第4話 評決の時
(予備審問が開かれた。すでに仕組まれていたなのはへの判決は彼女にとってもっとも良いかたちで下される)
”予備審問”と銘打たれた”事情聴取”は管理局所有の中央裁判所で行われた。
中央の巨大なテーブルを挟むようにして両陣営が向かい合った。
ブリガンスを先頭になのは、フェイト、ユーノの順で着席する。
それに相対するのは管理局筆頭行政副官メイドン、管理局法律顧問ガンレイ、管理局戦闘魔導師総括ソウェル。
彼らを遠巻きに見守るのは数名の記録官と、希望により傍聴を許された者たちだけだ。
傍聴人のほとんどは先のムドラとの戦いで命を落とした魔導師の遺族、ムドラの民などである。
ここには裁判長も検事も陪審員もいない。
この曖昧さが、なのはへの対応の難しさを示していた。
管理局としてはジュエルシードを再回収したという功績もあり、また一度は敵に寝返り大きな損害を与えたのも、
戦いの苛烈さを斟酌すれば止むを得なかったとしているため、なのはを罪に問うことは不本意だった。
大きな功績を挙げたなのはを訴えると、周囲からの非難も相当なものとなるだろう。
しかしながら彼女が魔導師を斬り、艦を沈めたことも確かであり、犠牲者やその遺族の立場から考えるなら、
なのはには何らかの償いをさせるということも吝(やぶさ)かではない。
組織としての体面を保ち、かつ個人的な温情でもって事を処理する。
ブリガンスは管理局が置かれているこのような立場を充分に理解しているだけに、なのはたちの返答次第で
どうにでも転ぶことを覚悟していた。
現時点では勝敗の行方は五分五分なのだ。
「これより魔導師、高町なのはへの予備審問をおこなう」
行政副官のメイドンが声高らかに宣言した。
「なお、全ての答申の模様は司法記録官ハーマンの責任において記録される。また、高町なのはにおいては、
自身に不利な質問に対しては黙秘権を行使することができる」
このあたりは予備審問の形式をとっている。
「後ほど参考人として招致したミッドチルダ出身、ユーノ・スクライア及びフェイト・テスタロッサに対しても
事件の要旨に関する質問をする。その際、自身に不利な質問に対しては黙秘権を行使できるものとする」
フェイトはかつて自分が受けた裁判とはずいぶんと様子が違うことに安堵した。
あの時はもっと威圧的で、弁護士以外の全ての人間が自分を処刑しようとしているのではないかと錯覚させられた。
「それではまず、メタリオンの指導者シェイド・B・ルーヴェライズとの関係についてお訊ねします」
切り出したのは魔導師総括のソウェルだった。
彼としては可愛い部下を失ったのはなのはの所為だとしており、その追求は相当厳しいことが予想される。
今も平静を装っているが、いつ怒り出してもおかしくないほどに彼は憤っている。
「指導者シェイドと共謀し、管理局員および管理局艦船を攻撃した。このことに間違いはありませんか?」
「――はい」
なのはは力なく、しかし自分の犯した罪と向き合うため凛とした表情で言った。
「その時、あなたは自分の意思で実行しましたか?」
いきなり核心を衝いた質問だった。
質問というより詰問だ。
なのはは悩んだ末に、
「はい。私は・・・・・・分かっていてやりました」
答えた。
ウソは無用だ。
ここでは真実のみを語り、管理局側の決裁を仰ぐほかない。
「ではあなたは自らの意思で罪を犯した、ということですね」
なのはは頷いた。
「自覚していてやった、となるとこれは法に照らせば重罪になります」
「異議あり」
ソウェルの冷たい瞳にブリガンスが立ち上がった。
「彼女の精神鑑定をおこなった結果、当時の彼女は心神喪失状態にあり、責任能力はありません」
鑑定書もある、とブリガンスは詰め寄る。
「彼女の精神状態については後の質問でも触れますが、その鑑定には不十分なところがあります」
ソウェルは飄々と躱し、質問を続ける。
「指導者シェイドの讒言によりあなたはメタリオンと行動を共にした。間違いありませんか?」
「・・・・・・はい」
「あなたの凶行によってどれだけの犠牲が出たかは把握していますか?」
「――いいえ」
その瞬間、ソウェルは勝ち誇ったような顔になった。
「あなたのために何十名もの局員が命を落としたのですよ? それが分からないと?」
この言葉はなのはに重くのしかかった。
ソウェルは行政副官に向き直り、
「このように高町なのはは残虐きわまりない凶行に走ったにもかかわらず、死者を省みない嗜虐な人格です。
情状酌量の余地はないと思われます」
「異議あり。本件を断片的に見た意見です。事件の前後関係を確認する必要があります」
ブリガンスが立ち上がって言った。
「異議を認める。魔導師総括は質問を続けるように」
「では共謀のキッカケとなった彼の言葉は? できる限り正確に答えてください」
「それは・・・・・・」
言いよどんでいるなのはに助け船を出したのは、またしてもブリガンスであった。
「これに関してはすでにこちらに括めてあります。審問を円滑に進めるため、この場を借りて読み上げたいのですが」
「うむ・・・・・・いいでしょう」
なのはの口から直接訊き出したかったソウェルは小さく舌打ちした。
「指導者シェイドは当初、こちらにいるフェイト・テスタロッサを讒言によりメタリオンに引き込もうと画策しています。
しかし彼女がそれを拒んだため、彼は高町なのはに目標を切り替え、同じく管理局に背くよう運びました。
この事はアースラのメインコンピュータに残されている通信履歴で明らかにされています。
なお、この通信履歴に関してはすでに証拠物件”TS51”として提出しております」
淡々と読み上げながら、ブリガンスはいつの間にか裁判官を前に語る弁護士と何ひとつ変わらない自分に気付いた。
これは裁判ではない。
予備審問という名目だが、実際はやや形式ばった事情聴取に過ぎないのだ。
「指導者シェイドは管理局が艦を製造するために村々を襲撃しているなどと偽り、執拗に迫りました。
高町なのはは度重なる彼の讒言のために心神喪失状態に陥り、凶行に及んだものです」
ブリガンスが読み上げている間、なのははソウェルの厳しい視線から逃れるように俯いていた。
「それはどうでしょう? 私には心神喪失というよりも、ただ指導者シェイドの言葉を妄信しているように思えますが」
ソウェルは痛いところを衝いてきた。
が、ブリガンスは慌てる様子もなくさらに続ける。
「彼女はまだ9歳です。善悪の区別はつきますが、それを見抜く力には乏しい年齢です。
対して指導者シェイドは当時15歳で、管理局への強い憎悪を持っていました。
彼の言葉はリンディ提督をも欺いたほどです。彼の残忍性、計画性を見れば止むを得ないでしょう」
この言葉にフェイトはちらりとブリガンスを見た。
その目はお願いだからシェイドを悪く言わないで、と強く訴えていた。
(なのは君の行動の妥当性を主張するためには、彼を悪辣な人物に仕立て上げる必要があるんだ)
彼女の視線の意味を察したブリガンスはフェイトに思念を送った。
(でもここにはムドラの民もいます)
ムドラの民にとってシェイドという存在は一族の名を汚した暴虐な少年であるが、そう思っているのはごく一部だ。
ほとんどの人間が、ムドラ帝国の復活に力を尽くし、魔導師との和解を果たした平和の使者――あるいは英雄――として
彼を尊崇していることをフェイトは知っていた。
だからここで彼を必要以上に罵ることは傍聴席のムドラの民に対する侮辱でもあり、
ともすればようやく実現した和平への道に水を差すことになりかねない。
(もちろん分かっているよ。大丈夫、最も良い方法を考えているから)
心配するな、とブリガンスは言った。
彼には彼の論理展開がある。
ここではまず、なのはの行動の妥当性について理路整然と知らしめる必要がある。
そのためには一時的にシェイドには悪役を演じてもらうことになる。
その後、シェイドもまた苛烈な歴史の犠牲者であったと述べ、彼への惻隠の情を促す。
つまりブリガンスはなのはだけでなく、ある意味ではメタリオンの弁護も務めることになる。
これらを聞いているのが人間である以上、ブリガンスの弁論に心を動かさない者はいないハズだ。
彼はこの弁理には自信を持っていた。
(心配するな)
ブリガンスはもう一度そう言い、ソウェルに視線を戻した。
「以上のことから高町なのはの凶行に関しては、心神喪失による一時的なものと言えます」
ソウェルはブリガンスを睥睨すると、法律顧問ガンレイに助けを求めた。
「ガンレイ氏よ、仮に心神喪失とはいえ彼女の犯した罪は重大です。軍規に照らせばどのような罪になりますか?」
だがソウェルは援軍を請う相手を間違えた。
「高町なのはは時空管理局の局員ではない。それゆえ軍規を適用することはできない」
この真っ白なアゴ鬚をたくわえた法律顧問は、本来ならば立場上ブリガンスの敵であった。
「で、では軍規ではなく一般の司法にあてはめるとどうです? 殺人、建造物毀損、それから・・・・・・」
「彼女には斟酌すべき事情が多分にある。そのうえ現にジュエルシードを回収した功績も大きい。
ムドラの民との和解が実現した一端は彼女にあると言えるだろう」
ガンレイは立て板に水を流すようにとうとうと述べた。
「し、しかし・・・・・・」
思わぬ反撃を受け、ソウェルは狼狽した。
「このように功績の大きな者を一度の不祥事によって罰することは適切ではない。それに――」
ガンレイは間を置いてから言った。
「本来、我々が力を尽くすべき問題を民間人の少女が解決に導いた。にもかかわらず功績には報いず、
罪のみをあげつらい咎めることは正道ではない」
一蹴するガンレイにブリガンスは親しみを覚えた。
ここにおいて法律ではなく、人情に訴えかけようとする姿勢はブリガンスと同じだった。
「みんかん・・・・・・? バカな! 高町なのはは武装隊教導官のために教導隊研修を――」
「まだだ!」
ガンレイが怒鳴った。
「高町なのははまだ教導隊研修参加に必要な書類を提出していない。仮に提出していたとしても管理局規定では、
研修中の者は正式な局員とは認められない」
フェイトとブリガンスは互いの顔を見合わせた。
そんなハズはない。
なのはは武装隊教導官になると言って、それに必要な書類は提出している。
ガンレイは少しだけウソをついている。
書類は提出され、すでに受理されている。
だが研修が始まるまでにいろいろと準備が必要であり、その待機中に事件が起こった。
管理局全体を巻き込んだ大規模なものだったため、彼女の研修の話は一時中断となっていた。
「・・・・・・・・・ッ!」
少々のウソを除けば、ガンレイの論はもっともだった。
弁論では到底敵わないソウェルはそれでも散っていった武装隊の無念を晴らそうと、さらに勝負に出る。
この辺りからもうすでに予備審問でも事情聴取でもなくなっている。
「では彼女の功績と罪ではどちらが重いとお考えですか?」
厳正な事情聴取はソウェルという滑稽なピエロによって単なるディベートと化した。
ガンレイは傍聴席にいる全員に意見を求めたかった。
おそらく先ほどの質問に「功績」と答えない者はいないだろう。
「行政副官」
ガンレイはその問いには答えず、筆頭行政副官メイドンに向き直った。
「参考人への質疑の時間を短縮するわけにはいきません。この問題を取り扱うにあたって両者に対して公平に
意見を述べる機会を持たせるべきです」
傍聴席からはメイドンこそが裁判長のように見えている。
そのためメイドンが一声かければ、その言葉はソウェルやガンレイよりも遥かに重い。
「公平を期すため、高町なのはへの質疑を終了とする。続いて参考人、ユーノ・スクライア」
うまくいった。
ガンレイはブリガンスに目配せした。
(公平を期すため? 意見を述べる機会だと?)
ソウェルは内々の怒りを抑えるのに必死だった。
(何が意見だ。答えていたのはブリガンスではないか)
ここにもまたひとつ、小さな闇が生まれた。
「どう、何か分かった?」
朝からキーを叩き続けるエイミィに、リンディはやんわりと声をかける。
「いいえ、分かったのは被害状況くらいで・・・・・・」
影の正体も目的も理解出来ない、とエイミィは言ってから落胆した。
アースラには今、頼りとなる魔導師はほとんどいない。
エース魔導師とユーノは事情聴取に赴いているし、クロノは手勢を率いて各地に現れた影を殲滅している。
アルフは主にアースラ付近の警護についているが、神出鬼没の影に翻弄されている。
影による被害は日を追って広がっていく。
最も新しい報告によれば、辺境の世界にまで出現しだしたという。
エイミィはあれが幽霊であるという考えは完全に捨てている。
純粋に”何者か”という疑問が代わりに浮かび上がった。
正体も目的もハッキリしなければ対策の講じようがない。
「情報をまとめてみますね」
エイミィは無礼にもリンディに向き直ることなく、キーを叩きながら言った。
が、そんなことでいちいち腹を立てるほどリンディは狭量ではない。
エイミィは得意のキーさばきでこれまでの報告をまとめあげ、それを一度大まかなカテゴリーに分類した後、箇条書きに並べ替えた。
重要性、信憑性、確度が高いと思われるものから順に並ぶ。
「まずは明らかな敵意が見られる、ということですね」
エイミィは基本的なことから入った。
これは聞くまでもない。
リンディ自身、不意に現れた影に襲われ傷を負っているのだ。
「続いて出現、消滅に法則性がないことが挙げられます」
これは何度か戦った者なら実感できることだ。
その後もエイミィは報告をもとに、影について分かっていることを詳細に述べた。
が、それらは影の特徴を示しているものばかりで、根本的な解決に結びつくものはない。
「全てを闇で覆うこと、って一体どういう意味かしら?」
リンディはクロノから聞いたヒューゴという影の名を思い出した。
「その意味が分からなければ、対策の立てようもないわね」
彼女は少し焦っているように見える。
はじめ幽霊が出るとクルーが騒ぎ立てた時、彼女はつまらない噂に惑わされないように、とクルーを一蹴した。
いたずらに不安を煽らないためという彼女の配慮からだったが、結果的にそれはクルーを信じなかったことに他ならない。
そして対応が遅れクルーに負傷者を出してしまった。
やってから後悔するならまだしも、何もしないで後悔するのは辛い。
「とにかく――」
エイミィが元気づけるように声をはりあげた。
「相手が有無を言わさず攻撃してくる以上、こちらも毅然とした対応をとるべきですよ」
つまり戦えということだ。
だがこれにはためらいがある。
言葉を交わすことができるのなら、まず対話する必要があるのではないか。
期せずしてリンディとフェイトの考えは一致していた。
「戦わずに済む方法があるか――」
リンディが言いかけた時、アラート音が鳴った。
エイミィがキーを叩いて、モニターに別のタスクを表示する。
どうやら遠隔地からの通信のようだ。
画像は荒いが、相手方からの音声はしっかりと受信できる。
『こっちのはあらかた片付けたぞ。次はどこに行ったらいいんだ?』
開口一番、いかにも不機嫌そうな少女の声が聞こえた。
「お疲れさま。まだいける?」
『まだまだ余裕だ。シグナムたちはどうしてる?』
この少女はどんな時も面倒くさそうな喋り方をする。
ちょっとクロノに似ているかも、などと考えながらエイミィは苦笑まじりに言った。
「皆にはアンヴァークラウンの地下都市に行ってもらってる。連絡はないけど、きっと大丈夫だよ」
『そっか。で、あたしはどこに行けばいいんだ?』
「オルキスでも影が現れたらしいの。任せてもいい?」
『分かった。さっさと行って片付けてくるよ』
「うん。お願いね、ヴィータちゃん」
ヴィータはエイミィの言葉を待たずに通信を切った。
「頼もしいわね」
やりとりを聞いていたリンディが言った。
「ええ、今は1人でも多くの人手が必要ですから」
エイミィがそう言うのには理由がある。
彼女は各地から寄せられる報告をもとに影の出現したエリアを表示させた。
被害に遭った地域が広すぎるのだ。
とても管理局だけで対応できるものではない。
なのはやフェイトにも早く帰って来て欲しかった。
一方でエイミィは、あのあどけない少女たちをまた過酷な戦いに晒すことにやるせなさを感じていた。
「続いて、フェイト・テスタロッサへの質問をはじめます」
証言を終えたユーノは、今ので良かったかという確認の視線をブリガンスに送った。
(ああ、上出来だ)
ブリガンスはユーノの証言が及第点であったことにひとまず安堵した。
あとはフェイトだ。
はっきり言って、先の2人の発言はこのための布石ともいえる。
この法廷(事情聴取)で重要なのは彼女の言葉なのだ。
「それでは、フェイト・テスタロッサさん。あなたにお訊きします」
そう問うたのはソウェルだ。
「はい」
フェイトはソウェルの視線をはねのけるように答えた。
「指導者シェイドとあなたは親しかったと聞いていますが、それは事実ですか?」
「――はい」
親しいという言葉が適切かどうかは分からないが、かといって親しくないとも言えない。
ここはやや曖昧に頷いた。
「あなたは一度として彼の陰謀には気付かなかったのですか?」
――愚問だ。
ブリガンスは思った。
奴は答えの分かりきっている質問をして非をあばき、外堀を固めようとしているのか。
「はい、気付きませんでした・・・・・・」
「親しかったのに?」
「・・・はい」
「それは妙ですね。関係者の証言によれば彼は常に一対一の状況を作り出し、懐柔する手段をとっていますが。
それに通信履歴からはあなたを唆そうとしている節も見受けられましたが、それについては?」
ソウェルは自分の質問に酔った。
「シェイドが私を陥れようとしていたのは事実です。ですが私はそれが彼の陰謀だと気付かずに拒みました」
これにウソはない。
母プレシアの話を持ち出したりと妙な素振りはあったが、シェイドが何事かを企てていることまでは分からなかったからだ。
「なるほど・・・・・・。そして彼はなのはさんに狙いをつけ、凶行に走らせた。ということですな。
うむ、しかしそうなると矛盾が生じますな」
「・・・・・・・・・」
ガンレイが横目でソウェルを見た。
同じ管理局の人間でありながら、ソウェルだけは管理局の意から離れている気がする。
管理局はなのはの罪を水に流し、かつ犠牲者や遺族が納得するかたちで係争を終わらせようとしているのに、
どういうわけか彼だけは違う。
フェイトの旗色が悪くなるようならすぐに口を挟むべきかもしれない。
ブリガンスとガンレイは同時にそう思った。
「あなたは彼の誘惑を毅然と払いのけた。だが、なのはさんは彼の讒言にのった。
この違いはいったい何でしょう? 答えは簡単です。なのはさんは自らの意思で凶行に及んだのです」
「それは違いますッ!」
フェイトは思わず大きな声でそう叫んでいた。
「では何故――」
ソウェルはフェイトの顔を覗きこみ、
「なのはさんは”あなたのように”彼の言葉をはねのけることができなかったのでしょうか?」
「それは・・・・・・」
ブリガンスが立ち上がった。
「異議あり。それを比較することは当人には不可能です」
「異議を認める。魔導師総括は質問を変えるように」
ソウェルは誰にも聞こえないように舌打ちし、フェイトからやや離れた。
「それではあなたは、指導者シェイドの企みはムドラの過去からすれば止むを得なかったと思いますか?」
「・・・・・・」
フェイトは顔を伏せた。
(イエスと答えるんだ)
ブリガンスがそっとささやく。
「はい。彼のたどった辛い過去からすれば、仕方のないことだと思います」
「分かりました。では、なのはさんの凶行については止むを得なかったと思いますか?」
「はい」
「管理局の艦を3隻も沈めたのも?」
「――はい」
「局員が何人も命を落としたんですよ? それでも彼女の――」
「よさんかッ!!」
ガンレイが声を張り上げて立ち上がった。
この場にいた全員が驚いたようにガンレイに注目した。
「ソウェルよ。お主、ここに来て彼女らに何を言わせるつもりなのだ?」
ガンレイは殺気立った瞳でソウェルを睨みつけた。
その眼光があまりに鋭く、不覚にもソウェルは半歩退いてしまう。
「お主は彼女の罪を暴きたてようとしている。だが一度でもその功績に目を向けたことはあったか?
民間人の彼女がお主ですら遂行できなかった難事を解決したことを忘れたか?
フェイト・テスタロッサやユーノ・スクライアがどれほど尽力したか忘れたのか?」
「そ、それは分かっていますよ。しかしそれはまた別の話で・・・・・・」
「同じだ。これら全てがな。凶行は当人の人格に左右されるところが大きい。それはお主も分かっておろう。
ならばなぜ全体を見ようとしない? なぜ一時の行いだけで全てを測ろうとするのだ?」
ガンレイが詰め寄った。
場は異様な雰囲気に包まれ、フェイトはブリガンスに助けを求めた。
「座りなさい。彼に任せよう」
そう言ってブリガンスは怒気をはらんだガンレイをアゴでしゃくった。
「指導者シェイドは確かに残虐な少年だった。目的のためには自分を偽り、他人を誑(たぶら)かし、仲間をも欺いた。
だがそれはムドラの過去があってのことだ。少年の故郷や民を想う気持ちがそうさせたのだ。心情を察するに余りある」
「し、しかし・・・・・・」
ソウェルはガンレイの剣幕に気圧されている。
ブリガンスにしてもそれは同じで、テーブルを挟んでいてもその気迫は充分に伝わってくる。
「・・・・・・・・・?」
フェイトの手をなのはが掴んだ。
彼女は怯えている。
フェイトは少女の手をしっかりと握りしめた。
「ガンレイ氏よ、あなたの仰ることは分かります。たしかに彼女たちの功績は大きいと思います。
しかし罪は罪です。過去に偉業を成し遂げたからといって、大罪を犯してもよい理由にはなりません」
ソウェルの持論は犠牲者の遺族にとっては心地のよいものだったが、ムドラの民には耳障りだった。
和睦成立を慶んでいたのは魔導師だけではない。
ムドラの民もまた、彼らと同じように平和を愛する民族だ。
ソウェルはそれを忘れて一方的に悪者を叩くことしか頭にない。
(しばらく静観していよ。うまくやってみせる)
ブリガンスの脳にガンレイの思念が届いた。
何のことだか分からなかったが、やがてその意味を悟った彼は、
(お任せします)
とだけ返した。
そしてなのはたちにそっと耳打ちした。
「これはガンレイのパフォーマンスだ」
「パフォーマンス?」
ユーノが訊き返した。
「ああ、実際の裁判でもそうだが、ただ証拠をあげて理路整然と利害を述べるだけじゃダメだ。
裁判長や傍聴人、陪審員に訴えかける工夫がいる」
それがガンレイのやっていることだ、とブリガンスは言った。
「いま魔導師とムドラは和解を果たした。それは紛れもなく彼女たちの功績である。
ソウェルよ、もし彼女たちがいなかったらどうなったかを考えてみよ」
ガンレイのパフォーマンスは仮定の話へと移る。
「さらに多くの犠牲者が出ていたであろう。そして我々が和解することもなかった――」
傍聴席にいた者たちはいつの間にか目を閉じ、ガンレイの仮定の話を想像していた。
平和ではなく、破滅へと向かっていたかもしれない世界を。
「・・・・・・・・・」
誰も何も言わなかった。
時間が止まったかのような静寂が場を包む。
ソウェルはそんな静寂の中にいて、次第に怒りが収まっていくのを感じた。
たしかにそうだ。
局員が命を落としたのはなのはの行いによるものだったが、彼女がいなければ犠牲者はさらに増えていた。
それに・・・・・・。
ソウェルはそっと周囲を窺った。
ここにいる全員がガンレイの言葉に感化されてしまっている。
今さらなのはが悪いと言っても、厳しい反対意見が飛び交うだけだろう。
「彼女たちも指導者シェイドも、我々にとっては和平の使者だ」
突然、傍聴席から拍手が巻き起こった。
見ると彼らは立ち上がり、万雷の拍手を送っている。
(なんだ、どういうことなのだ?)
ソウェルは目を見張った。
ガンレイの言葉にムドラの民が感動し、拍手を送るのなら分かる。
だがどういうわけかその中に、魔導師の遺族が混じっている。
なのはを恨み、憎んでいるハズの彼らまでもが。
どういう意味でかは分からないが、送られる拍手から上のような念は感じられない。
「なのは君」
ブリガンスが耳打ちした。
「この通り、誰もきみを責める者はいないよ」
「・・・・・・・・・」
「この拍手は――」
きみへの賛辞だ、とブリガンスは囁いた。
「これは初めから決まっていた」
ブリガンスはようやくこの予備審問のトリックを明かした。
ソウェルを除く全員がなのはを無罪に導こうとしていたこと。
「きみのしたことは罪だ。だがそれは止むを得ない事情によるものだ。そして、もちろん――」
彼はなのはに優しい視線を向けるフェイトに向かって、
「シェイドにも罪はない」
そう言って天を仰いだ。
「エイミィ、やったわ!」
本部との通信を切ったリンディは満面の笑みで叫んだ。
「なのはさんの予備審問、うまくいったみたいよ」
影の出現に気を揉んでいたリンディにとって、久しぶりに心から喜べる吉報だった。
「ブリガンス弁護士からは何と?」
エイミィが振り向いた。
「ええ、3人の証言と法律顧問の演出のおかげで皆を納得させることができたって」
皆というのは事件にかかわった被害者のことだ。
予定どおり管理局はなのはへの提訴を取り下げることが決定した。
犠牲者に対しては管理局が責任をもって補償することをリンディは告げた。
「そうですか・・・・・・」
エイミィの瞳に涙が光った。
彼女の脳裏にシェイドの姿が甦った。
ムドラの戦いにかかる全ての手続きが、最も良いかたちで終わった。
「彼の悲願がようやく成就したのね」
そんなエイミィの気持ちを察してか、リンディが目を細めて言った。
「全て終わったわ・・・・・・これで・・・すべてが・・・・・・」
なのはが罪に問われずに済み、犠牲者の怨恨が解けたことに――。
リンディは安堵してそう漏らしたが。
彼女は勘違いをしている。
終わりが新たな始まりを生むことに。
彼女はまだ気付いていなかった。
その始まりはアラート音と、直後のエイミィの絶句によってもたらされた。
「提督、大変です! エステカに多数の影が!」
エイミィは叫んだが、特に血相を変えて訴えるほどのことではない。
影の出現は日常的になっていたし、エステカといえばアースラがいる場所からかなり離れたところにある。
なによりそこには町も村もなければ、人ひとり存在しない。未開の地なのだ。
そんなところに影が現れたところで何を深刻になる必要がある、とリンディが言いかけた時、
「人が・・・・・・人がいるんです!」
「なんですって!?」
慌ててリンディがモニターを覗き込む。
「大変だわ・・・・・・」
少々、厄介なことになっている。
荒れた岩肌が露出しているエステカの丘陵地で、20体ちかい影が蠢いている。
それらに囲まれながらも果敢に戦っている者がいた。
モニターの感度が悪いのと、その人物がダークブラウンのフードを深く被っているせいで顔がはっきり見えない。
「早く彼を助けないと・・・・・・!」
顔が見えず性別もはっきりしていないのに、なぜかエイミィはその人物を”彼”と呼んだ。
「クロノ君、手、空いてる?」
『ああ、どうかしたのか?』
この執務官は呼べばすぐに応答してくれる。
「すぐにエステカに行って。民間人が襲われてるの!」
言いながらエイミィはモニターを凝視した。
旗色が悪い。
正規の訓練を受けた魔導師ですら油断できないというのに、それを一般市民が20体同時に相手にするなど、
考えるまでもなく無謀なことだ。
『分かった。エステカのどこだ?』
「いま座標を送信するから!」
人命がかかっている。
エイミィのキーを正確にかつ速く叩く業が、ひとりの民間人を救うのだ。
「気をつけてね、クロノ君」
通信を切り、続いてエイミィはアルフを呼び出した。
アルフとの通信は映像よりも先に音声が届いた。
『どうかしたかい?』
息があがっているようだ。
そんな彼女に頼みごとをするのは気が引けるが、こればかりは仕方がない。
「エステカで民間人が影の攻撃を受けてるの。アルフ、動ける?」
『OK、こっちは落ち着いてきたし、すぐに行くよ』
まったく頼もしい限りだ。
座標を送信し終え、エイミィは息をついた。
「・・・・・・・・・」
リンディは眉をひそめた。
なにか釈然としないのだ。
エステカが未開の地で残っているのは、そこに産業的・経済的な価値がほとんどないからだ。
竜蟠虎踞とした地形が続くのみで、しかも地表の多くが堆積した火山灰で構成されている。
そのためとてもではないが人が住める環境ではなく、鉱物資源があるわけでもない。
ふたつの疑問がよぎる。
なぜそんな地に影が現れたのか。
彼女が知る限り、影は常に人間(魔導師やムドラの区別なく)を狙ってくる。
影にとってもエステカは何の価値もないハズだ。
そしてもうひとつ。こちらの方が重要だが。
なぜ人間が、それもひとりでいるのか。
胸騒ぎがする。
リンディは複雑な想いでモニターを凝視していた。