憎悪と猜疑心に包まれていたシェイドでさえ、最後には負の感情を打ち負かしようやく心を通じることができた。
これらの出来事はなのはに熾烈な戦闘の日々を強制する一方で、どんな相手にも想いは必ず伝わる、
という彼女の信念をより強いものに育て上げた。
彼女のやり方は決して間違ってはいない。
争いを戦いによってではなく、話し合いによって解決することで互いの気持ちが通ずるうえに誰も傷つかずにすむ。
そういうメリットと、なのはが今まで――結果的に――実は一度も失敗しなったことが彼女の気を大きくさせていた。
私は正しい。ジュエルシードの時も闇の書の時もムドラとの戦いの時も、私はそうしてきた。
私の考え方で、私の正しいとおもうやり方でどんな事件も解決できた。
だから私はこれからもそうする。想いを伝えることの大切さを知っているから。
彼女の成功と功績は彼女の視野を狭め、そして傲慢にさせた。
様々な感情が入り乱れているなのはは、次にどうすべきかをぼんやりとだが決めていた。
過去の事例に照らし、影との対話を試みよう。
そして戦い、そして分かり合おう。
だってこれが私の見つけた最も良い方法だから。
「――影を倒すことはできない?」
クロノが怪訝そうな顔でユーノに訊いた。
「うん。実感がないんだ。アルフもそう言ってた」
「・・・・・・・・・」
クロノは影の正体よりも、それをどうやって撃退するかということに重点を置いている。
彼にしてみればクルーは家族のようなものだ。
それを傷つけられた、となると彼の怒りも理解できないではない。
「実感が・・・・・・ない」
クロノは呆けたようにユーノの言葉を繰り返した。
そうなると、ひとつの恐れのような感情が首をもたげてくる。
”アースラで安全な場所はどこにもない”
これを肯定せざるをえない。
あの影はどこにでも現れるからだ。
それを倒していないとなると、いつどこからそれが再び姿を現すか分からない。

「・・・・・・むしろそちらの方が問題ですからね。体裁を保つということも必要なのでしょう」
「ということは予備審問は?」
「かなり簡略化されると予想されます。本部はなのは君の処遇よりも、襲撃者の正体のほうに興味がありますからね。
それにムドラとの和解にあの子も大きく貢献している。それを糾弾するなど見当違いです」
リンディの問いに、男が淡々と答えた。
すらすらと流暢に喋る彼に、リンディは素直に頼もしさを感じた。
「リンディ提督」
艦橋に入ってきたクロノが敬礼し、3人もそれに倣った。
「報告は受けてるわ。みんな、お疲れ様」
立ち上がったリンディの隣に、見慣れない男性が立っている。
「紹介するわ。彼はジャック・ブリガンス、なのはさんの弁護士よ」
ブリガンスは恭しく頭を下げた。
「ブリガンスだ。きみがなのは君か」
彼はいかにも紳士という言葉がしっくりくる。
乱れのない着衣と整った前髪を見れば、彼が誠実な人間かどうかはだいたい想像がつく。
「はい、高町なのはです。ブリガンスさん・・・・・・よろしくお願いします」
2人は握手を交わした。
「不安だろうが心配はいらない。予備審問での受け答えさえしっかりしていれば、きみの無罪はほぼ確実だ」
彼の手腕は知れないが、この真摯と慇懃の入り混じった弁護士に言われるとただの気休めには聞こえない。
おそらく裁判が行われないだろうことを知っているリンディとフェイトは、互いに顔を見合わせた。
「それにしても、この頃の異常はなんです? いったい何が起きてるのですか?」
ブリガンスは襟を正してリンディに尋ねた。
「私たちにはなんとも・・・・・・。決して油断できない存在であることは確かですが」
「でしょうね。本部でも対応に追われています。敵の正体を突き止められないことに苛立っていますよ」
リンディの答えを予測して質問したのか。
ブリガンスは全て分かっているというふうに切り返した。
このわずかな問答からも、彼の弁護士としての弁舌の巧さが表れている。
「さて、と。そろそろ行こうか」
「はい・・・・・・」
なのはは力なく答えた。
心配ない、と言われてもやはり不安は拭えない。
「僕たちがついてるから」
そんな彼女の気持ちを察してか、ユーノがやんわりと諭すように言う。
「きみがユーノ君、そちらがフェイト君だね? きみたちはありのまま答えればいい。
多少はなのは君に不利な証言も強いられるが、それで決が変わるわけではないから」
予備審問には当事者のなのはの他、証言者としてユーノ、フェイトの出頭も命じられていた。
ユーノは民間人だったなのはに一番初めに接触し魔法を託したという理由で。
フェイトはムドラとの戦いにおいて、最もなのはと関わっていた一人として。
特に今回の場合、フェイトの発言による影響力は非常に強いと見ていい。
ことムドラの関わる件にあっては、彼女の功績の大きさは誰の目にも明らかだ。
ひとたび彼女が「なのはは無罪だ」と言えば、それだけで無罪が確定してもおかしくない。
もし管理局側が本気で法廷で争うかまえを示した時、なのはの運命はフェイトの手に握られていると言っていいだろう。
「ではしばらくの間、彼女らをお預かりします。事が済み次第、すぐにこちらに送り届けますので」
「ええ、よろしくお願いします」
リンディが恭しく頭を下げた。
本来ならばクロノ、アルフの両名も事件に深く関わった者として出頭することとなっていた。
だが正体不明の影が現れ、アースラに駐在する魔力者が必要となったために待機となってしまった。
「ゲートまでお送りします」
リンディはブリガンスたちを伴なってゲートに向かった。

 

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